『百実帖』(雨宮ゆか・雨宮秀也)

20240625hyakumichou1.jpg20240625hyakumichou2.jpg
▪️書店をぶらぶらして目について衝動買いしました。『百実帖』(ひゃくみちょう)です。文章は雨宮ゆかさん。花の教室「日々花」主宰され、季節の草花を生活にとりこむ花の楽しみ方のレッスンを定期的に行っておられます。写真は、おそらくお連れ合いかな。写真家の雨宮秀也さんです。で、こんな内容の本です。

なじみの草花、野菜や果物、木の実。
ページを開いたとたん、
日々の暮らしが実りの景色で満たされていく。
春夏秋冬、季節を味わう
身近な100の“実もの”の
活け方、愉しみ方100
草苺、西洋蒲公英、麦、ブルーベリー、鬼灯、梔子、柘榴、南天…
私たちの身近にある、親しみやすい100点の実を紹介。
それぞれの実と人の暮らしとの繋がりや二十四節気、
実ごとの性格について美しい写真とエッセイで綴りました。
また花器に限らず、普段使いのうつわやお皿、小物を上手に取り入れた
「雨宮流」生け方のヒントも満載。
季節ごとの“実もの”を生活にとりこむ愉しみ方を紹介します。

▪️うちの庭にもあったり、散歩する里山にもありそうな、普通の実を、「生活にとりこむ愉しみ」。よくわかります。センスが必要ですね。こういうことが、さりげなくできると素敵だなと思います。庭の世話をしたり、自宅から歩いていける農地で農作業をして(その計画も動き始めました)、その付近の里山を散策し、自然の花、葉、実を持ち帰り自宅の中でも季節を感じる。退職後は、そのようなおじいさんになりたいなと思っています。

▪️雨宮さんは、この他にも気になる本を出版されています。
『花ごよみ 365日: 季節を呼び込む身近な草花の生け方、愉しみ方 』
『百花帖 ―もっと知りたい 近づきたい 100の花』
『百葉帖 ―あらためて知りたい 見つめたい 100の葉たち』  

宮島未奈さんと『成瀬』のこと

20240622naruse1.jpg20240622naruse2.jpg
▪️昨年の2月の末のことです。大津市の中央学区にある中央小学校の体育館をお借りして、地「地域エンパワねっと」(域連携型教育プログラム社会共生実習)を履修している学生たちが、牛乳パックを利用したランタンを使ったイベントを開催しました。たくさんの小学生が参加してくれました。

▪️そのイベントが終わった時、参加していた知り合いの小学生のお母様が私のところへやってこられました。そして、「わたし、今度、小説家としてデビューすることになりました」と言われたのでした。その方が、宮島未奈さんでした。その時は、これから出版される小説の見本のようなものをいただきました。読んでみて、最初は少しとっつきにくい部分がありましたが、そのうちにどんどん惹きつけられて最後まで一気に読んでしまいました。『成瀬は天下を取りにいく』です。

▪️その後、無事にこの本は出版され、知らない間に大変な話題になりました。そして、とうとう昨年度の本屋大賞を受賞されました。そして続いて、第2作『成瀬は信じた道をいく』も出版されています。他の地域ではどうなのかよくわかりませんが、滋賀県、特に大津市ではめちゃくちゃ盛り上がっているように思います。大津市は、NHKの「光る君へ」と「成瀬」で話題になっているのです。左の写真は、JR膳所駅です。もう完全に話題に便乗して観光宣伝をされています。我が家もAmazonで取り寄せました。カバーのイラストと小説の中身とが、うまくマッチしているようにも思います。

▪️お母様が小説家になったわけですが、そのお子さんである、私の知り合いの小学生は今どうしているのかな。また話をしてみたいです。

芥川龍之介賞受賞作家 綿矢りさ氏特別講演会

20240621wataya_risa.jpg
20240621wataya_risa2.jpg▪️昨日は、大宮キャンパス東黌の大教室で、芥川龍之介賞受賞作家である綿矢りささんの特別講演会が開催されました。これは良い機会だとネットで申し込んで参加させていただきました。綿矢さんは、2001年、京都市立紫野高等学校在学中に『インストール』で第38回文藝賞を受賞されました。「高校生が!!」ということで大変話題になりました。その後、早稲田大学に進学され、2004年に『蹴りたい背中」』で芥川賞を受賞されました。綿矢さんの存在が、文学ファンの間だけでなく、そうでない人たちの間でも話題になっていましたので、私もお名前は存じ上げていました。

▪️芥川賞を受賞された2004年は、私がちょうど龍谷大学社会学部に勤務するようになった年でした。その時、担当した「社会調査実習」を履修していた学生さんの中に、綿矢さんと高校時代に同級生だったという方がおられました。どういうわけか、そのことを今でも記憶しています。綿矢さんは、昨日の講演会で40歳だと言っておられたので、その時学生だった方も、今は社会の中堅として働いておられるのでしょうね。

▪️そのような話はともかく、何が言いたいかというと、初期の作品以外は読んだことがなく、私は綿矢さんの良い読者では全然なかったということです。でも、『蹴りたい背中』、『勝手にふるえてろ』、『かわいそうだね?』、『憤死』、『私をくいとめて』、『嫌いなら呼ぶなよ』といった作品のタイトルからは、個人と周囲との乖離、ズレ、不調和のようなものを感じていました。綿矢さんってどのような方なんだろうという思いがあり、講演会に申し込んだのです。13時半から講演会は始まったのですが、会場に到着したのが講演開始10分前で、大教室の隅の方で聞かせて頂こうと思っていたのですが、後ろの方はすでに満員でした。木曜日の3限の授業の学生さんたちが授業の一環として講演会に参加されているようでした。残っている席は前の方にしかありません。ちょっと恥ずかしかったのですが、前から2列目に座らせていただきました。

▪️講演会で、綿矢さんは、京都弁(関西弁)でご自身の思いや経験を話してくださいました。こういう講演会では時々ありますし、学会発表等ではしばしば見かけるのですが、肩に力が入って、自意識のようなものが滲み出て、聴衆の反応を気にしながら話をする…そういうことが全くない方でした。素晴らしい。おそらくは、「素」のままなんだろうなと思います。楽しかったですね。行って良かったなと思います。

▪️講演会は、2部形式でした。第1部は副学長の安藤徹先生(文学部)が綿矢さんにインタビュアーする形で進みました。綿矢さんは、自ら饒舌に語るタイプの方ではないようで、安藤先生が一生懸命聞き出そうと頑張っておられました。第2部では近現代文学を学ぶ大学院生がお2人登壇されて、丁寧に質問をされていました。あらかじめ参加した学生さんたちから集めておいた質問も含めて、それらの質問に対して綿矢さんがお答えになっていました。そのような質疑応答から、作家としての綿矢さんが浮かび上がってくるように思えました。スマホに残したメモを元に思い出すと、以下のようなことをお話しになりました。

・作品の主人公が自分(綿矢さん)に語りかけてくる、その言葉を正確に文字にしていく。時々、主人公がつまらないことを言っているなと思っても、とりあえず残しておく。
・昔は、行き当たりばったりで書いていたが、今はプロットを大体決めてから書いている。しかし、理性で描こうとしても、主人公が大暴走をしてしまうことがある。
・小説を書いていると、パソコンの前ではない時の方がアイデアが湧いてくる。特に、お風呂に入っている時。お風呂の中にメモを持って入れないので、慌てて外に出てメモにアイデアを残したりする。
・書き出しは大切だと思う。主人公の性格、その人らしさが出てくるようにしている。冒頭で読者の心を掴むようにしている。

▪️環境社会学の論文を書いても、文芸作品の創作を自分でした経験はなく、文学に関しても知識や経験が乏しいわけですが、それでも興味深くお話を伺うことができました。主人公やテーマの設定については、もちろん作者である綿矢自身がされているわけです。しかし、その主人公が綿矢さんに語りかけてくる、自分はそれを書き留めているという説明に大変惹かれるものがありました。「主人公の気持ちが乗り移ってきて、擬似体験している時が一番楽しい」とも語っておられました。表現が難しいのですが、「まるで、神から送られてくるメッセージに集中して、そのメッセージを人びとに正しく伝えようとするシャーマンや巫女のようだな」と思いました。シャーマンや巫女には神様が憑依しますから。神からのメッセージに耳を傾けること。それは自分自身の無意識の層にあえて意識を集中させていく作業のように思います。そうそう、村上春樹さんの小説の中によく「井戸」が登場します。執筆するときに自己と向き合い無意識の層に沈潜していく作業を井戸を掘ると表現されているようにも思います。それと似ているなと思いました。特に、「主人公が大暴走してしまう」というあたりについて、村上春樹さんが臨床心理学者の河合隼雄さんとの対談(『村上春樹、河合隼雄に会いにいく』新潮文庫)で同様のことを述べておられます。ちょうど、『ねじまき鳥クロニクル』を出版された後のことのようです。

村上 というのは、ぼく自身、小説が自分自身より先に行っている感じがするからんですよね。いまぼくは自身がそのイメージを追いかけている、という感じがある。(91~92頁)

村上 今回ばかりは、自分でも何がなんだかよくわからないのです。たとえば、どうしてこういう行動が出てくるのか、それがどういう意味を持っているのかということが、書いている本人にもわからない。それはぼくにとっては大きいことだったし、それだけに、エネルギーを使わざるをえなかったというとだと思うのです。

河井 芸術作品というのは、絶対にそういうところがあるだろうとぼくは思います。そうでなかったらおもしろくないのではないでしょうか。作者が全部わかってつくっているのは、それは芸術じゃないですね。

▪️どうでしょうか。共通する部分があることをご理解いただけたでしょうか。それから、あと、質問をされた安藤先生や大学院生の皆さんが上手に引き出されたのだと思いますが、綿矢さんの小説の中にはものすごく面白い「比喩表現」がたくさん出てくるということです。ご自身でもそのようなひ比喩表現がすごくお好きなようで、日常生活でも使うことがあるし、それが自分自身の強みともおっしゃっておられました。また、文章に勢いがあるときは、そういう面白い「比喩表現」が自然に出てくるのだそうです。安藤先生によれば、作家の高橋源一郎さんが綿矢さんの比喩表現を高く評価されているそうですね。綿矢さんの良い読者ではないので、改めてきちんと読んで、その比喩表現を楽しんでみたいと思います。

▪️景色の描写についても興味深いことを話されました。安藤先生によれば、『勝手にふるえてろ』の49ページにそのような主人公が見ている風景の説明があるのだそうです。綿矢さんは、「景色とかに自分の心が映ることがある。忘れられない風景。嬉しい悲しいを書くよりも、景色を書いた方が情緒が豊かになる」、そのように説明されていました。

▪️もうひとつだけメモを元にここに書いておきたいことがあります。綿矢さんが影響受けた作家についてです。最近は宇野千代さんだというのです。宇野千代さんは、1996年に98歳で亡くなられた作家です。綿矢さんによれば、宇野さんは、90歳を過ぎた頃から自分は死なない気がすると言っておられようです。客観的に言えば、確実に死に近づいておられのですが、それでも宇野さんの生命のエネルギーが溢れていることに驚かれていました。綿矢さんは、宇野さんの作品を、出版された当時の版で、つまり昔の書籍、古書でお読みになっています。「昔の表現にはこうだったんだ」との発見があるとのこと。そのことが、語彙力を増やしていくことにも通じているようです。

▪️綿矢さんは高校生の時に作家としてデビューしますが、その時に影響を受けたのは太宰治でした。退廃的、死の匂いがするのが好きだったし、普段隠している自分自身の内面で悩んでいることを作品として表現していることに強く共感されたようです。しかし、「今ではそのような共感が薄くなってきた」とも語っておられました。その太宰治は38歳で入水自殺をしています。今の綿矢さんは40歳。年齢では追い越しています。「自然な流れで卒業したなって感じ」、「それが悔しい」とも。悔しいというのは、とても正直ですね。作家として成熟されていかれた証拠かな。デビュー時高校生だった頃の、ヒリヒリするような繊細な感覚とは違うステージに作家として立たれているのではないでしょう。生命力が溢れる宇野千代と、退廃的で死の匂いがする太宰治。両者から影響を受けた年齢が異なっていることを頭の片隅に置きながら、綿矢さんが年齢を重ねるうちに作品群にどのような変化が生まれてくるのか、気になるところです。そのことと関係していると思いますが、初期のご自身の作品を読むと「高校、学校に馴染めなかったんやなと、他人が書いたもののように思える」とも語っておられました。

▪️講演会の最後に、司会の安藤先生が、「学生の皆さん、帰りは書店に寄ってぜひ綿矢さんの本を購入してください」と呼びかけておられました。私は学生ではありませんが、早速、書店に立ち寄りました。『インストール』と『蹴りたい背中』は大昔に読んだように思いますが、加えて、『オーラの発表会』、それから最新作の『パッキパキ北京』等4冊ほど購入しました。時間を見つけて読んでみたいと思います。

20240621ryudai.jpg20240621nishihonganji1.jpg
20240621nishihonganji3.jpg
▪️特別講演会の後は、大宮キャンパスのお隣にある西本願寺にお参りしました。ちょうど、念仏奉仕団の皆さんが、ご門主と会っておられるところでした。本願寺では、「全国各地から参拝した門信徒などの団体が、本願寺ご門主とのご面接、本山の清掃奉仕、法話等を通じて、仏縁を深め」る活動をされています。ちょうど、そのタイミングでお参りしたということになります。ご門主のお声を初めて直にお聞きしました。

『お坊さんたちのライフストーリーズ』(大学生のためのLGBTQ+ライフブック Vol.4)

20240618lgbtqlifebook.png▪️昨日、『お坊さんたちのライフストーリーズ』(大学生のためのLGBTQ+ライフブック Vol.4)を深草キャンパスでいただきました。 PDFでもお読みいただけます。読み進めていくと、「仏教SDGs」を推進する龍谷大学としてはもちろんのこと、浄土真宗本願寺派、さらには日本の仏教教団にとっても、真摯に取り組まねばならない課題であることがよくわかります。以下は、「はじめに」の文章です。最後のところ、宗教部としてのアンコンシャスネスを、きちんと自ら確認して、反省的に捉えて、改善されています。このような反省と改善の積み重ねが大切なのかなと思います。もちろん、自戒の念も込めつつ、そう思っているのです。なお、下線は私がつけたものです

「父親には絶対にカミングアウトできません」

ある学生のその一言がずっと気になっていました。その学生の実家はお寺で、お父様は住職だったのです。すべての人をすくいとってくださるという仏さまの身近にいる人に、自分のセクシュアリティやジェンダーアイデンティティを素直に伝えられない。きっと同じような苦しみを抱えている人がおられるのではないでしょうか。

いま、「LGBT」や「LGBTQ+」という言葉は多くの人が知っています。しかし、その一方で性的マイノリティへのヘイトは後を絶ちません。同性愛や同性婚が伝統的な家族を崩壊させるとか、トランスジェンダーを犯罪者扱いするような言説が吹き荒れています。このことは決して他人事ではないはずで、私たち自身も、知らず知らずのうちに差別に加担してしまっているかもしれません

本冊子は、Vol.1 「先輩たちのライフストーリーズ」、Vol.2「それぞれの結 婚のカタチ」、Vol.3「みんなのキモチ」に続く第 4 弾です。宗教者もそうでな い人も是非読んでいただきたいです。なお、前号まではシリーズ名を「大学生 のための LGBTQ サバイバルブック」としていましたが、「マイノリティがサバイバルしないといけないのは変じゃない?」 ということで今号から「LGBTQ+ ライフブック」としています。また、タイトルが「お坊さん」となっていますが、お坊さんだけでなく、お坊さんとご縁のある人や神道の方からも寄稿いただきまし た。執筆者のみなさまに心から感謝を申し上げます。

2024年3月 龍谷大学 宗教部

▪️「LOBTQ+」の諸課題に取り組んでおられる職員さんとお話をしましたが、「関西学院大学の取り組みは、大変すぐれています。うちは、もっと頑張らねば」とおっしゃっていました。関西学院大学は、南メソジスト派のキリスト教を基盤にする大学であり、私の母校です。関学の「インクルーシブ・コミュニティ宣言」も含めて「「LGBTQ+」「SOGI」尊重への取り組み」をご覧いただければと思います。

池田邦彦『国境のエミーリャ』11

20240613kokkyouno11.jpg
▪️漫画も楽しみます。今は、池田邦彦さんの『国境のエミーリャ』を心待ちにしています。今回は、11巻が発行されました。こんなあらすじです

第二次世界大戦終結後、ソ連と米英連合国によって分割統治されることになった戦後日本。やがてそれぞれが日本国と東日本国として独立し、東京23区も東側の約半分が東日本の領土となっていた。東西陣営の冷戦が激化したことによって、境界には高い壁と緩衝地帯が設けられ、厳重な監視体制がしかれていた。そんな1962年の東日本国、人民食堂で働く19歳の少女杉浦エミーリャの裏の顔は、国境の警備をかいくぐり、人々を西側へ亡命させる脱出請負人。人民警察の捜査を逃れつつ仕事をこなすエミーリャのもとに、さまざまな事情を抱えて脱出を依頼する人たちが訪れる。

▪️なかなか私好みのストーリー展開です。おそらく、東西の冷戦等をリアルに経験されていない若い学生さんたちには、よく理解できないかもしれません。仕方ありませんね。私は、「架空の設定」なのですが、アメリカとソ連の分割統治については、いろいろ議論があったことを知っています。もっとも、自分自身で詳しく調べた訳ではありせんが。というわけで、東西冷戦の中で日本が分割統治されることが、全くの虚構というわけでもないのです。

▪️私は、池田邦彦さんの画風が好きです。池田さんの作品の中では、『カレチ』(1~5)も大好きです。「カレチ」とは、JRがまだ国鉄だった時代、長距離列車に乗務されていた客扱専務車掌さんのことです。この『カレチ』で描かれている時代は、たぶん昭和40年代後半のあたりではないかと思います。「乗客ファースト」の若い国鉄職員(カレチ)である荻野さんの活躍に、グッと感動してしまうのです。しかし、時代は、国鉄にとっては厳しい時代に突入していきます。最後の方は、国鉄分割民営化の中で辛い思いをされる荻野さんたち職員の皆さんの様子が描かれています。これは、鉄道ファンではなくても、ぜひともお読みいただきたいと思います。

▪️『国境のエミーリャ』も『カレチ』も、私が成長してきた時代と重なり合っています。作者の池田さんは、1965年生まれで、私よりも7歳もお若い方ですが、何か時代意識を共有しているように思います。高度経済成長期が始まって少し経過した頃、まだ日本の貧しさが社会のあちこちに見えていた時代の雰囲気、そういう時代を経験した人たちには、この漫画を面白く感じるのではないかと思います。そもそも、冷戦という対立がリアルなものとしてあった時代を知っているかどうかという点もあるのかもしれません。若い方達、たとえば、学生の皆さんにこの漫画の感想を聞かせてもらいたいなと思います。

「流域地図」

20240518ryuikitizu1.jpg
20240518ryuikitizu2.jpg
▪️自分の専門領域として、「環境社会学」の看板を掲げているのですが、特に「流域環境問題」に焦点を当てて研究に取り組んできました。どうして、流域なのか…。できれば、社会学の学術雑誌である『ソシオロジ』に掲載された「『ご縁』に導かれ流域管理への道へ」をお読みいただければと思います。さらに、ご関心をお持ちいただければ、『流域環境学 流域ガバナンスの理論と実践』(2009,京都大学学術出版会)『流域ガバナンス 地域の「しあわせ」と流域の「健全性」』(2020,京都大学学術出版会)、さらにシリーズ環境社会学講座 第6巻『複雑な問題をどう解決すればよいのか-環境社会学の実践』(2024,新泉社)等を手にお取りいただき、ページをめくっていただけるとありがたいです。大学の図書館にも入っています。よろしくお願いいたします。

▪️で、「流域地図」の話に移ります。「流域」にこだわってきたこともあり、今回、ネット上で流域を確認できる「流域地図」が登場したと知り、とっても嬉しく思っています。この「流域地図」を使うと、簡単に流域圏がわかるんですね。これはとても大切なことですね。自分が普段生活している場所は、どの流域にあるのか、そのようなことは考えませんものね。離れた場所にいる人たちとも、流域圏の中では関係しているのです。ある意味でというか、実は「運命」を共有しているというか…。この「流域地図」が作成されたことの背景には、生態学者の岸由二さんが執筆された『「流域地図」の作り方: 川から地球を考える 』があることも知りました。なるほどです。

▪️この「流域地図」、とても素敵なんですけど、琵琶湖の環境ガバナンスに関わってきた者から言わせていただけけば、ちょっと残念なこともあります。流域って、入れ子状になっているんです。淀川水系であれば、その中にはいろんな河川があります。琵琶湖に流入する、たとえば愛知川、野洲川、安曇川にも流域界があります。その入れ子状になっているところまで、きちんと表現できるとありがたいんだけどなあと思うわけです。でも、現在のところは、技術的に無理なようです。

【追記】▪️「でも、現在のところは、技術的に無理なようです。」と書きましたが、できました。やり方がよくわからなかっただけでした。申し訳ありません。開発関係者の皆さんに失礼なことを書いてしまいました。どうかご容赦ください。改めて、この「流域地図」に関しては投稿をしたいと思います。

游珮芸さんの『台湾の少年』のこと

▪️台湾の国立台東大学に勤務する游珮芸(ゆう・はいうん)さんのことについて投稿します。游珮芸さんと出会ったのは、今から27年も前のことになります。流域環境に関する「文理融合」の巨大なプロジェクト(日本学術振興会未来開拓学術研究推進事業)の中で出会いました。彼女は、お茶の水大学大学院で児童文学の研究で学位を取得されました。そのあと、游珮芸さんの専門は児童文学ですが、PDとしてプロジェクトの事務局に入ってプロジェクトを支えてくださいました。その後、ずっとお会いするチャンスはありませんでした。ただ、facbookが登場してからは、このSNSを通して繋がっていました。そのおかげで、今からは5年前のことになりますが、2019年に游さんやかつての仲間と京都で再開しました

▪️今度は台湾でお会いする約束になっていたのですが、コロナ禍のために実現することはできませんでした。ただ、その後もFacebookを通して児童文学者としてのお仕事の様子をずっと拝見してきました。最近の大きな出来事は、彼女が出版した『台湾の少年』ですね。日本語で言うと漫画なんですが、画風はフランスのバンド・デジネ風です。私は、日本語にも翻訳されたものを読ませていただきました。その後、日本だけでなく、この『台湾少年』は、世界的にいろんな国々で話題になっています。素晴らしいことです。この漫画の主人公である蔡焜霖さんは実在の人物で、私もfacebookでもお友達になっていただきました。台湾を訪問してぜひご挨拶したかったのですが、とても残念なことに、昨年、お亡くなりになりました。

▪️この『台湾の少年』、フランスでも受賞しました。この記事「台湾の漫画作品、仏文学賞受賞 作者の游さん『世界に知らせたい』」をお読みください。フランスのギメ東洋美術館が主催する「エミール・ギメ アジア文学賞」で、今年新設されたグラフィックノベル部門の受賞作品に選ばれた事を知らせる記事です。フランスの「ル・モンド」にも記事が掲載されたようです

【追記】▪️関連投稿です。「『台湾の少年』刊行記念 トークイベント」

庭仕事と風呂掃除

20240426mygarden5.png ▪️またまた庭の話ですみません。今、自分の人生の中てガーデニングは大きな存在なんですよ。退職したら、どうなるのかな。でもね、ガーデニングって、精神に良い作用をもたらすのです。これは、『庭仕事の真髄―老い・病・トラウマ・孤独を癒す庭』(スー・スチュアート・スミス (著), 和田 佐規子 (翻訳))という全英でベストセラーになった書籍です。このブログをお読みの皆さんの中で、ガーデニングに関心のある方がおられましたら、ぜひお読みください。ちなみに、龍大瀬田図書館にはあります。「瀬田.本館2F開架 494.78/ススニ」です。この投稿を読んで、どなたか借りてくださったら嬉しいな。

▪️1段目の写真、レンガで囲まれた花壇。花壇なんですが、我が家の庭を大改修してくださった庭師さんの設計では、ここは家庭菜園の場所でした。ところが、ここにミョウガの根っこを植えてくださったようで、そのミョウガが花壇中に根を張り巡らすようになり、この花壇、春から初秋にかけては「茗荷畑」になっていました。たくさんのミョウガを収穫できるのは嬉しいのですが、他の野菜を植えることができません。これまで、そのような野菜はプランターで植えていたんです。

▪️そのような様子を庭師さんがご覧になって、「ミョウガは裏庭に植え替えてはどうですか」とのご助言をくださいました。というわけで、張り巡らされたミョウガの根っこを取り除き、その一部を、大きな3つのプランターに植え替えることにしました。今までようなミョウガの収穫は量的に無理かもしれませんが、プランターでもミョウガが芽を伸ばし始めているので、今年もなんとか収穫はできそうです。たくさんのミョウガが収穫できるように世話をしていこうと思います。ミョウガの根っこを取り除いた花壇には、トマトとキュウリなどの夏野菜の苗を植えることになりました。この場所以外になりますが、パセリとスイートバジルも植えました。今年はミョウガの根っこを取り除くだけで精一杯だったのですが、秋からは、1年を通して計画的に野菜を育てたいと思います。まあ、こんなに小さな面積なので、あくまで楽しみ程度の収穫になりますけど。で、よーく写真を見ると、手前のレンガの近くに、細い芽が出ているのがおわかりでしょうか。これ、取り除けなかったミョウガの残りの根から新しい芽が伸びてきているのです。野菜とミョウガのアンサンブル、そういった畑になるのかな。
20240426mygarden1.jpg
20240426mygarden2.jpg
▪️2段目の写真。シバザクラ、ヒメウツギ、タイムが小さな可愛らしい花を咲かせて、庭の法面がとても賑やかになっています。ちょっと残念なのは、シバザクラが一部枯れてしまったことです。今は「空き地」になっています。今年度の冬には「空き地」にシバザクラの苗を再度植えようと思います。まあ、ちょっとはげて(「空き地」)はいるのですが、春らしいとても華やかな雰囲気になったので、とても満足しています(自己満足ですけど)。

20240426mygarden3.jpg20240426mygarden4.jpg
▪️3段目左は、タツナミソウです。波が重なっているような花です。大変小さな白い花なんです。写真では大きく写っていますが。これは種を蒔いたり、苗を植えたりしたわけではないのです。勝手に生えてきました。お隣の庭の隅っこにも咲いています。おそらくは、そこから我が家の庭にも種が落ちて、こうやって咲いているのだと思います。最後の右側のヤマツツジ、これも勝手に生えてきました。こういうのも予想外の出来事ですが、楽しいですね。手前には、スイセンの葉が繁っていて少し邪魔ですね。スイセンの花のシーズンはとっくに終わっていますが、今はこうやって春の光を浴びて光合成を行い、球根に栄養を溜めています。花を咲かせてくれたお礼に、少し肥料もあげておきたいと思います。初夏になると葉が枯れるので、その時になったら鎌で刈り取ります。

▪️さて、午前中は庭の世話で結構時間と体力を使いました。今、一番必死になっているのは、庭のシンボルツリーのようなシマトネリコという樹の世話です。シマトネリコに限りませんが、常緑の樹は新芽との交換で古い葉が黄色くなって大量に落ちてくるのです。それを一生懸命に箒で履いて、そして中腰になって、そしてしゃがんで拾って回らなければなりません。ご自宅に常緑の樹木を植えておられる方は、結構、大変かもしれません。でも、そうやって、丁寧に掃除をしていると、いろんな気づきもあります。いつもとは違い、目線が低くなるからでしょうね。大切なことだと思います。小さな小さな自然の変化も目線が低くなると、よく理解できます。ダンゴムシや小さなトカゲも目につくようになります。こういうところにも、ガーデニングの楽しみがあるのだと思います。

▪️午後からは、「今日中に風呂掃除をしてほしい」とミッションを与えられていたので、庭の掃除の延長で風呂掃除にも取り組みました。連休が始まると娘の家族が遊びにきます。もちろん、孫のひなちゃん&ななちゃんもやってきます。ということで、風呂の大掃除です。孫のために頑張りました。風呂桶の湯アカはいつもきれいにしているのですが、入口の通気口、入口の扉のレールの溝、細かなところまで根性を出して綺麗にしました。昨日は爪楊枝と綿棒を使いました。で、その掃除の後に、この記事を読みました。掃除に便利な道具があるんですね。忘れないうちに、入手しておこうと思います。

『あたらしい家中華』

20240325iechuka.jpg
▪️書店に行きました。書店に行くと、いくつかのテーマで、書棚を巡ります。そのひとつは料理です。ある書店の料理本のコーナーに、この本が置いてありました。著者の酒徒さん、まずはTwitterの投稿ですごく面白い中華料理の投稿をしている人がいると気が付きました。中国のごく普通に食べられている家庭料理なんです。プロの料理人ではありません。でも、学生時代に中華料理に魅せられて、中国国内をあちこち巡っていろんな料理の経験をされてきた方です。今日は、この本の中のキャベツ炒めを作りした。そう、ただのキャベツ炒めです。材料は、キャベツ、ニンニク、唐辛子。調味料は、醤油、黒酢、砂糖。自分で作っているんですが、とっても美味しかったです。これはね、自画自賛ではなくて、この本が素晴らしいという意味です。

福音館の絵本『あさいち』の復刊、利益は義援金に。

▪️素敵なニュースです。絵本で有名な福音館書店では、石川県の「輪島朝市」の活気ある風景を描いた絵本『あさいち』(大石可久也 絵/輪島・朝市の人びと 語り) を2024年3月6日(水)に復刊し、本作の売上の一部 (利益相当額) は令和6年能登半島地震災害義援金として、日本赤十字社に寄付するそうです。詳しくは、こちらをご覧ください。これは福音館書店さんによるプレスリリースですが、その中では、絵本の中の一部の絵を見ることができます。amazon等で注文しても、手元に届くのはかなり先のことになりそうです。多くの方が購入されているので、増刷に時間がかかるのではないかと思います。

管理者用