京阪・深草駅
▪︎一昨日、日曜日でしたが深草キャンパスに行きました。担当している研究部の仕事の関係で、どうしてもやっておきたいことがあり、部屋にこもって仕事をしました。4時間程集中して仕事をしたあと、その日は夕方からご近所のお通夜があるため、16時頃には京阪・深草駅から帰宅することにしました。トップの写真は深草駅まで歩いていく途中のものです。私は、線路、電線、駅、鉄柱等で構成されるこの風景が好きなのですが、この日は少し様子が違っていました。プラッホームが広がっているのです。ひょっとして、もっと前から拡幅されていたにもかかわらず、気がついていなかったのかもしれません。いずれにせよ深草に国際学部ができて学生数が増えているので、安全確保のためにも、プラットホームが拡幅されることはありがたいことです。まあ、この工事と、龍谷大学の都合が、どこかで結びついているのかどうか、そのあたりは私はよくわかりません。
▪︎ということで、この工事のことを調べてみました。以下は、京都市からの情報です。
京都市では,人と公共交通優先の「歩くまち・京都」を目指し,高齢者や障害のある方をはじめ,すべての人が安心・安全で円滑に移動できるまちづくりを実現するため,交通バリアフリーを推進しています。
平成26年3月に策定した「深草地区バリアフリー移動等円滑化基本構想」において,深草自由通路及び京阪深草駅舎新設によりバリアフリー化することとしており,早期の整備に向けて京阪電気鉄道株式会社等と協議調整を進めてきました。
この度,京阪電気鉄道株式会社が既に準備工事を進めている京阪深草駅のバリアフリー化工事に併せて,平成26年11月17日から深草駅自由通路のバリアフリー化工事に着手しますので,お知らせします。
▪︎なるほど、京都市の「街のバリアフリー」工事と京阪電車の「駅のバリアフリー」工事が同時に進行しているわけですか。もともと、深草の駅は、自転車も押して通行できるような構造になっていました。しかし、その駅舎は廃止になります。そして少し南側、大阪寄りのところに新しい駅舎ができるようです。その駅舎につながる形で、新しい通路もできるようです。
▪︎このことをfacebookに投稿したところ、複数の鉄道ファンの皆さんからいろいろ有益なコメントをいただくことができました。深草駅にある線路についてです。少し脇道にそれたところから…。深草駅は、1980年(昭和55年)3月以前まで、車庫がありました。その深草車庫は淀車庫へと移転しました。その移転後のこと、wikipediaの「深草駅」では以下のように説明されています。
深草車庫廃止後は留置線として利用されていたが、1988年2月に深草駅の側の龍谷大学の学生の利用増により、ホーム幅を1m拡張するために東西各1本の留置線を撤去した。最終的には淀車庫の拡充に伴い東側の1本の留置線を残して、その他の留置線は撤去された。深草車庫の跡地の西側部分には京都市立砂川小学校の用地となった他、2001年9月に東急不動産が分譲するマンションが建設された。
線路配置は深草駅を挟んで東側に3線の留置線、西側に5線の留置線(留置線有効長は最大5両まで)と検車庫を備えていた。のちに急行運転開始に向けて深草駅に待避線を設置したときに東西の留置線各1線の一部を流用した。京阪線の連結運転の長編成化に伴い、深草駅のホームを延長したため留置線が短くなり、最終的には1線ずつ減った。現在は1線のみである。
▪︎深草に京阪電車にとってとても重要な車庫があったとは、まったく知りませんでした。しかも、龍谷大学の東側にある砂川小学校や東急不動産のマンションのところに車庫があったとは…、ちょっとびっくりしました。ちょうと「喫茶みどり」の前あたりには、京阪の電車が停車していたというわけですね。昔の様子を、「みどり」のマスターにぜひお聞きしみたいと思います。話しが脱線していますね。facebookのコメント欄での話しに戻ります。じつは、コメント欄でwikipediaの説明にある留置線は「いつ使っているのか」というご質問があったのです。私は、鉄道が好きではありますが、徹底したファンの方たちのように深い知識をもっているわけではありません。お答えのしようもなかったところ、別の方たちから以下のようなコメントをいただきました。
【Yさんから】深草駅の1番、4番線は、平日朝ラッシュ時に、特急と快速急行を10分より短い間隔で運転しつつ、その間に、準急、普通を入れようとすると、深草待避が必要になります。また、ホームは7両分ですが、線路は8両分あるので、回送待避も見られます。12分ヘッド運転だと、深草待避が合理的なようです。正月ダイヤ時は、特急→普通連絡は、七条、中書島になり、普通は深草待避です。ちなみに、丹波橋は、急行→普通連絡(向かい側で乗り換え)になります。普通は、深草で後続の特急に抜かれ、丹波橋で後続の急行を待って、先に行かせるというのんびりです。
【Tさんから】深草駅のバリアフリー化工事・駅舎の移転(大阪方へ)とホーム拡張工事は順調に進んでいて、三条・出町柳方面行ホームはすでに線路が移設されて、ホームの拡張が終わっています。5月16日~17日と一部の列車を運休して工事時間を確保して、枚方・淀屋橋方面のホームの拡張工事が進んでいます。 深草駅は昭和55年に淀車庫が開設されるまでは、京都方の重要な運転拠点として、運転士・車掌さんの所属する列車区というのも存在していました。昭和62年の東福寺~三条の地下化工事完成に伴う時刻改正で「深草行」電車の設定は無くなりましたが、今の車両には、今なお行先表示に「深草」の文字が残っています。深草駅の待避線は行楽シーズンに運転される七条~京橋ノンストップの特急が深草で先行する普通列車を追い抜くのに使用しますし、平日朝ラッシュ時が一息つくころには3扉ロングシートの車両から2扉クロスシートへの特急車両を交換するのに、淀車庫から出庫した特急車が深草で待避するのにもつかわれています。京阪電車を気にかけていると「深草」という文字、言葉の響きには特別な思いがあります!
▪︎お2人からのコメント、とってもすばらしい。私のようなただの電車好き(プチ鉄)とは異なり、豊かな知識と見識をお持ちなのだな~敬服しました。私にとっては、大学の本部のあるキャンパスの最寄りの駅…という感じてしかありませんでしたが、これからはもっと違ったまなざしで深草駅をみることになりそうです。
阪急梅田駅
▪︎昨日は、老母の生活介護の日でした。行き帰りとも、梅田駅を通ります。帰宅するときの方が、「任務」を終えたあとの安堵感があります。気持ち的に余裕もあるので、昨日は、梅田駅で写真を撮りました。もちろん、カバンに入れて持ち歩いている「iPhone6plus」のカメラですけれど…。もう、日常的に一眼レフを持ち歩く気力がなくなってきました。昔は、そうしていたんですけどね〜。
▪︎この写真は、facebookの方にアップしました。すると、 facebookのお「友達」の皆さんから、長めのコメントをいろいろいただくことができました。やはり、私と同じくKGの同窓生の方たちは、ここから西宮の大学に向かうことになるので、特に、現在は大阪から離れておられる方たちであれば、余計に、「懐かしい」風景かなと思います。
▪︎コメントをくださった方のお一人は、プロの鉄道マンの方です。関西の大学で学ばれました。こんなコメントをくださました。
「ズラッとならぶ統一感ある電車たち、複々々線の並走、荘厳な百貨店の通路など、日本とは思えません!たまにお出掛けで使うくらいだったので、良い思い出です」。
▪︎的確なコメントをいただきました。トップの写真は、神戸線のホームから撮ったものです。どの車両も、「マルーン」と呼ばれる色で統一されています。手前から、9・8・7番線では神戸線。6・5・4番線が宝塚線。3・2・1番線が京都線になります。良い広角レンズを使うと、ひずみもすくなく、マルーンの電車がずらっとならんだ素晴らしい写真が撮れるのではないかと思いますが、私の腕では、この程度です…。この9つのフォームでは、次々と電車が出入りするわけですが、特に梅田ー十三間は3本の路線があるので、電車が同時に走ります。鉄道ファンでなければわからないと思いますが、これもたまらない風景なのです。改札を出るとエレベーターがあり、私が贔屓にしている新梅田食堂街(JRのガード下のエリア)をぬけると、阪急百貨店がそびえています。現在は改修されたものですが、改修前の雰囲気のほうがよかったんですけどね〜。全体にいえることは、阪急は「シック」で上品だというこでしょうか。
▪︎ところで、「213 阪急梅田~十三間の3複線区間、京都本線だけ中津駅がない理由」という記事をみつけました。中津駅というのは、梅田の次にある駅なのですが、京都本線だけ駅がありません。「結論から言うと、その理由は3つの複線のうち京都本線の線路が最後に建設され、『ホームを作る場所がなかったから』」だそうです。なるほどね。詳しくは、記事を直接お読みいただければと思います。
「月」に「刀」
▪︎先日、免許更新をしました。「 Save Driver」カードと「優良運転者彰証」のカードが送られてきました。前者のカードには、「平成18年4月10日から平成27年5月11日現在まで無事故無違反であることを証明します」とありました。とりあえず、9年間、無事故無違反であったわけですね。最後の違反は何だったかと思い出してみると、たしか第二阪奈道路だったような…気がします。その前は、京滋バイパスだったような…気もします。5年に1回、なにかやっていたです。ということで、ずっと免許の色はブルーだったのですが、今回は晴れてゴールド免許になりました。免許がIDカードのようになっていることは別にして、ちょっと嬉しかったりもします。これからも無事故無違反で過ごせればと思います。
▪︎ところで、ゴールドになった免許も、送られてきたカードも、氏名の欄、苗字の最初の漢字は「月」に「刀」3つになっています。戸籍的には、これが正しい字になります。ですから、戸籍や住民票等は、みな「月」に「刀」3つです。ただし、パソコン等ではフォントがないばあいが多々あるので、よくある「月」に「力」の方で代用しています。まあ、「刀と力は、1mm上に突き抜けるかどうかの違いで、他のみなさんにはどうでもよいこと」とも思っていますが、私の父親はこだわりがあったものですから。
▪︎その父は、6年ほど前に亡くなりました。現在、母親の世話をしに毎週通っています。母親が暮らしている家は、私が結婚したあとに建てられた家で、私自身には愛着がありません。写真は、その家の入り口にある表札です。建物としての家には愛着はありませんが、この表札には愛着を感じています。「月」に「刀」3つだからです。父の兄弟(伯父・叔父)は、社会的な都合から、戸籍の漢字も「月」に「力」3つ、通常の「脇」に変えてしまいましたが、私の父親だけがこだわり続けました。ということで、この漢字なのです。そして、私自身もその「こだわり」を父から刷り込まれているものですから、多少の不便は仕方がないと、密かに、「月」に「刀」3つにこだわり続けているのです。
大津駅前商店街のツバメ
▪︎暮らしのまわりにいる生き物の存在や動きを、もっと感じ取れるようにならないとな…といつも思っています。生き物をたくさんみかけるということは、そのような生き物たちが餌をとり、子孫を残すだけの生態系や環境が維持されているということになります。最近、スズメをみかけなくなったといわれます。スズメは木造の家の隙間などに巣をつくりますが、最近の機密性の高い建物では、そのような隙間がないことから、スズメが巣をつくりにくくなっている…というのです。
▪︎wikipediaの情報ですが、スズメのように、「人間社会の近くに生息し、人間や人工物の恩恵を受けて共生する、野生の動植物」のことをシナントロープというようです。もちろんスズメだけでなく、たとえば写真のようなツバメも、日本においては典型的なシナトロープではないかと思います。ツバメは、日本においては、害虫を食べてくれる益鳥ということで、特に農村部で大切に扱われてきました。昔、農村部では、家の戸は開け放たれていることが多かったと思いますが、そうすると建物のなかにツバメが巣をつくることもありました。たいていの家では、巣を撤去するようなことはせず、幸せを運んでくる鳥として歓迎し、巣の下に新聞紙をひいて、雛が巣立っていくまで大切に見守っていました。私も、そのような家のなかにあるツバメの巣を何度も見たことがあります。
▪︎写真は、大津駅前です。ですから都市部ということになります。駅前の商店街のアーケードに巣をつくったツバメです。ここは、毎年、たくさんのツバメが営巣します。巣の下に薄い板を針金でぶらさげて糞が歩道やお客さんの頭に落ちないように工夫している商店主もおられます。この写真を撮ったときは、ちょうど夕方でした。親鳥が、天候の様子を見ているかのようです。その背後には、ちゃんと巣があります。巣のなかの雛たちもだいぶ大きく成長してきました。ここだと、カラスの攻撃からも身を守ることができますね。
瀬田キャンパスに「カフェ」(1)
NHKエコチャンネルのブログ「昔の人は、なぜ不便な山村に暮らしていたのか?」
▪︎一つ前のエントリーに引き続き、これもfacebookでみつけた興味深いブログ記事です。NHKの「エコチャンネル」という環境情報専門の動画サイトにあるブログです。このようなサイトがあることを知りませんでした。いろいろ、興味深い情報があるので、これからは時々チェックしてみようと思います。で、どういうタイトルのブログ記事なのかといえば、「昔の人は、なぜ不便な山村に暮らしていたのか?」…です。NHK甲府放送局、山岳カメラマンの米山悟さんの記事です。面白いです。一部を引用しておきます。
なぜお婆さんたちのご先祖は、代々ここで暮らていたのか? それは戦乱で日本が貧しく、インフラが未熟だった時代(間近では昭和20年代)には、都市に住んでいるよりも、山あいに住んだ方が、清潔な水、食べ物、燃料、建材が、お金ではなく労働と協調によって手に入り、生きやすかったからです。こうした集落の多くは平家の落人、戦国時代起源の伝説を持ち、新しいところでは敗戦直後の満洲帰還者の戦後開拓として始まった所が多いのです。先のお婆さんも、戦後の飢餓の時代も麦があったから食べ物には困らなかったと言っていました。彼らは自分の事は自分で出来る、お金に頼らず生きて行ける力を持つ、逞しい知恵と力の持ち主です。食べ物を収穫し、うまく保存し、炭を作り、製材をする。先行きの見えない今の時代、人が最も必要とする確かなものではないかな、と思うのです。
現代人は山里を不便なところと思いこんでいますが、身一つで住み着いて生き延びられる所は、本来平野部や盆地の中央ではなく、山裾だったのだと思います。平野部の江戸、名古屋、大阪の都市は、治水と流通が整備された太平の17世紀以降に初めて都市化が可能になった場所です。山歩きを通してそんなことに気が付きました。
▪︎「お金ではなく労働と協調によって手に入り、生きやすかったからです」、「食べ物を収穫し、うまく保存し、炭を作り、製材をする。先行きの見えない今の時代、人が最も必要とする確かなものではないかな」。両方とも大切な指摘だと思います。
就活に励む学生の皆さんへ
▪︎私は大学院に進学したので、学部の学生時代に、就職活動というものを経験したことがありません。もっとも、私たちの頃の就職活動と、現在の学生の皆さんが取り組んでいる就職活動とは、まったく別のようにも感じますが…。それはともかく、私自身は通常の就職活動をしたことがないのです。
▪︎ただ、大学以外の職場で働いたことはあります。滋賀県庁職員として6年間働きました。その時の「組織で働いた経験」は、結果として、私にとって貴重な経験になりました。今でも、当時の上司の皆さんとはお付き合いがあります。人生の勉強になりました。もっとも、民間企業で働いたことはありません。そのような私が、就職活動で苦労している学生の皆さんに、偉そうなことはいえないのですが…。たまたまネット上で「仕事」に関して興味深いブログ記事をみつけました。主に「仕事」や「働き方」ついて書かれたブログに書かれた記事です。学生の皆さんに伝えたくなりました。
▪︎その記事を、私はfacebookでみつけました。すぐにシェアしたのですが、その記事を読んだfacebookの知り合いの「おじさんたち」が「いいね!」をしてくれました。また、同時に、コメントもくださいました。コメントをくださった方の多くは、民間企業で働いていた経験をお持ちの方か、現在も働いておられる方たちです。そういう方たちも共感してくださるのだから、きっと知り合いの学生の皆さんたちにも役立つのではないかと思ったのです。ということで、ご紹介をしておきます。
ある会社で配布された、「新入社員へうちの会社が求めていること」という資料が、すごい本音だった。
▪︎記事の内容は、タイトル通りなのですが、ぜひ読んでみてほしいと思います。この記事のポイントは、以下の5つにまとめてあります。組織で働く、仕事をするってこういうことなんだよ…という話しなんですが、若い学生の皆さんからみると、「オヤジの説教」のように感じるかもしれませんね。とはいえ、ものは試し。ぜひ、読んでみてほしいと思います。
1.言われたことを、キッチリやること。
2.上司に可愛がられること。
3.本を読むこと
4.雑用をやること
5.会社のルールを憶えること。
▪︎この記事を書いておられる方は、安達裕哉さんという方です。サイトの紹介によれば、元監査法人系のコンサルタントで、現在は人事コンサルティング、教育コンテンツ作成、webシステム開発を行っている方のようです。サイトの写真からすると、まだお若い方のようにも思えますが、共感するところが多々ありました。この記事以外にも、以下の記事も、ぜひ読んでみてください。
殆どの人は、好きなことを仕事にするのではなく、一生懸命やった仕事を好きになるんですよ。
▪︎「殆どの人は、好きなことを仕事にするのではなく、一生懸命やった仕事を好きになるんですよ。」の方は重要かなと思います。私も、同様のことを常々、これまで指導した学生たちに言ってきました。まあ、どこまで理解してくれたかな。
深草の風景
▪︎京阪深草駅の東側を流れている琵琶湖疏水です。水がゆったりと流れています。そして疏水の川面に青空と周りの風景が映り込み、なかなか素敵な風景です。少し、色調等は調整していますが、新緑の季節らしい風景だなと思いました。ちょうど、日も傾いてきていますし、雰囲気のある写真が撮れました。もちろん、龍谷大学の関係者には「あたりまえ」の風景でもあります。しかし、その「あたりまえ」の風景の向こうに、普段は感じることのないものをみつけて、そこにちょっと感動することができるならば、それは素敵なことだなと思うのです。こういうことが、日々の生活のなかにたくさんあればなあ…とも思います。
▪︎これは、深草キャンバスの東門の掲示板に掲示されているものです。宗教部のお仕事でしょうかね。龍谷大学の「建学の精神」は、「浄土真宗の精神」でもあります。以下は、その説明です。この「建学の精神」と響き合う様々な文献の言葉を、こうやってポスターにして掲示されているのでしょう。できれば、もう少し頻繁に更新していただくと嬉しいな〜と思います。勉強になります。
龍谷大学の「建学の精神」は「浄土真宗の精神」です。
浄土真宗の精神とは、生きとし生けるもの全てを、迷いから悟りへ転換させたいという阿弥陀仏の誓願に他なりません。
迷いとは、自己中心的な見方によって、真実を知らずに自ら苦しみをつくり出しているあり方です。悟りとは自己中心性を離れ、ありのままのすがたをありのままに見ることのできる真実の安らぎのあり方です。
阿弥陀仏の願いに照らされ、自らの自己中心性が顕わにされることにおいて、初めて自己の思想・観点・価値観等を絶対視する硬直した視点から解放され、広く柔らかな視野を獲得することができるのです。
いい専門家とは
▪︎朝日新聞の連載「折々のことば」、現在は、哲学者の鷲田清一さんが執筆されています。私、このコラムのけして良い読者ではありません。若い友人であるSさんが、時々、気に「折々のことば」をfacebookにアップしてくれています。先日、アップされたのは、以下のものです。
いい専門家とは、いっしょに考えてくれる人のことです。
フォーラムの参加者福島の原発事故後に開かれたフォーラムで、知人が会場の人たちに「どんな専門家がいい専門家ですか」と問いかけた。返ってきた答えは、高度な知識を有する人でも、責任をとってくれる人でもなく、これ。社会のエネルギー源は専門家だけでは解決できない難問の一つだ。専門家も専攻分野に引きこもっていてはだめ。だれもが当事者であることを免れえないからには。(鷲田清一)
▪︎専門家ってというと、普通は、「高度な知識を有する人」だと考えられています。そして、何かあったときには、その高度な知識にもとづいて「こうすればよい」と指示してくれる人。そして、最後は何かあったら「責任をとってくれる人」…。ここには、ある種のパータナリズムや専門家とそうでない非専門家との「共犯関係」もみえてきます。鷲田さんは、原発事故に関連するフォーラムに参加した人の発言に注目します。「いっしょに考えてくれる人」。この「いっしょに考えてくれる人」に関して、facebookのコメント欄でSさんと少しだけやりとりをしました。この「いっしょに考えてくれる人」とは、もちろん「特定の意見やステイクホルダーに汲みして他者への対抗手段を考える」人でもないし、また「一方で外野から評論家的な意見を発する」ような人でもないわけです。前者においては、時として、対抗手段を考えることが目的で、特定の意見やステイクホルダーの存在は、そのための手段である、そのようなことが透けてみえてきたりします。こういう人には、うんざりましますし、時として危険であると思います。また、後者の方は、ステイクホルダーを苛立たせることになりがちです。
▪︎もうひとつ、Sさんが取り上げた「折々のことば」を見てみましょう。
スキルと呼ばれるものは、隣の芝生に行って発揮されなきゃ実はだめなんじゃないか。
小山田徹
アーティストがアートの分野で突きつめた表現をするのはあたりまえ。異なった分野に出かけていって、アートの分野で培った技をそこに翻訳し、活用できてはじめてそれはスキルとなる。アーティストとは隣の芝生に行けるパスポートを持っている人のことだ、とこの美術家は言う。宮城県女川町で試みた「対話工房」での発言。これは博士号についても言えること。(鷲田清一)
▪︎私は、この「対話工房」のことを知りませんでした。少し調べてみました。東日本大震災で被災した宮城県の女川町で、「失われた『表現と対話の場』を人々の日常に取り戻すために、様々な地域から様々な分野の表現者が集まって、現地の人と共に活動」することを目的にされています。この小山田さんのことば、「隣の芝生に行って発揮されなきゃ」というのは重要だと思います。私のように、「自分の専門領域のなかだけで、偉そうにしていても、結局、何もできないやん…」と心底思ってしまっている人間には、ビンビン心に響いてきます。異分野に出かけて自分がもっているものがスキルとして評価されるとき、必要とされるとき、なんらかの具体的な「現場」のなかで(あるいは「現場」のコンテクストにおいて)、意味のコミュニケーションが生まれます。そのこようなコミュニケーションからは、創発的に新しい価値も生み出される可能性が高まる…そういうふうに思うのです。
(写真と本文とは、特に関係はありません。)
臨床宗教師研修
▪︎少し前の朝、瀬田キャンパスを歩いていて気がつきました。やはり、新しい龍大ブランドカラーの立て看板は目立ちますね。青空のキャンバスで、赤い立て看板。目立ちます。立て看板は、「2015年度 臨床宗教師研修」の特別の講義の案内でした。
▪︎臨床宗教師とは、「終末期にある人に宗教の立場から心理面での寄り添いを行う宗教者」のことです。宮城県の名取市で、自宅で終末を迎えられる緩和ケアを実践していた、医師の岡部健先生が、寺院以外の場所で終末期患者に寄り添う宗教者の存在が必要とお考えになり、2012年に東北大学において養成講座が創設されました。龍谷大学でも、臨床宗教師の要請が、実践真宗学研究科においておなわれているようです。このブログでも、一度、この臨床宗教師を取材したテレビ番組のことを紹介しました。「臨床宗教師」というエントリーです。また、岡部先生のことについては、「NHKスペシャル「終(つい)の住処(すみか)はどこに 老人漂流社会」というエントリーに書きました。両方ともご覧いただければと思います。
▪︎写真の立て看板には、以下の2つの学術講演の案内が出ていました。両方とも、ぜひとも参加したいところなのですが、授業や仕事で参加できそうにありません。講演録だけでも拝読できたらなあと思っています。
特別講義「死別の悲しみに向き合う-グリーフケアとは?」
開催日時
2015年5月25日(月)
10:45-12:15
開催場所
龍谷大学大宮学舎
清風館 B103教室
講師
坂口幸弘(関西学院大学人間福祉学部人間科学科教授)
特別講義「ホスピス・緩和ケア―ビハーラ病棟から」
開催日時
2015年5月27日(水)
13:15-14:45
開催場所
龍谷大学大宮学舎
清風館B102教室
講師
大嶋健三郎(緩和ケア医・あそかビハーラ病院長 主著井村裕夫編『医と人間』岩波新書2015)