孫のこと
▪️大変私的なこと、個人的なことなのですが…。先日、親族のLINEグループで、娘の誕生日の動画が送られてきました。
▪️娘が自宅のお風呂の掃除をしている間に、孫たち(娘の娘たち、姉と妹)がサプライズで、電気を消したリビングに誕生日ケーキを運んでお祝いをする、そういう企画です。姉のひな子(小2)がそろそろっとケーキを両手に持って暗いリビングを進みます。その前で、妹のなな望(ななみ、4歳、保育園)が、一生懸命、「こっちこっち」と必死になって手を動かして誘導します。娘=お母さんに内緒なので、声を出さずに必死になって誘導していたのです。そこに娘がやってきて、みんなでハッピーバスデーの例の歌を歌ってお祝いをするのですが…。
▪️動画には写っていませんでしたが、妹のなな望は、お風呂の掃除をしている娘のところまでやってきて、「お誕生日の準備まんたんやでー!」と言いにいったようです。そのことを、娘は「かわいい」と思ったのだそうです。おじいさんも、キュンとしました。準備万端が準備満タンなのもかわいいな〜。
建築家・秋山東一さんのこと
▪️建築家の秋山 東一さんから、メッセンジャーで「ちょっと冊子をお送りしたいので、ご住所を教えてください」とメッセージをいただきました。「はて?どのような冊子だろう」と思っていたら、写真のような「スタンダード住宅を目指して」という冊子でした。これは、住宅業界紙「新建ハウジング+1」に連載されたものをまとめたものです。「秋山東一のSTOCKTAIKING スタンダード住宅を目指して」というタイトルで、2008年の10月から2010年の10月まで、10回にわたって連載されました。
▪️秋山さんは、住宅設計でとても有名な建築家です。設計のことは何もわかっていないので、どこまで理解できているのか不安なわけですが、この冊子の中の記事を拝読すると、秋山さんの「住宅をつくりだすシステム」、そしてそのことに伴う「思想/哲学」が、OMソーラーハウス→フォルクスハウス→be-h@usと、進化/深化して来たことがわかります。冊子の中に次のような秋山さんの問題意識が書かれていました。記事のリード文です。
かつて日本の家は社会全体で共有する家づくりのスタンダードがあった。職人は同じ工程わに何度も繰り返すことで腕を磨き、腕の良い職人は全国どこでも活躍できた。住まい手が職人と対等に家を語り、職人の腕を批評することができた。200年、300年と世代を超えて現代に残される建築が生まれたのはまとさにそんな時代だった。これに対して今はどうか。住まい手が家づくりから閉め出され、果てには住まい手を無視してつくり手本位の家づくりが横行する。ここ数十年間の日本の住宅の実際ではなかったか。今日本の住宅に必要なことは家づくりのスタンダードをもう一度取り戻すことにある。
▪️お知り合いになった頃ですから、もう20年近く前のことになると思いますが、このリード文を読んで、秋山さんが「家は買うものではく、建てるものなんですよ」とおっしゃったことを思い出しました(なぜ秋山さんと知り合いになったのか。それは、ブログを通じてなんですが、ここでは省略します)。
▪️さて、このようなスタンダード、「住宅をつくりだすシステム」、「思想/哲学」が縦糸だとすれば、横糸にあたるものは、Macやインターネットの登場、全国の地方工務店の皆さんとの設計道場の取り組み、おもちゃのLEGO、ブリキの模型、大きな鉄道模型、『WHOLW EARTH CATALOG』、定常型社会……なんだと思います。現在は、さらにbe-h@us はBEAHAUSに進化/深化されているようです。秋山さんのインタビュー動画を拝見しました。とても興味深いです。「美しいバラック」。こちらもご覧ください。BEAHAUSについて詳しく説明されています。そして、なぜおもちゃなのかが理解できます。ところで、私が今暮らしている家。住宅メーカーのものです。その中古の家をリフォームして暮らしているので、秋山さんの「教え」はいかされていません。
同窓会とヴォーリズ
▪️昨日は、母校、関西学院大学同窓会滋賀支部の新年会でした。お昼は、近江八幡市安土町常楽寺にある「料理 魚石」さんで宴会を開きました。参加者は、全員で18人。一番年長の方は、1965年卒。今年で83歳になるのだそうです。とてもお元気です。午前中は、長命寺さんにお参りしましたが、あの808段の石段も副支部長に付き添われてご自身の脚で登られました。素晴らしいです。
▪️その次の方は、1973年卒。お話をすることはできませんでしたが、学生運動の時代にキャンパスにおられたことになります。いや、バリケート封鎖でキャンパスに入れないときもあったと思います。その次は1975年卒がお2人。そのうちのお1人は向かいに座っておられた方です。私とは卒業年次が8年違うわけですが、その年代の方だと、キャンパスの記憶が重なるところがあります。Nさんは放送部に所属されていました。「ああ、そういえば、学生食堂の向かい、銀座通りを挟んで向かいに部室がありましたね」というような話をさせていただきました。今のキャンパスは、私たちの頃とは相当違っていますし、とても懐かしいお話ができました。
▪️次は1980年代の卒業生の皆さんになります。1981年卒から1989年卒までの6人。私は1983年卒ですから、この世代になります。サークルの部室があった木造の建物の1階から出火して、私が入学した時の部室は、2階建ての仮設のプレハブでした。建築現場に臨時に事務所として使われているあの類の建物です。今の学生会館は、私たちが卒業して2年後にできあがったのではないかと思います。所属していた交響楽団も、専用の練習場を与えられました。私たちの頃は、体育館の軒下で、暑い日も寒い日も外で練習をしていました。楽器には、特に木製の管楽器や弦楽器には相当まずい環境なのですが、仕方がありませんでした。1980年代は、そういうキャンパスの風景を共有できる年代になります。
▪️この年代の卒業生のお1人は、1年後輩のKさんです。Kさんは、大学にある3つの学生寮のひとつに入っておられました。そこには、交響楽団の親しい後輩も入っていて、そういう関係でKさんとは学生時代から面識がありました。大学院時代の指導教授が同じだった方は、某銀行の頭取になっておられます。大変なお仕事のようですね。
▪️その次は、1990年代の卒業生の皆さんになります。6名おられます。同窓会滋賀支部の支部長、そして副支部長のお2人も、この年代の方達になります。この3人の皆さんのおかげで、同窓会滋賀支部の活動はけっこう活発になってきているのではないかと思います。年に何回かの食事会、それから見学ツアー、そして年1回の総会、自営業のお仕事の傍で、とても熱心に同窓会支部の運営をしてくださっています。本当にありがたいことです。
▪️この年代の方達のうち1995年以降に卒業された方達は、1995年に発生した阪神・淡路大震災の影響を受けておられます。お話はできませんでしたが、お1人は1995年に卒業されています。関学では、在学生15名、理事1名、現・元教職員7名が倒壊した家屋や土砂崩れの下敷きとなって生命を奪われました。当時の状況について、大学が公表している情報から知ることができます。1999年に卒業された方は、1995年の4月に入学されたわけですが、大学の近くで下宿することはできなかったそうです。学生向けの下宿は、倒壊したり、入居できる状況ではなかったのでしょう。
▪️そして、2000年代はお1人、その次は2020年代がお1人。一番若い方は、2020年卒です。とてもお若いのですが、すでにご自身で行政書士の事務所を開業されています。すごいですね。いわゆる世襲ではなくて、ご自身で開業されたのです。バイタリティがあります。それぞれの年代の方達の中に、それぞれのキャンパスライフの記憶があります。しかし、それらの記憶を貫いているのが時計台と中央芝生なのかなと思います。ウィリアム・メレル・ヴォーリズの設計です。母校には、ヴォーリズ研究センターが設置されています。ヴォーリズに関する様々な研究が進められているようです。同窓会滋賀支部では、昨年に引き続き、今年も、滋賀県内のヴォーリズに関する建築について学ぶ講演会やツアーを企画されているようです。楽しみにしています。
参詣曼荼羅
▪️ひとつ前の投稿にも書いたように、昨日は、母校、関西学院大学同窓会滋賀支部の新年会でした。午前中は近江八幡市にある長命寺さんにお参りしました。その際、ご住職と息子さんの副住職さんから、長命寺に関すたくさんのご説明をいただきました。ありがとうございました。
▪️長命寺は、西国三十三カ所第31番札所です。たくさんの参詣者が808段の石段を登ってこられます。上段の左と右の写真は、「参詣曼荼羅」です。もちろん、実物ではなく撮影してパネルにしたものです。かつて、各地でこの参詣曼荼羅で絵説き(描かれていることをひとつひとつ丁寧に説明していく)をしながら、参詣者の勧誘と霊場案内、そして勧進(寄付を募る)を行ったのだそうです。写真を撮っても良いということで、撮らせていただきました。どうでしょう、雰囲気、伝わりますでしょうか。たくさんの方達が、陸路や船でやってこられている様子が描かれています。
▪️中断の2枚は、人間の心を仏教から説明したもの…なのだそうです。きちんと説明しているかどうか自信がないのですが…。人が抱える業の結果として輪廻転生する6つの世界(天道、人間道、修羅道、畜生道、餓鬼道、地獄道)を表現してあります。この絵図の上半分には、人が誕生して成長し、老いて、最後は死んで骨になるまでの様子が描かれています。そのあとは、6つの世界に輪廻転生していくわけです。仏教的には、ここからどう解脱していくのかということになります。
▪️長命寺は、特定の宗派に属する寺院ではありませんが、天台宗系の単立の寺院です。境内からは、比叡山がよく見えます。比叡山延暦寺は、京都の鬼門の方角に位置するわけですが、長命寺さんはその延暦寺のさらに鬼門の方角に位置しています。偶然なんでしょうけれど。目の良い方だと、びわ湖ホールも見えるようです。私には無理でしたが。そのかわり、琵琶湖大橋、堅田の街並み、三上山(近江富士)についてははっきり確認することができました。
▪️西国三十三カ所第31番札所である長命寺は、日本遺産「琵琶湖とその水辺景観-祈りと暮らしの水遺産-」の「構成文化財」のひとつでもあります。今日は、お話をお聞かせいただき、深く納得しました。
大江千里さんのこと
▪️現在、ジャズピアニストとしてニューヨークで活躍されている大江千里さん。かつては、日本でシンガーソングライターとして活躍されてました。でも、2007年にニューヨークに行って、ジャズに転向されました。
▪️大江さんは、母校、関西学院大学の少し学年が下の後輩になります。彼は軽音学部で、私は関西学院交響楽団だったので、学生会館のどこかですれ違っているかもしれませんね。今日は、その大江千里さんに関連する話題を、偶然、同窓会サンフランシスコ・シリコンバレー支部の投稿で拝見することができました。彼も64歳になったんですね。そらそうだ、私が66歳だからね。今は、ジャズピアニストになってどんな演奏をしておられのでしょうね。
▪️YouTubeに最近の演奏がアップされていました。
新年会と「kikito×しがトコ」のカレンダー
▪️一昨日は、娘夫婦家族が我が家に、昨日は息子夫婦が我が家にやってきました。息子は昨秋に結婚しましたが、息子の連れ合いは、孫からすると新しい叔母さんになります。昨年の結婚式、そして正月とまだ2回しかあっていないわけですが、とても孫たちに優しく接して一緒に遊んでくれました。楽しそうでした。叔母さんというよりも、楽しいお姉さんという感じかな。
▪️夕方からは、全員で奈良の新年会に向かいました。義母を囲む新年会です。義母は米寿ですが、毎日新聞を丁寧に読んでいます。世の中の動きをきちんと把握しています。また、テレビでスポーツ観戦を楽しみにしています。プロ野球、大相撲ともにとても詳しいです。足が少し弱ってきているかとは思いますが、とても元気にしています。
▪️お正月は昨日まで。今日から普段の日常に戻る「リハビリの生活」です。今日と明日は、買い物に行かずに冷蔵庫に残っている正月料理やあるもので過ごします。年末から食べ物がギチギチに詰まっていた我が家の冷蔵庫ですが、もうじきいつものようにガランとした感じになるのかな。娘夫婦、息子夫婦、若い大人4人の胃袋は、すごい容量ですね。びっくりです。余ったら困るな〜と思っていましたが、その心配はありませんでした。
▪️写真の2枚目と3枚目、そして4枚目ですが、新年会やお正月とは関係がありません。昨年の11月末に、一般社団法人「kikito」さんが、昨年の春に「令和6年度緑化推進運動功労賞 内閣総理大臣表彰」を受賞されたことを、「kikito」さんが関係者のみなさんに感謝する「感謝祭」が琵琶湖ホテルで開催されたのですが、その際に記念品としていただいたカレンダーです。「滋賀を自慢したくなるカレンダー2025」です。
▪️カレンダーに使用している紙やスタンド材には琵琶湖の森を元気にするプロジェクト「kikito」とのコラボにより間伐材を活用されているようです。ローカルメディア「しがトコ」のInstagramへの多くの皆さんの投稿の中から選ばれた写真のようです。すごいです、滋賀!! こういう写真を通して、「MLGs」(マザーレイクゴールズ)や「世界農業遺産・琵琶湖システム」のことを思いながら、書斎でこのカレンダーを使わせてもらおうと思います。ぜひ、Instagramで「shigatoko」をチェックなさってみてください。
孫とゲーム
▪️お正月の2日、娘の家族が我が家にやってきました。ひさしぶりに会った孫(ひなちゃん&ななちゃん)たちは、それぞれが成長していました。姉のひなちゃん(小2)は、ボードゲームを大人と「ガチ」で対戦できるようになっていました。妹のななちゃん(4歳)も、それなりにゲームを理解して、姉のサポートのもとで参加して楽しめるようになっていました。当たり前なのでしょうし、じじ馬鹿かもしれませんが、孫の成長に驚いています。
▪️右の写真は、「UNO」を一緒にしている時のものです。娘の家族は夏と正月に我が家にやってきます。その時UNOをするのです。ただし、夏とお正月の年に2回しか「UNO」をしないので、ルールを忘れてしまいます。ということで、毎回ルールを孫のひなちゃんから教わっています。情けない話なのですが、孫からルールを教わることに、おじいさんとしては満足しています。
▪️昨年のお正月、ひなちゃんは「百人一首」がマイブームでした。放課後通っている学童保育の中で、いろいろブームがあるようなのです。ひなちゃんは、学童保育の中で、けん玉が得意になり、一輪車に乗れるようになり、「百人一首」も覚えました。上の句を聞いたら、すぐに下の句がわかるようになっているらしく、私などは歯が立ちません。で、今は何がマイブームなのかといえば、バスケットボールです。このお正月に、親戚の中学生のおにいちゃんからお古のバスケットボールを譲り受け、今はバスケットボールをしたくてしたくて、ワクワクしています。今、近くの公園で、両親(娘と義理の息子)と、叔父叔母(息子夫婦)と一緒にバスケットボールを楽しんでいます。息子は中高とバスケットボールの選手で、高校時代はインターハイの近畿大会まで行った経験があることから、ひなちゃんを指導できるのではないかと思います。ちなみに、おじいさんは、自宅待機です。
▪️休憩をしたあとは、奈良で義母を囲んでの新年会です。充実したお正月の三ヶ日でした。
2025年新年のご挨拶
▪️みなさま、新年あけましておめでとうございます。昨晩、ながながと「2024年度最後のご挨拶」を投稿して、翌日に今度は新年のご挨拶を、またまたながながと書かせていただきます。少し恥ずかしさが伴うわけですが…。
▪️今日は、珍しいことに、元旦から近くの神社に初詣に出かけました。普段は、2日か3日に初詣なのですが、今年は元旦です。こんもりとした森に囲まれた素敵な神社です。琵琶湖の南湖もよく見えます。今日は天気も良く、境内からは鈴鹿山脈の方までよく眺めることができました。こちらの神社では、健康安全を祈願しました。血糖値がきちんとコントロールできる生活ができるように、コントロールできる自分であり続けられるようにとお願いをしました。パンデミック、気候変動、災害、政治の不安定化、戦争の拡大…たくさんの心配事がある中で、自分の健康はまだ自分の責任でなんとかしていくことができます。今年も頑張ってHbA1cを低く維持できるように努めます。
▪️もうひとつ、別の神社にも初詣に出かけました。理事長をしている特定非営利活動法人「琵琶故知新」では、私の住まいの近所にある農村、仰木の耕作放棄地で、農家と隣接する新興住宅地の住民とが協働し有機農業を行っていく、「耕作放棄地プロジェクト」に取り組んでいます。仰木にある神社では、このプロジェクトがうまく進捗しますように、無事に補助金を受け取ることができますようにと、お願いをしました。
▪️明日は、娘の家族が我が家にやってきます。孫たちと楽しい時間を過ごすことができればと思っています。娘の家族は我が家に宿泊します。翌日の3日には、昨年の秋に結婚した息子夫婦が我が家にやってきます。大人6人と孫2人で昼食を摂り、そのあとは全員で奈良に向かい、親戚の皆さんと一緒に義母を囲んで新年会を開きます。
▪️この年になると、自分の健康をできる限りきちんと維持し、そして日々のささやかな幸せに感謝しつつ過ごしていくことが大切だと思っています。そういう気持ちでいるせいでしょうか、中国の魏晋南北朝時代(六朝期)、東晋末から南朝宋の詩人、陶淵明の漢詩を解説する文庫をポチッと購入してしまいました。「『人生の節目』に沁みる」という帯の文言に引っ掛かってしまいました(たぶん…知らんけど)。冒頭は「帰去来辞」。高校生の時に漢文の授業で学びましたが、10代だった自分にこの漢詩の深い意味がわかるとはとても思えません。歳をとることで、陶淵明を味わえるようになったのですから、ありがたいと思わないといけませんね。
2024年最後のご挨拶
▪️2024年、SNSでリアルでおつきあいくださった皆様、本当にありがとうございました。お世話になりました。来年もどうかよろしくお願いいたします。
▪️今年の4月から前期高齢者2年目になりました。年齢を重ねると同時に経験も積み重ねていくことになります。そのような積み重ねから生まれる知恵のようなものを、いろいろな局面で活かしていけているような気がしています。しかし同時に、いろいろな局面で周りの若い方達に支えていただかねばならないことも増えてきているようにも思います。支えてくださった皆様、本当にありがとうございました。
▪️今日は、なんとか大掃除をすべて済ませることができました。ギリギリセーフです。年越し蕎麦もいただき、今はNHK交響楽団の第九をテレビで鑑賞しながら、この投稿をタイプしています。
▪️写真は、奈良の東大寺二月堂そばの道です。2010年の大晦日に撮ったものです。その当時はまだ奈良に暮らしていました。奈良に暮らしていた時分は、大晦日の晩、家族と一緒に初詣に出かけていました。春日大社、東大寺二月堂、東大寺大仏殿と順番に初詣をしていました。当時、子どもたちは、まだ大学院生と学部生でした。懐かしいです。
▪️今年は、秋に息子が素敵な女性と結婚しました。さきほど、プロの写真家が撮ったたくさんの写真がLINEを通して息子夫婦から届きました。それらの写真を眺めながら、結婚式の時のこと思い出していました。そのような満ち足りた気持ちで、大晦日を迎えています。NHK交響楽団の第九も、第4楽章に入りました。ということで、皆様、良い年をお迎えください。
大津の街中で買い出し
▪️午前中は、締め飾りをドアに取り付け、大掃除の続きを行いました。そして、午後から大津の街中に買い出しに出かけました。大津の街中には、アーケードのある3つの商店街があります。その商店街を中心とした界隈にあるお店で買い出しをしました。まずは、有名な漬物屋の八百与さんです。こちらでは、ウリの長等漬け(奈良漬)と日野菜漬けを購入。
▪️次は、阪本屋さんへ。こちらでは鮒寿司とエビ豆を購入しました。お正月に子どもたちの家族が集まって来ますが、鮒寿司は私しか食べないのです。量をたくさん食べるものではないので、カットしたものを購入。それから、エビ豆を購入。孫たちに、滋賀県の郷土料理を楽しんで欲しいです。阪本屋さんでは、若旦那の内田真太郎くんと話もできました。エビがあまり漁獲できていなかったようだけど、エビ豆だけはなんとか商品として販売できたとのことでした。しかし、貝類については、内田くんの言い方では「全滅」。商品として販売する量は全く手に入らなかったようです。原因は色々あるのでしょうが、貝類が成長するのに必要な餌が不足していることを心配されていました。琵琶湖の漁業者はもちろんのこと、水産物を仕事にされている阪本屋さんのような食品加工業者さんも、琵琶湖の環境の変化が経営に直結してきます。
▪️そのあとは、平井商店さんに伺いました。以前ゼミの学生たちが湖西の農家の皆さんと平井商店さんを繋いでプロデュースした「純米吟醸 無濾過生原酒 北船路」を購入しました。ラベルの左端には、「村おこしプロデュース龍谷大学米づくり研究会」と書いてあります。この研究会、今はありませんが、当時ゼミ生たちが作った研究会でした。ただ、私の場合は持病のため、糖を含む日本酒は控えていますから、購入したのは4合瓶ではなく350mlの小さいものです。お正月にぐい呑み1杯程度、自分で自分に許そうと思います。残念ですが。私は飲めませんが、この投稿をご覧の皆さんには、この「北船路」を手に入れていただき、味わっていただきたいです。ぜひ。今日、平井商店では、ひさしぶりに杜氏でもある平井弘子さんと少しだけですがお話をすることもできました。嬉しかったです。
▪️最後は、千丸屋さんで、花がつおと利尻昆布を購入しました。お正月の間だけは、雑煮のお出汁をきちんととる予定にしています。使った利尻昆布は、冷凍してある山椒と一緒に炊いて佃煮にします。さあ、お正月に向けて、少し気分がアップしてきましたよ。
▪️今は、お正月の準備も、近くのスーパーマーケットでできるし、なんならネットの通販も使えます。そもそも、お正月のお節料理も自宅では作らず、買ってくる方が普通かもしれません。でも、高度経済成長期の頃、スーパーができるまでは、みなさん大津の街中の商店街界隈に食材を求めてやって来られていました。真っ直ぐに歩けないほどの人が行き交い、大晦日も夜中まで買い物客でいっぱいだったと…、そういうお話をいろんな方達からお聞きます。
▪️今、大津の街中にはたくさんのマンションが建設されています。よく知っていた場所が、突然、駐車場になっていて驚きます。そのような駐車場は、いずれマンションが建設されることになります。それは仕方がないところがあります。でも、そのようなマンションに転居されてくる方達から、ずっと愛される商店街になってほしいなと思っています。