コンクールの前後で(3)~ウポポイ、大沼公園、函館山~

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▪️全日本吹奏楽コンクール・大学の部で、龍谷大学吹奏楽部の演奏を聴かせていただいた翌日、27日から28日のことについても、少し記録に残しておこうと思います。前日は、吹奏楽部金賞受賞のレセプションが札幌のすすきのにある居酒屋で開催されました。我が家は龍谷大学吹奏学部OBOGの上道夫妻と一緒に夕食を共にしました。コンクールで龍谷大学吹奏楽部が金賞を受賞したことをお祝いするためですが、加えて、1週間前には、上道さんと2人で「びわ100」に出場し、100kmを完歩し一緒にゴールしたことのお祝いの食事でもありました。北海道ということもあり、上道さんが選んでくださったお店は、すすきのにあるラム肉のシャブシャブのお店でした。美味しくいただきました。そのあとは、上道さんご夫妻と一緒に金賞受賞をお祝いするレセプションの会場に移動。少しだけ顔を出して、金賞受賞をお祝いしました。少しだけというのは、翌日早くホテルを出発しなければならなかったからです。

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▪️翌日は、朝6時30分にはホテルをチェックアウトして地下鉄で札幌駅まで。土地勘がないので、地下鉄を降りてからも少し迷うことになりました。札幌からは次の宿泊地、函館まで鉄道で移動するのですが、その途中2ケ所で下車して、観光をする予定になっていました。まずは、白老で途中下車。白老は、苫小牧と室蘭の間にありますが、アイヌの皆さんが多数お住まいの地域です。ここには、2020年に一般公開された「ウポポイ 国立アイヌ民族博物館、国立民族共生公園」があります。短い時間でしかありませんが、博物館や施設を見学しました。以下は、公式サイトに書かれている「背景・目的」です。

アイヌ文化の振興や普及啓発は、伝承者の減少、アイヌ語や伝統工芸など存立の危機にある分野の存在、また、未だなおアイヌの歴史や文化等について十分な理解が得られていないといった課題に直面しています。このような背景を踏まえ、平成21年7月、「アイヌ政策のあり方に関する有識者懇談会」(座長:内閣官房長官)において、民族共生象徴空間はアイヌの人々が先住民族であるとの認識に基づきアイヌ政策の「扇の要」として提言されました。 ウポポイ(民族共生象徴空間)は、アイヌ文化を振興するための空間や施設であるだけではなく、我が国の貴重な文化でありながら存立の危機にあるアイヌ文化の復興・創造等の拠点として、また、将来に向けて先住民族の尊厳を尊重し、差別のない多様で豊かな文化を持つ活力ある社会を築いていくための象徴として位置づけられています。

▪️博物館の展示の解説に特徴がありました。アイヌの皆さんが自らの文化を説明するような文体になっていたからです。普通の博物館の展示解説は、第三者的に、客観的な文体を用いることが通常だと思うのですが、こちらの博物館は当事者であるアイヌの皆さん自身が説明する文体になっていました。また、こちらの施設は「民族共生象徴空間」となっていることから、アイヌ語が第一の公用語になっています。あまり時間がなく駆け足の観覧と見学でしたが、一日かけて学び体験する場所かなと思いました。

▪️残念だったことは、通常、博物館で発行されている図録の類がなかったことです。展示では十分に説明できないことについても図録で解説していただきたかったです。もうひとつ、気になったことがあります。アイヌは北海道の開拓の歴史の中で差別され抑圧されてきたわけですが、そのことが展示や施設からはしっかりと伝わってこないように思いました。確かに、一連の同化政策については展示の中で解説されていはましたが…。時間が無く、足早に展示を観覧したり、施設をめぐったからかもしれませんが、そのような負の歴史についてのもう少ししっかりとした説明があるべきではないかと思いました。共生という心地良い言葉のオブラートに包み込んで負の歴史を不可視化していくようなことに、もし結果としてであれ、この施設がそのように機能してしまうのであれば、それは困ったことだなと思います。その辺りのことに関して、博物館の研究者の皆さんはどのようにお考えなのかについても、知りたいと思いました。

▪️前日は、札幌でした。訪問した施設では、五稜星に象徴される北海道の開拓の歴史を知ることができましたが、そのような歴史の中ではアイヌの存在はよくみえませんでした。当時のアイヌは北海道以外の地域、現在のロシア領にも暮らしておられました。北海道に移住させられたことは博物館の展示から理解できました。近代国民国家の論理に翻弄させられてきたわけです。そのような事実を、当時の国際情勢、ロシアとの緊張関係という文脈に重ね合わせて理解する必要がないでしょうか。また、北海道の開拓の歴史には、アメリカが深く関与しています。そのアメリカの開拓の進め方、それは先住民政策とセットになっているわけです。そのことと、アイヌへの差別や抑圧とはどうつながっているのか、もう少し詳しい説明がどこかに(図録も含めて)あって欲しかったなと思いました。例えば、クラーク博士は、自国の先住民政策とアイヌの存在をどのように考えていたのでしょうか。はたして、そのような研究はあるのでしょうかね。

▪️引用した「背景・目的」の最後には、「我が国の貴重な文化でありながら存立の危機にあるアイヌ文化の復興・創造等の拠点として、また、将来に向けて先住民族の尊厳を尊重し、差別のない多様で豊かな文化を持つ活力ある社会を築いていくための象徴として」と書かれています。であれば、「なぜ存立の危機にあるのか」、「なぜ尊厳を尊重せず踏み躙ってきたのか」、「なぜ差別が行われてきたのか」、そのあたりのことを積極的に説明するべきではないかと思うわけです。話は少し変わりますが、帰宅後、 ETV特集「二風谷に生まれて 〜アイヌ 家族100年の物語〜」を視聴しました。このような内容です。

北海道平取町の二風谷には、アイヌ民族にルーツを持つ人が多く暮らす。貝澤太一さんもその一人。祖父と父は「二風谷ダム裁判」を提起し、初めてアイヌを先住民族と認める判決を勝ち取った。あれから30年近くがたち、何が変わり、何が変わっていないのか。太一さんは祖父と父が歩んできた過去を振り返ろうとしている。太一さんの視点から3代にわたる家族とアイヌの歴史をひも解き、日本社会とアイヌ民族の現在と未来を見つめる。

▪️この番組の中では、貝澤太一さんのお祖父様とお父様が、先住民としての土地や河川に対する権利を取り戻すために、裁判闘争をされてきたことが説明されました。そのような決然と権力と闘ってこられた上の世代に対して、太一さんは、自分自身のアイデンティティというか、自分の生き方に迷いがあるというのです。優しい方です。番組の最後の方では、もっと若い世代の捉え方や、外から二風谷に入ってこられたアイヌではないシサム(和人)の男性の経験も知ることができました。世代の間での違い。背景は簡単ではありません。少し脱線しました。この番組で紹介されたアイヌの皆さんの現在についても、ウポポイでは紹介していただきたいなと思いました。

20241029ohnuma.jpg▪️白老からは昼過ぎの特急に乗り、今度は、大沼に移動しました。最終的には、函館まで行くのですが、その途中で紅葉を楽しみたいというふうに考えていたからです。関西から新千歳空港に離陸した時は、周りの木々は美しく紅葉していて、そのことに感動しました。地元の人のお話では、今年の夏はものすごく暑かったので紅葉が遅れているということでしたが、札幌の紅葉、特に北海道大学の紅葉を楽しむことできました。大沼駅が近づくと電車からは活火山の北海道駒ヶ岳が見えてきます。この北海道駒ヶ岳の火山活動によって周囲には3つの湖沼が生まれました。かなりの広さになるのですが、1時間だけ途中下車をして湖沼の湖岸から紅葉を眺めて楽しむ予定でした。

▪️ところが、この辺りはまだ紅葉が進んでいませんでした。札幌からは鉄道に乗れば300kmほど離れています。大阪から広島あたりまでの距離になります。北海道はかなり広いので、なかなか土地に対する感覚が掴めませんね。「北海道内」とはいっても、本州の「県内」とは全く違っています。ある方から、北海道の場合、支庁が本州の県内にあたると考えた方が良いと教えていただきました。そうなんです、大沼は相当南の方に離れているのです。残念ですが、仕方がありません。再び特急に乗って函館まで移動しました。函館に到着した時は、もうすでに晩になっていました。
北海道はなぜ大きい? かつては札幌県が存在していたって本当?

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▪️函館に到着した後、当初は、函館山から夜景を眺める予定でしたが、ものすごくたくさんの観光客が押し寄せるということもわかり、翌朝、タクシーを使って函館山に行くことにしました。夜景ではなく「地形」を楽しむことにしたのです。トップの写真は、その函館山から撮ったものです。正解でした。朝日の中で素晴らし風景を楽しむことができました。心に強く残る印象深い風景でした。乗車したタクシーの運転手さんも、丁寧に周りの風景を説明してくださいました。なぜ青函トンネルは下北半島ではなくて津軽半島の方なのかとか、あのあたりが歌手の北島三郎さんの故郷だとか、函館山は戦前は要塞だったので一般の市民は立ち入ることができなかったとか…。とても親切な運転手さんでした。運転手さんによれば、夏場は山頂にガスがかかっていることがあり、このような風景はなかなか見ることができないとのお話でした。ラッキーでした。

▪️せっかく北海道に来たのだからと、美味しいものもいただきました。もちろん、私は血糖値を気にしなければならないので、朝・昼の外食については苦労しました。朝・昼の外食は糖質が多いのです。写真の蟹はタンパク質ですから問題ありません。少し贅沢をしました。問題は糖質です。最終日の朝は「函館朝市」の中にあるお店で、ウニ丼いただきました。といっても小さな丼。小ぶり丼です。さらに、ご飯も少なくと注文しましたが、それでも私には多いわけです。ということで、お店の方には残してしまうことをお許しいただきました。フードロス、あかんやん…です。しかも血糖値は上がっただろうな。また、関西に戻る前に、塩ラーメンもいただきました。函館は塩ラーメン発祥の地なんだとか。でも、これも食べたらあかんやつです。血糖値をあげるやつです。さっぱりしていても、麺は血糖値をあげます。美味しかったけど、同時に、心も痛むな〜。旅行中は朝と昼の食事には、本当に困りました。

▪️函館を訪問したことをfacebookに投稿したところ、函館にお住まいで、函館のコミュニティFMでパーソナリティをされているさとうはるかさんからコメントが届きました。さとうさんは、龍谷大学社会学部の前に勤務していた岩手県立大学総合政策学部の卒業生です。卒業されたのは20数年前かと思います。函館のご出身で、新設の岩手県立大学に入学されてきたのです。さとうさんは私のゼミではありませんでしたが、仲良くしていただいた記憶があります。1学年100人の学生定員でしたから、そのようなつながりが生まれやすいのかな。さとうさんからコメントをいただき、とてもうれしかったです。

▪️今回は、龍谷大学吹奏楽部の皆さんが全日本吹奏楽コンクールに出場されることで、短期間ではありますが、このような個人的な北海道旅行をすることができました。感謝したいと思います。

コンクールの前後で(2)~五稜星のこと~

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20241029sapporo9.jpg▪️25日(土)、「第75回全日本吹奏楽コンクール・大学の部」が開催される当日の午前中、北海道大学に続いて、「サッポロビール博物館」を観覧しました。「日本で最も歴史のあるビール博物館。1876年の北海道開拓事業から受け継がれるサッポロビールの歴史を体感できます」ということを売りにしている博物館です。ビールの博物館については、吹田市にあるアサヒビールミュージアムを数回見学したことがあります。こちらの博物館の場合では、「サッポロビールの歴史」を学ぶとができました。

▪️あとで気がつきましたが、この「サッポロビール博物館」の公式サイトでは、「サッポロビール博物館 3Dバーチャルツアー」を楽しみつつ学習することができるようになっています。ひとつひとつの展示の解説も、少し小さな文字になりますが、パソコンの大画面であれば読むことができます。上に掲載した写真からは、大切な「サッポロビールの歴史」は想像できませんね。ぜひ、バーチャルな展示を通してご覧になってみてください。非常に苦労されて製造技術を発展させてこられたことがわかります。

▪️展示室は、中国そして韓国から団体観光客の皆さんがガイドさんの説明を熱心に聞いておられました。そして、展示を見終わると、試飲のコーナーがあり吸い込まれるように入り、ビールを味わっておられました。しかし、私はその試飲コーナーには入らずに、隣接するレストランで昼食をとることにしました。建物の中に入ると、独特の良い香りがします。ラム肉の焼いた時の香りです。その日の晩は、龍谷大学吹奏楽部のOBOGご夫妻と一緒のラム肉のシャブシャブを楽しむ予定になっていたので、ラム肉以外のものをいただきました。テーブルの上にはジンギスカンの丸い鉄板がおいてあったのですが…。でもビールはいただきました。

▪️ビールのジョッキには赤い星が描かれています。これは、五稜星と呼ばれています。博物館の外にある煙突(今は稼働していない)や、博物館の入り口にもこの五稜星が描かれています。1869年に「北海道開拓使」が設置されました。目的には、北海道を開拓することにあります。その「開拓使」のシンボルマークが北極星をモチーフにしたこの五稜星なのです。この五稜星のマークは、サッポロビールだけでなく、あちこちにある歴史的な建造物に描かれています。

▪️昼食の後は、札幌時計台に移動しました。典型的な札幌観光をしてきたように思います。札幌には何回か来たことがありますが、その時は仕事で来ていて観光はしなかったので、大変有名な時計台ではありますが、今回が初めての訪問になりました。公式サイトにある説明によれば札幌時計台、正式名称は「旧札幌農学校演武場」というそうです。札幌農学校は北海道大学の前身として開校されました。北海道開拓の指導者を育成することが目的です。1876年(明治9年)になります。この時計台(演武場)はクラーク博士の提言により、農学校生徒の兵式訓練や入学式・卒業式などを行う中央講堂として建設されました。この時計台の屋根の下にも五稜星が2つあります。

▪️この時はあまり深く考えていませんでしたが、翌日、白老にある「ウポポイ 国立アイヌ民族博物館、国立民族共生公園」を見学した後には、複雑な気持ちになりました。五稜星をシンボルとする”輝かしい?”開拓の歴史は、アイヌ民族にとっては自分たちの土地が侵略されていく歴史でもあるからです。「北海道は海浜から「所有化」された—明治初年開拓使土地政策とアイヌ民族—」という記事を読みました。瀧澤正さんという方の記事です。高校教師になった後、北海道大学の大学院で博士号を取得された方です。「近代的土地所有制が、それまで土地制度の確立していなかった蝦夷地=北海道において、国家権力によって施行されるプロセスと、その流れの中でアイヌ民族がどんなふうに排除され、あるいはその波の中でも生き残り得たか」をテーマに研究されています。この記事は、その研究成果をもとにしたものです。
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コンクールの前後で(1)~紅葉の北海道~

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20241029moiwayama.jpg▪️札幌で開催された「第75回全日本吹奏楽コンクール・大学の部」、龍谷大学吹奏楽部が金賞を受賞したことに関して投稿しました。昨年までは、部長を務めていたので、課外活動に同行する教員として出張していました。今年からは部長に栗田修治先生が就任されたことから、コンクールで龍谷大学吹奏楽部の演奏を、それも昨年度で監督を退職された若林義人先生の指揮のもとでの演奏を直接聴こうというのであれば、やはり札幌まで行かなければなりません。それは個人的な旅行になります。私1人で北海道まで行くこと、これはなかなか難しく、家族旅行も兼ねて北海道に行くことにしました。

▪️出張でコンクールに同行するときは、本番直前のホール練習(コンクールの場所に近いホールを別にお借りしての練習)にも必ず同行しました。私はただそこにいるだけで、何のお役にも立てなかったわけですが、最後の練習で神経を隅々まで行き届かせて音楽を磨き上げていくそのプロセスを拝見していました。そして、「すごいな…、さすが龍谷大学、さすが若林先生、そして指導の先生方…」と毎回のように思っていました。ただ、今年は、私費による個人的な家族旅行も兼ねていましたし、練習を見学させていただくわけにもいかないので、コンクールの前後でひさしぶりの北海道を楽しませていただきました。

▪️北海道には、コンクールの前日25日(金)午後に到着しました。朝早くから出かけてもよかったのですが、前期高齢者には早朝に自宅を出発して伊丹空港に行くこと自体が少ししんどいな…ということもあり、昼前の便で北海道に移動しました。窓側の席ではありませんでしたが、少し離れた席から眼下の地形を楽しみました。好きなんです。搭乗した便からは、琵琶湖大橋を確認しました。少しずつ湖東上空を北陸地方に飛行していました。この前の土日に「びわ100」(びわ湖チャリティ−100km歩行大会)の時に歩いたコースの上空を飛んだことになります。

▪️そうやって、時々、窓の外から見える地形を楽しんでいると、1時間50分ほどで新千歳空港に到着しました。空港の周りは、すっかり木々の葉が紅葉していました。普段見慣れた関西の風景とは全く違っています。空港からは、コンクールが開催される札幌までレンタカーを借りて移動しました。1人だと鉄道での移動になりますが、家族の希望に応えて車まで移動し、まずは札幌郊外にあたる「さっぽろ羊ヶ丘展望台」へ。この日は雲ひとつない青空で、札幌の街もとてもよく眺めることができました。定番の観光地ですが、多くの観光客の皆さんと同じように、私もクラーク博士と同じ格好をして、遠くを指差したポーズで一緒に写真に写りました。まあ、恥ずかしい写真なのでアップしていませんが。

▪️ところで、クラーク博士の像は、以前、北海道大学に出張際、キャンパス内で拝見していました。ここにもクラーク博士の像が。よくわかっていなかったのですが、「さっぽろ羊ヶ丘展望台」の公式サイトの中に、以下のような説明がありました。あまりに北大キャンパスにたくさんの観光客がやってくるものですから、大学側は制限を加えたのでした。早い時期から、すでにオーバーツーリズムの問題が発生していたのですね。ただ、すでに札幌観光のシンボルのような存在になっていたことから、新しい像の制作を依頼し、1976年4月16日、北大開基100年およびアメリカ合衆国の建国200年祭を記念し、ウィリアム・スミス・クラーク博士像『丘の上のクラーク』除幕式が執り行われたのだそうです。

▪️「さっぽろ羊ヶ丘展望台」からの風景を楽しんでいると、少しずつ陽が傾いてきました。北海道は関西から見れば北と同時に東にも位置しているので、日没も早いのです。ということで、レンタカーを走らせました。次の目的地は、「もいわ山展望台」です。こちらからは、札幌の街の夜景が美しく見えるとのことで、とても有名な観光地になっています。中腹の駐車場まではレンタカーで。そこからはロープーウェイで山頂まで移動しました。山頂には、すでにたくさんの方達が集まってこられていました。しかも、観光客は暗くなるに従い増えてきました。日本人の観光客おられましたが、私の印象では中国からの観光客の皆さんが大勢おられたように感じました。美しい夜景を楽しみつつも、山頂が人でいっぱいになってきたので、暗くなった時点で早めに下山することにしました。京都もそうですが、北海道では、オーバーツーリズムが問題になっているようです。もちろん、そのオーバーツーリズムに自分自身も加担しているわけですが…。

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20241029hokudai3.jpg▪️北海道の2日目。翌日も家族の希望を大切にして観光しました。コンクールは午後からだったので、午前中いっぱいレンタカーを使って移動しながら観光をすることにしました。午前中は、北海道大学に行きました。日曜日ということもあってか、学生さんらしき方たちはあまり見かけませんでした。ちょうど「第13回北大金葉祭」というイベントが始まった日でした。この「金葉」からもわかるように、毎年10月ごろのいちょうがきれいな時期に開催されるお祭りです。大学祭は、これとは別に、もっと大々的に6月に開催されているようです。

▪️「北大金葉祭」は、北大のキャンパス内にある銀杏並木の通りだけで開催されていました。大変美しいイチョウの紅葉に見惚れてしまいました。ものすごくたくさんの観光客が並木道を埋め尽くしていました。そのサイドには、学生さんたちが飲食屋台も出店されている他にも、たくさんの企画が準備されていました。夜にはライトアップも行われるようです。大学の地域開放、地域と大学とのつながり、とても大切なことです。土日の週末、授業のない時に、こうやって観光客を迎え入れること、ひとつにはキャンパスが大変広く、多くの観光客を受け入れるだけのキャパシティがあるからでしょうが、大学の社会的評価の向上にもなっているのだと思います。正門を入ってすぐ左手には、明るいガラス張りの建物があります。大学のインフォメーションセンター「エルムの森」です。こちらでは、学内のイベント情報をはじめ、構内散策の案内をされています。北大の学生さんもスタッフとして観光客を歓迎されています。そういえば、北大には、観光学高等研究センターが設置されています。国立では、初めての観光分野の研究機関なのだそうです。北海道大学は観光客や市民にキャンパスを開放されていますが、加えて、このような研究機関が設置されていることとは、北大の特徴なのかもしれません。

【関連投稿】コンクールの前後で(2)〜五稜星のこと〜コンクールの前後で(3) リンク先は、まだ投稿していません。投稿次第、つながるようにします。

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