写真の変更

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■龍谷大学に勤務するようになったのは18年前の4月のことです。その時に、職員証を渡されました。そこに載っている写真は、その前の年に撮ったものです。確か、公募情報をみて、履歴書を送る際に撮ったものかと思います。年齢は、45歳です。とっても若いのです。現在に至るまでの間に、本人は相当「経年劣化」(老化)してしまっています。にもかかわらず、職員証の写真は変わることがありません。

■この職員証、大学図書館で図書を借りる時に利用します。また、大学生協の組合員証やプリペイドカードとしても利用されています。ということで、この職員証を利用すことでけっこうな頻度で若い頃の自分を見てしまうことになります。最近は「経年劣化」に相当加速度がついてきたせいか、本人と職員証との間に大きなギャップが生まれてしまっています。本人は、強く違和感を感じています。でも、退職するまでずっとこのままだと思います。

■ネット上にも自分の写真があります。例えば、SNS。最近、facebookの写真を交換しました。これまでは孫と一緒に写っている写真でしたが、気分転換もかねてその写真を交換することにしました。職員証よりは比較的最近のものになります。比良山の「びわ湖テラス」で撮ったものです。背景は、琵琶湖の北湖です。ちなみにかぶっているキャップは、「Ryukoku」と書いてあります。龍谷大学硬式野球部が練習用に使っているキャップのはずです。何代か前の監督の時に、その監督にお願いして購入させてもらったものです。これを被って硬式野球部の応援をするために購入しましたが、個人的にも使わせてもらっています。

■facebookだけでなく、このブログの写真も交換しました。「ABOUT ME(SideA)」の写真です。今は真冬ですが、真夏の写真に交換しました。

2022年の初詣

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■今年のお正月、終わりました。2日に娘の家族が、一泊二日で我が家やってきました。2人の孫たちと楽しい時間を過ごすことができました。娘の家族は、奈良に暮らしているので、孫たちも雪のことがよくわかりません。というとで、大津市でも雪が積もっている鯖街道沿いの葛川まで出かけて、雪遊びをしました。とても喜んでいました。4日には、我が家に帰省していた息子も大阪の自宅に帰るとのことになりました。ということで、親子3人で地元の氏神様へ初詣に行くことにしました。

■私が暮らしているところはいわゆる新興住宅地で、近くにあるどの神社が氏神様になるのかよくわかっていませんが、勝手にこちらの神社だろうというところに毎年初詣しています。写真の神社は、少し坂を登った森の中にあります。森とはいっても、それほど大きい森ではありません。神社のお社を中心とした境内の三方が森に囲まれています。囲まれてはいますが、空に向かって空間が抜けています。この日は雲ひとつない快晴で、空と神社がつながっているように思えました。たくさんの小鳥の泣き声が聞こえました。おそらく、小鳥たちにとって居心地の良い場所なのでしょう。三方を森に囲まれていますが、神社に至る坂道は琵琶湖の方に広がっています。琵琶湖の南湖、そして有名三上山や遠くには鈴鹿の山々が見えます。ここにいると、大変清々しい気持ちになります。

■初詣を終えた後は、奈良に暮らす義父母のところへ新年の挨拶に出かけました。義理の妹にも会うことができました。今年も良いお正月だったと思います。今日は、zoomを使って朝から卒論の面談を行いました。明日6日からは授業も始まります。

穏やかなお正月

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■元旦は雪が散らつく天気でしたが、昨日はよく晴れました。

■買い物にも行きました。娘の家族がやってくるということになり、夕食の買い物をしに近くの大きなスーパーまで出かけたのです。最近は元旦から開いているようですね。まあ、そんなことはともかく、天気が良かったので、スーパーの屋上駐車場まであがって、周りの風景を眺めてみることにしました。1枚目、雪で山頂が白くなった比良山系です。手前はJRの勝ち越し堅田駅です。2枚目は、自宅近くの公園から撮った伊吹山です。手前には、琵琶湖大橋や沖島が見えます。いつも見慣れた風景ですが、今日はお正月らしい雰囲気を感じます。

■幼い頃から、父の転勤に伴い、神戸、下関、小倉、博多、広島、そして再び神戸へと12年ほどかけて西日本の港町を転々と移り住んできました。そのような西日本の気候にも関係しているのでしょう。私にとってのお正月といえば、今日のような穏やかなお天気のイメージなのです。雪が降るとちょっと困るのです。そのあたりが、雪国の皆さんとは、全く違う感覚かと思います。

■普段は、還暦を超えた夫婦で静かに暮らしていますが、昨日は、孫たちがやってきたことで大変賑やかになりました。幸せなお正月です。
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2022年 新年のご挨拶

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■あけましておめでとうございます。本年もよろしくお願いいたします。旧年中は、大変お世話になりました。

■昨日、大晦日の夕方に息子が帰省しました。帰省とはいっても、今暮らしている大津市内の家は5年前から暮し始めた家なので、息子が成長した家でもなく、実家というよりも親の家…という感じなのかもしれません。

■夕食時には、年越しそばを作りました。昆布とうるめ節で美味しいつゆを作りました。いつもは、市販の出汁の元や麺つゆを使ってしまうのですが、昨日は、大晦日ぐらいはと思い丁寧に作りました。昆布のグルタミン酸と花鰹のイノシン酸、自然の旨みを楽しむことができました。食後はNHKの「紅白」を視ていましたが、「知らない若い人たちがたくさん歌っているな〜…」と、ちょっとアウェイな感じがして(年寄りだから仕方がないのですが)、しかも年末の整理整頓や大掃除で身体が疲れてしまったせいか、眠くて仕方なくなり、22時過ぎには就寝してしまいました。

■元旦の朝。私が住んでいるあたりでは雪が降っていたので初日の出を拝むこともなく、ゆっくり起床した後は、利尻昆布と花鰹で丁寧に出汁をとり、水菜と鶏肉の雑煮を作りました。関西ですが、どういうわけか我が家は元旦だけはすまし雑煮です。お節料理も、イクラやカズノコ以外は、我が家で作った(作ってもらった)ものです。それでなくても、世の中から正月らしさが無くなってしまい、毎年、正月を迎えるという循環的な時間が感じられなくなってきています。直線的に時間が過ぎ去ってしまっているのです。せめて、ちゃんとしたお雑煮やお節料理がないと、正月を迎えた気持ちにならないのです。子どもの頃は、つまり50年ほど前までは、年が明けると、世の中全体も新しくなる(更新される)ような気持ちになりました。ある意味厳粛な気持ちで新年を迎えたものです。しかし、しだいにそのような感覚も希薄になっていきました。いつからでしょうね。

■そんなことを考えると、元旦早々、なんとなく寂しい気持ちからのスタートになります。しかし、新年を迎えて、やるべきこと、やりたいことはたくさんあるので、今年も頑張って取り組んでいきたいと思います。自分の仕事や吹奏楽部の仕事はもちろんですが、もう一度ヴァイオリンを弾いてみようかなという気持ちにも少しずつなってきました。幼い頃から学生時代まで弾いてヴォインリンですが、28歳の頃には楽器から離れてしまいました。昨年、何人もの人から「脇田さんは、もうヴァイオリン弾かないんですか」と言われ続けてきたので、そのことが少し良い刺激になっているのかもしれませんね。いろいろ言ってくださった皆様、ありがとうございます。

■そういえば、年末は龍谷大学吹奏楽部の定期演奏会の後、N響主席の辻本玲さんも参加されているチェロのアンサンブルコンサート、加えて反田恭平さんの凱旋コンサートと音楽づいてきて、ついヴァイオリンケースを開けてしまいました。大変ひさしぶりに音を出してみましたが、きちんと鳴ってくれたので安心しました。

■ということで、今年もよろしくお願いいたします。写真のお重の中身ですが、栗きんとん、牛蒡のきんぴら、ごまめ、いくら、かずの子、黒豆、五色なます、牛肉の八幡巻、伊達巻、かまぼこ、酢蓮、菊花蕪、スモークサーモンの砧巻き、庭の南天も飾ってあります。これ以外に、筑前煮も。

孫たちが帰った後の「中秋の名月」…の前日の月

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■我が家のリビングからは、少しだけ琵琶湖の南湖を眺めることができます。琵琶湖から少し離れた丘の上に家があるからです。薄暗くなってきて、そろそろ雨戸を閉めようと思った時、琵琶湖に月が登り始めていました。明日は、3・4・5限と授業があります。授業が終わるのは18時半。その後、帰宅してすぐにzoomで吹奏楽部のミーティングが始まります。明日は、「中秋の名月」だったと思いますが、仕事のために残念ながら鑑賞することができそうにありません。ということで、今日は前日で中秋の名月ではありませんが、琵琶湖の湖岸に出かけて月を鑑賞してきました。湖面には、月光の道ができていました。背後は、比叡の山々。孫たちが帰った後だからでしょうか、秋の雰囲気が心に沁みてきました。そうなんです。先週の土曜日からの三連休で、娘と2人の孫たちが我が家に遊びに来ていたのです。

■土曜日に娘と孫2人が大津の我が家に来るに先立ち、娘からは、「(妹の)ななちゃんがまだ1歳2ヶ月なので、リビングの観葉植物の土を触ったり口に入れたるするかも知れない。手に触れないようにして欲しい」との要望が事前にあり、たくさんの観葉植物を庭や他の部屋に避難させて、万全の体制で孫たちを迎えました。上の孫ひなちゃんは4歳、下の孫ななちゃんは1歳。ひなちゃんは、もう人見知りしませんが、ななちゃんはまだまだ人見知りします。ななちゃんは、白い髭が生えた髪の毛の長い(そして一部薄い)老人に興味はあってチラリとはみてきますが、ここで調子に乗って目を合わせてはいけません。知らないふりして、気が付かないふりして、時間をかけて…。すると夕方には一緒に遊んで暴れ回れるようになりました。とっても嬉しいかったですね〜。コロナのせいで、ずっと会えていなかったのですから。

■2日目の朝のことですが、早起きしたひなちゃんが寝室を覗きに来てくれました。おじいさん(私)の布団にも入ってきました。おじいさんはとっても幸せでした〜。その日の朝は、娘の幼稚園時代の絵を押し入れから出してみんなで鑑賞?!しました。我が家では、キルトの大きな手提げカバンの中に、幼稚園時代の絵を残してあるのです。今34歳の娘が幼稚園の時ですから、今から30年近く前のことになります。当時の私は、子どもの成長にどう向き合っていたのかな…いろいろ考えることになりました。娘夫婦は働きながら、協力して小さな子どもたちの育児をしているわけですが、こうやって孫たちと遊びながらもその大変さを想像しました。そして、自分の時はどうだったかなあと思い出そうとしましたが、やはり記憶も曖昧になっています。まあ、そんなこんなで、いろいろ考えた3連休になりました。孫が帰ったら、早速、観葉植物をリビングに戻し、リビングの床に広がっていたたくさんのオモチャは納戸や押し入れに片付けました。また静かな大人の暮らしにすぐに戻りました。やはり、ちょっと寂しい気持ちになりますね。

宇良と照強の取り組み


■大相撲では、宇良関を応援しています。一番の理由は、宇良関は、私の母校である関西学院大学の同窓生だからです。この投稿の一番最後にあるツイートには、関西学院大学から贈られた化粧廻しを締めた宇良関が写っています。関学ブルーの化粧回しには、校章である新月があります。まあ、関学つながりということもあり、一度、宇良関が所属される木瀬部屋の祝賀パーティーにも参加したことがあります。よく知られていることですが、宇良関はずいぶん辛い思いをされました。「幕内経験後に怪我の長期休場により西序二段106枚目まで降格したが、その後再入幕を果たすという史上最低地位からの幕内復帰記録」(wikipedia)をお持ちです。苦労人です。

■2015年の初土俵の時と比べると身体もずいぶん大きくなりましたが、それでも大相撲の世界では小兵ということになります。宇良関は大学時代から小兵ながら様々な技を繰り出す業師として知られてきました。しかし、そのような相撲のスタイルは、体重の重い大型力士が大半を占める大相撲の世界では、身体に相当負担をかけることになっていたのではないでしょうか。実際に宇良関は2回も膝を痛め、手術もしています。しかし、回復の過程で、宇良関は身体の強化に努められたようです。体重も増えましたし、身体の柔らかさを活かした変則的な相撲から、正攻法の押し相撲でも勝ち星を上げるようになってきました。私個人は、とにかく怪我をしないように気をつけながら相撲をとって少しずつ番付を上げていって欲しいと思っています。

■最近の成績ですが、昨年の11月場所に十両に復活し、今年の5月場所では十両優勝をしました。次の七月場所では西前頭13枚目に復帰し10勝5敗の成績を残しました。立派な成績です。しかし、幕内に復帰してから、対戦相手も大きくなり実力も持った力士が増えてきます。いろいろ苦労もされているように見えます。今場所は、東前頭6枚目に番付を上げました。昨日は、宇良関よりも小兵の照強関との対戦でした。宇良関は、張り手を何回もくらって鼻血も出しました。個人的な意見ですが、「不自然な張り手って、嫌だな〜」と思っています。今回の照強関の張り手、見ていて全く気持ちの良いものではありませんでした。反則ではないものの、一連の取り組みの流れの中で出てくる張り手とは違っているように思います。ただ、インタビューや相撲の内容から垣間見える宇良関の性格からして、こういう張り手をされたからといって、自分からはこういうことは絶対にされないと思いますね。2敗になりましたが、今場所もまだまだこれからです。頑張ってください。

他者を想像する。

20210811hanabi.png■大変個人的なことで申し訳ありません。少し前のことになりますが、娘から、家族専用のSNSで動画が届きました。花火の動画です。でも、孫たちの声が入っています。動画では、最初、妹のななちゃんの唸り声?!が聞こえてきます。1歳だと、花火を見てもよくわかりませんものね。じっと同じ場所にいることに飽きてきて「退屈や〜」と唸っているのでしょう。

■それに対して姉のひなちゃんは4歳だからちょっと違います。ひなちゃんは、花火を見ながらおかあさん(娘)とこんな会話をしていました。

ひなちゃん「きれい」
おかあさん「きれいだね」
ひなちゃん「花火やっている人、あの人も、観てるのかな」
おかあさん「下から観てはるかもしれないね」
ひなちゃん「きれい、写真撮ってるの」

■ひなちゃんは、見えないし、会ったこともない人の立場からいろいろ想像できるようになったんですね〜。親子の会話から、そのようなことを感じました。大人になってきたな〜。おじいさんは感動しましたよ。そのことをおかあさんに伝えると、以下のようなメッセージが返ってきました。

ひなちゃん、いろいろなことが考えられるようになっています。ななちゃんが何か言いたげにしていると、〇〇してほしいんちゃう?と気づいてあげたり。優しいです。

■人は、何歳頃から他者のことを考えることができるようになるのでしょう。1歳の妹はまだ言葉が話せないわけですが、それでも普段一緒に暮らしているから何を求めているのか状況から推測することができるのでしょう。それに対して、「花火をやっている人」の場合は、見えない遠く離れたところにいて、自分とは全く異なる「他者」として頭の中で構成しているわけですね。子どもの成長過程において、このことはとても大切なことなんじゃないかと思いました。まあ、ジジ馬鹿なことを言っていると言われれば、その通りですかね。どうかご容赦ください。

おそろいのワンピース

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20210724grandchild3.jpg■プライベートなことを書いてしまいます。すみません。

■2人いる孫のうちの妹の方が、先日1歳の誕生日を迎えたこともあり、明日の日曜日は会いに行こう…ということになっていました。ところが、またコロナ感染が拡大してきました。そのため、訪問は急遽中止することになりました。コロナめ…。おじいさんはがっかりです。でも、仕方がありませんね。

■明日は、おばあさんお手製のワンピースをプレゼントすることになっていました。手芸店から型紙や自分好みの生地も買ってきて、こしらえました。とても上品な雰囲気のワンピースができあがりました。持っていくことができないので、宅配便で送るようです。

■左の方がお姉ちゃんのワンピース。ボケットやバックの襟元にリボンがついています。髪を括るリボンとシュシュもできあがりました。リボンのゴムは、おじいさんが髪を括っているゴムなのですが、きちんと洗濯してあるのだそうです。内心、そのままでもええやんと思いましたが、いや、やはり爺いのゴムはあかんやろと思い直しました。もうひとつは、1歳を迎えた妹の方のワンピースです。こちらは襟がついていますね。姉と妹が、オソロのワンピースを着た様子を想像して、おじいさんはニヤニヤしています。

北陸演奏旅行で舳倉島へ

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20210722hegurajima4.jpg■あれから40年ちょっと過ぎてしまいました。叔父の葬儀を一昨日終えたばかりだし、時の移ろいの早さに「もののあわれ」のようなものを感じるな。

■先日、フランスで俳優として頑張っている同級生の島岡現くんが、学生時代に所属していた関西学院交響楽団の頃の写真をドサッと送ってきてくれました。「自分が持っていても役立てられないので…」という理由で送ってきてくれたのです。送ってくれた写真は、国内の演奏旅行とソビエト演奏旅行の時のものです。アップしたものは、北陸演奏旅行の時のものです。石川県のずっと沖合いにある舳倉島(へぐらじま)まで行って、島の分校で演奏してきた時のものです。地図を見ていただきたいのですが、舳倉島は、輪島の沖合にある岩礁のような複数の島々のさらに沖合いにあります。陸地からは50kmほど離れているようです。この島にオーケストラ(プロではなく学生オケですが…)がやってきたのは、おそらくこの時が初めてではなかったでしょうか。

■舳倉島へは、石川県の輪島から船に乗って行くことになります。今は高速フェリーで80分ほどで行けるようですが、昔はゆっくりした連絡船が就航しているだけでした。かなり揺れて、行きは一部の人たち(私を含む)は、かなりひどい船酔いになりました。島に到着するとフラフラだったように記憶しています。集合写真は、私のいた学年のものです。左端にいるのが、島岡現くん。当時のジーンズは「ベルボトム」という裾広がりのデザインですね。時代を感じます。

福岡の叔父

■福岡に暮らす叔父が亡くなりました。月曜日の晩が通夜、翌日が葬儀でした。急なことで、火曜日の授業は休講にさせていただきました。

■通夜も葬儀も家族葬ということで、極々身内の、叔父の家族と、叔父の甥と姪、つまり私と妹が参列しました。お導師は、浄土真宗本願寺派の方でした。京都出身で今は福岡のお寺の副住職をされている…というようなお話だったかな。昨晩の通夜でのご法話は、当然のことながら、浄土真宗の教義に基づくものでした。関西弁と博多弁にユーモアが混じる、印象に残るご法話でした。龍谷大学に勤務するようになり、個人的に浄土真宗のことを勉強してきたということもありますが、昨晩のご法話はスッと心に入ってきました。阿弥陀仏にお連れいただき、すでにお浄土に帰られた叔父のことを、心の中にイメージすることができました。大切な経験だと思います。

■棺の中の穏やかな叔父のお顔を拝見させていただきましたが、叔父の家族の皆さんは、「おばさんに、だんだん似てきたね〜」、私の亡くなった母親に人生の最後でだんだんと似てきたというのです。姉と弟ということもありますが、確かにそうかもしれないな〜。穏やかなお顔でした。通夜の後は、簡単な食事をしましたが、「いとこ会」のような感じになりました。普段は離れて暮らしているので、なかなか会うこともありません。いとこの子どもたちも大きくなっているので、当たり前とはいえ、驚きました。叔父がご縁をつくってくれたのですね。

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