琵琶湖八珍と滋賀の地酒・純米吟醸「北船路」


■滋賀県民にとって地元のテレビ局は、BBCになります。「British Broadcasting Corporation」=「英国放送協会」ではなくて、「Biwako Broadcasting Co., Ltd.」=「びわ湖放送」です。この「ぴわ湖放送」の放送の中に短い番組があります。「あってくれてありがとう!」と言いたい小さな滋賀の企業やお店を応援する番組です。その中に、時々、寄せていただく「からっ風」が登場していました。琵琶湖八珍と呼ばれる琵琶湖の湖魚の料理が提供されています。この放送には登場しませんが、私のゼミの卒業生たちがプロデュースした純米吟醸「北船路」(平井商店・大津市)も飲むことができます。

■以前の投稿もご覧いただければと思います。「ビワマスと北船路」

■琵琶湖八珍とは、琵琶湖で漁獲されるビワマス、アユ、ス、ホンモロコ、ゴロブナ、ジエビ、リ、サザの8種類のことです。太文字アンダーラインのついたところを読んでみてください。「ビワコハホンニスゴイ」=「琵琶湖はほんに凄い」になります。

「全国棚田(千枚田)サミット」高島市実行委員会・第3回準備会

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■昨晩は、再来年に高島市で開催される「全国棚田(千枚田)サミット」高島市実行委員会の第3回目の準備会が、高島市役所で開催されました。私もアドバイザーとして参加させていただきました。会の前半は、実行委員会や運営委員会といった組織体制に関して様々な説明が事務局から行われ了承されました。また、滋賀県の職員の方も出席されており、今年度に成立した棚田振興法の説明が行われました。

■会の後半ですが、それまでの少し堅い雰囲気の会議とは打って変わって楽しい雰囲気のなかで、参加者の皆さんとフリートークを行いました。事前に、市役所の方に、第1回、第2回の準備会で出た課題、地域資源、取り組み等を示した地図を用意していただくようにお願いをしていました。その地図を前に、2グループにわかれてフリートークを行ったのです。こういう形で、これまでの議論の中身を「見える化」すると、関心も高まるし、話も弾みます。

■高島市は、平成の大合併により、新旭町、マキノ町、今津町、朽木村、安曇川町、高島町が合併してできた自治体です。市の面積も滋賀県では二番目に広い自治体です。全市から人があつまると、必ずしもお互いに顔見知りというわけではないのです。しかし、地図を前に話を始めると、私のいたグループでは、前回の準備会で話題になった炭焼きの話、そしてそれに加えて薪の話で盛り上がることになりました。高島市内で炭焼きを復活させようと取り組みをされている団体が複数あっても、人のつながりがなければ、お互いにその存在に気がつくことはありません。知り合いになれば、お互いにいろいろ協力しあえることがあるのに、もったいない。集落やそれぞれの団体に閉じた形で活動をするよりも、もっとオープンにしたほうが、相互に補い合うような連携のネットワークが生まれる可能性が高まります。この準備会は、そのようなことに気がついていただく集まりになりました。

■もちろん、炭や薪は、自分自身で使ってもよいのですが、小さなビジネスにしていくためには、買ってもらわねばなりません。買って使ってもらわなければお金も生まれません。ただし、小さなビジネスは、赤字にはならないけれど、大儲けもできない、そこそこ利益があがって、活動自体が楽しい、知り合いができて楽しい、やりがいがある、充実感がある…そのような活動である必要があります。市内の商工業の現場で、あえて地元の炭や薪を使っていただくことで、何か付加価値のついた商品や製品を生み出すことができるかもしれません。地域の壁、団体間の壁、業種間の壁、セクターの壁を超えるような関係が、これから開催される予定の実行委員会で生まれれば良いなと思っています。お金が生まれることは大切なことですが、加えて大切なことは、「楽しさ」「面白さ」さらには「共感」かなと思っています。棚田サミットを契機に、地域の中にそのような動きが生まれてくると、素敵だなと思っています。その結果として、地域の中で、資源やお金が循環するようになって欲しいなと思います。

■以前、高島市の中山間地域では、炭焼きや薪づくりが、生活や生業の一部でした。冬の農閑期の仕事でした。昨晩、お聞きしたことですが、昔は、自分の持っている山に炭焼き窯を作り、周りの樹を切って炭焼きをしていたそうです。炭の材料になる樹がなくなったら、次の場所に移動します。もちろん移動は自分の山の範囲です。今まで使っていた窯は、放棄されます。新しいところに移動して、新しい窯を作ります。そうやって20年ほど移動していると、最初の窯の場所に戻ってきます。すると、そこにはまた炭焼きにちょうど良い太さに樹が成長しているのです。かつての窯は朽ち果てていますが、窯の後だともう一度窯を作ることは容易なのだそうです。こうやって、自分の山をローテーションで使いながら、炭を生産して自家消費とともに出荷されていたのです。

■「こんな炭焼き作業を、現代社会でできるわけがない…」と思われるでしょう。確かに、昔のようにはできないかもしれません。ただ、このような炭を欲しいという人が、もし地域の中にいれば…話は変わってきます。実際、楽しみで自分たちで炭焼きをしているグループがあります。あえて、炭焼きを経験してみたいという人がこの世の中にはおられるのです。自分で使う炭を自分で作ってみたい。そのことを楽しみたいという人たちに出会うことができれば…。私は、高島市であればそれが可能だと思っています。炭ではなく薪の話になりますが、薪と共に薪ストーブの販売、ストーブの設置と掃除をする小さな商店を経営されている若者がいると聞きました。高島市は、別荘が多い地域です。ニーズがあるのだと思います。面白いところに、目をつけられたなあと思います。別荘以外でも、もしストーブが静かな地域のブームになると、面白い展開になってくるなと思います。

■高島市って、都会とは違った意味で、とても「リッチ」です。素晴らしい。それはお金の力だけで生み出されるものではありません。人のつながりの中で、生み出されてくるものだと思います。まあ、そんなわけでして、昨日のフリートークの場は、そのような「妄想」を掻き立てられる大変刺激的な場でもありました。今後が楽しみだ〜。このような地域に関心のある大学関係者や学生の皆さんはおられませんか。連絡をください。地域の皆さんたちと一緒に、何か素敵なことを生み出せるように思っています。

【追記1】■次回からは、準備委員会ではなく、実行委員会がスタートするわけですが、できれば具体的な作業部会も開催するなどして、皆さんとグループワークなフリーディスカッションをしてみたいなと思っています。その時は、地域や団体の代表や役職者の皆さんだけでなく、女性、若い世代の方達、それから高島市に転入されてきた人たちにもご参加いただきたいと思います。

2019年度版「2回生のゼミ選択について…」

■毎年、後期になると2回生(2回生)の皆さんは、3回生からのゼミが気になることでしょう。2回生の皆さんが「ゼミ選択」されるにあたって、「脇田ゼミってどんなゼミ?」と思うようであれば、このホームページの以下をお読みいただければと思います。少しは参考になるのではないかと思います。

脇田という教員はどのような人物なのか…

■ホームページのタイトルの下に、メニューバーがあります。ここにある「ABOUT-A」「ABOUT-B」をお読みいただければと思います。「ABOUT-A」は、ちょっと固い公式っぽいプロフィールです。「ABOUT-B」は、今や還暦をすぎたおじさん(おじいさん)の個人的な趣味等について書いてあります。脇田がどんな人物なのか、お読みいただければ少しは参考になるかもしれません。また、ホームページ内にあるブログの記事も参考にしていただけれはと思います(Categories(カテゴリー)から記事を選ぶこともできます)。

どのようなことが専門の教員なのか…

■少し面倒かもしれませんが、「研究」もお読みいただければと思います。また、もし気が向けば、業績のリストのなかに掲載されている論文や書籍を、図書館で検索してパラパラと中身を斜め読みしていただければと思います(私としては、じっくり読んでいただきたいとは思っていますが…(^^;)。

■授業としては、「地域社会論」「地域再生の社会学」を担当しています。概要やねらいについては、シラバスをご覧ください。社会学部の社会共生実習「大津エンパワねっと」も長年担当しています。

■自分の専門性を活かして、地域社会の課題解決に貢献するため、滋賀県や大津市を中心に様々な社会的活動に取り組んでいます。詳しくは、「ABOUT-A」の「社会的活動」をご覧ください。

どのようなゼミなのか…

■ゼミ運営や指導の進めたか・考え方については、「ゼミナール」をご覧ください。「私のゼミについてのおもい…」「ゼミの進め方」「ゼミの最終目標」「研究テーマやフィールドの選択」「ゼミの選択にあたって」「ゼミの行事」「『北船路米づくり研究会』の活動」といった事について説明しています。

どのような研究ができるのか…

■脇田ゼミの過去の卒業論文のタイトルをご覧いただけます。「卒業論文」のページです。

■卒業生たちの卒論を振り返ってみると、「地域」・「環境」・「伝統芸能」・「過疎」・「食」・「農業」・「農村」・「グリーンツーリズム」・「高齢者」・「子ども」・「障害者」・「コミュニティビジネス」・「町並み保全」・「まちづくり」・「地域再生/活性化」・「商店街」…といったテーマが中心になっています。すべて学生個人が選択したテーマです。先輩達が取り組んできたようテーマと類似したものでもまったく構いません。また、これまでにないような斬新なテーマでももちろん構いません。自らのフィールドワークにもとづく実証的な事例研究(ケーススタディ)により、卒業論文を執筆していただければと思います。フィールドワークの進め方についは、個人面談で丁寧に指導します。

■龍谷大学社会学部社会学科では、毎年度、「優秀卒業論文集」を出しています。それぞれのゼミから1〜2名の卒業論文が、優秀論文として掲載されています。この論文集を読む事も、ゼミ選択のさいのヒントになろうかと思います。

研究室を訪れて話しを聞きたい…

■もちろん歓迎します。ただし、会議等もたくさんあり、研究室にいつもいるわけではありません。あらかじめ、メールでアポをとっていただけると嬉しいです。wakit##@##soc.ryukoku.ac.jp (左のメールアドレスから##を除いてください)まで、ご連絡をくださればと思います。オフィスアワー(学生からの質問や相談に応じるために、教員が必ず研究室にいる時間帯)を利用していただいてもけっこうです。

■最後に、適当に、雰囲気だけでゼミを選択することは良くありません。それぞれの教員には、得意とする分野があります。自分は何を研究したいのか、その研究するためにはどの教員に指導してもらうのが良いのか、しっかり考えて欲しいと思います。大学生活の残りの2年間、有意義に過ごすためには絶対に必要なことです。

第30回地球研地域連携セミナー(滋賀) 『楽しさ』がつなぐ森里川湖 ~身近な環境 守る楽しみ つながる喜び~

■以下のイベントで、滋賀県琵琶湖環境科学研究センターの佐藤祐一さんと一緒に進行役(モデレーター)を務めます。
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金賞記念ケーキ

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■龍谷大学吹奏楽部 全日本吹奏楽コンクール 金賞受賞を記念し、龍谷大学生協が生協食堂で発売中。11/25-29「龍谷大学吹奏楽部㊗️金賞 りんごとキャラメル特別ケーキ」❣️なぜリンゴかというと、全日本吹奏楽コンクールが開催された場所が青森市だからです。

「リエンツィ序曲」


Wagner: Rienzi-Ouvertüre ∙ hr-Sinfonieorchester ∙ Paavo Järvi
パーヴォ・ヤルヴィ フランクフルト放送交響楽団


Richard Wagner - Ouverture to Rienzi (Giuseppe Sinopoli & Sächsische Staatskapelle Dresden)
ジュゼッペ・シノーポリ ドレスデン・シュターツカペレ


Wagner Rienzi Overture Klaus Tennstedt London Philharmonic
クラウス・テンシュテット  ロンドン・フィルハーモニー管弦楽団

■龍谷大学吹奏楽部の次の第46回定期演奏会では、ワーグナーの「リエンツィ序曲」が演奏されます。もちろん、オーケストラの曲を吹奏楽に編曲して演奏します。この「リエンツィ序曲」、実は私自身は演奏したことがあります。3回生の時の関西学院交響楽団「第57回定期演奏会」でした。40年近く前のことです。懐かしいです。学生なりにですが、この曲を勉強しました。といっても、自分の楽器、パートを演奏するために…です。曲、全体をきちんと理解することはできていなかったと思います。私が学生時代は、今のように簡単にYouTube等でいろんなオケの曲を聴くことはできませんでした。基本はLPレコードです。当時の学生からすると、そう簡単には買えない価格でした。FM放送から録音したり(エアチェックと言ったかな…)、あるいはレコードからテープにダビングしたりとか、様々な方法を駆使?!して聞きました。1人で聴くこともありましたが、よく四畳半の学生下宿に集まって電気炬燵に足を入れて、酒を飲みながらみんなで一緒に聴く…なんてこともやっていました。懐かしいです。おそらく、もう、今の学生の皆さんはそういうことはしないのではないかと思います。

■話を元に戻しましょう。まあ、そのようなこともあり、今回は余計に楽しみにしているわけです。自宅の書架の中から、40年前、学生だった頃に勉強していた「リエンツィ序曲」のスコアを取り出しました。もちろん、黄色く変色しています。YouTubeでいくつか「リエンツィ序曲」を聞いてみました。指揮者は、パーヴォ・ヤルヴィ、ジュゼッペ・シノーポリ、クラウス・テンシュテットの3人。録音の状況もそれぞれで違いますが、一番気に入ったのはジュゼッペ・シノーポリが指揮をしたドレスデン国立歌劇場管弦楽団の演奏でした。好き嫌いがはっきり分かれるかもしれませんね。YouTube以外ですと、ネットからダウンロードしたジェームス・レヴァィン指揮・メトロポリタン歌劇場管弦楽団も聞きました。どれも素敵ですが、気に入ったのは、まずはシノーポリ、そしてテンシュテットかな。こんなことが簡単にできる時代になりました。

吹奏楽部とスイーツ


■今年の10月に青森市で開催された「全日本吹奏楽コンクール(大学・一般)」で、龍谷大学吹奏楽部が金賞を受賞したことを記念して、龍谷大学生活協同組合が美味しいリンゴを使ったツイーツを提供してくださることになりました。生協の皆さん、ありがとうございます。写真のモデルは、フルートとトロンボーの部員の方かな。

①11月25日(月)〜29日(金)『りんごとキャラメル特別ケーキ』深草22号館食堂・大宮食堂・瀬田青志館食堂
②12月2日(月)〜6日(金)13:00〜『ワップルコーンソフト』深草4号館地下1階 Meal Cafe・瀬田青志館食堂

孫の七五三

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■2017年の春に生まれた孫娘は、満年齢は来年の春に3歳になりますが、数え年で3歳ということで、先週の土曜日、七五三参りを行いました。「もう七五三なのか…」と時間の経過に驚きながら、孫の成長を喜んでいます。今は、近くの保育園に通っていますが、いろんなことができるようになりました。

■まずは、写真館にいって撮影を行いました。洋服と着物に着替えて、たくさんの写真を撮りました。孫の母親が3歳の時も、写真館で撮影を行いましたが、その当時とはまったく異なっています。最近は、結婚式の前に「前撮り」をしますが、それと同じような感じでしょうか。いろいろ動きや表情の変化の中で、次々と写真を撮っていかれました。高級デジタル一眼レフですから、見たママを撮ることができます。ジジバカ丸出しですが、素敵な写真がたくさん撮れました。さすがプロのお仕事ですね(残念ながら、孫の写真を公開することはできませんが)。撮影した後は、孫が住む近くのお宮さんへお参りに行きました。孫は、お父さん(義理の息子)と一緒にですが、きちんと作法通りに神様に榊を捧げることもできました。次の「七五三」は6歳の秋になります。4年後はまだ先のようですが、すぐにやってくるでしょうね。

ひさしぶりに、秋山東一さんにお会いしました!!

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■先日の投稿「aki’s Märklin & MECCANO」の続きになります。一昨日、午前中から昼過ぎにかけて、孫娘の七五三の宮参が奈良でありました。このことは、また別途、投稿しようと思います。七五三の後は、近鉄に奈良線に乗って大阪の布施駅まで移動しました。そこから徒歩で、建築家である秋山東一さんのイベント「aki’s Märklin & MECCANO」が開催されている会場、木村工務店さんに伺いました。秋山さんのご友人の工務店さんです。最寄り駅は東大阪市の布施ですが、住所は大阪市の生野区になります。大変申し訳なかったのですが、私が到着した時は、ちょうど秋山さんのご講演が終わろうとしている時でした。

■木村工務店さんは、大阪市生野区で開業された3代目。こちらの工務店の作業場が会場でした。戦前に建てられた建物を手を入れて使っているとのこと。ここは、作業場であると同時に、時にはいろんな方達が交流する場にもなっているのですね。なかなか素敵です。ここに、大きなテーブルを設置して、その上に模型のレールを配置しています。普通、鉄道模型というとHOゲージ(レール幅16.5mm)やNゲージ(レール幅9mm)が頭に浮かんできますが、秋山さんのコレクションはOゲージ(32mm)になります。このサイズを鉄道を走らせよとすると、普通の住宅ではかなり難しい…。ということで、秋山さんも、ご自宅以外の広い場所で、何度かこれらの模型を走らせるイベントを開催されてきました。

■写真に写っている黄色い機関車、これはアメリカ大陸を横断する鉄道「ユニオン・パシフィック鉄道」の機関車です。電気ではなく、エンジンで走る機関車です。ディーゼルエンジンで走っていました。じつは、秋山さんのこの鉄道模型のことがずっと気になっていました。私は、小学生の頃、鉄道模型に憧れていました。もちろんHOゲージです。鉄道模型は”King of hobby”と呼ばれるように大人の遊びです。お金がかかります。当然、子どもであった私にはそのようなお金はありません。町の模型屋でHOゲージの台車だけ買ってきて、後は模型のバルサ材や厚紙でボディを作り、秋山さんのOゲージのように黄色く色を塗りました。まだ、「ユニオン・パシフィック鉄道」のことはちゃんとわかっていなかったと思います。ただ、アメリカのディーゼル機関車ということだけで憧れていました。1969年、小学校5年生の時のことです。私は、福岡県の福岡市、博多駅の近くに住んでいました。1969年はアメリカが初めて月面着陸をした年でした。その時の宇宙飛行士アームストロング船長のことを覚えています。翌年は、大阪で万国博覧会「EXPO’70」が開催され、アメリカ館の展示の人気は前年の宇宙飛行士たちが持ち帰った「月の石」でした。もう50年前のことになります。

■秋山さんは、たくさんのお客さんの間を飛び回りながらも、私とも時間をとっていろいろお話ししてくださいました。懐かしかったです。以前、「 Japan Earth Divers Institute」というブログ仲間のグループを作って、時々、東京の町の地形や歴史を楽しむウォーキングをしていました。当時、中沢新一さんの『アースダイバー』が大変話題になっていたことから、自分たちのウォーキングを「アースダイビング」といって楽しんでいました。懐かしいです。その時のことは、秋山さんのブログの以下のリストからご覧いただけます。もちろん、このリストの全てアースダイビングに参加できているわけではありませんが、関西から何度か参加することができました。現在は塩漬けになっている旧ブログ Blog版「環境社会学/地域社会論 琵琶湖畔発」で、私自身も細かく報告しています。

Blog版「環境社会学/地域社会論 琵琶湖畔発」 - 第五回アースダイビング-善福寺川と阿佐ヶ谷住宅地の50年を探る。- (その1)
Blog版「環境社会学/地域社会論 琵琶湖畔発」 - 第五回アースダイビング-善福寺川と阿佐ヶ谷住宅地の50年を探る。- (その2)
Blog版「環境社会学/地域社会論 琵琶湖畔発」 - 第五回アースダイビング-善福寺川と阿佐ヶ谷住宅地の50年を探る。- (その3)

■会場では、この日に出会った方ともお話をさせていただきました。大阪で設計事務所を経営されている方とは、日本でもダーチャのような「セカンドハウスができるのではないか…」というお話で盛り上がりました。ダーチャとは、現在のロシアがソビエト連邦だった時代に政府が国民に与えられた郊外の菜園付きの小さな別荘です。なかには立派なダーチャもあるようですが、一般には、小さな小屋のようなイメージです。ソ連末期、経済的に疲弊している時、国民が自給自足でなんとか生きていくための大切な手段になったといいます。それはともかく、なぜ日本でダーチャなのか…ということなのですが。

■バブル経済の時代、大阪の郊外に無理をして開発された住宅地があります。そういうところは、交通も不便で、公共交通機関もきちんとあまりきちんとしていないことから、車がないと大変不便な土地です。ただし、距離的には大阪に近いわけです。現在は、都心に人気があり、こういう土地は不動産価格が相当低下しているらしいのです。であれば、このような住宅地を「ダーチャ」として利用できるのではないか。普段は都心で暮らし、週末は郊外の「ダーチャ」で暮らす、そういうライフスタイルが可能ではないか…というのがその時の盛り上がった話の中身でした。鉄道以外にも、いろいろ楽しい時間を過ごすことができました。

【追記】■1969年、福岡市に暮らしていた時のことを書きました。少し気になって調べてみました。模型の名前、頭にあるの「模型の王様」という店名でしたが、どうも違うようです。「王様もけい」だったようです。いろいろ調べてみると、あるブログの記事で、「王様もけい」は、博多駅から呉服町のほうに走っていた西鉄に路面電車が店の前を走っていたようです。間違いありません。現在は、息子さんたちが、お店を引継ぎ「新王様もけい」として鉄道模型のお店を営業されているようです。小学校5年生の私が、「アメリンカのディーゼルカーを作りたい」と相談したのは、息子さんたちのお父様だったわけですね。

小さな同窓会

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■先日、大津駅前のいつもの居酒屋「利やん」で、小さな同窓会が開かれました。私の大学院の授業に受けにきておられた社会人院生の皆さんとの同窓会です。写真のお2人が私の授業を受けにこられていたのは、もう14年ほど前のことになりますかね。NPOの理事長をされていた藤野さんが私の授業を履修しておられました。ある自治体の職員だった藤井さんも履修はされていませんが(いわゆるモグリ)で出席されていました。あの頃は、このお2人以外にも、いろんな社会人院生の方達が出入りしていてとても賑やかでした。この日は、藤井さんが龍谷大学瀬田キャンパスに用事があり、昔の懐かしい仲間と会いたいとのご要望もあり、急遽、同窓会(という名の飲み会)を開催することになりました。急遽…ということで、多くの皆さんのご都合がつきませんでした。残念です。とはいえ、この日、お二人の最近のお仕事やご活躍の様子を聞かせてもらいました。楽しい時間をありがとうございました。

【関連エントリー】■2年まえの同窓会の様子です。この時は、少し参加者は多めでした。
社会人院生だった皆さんとの同窓会

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