映画「水俣曼荼羅」滋賀連続上映会

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▪️映画「水俣曼荼羅」滋賀連続上映会。原一男監督が20年かけて完成させた壮大なドキュメンタリーです。3部で構成されています。上映時間は全部で6時間12分。8月4日の旧大津公会堂で開催される上映会に申し込みました。こちらから、申し込みができます

▪️こちらが「水俣曼荼羅」の公式サイトです。以下は、公式サイトの「INTRODUCTION」の文章です。

『ゆきゆきて、神軍』の原一男が20年もの歳月をかけ作り上げた、372分の叙事詩『水俣曼荼羅』がついに、公開される。
原一男が最新作で描いて見せたのは、「あの水俣」だった。「水俣はもう、解決済みだ」そう世間では、思われているかも知れない。でもいまなお和解を拒否して、裁判闘争を継続している人たちがいる―穏やかな湾に臨み、海の幸に恵まれた豊かな漁村だった水俣市は、化学工業会社・チッソの城下町として栄えた。しかしその発展と引きかえに背負った〝死に至る病″はいまなお、この場所に暗い陰を落としている。不自由なからだのまま大人になった胎児性、あるいは小児性の患者さんたち。末梢神経ではなく脳に病因がある、そう証明しようとする大学病院の医師。病をめぐって様々な感情が交錯する。国と県を相手取っての患者への補償を求める裁判は、いまなお係争中だ。そして、終わりの見えない裁判闘争と並行して、何人もの患者さんが亡くなっていく。
しかし同時に、患者さんとその家族が暮らす水俣は、喜び・笑いに溢れた世界でもある。豊かな海の恵みをもたらす水俣湾を中心に、幾重もの人生・物語がスクリーンの上を流れていく。そんな水俣の日々の営みを原は20年間、じっと記録してきた。
「水俣を忘れてはいけない」という想いで―壮大かつ長大なロマン『水俣曼荼羅』、原一男のあらたな代表作が生まれた。

NHK大河ドラマ「光る君へ」のこと


▪️NHK大河ドラマ「光る君へ」は毎回楽しみにしています。もう前期高齢者のおじいさんですけど、今日はなんというのか、胸がキュンキュン…しました。来週も楽しみです。で、このイラスト。KEI~COさんという方が、Xに、お好きなドラマのイラストを書いて投稿されています。素晴らしいな〜と驚いています。こちらも、毎週楽しみにしています。

角川シネマコレクション【本編】『大魔神』<2週間限定公開>2週間限定


▪️「角川シネマコレクション」では、期間限定でYouTubeでかつての名画を無料で視ることができるサービスを行っています。この「大魔神」も2週間限定で公開だそうです。おそらくですが、5月11日から公開されているようなので、5月25日まで観ることができるようです。

▪️この「大魔神」は、1966年(昭和41年)に大映(現・KADOKAWA)が製作・公開した日本映画の特撮時代劇です。私が8歳、小学校2年生の時に公開されました。大変話題になったように記憶していますが、我が家は私を連れて映画館に行くことはありませんでした。映画を観た友だちからの話や、少年雑誌で取り上げられていたので、それなりに知っているのだと思います。映画のヒロインは、高田美和さんですね。当時、清純派スターとして人気があったようです。ようです…というのも、8歳だと清純派スターといってもよくわかっていなかったからです。この映画も、当時、夢中になっていた円谷プロダクション制作の特撮テレビドラマ「ウルトラマン」と同じような関心から、強く記憶に残っているのでしょう。いわゆる、特撮物ですね。

▪️今回、改めてちょっと調べてみて知ったことなのですが、映画音楽を担当されたのは、有名な日本の作曲家・伊福部昭さんなんですね。映画「ゴジラ」の音楽も作曲されました。それから、もうひとつ。大魔神の中に入っている人は、元プロ野球選手。大毎オリオンズの橋本力さんであることも知りました。プロ野球球団・大毎オリオンズから大映に俳優として入社されたのだそうです。ブルース・リーの「怒りの鉄拳」では、敵役として出演されています。
Daimajin1966
(Daiei Film Co. Ltd. (大映映画株式會社 Daiei Eiga Kabushiki-gaisha), © 1966, Public domain, ウィキメディア・コモンズ経由で)

「ダック・アカデミー」

■タイの「ダック・アカデミー」、これすごいです。

映像詩 里山 命をめぐる水辺」


■高島市の針江にお住まいのfacebookのお友達から情報をいただきました。ありがとうございました。有名なHHKスペシャル「映像誌 里山 命をめぐる水辺」が放映されました。もちろん録画いたしました。たしか、写真家・今森光彦さんがハイビジョンカメラで撮影された作品です。放映されたのは、2004年ですかね。私が龍谷大学に赴任した年です。懐かしいです。

■人間の視点からだけでなく、水中に生息する生き物の視点からも撮影されています。様々な生き物がこの水辺環境でどのように命を育んでいるのか、生き物の側から人間の世界がどう捉えられているのか、そのようなこともわかるように工夫されています。来年度の後期には、留学生対象の授業を担当することになっています。その授業の中で、この作品を鑑賞してみようかなと思っています。この作品、DVDやBlu-rayにもなっていることも知りました。

guns germs and steel(日本語吹替)1・2・3

映画『きみが死んだあとで』


■1967年、私は9歳でした。あのころ大学生だった人たちは、私よりも9歳以上年上の人たちになります。その10年後、私たちが大学生になった頃は、大学のキャンパスでこのような学生運動の存在をリアルに感じることはほとんどできませんでした。学生運動は急速に衰退していったからです。キャンパスは、スキーやテニスの同好会に夢中になる学生たちで溢れていました。だからこそ、時間があればこの映画「きみが死んだあとで」をみてみたいと思うのですが。私の近くでは、「京都シネマ」で2021年5月29日(土)からになります。コロナがどうなるかな。行けるかな…。以下は、この映画の公式サイトからの転載です。

すべては「第一次羽田闘争=きみの死」からはじまった
青春だけが武器だった、あの“異常に発熱した時代”は何だったのか
1967年10月8日。佐藤栄作内閣総理大臣(当時)の南ベトナム訪問阻止を図った「三派全学連」を主体とする第一次羽田闘争は、その後過激化する学生運動の端緒となる事件だった。はじめてヘルメットやゲバ棒で武装した学生は羽田空港に通ずる弁天橋で機動隊と激突。そのなかで一人の若者が殺された。山﨑博昭、18歳。機動隊に頭部を乱打されたためか、装甲車に轢かれたためか、死因は諸説あるが、彼の死は同世代の若者に大きな衝撃を与えた。 あれから約半世紀。亡くなった山﨑博昭の高校の同級生たちや当時の運動の中心だった者たちは齢を重ね、山﨑だけが18歳のままだ。生き残った総勢14人が語り継ぐのは美しく輝く青春とその後の悔恨。闘争の勢いとその衰退も振り返りながら、さまざまな記憶と感情が交錯する。青春だけが武器だった、あの“異常に発熱した時代”は何だったのか。「きみの死」はまだ終わっていない。半世紀を経てもなお、その宿題は続いているのだ。

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Minamata | Official International Trailer | In Cinemas 2021


■私は映画をあまり見ませんが、それでもジョニー・デップといえば、「パイレーツ・オブ・カリビアン/呪われた海賊たち」という娯楽映画をすぐに連想します。そのジョニー・デップが主演する映画「MINAMATA」が公開されることになりました。デップが演じるのは、水俣病の実状を追ったアメリカ人の写真家ユージン・スミスです。

■ユージン・スミス(1918年〜1978年)は、第二次世界大戦中、写真家としてアメリカ軍に従軍し、沖縄戦で日本軍の迫撃弾の爆風により全身を負傷し、左腕と顔面(口蓋)に重傷を負いました。戦争写真家として知られるようになったスミスは、戦後は「LIFE」でもフォトエッセイを連載していたようです。そして、1971年から1974年までの3年間、水俣病患者多発地域であった水俣市月ノ浦に妻と一緒に住み込んで、水俣病患者や被害者運動の写真を撮り続けました。その時の写真は、のちに写真集になります。私もスミス夫妻の写真集の日本語版を所蔵しています。大変貴重な写真集です。ここには、有名な胎児性水俣病の少女を母親が抱いて入浴させている写真「入浴する智子と母」もおさめられています。ジョニー・デップが「MINAMATA」をプロデュースして自ら主演することになったきっかけは、この写真集を見たことにあるようです。どのような映画なのか、大変興味があります。

映画「マルモイ」


■ぜひ観てみたいのですが、時間あるかな。以下は、公式サイトから。

1940年代・京城(日本統治時代の韓国・ソウルの呼称)― 
盗みなどで生計をたてていたお調子者のパンス(ユ・へジン)は、ある日、息子の授業料を払うためにジョンファン(ユン・ゲサン)のバッグを盗む。
ジョンファンは親日派の父親を持つ裕福な家庭の息子でしたが、彼は父に秘密で、失われていく朝鮮語(韓国語)を守るために朝鮮語の辞書を作ろうと各地の方言などあらゆることばを集めていました。

日本統治下の朝鮮半島では、自分たちの言語から日本語を話すことへ、名前すらも日本式となっていく時代だったのです。
その一方で、パンスはそもそも学校に通ったことがなく、母国語である朝鮮語の読み方や書き方すら知らない。

パンスは盗んだバッグをめぐってジョンファンと出会い、そしてジョンファンの辞書作りを通して、自分の話す母国の言葉の大切さを知り・・・・。

MY HOMETOWN ~みんなに知って欲しい滋賀の魅力~


■素晴らしい動画ですね〜。

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