関西学院OB交響楽団のこと

20131108kg.jpg ■11月4日(月)の振り替え休日の日、「関西学院OB交響楽団演奏会」にいってきました。この演奏会は、関西学院大学交響楽団創部100周年記念であり、OBオーケストラ結成10周年記念でもあります。会場の西宮北口にある兵庫県立芸術文化センターも、今回初めて行きましたが、立派なホールですね。

■エルガー「威風堂々第1番」、リスト「前奏曲」、ベートーヴェン「交響曲第5番運命」、チャイコフスキー「交響曲第5番」とプログラムは進みました。一般的なクラシックのコンサートであれば、ありえないプログラムです。しかし、多数のOBOGが出演可能にするためには、このようなコテコテのプログラムでも曲数を増やす必要があったのだと思います。もちろん、会場にいるのは、ほんとんどそOBOGやその関係者ですから、文句が出ることもありません。

■さて、私の主観ではありますが、後になればなるほど、演奏のレベルと質が高まったように思いました。「威風堂々第1番」と「前奏曲」、練習の回数も限られているので仕方がないですね…という感じがしました。特に、「運命」の1〜3楽章のあたりまでは、その思いが強かったな。特に、弦楽器については…。しかし、しだいに尻上がりに調子を上げていきました。

■休憩をはさんで、チャイコフスキーの5番。いや〜、びっくりしました! 指揮者の田中一嘉さんの存在も大きかったとは思いますが、関学らしい迫力のある素敵な熱演になりました。すごく良かった!! 卒業してからも楽器の演奏を続けて市民オケでバリバリ演奏している人もいれば、たまにしか演奏しない人、このOBオーケストラにあわせて楽器を再開した人…それぞれの力量は様々。おそらはく、チャイコフスキーの5番(チャイ5)に演奏レベルの高い人たちが集中していたのでしょう。あるいは、限られた練習のなかでも、比較的、この曲にかける時間が多かったとか…。それでも、みんなで力を合わせて演奏会を成功させようというのは、素敵なことだと思います。この前卒業した若いOBから、その祖父母世代にあたる高齢者のOBまで、これだけの人が集まって演奏会ができるのって…感動しましたよ。

■演奏会のあとは、ロビーで30数年ぶりに、現役時代に一緒に演奏した先輩方にもお会いできました。女性の先輩が、私の名前を覚えてくださっていたのが、とっても嬉しかったりしてね…(^^;;。そのあとは、近い学年の皆さんと集まって呑み会。12人ぐらい集まったかな。これも、楽しかった。話題がつきなかったのです。ああ、また楽器が弾きたくなってきますね〜。そんな余裕はないのですが…。

■このようなすごい演奏会を企画して実現させたOB会の幹事の皆さんには、心から深く感謝したいと思います。まだ、少し余韻にひたっているところがあります。

【追記】■子どもの頃から、バイオリンを半ば強制的に習わされました。両親の青春時代は、戦時中と戦後の混乱の時期であり、「文化」に対するあこがれが大変強かったのだと思います。自分たちは、クラシック音楽に関する関心はあまりなかったのですが、「お稽古事」として子どもにバイオリンを習わせたのですね。いやいやバイオリンをやっていたのですが、大学入学後、学生オーケストラである関西学院交響楽団に入ってからは、真面目にといいますか、一生懸命、音楽に取り組みました。懐かしい思い出です。大学卒業後、私は大学院に進学しましたが、エキストラとして演奏させていただきました。しかし、結婚をして、子供が生まれる頃には楽器を弾くことをやめました。

■当時、バイオリンの調整や弓の毛替え等については、大阪梅田にある宝木宏征さんのf工房というところにお願いをしていました。宝木さんは、私のようなへたくそなアマチュアにもいつも親切に接してくださっていました。あるとき、「脇田さんは、すごいですね〜。研究者をめざしながら、こうやって楽器をやっているんですから。私は、自分が楽器職人を目指しているときは、とてもそんな余裕はありませんでした」と何気なくおっしゃいました。宝木さんは嫌みを言われる方ではなかったので、素直にそう思われたのかもしれません。しかし、その宝木さんの何気なく言われたことが、私にはガンときました。「ほんまに、楽器を楽しんでいるばあいではない。子どもも生まれるというのに」と心の底から思いました。そのときから、楽器を弾くことをやめてしまいました。たまに出して自宅で弾く程度になりました。また、この10年は、ほとんど楽器にはさわってさいません。

■結果として、四半世紀ちょっと楽器を弾いていません。ここ10年は、仕事に集中してきました。OB交響楽団に入って、ステージの上で現役の時と同じように楽器を弾いている先輩・同期・後輩の皆さんをみていると、ちょっと羨ましくもなりますが、それなりのレベルを維持して演奏を続けていく自信がなかなかもてません。いつか楽器を再開するかもしれませんが、それはもう少し先のことかと思います。

■比較的最近になって知り驚いたのですが、宝木さんは2004年にお亡くなりになっていました。お亡くなりになる前に、お話しをしたかった…。現在は、息子さんが工房を継がれているようです。

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