炭焼きのこと

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■指導している大学院生とともに、高島市朽木で炭焼きと村づくりに関して、少しずつお話しをお聞きしています。昨日の午前中は朽木の椋川(おっきん椋川交流館)で、是永宙さんからお話を伺いました。ありがとうございました。

■高島市の中山間地域は、高度経済成長期の前半までは、どこの地域でも炭焼きをされていました。いわゆる燃料革命の前までになります。高島市内では、現在確認されているだけで、4つの集落で炭焼きされているか、これから復活させようとされています。いずれの地域も、過疎と高齢化が進行している地域です。かつて炭焼きを生業としてされていたのは、現在の年齢で言えば、80歳代も半ば以上の方達になります。70歳代の方であれば、手伝いはしたけれど、自分が家の中で中心になって炭焼きをしていたわけではありません。ですので、何歳位の方が、いつ頃から炭焼きを復活させようとしたのかにより、微妙に取り組み方や、何のために炭焼きを復活させたのかという理由については違いがあります。

■炭焼きに焦点を当てて聞き取りをしていますが、その背景となる村の暮らしや社会経済の背景、また外部からやっくるIターンの人びとの存在、村づくりの活動、さらには最近の流行りの言葉でいえば、関係人口の拡大といったコンテクストの中で炭焼きの活動を位置付けなければなりません。いつか、もう少し詳しくこのブログでも報告できるかもしれません。

「個人モデル」と「社会モデル」/ 星加良司さん(東京大准教授)への時事通信社によるインタビュー

■今朝、時事通信社による、星加良司さん(東京大准教授)へのパラリンピックに潜む「危うさ」全盲の社会学者に聞くというインタビュー記事を読みました。星加さんは、この記事の中で次のよう述べておられます。

放送時間がある程度確保され、一つのスポーツイベントとして、アスリートのパフォーマンスに焦点を当てた正当な報道がされた印象を持っています。ただ、パラリンピックというのは「障害の社会モデル」という考え方を社会に普及させるという観点からは、「危ういコンテンツ」だと私は言い続けてきました。

■では「障害の社会モデル」とはなんでしょうか。「個人モデル」との対比で以下のように説明されています。

障害学の基本テーゼとして、「個人モデル」と「社会モデル」という二つの考え方があります。個人モデルというのは従来の常識的な捉え方のことで、障害者が経験する困難が個人の心身の機能制約から生まれてくると考えます。そこから生じた問題を、個人の努力を中心に、周りのサポートで克服していくという理解の仕方です。私が専門とする障害学はこうした従来の見方を個人モデルとして批判し、社会モデルを提起しました。社会モデルとは、そもそも障害者に困難が生じる原因は心身の制約によるのではなく、社会がマジョリティーの利便性を優先する形で偏って構成された結果、しわ寄せを受けているのがマイノリティー=障害者であるという考え方です。問題の本質を見極めるために、個人の身体に焦点を当てるのではなく、今の社会がどういう組み立てになっているのか、誰にとって生きやすい社会なのかに目を向けるわけです。

■この「社会モデル」のような考え方は、これまでも何人かの方達が主張されてきたことかと思いますが、星加さんからすれば、そのような「社会モデル」と対比される個人モデルの考え方は、「仮に福祉の充実に寄与しても、障害者と非障害者の非対称な関係を維持、固定して再生産してしまうという問題を抱えていますから、やはり転換すべき考え方」ということになります。では、オリンピックとパラリンピックを別々に開催すべきではないと考えておられるのかといえば、そうではありません。「大会そのものの在り方の問題と、それに対する社会の側のまなざしの問題を分けて考える必要がある」というのが星加さんの主張です。パラリンピックのアスリートにとって大会の開催はメリットがあることを認めた上で、社会の側がパラリンピックに余計な意味を付加することをやめたほうが良いと主張されます。これだけ競技性が高まっているのだから、「普遍的な障害理解や共生というテーマとつなげることには無理」があり、それとは別に、「障害を生み出している現状の社会の問題を見詰め、共生というテーマにそれ自体としてきちんと向き合う」ことが必要だと主張されます。

ポストコロナ

20200626jisyuku.png■先月のことになりますが、右のようなツイートをTwitterに投稿しました。Twitterですから、短い文です。普段、私のツイートなど、知り合いの方達以外の方達には、ほとんど読まれることはありません。ところが、右のツイート、私にしては珍しく多くの方達に目にしていただきました。ツイートアナリティクスによれば、「インプレッション」(ユーザーがTwitterでこのツイートを見た回数)は「608,000回」、「エンゲージメント総数」(ユーザーがこのツイートに反応した回数)は「27,947」、ちょっと驚きました。この程度では「バズる」とは言わないと思いますが、個人的には驚きました。

自粛生活。それぞれの気づきが大切なんだろう。知らない自分が見えてくるし、知らないうちに自分を縛っていたものの正体も感じられる。コロナが収束したとしても、その気づきを大切にして、元には戻らず、新しい生活が生まれてほしい。#自粛生活 #コロナ

■あまり深く考えずに、「気づき」を大切にしたいなあという素朴な思いから、心に思い浮かんだことをツイートにして投稿したのですが、一部の皆様には共感していただくことができました。自粛生活で変化した生活の中でも、特にテレワークが人びとの生活を大きく変化させつつあるように思うのです。おそらく、多くの皆さんが思ったことは、「週5日、満員電車に揺られて都心のオフィスに通勤していたのに、テレワークでも十分、大丈夫」ではないでしょうか。あるいは「会議は、オンラインの方がいいわ、無駄がない」とかも。インターネットの通信技術が発達すればするほど、特定の空間にこだわる必要がなくなってくるような気がします。

■大学はどうなるでしょうね。以下は、単なる妄想です。「キャンパスに通わなくても、授業を受けられるよ」ということになると、キャンパスという物理的空間がそれほど必要でなくなってきます。ただ、分野によっては実習という授業がありますが、それはどうやって取り組むことになるのかな…。図書館の書籍も電子化されれば、物理的空間がそれほど必要でなくなります。通学の費用や、一人暮らしの仕送りも必要でなくなります。そうなると、学費も安くしなくてはいけなくなりますね。進学するにあたっての経済的な問題については、今よりもずっとハードルが低くなるかもしれません。もっとも、大学での友人関係や職場の関係は大きく変化するでしょう。いわゆる大学でのキャンパスライフも、今とは楽しみ方が違うか、キャンパスライフという言葉が消えていくと思います。さらに、学生の皆さんの大学に対する帰属意識・アイデンティティ・愛着はなくなっていくのではないでしょうか。母校愛も希薄化するだろうな。さらに進むと、いろんな大学の授業をアラカルト式に受講するという形になってくるのかもしれません。今でも大学コンソーシアムの仕組みを使って、他大学の授業を受講することができているので、加速化するのではないでしょうか。課外活動も不活発になるでしょう。学生が大学に来なくなれば、成り立たなくなるかもしれません。私立大学では、建学の精神を元に入試を行い、教育を行い、学位を出すわけですが……。はたして、どうなるのかなあ。あまり、明るい未来が見えてきません。どうしてだろう…。現在の大学のイメージにこだわりすぎているからかもしれません。

■大学でのことは横に置いておいて、また職場の話題に戻りましょう。テレワークが当たり前になると、鉄道会社は困るでしょう。都心と郊外をつなぐ鉄道はもちろん、出張需要にきたいするJRが建設しているリニアも、オンライン会議があたりまえになれば、需要は期待できなくなります。また、都心でオフィスがいらなくなってくるわけですから、オフィスを賃貸している不動産会社も大変なことになるのかもしれません。ドミノ倒しのように、様々な問題が発生してくるでしょう。飲み屋街は、客が減って経営が難しくなるかもしれません。会社帰りにちょっと一杯という習慣がなくなっていきます。都心回帰と言われますが、都心の高層マンションに暮らすよりも、家賃や物価の安い地方で暮らした方が良いなという人も増えてくるように思います。田園回帰が、より現実化してくる、そのようにも思うわけです。というか、田園回帰は、そうなったら良いなという願望かな。

■組織のあり方も大きく変化するでしょう。知り合いの方は、組織の形、評価や報酬も影響を受けると予想されていました。もっとも、簡単には言えないとおっしゃっておられましたが。情報の共有の徹底、固定費の削減とその還元、組織の流動化(プロジェクトマネジメントへの移行)等をあげておられました。このようなことは経営学の分野では、すでにいろいろ議論されているのではないかと思いますが、実際のところはどうなんでしょうね。もう、本当に、「どうなるんだろう」という疑問ばかりが頭に中にいっぱい浮かんできます。

■父・夫、母・妻が自宅でテレワークをしているという状況を、他の家族はどう捉えるでしょうか。家にいる時間が多くなるわけですが、必ずしも幸せになる家族ばかりではないでしょう。DVの問題等も、頭に浮かんできます。世の中、幸せな家族ばかりではありませんから。夫婦の家事や育児の分担にも影響が出てくるでしょうね。個人的には、テレワークのおかげで生まれてくる時間を、家族や地域社会のために使うようになっていくとよいのですが。そうなって欲しいなあとは個人的には思いますが…。そして、人口減少社会で、税収が低下し、行政サービスも低下していくなかで、地域の課題(自分も含めた私たちの課題)を解決・緩和していくために、なんらかの「共助の仕組み」が必要になってくると思っているのですが、テレワークで生み出された時間をそのような「共助の仕組み」づくりに活用されていくことは可能でしょうか。うーん、よくわかりません。

【追記】■上のような妄想をしていると、「カルビー、無期限テレワーク 単身赴任やめ家族と同居OK」というニュースを読みました。「カルビーは来月以降、オフィスで働くおよそ800人の働き方を原則として、「出社勤務」から「テレワーク」に変更します。これに伴い、業務に支障がないと認められた場合は、単身赴任をやめて家族と同居できるようになるということです。また、通勤の定期代の支給をやめて、出社する場合は交通費を実費で支給します」とのことです。驚きました。おそらく、会社としてもテレワークの方が経営上プラスになると判断されたのではないかと思います。さっそく、このような企業があらわれました。ポストコロナ社会、本当に、どうなっていくのでしょうか。

NHKスペシャル「縮小ニッポンの衝撃 労働力激減 そのとき何が」

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▪️先日放送されたNHKスペシャル「縮小ニッポンの衝撃 労働力激減 そのとき何が」を見て、まさに衝撃を受けました。番組の内容は、以下の通りです。公式サイトからの引用です。

人口減少がもたらす過酷な現実を映し出し、反響を呼んだNスペ「縮小ニッポンの衝撃」の放送から1年半。さらなる衝撃の未来図が見えてきた――労働力不足だ。約30年後には人口1億に迫る日本。生産年齢人口(15-64才)はピーク時と比べ3500万人減少する。その時、誰が社会を支えるのか?鍵の一つが高齢者だ。「一億総活躍」が叫ばれる今、会員数73万人・平均年齢72歳のシルバー人材センターでは派遣労働が年5割のペースで拡大している。宅配、保育補助、調理、送迎、配車などあらゆる分野で戦力となり、フルタイムで働くことも可能に。変貌するシルバーの実態が全国調査で明らかに。もう一つの鍵が外国人だ。東京の中心部で進む大規模開発では外国人が現場を仕切り欠かせぬ存在となっている。しかし、見通しは楽観できない。現在、最大の労働力供給源となっているベトナムでは、台湾、韓国、欧州各国などとの熾烈な争奪戦が起きている。AIやロボットによる代替策は?日本は生き残れるのか?徹底ルポで迫る。

震災発生から6日後に収録されたパペポTV (上岡龍太郎・笑福亭鶴瓶)


■滋賀県で高校の先生をされている知り合いの方が、この動画に関してfacebookに投稿されていました。23年前に起こった阪神淡路大震災のあと、6日後に収録されたテレビ番組です。当時、大変人気のあった「鶴瓶上岡パペポTV」という番組です。笑福亭鶴瓶さんと、今は引退された上岡龍太郎が出演するトーク番組です。1987年4月14日から1998年3月31日まで放送されました。さて、知り合いの高校の先生の投稿には、このようなメッセージが添えられていました。「鶴瓶師匠が言うてること、当時自分が感じたこととほぼイコールです。お時間あるときに、見てください」。

■その先生は、西宮で被災されました。当時は西宮で中学校の先生をされていました。その中学校には多くの方達が避難され、そこで被災者の皆さんに懸命に対応されたようです。さて、鶴瓶さんと上岡さんが語られている内容の細かな点や事実認識については様々な異論があるかもしれませんね。ただし、特に、鶴瓶さんの報道のあり方に対する意見については、共感される方が多いのではないかと思います。知り合いの先生が「鶴瓶師匠が言うてること、当時自分が感じたこととほぼイコールです」というご指摘、被災地と非・被災地との間にある圧倒的な非対称性の問題でしょうか。あるいは、最近、しばしば言われる言葉であれば、「災害ポルノ」(disaster porn)の問題でしょうか。自らも被災者である鶴瓶さんと上岡さんの間にも、若干、そのような非対称性を私は感じてしまいます。(この動画は、YouTubeに2015年にアップして公開されたようです。テレビを直接撮影しているようなので、画質は相当悪いですが、著作権的に問題があるとの指摘があるかもしれません。それでも、有益な動画と判断し、リンクさせていただきました。)

■この動画と関連するネットのインタビュー記事を見つけました。「【熊本地震】「“震災ポルノ”ではなく潜在的課題を報じて」農村社会学者が感じた震災報道の “違和感”」です。インタビューを受けているのは、農村社会学者の徳野貞雄さんです。熊本大名誉教授で、一般社団法人「トクノスクール・農村研究所」の理事長もされています。徳野さんは、熊本地震が「マチ型震災」と「ムラ型震災」の複合型震災であるにも関わらず、マスコミの報道が限定された結果、「マチ型震災」ばかりがクローズアップされている点を指摘されています。目に見える分かりやすい「マチ型震災」に報道が集中し、農山村部の被害状況についてはほとんど報道されていないという指摘です。加えて、以下のような指摘もされています。「震災ポルノ」(=「災害ポルノの問題」)です。

「ムラ型震災」に限ったことではないが、目に見えにくい被害を、もっと多く伝えてほしいと強く願う。例えばトイレ問題。人間、排泄を長い時間我慢することは難しい。特に女性や高齢者は、発災直後、どこで排泄するかという問題に直面した。こうした課題を報じることで、地震の経験が日本全体で共有・蓄積されていく。
目に見えにくい被害に共通するものは「日常生活の解体」だ。これを早期に復旧させるために、報道や研究者はこのテーマにもっと注目してほしい。
今回の熊本地震で特に感じたことだが、テレビや新聞は「心の交流」などと、心温まるエピソードを紹介しすぎだ。もちろん、こうした報道には、人々を勇気付けるという素晴らしい目的がある。しかし、それも度が過ぎると“震災ポルノ”となってしまう。被害のあった建物や橋などの映像も、明らかに多すぎる。何でもバランスが大事。マスコミは“震災ポルノ”ではなく、目に見えにくい潜在化した課題について、しっかり報じるべきだ。

ーー“震災ポルノ”とは?

徳野氏:目に見える感動しやすい部分を、安易に取材して記事化したものを指す。報じたとしても、課題が解決されることはない。

■最近は、この「震災ポルノ」=「災害ポルノ」だけでなく、「貧困ポルノ」や「感動ポルノ」(障がい者の存在がメディアなどによって過剰に感動的に演出され、非障がい者の消費の対象になっている)等、いろんなところでこの「〜ポルノ」という言葉が使われています。ショッキングな言葉だからでしょうか(これらの言葉自体は少しインフレ気味かもしれませんね)。困難な問題に抱える人びとに寄り添うようでありながら、その問題を、外部からのステレオタイプな関心(あるいは好奇心)によって「消費」していることの問題性を、徳野さんは指摘しているわけです。被災地の外部の人の好奇心の入り混じった関心に合わせて、情報が切り取られ、強調され、提供されていくことの結果、「ムラ型震災」が無かったかのように扱われ、目に見えにくい潜在化した課題も伝えられない…ということになっているのです。

■冒頭の「パペポTV」で鶴瓶さんが必死に伝えようとしていることは、「自分たち被災者は災害ポルノとしてマスメディアで消費されている」一方で、現実の本当に困っている問題、徳野さんの指摘で言えば「目に見えにくい潜在化された課題」にはなんら社会的な対応がなされず、被災地とその外部の非・被災地との間に大きな落差が存在している…ということなのだと思います。阪神淡路大震災、東北大震災、熊本地震…。この問題はずっと変わっていないのかもしれません。私も含めて、外部にいる人間は、いつでも、簡単に、この「ポルノ」の罠に絡め取られてしまう危険性を抱えています。

朽木村古屋の坂本家のこと

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■先週の金曜日、ゼミの卒業生である坂本昂弘くん(脇田ゼミ6期生)、そして坂本くんの叔父さまと一緒に呑むことになりました。少しその背景を説明しておきます。昨年の夏、大学の先輩でもある写真家・辻村 耕司さんのご紹介で、朽木古屋(高島市)の「六斎念仏踊り」を拝見することができました。そして、坂本くんと再会し、坂本くんのご一家ともお話しをすることができました。詳しいことは、以下のエントリーをご覧いただきたいのですが、いよいよ坂本家三代の皆さんにお話しを伺うことになりそうです。

朽木古屋「六斎念仏踊り」の復活

■場所は、当然のことながら、大津駅前のいつもの居酒屋「利やん」。酒を楽しみながら、叔父さまから古屋での山村の暮らしや、一家で山を降りてからも、家や家産として山を守るために古屋に通い続けて来たことなど、いろいろお聞かせいただきました。坂本くんも、普段、親戚が集まっても、自分のルーツについて詳しい話しを聞くこともなかったらしく、叔父さまの話しを真剣に聞いていました。

■坂本家の皆さんにお話しを伺う準備として、朽木が高島市に合併される以前の1974年に発行された『朽木村史』と、高島史に合併されてから、2010年に発行された『朽木村史』の2つを入手して朽木のことについて勉強をはじめました。良い仕事ができるように頑張りたいと思います。

琵琶湖の鴨猟と朽木の木地師

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■過去2年間、私の研究室は物置のようになっていました。研究部にいることが多く、研究室の椅子に腰を押し付けて仕事をすることがほとんどありませんでした。ということで、ひさしぶりに、研究室で「断捨離」を断行しつつ、徹底的に整理整頓を進めています。なかなか作業は進みません。というのも、ついつい「発掘」した資料や書籍に目を通してしまうからです。そうしていると、ずいぶん昔に、ある方から頂いた新聞記事を書架から取り出すことになりました。ある方とはどなたなのか…。私も記憶がはっきりしません。

■ひとつは、昭和35年(1960年)12月28日の京都新聞の夕刊です。今は禁猟になっている琵琶湖の「モチ網猟」の記事。記事によれば、この当時は、すでに「モチ網猟」は琵琶湖だけしか許可されていませんでした。しかも、猟銃ブームのあおりを受けて、伝統的なこのモチ網を使った猟もこの時点でかなり衰退していたようです。当時の琵琶湖の漁師の皆さんの服装が興味深いですね。普段は漁師ですが、鴨猟の時は猟師かもしれません(この「「モチ網猟」については、後で補筆します)。

■「モチ網猟」の記事はもちろんなのですが、下の広告の類もとても興味深いなと思いました。「急告」いうものが掲載されています。「急告 トモオちゃん帰ってちょうだい死なないでください みわこ」。なんだか内容は切実ですね。果たして「みわこ」さんの思いが「トモオちゃん」に伝わるのか…心配になりますよね。しかし、昔の新聞には、こういうのがよくありました。そえいえば、ずいぶん昔のことになりますが、駅の改札口の横には、チョークで書く伝言板がありましたよね。スマホとアプリを使って簡単に連絡がとりあえることが当たり前になっている学生の皆さんには理解できないでしょう。

■旅館やホテルの広告も興味深いですね。宿泊と休憩の料金設定は、当時の時代状況、住宅事情を反映しているのです。詳しくは、こちらの記事に詳しいのでご覧いただければと思います。それから「とんかつとテキ 羅生門」。テキとは、ステーキのテキ、ビーフステーキ=ビフテキのテキのことだと思います。この店は、有名だったようです。そして藤井大丸の広告。「インスタントの時代!」。現在とは、インスタントという言葉の使い方が少し違いますよね。まあ、古い新聞の広告を見ているだけで次々と面白い「発見」があります。

■鴨の話しに戻ります。私は、堅田にある「魚清楼」という料亭に2回ほど行ったことがあります。いずれも、3月です。「ホンモロコの炭火焼」と「鴨すき」をいただきました。とても美味しかったわけですが、鴨は琵琶湖産ではありませんでした。琵琶湖を泳いでいる鴨については、現在では、禁猟で食べることができません。1964年(昭和39年)から禁止になっています。中居さんのお話しでは、このお店の鴨は北陸の方から仕入れているとの話しでした。

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■琵琶湖の鴨猟の記事は1960年(昭和35年)でしたが、こちらは記事は1978年(昭和53年)です。しかし、活字が小さいです…。昔は、こんな小さい字をみんな読んでいたのです…すっかり忘れてしますが。それはともかく、です。こちらは、琵琶湖ではなく朽木村の木地山と福井県の小浜を結ぶ木地山峠の話しです。木地山の木地師は、昔から全国的に知られていました。私はよく知らないのですが、少し調べてみると、山の高いところの樹の伐採を保証する「朱雀天皇の綸旨」の写しを所持し、諸国の山々を漂白しながら生活していたようです。この辺りは、曖昧です。もっと勉強しなければなりません。しかし、明治時代になると、地租改正が行われ土地所有のあり方が大きく変化する中で、土地の所有者の許可がなければ樹を伐採することができなくなりました。

■木地山の人々は、このような社会の変化の中で、なんとか地元の住民としての森林を所有する権利を獲得することになります。しかし待望の山林を手に入れても木地師たちは、結局、木地山からいなくなってしまいました。記事には、こう書いてあります。「待望の山林を手に入れたが、明治に入って売り物の菊の御紋入り作品が不敬罪でつくれなくなり、目に見えてさびれ、木地師たちは急速に姿を消した」のだそうです。かつて、惟喬親王を祖とする木地師たちは、黒地の盆や膳に朱色で皇室と同じ16べんの菊紋を用い、全国的に知られていました。木地師の中でも、付加価値のついた木工品を生産していたのです。ところが菊紋が使えなくなり、そのような付加価値は失われてしまいます。一部の木地師は炭焼きに転向したようです。かつて木地師が通った峠の道は、炭の道になっていきました。

■木地師や木地山ではないけれど、昨年の夏、朽木で林業に従事していた方達と出会いました。日本の林業不況で山を降りたご家族です。そのご家族にお話しを伺いたいと思っているのです。近々、ご家族の息子さんやお孫さんとお会いする予定になっています。何か、不思議なタイミングで、この記事を再度読むことになりました。

幼いころの未来予想

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■年老いて一人暮らしができなくなった母親。現在、福祉施設に入所しています。母が昨年まで暮らしていた自宅、いろいろ整理を始めています。衣類、食器、家具、電化製品、書籍…。できるだけ知り合いの方たちに使っていただくつもりですが、それでも余ったものは、途上国支援の活動をされているNPOに送る予定にしています。衣類については妻が頑張ってくれています。先日は、2階の箪笥に入っている衣類の整理に取り掛かり始めました。すると、写真のような色紙が見つかったというのです。

■左下の方に、ひらがなで「わきたけんいち」と書いてありますね。どうも私が色紙に描いた絵のようです。まだ漢字が書けない、幼い頃なのだろうと思います。鉄道と高速道路…ですね、一応。未来の様子を予想して描いているのだろうと思います。私たちが子どもの頃は、未来の予想図(未来都市とか)のようなものをよく目にしました。そういう社会の風潮の影響を受けているのです。その頃は、社会は「発展」していくものだったし、未来の社会に対しては「夢」がありました。おそらく、今の子どもは、このような絵を描かないんじゃないでしょうか。おそらく50年以上前の作品かと思います。ですから、1960年代ですね。

【追記】■この色紙の写真をfacebookにアップしたところ、このような反応がありました。「同じような絵を私も画きました!(1961年生) 未来=都市、やはり曲線を描いて空中を走る高速道路網・・・のイメージでした。海底都市もあったかな。。。農村の未来って、考えませんでした」。確かにそうです。「農村の未来」という発想は、本当に存在していみませんでした。なぜ、農村の未来を考えなかったのか。当時、社会全体の中で、農村や農業を評価するような風潮はありませんでした。むしろ、否定的な扱いだったかもしれません。「発展から取り残された存在」…というと言い過ぎかもしれませんが。高度経済成長期は、「民族大移動」と言われるほど、農村部から都市部へと若者を中心に人口が移りました。しかし、急激な経済発展が様々な問題を発生されると、その反動のように、「田舎ブーム」が何度か押し寄せることになりました。まあ、両者はお互いの欲望を「写しあっている」のでしょうが。

国立民族学博物館 特別展「夷酋列像 ―蝦夷地イメージをめぐる 人・物・世界―」

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■新年度になり週末もいろいろ用事が入り、兵庫県の介護老人保健施設に入所している母親の洗濯物の交換や見舞いに行くことができませんでした。ということで、木曜日ですが、車を飛ばして母親のところに行ってきました。授業が始まっていないので、会議が入っていなければこういうことも、まだ可能なのです。車で行くことから、吹田市にある国立民族学博物館に立ち寄ることにしました。民博で、特別展「夷酋列像 ―蝦夷地イメージをめぐる 人・物・世界―」が開催されていたからです。以下は、特別展の企画内容です。

極彩色の衣装に身を包み立ち並ぶ、12人のアイヌの有力者たち。松前藩家老をつとめた画人、蠣崎波響が寛政2年(1790)に描いた「夷酋列像」は、時の天皇や、諸藩の大名たちの称賛を受け、多くの模写を生みました。蠣崎波響筆のブザンソン美術考古博物館所蔵本と国内各地の諸本が、はじめて一堂に会します。絵をめぐって接する人、交叉する物、そして日本の内に胎動し始めた外の「世界」。18世紀から現在に続く、蝦夷地=北海道イメージを見渡します。

■展示は、4つのコーナーで構成されていましたが、私は特に、後半の「Ⅲ 夷酋列像をめぐる物」と「Ⅳ 夷酋列像をめぐる世界」を興味深く観覧することになりました。「夷酋列像」に描かれたアイヌの有力者が身につけている衣服は、「蝦夷錦」と呼ばれる絹織物の着物、おそらくはロシア人のコートや靴などを身につけています。アイヌの有力者たちは、北海道、千島、サハリン、沿海地方といった北東アジアの交流・交易によってそれら衣服を得ているのです。この特別展では、「『異人』であると同時に味方の『功臣』であるという、相反する二つの要素を持つアイヌ像」という表現をしていますが、そのような両義的な存在であるアイヌ像を媒介として、鎖国の状況の中で江戸時代の人びとは、外国をイメージしていったのですね。そのことを展示を通して実感しました。「夷酋列像」には、多くの模写が存在していますが、そのような模写を生みだした当時の状況を理解することができました。

■民博に車で出かけたのは初めてだったので、どこに車を駐車していいのかわからず、結局、日本最大級のショッピングモールと言われている「ららぽーとEXPOCITY」の駐車場にとめることになりました。この駐車場からだと、雨の中、民博まで15分ほど歩かねばなりませんでした。母の世話もあり、じっくり特別展を楽しむことはできませんでしたが、満足しました。

孤独死現場処理業者

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▪︎Facebookで教えていただいた記事です。記事のタイトルは「世界でもっとも物悲しい仕事として海外で報じられている「日本の孤独死現場清掃処理業者」。アパートで孤独死した85歳の男性。死後1ヶ月後に発見されたといいます。記事中には「隣人は老人の不在には気がつかなかったという。家賃は銀行口座からの引き落としで、家族が訪問することもなかった。ようやく遺体が発見されたのは、下の階の住人から変な臭いがすると苦情があったからだ」とあります。朝起きて、この記事のことを知りました。世の中には、こういうお仕事をされている方達がおられること。それが仕事として成立していること。こういう方達がいて救われる方達が多数おられること。そもそも、救われるってどういうことなのか…などと、いろいろ考えました。
孤独死現場処理業者

▪︎阪神淡路大震災以降、孤独死という言葉をたびたび聞くようになりました。NHKスペシャル『無縁社会~“無縁死” 3万2千人の衝撃~』により「無縁社会」という言葉が広がるとともに、一層、この「孤独死」や「無縁死」という言葉が広まっていったように思います。あくまで個人的な印象ですが…。いろんな書籍が出ています。比較的最近のものを、amazonでざっと拾ってみました。

『孤独死のリアル』 (結城康博、講談社現代新書)
『孤独死なんてあたりまえだ』(持丸文雄、文芸社)
『孤独死の作法』 (市川愛、ベスト新書)
『孤独死の看取り』(嶋守さやか、新評論)
『孤独死―被災地で考える人間の復興』(額田勲、岩波書店)
『ひとりで死んでも孤独じゃない―「自立死」先進国アメリカ』(矢部 武、新潮新書)
『孤独死を防ぐ―支援の実際と政策の動向』(中沢卓実・結城 康博、ミネルヴァ書房 )
『孤独死のすすめ』(新谷忠彦、幻冬舎ルネッサンス新書)
『しがみつかない死に方』(香山リカ、角川oneテーマ21)
『人はひとりで死ぬ―「無縁社会」を生きるために』(島田裕巳、NHK出版新書)
『無縁社会から有縁社会へ』(島薗進 他、水曜社)

▪︎私はこれらの本を読んでいるわけではありません。本の内容の紹介やカスタマーレビューを読んで推測しただけなのですが、「孤独死」や「無縁死」をどのようにとらえるのか、その前提となっている考え方に違いがみられるように思います。極論すれば、ひとつは、「孤独死」や「無縁死」を否定的なこととして捉え、そのような「死」をいかに防いでいけばよいのかという立場。もうひとつは、「孤独死」や「無縁死」を否定的なことだという考え方に疑問を提示し、「孤独死」や「無縁死」を生み出した社会構造や親密圏の変化や、その趨勢を前提に、むしろ「孤独死」や「無縁死」をどのように社会に受け止めていくのかという立場です。お断りをしておきますが、あくまで推測です。「孤独死」や「無縁死」、非常に重要な問題だと常々思っています。「孤独死」・「無縁死」した人に関わった人たちは様々なことを思い、それを語ることができます。しかし、「孤独死」・「無縁死」をした人たち自身は語ることができません。「孤独死」・「無縁死」とは、どのような経験なのでしょうか(経験と呼ぶことに問題があるかもしれません…)。そもそも、「孤独死」や「無縁死」だけでなく、「死」という現象は誰のものなのでしょうか。はたして「死」は個人に帰属するのでしょうか。難しい問題ですが、多くの人びとと、考えていかなくてはいけない問題のように思います。

【追記】▪︎NHKスペシャル『無縁社会~“無縁死” 3万2千人の衝撃~』の取材にあたったNHK記者・池田誠一さんの講演会の内容が、以下で紹介されています。引用は、最後の部分です。

取材を続けていく中で「家族のつながりが薄れている」という事実が浮き彫りになった。今、この日本で何が起きているのか。どうなっているのか。処方せんのようなものがあるのか。取材を続けているものの、いまだに分からないままだ。

介護保険制度がスタートして10年以上が経過した。しかし身内に困った人がいても「介護保険を利用すればいいでしょう」「あなたたちにお任せします」などといって、行政にすべてを委ねる人が増えてきているのではないだろうか。

救急病院のソーシャルワーカーとして、30年ほど務めている人はこのように言っていた。「10年ほど前であれば、身内に厄介扱いされている人がいても、『しょうがないわね』と言って引き受けてくれる人がいた。しかし今ではそうした人がほとんどいなくなった」と。

NHK記者が語る、“無縁社会”の正体

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