第2回「BIWA100 2026」を自己新記録で完歩しました。
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▪️昨日と今日、2日間にわたって開催された「BIWA100」に参加して来ました。2,000人を超える人が申し込まれたそうです(100kmコースと42kmコースの両方で)。私は、お友達の、龍谷大学吹奏楽部OBの上道郁夫さんと歩きました。本来であれば、夏にお亡くなりになった同志社大学の鵜飼孝造さんも歩いておられたはずです。彼も毎年のように参加されていましたから。その鵜飼さんのことを思いながら歩くことにしました。
▪️facebookに「BIWA100」で歩きますと”大々的”にアピールしたところ、仲良しの方たちがわざわざやってきて応援してくださいました。ありがとうございます。下の左の写真は、滋賀県の水産試験場にお勤めの根本守仁さんが撮ってくださいました。今回で100kmウォーキングへの参加は7回目になりますが、根本さんは、いつも沿道で応援してくださっています。今回も、「明日、芹川のところに行きます!!」と連絡がありました。下の右の写真は、近畿大学水産学部の亀甲武志さんです。琵琶湖の淡水魚の研究をされていますが、以前は滋賀県の水産課や水産試験場にお勤めでした。2016年、ちょうど10年前の「びわ100」(BIWA100の前身)を一緒に歩きました。今回は、参加者全員がつけるGPSからのデータをご覧になって、私がどこにいるのかを探して差し入れをしてくださいました。牛丼です。いつもだと、ご飯は食べないのですが(食べられない)、このような激しい運動をするときは、どんどん糖を消費するので、食べ続けないと低血糖になってしまいます。上道さんと半分こして、美味しくいただきました。ゴール間近、琵琶湖プリンスホテルのすぐ近くで、大津駅前のいつもの居酒屋「利やん」のご常連、中川俊典さんがスポーツ用のジェリーを持って待っていてくださいました。「あともうちょっとや、頑張れ」と背中をポーンと押してくださったのですが、私はヨロヨロと転げそうになりました。やばかった。最後の10kmは腰が痛くて、時々、湖畔のベンチで休憩しつつ前に進んでいました。でも、中川さん、やって来てくれてありがとうございました。根本さん、亀甲さん、中川さんありがとうございました。
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▪️「BIWA100」の結果です。募集枠は、100km部門は1000人、短い42km部門も1000人でした。1000人のうち、どれだけの人が実際に参加されたのかは分かりませんが、速報では、私が確認した段階では784人の人の順位が出ていました。ということは、784人の中で180位ですから、まあまあの成績ではないかと思います。もっとも、ウルトラウォーキングは、順位を競うのではなくそれぞれの100kmという壁に挑戦すること自体を大切にしています。
▪️ちなみに、最後のチェックポイントでどうも腰の具合がイマイチだったので、上道さんにお願いして、そこからはお1人で出発していただきました。それでも途中から疲労のせいで足が痙攣して、スピードがガクンと落ちたとのことでした。ただし、2人とも当初目標にしていた22時間切りを達成できたので満足しています。それはもかく、このようなことができたのは、上道さんが、「初めから最後まで、自分たちの力にあったスピードで歩くということ」を徹底したからです。周りの人のスピードに反応しないようにするということでした。それを可能にしたのは、スポーツウォッチで、ペース(1km歩くのにかかる時間)を常に計測して、10分から11分30秒までの間にキープして歩き続けました。疲れてくると、頑張って歩いているつもりでも、遅れてくるのです。私としては、自分の実力以上の歩きをしていたかもしれませんが、自己新記録になりましたひとつ前のウルトラウォーキングが22時間37分10秒でした。これも上道さんと歩いた時の記録です。今回は、上道さんが21:09:52、私が21:15:55でした。私は1時間20分程度、短縮したことになります。上道さん、ありがとうございました。ちなみに1位の方は、15時間11分27秒でした。私などとは6時間もタイム差があります。どういう方達が、このレベルで歩くことができるのでしょうね。昨年優勝した方は、国体の競歩の選手をされていた方でした。確か13時間ほどだったと思います。
▪️「自分の実力以上の歩き方」と書きました。ひとつには、上道さんと2人で力を合わせて歩いたことが大きいです。どちらかが、疲れた時、もう1人がリード役になることで、助け合って完歩しました。2人の歩く力が近いからできるんでしょうね。1人だと疲れに負けて、とてもこんなことはできないと思います。また、緻密に計算された上道さんの作戦も大きかったと思います。ペースをできるだけ一定に保ち、休憩時間もコンパクトに。もちろん、計画通りにはなかなかいきませんが、それでも計画が有るのと無いのとでは、全然違います。上道さんご自身が今回は22時間切りを目指して、春から努力を積み重ねてこられたことが背景にあります。私も上道さんの目標達成の邪魔をしないようにと頑張りました。
▪️「自分の実力以上の歩き方」をした結果、両足裏に肉刺ができました。程度は軽症ですが。それから痛みはありませんが、右足親指が内出血していました。まあ、肉刺や内出血については多くの方達も経験されていると思います。ところが、ゴール後にこんなことになってしまいました。完歩をした人に渡されるメダルを、小柄な女性が私の首にかけて下さる時のことです。もう、ふらふらになっていたので、屈んだ拍子にそのまま顔面から地面に転んでしまいました。お気に入りの眼鏡も潰してしまいました。まあ、この顔の怪我もたいしたことはないのですが、ちょっとカッコ悪いので、大きなマスクをしなくちゃいけないのかな。まあ、これが乙女であれば大変だと思いますが、おじいさんの顔ですから。でも、ちょっと悲しいのでもうタクシーで帰ろうかなと思いましたが、まあ、なんとか電車と徒歩で無事に帰宅できました。
▪️おまけで歩数計の写真もあげておきます。当然ですけど、黒い壁が生まれていました。昨日が103,770歩、今日が52,082歩。帰宅後はビールを飲んで寝ていました。そのことがよくわかります。歩いていた途中のことは、また別途投稿いたします。
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「浜大津こだわり朝市」の会議
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▪️昨日は、4限の4回生ゼミのあと大津に向かいました。月1回、浜大津で開催されている「浜大津こだわり朝市」の広報に関して、社会共生実習を履修している学生さんたちと、朝市の実行委員会の皆さんとで会議を持ちました。実行委員の皆さんはご高齢の方達が中心です(かくいう私も68歳で前期高齢者ですが…)。また事務局として参加されている「まちづくり大津」の職員さんも、さまざまな事業に取り組んでおられて、これ以上、朝市にさける余力がありません。そのような実行委員会の体制のなかで、これまで広報をしていくだけの余力がありませんでした。特に、中心市街地に多数建設されているマンションに転入されてきた若いファミリー層にも訴求力のある広報が必要だとは思っていても、なかなかそこまで手がまわりませんでした。
▪️昨日は、学生さんたちの方から、GoogleフォームとLINE公式アカウントを使う広報が提案されました。開催前に出店者の皆さんから、次回出品する商品の情報を集計し、そこに実行委員会で作成した原稿も加えて、LINE公式アカウントに添付して発信する。また、QRコードを用意して、LINE公式アカウントに誘導するなど、いろいろ提案してくれました。うまくいくかどうかは別にして、実行委員会の皆さんからはゴーサインをいただくことができました。私は今年度で定年退職なので、来年の4月からはこの広報をおそらく私が中心になって引き継いでいくことになるでしょう。というのも、私は、この朝市の実行委員の1人なのですが、今まできちんと責任を果たすことができていないので、4月からはこの朝市のために頑張るつもりだからです。
▪️大津の中心市街地は、実習という形のなかではありますが、地域の皆さんにたくさんの学生さんたちがお世話になりました。本当にありがたかったです。微々たることしかできませんが、今度は、自分自身が地域にお返しをする番なのかなと思っています。
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死生の一大事
▪️高橋卓志先生がお亡くなりになりました。先生は、長野県松本市にある神宮寺の前住職であり、龍谷大学スキー部のOB、そして龍谷奨励賞受賞者・元文学部客員教授でした。大変有名な方ですので、ここであえて説明いたしません。
▪️私は、龍谷大学大学院の実践真宗学研究科で、高橋先生が担当されていた授業に、龍大の教員であるにも関わらず、「もぐりの社会人」として受講させていただきました。もちろん、先生のお許しを得た上です。先生の著作や仏教徒としての社会的活動を拝見していたからです。先生からは、いろいろ、特に「死生観」に関して、深く勉強させていただきました。蓮如上人が仰った「死生の一大事(ししょうのいちだいじ)」、「人間にとって、死ぬか生きるか、そして死んだ後にどこへ行くのかということほど重大な出来事はない」ということについて、改めて現代的な文脈の中で考えることになりました。高橋先生、ありがとうございました。
▪️生前、鰻好きの先生と、「逢坂山かねよ本店」で美味しい錦糸重を味わったのは良い思い出になります。そのことをこのブログにも「高橋卓志先生と鰻重」として投稿しています。今度は、信州で先生のお好きな店で鰻を味わおうと約束していたのですが、実現しませんでした。残念です。悲しいです。高橋先生のfacebookへの最後のご投稿、昨年の8月29日でした。1年以上、ご病気と向き合ってこられたのでしょうか。このリンクは、高橋先生のご逝去についての報道です。
▪️今年は、8月に、同い年の社会学者である同志社大学教員の鵜飼浩三さんが、お亡くなりになりました。春にご病気がわかり、闘病の末のご逝去でした。そして、今日は、関西学院大学交響楽団、私が所属していた学生オーケストラの先輩もお亡くなりになりました。おそらく70歳ぐらいかと思います。死は突然やってきますね。これは他人事ではなく自分事なのです。「死生の一大事」を常に真正面から受け止めて、残りの人生を生きていかねばならない、そのように思うのです。
8年ぶりにiPhoneの機種変更
▪️スマートフォンの「iPhone6 plus」を2014年11月から丸4年と2ヶ月ほど使い続けて、バッテリーがダメになってもうほとんど使えない状況になったので、2019年の1月に「iPhone Xs Max」に買い換えました。そして8年近くが経過していました(こういうことも、個人ブログへの投稿がログとして残っているので、個人データベースみたいに調べられます)。すぐにバッテリーはへたってしまいます。だから、大きなバッテリーをいつもリュックに入れて持ち歩いていました。ということで、今回も買い替えることになりました。今度は、「iPhone17e」です。
▪️昨日、京都四条のApple Storeに行って購入しました。Bluetoothを使っての「iPhone Xs Max」から「iPhone17e」へのデータの移行になんと2時間かかりました。ところが、最後の最後、eSIMがうまく移せなかったのです。店員さんがいうに、私が契約しているsoftbankを含めて何社かは、Apple StoreからはうまくeSHIMの移行ができないことがあるのだそうです。仕方がないので、今日、SoftBankのショップで移してもらいました。ちなみに、これまでは通信量に上限がある契約でした。8年前はそれでも問題がなかったのです。しかし、社会状況が変化してきました。メールに添付されるファイルが、普通に大きくなりました。ファイルは、Wi-Fiの無い外部で開けると、どんどん通信量が減ってしまいます。それから、いつのまにか世の中は「サブスク」で音楽を聞くことが中心となり、通信量の上限があると安心して利用できません。ちなみに、「iPhone17e」は、5Gに対応しています。今のところ、その便利さはよくわかっていませんけど。
▪️ということで、上限なしの契約に変更しました。これまでは、追加の通信料を取られていたので、契約を変更した方が多少安いかな。そうそう、今日は、SoftBankのショップで、さかんにPayPayを勧められました。まあ、便利なんでしょうが、同時に、こういうの、だんだん「面倒やな」と思うようになってきています。
▪️ちなみに、待ち受け画面は、知恩院が所蔵する「早来迎図」の左半分です。
【追記】▪️「iPhone6 plus」の前は、「iPhone(初代)」、そしておそらくですが「iPhone 4」を使っていたと思います。どんどん、買い換えるタイプの人間ではありませんが、それなりに買い替えてきました。iPhoneに限らず、スマホがないと生活が立ち行かなくなったこの世界を、あの世のスティーブ・ジョブズはどう思っているでしょうね。単なる妄想ですが、これだけ普及したことに誇りを持ちつつも、多くの人びとが、スマホに振り回されていることに深い失望を覚えているのではないかと思います。はい、妄想です。
フジバカマとアサギマダラ
◾️アサギマダラという蝶のことを、何年前だったか忘れましたが知ることになりました。京都市内に「源氏藤袴会」という団体があります。京都に自生する野生種、絶滅寸前種のフジバカマ(藤袴)の保全及び育成活動を行なっておられます。加えて、この花と共に京都の歴史・文化・伝統の伝承に努めておられます。こちらの団体には、選考委員長をしている平和堂財団の「夏原グラント」から助成をさせていただきました。そして、選考の際に、このフジバカマの花の蜜を吸うために、アサギマダラという蝶がやってくるということを知ったのです。
◾️アサギマダラが幼虫の時に食べる植物には、そしてブシバカマの蜜には毒があり、そのため天敵である鳥がもしアサギマダラを食べると、鳥はとても苦しむことになります。その鮮やかな模様を学習して2度と襲わなくなるのだそうです。このアサギマダラですが、「大旅行家」でもあります。沖縄や台湾などの温かい南の島から、日本列島を目指して北上します。春に南の島で羽化した新しい世代が、黒潮がもたらす上昇気流をグライダーのように利用して海を渡り、日本の涼しい高原地帯へと移動します。そして北海道まで飛ぶのだそうです。北海道の真夏の気温がちょうど良いようです(もっとも温暖化が進むとどうなってしまうのか…)。そこで産卵して、命を終えて次の世代に命をバトンタッチします。生まれた幼虫は北海道で育ち、北海道は寒くなっていくのて、今度は逆に本州を南に下って、南の島まで移動します。そして、産卵して、次の世代に命をバトンタッチします。命を繋ぐために、南北を大移動しているのです。
◾️そのアサギマダラが南下してくる時に、滋賀県を通過します。私が暮らしてい琵琶湖の西側だと、箱館山に植えてあるフジバカマにたくさんのアサギマダラがやってくるようです。そのアサギマダラ、次はどう移動するのでしょうか。調べてみたところ、はっきり確認されているわけではないようですが、そのまま比良山系の麓、比叡山の麓を移動していくようです。仮説のレベルですが、和邇、小野、堅田、雄琴、坂本と順番に南下していくのではないかというのです。それだったら、庭にフジバカマを植えてみようかなという気持ちになってきました。小さな家ですので、たくさんの花を咲かせるためのスペースは庭には無いのですが、プランターも併用して、花を咲かせてアサギマダラを呼び寄せてみようと思います。何年かかかるでしょうね。ちなみに、フジバカマはとても良い香りがします。定年退職後の楽しみが増えました。ちなみに、アサギマダラは、大変敏感な嗅覚のセンサーを持っているようです。
◾️それはともかく、生物学や生態学が専門ではありませんが、アサギマダラの生態にロマンを感じます。ぜんぜん科学的ではありませんが。
関学のキーホルダー
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◾️昨日は、石山、もっと正確には瀬田の唐橋そばの料理店で、関西学院大学同窓会滋賀支部の総会と懇親会が開催されました。その時、フラダンスをご披露くださった皆さんへの若干の寄付をさせていただいたことで、関学グッズが当たる福引抽選会に参加できました。このキーホルダーがそうです。このキーホルダーを見て、「関学にこの時計台(今は博物館、昔は図書館)があって本当に良かったな〜」としみじみと思いました。
◾️上ヶ原キャンパスが誕生したのは、第4代ベーツ院長(1877-1963)の時代になります。関西学院の在籍期間は1910年~1940年(約30年間)、また院長在任期間は1920年~1940年(約20年間)になります。日米関係など国際情勢が悪化するなか、1940年、院長・学長を辞任してカナダへ帰国しました。そのベーツ院長ですが、大学への昇格を目指して広いキャンパスを求めていました。その時、阪神急行電鉄(現在の阪急電鉄)の経営者である小林一三氏が、当時まだ神戸にあったキャンパスを高額で買収し、関学を阪急沿線の現在の場所に誘致しました。
◾️小林氏は鉄道を敷くだけではなく、沿線に住宅地、商業施設、学校などを配置し、新たな生活文化圏を形成することを目指していました。ということで、関西学院の上ケ原への移転は、阪急沿線の開発にもつながる事業だったのです。もちろん、両者の間を取り持った人たちもいますがそれは今回は省きます。一方、関学側も、神戸のキャンパスの売却で得た巨額の資金で大学昇格に相応しいキャンパスを作れることになりました。その際、ベーツ院長とヴォーリズは強い信頼関係で結ばれていたらしく(具体的なことはわかりません)、ベーツ院長は「大学昇格にふさわしい理想的な教育環境」を作ることをヴォーリズに依頼しました。1929年4月に上ヶ原のキャンパスが開学し、1932年には関西学院大学が設立されました。この3人の出会いがなければ、現在の関学は存在しません。
◾️さて、当たったキーホルダー、「校章」、上ヶ原キャンパスのシンボルである「時計台」(以前は図書館でしたが今は博物館)、そしてベーツ院長が提唱されたスクールモットー「KWANSEI GAKUIN MASTERY FOR SERVICE」。良い感じです。ただ時計台だけで、背景の甲山がありません。個人的にはここがちょっと残念です。ところで、私が学生の頃は、体育の時間にこの甲山の頂上まで走って登る甲山マラソンが恒例の行事になっていました。私は、19位でした。体育会でなく交響楽団の部員で19位ってなかなかものものなんですよ。昨日の懇親会で前に座っておられたフラダンスの学生さんに、「まだ甲山マラソンってありますか」とお尋ねしたら、「それなんですか?」と逆に聞き返されました。
第74回全日本吹奏楽コンクールの大学の部で、龍谷大学は金賞を受賞いたしました。
本日、府中の森芸術劇場にて開催されました第74回全日本吹奏楽コンクールの大学の部で、龍谷大学は金賞を受賞いたしました。 ご声援いただいた皆さま、誠にありがとうございました。 部員一同、より一層精進して参りますので、今後とも龍谷大学吹奏楽部をよろしくお願いいたします。 https://t.co/IUn8S3IzGo
— 龍谷大学吹奏楽部 (@ryu_windmusic) October 24, 2026
◾️昨日、「第74回全日本吹奏楽コンクール大学の部」が、東京都府中市の「府中の森芸術劇場」で開催されました。応援している龍谷大学吹奏楽部、金賞を受賞しました。おめでとうございます‼️今回で連続7回の金賞受賞になります。審査員の先生方の細かな評価については、慰労会と祝勝会という名の飲み会で、監督やコーチからお聞かせいただくことにします。
◾️こちらのネットニュースを拝見して、東北代表の秋田大学は42年ぶりに全国に出場したということを知りました。すばらしいです。しかも、学生指揮者のようです。立派ですね。また、27年ぶりの亜細亜大に関連して、このようなことが書いてありました。なるほど。納得です。
コロナ禍は部員数が30人ほどに減っていたが、2023年ごろから増え始め、都大会でも24年から金賞を重ねてきた。今年は66人になり、全国への道を切り開いた。
都大学吹奏楽連盟理事を務めるトロンボーンの鈴木晃太さん(3年)は「他大も含め、部員は増加傾向です。私たちは高校の時にコロナで吹奏楽を思うようにできなかった世代。大学ではしっかり吹奏楽をやりたいと思っている人が多いのではないでしょうか」と話す。
関西学院大学同窓会滋賀支部総会
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◾️昨日は夕方から、関西学院大学同窓会滋賀支部の総会と懇親会でした。堅苦しくない、アットホームな同窓会支部で、毎年、参加させていただいています。総会には、大学から副学長や同窓会の事務局の皆さんも来賓としてお越しくださいました。ありがとうございます。さらに、現役の「カレッジ・フラ」のサークルの皆さん「Kukui(ククイ)」が、フラダンスをご披露くださいました。実力のあるサークルです。全国大会で、団体としては3位、個人では優勝した方もおられます。
◾️宴会場の中央では、鮎を焼いていて、しだいに室内に煙が立ちこめてくる中でのフラダンスでした。とても素敵でした。ただ、あとで学生さんにお聞きすると、とても煙たかったそうです。鮎の塩焼きとフラダンス、なんだかとってもシュールでしたが、参加された方の中には、「瀬田がハワイに見えてきた」という方もおられました(宴会場が、瀬田川沿いだったものですから)。「カレッジ・フラ」の皆さんには、私も含めて同窓会の会員の皆さんから寄付をさせていただきました。引き続き、頑張ってくださいね。フラの皆さん、私たちと一緒に食事もして、お話をしてくださいました。おじいさん相手にありがとうございます。お話をしながら1つ残念だだだのは、学生食堂に、あの「ジンギスカン」がないと聞かされたことでした。もうひとつ、スピーチをしなくてはならなくなり、職場が龍谷大学ということを話したら、お店のアルバイトさんがやってこられて、「私、龍谷大学です。文学部です。2回生です❗️」と、わざわざ伝えにきてくれました。嬉しかったな〜。
◾️昨日は朝から出かけるための準備をしておきました。いつもは、ジーンズにTシャツとジャンパーというなんともラフな格好なのですが、今日は同窓会の総会ということで、校章(新月)の入ったネクタイをしめてジャケットも着用して出席させていただきました。
「第74回全日本吹奏楽コンクール 大学の部」
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◾️今日の午後、東京の「府中の森芸術劇場」で、「第74回全日本吹奏楽コンクール 大学の部」が開催されます。全国の地区大会から全部で15校が参加して、演奏を競います。コンクールですからね。龍谷大学吹奏楽部は5番目です。2019年から2023年まで部長を務めていて、全国大会には必ず同行していましたが、今は、遠くから気持ち的に応援しています。良い仕上がりだと聞いています。今年も金賞を受賞されるのではないかと思っています。今回のコンクールから、指揮は若林義人音楽監督から日景貴文コーチにバトンタッチされています。本音を言えば、ホールで日景先生の指揮を拝見したかったです。大学の部の審査結果発表・表彰式は、19:30 ~ 19:45に行われるようです。その時は、母校の関西学院大学同窓会滋賀支部の総会と懇親会が開催されています。うまくいけば、スマホでチラリと結果を確認することができるかもしれまん。
◾️これまでの全国大会での成績ですが、2枚目の画像です。龍谷大学吹奏楽部は、2017・18年には関西大会から近畿大学が全国に進みました。代表は関西代表は1校のみ、2023年から代表は2校になりました。2年の空白がありますが、その後はずっと金賞が続いています。本当にすごいことだと思います。お昼頃、指揮をされる日景コーチに、お邪魔になるのかもしれませんが、応援のメッセージを送ってみました。すると「ありがとうございます!しっかり学生たちと良い演奏をしてまいります」というお返事をいただけました。
◾️画像は、全日本吹奏楽連携の公式サイトからお借りしています。