生命の徴ー滋賀と「アール・ブリュット」

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■以下は、滋賀県立近代美術館の企画展に関するページからの引用です。なかなか美術鑑賞をするような時間はないのですが、この滋賀県津近代美術館は勤務月の瀬田キャンパスの近くでもありますし、この企画展だけは必ず行きたいと思っています。

「アール・ブリュット」とは、もともと《生(き)の芸術》と訳され、正規の美術教育を受けず、発表や評価への願望からではなく、人間の生の根源にねざす創造の衝動から生まれてきた芸術を意味しています。フランスの画家ジャン・デュビュッフェ(1901-1985)が定義づけたこの美術の概念は、ことに日本国内において、独自の展開をしていることは注目に値します。アール・ブリュットのひとつである、障害のある人々の造形活動に目を向けてみると、滋賀県の福祉施設で行われてきた、これまでの取り組みが浮かび上がってきます。

1つの出発点として挙げられるのが、戦後間もない1946年に大津市に設立された近江学園での、粘土による造形活動です。その活動は、教育的な営みとして、かつ職業訓練の場として始まりましたが、活動の中からは知的障害児たちの手による驚くほどのユニークな造形が誕生していきます。それは、粘土が自由な造形を導く素材であったこと、そして敢えて教えることをせず彼らの創造性を信じこれに委ねた優れた指導者が関わっていたことと、無関係ではありません。

その表現に対して大きな可能性を感じていた施設の職員や指導者たちは、施設での造形活動を即売会や展覧会という形で発表していきました。彼らの地道な取り組みはその後、アーティストとのコラボレーションによる新しい展開にも繋がっていきます。また、1981年より始まった「土と色」展は、障害者の造形活動と、それに伴う指導のあり方について、今なお大きな影響を与えています。

これらの活動を経た90年代以降、福祉施設で生まれた作品の一部がローザンヌのアール・ブリュットコレクションなどの国外の美術館でも紹介されるまでとなりました。

このような豊かな歴史を持つ滋賀県において、2019年、滋賀県立近代美術館は「アール・ブリュット」を新たなコレクションの核に加えた「新生美術館」として生まれ変わる予定です。

『生命(いのち)の徴(しるし)─滋賀と「アール・ブリュット」─』展は、新しい美術館の誕生に向けたステイトメントを示す展覧会として、滋賀県の福祉施設のユニークな造形活動の歴史を概観しながら、その先進的な取り組みがどのように継承され、展開してきたのかを参照作品を含めて展覧するものです。表現という可能性を知り、それによって広がった作り手たちの世界ム。本展は、彼らの生命(いのち)の徴(しるし)である数々の作品とその魅力に出会う、素晴らしい機会となることでしょう。

※ 平成27年度文化庁戦略的芸術文化創造推進事業

会  期
平成27年 10月3日(土)─11月23日(月・祝)

休 館 日
毎週月曜日。ただし10月12日(月・祝)および11月23日(月・祝)は開館、10月13日(火)が休館

観 覧 料

一 般 1000円(800円) 高大生 650円(500円) 小中生 450円(350円)
( )内は前売および20名以上の団体料金

ローソンチケットでお買い求めの前売券は、当館総合受付(チケットカウンター)にて観覧券とお引き換え下さい。
前売券販売箇所のご案内はこちら

※身体障害者手帳等をお持ちの方は、常設展・企画展とも観覧料は無料です。

主  催
文化庁、滋賀県立近代美術館

後  援
滋賀県教育委員会、NHK大津放送局、BBCびわ湖放送

協  力
落穂寮、湖北まこも、滋賀県立近江学園、滋賀県立信楽学園、信楽青年寮、社会福祉法人なかよし福祉会、社会福祉法人びわこ学園、障害者支援施設もみじ・あざみ、すずかけ絵画クラブ、特定非営利活動法人はれたりくもったり、ボーダレス・アートミュージアムNO-MA(社会福祉法人グロー(GLOW))、みずのき美術館、やまなみ工房

協  賛
おごと温泉 びわ湖花街道

出展作家(予定)
伊藤喜彦、小笹逸男、小川滋、鎌江一美、菊池一恵、小林祥晃、坂上チユキ、澤田真一、高嶺格、田島征三、谷口ちよ子、西川智之、戸次公明、吉川敏明、村田清司、八木一夫、アドルフ・ヴェルフリ、マッジ・ギル 他

展覧会の見どころ

・滋賀県の福祉施設で行われた造形活動の出発点にあたる作品の数々をご覧いただけます。
・歴史の分岐点に登場した様々な作品をご覧いただけます。
・澤田真一や伊藤喜彦など滋賀県を代表する作家をはじめ、県外・国外の作家もボーダレスに出展します

関連事業

■講演会「右腕を失って アール・ブリュットと三橋節子」
 講師:椹木野衣氏(美術批評家、多摩美術大学美術学部教授)
 日程:10月17日(土) 14:30〜16:00 場所:当館講堂
■トークイベント「滋賀の造形を語る」
 講 演:講師:吉永太市氏(元一麦寮寮長)
 座談会:講師:谷村太氏(元滋賀県立近江学園支援員)・山下完和氏(やまなみ工房施設長)
     聞き手:服部正氏(甲南大学文学部准教授)
 日 程:11月1日(日)14:00〜
 場 所:当館講堂
■たいけんびじゅつかん(小中学生のための体験ワークショップ)
◇10月「羊毛フェルトでふわふわ壁飾りを作ろう!」
 日時:10月18日(日) 1. 9:30〜12:00  2. 13:30〜16:30
 講師:山野若菜氏(羊毛フェルト作家)
 会場:当館ワークショップルーム
 定員:各15名
 材料費:未定(1000円程度の予定です)
◇11月「アール・ブリュットとはなそう!アートをつくろう!」
 日時:11月15日(日)10:00〜14:30
 会場:当館ワークショップルーム
 定員:30名
 材料費:100円

瀬田キャンパスに「カフェ」(6)

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▪︎9月18日に、とうとう瀬田キャンパスにカフェが開店しました。「シアトルズ ベスト コーヒー龍谷大学瀬田キャンパス店」です。滋賀県内の出店は、ここが初めてのようです。開店以来、ずっと店の前を通っていましたが、今日は、朝一番でこのカフェに入ってみました。月曜日は1・2限が授業で、早めに大学に到着します。9時前には大学に到着します。コーヒーで、ちょっと一息つきました。しかしです。まだ、後期が始まったところですが、すでにいろんな疲れが溜まり、そこに風邪をひいたこともあって、ちょっと体力ダウンの状況です。昼からは、研究部の会議がありましたが、少し早めに帰宅させていただきました。

叔父のこと

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■昨日は、週1回いっている老母の生活介護の日でした。少し前に、入院していたこともあり、母の弟=叔父が、九州から新幹線に乗ってやってきてくれました。叔父自身も76歳で、後期高齢者のカテゴリーに入るわけですが、姉=母のことを心配して見舞いに来るとともに、これからのことについていろいろ話しをしに来てくれたのです。九州と関西は離れいるため、またお互いに高齢であるために、母とは2年ぶりの再会でした。

■急に話しは変わるのですが、私が幼稚園の頃、叔父は、北九州市の小倉区(現在の小倉北区)にあった我が家に下宿していました。当時の我が家は、狭い公団住宅でした。間取りは3K。つまり、6畳と4畳半の部屋が2部屋、居室は合計3部屋あり、狭い板のみのキッチンが1つある…という意味です。四畳半のひとつが、叔父の部屋であり私の部屋でもありました。今から思えば若い叔父にはとても気の毒ではありますが、大学生が幼稚園児と一緒に布団を敷いて眠っていたのです。その頃、叔父は、福岡市にある九州大学農学部農業機械学科の学生でした。四畳半の部屋においた木の机で、古びた電気足温器を使い、キルトのアノラックを着て、農業機械の設計図をT定規などを使いながら設計していたように記憶しています。たしか芋(ジャガイモかサツマイモかは忘れましたが…)を傷つけずに畑から掘りおこすための機械だったかな…。

▪︎もっと古い記憶あります。3歳頃の記憶でしょうか。当時は、神戸の東灘区にある公団住宅に住んでいました(間取りは、3Kよりも狭い2DKでした)。そこに叔父が遊びに来たのです。私が記憶しているのは、我が家から九州に帰るときのことです。4階のベランダから、帰っていく叔父をいつまでも見ていたことを記憶しているのです。叔父が振り返って手を振ってくれたようにも思います。おそらくは、寂しかったのでしょうね、叔父が帰るのが。まあ、いろいろ昔のことを思い出しながら記念写真として撮ったのがトップの写真です。撮ってくれたのは、妻ですが、妻に言わせると、似ているのだそうです。顔のパーツが似ているとのこと。本人たちには、よくわかりません。ちなみに、母と叔父とは、よく似ています。さすがに、姉弟ですね。

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20150929uncle1.jpg▪︎叔父は母を見舞ったあと、大阪郊外の生駒山系の麓にある霊園に墓参りにいくということなっていました。そこで、叔父をその霊園まで我が家の自動車で連れていくことにしました。墓は、もともと大阪の天王寺のある寺にありましたが、お寺が土地を売り、この霊園に墓を移したのです。1973年のことです。もうずいぶん昔のことですね。生駒山系の山裾を切り開いて造成した霊園ですから、かなり階段を登らなくてはいけません。76歳の叔父には、かなり辛かったのではないかと思います。上の写真は、iPhone6plusのカメラで撮ったものです。パノラマ機能で撮りました。そのため、風景はゆがんでいます。ご覧の通りの風景です。この霊園、登るのはたどり着くまでは大変なんですが、霊園からの風景は最高です。大阪平野が一望できます。昨日は、遠く、神戸の六甲山系を確認することができました。また、少し左方には、「あべのハルカス」も確認できました。

▪︎ところで、叔父は九州の遠方に住んでいるため、なかなかこの墓の守りをすることができません。叔父は、墓が霊園のどこにあるのかを書いたメモ書きを、ニコッと笑って私に渡しました。何も言いませんでしたが、「なかなか墓の守りに行けないので、自分の替わりに行ってほしい」…ということなのでしょうか。私自身は、この霊園にくるのは、おそらくは3回目かと思います。そして、霊園の風景を眺めながら、いつも次のようなことを頭に思い浮かべます。

「高度経済成長」(都市への労働力の移動)→「都市の膨張」(郊外の住宅地化・開発)→「墓地・霊園の造成」(市街地寺院の郊外への移転・墓地需要の増大・霊園開発)→「祖先祭祀/家の意識」(その連続性と変容)

▪︎高度経済成長期以降は、都市の勤労者が郊外に住宅地を求めることにより、都市、あるいは都市圏は、どんどん発展・膨張していくことになります。私の住んでいる奈良市の西の丘陵地帯などは、大阪に勤めるサラリーマンの典型的な住宅地です。

■都市に移り住んだ人たち、そしてその子どもたちも、必ず亡くなるわけです。もちろん、「田舎に墓がある」という人は別ですが、そうでなければ都市の郊外や近郊の霊園等に墓を求めることになります。今回、叔父が参った墓も、「伝統的な規範」からすれば叔父に祀る責任があります。そして叔父の長男である私の従兄弟にその責任は移譲されていきます。しかし、現実には、家の直系のラインの人たちだけで墓の守りをすることが難しくなってきているのです。これからの時代、墓はどうなっていくのか。このあたりは、すごく社会学的なテーマでもあります。

65,000アクセス感謝!

▪︎今年の5月19日に、アクセスカウンターが55,000を超えました。その64日後、60,000を超えました。そして、さきほど65,000に到達しました。アクセスカウンターは、2012年の9月5日に設置しましたが、それ以降、5,000刻みでいうと、以下のようにアクセス数が増えてきました。5,000ごとに、かかった日数=期間は縮まる傾向にあり、1日ごとの平均アクセス数も伸びてきていましたが、最近は、少し減少傾向です。また、夏期休暇等がはいっているため、大学関係者のアクセス数も減少したように思います。でも、本当のところは、どうなのか、私にもよくわかりません。昨日、一昨日と、どういうわけかアクセス数が100を超えました。時々、こういうことがあります。まあ、アクセス数を励みにしつつ、ブログの記事を単なる日記ではなく、ホームページのタイトル「環境社会学/地域社会論 琵琶湖畔発」に相応しい内容に近づけようとは思っているのですが…なかなかです。

2012/9/5:アクセスカウンター設置。
2013/2/21 :5,000アクセス:期間169日: 30アクセス/日
2013/6/29 :10,000アクセス。期間128日: 39アクセス/日
2013/10/30 :15,000アクセス。期間123日: 40アクセス/日
2014/2/6 :20,000アクセス。期間99 日:51アクセス/日
2014/5/6 : 25,000アクセス。期間89日: 56アクセス/日
2014/8/5 :30,000アクセス。期間91日: 55アクセス/日
2014/10/21: 35,000アクセス。期間77日: 65アクセス/日
2014/12/8 :40,000アクセス。期間48日: 104アクセス/日
2015/1/27 :45,000アクセス。期間50日: 100アクセス/日
2015/3/25 :50,000アクセス。期間56日: 90アクセス/日
2015/5/19 :55,000アクセス。期間55日: 91アクセス/日
2015/7/22 : 60,000アクセス。期間64日: 78アクセス/日
2015/9/27 : 65,000アクセス。期間67日: 75アクセス/日

▪︎どうぞこれからもよろしくお願いいたします。

大学院・博士後期課程中間発表会

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▪︎今日は、大学院社会学研究科博士後期課程の中間発表会でした。社会学研究は、社会学専攻と社会福祉学専攻の2専攻から構成されていますが、在籍する博士後期課程の院生の人数の関係から、社会学専攻は午後から、社会福祉学専攻は午前から始まりました。博士後期課程の院生は、博士号を取得してプロの研究者を目指すわけですが、そこにあるハードルというか壁はなかなか高く、超えることは大変なわけです。思い出してみれば、「研究をするって、どういうことなのか」ということを、「論文を書くって、どういうことなのか」ということを、私自身は博士後期課程の時の厳しい教育のなかでやっと理解することができたように思います。

▪︎「守破離」という言葉があります。「茶道、武道、芸術などでの師弟関係」の変遷を表現したものです。以下のように理解されています (wikipediaの解説で恐縮です…)

まずは師匠に言われたこと、型を「守る」ところから修行が始まる。その後、その型を自分と照らし合わせて研究することにより、自分に合った、より良いと思われる型をつくることにより既存の型を「破る」。最終的には師匠の型、そして自分自身が造り出した型の上に立脚した個人は、自分自身と技についてよく理解しているため、型から自由になり、型から「離れ」て自在になることができる。

▪︎この「守破離」は、学問についても言えるのではないかと思います。特に、社会科学系・人文学系かなと思います。教師が一生懸命になって弟子に教育しようとすることは、言葉で、文字で説明できる以前のことなのです。学問の勘所のようものです。メタ理論にかかわることです。たとえば、自転車をこぐってどういうことと聞かれても、説明できません。水に浮かぶってどういうことと聞かれても、説明できません。だから余計に教えることが困難なわけです。もちろん、スッと理解できる人もいますが、普通の人びとはそう簡単にはいきません。武道の最初の練習が「型」の練習から入るように、学問も、「教師に言われたこと、型を「守る」ところから修行が始まる」という側面があります。その「型」がどのようなものなか、身体的にも理解できなないといけません。身体的というのは、言葉で説明しなくてはも、そのことをうまく実践することができる…という意味です。大学院の時代は、通常、まずはこの「型」を身につけることから始まります。これができない人は、特異な才能をもっている人以外は、プロになることが難しいかと思います。私の経験からすれば、いくつかの査読付きの学会誌に自分の論文が掲載される過程で、わかってくるものだと思うのですが…。今日の中間発表会では、この「守破離」について考えさせられました(守のあとの破離については、プロになったあとの話しなので、また別の機会に…と思っています)。

▪︎中間発表会のあとは、生協のRECレストランで慰労会でした。私は、気持ち的に疲れたこともあり、家が遠いこともあり、30分ほどでお暇することにしました。外に出ると、もう真っ暗でした。瀬田キャンパス1号館の入り口だけが明るく照らされていました。そこには「第32回 顕真週間」とあります。顕真週間。龍谷大学にとっては大切な行儀が行われます。以下は、大学のホームページにある説明です。

龍谷大学学友会宗教局6サークル(男声合唱団、宗教教育部、伝道部、パイオニアクラブ、仏像研究会、仏教青年会)が、建学の精神の普及と研鑽をはかるべく、活動の集大成として報恩講を中心とした数日間、「顕真週間」と名付け、宗教文化講演会を主としたさまざまな催しを行います。

カヤネズミの巣

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▪︎一つ前のエントリーで、カヤネズミの巣のことを書きました。このカヤネズミの巣は、総合地球環境学研究所のPD研究員である浅野悟史くんが、8月末に開催された「北船路・かかし祭」のさいに確認していたものです。写真は、そのカヤネズミの巣を撮ったものです。発見してくれたのは、この「かかし祭」に参加してくれた農学部の古本先生の息子さんでした。観察眼が鋭い!! その知らせを聞いて、浅野くんが写真に撮ってみたというわけです。

▪︎このカヤネズミの巣ですが、浅野くんからの報告によれば、一昨日の稲刈りのさいに、最終的には5つも確認されたようです。小さな田んぼですので、これはすごいなと単純に思いました。浅野くんからの情報によれば、まわりのススキの多い草原にも巣を作っていないか探索しても見つけられなかったといいます。カヤネズミにとって、私たちが「龍大米」を生産している小さな田んぼの方が居心地が良かったのかもしれません。餌が豊富にある…、敵に襲われにくい…といった理由があるのかもしれません。浅野くんは、私たちの田んぼ以外の、村の農家の田んぼの稲刈りも手伝ったようですが、そこではみつからなかったようです。ちなみに、私たちの田んぼは、通称「限界田」と呼ばれています。といいますか、指導農家の吹野さんが、そのように呼んでおられます。なにが限界かというと、北船路集落の棚田の一番てっぺんにあるためです。これ以上は田んぼをつくれない…から限界なのです。田んぼの山側は草原や森林になっています。つまり、人間の手が少し加わった自然のすぐそばにある田んぼということになります。

▪︎カヤネズミは、その名前からもわかるように、茅場やススキの原っぱで生きる動物です。それらは、人間の手によって刈り取られることが前提になっています。そのような人の手が加わるところに生息する動物なのです。調べてみると、今回のようにイネに営巣するさいには、米を食べるそうです。まあ、食べるといっても日本で一番小さなネズミですので、1日に食べる量はほんのわずかです。むしろ、田んぼにいるバッタやイナゴも食べてくれます。田んぼのなかの生態系は、どのようになっているのでしょうね。専門家に確認する必要があります。それはともかく、「北船路米づくり研究会」の田んぼは、カヤネズミが生きることのできる(餌になる昆虫がちゃんといる)、生物多様性の高い田んぼであるといえそうです。

【追記】▪︎カヤネズミについてエントリーしたところ、カヤネズミの生態に関して研究されているアマチュア研究者の方から、このブログの「CONTACT」機能を使ってメッセージをいただきました(以前は、個々の記事にもコメントを書けるようにしていたのですが、海外から大量のスパムメールが送られてくるようになり、その処理に辟易して、現在ではコメント機能が使えないようにしています)。「農地周辺でカヤネズミがどのように暮らしているかに興味を持ち、自宅近くの農地などでも観察」されているそうです。いたただいたメッセージからは、カヤネズミが一箇所でなく季節で移動しながら暮らしていることを教えていただきました。ありがとうございました。また、カヤネズミに関して何かありましたら、このブログにエントリーしたいと思います。

2015年度の稲刈り・天日干し

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20150922kitafunaji1.jpg▪︎昨日は、2015年度の「北船路米づくり研究会」の稲刈り作業、籾の天日干しが行われました。残念ながら、今年は、老母の生活介護の日と重なり、作業に参加することはできませんでしたが、学生リーダーの小西くんがfacebookにアップしてくれた写真を転載させてもらいます。稲刈りの作業は、指導農家の吹野さんが所有されているコンバインを使って行われます。鎌で刈り取り、稲架掛けをして乾燥させ…という体験も学生たちには良いとは思いますが、それを実施するだけの技術力はもちろん、時間的余裕や資材費等もありません。しかしかながら、今年も、コンバインで収穫した籾は、筵の上で天日干しして乾燥させました。これで、仕上がりの味が良くなります。午前中が稲刈りの作業、午後は天日干しの作業でした。

▪︎この日は、私がコアメンバーとして参加している総合地球環境学研究所の栄養循環プロジェクトから、PD研究員の浅野さんも参加してくれました。私たち研究会が「龍大米」(コシヒカリ)を栽培している田んぼには、今年、カヤネズミの巣が発見されました。浅野さんの一番の目的は、その巣を採取することにありました。カヤネズミは、日本で一番小さなネズミで、胴の長さは10cmありません。イネ科の草の種子や小さな昆虫を食べていきています。もともとは、農村周囲で人が刈り取りを行う茅場、牧草地などに生息していました。しかし、そのような場所がしだいに少なくなってきたことからでしょうか、棚田の一番てっぺんにある、私たちが限界田とよぶ辺りにも巣をつくるようになった…と推測しています。私たちの限界田は、カヤネズミが巣つくるだけの条件が整っていたのかもしれません。こういう話題も、今年の「龍大米」の販売の際には、話題として提供させていただこうと思います。

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ラグビー・W杯イングランド大会第2日の「日本と南アフリカ」戦


South Africa vs Japan - 2015 Rugby World Cup Highlights

【ラグビーワールドカップ】南アフリカ vs 日本 ハイライト(9/19)

▪︎ラグビーW杯初戦で日本は、優勝候補の南アフリカに勝ちました。多くの皆さんが、この試合をテレビで観戦して感動されたことかと思います。私自身は、ライブではなく、録画されたものを視ました。すでに試合の結果は知ってはいたのですが、その試合内容にものすごく感動しました。日本のラグビーって、こんな試合をするチームだったかな…まずそう思いました。次々に選手が集まりモールをつくってボールをキープしていることに驚きました。相対的にですが、優勝候補で体格的にも勝っている南アフリカに負けていません。たまにテレビで試合を観戦する程度の私なので、この印象は的外れかもしれませんが。大変力強さを感じました。

▪︎それから、一番感動したこと。それは、29対32の後半最後のあたり、相手ゴール前の場面です。相手チームが反則をして、日本チームはキック・スクラム・ラインアウトの選択肢があったのですが、チームはスクラムを選びます。キックでペナルティゴールを成功させれば3点。南アフリカと同点になります。しかし、日本チームはスクラムを選択しました。このとき、スタジアムにはものすごい歓声がスタジアムに響き渡りました。報道によると、ヘッドコーチのエディー・ジョーンズさんは、勝ち点を獲得することを大切にして当然キックと考えていたようですが、チームの意思はそうではありませんでした。キックで同点か、負け覚悟で攻めるか。チームは、あくまでスクラムからトライして5点を獲得し、34対32で「勝つ」ことを前提にスクラムを選んだのでした。

▪︎日本チームのなかには、たくさんの外国人選手がいます。サッカーとは違いますね。それぞれの国の代表に選ばれるためには、(1)その国の国籍があるか…ということ以外にも、(2)父母または祖父母がその国の国籍、あるいは(3)3年以上その国に継続して居住していることでOKなのだそうです。1つでも条件をみたせば良いのです。今回の試合で、日本チームのフルバックとして出場し、キックで得点を稼いだ五郎丸歩さんが、次のようにtwitterでtweetしています。素敵じゃないですか。

ラグビーが注目されてる今だからこそ日本代表にいる外国人選手にもスポットを。彼らは母国の代表より日本を選び日本のために戦っている最高の仲間だ。国籍は違うが日本を背負っている。これがラグビーだ。

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【追記】▪︎試合に関する記事、動画をたくさん拝見しました。そのなかに、海外の人たちが、特に、イギリスの人たちが、「南アフリカ対日本」の試合をどのようなみていたのか気になっていたのですが、なんだか日本贔屓なのです。圧倒的に大きな存在であるラグビー界の巨人に勝ったのですからね。その辺りの様子、以下の記事が詳しいです。素敵な記事です。ぜひ、お読みください。

ラグビーワールドカップ 南ア戦の夜 日本人が感じた、空気。

NHKスペシャル「老衰死」

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NHKスペシャル「老衰死 穏やかに最期を迎える」
▪︎ふだん、あまりテレビをみないのですが、時々、NHKスペシャルのような番組は楽しみにして視るようにしています。しかし、楽しみにしていても、ついうっかり見逃してしまうんですよね。今回のばあいも気にはなっていたのですが、案の定忘れてしまっていました。しかし、偶然にふとテレビのスイッチを入れたら、視たいと思っていた番組がちょうど始まるときでした。「老衰死 穏やかな最期を迎えるには」という番組です。番組の内容を少し紹介します。

▪︎超高齢社会の日本では、近年、「老衰死」が増えています。2014年には75,000人を超えて統計を取り始めて以来過去最高になりました。自然な死を受け入れるという考え方が広まってきているのではないか、と番組では考えているようです。番組では、入居者の平均年齢が90歳以上の特別養護老人ホームでの半年にわたる取材を行いました。老いとともに食べ物を受け付けなくなっていくのはなぜか、人は亡くなるときに苦しくないのか、という点にも焦点をあてています。

▪︎海外では老衰死を積極的に受け止めようとしているようですが、必ずしも日本ではそうではありません。医師を対象としたアンケートからは、まだまだ、迷いがあることがあるのですが、少しずつですが、日本でも、老衰死を受け止めようとする動きがあることがわかります。

▪︎番組では、医学の最先端研究にも焦点をあてます。アメリカの大学の研究では、老化に伴う細胞の減少が臓器の萎縮につながること、小腸内のじゅう毛やその周りにある筋肉が萎縮すると栄養素をうまく吸収することができなくなることが、明らかにされています。また、老化し分裂を止めた細胞の中では「炎症性サイトカイン」などの免疫物質が数多く作られ、それらが外に分泌されると、周囲の細胞も老化が促進され慢性炎症が引き起こされることが明らかになってきました。この現象を「SASP」(サスプ)と呼ぶのだそうです。まるで、死に向かうために、体のスイッチがパチンと入るかのようです。

▪︎慢性炎症は、体の様々な機能を低下させます。この老いがもたらす炎症には、「老化(Aging)」と「炎症(Inflammation)」を組み合わせた造語が生まれています。「Inflammaging」(インフラメイジング)です。老いがもたらす死の謎を解くカギとして注目されているのだそうです。では、死が迫ったとき苦しくはないのでしょうか。イギリスの大学の研究では、死が迫った高齢者の脳は炎症や萎縮により機能低下し苦痛を感じることはなくなっていることが明らかになってきました。何か、これまで流布していた死に対するイメージとは違っています。

▪︎世田谷区立特別養護老人ホーム「芦花ホーム」の医師・石飛幸三さんは、次のように語っています。

施設に勤めて10年になります。多くの人が自分の“最期”の迎え方を真剣に考える時代になりました。医療技術の発達によって、命を延ばすさまざまな延命治療法が生まれ、そのことが、逆に家族や本人を悩ませることになっているのではと感じています。私たちは人生の終末期をどのように迎えればいいのか迷い道に入ってしまったのかもしれません。施設では、本人や家族と話合いを続けながら、胃ろうなどの延命治療に頼るのではなく、自然の摂理を受け入れ、静かに最期を迎えてもらう取り組みをすすめてきました。入居者の皆さんが亡くなられる前には、次第に食べる量が減って、眠って、眠って最期は穏やかに息を引き取られます。私は老衰による安らかな最期を「平穏死」と呼んできました。実は、施設に来るまで、自然な最期がこんなに穏やかだとは知りませんでした。40年以上外科医として、徹底した治療を続けてきました。“死”を遠ざけていたのは、医師である私自身だったのです。施設ではいつも「ご本人もご家族も、みんなが平穏な気持ちで最期を迎えることが理想」と話しています。今回の番組が皆さんの大切な人の最期を考える一助となることを願っています。

▪︎大変、考えさせられる内容でした。番組のなかには、2つのご家族が登場されました。いずれのご家族も、息子さんがお母さんを看取るわけですが、お母さんという個人の死は、老衰で亡くなっていかれるお母さんと息子さん、そしてその周囲にいる方たちとの「関係」の問題でもあると思いました。死とは、一人の人間の身体の死であるにとどまらず、「関係」の変容として捉えることができると思います。

差し入れ

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▪︎写真は、昨晩の小佐治(滋賀県甲賀市甲賀町)でのフィールドステーションの開所式に、地元の農家のYさんが持参してくださったものです。左がドジョウの卵とじ(柳川風)、右はボテジャコ等の小魚を醤油で炊いたものです。どちらも、ぜんぜん泥臭くなく、非常に美味しかった。

▪︎小佐治は、丘陵地にある農村。たくさんの谷筋に水田が並んでいます。関東地域でいうところの谷地田です。かつて、そのような谷筋のいずれにも、その一番奥には溜池がありました。そのような溜池は大きなものは5つ、小さなものまで含めると100以上存在していました。無数の溜池に天水を確保して、用水として利用していのです。そのような溜池は、ちょっとした養魚の場として活用されることもありました。とても養殖とは呼べません。市場に出荷することを目的としたものでも、もちろんありません。植物学の世界では「半栽培」(中尾佐助)ということが言われるようですが、それと似ている。自分の溜池につかまえてきた魚をほうりこんでおいて、時々、餌をやる程度の世話をするだけなのです。粗放的管理という言い方もできるのでしょうが、そのような硬い言い方よりも、もっとストレートに「楽しみ」でもあったといったほうがピッタリきます。

▪︎昭和20年代から30年代前半にかけての時期を少年として過ごした人たちは、そのような養魚はしないにしても、多かれ少なかれ集落を流れる小さな河川で魚を獲って食べた経験をもっている。この「食べた」という点が、非常に重要だと思っています。繰り返しますが、「楽しみ」なのです。そのような経験は、若い年代になる従い聞かれなくなります。高度経済成長とともに小佐治のような山里の食生活もどんどん変化していく。それに加えて、河川改修が人びとと河川との関係を絶ってしまったからです。かつて、谷筋を流れる水田の用排水路と河川はつながっていました。段差がなく、魚たちが行き来できたのでは…と私たちの研究プロジェクトの生態学者は推測しています。現在は、河川改修が行われており、流量を確保するために川床が深くなり、用排水路とのあいだには段差が生まれてしまっています。これでは、魚は行き来できません。

▪︎昨晩の開所式は、非常に盛り上がった。集落の皆さんは、公民館から机や椅子を、そして隣組からバーベキューの道具を借りてきてくださいました。私は、焼きそば担当になり、熱い鉄板と格闘しました。燃料は薪です。谷筋の水田の奥にある森林にいくらでもこのような薪があります。小佐治の森林は民有林なのですが、間伐したあとの木材の切れ端が、たくさん転がっているのだそうです。もちろん、全国の山里と同様に、この小佐治でも森林の維持管理には苦労されています。もっとも、そのような苦労だけでなく「楽しみ」として森林と関わる人たちが生まれています。集落のなかでは少しずつ薪ストープを楽しむ人たちが増えているのです。そういう方たちがグループをつくり、薪割り機を使って、自分たちに必要な薪を毎年用意しています。ちなみに、私たちがフィールドステーションとしてお借りしている住宅にも、薪ストーブが設置されています。冬になる前に、地域の皆さんと一緒に薪を用意することになるのではないかと思います。

▪︎これから、開所したフィルードステーションを基地として、この小佐治の暮らしに関していろいろお話しを伺っていく予定になっています。

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