湯たんぽ
■先日、中津川市に出張したさい、割烹旅館「上見屋」に宿泊しました。交流会で地元の美味しいお酒をいただいたので、部屋にもどってすぐに眠くなり、布団に入りました。すると、なにやら暖かいものがあります。湯たんぽです。懐かしいですね〜。湯たんぽを使って眠るなんてことは、幼児の時以来ではないかと思います(電気あんかは使っていましたが…)。もっとも、私が幼児のときに使った湯たんぽはブリキ製でした。今は、こういうったプラスチック製が生産されているのですね。この湯たんぽ、なかなか快適でした。最初のうちは、低温やけどをするのではと思うほど熱く、ふとんの隅において眠っていましたが、明け方あたりには、足裏で気持ち良い暖かさを感じる程度までになっていました。
■向田邦子の作品だったでしょうか、湯たんぽの中のお湯、朝になるとかなりぬるくなっているので、それで朝の洗面をする…なんと話しがのっていたように記憶しているのですが…。『父の詫び状』だったかな。それはともかく、寒さもゆるみ、少し暖かくなってきましたが、湯たんぽ、自宅でも使ってみたいなと思いました。
韓国出張2日目-韓瑞大学訪問-
■先日、韓国の韓瑞大学を訪問したさいの続きのエントリーをアップしていませんでした。肝心の「大学のお仕事」(正確には大学院のお仕事)の報告を忘れていました。申し訳ありません。以下、元は広報用の原稿です…かたいですね。
■社会学研究科では、現在、「東アジアプロジェクト」を推進しています。このブロジェクとの目的は、日本の社会福祉学の蓄積を生かしつつ、急速に少子高齢化が進む中国や韓国の大学と研究交流を深めながら、社会福祉を担う国際的な人材育成を進めることにあります。
■このことに関連して、2014年2月16日~18日まで、山邊朗子教授、長上深雪教授、そして研究科長である私の3名が韓国の韓瑞大学を訪問しました。韓瑞大学では、咸基善総長と一般協定の締結に関して協議を行いました(トップの写真)。また、金泰燾史教授(国際部長)、人文社会学部老人福祉学科の教員の皆さんとも、韓瑞大学人文社会学部から本学社会学研究科への留学に関して協議を行いました。今後は、すみやかに大学間の一般協定を締結し、人文社会学部の卒業生を本学社会学研究科に留学生として受け入れるための、推薦入学制度に関する協定を締結することで合意しました。
■韓瑞大学は、1992年に創設された新しい大学ですが、人文社会学部、理学部、工学部、航空学部、芸術学部、健康科学部の6学部がある他、修士課程27コース、博士課程10コース、4つの専門職大学院を有する総合大学です。「東アジアプロジェクト」を通じて、すでに3名の卒業生が本学社会学研究科に進学し、そのうち1名は、今年度末に博士号の学位が授与されることが決定しています。そのようなこともあり、韓瑞大学は、今後「東アジアプロジェクト」の韓国における一拠点となることが期待されています。
■協議後は、韓瑞大学のご好意により、ソンナム保育園(日本の児童養護施設にあたる)、韓瑞大学付属韓瑞老人療養園(老人ホーム)、そして瑞東(ソドン)小学校障害児学級を視察することができました。それぞれの施設では、山邊教授と長上教授を中心に、韓国の福祉現場における課題等についてのヒアリングが行われました。今回の訪韓では、「東アジアプロジェクト」のみならず、龍谷大学が第5次長期計画に掲げる「教育の国際化の推進」に向けても、大変有意義な交流がなされました。下の方の写真家。右はソンナム保育園、下左は韓瑞大学付属韓瑞老人療養園、下右は瑞東(ソドン)小学校障害児学級です。
【追記】■関連エントリー
韓国出張
韓国出張1日目-ソウルに到着-
韓国出張3日目-瑞山市の市場-
町家でお酒を楽しもうNo.20「灘と伏見」
■昨日の午前中は、「滋賀県生物多様性地域戦略策定に係る専門家会議」という滋賀県庁自然保護課の会議に出席しました。国が定める「生物多様性国家戦略2012-2020」のもとで、滋賀県の戦略をどうしていくのか…について考える会議です。生物多様性の維持には、多様かつ適切な人びとの自然環境への働きかけが必要になります。そんなわけで、私のような環境社会学者も呼ばれているのです。もっとも生物多様性そのものの専門家ではないので、さてさて…どうしたものか…とも思っていたのですが、旧知の皆さんが委員として出席されていたので、ざっくばらんにお話しをさせてもらいました。とても議論が盛り上りました(…と思います)。楽しい議論になったわけですが、問題はこれをどうまとめていくのかです。
■専門家会議に先立ち、複数のテーマ部会にわかれたワーキンググループがたちあげられ、様々な職業の人びとが生物多様性に関して議論をされています。みなさん、それぞれに大切なご意見を述べられ、有益な議論をなさっています。それらの議論をもとに、滋賀らしい・滋賀ならではの「生物多様性地域戦略」を策定していくことになります。おもしろい展開になりそうです。
■午後から、というよりも夕方からは、2つめの会議 がありました。「環びわ湖大学・地域コンソーシアム」が滋賀県から受託した研究「明日の滋賀を展望する調査」の会議です。人口が減少し、少子高齢化が一層進む30年後にむけて、社会をどのようにデザインしていけばよいのか…そのあたりの見通しをつけることが今回の調査の目的です。いったいどういうふうに議論の成果をまとめるのか…と不安だったのですが、昨日は報告書の全体像といいますか、構成や骨格が見えてきたので、自分の分担分(滋賀の農業・農村・食料に関すること)の位置づけがはっきりしました。なんとか書けそうです。現状の課題を明らかにするために適切な統計データ集めなくてはいけませんが、事務局にサポートしていただけるとのこと、少し安心しました。
■夕方の会議を終えたあとは、京都の西陣に移動しました。西陣にある「京都リサーチパーク町家スタジオ」で、「町家でお酒を楽しもう」という第20回目のイベントが開催されたからです。facebookを通して知り合ったKさんからのお誘いを受けて初めて参加しました。この日は、伏見の酒と灘の酒を比較して楽しむという、日本酒好きにはたまらない企画でした。例によって、いろいろん方たちとお話しができました。
■この日本酒の会、facebookの奈良人脈を通じて知り合ったKさん(食や農に関する活動をされています)と、神戸大学日本酒サークル正宗会の皆さんが企画されているものです。おもしろいですね〜。老若男女、たくさんの方が集まっておられました。だいたい月1回の開催らしいですが、20回も続いているだけのことはあります。大満足の企画です。この日は、灘と伏見の酒があわせて8種類ほど集まっていました。4種類くらいめあたりまでは、お隣の方たちと酒の味についていろいろ語りあってメモをとったりしていたのですが(会では、そういう楽しみ方を勧めておられます)、だんだん気持ちよくなって呑んでおしゃべりをしている…だけになりました。まあ、これもまた良しです。
■ところで、大学に日本酒サークルってのがあるんですね。若い人がこのようなサークルを結成するというのが、素晴らしいと思いました。感激だな〜。自己紹介を1人ずつおこないましたが、私は、ゼミの「北船路米づくり研究会」でプロデュースした純米吟醸無ろ過生原酒「北船路」の紹介もさせていただきました。多くの皆さんに関心をもっていただきました。このなかに、龍谷大学大学院政策学研究科の院生の方がおられて、「龍大でも日本酒サークルを結成するから部長(顧問)になってください」といわれました。一瞬、驚きましたが、「はい、喜んで!!」ですね。さあて、この話しも、どんな展開になるのかな。これまた、楽しみです。
ビデオレター
■社会学部の「大津エンバワねっと」コースのカリキュラムが、2014年度入学生からかわります。大きな変更点は、コースの履修が1セメスター目から始まることになることです(半期前倒しになります)。したがいまして、「大津エンパワねっとコース」は、1・2年生のときに履修するコースになります(現在は、1年生後期から3年生前期)。
■この大きな変更にともない、コースのなかにもうけられた授業、「大学と地域をつなぐ特別講義Ⅰ」の内容もより充実させていくことになりました。地域連携教育プログラムである「大津エンパワねっと」の特徴、地域の皆さんとの協働で取り組むという特徴を、さらに「特別講義Ⅰ」でも深めていこうと、授業のコンテンツを地域の方と一緒に、段階的に深めていくことにしています。今回は、地域の皆さんには、新入生である1年生向けのメッセージを語っていただくことにしました。といっても、たくさんの地域の皆さんに一度に大学にお越しいただくことはもなかなか難しいことから、ビデオレターという方で新入生に、地域の皆さんのメッセージを届けることにしました。
■写真は、「大津エンパワねっと」を担当してるK先生のゼミ生たちが、中央地区自治連合会長のAさんのビデオレターを撮影しているところです。K先生のゼミ生のうち1人は、「大津エンパワねっと」を修了しています。現在履修している学生たちの先輩になるわけですね。このお2人、3年生で就職活動でお忙しいわけなんですが、このようなビデオレター作成の仕事を引き受けてくださいました。もう1人の女子学生がリクルートスーツを着ておられるのは、そういうわけなのです。
■「大津エンパワねっと」のフィールドは、「中央地区」(中央学区を中心とした中心市街地)と「瀬田東学区」です。そこにお住まいの皆さん、なかでも「大津エンパワねっと」で学生たちのご指導をいただいている皆さんのビデオレターを撮影させていただくことになります。このようなビデオレターの撮影が短期間でできるのは、上記のようなK先生のゼミ生の皆さんのご協力とともに、地域の皆さんと「大津エンパワねっと」との関係が、大変成熟したものになってきたからなのではないか…と思っています。地域の皆さん、ありがとうございます。
【追記】■昨日は、大津の中心市街地にある町家キャンパス「龍龍」で、地域のリーダーの皆さんとの協議の場である「大津エンパワねっとを進める会」が開催されました。現在、中央地区で活動に取り組んでいる学生グループに関して、様々なアドバイスをいただくことができました。会議のあと、私のゼミ生たちがプロデュースした純米吟醸無ろ過生原酒「北船路」のご紹介をさせていただくとともに、試飲をしていただきました。大変、好評でした。3月からは清酒も発売になりますが、お酒好きの中央地区の皆様には、ぜひ平井商店さんで「北船路」をお買い求めいただければと思っています。よろしくお願いいたします。
「大津エンパワねっと」のオリエンテーション
■大学は春期休暇中です。しかし、今日は、「大津エンパワねっと」コースを履修している学生たちが集合しました。具体的には、コースのなかの「地域エンパワねっとⅡ」を履修するためのオリエンテーションに参加するために集合しました。多くの学生たちが春休みを「満喫」しているなか、エンパワの学生たちは、同時に、4月から始まる「地域エンパワねっとⅡ」の事前準備にも取り組んでいます。、具体的な「課題解決」のためのプロジェクトの企画案を練り、地域の皆さんの協力を得るために、打ち合せを繰り返すことになります。そういう体験が大学在学中にできること、長い眼で見たときに、学生にとっては大変重要な体験なのではないかと思います。頑張ってほしいと思います。
■今日は、こんな話しを学生たちにしました(この通りではありませが…、また実際の話しの一部ですが…)。
エンパワをやっていると、グループの仲間との調整、教員との調整、そして地域の皆さんとの調整…。なかなか、自分の思い通りにならないことが多いでしょう。ただ単に、「自分は頑張っているのに…」といっても通じません。実際、卒業してみればわかりますが、これが社会の現実です。皆さんは、そのような将来の体験を先取りしているのです。そのことも含めての「大津エンパワねっと」なんだ…ということを忘れないでください。多くの皆さんとの調整は大変なこととは思いますが、その経験は、きっと将来、皆さんにとって役立つものになるはずです。頑張ってください。というのも、地域づくりの「幸せ」は、人との関係のなかにあるからです。「俺が俺が…」、「私が私が…」といった主張は、地域づくりの現場では役にたちません(むしろ害がある…)。人の話しに耳を傾ける、人を評価する、人と協力して汗を流す…そういった過程を人びと共有できるところにこそ、地域づくりの「幸せ」はあるのです。昨日、たまたま詩人・吉野弘の「祝婚歌」という詩のことを知りました。結婚式で、しばしば朗読される詩なんだそうです。これは夫婦関係の話しですが、私は地域づくりにもおおいに関係していると思っています。皆さんもぜひこの詩を読んでみてください。
中津川市での「地域づくり型生涯学習」
■2月23日(日)・24日(月)の両日、岐阜県の中津川市にいってきました。中津川市は、長野県に隣接する自治体です。有名な木曽の馬籠も、中津川市にあります(長野県にあるように思いますけどね)。もちろん、観光ではなく仕事です。中津川市での取り組まれている地域づくりのお手伝いです。
■関西に住んでいる私と、長野県に隣接する中津川市とのあいだに、どうして地域づくりの「ご縁」が生まれたのか。そのあたりから少しお話しさせてください。そもそも、岐阜県の地域社会とかかわるようになった事の発端は、愛知県庁が企画した「団塊世代提案型地域づくりモデル事業」のイベントでした(岐阜県ではなく、愛知県なんですね)。そのイベントで短い講演をしたのですが、講演が終わって荷物をまとめて関西に戻ろうとすると、会場の後ろのほうから、私の方にむかってこられる方たちがお2人おられました。岐阜県の生涯学習センターの職員の方たちでした。私の講演の内容が、岐阜県で実施しようとしている「地域づくり型生涯学習」の内容にぴったりだ…とおっしゃるのです。
■ということで、社会教育のことなど、何もわからない私ですが、「地域づくり型生涯学習」の前半部分「地域づくり」に重点を置きながら、モデル事業の助言や講演をするために、岐阜県内のあちこちにでかけることになりました。岐阜市、各務原市、可児市、白川町、羽島市、郡上市、安八町、関市、中津川市…。岐阜県内の各地の皆さんと交流することができました。とても、楽しかったのですが、その事業が終了したこともあり、しばらく岐阜県にお邪魔することはなくなっていました。
■ところが昨年のことです。突然、中津川市の職員の方から地域づくりを手伝ってほしいというご依頼をいただきました。長年、中津川市で社会教育に携わってこられた職員のIさんからのご依頼でした。以前、中津川市で講演したときにもお世話になった方です。部下の方たちと、大学にも2回お越しいただきました。そして、中津川市の現状についてお話しをうかがいました。そのとき、これはお手伝いさせていただかなくてはと思うところがあり、ご依頼をお引き受けすることにしました(基本的に、いろんなご依頼をできるかぎり断らないようにはしていますが)。詳しくは、以下の過去のエントリーをまずはご覧いただければと思います。
■初日の23日(日)は、午前中は中津川市の福岡地区に、午後からは付知地区にお邪魔しました。両地区とも、10年前、中津川市に合併されるまでは、それぞれ別の自治体でした。「平成の合併と地域づくり」。一般論ですが、合併する以前、それぞれの地域固有の課題に焦点をあわせて行われてきた地域づくりや、その地域づくりを支援する行政の取り組みが行われていても、合併後は、地域づくりに対する政策のあり方自体が変化し、新しい自治体全体に焦点をあわせたものに変わってしまうため、それまでの地域づくりの活動がうまくいかなくなる/継続性がなくなってしまう可能性があります(そのため、多くの自治体では、旧自治体の範囲で「まちづくり協議会」を設置するばあいが多いようですが…。ただし、協議会をつくっただけでは…なんですね)。しかも、旧自治体のなかには、平成の大合併ではなく、昭和の大合併以前の旧・旧の町村が、地域づくりの枠組みとして強く残っているばあいもあります。政策の話しだけではありません。熱心に地域づくりの活動に取り組まれている人たちにとっても、合併前と後では、参加する地域づくり活動も異なってくるため焦点をどう絞ったらよいのか、よくわかりなくなってくることがあります。
■地域社会には、小さなコミュニティや集落レベル、小学校区レベル、中学校区レベル、以前の自治体レベル、新しい自治体レベル、重層的に重なりあう複数のレベルが存在しています。それぞれのレベルには、独自の課題があり、その課題に対応した地域づくり活動があります。それを担う団体やグループもあります。また、それぞれのレベルでは、課題に対する焦点の当て方もかわってきます。また、複数のレベルにまたがっている課題もあります。また、1人で複数のレベルの活動に関わっていることも珍しいことはではありません。すると、どこかにエネルギーを集中させたらよいのかわからなくなったりします。なかなか難しいものです(逆に、ここには隠れた「メリット」もあるのですが…)。
■さて、初日ですが、固有の事情や条件を抱えた福岡と付知の両地域で地域づくりの活動されている方たちから、「交流会」という形式でお話しを伺わせていただきました。ファシリテーターをしながら、それぞれの地域づくり団体の皆さんには、どのような思いから、どのような活動を展開されてきたのか、そして現在どのような悩みを抱えておられるのか…そのあたりのことを中心に、自由に気楽にお話しいただきました。両地区で「交流会」の雰囲気は少し違いましたが、楽しい時間を過ごすことができました。そのような交流会のなかで、参加した皆さんは、このような気楽に話しできる「場」が必要であることも認識されたようでした。これはたとえばの話しですが、何曜日の何時からどこそこにいけば、誰かが集まっておしゃべりをしている。そんな「場」で、相談をしたり、お願いをしたり、情報交換をしたり…。そんな特に目的をもたない「場」が必要なのです(公民館は、そういう「場」をもうけるのにうってつけの施設なのです)。
■ファシリテーターをしていることを忘れるほど、いろんな大切なお話しをお聞かせいただけました。各団体の皆さんは、顔は知っていて挨拶をする関係にはあっても、お互いにどんな活動をしておられるのか、何を考えておられるのか、そのあたりのことまではよくご存知ありません。お互いのあいだに「見えない壁」があるからです。男女の間、年齢の間、地域の間、団体間の間(異なる目的をもっと組織されていますから…)。「見えない壁」はいろんなところにあります。この交流会では、そのような「見えない壁」をできるだけ薄く・低くしていこうと思いました。お互いの悩みを聞きつつ、それを解決していくためには、どうしたらよいのか。お互いの横の「つながり」が必要だ、もっとお互いに協力できるんじゃないのか…という展開になっていきました。
■それぞれ得意とする自分たちの能力を活かしつつ、お互いに横につながることのなかで、地域の課題を解決していく…そのような方向性がお互いに確認できたのではないかと思います。地域の課題は、単独で存在しているわけではありません。複数の課題が相互にかかわりながら、構造化された問題群として存在しているのです。それらの問題群の解決のためには、様々な能力をもった方たちが、横に「つながり」をもちながら連携していくことが必要です。そうすると、「1+1=3」の相乗効果が生まれてきます。付知地区の皆さんは、まちづくり協議会のもとで活動しているせいでしょうか、お互いについてはそれなりにご存知でした。しかしながら、それでもあらためて「交流会」でお話しをうかがうと、お互いに初めて聞く類いの話しがたくさんあったようです。横の「つながり」をつくる「場」の必要性を感じていただけたのではないかと思います。これからも、両地区に通いながら、皆さんの「つながり」作りを応援できればと考えています(トップの写真は、付知での交流会の様子をパノラマで撮ったものです)。
■2日めの午前中は、中津川市の中心地である中津に移動しました。中津川駅のそばにある「にぎわいプラザ」の会議室で、市内の公民館の職員、市役所職員の皆さん、そして子育てサポート養成講座修了生の会である「すくすくわくわくまあるいこころ」のメンバーの皆さんたちが参加されました。ここでは「講義」形式になりましたが、びっくりすることがありました。この日、司会進行やファシリテーターをつとめてくださったAさんは、以前、中津川市で行った私の「地域づくり型生涯学習」に関する講演をお聞きになっていたのでした。Aさんは、長年、社会教育に関する仕事をなさってこられました。私の講演を聞くことで、ご自分自身の経験がもっていた意味をより深く解釈することができた、これから進めべき方向性もよくわかった…とおっしゃるのです(結果として、エンパワメントされた)。Aさんは、その後、多くの女性たちが地域づくりの場で活躍できるように場や仕組みづくりに尽力されてきました。なんだか、ありがたいですね〜。嬉しいです。
■以前のエントリーでこういうことを書きました。地域づくりに一生懸命になって(楽しみながら)取り組んでおられる方たちは、「味醂」という、地域づくりの「例え話し」をしてもすぐにピンとくるのです。深く理解してくださるのです。
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「料理に使ってみて、もう一度驚いた。野菜の煮物や煮豆も、柔らかな味が醸され、不思議なばかりにおいしくなるのだ。しかも味醂の味は表には出ず、素材を支える黒衣に徹する潔さ。それまであまり味醂を使わなかった私が、この味醂と出合って以来、野菜やひじき、豆などの乾物類、魚、といろいろな煮物にどに重宝し、欠かせなくなってしまった。」
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■ビビビッときました~。「味醂の味は表には出ず、素材を支える黒衣に徹する潔さ」の部分です。この部分を読んで何を連想したかというと、食と料理とはまったく関係のない地域づくりのことだったんですね。
■何かを求めて講演を聞いておられる方たちは、表情も反応も違います。地域づくりのリーダー…というよりもお世話役は、「黒子に徹する潔さ」が必要なのだとすぐにご理解いただけます。そのたり、大学で「社会」や「地域」をあまり経験したことのない学生の皆さんの表情や反応とは少し違うのです。春なったら、再び中津川を訪れることになっています。再び、交流会等でお話しを伺い、横の「つながり」をつくるお手伝いをしながら、中津川の地域づくりの展開を地域の皆さんと一緒に実感できればなと思っています。
【追記】■愛知県庁が企画した「団塊世代提案型地域づくりモデル事業」について書きましたが、この事業の審査委員になったのは、立教大学のH先生のご推薦があったからでした。ということは、岐阜県との「ご縁」のきっかけは、H先生につくっていただいたということになります。今頃ですが、H先生、ありがとうございます!!
最後のラン
■次の日曜日、「篠山ABCマラソン」を走ります。問題は、大会にそなえて十分に自信をもてるだけの練習ができていないということです(いつものことですが…)。なかなか練習の時間をとることができず、ということで最後の練習を今日行いました。本当は、脚の筋肉や腱を休ませるために、もう走ってはいけないらしいのですが、「精神衛生上」の問題もあり(練習不足で心配…)、最後の練習をおこないました。14kmを1時26分(86分)、だいたい6:10/kmと、大会のペースに近いスピードでゆっくり走りました。本番は、さらにゆっくりと走りたいと思っています。
■最近、iPhone5のバッテリーがかなり弱っており、ランニング用のアプリであるrunmeterを使用することができません。これまでは、マラソンの大会本番でもrunmeterを使用してきましたが、今回は、ランニング用の腕時計だけで走ろうと思います。というわけで、走ったコースを「キョリ測」でトレースしてみました。それが横の画像です。自宅最寄り駅の近鉄・菖蒲池をスタートし、丘陵地にある住宅地から下り、唐招提寺や薬師寺の横を通り、佐保川をUターンして、再び丘陵地にある住宅地のアップダウンする道を走り、菖蒲池駅までもどるコースです。コースといっても、今日、たまたま走った道…といったほうが正確ですね。
■今後は一切走りません。ひたすらストレッチと、あと栄養に気をつけて筋肉にグリコーゲンを溜め込むようにします。低血糖に気をつけないと、またまた途中で体調を崩してしまいます。また、膝の痛みの予防にテーピングもしなくてはいけません。ああ、たいへんだ…。
純米吟醸無ろ過生原酒「北船路」のお披露目
■いろんな出来事が続き、ブログで逐次報告しているだけの余裕がありません。すみません。ということで、この出来事もこの前の土曜日のことになります。私のゼミで組織している「北船路米づくり研究会」のゼミ生たちがプロデュースした純米吟醸無ろ過生原酒「北船路」が、いよいよ一般の皆さんにもご賞味いただけることになりました。この生原酒「北船路」は、北船路集落の農事組合法人福谷の郷が生産した酒米(山田錦)を原料に、浅茅生の銘柄で知られる大津市の平井商店さんが醸造したものです。詳しいことは、以下のブログ記事をご覧ください。
■トップの写真は、北船路の氏神である「八所神社」」で、農事組合法人の組合長Oさんと、研究会の地酒プロジェクト・リーダーのTさんが、「村で頑張って生産した酒米で地酒が誕生した」との報告を神様にしているところです。「北船路」との名称のついた地酒を通して、村の農産物のブランディング化を一層進めていくことができればと思います。2人の学生、TさんとUくんが、その後、指導農家のFさんに手伝っていただきながら、村のなかで予約注文されたお宅に生原酒「北船路」を配達してまわりました。事前に、学生たちは、村をまわって予約受付のチラシをポスティングしてまわっていました。そのあたりのことは、すべて学生たちと指導農家との連携で進められました。私が出る幕はほとんどありませでした。とても素晴らしいことだと思います(逆にいえば、学生からの「報連相」が足らないということでもありますが…)。下の写真(左)は、「八所神社」にお供えされた生原酒「北船路」です。写真(右)は、学生たちが予約された方にお届けにあがっているところです。こちらのNさんは、私たち素人の農作業をみるにみかねて、時折、お手伝いしてくださっています。Nさん、ありがとうございます。
■生原酒「北船路」のお披露目は北船路の集落だけでなく、大津の街中でも行われました。浜大津にある「旧大津公会堂」で開催された、ドキュメンタリー映画「よみがえりのレシピ」の上映会と同時に開催された「マルシェ」に、「北船路米づくり研究会」も参加し、来場された皆さんに私たち研究会の活動を紹介するとともに、生原酒「北船路」の試飲もしていただきました。多くの皆さんに、「北船路」の美味しさを味わっていただきました。
■現在、3年生は就職活動がとても大変な時期なのですが、それでも、なんとか時間の都合をつけて、研究会リーダーのTくん、地酒プロジェクトリーダーで全体のサブリーダーでもあるTさん、そしてUくんが、頑張りました。それから、4年生のリーダーMくんも、実家の姫路にもどっているにもかかわらず、大津までかけつけてくれました。ありがとう。Mくんは、「北船路米づくり研究会」だけでなく、卒業論文でも、そして私が担当してるい「大津エンパワねっと」でも完全燃焼してくれました!!
■マルシェには、仲良しの若いグループの皆さんも多数出展されました。その一部をご紹介します。上の段から。上段左は、龍谷大学理工学部のHくんがリーダーとなって活動している「お野菜大学」のブースです。龍大瀬田キャンパスに隣接する堂という集落で生産した蕎麦で十割蕎麦をつくり、試食してもらっていました。蕎麦の切り方は…ですが、美味しい蕎麦でした。上段右は、2015年に瀬田キャンパスに開設される「農学部」を紹介するブースです。職員のTさんが頑張って説明されていました。このマルシェに来られていた他のグループの皆さんとも、良い出会いがとありました。このマルシェにお誘いして本当に良かったと思っています。中断左は、「大津発酵食の会」の皆さんです。「北船路」を醸造してくださった「平井商店」さん、漬け物の「八百與」さん、そして湖魚の佃煮や鮒寿司の「坂本屋」さん、この老舗の3件の跡取りの皆さんが連携してつくったグループです。私は、大変注目しています。中断右は、「百菜劇場」さんです。この日は、Hさんがこられていました。近江八幡で農地を借りて、ユニークな取り組みをされている方です。この日は、いろいろお話しをさせていただきましたが、龍大の授業とのコラボについて相談させていただきました。うまくいったらいいな〜。いずれも皆さん、お若い方たち。様々な立場や課題意識から「食」や「農」の問題に取り組んでおられます。こういう若い世代の取り組みを、社会的にもどんどん応援したいものです。さて、私よりも少しお姉さんだけど、とってもお若い仲間も。下段左は、旧大公会堂の「大津グリル」さんです。左でふざけているのは、オーナーのTさんです。おちゃめ!!この日は、地場野菜の近江カブラのスープを販売されていました。
【追記】■先日の「マルシェ」にお誘いした農学部の職員の方(そして教員の方)から、「現場に出て現場の話を実際に聞くことや、話してみること」の大切さや、「多くの方々との出会いをいただき、有意義な時間となった」等の感想をいただきました。すてきな関係を紡いでいくきっかけをつくれたのであれば、こんな嬉しいことはありません。こういう役割を、私は講演等のなかで「呼びかけ屋さん」と呼んでいます。地域づくりの現場のなかでは、「ちょっとおせっかいな」「呼びかけ屋さん」の存在が非常に重要になります(それと同時に「つなぎ屋さん」の役割も)。今回は、自分が自らそのような役割を果たしたように思いました。
2014「びわ湖レイクサイドマラソン」
■23日(日)、大津市で第5回になる「びわ湖レイクサイドマラソン」が開催されました。私が通っている大津駅前の居酒屋「利やん」では、今年も「チーム・利やん」を結団し、チームとして出場しました。私は、昨年からキャプテンなのですが、残念ながら中津川市への出張がきまり、出走することができませんでした。しかし、facebookを通して、チームの皆さんがこの日の様子を報告してくださいました。
■まず、一番のニュースは、「チーム・利やん」のエースである原さん(龍大職員)が、15km・40歳代の部で優勝したことです。すばらしい。これは本当に立派です。原さん、昨年は惜しくも2位でした。ということもあり、ぜひとも優勝すると意気込んでおれましたが、見事な結果をだされました。また、奧村さん(龍大職員)も予定とおり8位入賞を果たされました。さすが、お2人は本物のアスリートです。その他の方も、それぞれの目標を達成されたようです。素晴らしいですね。写真は、試合後の記念写真です。チームからは6人が出走しました。その他の方は、応援団。「利やん」のマスター(前列中央)と店員さんやご常連の皆さんです。出走したのは、左から、なかちゃん、はらだせんせー、はらさん。中央は応援のマスター。その右側、おくむらさん、ちえちゃん、やまもっさん。マスターの後ろ、あおのさん。
■レースのあとは、いつものように、「利やん」で祝勝会です。もりあがったようですね〜。素晴らしい。写真は、チームメイトのあおのさんから勝手にDLして使わせていただきました。あおのさん、ありがとうございます。
【追記】■この「チーム・利やん」。結果として、居酒屋「利やん」という「場所」をベースに、龍谷大学の教職員と飲み屋のご常連の皆さんやお客さんとを、マラソンを通して結びつけています。そんなつもりはなかったのですが、ふだん出会うことのない方たちの間に、マラソンを通しての「つながり」が生まれているのです。私はのこの「チーム・利やん」の名ばかりのキャプテンなのですが、少しはその責任を果たせたのではないかと思います。
神戸電鉄
■先週の金曜日、「神戸シルバーカレッジ」での講義のために出張しました。そのさいには、神戸電鉄(以下、神鉄)を利用しました。おそらく、「神戸シルバーカレッジ」を利用する人たちは、もっと別のルートでアクセスされるのではないかと思います。にもかかわらず、なぜ、時間のかかる(と思われる…)神鉄を利用するルートで、あえて出張したのか…。それは、この電車には思い出があるからです。
■私は、広島市にある広島県立皆実高校に入学しました。しかし父の転勤のために、高校1年の夏、神戸の長田区にある兵庫県立兵庫高等学校に編入学することになりました。転校当時の住まいは、六甲山系の裏側にある神戸市北区にありました。通学は神鉄を利用していました。自宅の最寄りの駅であった「山の街」から、高校の最寄りの駅「電鉄長田」までこの電車で通学していたのです。
■私の住んでいた「山の街」は、いわゆる裏六甲の丘陵地を造成してできた新興住宅地です。そこから、神戸の街中にむかって神鉄で「下っていく」(最初だけは少し上りますが…)感じで通学していました。どうして「下っていく」感じなのがというと、ものすごいと急勾配を神鉄は走っているからです。神鉄は「全国登山鉄道‰会」という団体に加入しています。これは、日本の登山鉄道を経営する日本の鉄道事業者の親睦団体です。団体名のなかに「‰」とあります。これは、1000分の1を1とする単位のことで、「パーミル」と読みます。すなわち、1000mあたりの高低を表示するさいに使用します。電車が1000m進んで高度が20m高くなるとすれば、それは「20‰」ということになります。ちなみに、神鉄は、「新開地」駅のあとは「湊川」駅になります。ここまで地下ですが、そのあと地上に出ます。そして、「長田」駅にむかって一気に坂道を駆け上っていきます。そのときは、「50‰」なんだそうです。道路ではたいした勾配ではありませんが、鉄道ではかなりのものです。さて、ここまで説明させていただいたことからわかりますが、私は、高校時代(高2までですが)は、「登山鉄道」で通学していた…ということになります。
■この動画は、帰宅する際、「鵯越駅」と「長田駅」とのあいだを撮ったものです。「登山鉄道」であるかことが、少しは実感していただけるのではないかと思います。いかがでしょうか。さてさて、冒頭に「この電車には思い出がある」…と冒頭に書きましたが、それはどのような思い出か。それは別の機会に…。