OB交響楽団での練習を見学

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■私は、学生時代、母校の関西学院大学の学生オーケストラ、関西学院交響楽団に所属していました。昨日は、この学生オケの出身者が結成した「関西学院OB交響楽団」の練習が、西宮の甲東園にある公民館で開催されました。私自身は、このOBオケのメンバーではありませんが、OBオケの方から見学しませんかとのお誘いがあり、お邪魔いたしました。この日の練習は特別でした。世界的に活躍されている指揮者、佐渡裕さんが指導されることになっていたからです。

■33年前の1987年、神戸文化ホール大ホールで関学オケの「第69回定期演奏会」が開催されました。指揮者は、佐渡裕さんでした。その当時、新進気鋭の指揮者として関西のあちこちの学生オケや市民オケで棒を振っておられました。ちなみに、龍谷大学吹奏楽部も、佐渡さんに指揮をしていただきました。1986年のことです。佐渡さんの指揮のおかげで、日本吹奏楽コンクールの全国大会に初めて出場することができました(もちろん、私は、1986年当時、関学の大学院生で、コンクールのことなど何も知りませんでしたし、自分が将来、龍谷大学で教員をしていることも夢にも思っていませんが…)。

■当時の関学オケでは、次の定期演奏会でも指揮を佐渡さんにお願いすることになっていたようですし、佐渡さんもそのことを了承されていたようです。しかし、佐渡さんは急遽留学されることになり、佐渡さんの2回目の指揮による定期演奏会は実現しませんでした。そのことを、昨日、練習を開始する前に、佐渡さんが当時のことを振り返りながらお話になりました。

■その後、時が経過し、佐渡さんはヨーロッパを中心に活躍されるようになります。そして、佐渡さんから関学オケで指導を受けた1人の後輩もヨーロッパで働くようになりました。彼は、関学オケの学生代表である部長でした。その後輩が佐渡さんに会いに行ったことから、再び交流が始まりました。2017年の事のようです。来月、開催される関学オケの「第134回定期演奏会 阪神・淡路大震災25周年メモリアル」の指揮は佐渡さんですが、佐渡さんと後輩とのこのような再会と交流がひとつのきっかけになっているようでした。

■詳しくはわかりませんが、昨晩の練習は、佐渡さんに再び定期演奏会で指揮をしていただくことと関連する、「現役定期応援企画」なんだそうです。OBオケの練習についても、佐渡さんが特別にご指導くださることになったようです。OBオケの全員ではありませんが、多くの皆さんが佐渡さんが指揮をされた時代に、現役だったのでしょうね。

■練習した曲は、来月に開催される「関西学院OB交響楽団 阪神・淡路大震災メモリアルコンサート~ 25 年目の『 風に想う』 ~」で演奏するシューベルトの「交響曲 未完成」でした。練習が始まる前はどうなるんだろう…とちょっと心配していましたが(失礼なことを書いてますが…ごめんなさい)、佐渡さんが指揮をされると音も音楽も見事に変化していきました。驚きました。指導の中でお話になる曲の解説についても、とても勉強になりました。「未完成」の練習の後は、休憩を挟んで、弦楽器で「G線上のアリア」が演奏されました。演奏前には、OBオケの指揮者の後輩から震災当時の出来事についてのお話がありました。私も、震災の時のことをいろいろ頭に浮かべながら聞かせていただきました。そして、演奏の後、黙祷を捧げました。

■練習の休憩時に、佐渡さんとお話をさせていただきました。34年前、龍大吹奏楽部が佐渡さんの指揮で日本吹奏楽コンクール全国大会に出場できたことのお礼を申し上げたのです。その上で、佐渡さんが指揮をされたトーンキュンストラー管弦楽団のマーラーの交響曲第5番のCDにサインをしていただきました。もちろんOBオケのメンバーも、佐渡さんに未完成の譜面にサインをお願いされていました。まあ、クラシックファンだとそういうものですかね。そうそう、OBオケのメンバーに混じって、私たち見学していたOBも一緒に、記念写真をお願いしました。この辺りは、自分でも恥ずかしほどミーハーなわけですが(^^;;。

■昨日は、懇親会もありました。6つしたの学年の方達と同じテーブルになりました。私がかろうじて知っている後輩の皆さん、元女子学生の皆さんです。こんな話も出てきました。卒業旅行でウィーンに行った時に、佐渡さんにお会いしてご自宅でカレーをご馳走になった…、オペラを見るのにストーリーがわかっていないと辛いからと解説した文章をいただいた…、そういう話です。30年前のことなので、元女子学生も記憶は曖昧、佐渡さんも完全に忘れておられました。まあ、こんなものですかね(^^;;。ひさしぶりに、お会いした元女子学生の皆さんとお会いして楽しい時間を過ごすことができました。とはいえ、22時半にはお先にお暇して滋賀に戻らねばなりませんでした。これがギリギリ。自宅最寄駅に最終電車で帰れる時間でした。

ウルフムーンとハマチ

20200112publicdomainq-0002731tcycag.jpg ■日曜日は用事があって、奈良の娘のところに行きました。もちろん、孫のひなちゃんともたくさん遊びました。3月で3歳になるひなちゃんは、もう普通に話をすることができるので(もちろん、大人の会話はできないけれど)、一緒に遊んでいてこれまでとはまた違う楽しさがあります。晩には、近くにちょっと買い物に一緒に行きました。まーるいお月様が登っていました。記念すべき「初デート」ですね。後で、知り合いの方に教えていただきましたが、日曜日の満月は「ウルフムーン」だったそうです。

■といっても、私はウルフムーンがなんであるのか、よく知りませんでした。1月の満月のことを、ウルフムーンと呼ぶのだそうです。ネイティブアメリカンの呼び方のようです。狼にとって1月はちょうど食べる餌がなくなる時期で、お腹をすかせた狼が遠吠えする…とのことでしたが、真偽のほどは私にはわかりません。でも、それはこのさいはあまり気にしないようにしましょう。孫のひなちゃんとの「初デート」が2020年のウルフムーンの晩であったこと。ひなちゃんはすぐに忘れてしまうでしょうが、おじいさん(私のこと)は、大切な思い出としてずっと記憶することでしょう。

20200113hamachi.jpg ■ひなちゃんとの短いけど、記念すべき「初デート」を終えてしばらくすると、ひなちゃんのお父さんが魚を沢山釣って帰宅しました。おとうさんは釣り師です。ひなちゃんも、将来は釣りをすることが宿命づけられている…のかもしれません。おかあさんは、ピアノをさせたいといっています。釣りとピアノ…。なかなかシュールですね。自然と音楽に親しむのは良いことです。それはともかく、我が家もハマチを1匹お裾分けしてもらいました。帰宅後、さっそく捌きました。今晩は、刺身とあら炊きでした。美味しくいただきました。この季節のハマチは美味しいのだそうです。せっかくイキの良い魚いただいたのですが、我が家の包丁は…。もうちょっと良い包丁が欲しいなと思います。
(月の写真は、著作権フリーのものを使っています。)

新年のご挨拶

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20190103mygarden1.jpg■昨年の1月に母が86歳で天寿を全うしたことから、新年のご挨拶もそこそこにして、今年のお正月は控えめ⁈に過ごしています。一昨年から、還暦になったことを機に、年賀状での新年のご挨拶も失礼させていただいています。もっとも、年末に東京で働く息子が帰省し、今日はこれから奈良に暮らす娘の家族や、親戚の皆さんとの新年会です。控えめなお正月ではありますが、それなりに楽しんでいます。

■日差しが暖かいので、庭に出て春の準備をしている庭の草木をボーッと眺めています。小さな小さな庭ですが、なんとなく心が安らぎます。大学の仕事だけでなく、学外でもNPO法人「琵琶故知新」の運営、高島の「全国棚田サミット」の支援、大津市大石・田上地域の活性化…といろいろありますが、ボチボチとやっていくことにします。ご理解ください。体調のこともありますが、マイペースでやっていくことにします。どうか、よろしくお願いいたします。

■大学の仕事ですが、定年退職まであと7年となり、いろいろ考えるところがあります。龍谷大学が頑張って取り組んできた地域連携を、次の時代の教学運営の大切な軸にできればと思っています。しかし、私には限られた時間しかありません。できること/できないこと。やるべきこと/やるべきでないこと。そのあたりをきちんと峻別して、若い世代の同僚の皆さんを応援することを基本的なスタンスとして働いていければと思っています。

縦コン

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■一昨日は、学生時代に所属していた関西学院交響楽団(通称、関オケ)のビオラパートを中心とした「縦コン」でした。「縦コン」とは、学年を超えて縦につながったコンパ…のことでしょうか。コンパという言葉自体が今や「死語」のような気もしますが、我々の世代はなんと言っても飲み会ではなくて、コンパです。昨日の「縦コン」の正式名称は、「20191228大ビオラ会縦コン」です。

■参加者は48名。そのうちの41名はビオラパートの方達ですが、残りの7名は、他のパートの方達です。私もこの他のパートのうちの1名になます。私の場合、現役時代はずっとバイオリンを弾いていましたが、卒業して大学院に進学してからは、後輩たちの定演でエキストラとして弾いていました。その時代に1回だけ、ビオラを弾いたことがあるのです。内声部のパートに憧れていたのですね。堤俊作さんが指揮をされたベートーベンの交響曲第3番「英雄」でした。ビオラとバイオリンでは奏法が違うのですが、私は我流で、ビオラをバイオリンのように弾いていたと思います(^^;;。ただ、バイオリンの譜面はト音記号ですが、ビオラはハ音記号。最初の頃は、頭の中でト音記号をハ音記号に変換していたので、大変でした。ちなみに、昨日、胸にはったネームカードにはハ音記号がデザインされていました。細かい気の配り方ですね。

■昨日は、1970年に卒業された大先輩から、2018年に卒業されたばかりの後輩の皆さんまで、大勢の方達が集まりました。1970年に卒業された大先輩の頃は、キャンパスは学園紛争でロックアウトされていて、部室にしかいく場所がなかったとか…2018年卒業の方達にはなかなか理解しがたい話かと思います。驚いたのは、1982年卒業の先輩と2018年に卒業された後輩が親子で乾杯のおんどを取られたことです。もちろん、親子でビオラパートです。すごいですよね。年齢の幅はかなり広いです。親子よりは離れていて、場合によれば祖父母と孫くらい…かな。これも、すごいですね。ただ、若い後輩の方達がおられるおかげで、私の卒業年次に近い後輩以上の人たちは、みんな平等に歳をとった感じで、みなさん立派なおじさん、おばさんになっておられました。妙な安心感(^^;;。

■昨日は、東京等の遠方から、この「20191228大ビオラ会縦コン」のためにやってこられた方が何人もおられました。その先輩が途中で帰宅されるということで、後輩のひとりがエールを切って校歌「空の翼」を全員で歌いました。もちろん、最後にも、もう一度「空の翼」。いいですね〜。みんな校歌の1番だけは歌えますね。

■昨日のお店「鳥居」は、西宮界隈では有名な焼き鳥屋さんです。私の学生時代の頃は、阪急仁川駅そばに本店がありましたが、現在では、甲東園駅や昨日の小林駅のそばにもあります。大変有名なお店で、お店のなかがいっぱいな時は、お店の入り口の前にビールのケースを置いて、その上に板を敷いて椅子がわりに使っていました。とても懐かしかったです。ちょっと、味は変化していたけれど…。こうやって昔を懐かしみながら、幸せな気持ちになって、少しずつ歳をとって行けたらいいなあと思います。

■「20191228大ビオラ会縦コン」の会場は西宮市でした。ここから大津の湖西にある自宅まで戻らねばなりませんでした。帰宅に時間がかかるので、多くの皆さんが余韻に浸っているところを、お先にお暇させていただきました。東京に深夜バスで帰るという同級生と一緒でした。タフネスです。女性ですけど。若いな〜。それはともかく、スマホのアプリで帰りの電車を検索。すると…

阪急小林→阪急西宮北口→阪急十三→阪急高槻市→阪急大山崎…徒歩…JR山崎→JR京都→湖西線…

■ずいぶん、乗り換えをしなくてはいけませんが、これが一番早いらしく、アプリの指示通りに帰宅することにしました。JR山崎駅、なかなか素敵な佇まいです。調べてみると、1927年(昭和2年)に建てられた駅舎のようです。入り口のアーチが素敵です。戦前の都市郊外に建設された住宅地の最寄り駅…の雰囲気が出ているような気がします(勝手な妄想ですけど)。そばには、サントリーの山崎蒸溜所があり、アサヒビールの山崎山荘美術館があります。そのイメージともよくあう素敵な駅だと思います。

西日本代表校決定戦〜Western Japan Bowl〜立命館大学vs関西学院大学ゲームハイライト


■母校・関西学院大学アメリカンフットボール部ファイターズ、全日本大学選手権西日本代表決定戦ウエスタンジャパンボウルで、立命館大学パンサーズを21-10で破り、甲子園ボウル出場を決めました。ファィターズの皆さん、おめでとうございます。卒業生として、大変嬉しいです。

■関学は、立命館にリーグ戦では負けたわけですが、今回は、きちんと積み重ねたきた練習の成果を本番の試合でも発揮できたのではないかと思います。今年のリーグ戦では、鳥内監督はいつも自分のチームの試合内容に厳しいことを言っておられたように思いますが、最後は良い結果になりました。一方、立命館は、その逆なのかなと思いました。うまく発揮できなかったのではないかと思います。私はアメリカンフットボールについて全く素人なので、間違ったことを言っているかもしれませんが…。母校を応援していたわけですが、少し残念な気持ちもあります。立命館にもっと力を出してもらいたかった…というのが本音です。その時々の様々な事情があるとは思いますが、本番の試合で全力をきちんと出し切ることって本当に難しいですね。

■立命館大学は、この2015年から2度リーグ優勝していますが、全国8連盟のリーグ代表校によるトーナメント戦で東日本代表校と西日本代表校をそれぞれ決定する方式に仕組みが変わっていることから、2015年に甲子園ボウルに出場して以降は、毎年関学に破れています。つまり来年度は、チームの中に、甲子園ボウル経験者がいなくなるということです。これはチームにとって、とても大きな出来事かと思います。

■今年の関西アメリカンフットボールのリーグ戦、神戸大学の活躍がとても印象に残りました。神戸大学は、2017年には2部に降格しましたが、昨年は復活し、今年は大活躍しています。アメリカンフットボールに限らず、学生スポーツの記録を見ていると、様々な浮き沈みがありますね。ちなみに、我が龍谷大学は、これから入れ替え戦です。本当に頑張って欲しいと思います。おそらく、応援にいきます。12月14日(土)王子スタジアムで14時から、2部1位の大学との対戦になります。龍谷大学の関係者の皆さん、応援いたしましょう。

■大学スポーツにはそのような浮き沈みがあるわけですが、そのような中で、ずっと関学は優勝を争うポジションに居続けています。すごいことだと思います。その関学を率いてこられた鳥内秀晃監督は、今シーズンで監督を勇退されます。1992年に監督に就任されてから27年になります。私は浪人したので学年は違いますが、鳥内さんと同い年です。鳥内さんは、学生主体、学生本位でいつもチームのことを考えておられるわけではありますが、最後、甲子園ボウル優勝で勇退していただきたいと思います。鳥内監督に関連する記事は山のようにありますが、以下の記事は、学生スポーツだけでなく、全ての大学の課外活動に関わる人たちにとって、参考になる記事なのかと思います。私も大学の課外活動に関わっていますが、とても参考になるなと思いました。
【育てる】来季勇退の関学大アメフト部・鳥内秀晃監督「体罰がないから強い」

孫の七五三

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■2017年の春に生まれた孫娘は、満年齢は来年の春に3歳になりますが、数え年で3歳ということで、先週の土曜日、七五三参りを行いました。「もう七五三なのか…」と時間の経過に驚きながら、孫の成長を喜んでいます。今は、近くの保育園に通っていますが、いろんなことができるようになりました。

■まずは、写真館にいって撮影を行いました。洋服と着物に着替えて、たくさんの写真を撮りました。孫の母親が3歳の時も、写真館で撮影を行いましたが、その当時とはまったく異なっています。最近は、結婚式の前に「前撮り」をしますが、それと同じような感じでしょうか。いろいろ動きや表情の変化の中で、次々と写真を撮っていかれました。高級デジタル一眼レフですから、見たママを撮ることができます。ジジバカ丸出しですが、素敵な写真がたくさん撮れました。さすがプロのお仕事ですね(残念ながら、孫の写真を公開することはできませんが)。撮影した後は、孫が住む近くのお宮さんへお参りに行きました。孫は、お父さん(義理の息子)と一緒にですが、きちんと作法通りに神様に榊を捧げることもできました。次の「七五三」は6歳の秋になります。4年後はまだ先のようですが、すぐにやってくるでしょうね。

ひさしぶりに、秋山東一さんにお会いしました!!

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■先日の投稿「aki’s Märklin & MECCANO」の続きになります。一昨日、午前中から昼過ぎにかけて、孫娘の七五三の宮参が奈良でありました。このことは、また別途、投稿しようと思います。七五三の後は、近鉄に奈良線に乗って大阪の布施駅まで移動しました。そこから徒歩で、建築家である秋山東一さんのイベント「aki’s Märklin & MECCANO」が開催されている会場、木村工務店さんに伺いました。秋山さんのご友人の工務店さんです。最寄り駅は東大阪市の布施ですが、住所は大阪市の生野区になります。大変申し訳なかったのですが、私が到着した時は、ちょうど秋山さんのご講演が終わろうとしている時でした。

■木村工務店さんは、大阪市生野区で開業された3代目。こちらの工務店の作業場が会場でした。戦前に建てられた建物を手を入れて使っているとのこと。ここは、作業場であると同時に、時にはいろんな方達が交流する場にもなっているのですね。なかなか素敵です。ここに、大きなテーブルを設置して、その上に模型のレールを配置しています。普通、鉄道模型というとHOゲージ(レール幅16.5mm)やNゲージ(レール幅9mm)が頭に浮かんできますが、秋山さんのコレクションはOゲージ(32mm)になります。このサイズを鉄道を走らせよとすると、普通の住宅ではかなり難しい…。ということで、秋山さんも、ご自宅以外の広い場所で、何度かこれらの模型を走らせるイベントを開催されてきました。

■写真に写っている黄色い機関車、これはアメリカ大陸を横断する鉄道「ユニオン・パシフィック鉄道」の機関車です。電気ではなく、エンジンで走る機関車です。ディーゼルエンジンで走っていました。じつは、秋山さんのこの鉄道模型のことがずっと気になっていました。私は、小学生の頃、鉄道模型に憧れていました。もちろんHOゲージです。鉄道模型は”King of hobby”と呼ばれるように大人の遊びです。お金がかかります。当然、子どもであった私にはそのようなお金はありません。町の模型屋でHOゲージの台車だけ買ってきて、後は模型のバルサ材や厚紙でボディを作り、秋山さんのOゲージのように黄色く色を塗りました。まだ、「ユニオン・パシフィック鉄道」のことはちゃんとわかっていなかったと思います。ただ、アメリカのディーゼル機関車ということだけで憧れていました。1969年、小学校5年生の時のことです。私は、福岡県の福岡市、博多駅の近くに住んでいました。1969年はアメリカが初めて月面着陸をした年でした。その時の宇宙飛行士アームストロング船長のことを覚えています。翌年は、大阪で万国博覧会「EXPO’70」が開催され、アメリカ館の展示の人気は前年の宇宙飛行士たちが持ち帰った「月の石」でした。もう50年前のことになります。

■秋山さんは、たくさんのお客さんの間を飛び回りながらも、私とも時間をとっていろいろお話ししてくださいました。懐かしかったです。以前、「 Japan Earth Divers Institute」というブログ仲間のグループを作って、時々、東京の町の地形や歴史を楽しむウォーキングをしていました。当時、中沢新一さんの『アースダイバー』が大変話題になっていたことから、自分たちのウォーキングを「アースダイビング」といって楽しんでいました。懐かしいです。その時のことは、秋山さんのブログの以下のリストからご覧いただけます。もちろん、このリストの全てアースダイビングに参加できているわけではありませんが、関西から何度か参加することができました。現在は塩漬けになっている旧ブログ Blog版「環境社会学/地域社会論 琵琶湖畔発」で、私自身も細かく報告しています。

Blog版「環境社会学/地域社会論 琵琶湖畔発」 - 第五回アースダイビング-善福寺川と阿佐ヶ谷住宅地の50年を探る。- (その1)
Blog版「環境社会学/地域社会論 琵琶湖畔発」 - 第五回アースダイビング-善福寺川と阿佐ヶ谷住宅地の50年を探る。- (その2)
Blog版「環境社会学/地域社会論 琵琶湖畔発」 - 第五回アースダイビング-善福寺川と阿佐ヶ谷住宅地の50年を探る。- (その3)

■会場では、この日に出会った方ともお話をさせていただきました。大阪で設計事務所を経営されている方とは、日本でもダーチャのような「セカンドハウスができるのではないか…」というお話で盛り上がりました。ダーチャとは、現在のロシアがソビエト連邦だった時代に政府が国民に与えられた郊外の菜園付きの小さな別荘です。なかには立派なダーチャもあるようですが、一般には、小さな小屋のようなイメージです。ソ連末期、経済的に疲弊している時、国民が自給自足でなんとか生きていくための大切な手段になったといいます。それはともかく、なぜ日本でダーチャなのか…ということなのですが。

■バブル経済の時代、大阪の郊外に無理をして開発された住宅地があります。そういうところは、交通も不便で、公共交通機関もきちんとあまりきちんとしていないことから、車がないと大変不便な土地です。ただし、距離的には大阪に近いわけです。現在は、都心に人気があり、こういう土地は不動産価格が相当低下しているらしいのです。であれば、このような住宅地を「ダーチャ」として利用できるのではないか。普段は都心で暮らし、週末は郊外の「ダーチャ」で暮らす、そういうライフスタイルが可能ではないか…というのがその時の盛り上がった話の中身でした。鉄道以外にも、いろいろ楽しい時間を過ごすことができました。

【追記】■1969年、福岡市に暮らしていた時のことを書きました。少し気になって調べてみました。模型の名前、頭にあるの「模型の王様」という店名でしたが、どうも違うようです。「王様もけい」だったようです。いろいろ調べてみると、あるブログの記事で、「王様もけい」は、博多駅から呉服町のほうに走っていた西鉄に路面電車が店の前を走っていたようです。間違いありません。現在は、息子さんたちが、お店を引継ぎ「新王様もけい」として鉄道模型のお店を営業されているようです。小学校5年生の私が、「アメリンカのディーゼルカーを作りたい」と相談したのは、息子さんたちのお父様だったわけですね。

aki’s Märklin & MECCANO

20191120akiyamatoichi.png ■私の専門分野は社会学ということになるのですが、私の交友関係といいますか、人のつながりは、そのような専門分野よりもその外部、自分とは異なる他の様々な分野に広がっています。そのよう異なる世界の皆さんとのつながりは、私の人生を豊なものにしてくれているようにも思います。今から15年ほどまえのことになりますが、ちょっとした偶然から、東京在住のブロガーの皆さんが交流されているネットワークに参加することになりました。

■15年前、私は、偶然に見つけたブログ「Kai-Wai散策」の大ファンになりました。写真家のmasaさんのブログです。連日、猛烈な量の熱いコメントを書き送っていました。今も、そのブログをmasaさんは運営されています。ただ、当時とはブログの運営方針が変わり、今はコメントを書くことはできません。しかし当時は、様々な方達がmasaさんのブログを楽しみにしてコメントを書いておられました。またお互いのブログにコメントを書き込みされていました。そうやってそれぞれのブログを通してオープンなネットワークを作って交流を楽しんでおられたのです。そのようなブロガーのネットワークに、突然登場した関西人の私が、連日かなりの分量のコメントを書くようになったのものですから、これまでmasaさんのブログを楽しみにしておられた方たちは驚かれたのではないかと思います。私のコメントを面白がってくださる方たちも多数おられたようですが、なかには眉をしかめておられた方もいらっしゃったかもしれませんね。

■それはともかく、そのようなネットワークの「重鎮」が、住宅設計の分野で活躍されてきた建築家の秋山東一さんでした。秋山さんは、最初、私のコメントを不思議に思われたもしれませんが、にもかかわらず突然現れた私を快く受け入れてくださいました(たぶん…)。何度かお会いして、「JEDI 」=「 Japan Earth Divers Institute」なる怪しくも楽しいグループにも参加させていただき、人気番組「ブラタモリ」のように、地形や歴史を意識しながら東京の街を一緒に丹念に歩かせていただきました。ところが、そのようなブログを通した楽しい交流が突然中断することになりました。2011年の東日本大震災です。masaさんの「Kai-Wai散策」からコメント欄がなくなり、ご自身の作品を発表されるようなスタイルに運営方針を変更されました。また、その頃からfacebookなど様々なSNSが発展してきたことから、かつてほどブログを通しての交流は少なくなっていきました。私も、それまでのブログを塩漬けにして、新たに、教員としての自分の活動を報告するこのブログをスタートさせました。ネット上の交流はfacebookが中心になりました。

■そのような時代の変化の中でも、建築家の秋山東一さんは、ずっとご自身のブログ「aki’s STOCKTAKING」を継続されいます。加えて、facebookにも時々投稿されています。先日の秋山さんからfacebookのメッセンジャーを通して、「大阪にある仲間の工務店の加工場で、趣味の鉄道模型のイベントを開催するので都合が付けばやってこないか」とのお誘いを頂きました。秋山さんは、Märklin(メルクリン)というドイツ玩具メーカーのディーゼル機関車や、 MECCANO(メカノ)というイギリスの玩具メーカの鉄道模型の鉄橋をお持ちなのです。鉄道模型とはいっても、1番ゲージ、軌間は45mmとかなり大きな鉄道模型です。今回のイベントでは、その大きな鉄道模型を広い工務店の加工場を借りて走らせるようです。あわせて、秋山さんのご講演もお聞きすることができるようです。イベントの開催は週末の土日。日曜日は仕事の予定が入っていますが、土曜日は幸いにも予定が入っていませんでした。午前中は孫娘の七五三のお祝いがありますが、午後からは時間が取れるので、秋山さんのイベントに参加させていただくことにしました。

■秋山さんにお会いするのは、何年ぶりでしょうね。おそらく10年ぶりです。楽しみです。

【追記】■秋山さんのイベントの詳しい情報については、以下をご覧ください。

「全ての玩具は教材である」

同窓会滋賀支部総会・懇親会

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■土日は入学試験があり、両日とも瀬田キャンパスにいました。一昨日の日曜日は、前回の投稿のように、仕事が終わってから吹奏楽部の部室で開催された「指揮者講習会」を見学させてもらいましたが、土曜日は夕方から、草津市にあるクサツエストピアホテルで開催された、母校、関西学院大学の同窓会滋賀支部総会・懇親会に出席いたしました。同窓会滋賀支部には、昨年から参加させていただいています。ずっと奈良に暮らしていましたが(一時は岩手県に単身赴任)、4年前から滋賀県大津市に暮らすようになったことから、滋賀支部に入れていただくことにしたのです。総会以外にも、滋賀支部「湖東・湖北ブロック」の皆さんにお誘いをいただき、何度か小さな宴会にも参加させていただきました。こうやって同窓の皆さんと交流することを楽しめるようになったのも、やはり還暦を超えたからではないかと思います。

20191112dousoukai2.jpg ■総会・同窓会では、学年の近い方達が同じテーブルに着席します。私のテーブルでは、浪人していることもあり私が一番年寄りでしたが、同じテーブルの方達と「こんな店があって、昔はよく通ったなあ」などと上ヶ原キャンパスの周辺や阪急西宮北口周辺のお店のことを、みんなで懐かしがりながら話して盛り上がることができました。おそらく、昨年の同窓会でも同じような話題で盛り上がったのではないかと思いますが、それはそれで「ヨシ」としましょう。同じ話題でも楽しいんですから、それでいいんです。

■総会の後半では、毎年、母校の関係者が余興をしてくださることになっています。昨年は、関学の軽音楽部の出身で、私たちとほぼ同世代のバンドの皆さんの演奏でした。ビートルズのコピーバンドで、懐かしく素敵な演奏でした。今年は、現役の学生さんたちの演奏でした。驚いたことに、私も所属していた関西学院交響楽団の木管楽器の皆さんによる木管三重奏でした。心の中では、「お〜い、現役の部員の皆さん。先輩が目の前に座っていますよ」と思ってはいましたが、先輩は黙って活動費を支援しつつ、ニコニコと微笑んで応援しているのが一番良い…と思っていますので、こちらから彼女たちのところに行くことはしませんでした。しかし滋賀支部の事務局の方が気を利かせて私が交響楽団の出身であると説明してくださったようで、懇親会の時に、彼女たちの方から挨拶に来てくれました。少しだけですが、楽しくお話をさせていただきました。

■この部員の皆さんは来年の2月に第134回定期演奏会を開催されますが、私が4回生の時の最後に出演した定期演奏会は第何回かといいますと…、なんと第59回でした。定期演奏会は年2回。私が卒業してから75回も演奏会が開催されていることになります。私が現役の学生部員だった時、第1回の定期演奏会は遠い遠い大昔のように感じられましたが、おそらく今回木管三重奏を演奏された皆さんは、白い髭をはやしたおじいさんの先輩を前に、私の時以上に大昔に感じられたのではないでしょうか。

田口宇一郎さんの「瑞宝中綬章受賞を祝う会」

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◼︎今日は、田口宇一郎さんの「瑞宝中綬章受賞を祝う会」がびわ湖大津プリンスホテルで開かれました。滋賀県内の自治体、国会、県議会、経済界、様々な団体、県職員OBOG、現職部次長の皆さん、田口さんの受賞をお祝いするために300人を超える皆さんが、お集まりになりました。

◼︎私は、1991年に琵琶湖博物館の開設準備のために滋賀県庁に入庁しました。大学院の博士課程を終えてオーバードクターをしていた時です。その時の、直接の上司が田口さんでした。私の所属は、滋賀県教育委員会事務局文化施設開設準備室で、学芸技師という職名でした。その時、田口さん参事をされていました。翌年の1992年には私のいた準備室は(仮称)琵琶湖博物館開設準備室になり、田口さんはその準備室の室長に。1996年の琵琶湖博物館開館時には副館長に就任されました。その後は、農政水産部環境監、琵琶湖環境部次長、最後は琵琶湖環境部長を歴任され、2002年に滋賀県庁を退職されました。退職後も、滋賀県理事員、滋賀県政顧問に、そして2008年からは2013年までは嘉田由紀子知事のもとで副知事をされました。その他にも、財団法人近江環境保全財団理事長、滋賀県産業支援プラザ理事長、滋賀県文化振興事業団会長等も歴任されています。

◼︎私は田口さんが農政水産部次長をされている時に、滋賀県庁(滋賀県立琵琶湖博物館)から岩手県立大学に異動することになりました。田口さんのもとで仕事をしていたのは6年ほどでしかありませんが、結果として「組織で仕事をするとはどういうことなのか」「組織でどういうふうに仕事を進めるのか」、そのようなことを教えていただいたように思います。その時の経験が、自分の人生にとってとても大きな財産になっています。そのように意味で、田口学校の生徒のような気がします。2004年に岩手県立大学から龍谷大学社会学部に異動しましたが、それ以来、再び、田口さんには以前と同じようにご指導をいただいています。ご指導いただくのは、大津駅前のいつもの居酒屋「利やん」が多いわけですが(^^;;。もちろん、「利やん」に通っているのは、田口さんのご指導の賜物です。

◼︎さて、これから田口さんとは、人の終末期を地域全体でどのように支えていくのか…そのような課題に、福祉や宗教、そして医療の専門家と一緒に取り組んでいくことになっています。そのことを、またご報告できるかもしれません。

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