まだまだ続いている異常なアクセス…(4)
■週に1回、アクセスカウンターの数字が異常に伸びる件の続報です。気持ちの悪い、意図がわからない全文検索、やめていただきたいと思います。4月4日に、アクセスカウンター1400を超えました。その後も、だいたい週に1度だけ、1400を超えるアクセスがありましたが、今週は2回。5月16日(火)「1520」、そして5月18日(木)で終わったかなと思ったら、またまた昨日「1441」となりました。技術的に対応できそうなので、専門家からのアドバイスを受ける予定です。
4月4日(火)「1400」超
4月12日(水)「1470」
4月18日(火)「1446」
4月25日(火)「1516」
連休中は不明…
5月11日(木)「1495」
5月16日(火)「1520」
5月18日(木)「1371」
5月30日(火)「1441」
ランの再開
■5月23日からランニングを再開しました。再開とはいっても、身体は、「飲兵衛」の普通の59歳のおじさんのそれに完全に戻っています。以下が、ここ1週間ほどの記録です。もう少し、練習したかったのですが、どうしても時間が取れない時があります。とはいえ、おじさんですから、無理をすると脚が壊れてしまいます。特に、膝とか足首とか…。年寄りなので、ほどほどで練習しないと故障してしまいます。
5月23日(火) : 5.0km :
5月24日(水) : 休み
5月25日(木) : 5.7km :
5月26日(金) : 4.7km :
5月27日(土) : 休み
5月28日(日) : 5.0km
5月29日(月) : 休み
5月30日(火) : 8.0km
■昨日は、結局、走ることができなませんでした。iPhoneの復帰にいろいろ手間がかかりました。家族に車で大学まで迎えに来てもらって、母親が入所する老人ホームに行き見舞いました。ところが、病院から退院できたのは良いけれど、老いがいろんな面で深まってきているなあと少し重い気持ちで帰宅しました。もう、外はすっかり暗くなっており、その時間から買い物をして夕飯を作るということは難しい…。もちろん、走ることはできません。家族の提案でビーフスーキを食べに行くことになりました。我が家では、滅多にないことです。もっとも、いわゆる霜降り肉ではなくて、赤身のアンガス牛です。「年をとったら、肉もちゃんと食べないといけない」と言われて、そうかもなとも思いました。普段は、魚、豆腐、納豆、お浸し…のような志向で、肉肉しい食事をしていないものですから。完全かな和食志向です。
■今日は午前中に走ってみました。アンガス牛の効果?!でしょうか、8kmを6分30秒/km程度のスピードで走ることができました。気のせいだとは思うのですが、ちょっと今日は身体が軽かったような気がします。アンガス牛のおかげ、ということにしておこうと思います。瞬間最低体重は、73kg台に突入しました。とはいえ、これは汗で減っただけです。いつもの大津駅前の居酒屋「利やん」に行って生ビールを2杯飲むと元に戻るわけです。もっとも、8kmを走ることができて満足しました。もうしばらく、8km程度でフラットな道を走り、そのうちにアップダウンのあるコースに切り替えるつもりです。日差しが強くなってきたので、今日から度付きサングラスを使用しています。道路に反射する紫外線が目に入り、白内障になりやすくなるとベテランランナーから教えてもらいました。ということで、このサングラスを使用することにしました。
■ところで、例の「ELECOMの体組成計」を楽しんで使っています。ランニングのおかけで、1kg程度ですが、体重が減りました。もちろん、食べる量も気にしています。体組成計では、内臓脂肪は「やや高め」、BMIは23.4、体脂肪率は22%、骨格筋率は39%、骨量2.4kg…という具合に出てきます。当面は、内臓脂肪を減らしていくことを目指します。秋になり涼しくなった頃には、体重は68kgまで絞り込みたいと思います。頑張ります。68kgになると、BMIは18.5程度に。内臓脂肪レベルと体脂肪率は下がり、骨格筋率は上がるでしょう。そして、基礎代謝量も上がると思います。基礎代謝が上がると、太りにくくなります。「食事の摂取カロリー」−「運動の消費カロリー」−「基礎代謝量」がマイナスになっていれば、痩せていくんでしょうか?? そうであれば、今日は、「ランニング」が700kcal、「基礎代謝量」がだいたい1560kcal前後ですから、「食事の摂取カロリー」を2260kcal以下にすると痩せていくという計算になりますね。たぶん…。こんな考え方であっているのかな??
iPhoneが動かなくなった…
■先日のこと、いつも使っている「iPhone6 plus」がハングアップして動かなくなりました。仕方がなく、大阪心斎橋にあるアップルショップまで出かけました。「iPhone6 plus」の「iOS」のアップデートがうまくいっていないために、動かなくなってしまったのです。なんとか元に戻して欲しかったのですが、工場から出荷した時の初期の状態に戻さざるを得ませんでした。
■ということで、手持ちの「iMac」につないで復元させようとしたのですが…。最初は、作業にかかる時間について「残り時間:約1時間」が表示されていたのですが、いつの間にか「2時間」になり、そして「3時間」になり、最後は「2時間」に戻りました。結局、元どおりの復元はできませんでした(何度も繰り返しApple IDとパスワードの入力を求めて来る…)。これは、また、大阪心斎橋のアップルショップまで出かけないといけないのかなぁ…。
■現在、パソコン2台(Air mac、iMac)、iPhone6、iPadを使っていますが、あまり知識がなくてもこれまではやってこレました。しかし、歳を取るに従い、次第にこういった情報機器が使いこなせない情報弱者になっていくのではないかなあと思っています。新しいモノについていけないようになる、予感があるのです。まあ、いつの時代も仕方のないことではありますが。
■そのような心配はともかく、とりあえず、「iPhone6 plus」は使えるようになりました。ただし、元に戻っていないアプリも多々あります。とはいえ、それらはほとんど使っていないんですよね。嬉しがってダウンロードしたわけですが、結局、ほとんど使わずじまいというパターンのアプリも多数。何か、「煽られて」「使わさせられて」いるようにも思います。
兵庫県人会
■昨日は、龍谷大学「兵庫県人会」でした。龍谷大学に在籍する/在籍していた教職員(退職者も含む)の皆さんの親睦会です。いつもは、宴会だけなのですが、兵庫県人会は時々エクスカーションに出かけます。以前は、兵庫県の丹波篠山で牡丹鍋(イノシシ鍋)をいただきました(残念ながら私は出張で不参加…)。そして今回は、西宮の甲子園球場です。阪神・DeNA戦を観戦しました。全員阪神タイガースファンかといえば、DeNA、ヤクルト、広島カープのファンの方も混じっています…。が、まあそこは許してください。いつも甲子園で野球観戦を楽しむときは、決まって「アルプススタンド」なんですが、昨日は内野席の「ブリーズシート」。銀屋根の下で、強い日差しを気にすることもなく、まさに心地よい「ブリーズ(そよ風)」を感じながらの観戦になりました。
■しかし、試合内容は、阪神ファンの側からするとがっかりするものでした。3回に一挙に6点を奪われてしまいました。私たちが観戦したため…ではないでしょうが、とうとう首位から陥落して2位になっていしまいました。兵庫県人会の会長は、DeNAのファンということで、阪神ファンに囲まれながらも密かに喜んでおられましたが…。試合中に、内野と外野が衝突するとか(ちゃんと、声を掛けあおうで)、いろいろびっくりすることもありました。まあ、試合内容はそんなこんなで残念なんですが、甲子園球場の楽しみは、ビールを飲むことでもあります。私などは、半分程はそのような目的で甲子園球場に来ています。昨日は、試合中にビール2.5杯とチューハイ1杯いただきました(これは、いつもと比較すると少ない方です}。
■あいにくご家庭の急用、学会、急な出勤、西本願寺の行事…様々な理由で、キャンセルせざるを得ない方達がおられましたが、「代打」で参加してくださった「スペシャルゲスト」の皆さんが、代わりにチケットを使ってくださいました。ということで、野球観戦は14名で楽しみましたが、1名の方は観戦後これまたご家庭のご事情で帰宅され、代わりに甲子園球場の近くの居酒屋の宴会には別の方が用事を済ませて駆けつけてくださいました。うまいことできとるな〜。次回は、夏の予定です。次回の幹事さんは、入職2年目の若い職員さんです。兵庫県産のおいしいものが食べれるお店を探してくださるそうです。
■エクスカーションに関しても、いろいろ会員の皆さんから提案がありました。兵庫県は日本海か淡路島まで、広い県です。「日本海の蟹を食べたい!!」という意見は多いわけですが、なかなか難しいことがわかりました。良い民宿は1年前から予約で埋まっており、急に思い立っても無理だからです。そらから、天空の城で有名な、兵庫県朝来市にある竹田城跡や生野銀山とか…。淡路島に行って、加えて「大塚国際美術館」だとか(徳島県ですが)…。いろいろアイデアが出てきます。私は奈良県人会、滋賀県人会にも参加していますが、それぞれに特徴や雰囲気があります。面白いものですね。
「らっきょう」と「らっきょ」
■少し前のことになりますが、「らっきょ」を漬けました。自分で皮を剥いたわけでも、漬け込む甘酢を自分で作ったわけでもなく、皮をすでに向いたやつ、それからすでに調合してある甘酢、この両方を買ってきたので速攻でできあがりました。横着しています。私がした作業は、食べた時の食感がシャキッとするようにお湯をかけたことと、瓶を消毒して詰めたことぐらいです。これから、山椒の実の佃煮と、にんにく醤油を作りたいと思っています。まあ、気晴らしのようなものです。
■漢字で書けば「辣韮」。「辣」は「辛い」という意味、「韮」は「にら」ですから、辛いニラということになるのでしょうか。ところで、普段、「らっきょ」「らっきょ」と言っていますが、正確には「らっきょう」なんですね。「らっきょ」が自明のこととなっていたので、考えたこともありませんでした。「そら、そうだよな」とこの歳になって改めて納得。写真では、鷹の爪が入っていません。あとから気がついて、加えました。そろそろ食べごろになっています。この「らっきょう」、健康にも良いようですね。1日に4粒食べると、血液がサラサラになるんだとか。おじさん向けです。
「オープンガバナンス」と「オープンサイエンス」
■大津市役所の「オープンガバナンス」に関する事業に関わることになっています。大学教員としては、いわゆる社会貢献の仕事ということになりますが、私としは、これまでの自分の研究から得られた知見を活かしていくという意味で、実践的な研究にも関わっているということになります。「オープンガバナンス」という概念は、まだ比較的新しい概念ですが、いろんな説明が行われていますね。例えば、「地域の市民が主役となり行政がプラットフォームとなって豊かな地域コミュニティを作り上げる市民参加型社会の運用の新しい姿」とか、「市民が自治体と協働しながら地域の課題解決を進めていくこと」とか…。私としては、これからの「人口減少社会」においては、地域の課題を地域に暮らす市民自身が連携しながら解決していく「共助」の仕組みを作っていく必要があると考えています。「オープンガバナンス」という考え方は、そのような社会状況とも重なり合い、シンクロしているように思います。
■先日のことになりますが、「どうやって、大津市でこの『オープンガバナス』を進めていこうか」と市役所の職員の皆さんと相談をしていた際に、たまたま私が参加している総合地球環境学研究所の「オープンサイエンス」の取り組みについて説明させてもらうことがありました。そのオープンサイエンスの取り組みでは、琵琶湖の中でも南湖の「水草問題」がテーマとなっています。琵琶湖の南湖では、水草の異常な繁茂が問題になっています。昔の琵琶湖のように、適度に水草が繁茂している段階では、水草の茂る湖底は魚類等の産卵や発育・生育の場となります。しかし、時に南湖の湖底の90パーセントに水草が大量繁茂するような状況になりますと、水質の悪化や底層の低酸素化、湖底のヘドロ化などの問題がおきてきます。また、漁業や船舶航行の障害にもなります。湖岸に切れた藻が大量に流れ着くと、腐敗に伴う臭気が発生し、湖岸に暮らす人びとの生活にも影響を与えます。水草問題とは、琵琶湖の生態系の問題であるとともに、迷惑問題でもあるのです*。このような環境問題に関する情報や、その解決に関連する、或いは解決に資する様々なデータを公開し、そのデータをもとに、現在のように水草を廃棄物にするのではなく、活用していくための知恵をお互いに出し合い、社会的な仕組みを作っていく、これが私たちが取り組む「オープンサイエンス」の狙いになります。
■この水草問題についてお話しをさせていただいたところ、大変関心を持っていただくことができました。そのことがきっかけとなり、「オープンガバナンス」と「オープンサイエンス」の両者を連携させていくことになりました。両者は重なる部分が大きいからです。昨日は、市役所でその連携の進め方について、いろいろ相談をさせていただきました。確かな手応えを感じました。まだ、ぼんやりしたところがあるわけですが、地球研のメンバーと市役所の職員の方たちとで固めていきたいと思う。その上で、多くの市民の皆さんに参加していただきたいと考えています。このような取り組みについては、滋賀県庁の琵琶湖環境部にも応援していただこうと思っています。まだ、未確定の部分がたくさんあるわけですが、頑張って連携に取り組んでいきます。
■ところで、大きなアウトラインを書けば、水草にそれぞれの立場から関心を持つ方たちが集まり、加えてそれぞれの持ち味や能力を活かしつつ、水草問題を解決していくためのアイデアを出し合い、解決に向けて動き始める…ということになります。「水草問題」の解決に向けての1歩になればなあと思っています。もともとある断片的な関係がつながり、IT技術も用いることの中で**、さらにそれらの関係が拡大していき、大きな力に成長していけば…とも夢想しています。結果として「やればできる」という社会的な有効性感覚が醸成されていくことが大切かなと思っています。また、副産物として、そのような取り組みから創発的にだけど、水草とは異なる別のテーマが確認され、別の動きが生まれることにも期待したいです。
■「オープンガバナンス」の相談を終えた後、今度は市役所で「オープンデータ」に取り組む方たちにもご挨拶をさせていただきました。現在の自分たちの考えについて説明させていただきました。とても好意的に理解していただけたように思います。世の中一般のことですが、「オープン〜」という言葉に振り回されている…感じがしないでもありません。「このチャンスに儲けよう・一発当てよう」という雰囲気が無きにしもあらず…です。また、言葉だけに振り回されている…パターンもあるのではないでしょうか。しかし、大津での取り組みについては、これまで市役所の別々の部署で蓄積してきた経験(例えば、大津市協働提案事業とか…)を、「オープンガバナンス」という概念の下で、うまく体系化して整理していくことが必要だろうと思います。大津には大津の「オープンガバナンス」があるはずです。全く新しいことに取り組むわけではないのです。無自覚なまま、それぞれの部署で、すでに取り組んできていることを関連づけて、うまく体系化していかないと…と思います。そうでなくては、開かれた形での政策評価もできませんしね。ということで、昨日は多くの皆さんと一緒に「夢」を共有することができました。こういう瞬間が、いつもあるわけではありませんが、この「夢」がなければ働く意欲が湧いてきませんしね。
■考えてみれば、私が環境問題の研究を始めた頃は、周りを見合わせば、まだ「開発・対・保全」という枠組みの中で行われている研究がほとんどでした。その場合、行政は、どちらかといえば開発の側に位置することが多かったように思います。私自身はそのような中で、「環境政策と住民参加・参画」に関心を持ち研究を進めてきました。その後、研究を進めるうちに「環境ガバナンス」が課題となる時代になり、今では具体的な問題解決を志向する「オープンガバナンス」が模索される時代になったのです。短い言葉ではなかなか説明できませんが、何か感慨深いものがあります。私自身も、その時々の行政の政策に関わることが多くなりました。もちろん、「開発・対・保全」の時代とは異なる、制度として動き始めた「ガバナンス」の背後で、見えにくくなっている重要な問題を把握し、私たちは考えていかなければならないわけですが、そのことについてまた別途エントリーしたいと思います。
✳︎■私が子どもの頃、化学肥料が普及する以前は、農業では人糞が肥料として使用されていました。その頃は、畑や農村地域が臭うのは当たり前のことでした。また、トイレも…当時は便所ですね、便所が汲み取り式の時は、便所は臭うものでした。確かに臭うわけですが、当たり前で、それほど気にはならなかったのです。現代社会は「脱臭社会」です。化学肥料が普及し、便所もトイレになる水洗化されました。臭いは消えてしまいました。そのため、ちょっとした臭いにも敏感になってしまいました。水草の腐敗に伴う臭気が社会問題化するのは、現代社会の人びとの臭覚の変化が背景にあることも、知っておく必要があるでしょう。
✳︎✳︎■環境問題、市民参加、IT技術…。どこかで聞いた話しだなあと自分でも思います。私が滋賀県立琵琶湖博物館の開設準備しをしている時に、嘉田由紀子さんたちのグループが取り組んでいた身近な環境にいる蛍を調査して「パソコン通信」を使ってデータを集約していく住民参加型の調査「ホタルダス」のことを思い出します。もう、20年以上も前のことになります。20年間の間に、インターネットが普及し、さらにはスマートフォンが身近な情報機器になりました。「水草問題」でどのように展開していくのか、興味深いものがあります。
今年も「びわ100」!!
■昨年の10月15日・16日、第3回「びわ湖チャリティー100km歩行大会」=「びわ100」に参加し、長浜から大津市の雄琴温泉まで歩きました。滋賀県庁の農政水産部の皆さんのチームと一緒に歩きました。私のようなものでも、長浜から大津市の雄琴温泉まで、100kmを23時間で歩くことができました。今年も、県庁チーム経由で第4回「びわ100」の参加者募集の資料が郵送されてきました。私、今年の10月21日・22日に開催される第4回「びわ湖チャリティー100km歩行大会」に参加いたします!! 頑張りますね〜。
■郵送されてきた資料の中には、昨年の「第3回結果報告」も同封されていました。その報告書には、完歩率は75.8パーセントと書いてありました。575名の方達が参加し、436名の方達が完歩されたようです。以下は、実行委員長の小林幹雄さんの文章の一部を引用したものです。
これは、歩行者の頑張りは当然のこと、チェックポイント等でのサポーターの活躍無くしては語れません。各チェックポイント、エイドステーションでの献身的なサポート、専門サポーターによるマッサージやケアーに加え、メッセージの書かれたバナナを渡したり、ハロウィンの仮装で歩行者を迎えたりと、サポーターの力強い応援とサポートが歩行者の大きな力になったと思います。
■参加者が575名でしたが、サポーターは、なんと249名の方が参加されました。これって、すごい人数じゃないでしょうか。これだけ多くの方たちに支えられて、私は100kmを完歩できたんですね。改めて、サポーターの皆さんに感謝します。このサポーターの皆さんの献身的な活躍については、この報告書の中に掲載された原田達先生(昨年の春に龍谷大学社会学部を退職されました)の文章の中でもご指摘になっています。「びわ100で第一に感じたことは、サポーターの素晴らしさです」。残念ながら、原田先生は、今年の第4回は参加されません。フルマラソンに専念されるのではないかと思います。
■今年は、昨年と同様、滋賀県庁チームの皆さんと一緒に歩きます。また、京都大学大学院・地球環境学堂の西前出先生とも一緒に歩く約束をしています。西前先生は忘れているかもしれませんが、思い出してもらいます。そして、院生の原裕太くんも一緒かな。確認をしておきます。
■昨年の「びわ100」については、昨年の10月18日のエントリー「第3回びわ湖チャリティー100km歩行大会」に詳しく報告しています。よろしければ、ご覧ください。
練習再開
■今日は、早起きをしました。ジョギングをするためです。2012年の夏から、フルマラソンの完走を目指して練習をしてきました。結果として、フルマラソンで3回完走することができました。しかし、レースの後は、走ったり、やめてしまったり…と、なかなか長続きしません。走ることが、なかなか生活の一部にはならないし、そもそもまだ走ること自体を心の底から、身体のの奥底から楽しむまでには至っていないのだと思います。しかし、今年は2つの目標を設定しています。いよいよ練習を開始しなくてはいけなくなりました。2つの目標とはは、「100kmウォーキング」と「フルマラソン」です。
■そのような目標を設定したこともあって、知人とある約束をしました。その人は、健康のために、現在3桁ある体重を20kg落とそうと頑張っておられます。その方とは、10月10日までに、現在の75kgのポテポテの身体を68kgに絞るという約束をしました。マラソンを走るのには、やはり体重は軽い方が有利です。身体を絞り込むことができたら、一緒にすき焼きを食べてお互いを慰労することになっています。
■昨年の100kmウォーキングのときは、瞬間70.5kgまで絞ることができましたが、その後が続きませんでした。すぐに74kgまで戻ってしまいました。加えて、3月に我が家で産後の身体を休めていた娘が、子どもを産んだので栄養をつけないといけないということで、しっかり食事を摂っていたのでずか、つい調子に乗って私も同じように食べてしまいました。当然のことながら、さらに体重は増加しました。そして、最近、もやっと75kgまで戻すことができました。
■一応、走る準備はできていました。新しいシューズ(asicsのGEL-Kayano 23)、息子からプレゼントされたアミノバイタル、ヨドバシカメラの溜まったポイントで買ったELECOMの体組成計、そしていつもの万歩計。このあたりは完璧なので、あとは「私のやる気」次第となりました。しかし、ここが一番難しいのです。以下の練習のメニューは、昔、初めてフルマラソンを走るために、サブスリーの実力を持つコーチ(当時の社会学部教務課課長)に考えてもらったものを、これからのカレンダーに単純にあてはめたものです。あの頃は、生真面目に練習をしていたな〜と思います。コーチを信じて、本当にコツコツ練習をしていました。
5/23〜5/30:7分/kmで5km(フラットな道)の練習。
5/31~6/14:6分半/kmで5km(フラット)の練習。
6/15~6/30:6分半/kmで6km(フラット)の練習。
7/1~7/22:6分半/kmで6km(アップダウン)の練習。
7/23~8/22:6分半/kmで6km(アップダウン)の練習&8/5頃に15km走の練習。
(メニュー自体は続く…)
■もっとも、フルマラソンを目指して走り始めた時分と比較して、年は取ったけれど当時よりも走力はあるかもしれません。当時は、7月から走り始めたということもあり、かなり体力的にきつかったように記憶しています。7分/kmでも厳しかったなあ。今朝は久しぶりのランで5km走ったわけですが、最後の坂道を除き、6分半/km程度のスピードでジョギングができました。今日から、週に4〜5回、走ることになります。無理せず、怪我せず、目標に向かって進むことにします。様子を見ながら、昔のメニューよりも、もう少し負荷をかけつつ、距離も伸ばしていこうと思います。ちなみに、朝からジョギングをして、そのまま庭の手入れをすると、7,000歩近くまでいっていました。そうそう、今年も、龍谷大学の「ウォーキングキャンペーン」に参加する予定です。
タックンからのプレゼント
■我が家のお隣には、若いご家族が住んでおられます。3人家族です。3歳の息子さんは、タックンといいます。よく、タックンと庭でお話しをすることがあります。私が今の家に転居してきた頃は、まだきちんと言葉が喋られませんでしたが、どんどん言葉を覚えて、私のようなおじさんとも話しができるようになってきました。最初の頃は、「ジジ…」と言ってから「おじちゃん」と言い換えていましたが、最近は、大きな声で「おじちゃ〜ん」と呼びけてくれるようになりました。まあ、確かに「ジジ」でも良いのですが、本当のお祖父様がいらっしゃるのでしょうから、やはり「おじちゃん」でしょうかね。
■一昨日のことになります。朝から庭木の剪定に悩んでいました。我が家には、5本の樹が植えてあります。4本まではなんとか自分の力で剪定できたのですが、一番大きなシマトネリコだけはどうしたものかと悩んでいたのです。素人考えですが、枝の張り方等をじっと見つめて剪定の進め方を考えなければなりません。そうやっていた時のことです。タックンから「おじちゃんが好きだ」と告白されたのです。「あれま、嬉しいね〜」…です。ということで、タックンのお母さんがお家のお庭に咲いているバラの花をプレゼントしてくださいました。我が家はの庭はイングリッシュガーデンを目指して、いろいろ植えてあるのですが、お隣は、スッキリ、シンプルなお庭です。綺麗な芝生に、アーチが設けてあり、そこで蔓薔薇が大きな花を咲かせていました。タックンのお母さんは、その蔓薔薇をくださったのです。写真が、その蔓薔薇です。花瓶は和風の一輪挿しです。どちらかと言えば、椿のような花が似合うのかもしれませんが、バラだっていいよな…と、自分で自分を納得させています。
創立記念日・親鸞聖人降誕会法要
■昨日は、龍谷大学の創立記念日です。というわけで、2017年度「創立記念日・親鸞聖人降誕会法要」 が行われました。私は、大宮キャンパスの法要に参拝しました。龍谷大学に勤務するようになってからも長らく「創立記念日・親鸞聖人降誕会法要」には参拝したことはありませんでした。しかし、一昨年の春、研究部長になった時、同じ研究部の事務職の皆さんと話しをしていて、「そうか、それでは自分も参拝してみよう」という気持ちになりました。なぜかと聞かれても、よくわかりませんが、同僚の皆さんと一緒に創立記念日をお祝いしたいという素朴で素直な気持ちです。ということで、今年で3回目になりました。法要では、入澤学長の法話をお聞きしました。入澤先生のスピーチは、聴衆に自然に耳を傾けさせます。聴聞した後で言葉の中に静かな力があるように思います。
■入澤学長の法話の中でも、「降誕会」のはじまりについて説明されておられました。この創立記念「降誕会」は、1877年(明治20年)に、普通教校(本学の前身)の学生有志によって親鸞聖人のお生誕をお祝いする法要として始められました。普通教校とは僧侶ではない一般の学生のことです。1922年(大正11年)年5月20日に、当時の大学令による大学への昇格が認可されました。そのため、その翌日、21日を創立記念日としてお祝いすることになっているのです。大学のホームページでは、次のように説明されています。
親鸞聖人降誕会とは…
親鸞聖人のお誕生は1173年5月21日(承安3年4月1日)とされています。源平合戦の鬨の声けたたましい武士の世は、まさに「祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響きあり……」と語られたように栄枯盛衰の激しく、悲惨な時代でした。
下級公家に生まれられた親鸞聖人は幼くして両親と別れ、9歳にして出家、比叡山での20年間に及ぶ烈しい求道の末、「よきひと」法然上人と出遇い、そして浄土の真宗――選択本願念仏の仏道に出遇われました。以後,念仏者として如来の恩徳を、教えに問い、身に確かめつつ、人間の闇を見つめ、本願の救いを顕わし続けられた「ただ念仏のみぞまこと」のご生涯でした。
降誕会とは、親鸞聖人のお誕生をお祝いする法会です。また,本学は1922(大正11)年5月20日、大学令による大学への昇格が認可されました。このため翌21日を創立記念日として、併せてお祝いしています。
底知れぬ妄想の闇に迷い、虚偽に執着して空しく生きる私たちに対して、親鸞聖人が人の世に生まれ、真実を求め、真実に生き、そして真実を顕らかにして下さったことの意義を改めて確かめしましょう。
■法要が終わり、大宮キャンバスの正門の外に出ると、西本願寺の唐門(国宝)が34年ぶりに1日だけ開門されるということで、多くの皆さんが並んでおられました。私も、せっかくだからと並ぼうと思いましたが、長蛇の列に諦めざるを得ませんでした。ということで、法要の後に配られた「お斎」(おとき)を、世界仏教文化研究センターの職員の皆さんといただくことにしました。世界仏教文化研究センターは、大宮キャンパスの近くにある白亜館という建物の中にあります。2年間の研究部長の職を終えたわけですが、それでも職員の皆さんは歓迎してくださいました。最近の世界仏教文化研究センターのことなど、いろいろ教えていただきました。
■「創立記念日・降誕会法要」のあとは、深草キャンパスで「勤続永年表彰」と「名誉教授の称号授与」が行われました。研究部におられる知り合いの職員の方も、今年で勤続30年ということで表彰されました。おめでたいことです。表彰と称号授与の後は、職員懇親会でした。大学の教職員だけでなく、法人統合をした龍谷大学付属平安高校の皆さんも参加されました。生協の大きな食堂が人でいっぱいになりました。
■昨日は事務職員の皆さんと呑みながら、たくさんの話しをしました。この懇親会から、なんと3次会まで。その内容も様々です。一緒にため息をついたり、憤慨したりするような話しから、一緒に夢を語って元気が出てくるような話しに至るまで。非常に大切な話しもしましたね。しかし、大切な話しは素面の時に、もう一度きちんとやらないとダメですね。
■育休を経て職場復帰された研究部の女性職員の方とは、ひしぶりにお会いして、赤ちゃん談義になりました。初孫「ひなちゃん」の写真もみてもらいました。研究部長を終えて1ヶ月と3週間しか経っていないけれど、久しぶりにお会いした深草キャンパスの研究部の職員の皆さんと、懐かしく話しもできました。なんだか、一緒に仕事をしてきた仲間との同窓会のようでもありますね。
■しかし、あれだけの人数の職員の皆さんが盛り上がっておられるのをみて、自分の職場のパワーのようなものを感じました。「呑み」は3次会まで続いたわけですが、学長や総務局長も2次会までおられました。印象的だったのは、入職したての新採の職員の皆さんからベテランの職員の皆さんまで、縦のつながりを大切にされているなあということ、特に若い方たちが積極的であることでした。若い職員の皆さんは、ベテランの職員の皆さんと一緒に呑み語らうことで、働くということの意味を、言外に汲み取っているのかもしれません。素敵なことだなあと思いました。昼から晩まで、いろんな方達と話しができて、充実した時を過ごすことができました。まあ、これを時間の無駄と感じる人もいるのかもしれないけれど(特に、教員の皆さんの中には)、それは価値観、もっと言えば仕事観や職場観の違いかなと思います。「創立記念日・降誕会法要」は、大学にとって非常におめでたい日。教職員共に、大いに飲んで語り合うことが大切なのだと思います。最後は、同じ方面の職員さんと電車に乗り、寝過ごすことなく無事に最寄駅で降りることができました。1人だと、絶対、眠っていましたね。ほとんどビールばかりだったけど、飲み続けるとそれなりに大変です。なんとか、二日酔いにはならないですみましたけど…。