ザルツブルグの小道から

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■朝、facebookを覗くと、かつて関西学院大学交響楽団で同級生として一緒に演奏していた島岡現くんの投稿が目に入りました。そこには、こう書いてありました。「ブログ始めました。コロナウイルスのパンデミック下、ザルツブルクでの日記です」。早速、ブログを拝見すると、タイトルは「ザルツブルクの小庭から」。プログのタイトルの下には、次のような説明がありました。「パリとザルツブルクを往復する俳優・音楽家、GEN。コロナウイルスのパンデミックで長期滞在することになった自然豊かなザルツブルク郊外から、妊娠中のパートナーとの生活をリポート」。島岡くんは同級生なので、当然のことながら、還暦を超えたところです。私はすでに孫が生まれて「おじいさんワールド」を邁進していますが、島岡くんは、もうじき父親になるのです。パートナーのアンナさんにはお会いしたことはありませんが、お若い女性のようです。このこと知ったのは、少し前のことになります。島岡くんからfacebookのメッセンジャーで連絡があり、その時のやりとりの中で初めて知りました。大変おめでたいことです。

■島岡くんと私は、学生時代、関西学院交響楽団で所属していました。彼はコントラバスを、私はバイオリンを弾いていました。学生オケの弦楽器奏者は、その多くが初心者です。バイオリンとチェロの一部の人たちは経験者ですが、一部と書いたように、多くは初心者なのです。島岡くんも、そのような初心者でコントラバスを始めました。大変熱心にコントラバスの練習に取り組んでいたように記憶しています。もともと、ピアノを弾いていたように思います。高校時代のあだ名が、確か「山のベートーベン」だったかな。もともと音楽には強い関心を持っていたのです。その島岡くん、その音楽好きが高じて、3回生の途中から1年間アメリカの大学に留学をすることになりました。留学先は、関西学院大学と関係の深い、アメリカのテキサス州ダラスに本部を置く南メソジスト大学でした。帰国後、関西学院大学文学部を卒業して、彼は再び南メソジスト大学の大学院に入学しました。確か芸術学研究科だったかなと思います。そのあとは、ニューヨークに本部のあるジュリアード音楽院に学び、その時にコントラバスの指導を受けた先生がフランスのパリのオケに移動したことから、彼もフランスに渡ります。

■その後のことは、私もよくわかっていないのですが、たまたま、20数年前に科研費の研究でフランスに行った時に、パリで彼と会うことができました。その時はクラシックだけでなく、ジャズなどの様々なジャンルでコントラバス(ベース)を弾いていたように記憶しています。その頃からでしょうか、島岡くんはさらに活動の幅を広げていきます。気がついたら、映画、舞台、それからサーカス…と言った世界で個性的な脇役として活躍する俳優になっていました。びっくりです。確か、声優もしていたのではないかな。そして、気がついたら、今度は島岡くんにはオーストリア人の若いパートナーがいて、さらに気がついたら(先日のことですが)お父さんになると言うのです。ここ10数年、島岡くんはほぼ毎年日本に帰国していたので、そのたび同窓会を開いてきたことから、それなりに彼の暮らしのことを聞いて知っていたつもりではありましたが、父親になるとは思ってもいませんでした。今日、同級生にLINEでそのことが伝わりました。みんなも大変喜んでいました。

■島岡くんのプログのことについて書かないといけませんね。まだ、投稿は1つだけなんですが、パンデミックで大変な状況のオーストリアのザルツブルグの暮らしをこれかも投稿してくれるようです。facebookのメッセンジャーで「自分のため、パートナーと特に生まれてくる子供のための日記として始めたのをふと思いついてブログにしたので特に深い意味は無いのですが。ただ、書き出して見たら書くことがとても楽しいことを発見しました」と伝えてくれました。島岡くんは、特に深い意味は無いと書いていますが、パンデミックの状況の中で、大切なパートナーと一緒にゆったりと過ごし、新しい命の誕生を迎えること、これは島岡くんの人生の中では特別な意味を持った経験になるのではないでしょうか。もし、パンデミックがなかったら、パリとザルツブルグの間を行ったり来たりしていたのでしょうから。これから続く島岡くんの投稿を楽しみにしています。

■そうそう、もうひとつ。最初のこの投稿を読めばわかりますが、彼はテツ(鉄道ファン)でした。学生時代からそうでした。大学に入学した頃は、京都の嵐山にある自宅から阪急電車で西宮の関西学院大学まで通っていて、熱く、阪急電車について語っていました。そのことを思い出しました。

オンライン授業のこと

■先日、某大学の教員をされている方から、勤務されている大学で、どのように新型コロナウイルスに対応して新年度の授業を始めていくのか…ということについて話を聞かせてもらいました。「うちの大学ではオンライン授業をする準備を進めています。すでに、そのインフラは整っているので」とのことでした。なるほど。新型コロナウイルスの感染が始まる前から、オンライン授業の整備を進めていたんですね。

■こちらの記事によれば、名古屋商科大学は新学期から授業をオンラインで行うようです。こちらの大学では、「1985年から学部新入生全員に対してノートパソコン(Macintosh)を無償譲渡しており、2018年からはオンラインを活用した討論型ケース授業を通じてノウハウを蓄積してきた」と言います。なるほど。我が龍大は…、私が知る限りあまり進んでいないのではないかと思います(どうだろう…)。記事の以下の部分もすごく気になります。アメリカではすでにオンライン授業が当たり前になりつつあると聞きます。

オンライン授業では大学支給のノートパソコンを使ってZoom(遠隔会議ソフト)による授業に参加し、質問などはGoogle Classroomを利用する。カメラをオフにしている場合は欠席とみなす。事前にオンライン授業への参加方法に関する講習会を実施するほか、授業期間中は問合せ専用の直通電話を用意する。自宅にインターネット環境がない場合は、パソコンとイヤホンマイクを持参し、指定された教室で参加することもできる。

■おそらく、大学のオンライン授業が増えてくると、大学は変化せざるをえなくなりますね。facebookで、同僚の教員の方と少しやりとりをしましたが、大学の設置基準も変わってくるのではないかと思います。これまでのような教室は、必ずしも必要でなくなります。特に、大教室で大きな黒板にチョークで板書をしながら、大人数の学生を相手に講義を行う…そのような授業は消えていくのではないかと思います。広大なキャンパスも今ほどは必要でなくなるのではないでしょうか。図書館も書籍をオンラインで読めるようになると、物理的な意味での大学の存在意義は、今とはかなり違うものになるでしょう。通学のための交通費も、今ほどはかからなくなると思います。遠く離れた場所に暮らしていても、オンライン授業であれば可能です。下宿をする必要もありません。仕送りも必要でなくなるのではないでしょうか。

■しかし、「身体性」に関わる問題は残り続けると思います。これ、けっこう、重要だと思います。一緒にいることで、一緒にいるからこそ…という教育の側面はやはり残り続けるでしょう。一緒に何か課題について議論をして、一緒に活動を行う…。そんなことは、オンライン授業では難しいですね。何がオンライン授業で可能か(代替可能か)。オンライン授業だから優位なことは何か。逆に、オンライン授業にできないことは何か。実際に対面するからこそ可能なことは何か。そのあたりのことをきちんと、わからなければなりません。そうすると、大学で実際に学生と共に行う授業って、私の場合であれば、課題解決型の実践的な教育プログラム…ということになるのかなと思います。課外活動はどうでしょうか。スポーツにしろ音楽にしろ、大学への帰属意識が前提になりますが、オンライン授業で大学に行く回数が減ると、大学の課外活動は衰退していくような気もします。どうでしょうか。そのあたり、よくわかりません。先行してオンライン授業に取り組む大学の経験知から学ぶと同時に、自ら経験を積み重ねていくしかありませんね。新型コロナウイルスの経験を経た後の大学は、大きく変化する気がします。変化しない大学は、時代の変化に取り残されていくことになるのではないでしょうか。

■もちろん、大学だけでなく、新型コロナウイルスの後は、いろいろ社会に変化が起きるでしょう。満員電車に乗って都心のオフィスに毎日通わなくても、いろいろできることを、多くの人びとが実感し始めているはずです。そうなると、今ほど都心にはオフィスが必要でなくなります。これは、不動産業には大きなダメージになります。このことについても、東京にお住まいで都市開発に関連するお仕事をされているお友達とfacebookでやりとりをしました。その方は「構造不況が始まる」と心配されていました。加えて、鉄道も衰退する可能性があります。すでに都心回帰の時代にあって、郊外に住宅を持って、そこから都心のオフィスに通う…というパターン自体が過去の、これから消えていく「幸せのモデル」になりつつあります。では、都心のタワーマンションに暮らすのか…。いやいや、そうではないように思います。テレワークの存在感がもっと大きくなってきたときには、もっと異なる「職住のパターン」が生まれて、もっと別の「幸せのモデル」が生まれるような気がします。あくまで、気がする…だけですが。そうなると、不動産市場も大激変するでしょうね。

■こうやって考えていくと、都心に近い自治体、毎日通勤することが可能な自治体に暮らさなくてもよくなります。どのようなことが「暮らしたい自治体」の基準になってくるのでしょうね。それぞれの自治体が魅力的な独自性を出していかなけれ住んでもらえなくなってしまう…そういう時代が目の前までやってきているのではないでしょうか。この他にも、いろいろ頭の中に浮かんできます。妄想の類でしかありませんが、今回の新型コロナウイルスの問題は、特定の地域や、特定の国の問題ではありません。パンデミックですから、世界中で同時に起こっていることになります。しかも、それぞれの国で起こっている状況の変化をメディアを通して、刻一刻と世界中の人びとが知ることになります。このパンデミックを、同時進行で経験することが、いったい世界に何をもたらすのでしょうか。

■いろいろ考えるのですが、そのような妄想はここでは横に置いておいて、今日の話をします。今日は、NPO(特定非営利活動法人琵琶故知新)の会議を「zoom」を使ってやりました。5人での会議です。けっこう、慣れればスムースにできるなあというふうにも思いました。ということで、NPOの事務所にいかずに自宅から会議に参加しました。20人のゼミ程度の人数であれば、簡単にできます。ただし、無料のサービスのプランでは、グループミーティングは40分に限られています。もっとも、2人だけのミーテイングであれば時間の制約はないようです。今日の会議で、「zoom」は2回目の経験になりますが、ちょっと慣れてきました。ちなみに、会議に参加された方に教えていただきましたが、この「zoom」では大学でも使えるようなサービスが提供されているようです。ゼミの運営や卒論の指導などにも、この「zoom」を使えるのではないかと思います。で、この「zoom」を使って飲み会もできそうな気がしてきました。「zoom」で飲み会ができると、飲み屋街にも影響が出ますね…。

■さらに話は変わります。昨日は、孫のお誕生日会がありました。私は、環境保全に取り組む市民団体への助成の選考会(平和堂財団夏原グラント)で行くことができませんでした。というわけで、この仕事が終わった後、「LINE」の「ビデオ通話」で3歳になった孫に「おめでとう」を言おうとしたのですが、ちょうどお誕生日ケーキをカットして食べるところだったようです。ということで、「ビデオ通話」で「Happy birthday to you」を一緒に歌うことになりました。その時、私はどこにいたのか…。山科駅近くの「無印良品」のお店の中にいました…(^^;;。

第134回定期演奏会阪神淡路大震災25周年メモリアル-阪神文化と大澤壽人-


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■昨日は、ひとつ前の投稿の通り、第32回地球研地域連携セミナー(滋賀)「びわ湖の水草 市民がはじめる環境自治」に参加しました。参加したのですが、当初は、学生時代に所属していた関西学院交響楽団の「第134回定期演奏会 阪神淡路大震災25周年メモリアル」に行く予定でした。指揮は、世界的に活躍されている佐渡裕さんです。私も当初は「絶対にいくぞ!!」と意気込んでいたのですが、地域連携セミナーの仕事と重なり、OB会のお世話になって確保したチケットも他の方にお譲りすることになりました。ただ、昨日の定期演奏会の様子を、後輩のTさんのfacebookへの投稿で知ることができました。

■母校である関西学院大学は、兵庫県の西宮市にあります。25年前の阪神淡路大震災の際には、被災地の中にある大学のひとつになりました。在学生は15名が犠牲になりました。ただ25年前のことですから、今回の定期演奏会で演奏している後輩の皆さんは、まだ生まれていません。その後輩の皆さんが、あえて阪神淡路大震災25周年メモリアルと位置付けられたことは、震災の記憶を風化させないようにしたいという、被災地の大学の学生としての気持ちの表れのように思いました。Tさんのfacebookでの投稿を読みながら、Tさんもご指摘のように、「阪神」、そして「阪神文化」というキーワードが頭にしっかり浮かんできました。

■今回の定期演奏会では、ブラームスの「大学祝典序曲」、ムソルグスキー(リムスキー・コルサコフ編)の「交響詩 禿山の一夜」、大澤壽人の「交響組曲 路地よりの断章」、チャイコフスキーの「交響曲第5番」の4曲でした。この4曲のうち、クラシックファンの方達でも、大澤壽人という作曲家の名前や「交響組曲 路地よりの断章」という作品をご存知ない方がたくさんいらっしゃるでしょう。私もそうです。大澤壽人(おおさわ ひさと1906年-1953年)さんは、神戸生まれ、母校・関西学院大学の同窓生です。1930年に関西学院高等商業学部を卒業されました。学生時代は関西学院交響楽団に所属されていました。大先輩になるわけです。卒業後は、アメリカに留学し、ボストン大学やニューイングランド音楽院で、そしてフランスのエコールノルマル音楽院で学ばれました。多くの作品を作曲されていますが、今回の「交響組曲 路地よりの断章」は、1936年の作品です。組曲ということで、7曲から構成されています。

■後輩のTさんのfacebookの投稿には、大澤壽人という大先輩の作品を、後輩たちの演奏で聞くことができたことをとても喜んでおられました。実際の演奏では、曲の途中で、3度ほど指揮者の佐渡裕さんが解説を入れられたそうです。なかなか贅沢です。佐渡さんは「題名のない音楽会」の司会者をされていたことがありますが、まるでその時の番組のようです。そのような経験は、なかなかできません。Tさんの感想ですが、佐渡さんは、「神戸という街が育てた大澤壽人」という視点から見ておられた…と感じられたようです。素敵ですね。メインの曲は、チャイコフスキーの交響曲第5番ですが、そのあとのアンコールは、なんと宝塚歌劇団の「すみれの花咲く頃」だったそうです。宝塚歌劇団のある宝塚も阪神淡路大震災の被災地であるとともに、歌劇は「阪神文化」を代表するもののひとつです。しかも、大澤壽人さんは、戦後、神戸女学院大学で教鞭をとりながら、宝塚歌劇団に音楽を提供されていたことも知られています。なかなか考えられたアンコールです。アンコールでは、佐渡さんも鍵盤ハーモニカで演奏に参加され、周りからは一緒に歌う方たちの歌声が聞こえてきたとTさん書いておられました。しかも佐渡さんご自身、西宮北口にある兵庫県立芸術文化センターで芸術監督をされています。このホールは阪神・淡路大震災からの「心の復興、文化の復興」のシンボルとして開館しました。「阪神文化」、大澤壽人、阪神淡路大震災、宝塚歌劇団…、本当にいろいろ考えられた、「阪神淡路大震災25周年メモリアル」に相応しい構成だと思います。

■少し前のことになりますが、ブログに「OB交響楽団での練習を見学」にも書きましたが、33年前、関西学院交響楽団は、若き日の佐渡さんに指揮をしていただきました。その時の部長(学生の代表)のT君が、佐渡さんのロンドン公演後の楽屋の出口で待って再会したことが、ひとつのきっかけになっています。33年前、佐渡さんは急遽留学することになったため、予定されていた客演指揮ができなくなりました。今回の演奏は、その時の約束を今回はきちんと守ってくださったのだと思います。これも、素敵なエピソードですね。

OB交響楽団での練習を見学

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■私は、学生時代、母校の関西学院大学の学生オーケストラ、関西学院交響楽団に所属していました。昨日は、この学生オケの出身者が結成した「関西学院OB交響楽団」の練習が、西宮の甲東園にある公民館で開催されました。私自身は、このOBオケのメンバーではありませんが、OBオケの方から見学しませんかとのお誘いがあり、お邪魔いたしました。この日の練習は特別でした。世界的に活躍されている指揮者、佐渡裕さんが指導されることになっていたからです。

■33年前の1987年、神戸文化ホール大ホールで関学オケの「第69回定期演奏会」が開催されました。指揮者は、佐渡裕さんでした。その当時、新進気鋭の指揮者として関西のあちこちの学生オケや市民オケで棒を振っておられました。ちなみに、龍谷大学吹奏楽部も、佐渡さんに指揮をしていただきました。1986年のことです。佐渡さんの指揮のおかげで、日本吹奏楽コンクールの全国大会に初めて出場することができました(もちろん、私は、1986年当時、関学の大学院生で、コンクールのことなど何も知りませんでしたし、自分が将来、龍谷大学で教員をしていることも夢にも思っていませんが…)。

■当時の関学オケでは、次の定期演奏会でも指揮を佐渡さんにお願いすることになっていたようですし、佐渡さんもそのことを了承されていたようです。しかし、佐渡さんは急遽留学されることになり、佐渡さんの2回目の指揮による定期演奏会は実現しませんでした。そのことを、昨日、練習を開始する前に、佐渡さんが当時のことを振り返りながらお話になりました。

■その後、時が経過し、佐渡さんはヨーロッパを中心に活躍されるようになります。そして、佐渡さんから関学オケで指導を受けた1人の後輩もヨーロッパで働くようになりました。彼は、関学オケの学生代表である部長でした。その後輩が佐渡さんに会いに行ったことから、再び交流が始まりました。2017年の事のようです。来月、開催される関学オケの「第134回定期演奏会 阪神・淡路大震災25周年メモリアル」の指揮は佐渡さんですが、佐渡さんと後輩とのこのような再会と交流がひとつのきっかけになっているようでした。

■詳しくはわかりませんが、昨晩の練習は、佐渡さんに再び定期演奏会で指揮をしていただくことと関連する、「現役定期応援企画」なんだそうです。OBオケの練習についても、佐渡さんが特別にご指導くださることになったようです。OBオケの全員ではありませんが、多くの皆さんが佐渡さんが指揮をされた時代に、現役だったのでしょうね。

■練習した曲は、来月に開催される「関西学院OB交響楽団 阪神・淡路大震災メモリアルコンサート~ 25 年目の『 風に想う』 ~」で演奏するシューベルトの「交響曲 未完成」でした。練習が始まる前はどうなるんだろう…とちょっと心配していましたが(失礼なことを書いてますが…ごめんなさい)、佐渡さんが指揮をされると音も音楽も見事に変化していきました。驚きました。指導の中でお話になる曲の解説についても、とても勉強になりました。「未完成」の練習の後は、休憩を挟んで、弦楽器で「G線上のアリア」が演奏されました。演奏前には、OBオケの指揮者の後輩から震災当時の出来事についてのお話がありました。私も、震災の時のことをいろいろ頭に浮かべながら聞かせていただきました。そして、演奏の後、黙祷を捧げました。

■練習の休憩時に、佐渡さんとお話をさせていただきました。34年前、龍大吹奏楽部が佐渡さんの指揮で日本吹奏楽コンクール全国大会に出場できたことのお礼を申し上げたのです。その上で、佐渡さんが指揮をされたトーンキュンストラー管弦楽団のマーラーの交響曲第5番のCDにサインをしていただきました。もちろんOBオケのメンバーも、佐渡さんに未完成の譜面にサインをお願いされていました。まあ、クラシックファンだとそういうものですかね。そうそう、OBオケのメンバーに混じって、私たち見学していたOBも一緒に、記念写真をお願いしました。この辺りは、自分でも恥ずかしほどミーハーなわけですが(^^;;。

■昨日は、懇親会もありました。6つしたの学年の方達と同じテーブルになりました。私がかろうじて知っている後輩の皆さん、元女子学生の皆さんです。こんな話も出てきました。卒業旅行でウィーンに行った時に、佐渡さんにお会いしてご自宅でカレーをご馳走になった…、オペラを見るのにストーリーがわかっていないと辛いからと解説した文章をいただいた…、そういう話です。30年前のことなので、元女子学生も記憶は曖昧、佐渡さんも完全に忘れておられました。まあ、こんなものですかね(^^;;。ひさしぶりに、お会いした元女子学生の皆さんとお会いして楽しい時間を過ごすことができました。とはいえ、22時半にはお先にお暇して滋賀に戻らねばなりませんでした。これがギリギリ。自宅最寄駅に最終電車で帰れる時間でした。

ウルフムーンとハマチ

20200112publicdomainq-0002731tcycag.jpg ■日曜日は用事があって、奈良の娘のところに行きました。もちろん、孫のひなちゃんともたくさん遊びました。3月で3歳になるひなちゃんは、もう普通に話をすることができるので(もちろん、大人の会話はできないけれど)、一緒に遊んでいてこれまでとはまた違う楽しさがあります。晩には、近くにちょっと買い物に一緒に行きました。まーるいお月様が登っていました。記念すべき「初デート」ですね。後で、知り合いの方に教えていただきましたが、日曜日の満月は「ウルフムーン」だったそうです。

■といっても、私はウルフムーンがなんであるのか、よく知りませんでした。1月の満月のことを、ウルフムーンと呼ぶのだそうです。ネイティブアメリカンの呼び方のようです。狼にとって1月はちょうど食べる餌がなくなる時期で、お腹をすかせた狼が遠吠えする…とのことでしたが、真偽のほどは私にはわかりません。でも、それはこのさいはあまり気にしないようにしましょう。孫のひなちゃんとの「初デート」が2020年のウルフムーンの晩であったこと。ひなちゃんはすぐに忘れてしまうでしょうが、おじいさん(私のこと)は、大切な思い出としてずっと記憶することでしょう。

20200113hamachi.jpg ■ひなちゃんとの短いけど、記念すべき「初デート」を終えてしばらくすると、ひなちゃんのお父さんが魚を沢山釣って帰宅しました。おとうさんは釣り師です。ひなちゃんも、将来は釣りをすることが宿命づけられている…のかもしれません。おかあさんは、ピアノをさせたいといっています。釣りとピアノ…。なかなかシュールですね。自然と音楽に親しむのは良いことです。それはともかく、我が家もハマチを1匹お裾分けしてもらいました。帰宅後、さっそく捌きました。今晩は、刺身とあら炊きでした。美味しくいただきました。この季節のハマチは美味しいのだそうです。せっかくイキの良い魚いただいたのですが、我が家の包丁は…。もうちょっと良い包丁が欲しいなと思います。
(月の写真は、著作権フリーのものを使っています。)

新年のご挨拶

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20190103mygarden1.jpg■昨年の1月に母が86歳で天寿を全うしたことから、新年のご挨拶もそこそこにして、今年のお正月は控えめ⁈に過ごしています。一昨年から、還暦になったことを機に、年賀状での新年のご挨拶も失礼させていただいています。もっとも、年末に東京で働く息子が帰省し、今日はこれから奈良に暮らす娘の家族や、親戚の皆さんとの新年会です。控えめなお正月ではありますが、それなりに楽しんでいます。

■日差しが暖かいので、庭に出て春の準備をしている庭の草木をボーッと眺めています。小さな小さな庭ですが、なんとなく心が安らぎます。大学の仕事だけでなく、学外でもNPO法人「琵琶故知新」の運営、高島の「全国棚田サミット」の支援、大津市大石・田上地域の活性化…といろいろありますが、ボチボチとやっていくことにします。ご理解ください。体調のこともありますが、マイペースでやっていくことにします。どうか、よろしくお願いいたします。

■大学の仕事ですが、定年退職まであと7年となり、いろいろ考えるところがあります。龍谷大学が頑張って取り組んできた地域連携を、次の時代の教学運営の大切な軸にできればと思っています。しかし、私には限られた時間しかありません。できること/できないこと。やるべきこと/やるべきでないこと。そのあたりをきちんと峻別して、若い世代の同僚の皆さんを応援することを基本的なスタンスとして働いていければと思っています。

縦コン

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■一昨日は、学生時代に所属していた関西学院交響楽団(通称、関オケ)のビオラパートを中心とした「縦コン」でした。「縦コン」とは、学年を超えて縦につながったコンパ…のことでしょうか。コンパという言葉自体が今や「死語」のような気もしますが、我々の世代はなんと言っても飲み会ではなくて、コンパです。昨日の「縦コン」の正式名称は、「20191228大ビオラ会縦コン」です。

■参加者は48名。そのうちの41名はビオラパートの方達ですが、残りの7名は、他のパートの方達です。私もこの他のパートのうちの1名になます。私の場合、現役時代はずっとバイオリンを弾いていましたが、卒業して大学院に進学してからは、後輩たちの定演でエキストラとして弾いていました。その時代に1回だけ、ビオラを弾いたことがあるのです。内声部のパートに憧れていたのですね。堤俊作さんが指揮をされたベートーベンの交響曲第3番「英雄」でした。ビオラとバイオリンでは奏法が違うのですが、私は我流で、ビオラをバイオリンのように弾いていたと思います(^^;;。ただ、バイオリンの譜面はト音記号ですが、ビオラはハ音記号。最初の頃は、頭の中でト音記号をハ音記号に変換していたので、大変でした。ちなみに、昨日、胸にはったネームカードにはハ音記号がデザインされていました。細かい気の配り方ですね。

■昨日は、1970年に卒業された大先輩から、2018年に卒業されたばかりの後輩の皆さんまで、大勢の方達が集まりました。1970年に卒業された大先輩の頃は、キャンパスは学園紛争でロックアウトされていて、部室にしかいく場所がなかったとか…2018年卒業の方達にはなかなか理解しがたい話かと思います。驚いたのは、1982年卒業の先輩と2018年に卒業された後輩が親子で乾杯のおんどを取られたことです。もちろん、親子でビオラパートです。すごいですよね。年齢の幅はかなり広いです。親子よりは離れていて、場合によれば祖父母と孫くらい…かな。これも、すごいですね。ただ、若い後輩の方達がおられるおかげで、私の卒業年次に近い後輩以上の人たちは、みんな平等に歳をとった感じで、みなさん立派なおじさん、おばさんになっておられました。妙な安心感(^^;;。

■昨日は、東京等の遠方から、この「20191228大ビオラ会縦コン」のためにやってこられた方が何人もおられました。その先輩が途中で帰宅されるということで、後輩のひとりがエールを切って校歌「空の翼」を全員で歌いました。もちろん、最後にも、もう一度「空の翼」。いいですね〜。みんな校歌の1番だけは歌えますね。

■昨日のお店「鳥居」は、西宮界隈では有名な焼き鳥屋さんです。私の学生時代の頃は、阪急仁川駅そばに本店がありましたが、現在では、甲東園駅や昨日の小林駅のそばにもあります。大変有名なお店で、お店のなかがいっぱいな時は、お店の入り口の前にビールのケースを置いて、その上に板を敷いて椅子がわりに使っていました。とても懐かしかったです。ちょっと、味は変化していたけれど…。こうやって昔を懐かしみながら、幸せな気持ちになって、少しずつ歳をとって行けたらいいなあと思います。

■「20191228大ビオラ会縦コン」の会場は西宮市でした。ここから大津の湖西にある自宅まで戻らねばなりませんでした。帰宅に時間がかかるので、多くの皆さんが余韻に浸っているところを、お先にお暇させていただきました。東京に深夜バスで帰るという同級生と一緒でした。タフネスです。女性ですけど。若いな〜。それはともかく、スマホのアプリで帰りの電車を検索。すると…

阪急小林→阪急西宮北口→阪急十三→阪急高槻市→阪急大山崎…徒歩…JR山崎→JR京都→湖西線…

■ずいぶん、乗り換えをしなくてはいけませんが、これが一番早いらしく、アプリの指示通りに帰宅することにしました。JR山崎駅、なかなか素敵な佇まいです。調べてみると、1927年(昭和2年)に建てられた駅舎のようです。入り口のアーチが素敵です。戦前の都市郊外に建設された住宅地の最寄り駅…の雰囲気が出ているような気がします(勝手な妄想ですけど)。そばには、サントリーの山崎蒸溜所があり、アサヒビールの山崎山荘美術館があります。そのイメージともよくあう素敵な駅だと思います。

西日本代表校決定戦〜Western Japan Bowl〜立命館大学vs関西学院大学ゲームハイライト


■母校・関西学院大学アメリカンフットボール部ファイターズ、全日本大学選手権西日本代表決定戦ウエスタンジャパンボウルで、立命館大学パンサーズを21-10で破り、甲子園ボウル出場を決めました。ファィターズの皆さん、おめでとうございます。卒業生として、大変嬉しいです。

■関学は、立命館にリーグ戦では負けたわけですが、今回は、きちんと積み重ねたきた練習の成果を本番の試合でも発揮できたのではないかと思います。今年のリーグ戦では、鳥内監督はいつも自分のチームの試合内容に厳しいことを言っておられたように思いますが、最後は良い結果になりました。一方、立命館は、その逆なのかなと思いました。うまく発揮できなかったのではないかと思います。私はアメリカンフットボールについて全く素人なので、間違ったことを言っているかもしれませんが…。母校を応援していたわけですが、少し残念な気持ちもあります。立命館にもっと力を出してもらいたかった…というのが本音です。その時々の様々な事情があるとは思いますが、本番の試合で全力をきちんと出し切ることって本当に難しいですね。

■立命館大学は、この2015年から2度リーグ優勝していますが、全国8連盟のリーグ代表校によるトーナメント戦で東日本代表校と西日本代表校をそれぞれ決定する方式に仕組みが変わっていることから、2015年に甲子園ボウルに出場して以降は、毎年関学に破れています。つまり来年度は、チームの中に、甲子園ボウル経験者がいなくなるということです。これはチームにとって、とても大きな出来事かと思います。

■今年の関西アメリカンフットボールのリーグ戦、神戸大学の活躍がとても印象に残りました。神戸大学は、2017年には2部に降格しましたが、昨年は復活し、今年は大活躍しています。アメリカンフットボールに限らず、学生スポーツの記録を見ていると、様々な浮き沈みがありますね。ちなみに、我が龍谷大学は、これから入れ替え戦です。本当に頑張って欲しいと思います。おそらく、応援にいきます。12月14日(土)王子スタジアムで14時から、2部1位の大学との対戦になります。龍谷大学の関係者の皆さん、応援いたしましょう。

■大学スポーツにはそのような浮き沈みがあるわけですが、そのような中で、ずっと関学は優勝を争うポジションに居続けています。すごいことだと思います。その関学を率いてこられた鳥内秀晃監督は、今シーズンで監督を勇退されます。1992年に監督に就任されてから27年になります。私は浪人したので学年は違いますが、鳥内さんと同い年です。鳥内さんは、学生主体、学生本位でいつもチームのことを考えておられるわけではありますが、最後、甲子園ボウル優勝で勇退していただきたいと思います。鳥内監督に関連する記事は山のようにありますが、以下の記事は、学生スポーツだけでなく、全ての大学の課外活動に関わる人たちにとって、参考になる記事なのかと思います。私も大学の課外活動に関わっていますが、とても参考になるなと思いました。
【育てる】来季勇退の関学大アメフト部・鳥内秀晃監督「体罰がないから強い」

孫の七五三

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■2017年の春に生まれた孫娘は、満年齢は来年の春に3歳になりますが、数え年で3歳ということで、先週の土曜日、七五三参りを行いました。「もう七五三なのか…」と時間の経過に驚きながら、孫の成長を喜んでいます。今は、近くの保育園に通っていますが、いろんなことができるようになりました。

■まずは、写真館にいって撮影を行いました。洋服と着物に着替えて、たくさんの写真を撮りました。孫の母親が3歳の時も、写真館で撮影を行いましたが、その当時とはまったく異なっています。最近は、結婚式の前に「前撮り」をしますが、それと同じような感じでしょうか。いろいろ動きや表情の変化の中で、次々と写真を撮っていかれました。高級デジタル一眼レフですから、見たママを撮ることができます。ジジバカ丸出しですが、素敵な写真がたくさん撮れました。さすがプロのお仕事ですね(残念ながら、孫の写真を公開することはできませんが)。撮影した後は、孫が住む近くのお宮さんへお参りに行きました。孫は、お父さん(義理の息子)と一緒にですが、きちんと作法通りに神様に榊を捧げることもできました。次の「七五三」は6歳の秋になります。4年後はまだ先のようですが、すぐにやってくるでしょうね。

ひさしぶりに、秋山東一さんにお会いしました!!

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■先日の投稿「aki’s Märklin & MECCANO」の続きになります。一昨日、午前中から昼過ぎにかけて、孫娘の七五三の宮参が奈良でありました。このことは、また別途、投稿しようと思います。七五三の後は、近鉄に奈良線に乗って大阪の布施駅まで移動しました。そこから徒歩で、建築家である秋山東一さんのイベント「aki’s Märklin & MECCANO」が開催されている会場、木村工務店さんに伺いました。秋山さんのご友人の工務店さんです。最寄り駅は東大阪市の布施ですが、住所は大阪市の生野区になります。大変申し訳なかったのですが、私が到着した時は、ちょうど秋山さんのご講演が終わろうとしている時でした。

■木村工務店さんは、大阪市生野区で開業された3代目。こちらの工務店の作業場が会場でした。戦前に建てられた建物を手を入れて使っているとのこと。ここは、作業場であると同時に、時にはいろんな方達が交流する場にもなっているのですね。なかなか素敵です。ここに、大きなテーブルを設置して、その上に模型のレールを配置しています。普通、鉄道模型というとHOゲージ(レール幅16.5mm)やNゲージ(レール幅9mm)が頭に浮かんできますが、秋山さんのコレクションはOゲージ(32mm)になります。このサイズを鉄道を走らせよとすると、普通の住宅ではかなり難しい…。ということで、秋山さんも、ご自宅以外の広い場所で、何度かこれらの模型を走らせるイベントを開催されてきました。

■写真に写っている黄色い機関車、これはアメリカ大陸を横断する鉄道「ユニオン・パシフィック鉄道」の機関車です。電気ではなく、エンジンで走る機関車です。ディーゼルエンジンで走っていました。じつは、秋山さんのこの鉄道模型のことがずっと気になっていました。私は、小学生の頃、鉄道模型に憧れていました。もちろんHOゲージです。鉄道模型は”King of hobby”と呼ばれるように大人の遊びです。お金がかかります。当然、子どもであった私にはそのようなお金はありません。町の模型屋でHOゲージの台車だけ買ってきて、後は模型のバルサ材や厚紙でボディを作り、秋山さんのOゲージのように黄色く色を塗りました。まだ、「ユニオン・パシフィック鉄道」のことはちゃんとわかっていなかったと思います。ただ、アメリカのディーゼル機関車ということだけで憧れていました。1969年、小学校5年生の時のことです。私は、福岡県の福岡市、博多駅の近くに住んでいました。1969年はアメリカが初めて月面着陸をした年でした。その時の宇宙飛行士アームストロング船長のことを覚えています。翌年は、大阪で万国博覧会「EXPO’70」が開催され、アメリカ館の展示の人気は前年の宇宙飛行士たちが持ち帰った「月の石」でした。もう50年前のことになります。

■秋山さんは、たくさんのお客さんの間を飛び回りながらも、私とも時間をとっていろいろお話ししてくださいました。懐かしかったです。以前、「 Japan Earth Divers Institute」というブログ仲間のグループを作って、時々、東京の町の地形や歴史を楽しむウォーキングをしていました。当時、中沢新一さんの『アースダイバー』が大変話題になっていたことから、自分たちのウォーキングを「アースダイビング」といって楽しんでいました。懐かしいです。その時のことは、秋山さんのブログの以下のリストからご覧いただけます。もちろん、このリストの全てアースダイビングに参加できているわけではありませんが、関西から何度か参加することができました。現在は塩漬けになっている旧ブログ Blog版「環境社会学/地域社会論 琵琶湖畔発」で、私自身も細かく報告しています。

Blog版「環境社会学/地域社会論 琵琶湖畔発」 - 第五回アースダイビング-善福寺川と阿佐ヶ谷住宅地の50年を探る。- (その1)
Blog版「環境社会学/地域社会論 琵琶湖畔発」 - 第五回アースダイビング-善福寺川と阿佐ヶ谷住宅地の50年を探る。- (その2)
Blog版「環境社会学/地域社会論 琵琶湖畔発」 - 第五回アースダイビング-善福寺川と阿佐ヶ谷住宅地の50年を探る。- (その3)

■会場では、この日に出会った方ともお話をさせていただきました。大阪で設計事務所を経営されている方とは、日本でもダーチャのような「セカンドハウスができるのではないか…」というお話で盛り上がりました。ダーチャとは、現在のロシアがソビエト連邦だった時代に政府が国民に与えられた郊外の菜園付きの小さな別荘です。なかには立派なダーチャもあるようですが、一般には、小さな小屋のようなイメージです。ソ連末期、経済的に疲弊している時、国民が自給自足でなんとか生きていくための大切な手段になったといいます。それはともかく、なぜ日本でダーチャなのか…ということなのですが。

■バブル経済の時代、大阪の郊外に無理をして開発された住宅地があります。そういうところは、交通も不便で、公共交通機関もきちんとあまりきちんとしていないことから、車がないと大変不便な土地です。ただし、距離的には大阪に近いわけです。現在は、都心に人気があり、こういう土地は不動産価格が相当低下しているらしいのです。であれば、このような住宅地を「ダーチャ」として利用できるのではないか。普段は都心で暮らし、週末は郊外の「ダーチャ」で暮らす、そういうライフスタイルが可能ではないか…というのがその時の盛り上がった話の中身でした。鉄道以外にも、いろいろ楽しい時間を過ごすことができました。

【追記】■1969年、福岡市に暮らしていた時のことを書きました。少し気になって調べてみました。模型の名前、頭にあるの「模型の王様」という店名でしたが、どうも違うようです。「王様もけい」だったようです。いろいろ調べてみると、あるブログの記事で、「王様もけい」は、博多駅から呉服町のほうに走っていた西鉄に路面電車が店の前を走っていたようです。間違いありません。現在は、息子さんたちが、お店を引継ぎ「新王様もけい」として鉄道模型のお店を営業されているようです。小学校5年生の私が、「アメリンカのディーゼルカーを作りたい」と相談したのは、息子さんたちのお父様だったわけですね。

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