甥の訪問

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■土曜日の晩は、甥っ子が我が家を訪問してくれました。ある金融機関に勤務しているのですが、この春からは転勤で勤務先がなんと大津になりました。住んでいるのもなんと長等。ご本人にそんなつもりはないでしょうが、伯父さん(私のことですけど…)の縄張りに入り込んできました。

■甥は、中小企業を支える仕事をしています。甥が勤務している金融機関は、中小企業の金融の円滑化を図るために必要な業務を営むことを目的としています。甥自身も、地域の経営者の話を丁寧に聞いて、一緒に頭を悩ませつつ、いろんな人とのコーディネイトもしながら、そうやって支えながら融資していくのだそうです。立派な社会人になりました。頑張って働いているのですね。私は、大学教員で銀行のように融資などできませんが、地域づくりに強い関心を持ってNPO等の活動にも取り組んでいるので、彼の話を聞いていてとても嬉しかったです。

■甥が勤務している金融機関は、全国に支店があって、どこに転勤になるのかわからないのだそうです。次の支店に転勤する前に、大津駅前のいつもに居酒屋「利やん」に一緒に行かなくちゃね。我が家では息子が酒を飲まなくなったし、娘も元々は飲めたのに出産で弱くなってしまいました。彼は、きちんと呑めるので嬉しいです。そう、飲めるではなくて、呑めるです。呼び出しかけます。

もう一人の健一くん

■一昨日の晩、突然、小学校6年生の時のクラスメートの名前が頭に浮かんできました。ずっと、彼のことを思い出すことなんてなかったのに…。「そういえば、下の名前が同じクラスメートがいたな」と突然に思い出したのです。そう、健一くんです。特別、仲が良かったわけでもないけれど、素敵な笑顔の優しい感じの少年でした。時代は1970年。大阪万博の年でした。

■彼と私は同じ地元の中学校に進学したと思っていましたが、中学校の「卒業アルバム」に彼の名前はありませんでした。あれっ、と思いました。もう一人の健一くんは、転校したのかもしれません。還暦を超えて記憶の奥底から健一くんの名前が浮かび上がってきたわけですが、中学では一緒のクラスになったことはなかったからでしょう、中学生の健一くんの記憶は私にはありません。不思議なものです。

■今、もう一人の健一くんは、どうしているのだろう…そう思って、googleで検索してみることにしました。ひょっとすると名前が出てくるかも知れません。これが女性のクラスメートだと、例えばご結婚されている場合であれば、苗字が変わっていることが多いし、そうなるとみつからないだろうと思います。だけど男性の場合は、ひょっとすると何か手がかりがあるかも知れない、そう思って検索してみることにしたのです。

■すると、もう一人の健一くんが目の前に現れました。記憶に残っている小学生の頃の面影が写真には残っていました。写真が出てくるのは、写真を出す必要のある仕事をされているからです。彼は、大手の設計会社で建築家として働いていました。建築賞を受賞するような建築家でした。専門領域は、「博物館・資料館/小・中・高等学校/大学・各種学校…」とのこと。滋賀県内にも、彼が設計した建物があることもわかりました。ちょっと嬉しくなりました。

【追記】■私は、3つの小学校に通いました。福岡県の北九州市と福岡市の小学校、そしてこの投稿にある3つ目の小学校は、広島市立中山小学校です。当時の広島市の郊外にある小学校でした。

父の日

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■この前の日曜日は、このブログにも投稿したよう、「社会学入門演習」の現地実習でした。同時に、「父の日」でもありました。学生の皆さんは、きちんとお父様に感謝の気持ちを伝えることができたでしょうか。私はといえば、娘と息子から父の日のプレゼントが届きました。

■娘(娘の家族)からは鰻の蒲焼きが届きました。冷凍なのですが、ずいぶんと立派な鰻だ。2匹届きましたが、そのうちの1匹は早速いただきました。とても美味しかったです。冷凍なので、もう1匹は大切に冷凍してここぞという日にいただくことにしようと思います。

■息子からは、『自宅でできるライザップ』という本とトレーニング用のチューブが届きました。チューブの色はが黄色、緑、青、赤、黒の順番でキツくなっていくようです。まだ使っていないのですが、坂を転げ落ちるように老いていくのではなく、きちんと身体を鍛えてね…ということなのかな。

孫のこと

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■連休中に、ひな子となな望(ななみ)、孫の二人に会うことができました。昨日、私は仕事でしたが、孫たちは両親と一緒に和歌山の方面に遊びに行ったようです。この写真、昨日の一枚です。たくさんの写真を、家族専用のSNSで送ってもらいましたが、この写真が一番素敵だな〜と思いました。

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■連休中のことも。1枚目の写真は、2017年3月16日。初孫のひな子、ひなちゃんと初対面した時の写真です。生まれて2日目。そのひなちゃんは、今年の3月に5歳になりました。来年の春には小学校に入学します。ということで、先日は、大阪梅田にランドセルの「予約」をしに行きました。ランドセル専門のお店です。ひなちゃんの希望のランドセルはこれ。インターネットで、前々から「これだ!!」と決めていたようです。今はいろんな色のランドセルがありますね。写真では、水色っぽく見えますが、目で見ると薄い淡い緑色です。このランドセルは祖父母からのプレゼントです。6年間、大切に使ってね〜。ちなみに、この写真のものはサンプルです。これから製作するのだと思います。完成はいつになるのかわからないようですが、入学式までには、ひなちゃんの自宅に届けられます。

■驚いたことがあります。ランドセルには、最初からタブレットが格納できるようになっていることです。孫の世代は、紙の教科書やノートだけではなくて、タブレットを使って学んでいくのですね。タブレットを使う学びが良いと必ずしも思っているわけではありませんが、その利用を当然のこととして学んできた子どもたちが大学に入ってくるのも、それほど先のことではないように思います。大教室で、大きな黒板に丁寧とはいえない板書書をしながら進められるような講義、古典的な大学の講義のやり方って、どうなっていくのでしょうね。

64歳の誕生日プレゼント

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■15日が誕生日でした。誕生日の2日前に、娘から誕生日プレゼントが届きました。 娘に「何か欲しいものはある?」と聞かれて、パッと欲しいものが頭に浮かびませんでした。歳をとって欲望がだんだん無くなっていて…。よくよく考えてお願いしたのが「ホットサンドメーカー」でした。そういえば、欲しかったんです、娘夫婦と孫たちがやってきたら、これで一緒にホットサンドを作ります。

■昨日は、息子から誕生日プレゼントが届きました。最近、コーヒーの豆を自分で挽いて点てていますが、日本茶も楽しんでいます。煎茶は70℃のお湯が適温なので(熱いと渋みが出てしまう)、これまではいつも温度計でお湯の温度を測っていました。その様子をみた息子が、「いつも温度計で測ってるそうで、それはそれで楽しそうですが、温度調節できるケトルがあったら便利だと思います」と、こういう電気ケトルをプレゼントしてくれました。お湯の温度を調整できるようです。ありがとう。息子は、連休中に帰省するようです。楽しみにしています。

64歳になりました。

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■4月15日は私の誕生日です。64歳になりました。来年は、いよいよ前期高齢者の仲間入りをすることになります。15日には、facebookでたくさんのお祝いのメッセージをいただきました。中には写真付きでメッセージをくださる方もいらっしゃいました。その写真付きのメッセージのひとつ、我が家の庭の世話をしてくださっている庭師さんからのものでした。この写真がそうです。

■写真に写っているのは、我が家のイカリソウです。庭には様々な草木を植えてありますが、その中でもイカリソウはかなり気に入っています。イカリソウという名前からもわかるように、特異な形をしています。この花の形が船のイカリのようだというのでしょうね。ピンクで小さくて、可愛らしい花です。しかも、葉っぱもハート型で素敵です。

■庭師さんのメッセージによれば、イカリソウの花言葉は、「新たな人生」、「人生の出発」、「旅立ち」なのだそうです。この花言葉の通り、今年は「新たな人生の出発」になるんでしょうか。4月から世界仏教文化研究センターのセンター長になりました。仏教の専門家でもないのに…です。まあ、私が研究するわけではなく、私は、研究センターの運営が仕事になります。加えて、部長職ということもあり、いろんな会議に出なければならないようです。それが、ちょっと憂鬱なのですが、仕事だから仕方がありませんね。世界仏教文化研究センターの仕事は、いわゆる学内行政の仕事になります。「新たな人生」は、ここから始まるのかな…。研究の分野でも農学部の皆さんからお誘いを受けています。まだ一緒に研究に取り組ませていただけるかどうかはわかりませんが、私自身は前向きに考えています。ひょっとすると、「人生の出発」はこちらかな。まあ、今年度もいろんな皆さんとの出会いがありそうです。

中之島香雪美術館・企画展「来迎 たいせつな人との別れのために」

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■5月22日まで。企画展「来迎―たいせつな人との別れのために―」中之島香雪美術館企画展「来迎 たいせつな人との別れのために」。これはぜひ行かないといけません。以下は概要。

「死後、人はどこに行くのだろうか?」
人間誰しもが抱く根源的な問いです。それに出された仏教的な答えの一つが、阿弥陀如来のいる極楽ごくらく浄土に往生おうじょうする、というものでした。遥か西方のきらびやかな極楽世界に生まれる自分、あるいはたいせつな人を思い描くことは、死という恐怖に向き合う人々に晴れやかな希望を与えたことでしょう。こうした心情に基づく浄土信仰の高まりの中で、阿弥陀如来が多くの聖衆しょうじゅを率いてお迎えに来るのを描いた「来迎図」も、死後に向かう極楽のありさまを描く「浄土図」も、数多の作品が生み出されてきました。抗いがたい別れの痛みは、今も昔も変わりません。その心情に寄り添いつつ、浄土信仰の美術を眺めてみましょう。

■この概要を読むと、この世に残された側の方達が、亡くなった方のことを偲んで…という前提になっているような気がします。これは残された人たちの立場と言い換えることができるかもしれません。ただ、私が知りたいなと思うことは、亡くなる人の立場…になるのでしょうか。死んでしまったら、立場も何も無いじゃないか…とのご意見もあるでしょうね。でも、自分が死んだらどうなるのかを、生きている間に先取りして強いイメージを抱き、何かの実感を持つこと。死を先取りして生きるための作法。うまくいえませんが、この企画展で展示される絵画を通して、人びとは何を考え行動したのか、その辺りのことなのかな。

雛人形

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■我が家に雛人形が飾られました。ひとつは60年前のもの、もうひとつは35年前のものです。60年前のものは人形ケースに飾られていたのですが、ケースの寿命が先に尽きてしまったようで、仕方がないのでこうやって飾ってあります。まあ、人形たちからすれば、広々として良いのかも。35年前のものは、娘(ひなちゃん&ななちゃんのおかあさん)の雛人形なのですが、こちらは大きいです。我が家の床の間がいっぱいに。娘の家には、孫たちにプレゼントした雛人形があります。

■こうやって女三世代の雛人形を比べると、その背後にある日本の経済成長や、ライフスタイルの変化を感じずにはいられません。今は、大掛かりな雛人形だけでなく、収納飾り雛人形というのもあるようです。収納するケースが人形を飾る台になるようです。マンション等で暮らしていると、大きな雛人形を飾る場所も仕舞う場所も確保しにくいですからね。

■ところで、人形業界は、古くなった雛人形は、娘さんが成長して役目を終えたら供養してください、引き継ぐのはダメですよと言いますが。でも、こうやって飾られる間は、飾ってもらおうと思います(私は飾りませんが…)。私の両親の家にも押し入れに入ったままの雛人形がありましたが、両親が共に亡くなり、家を売却するために、業者さんにお願いして家の中の家財道具を全て処分してもらったのですが、その時に一緒に引き取ってもらいました。あっ、そうそう、私の五月人形も処分されたな。人形たちには、気の毒なことをしました。
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【追記】■この写真をfbにもアップしましたが、それをご覧になった京都の方から、「御代理様とお雛様の並べ方は『関東風』ですね」とコメントをいただきました。関西というか京都以外の地域では、向かって左側に御代理様、右にお雛様、女雛を飾ります。そのことはなんとなく知っていましたが、どうしてこのような差が生まれたのかについて知りません。少し調べてみました。元々は、関東風も女雛が向かって左、御代理様が向かって右だったようです。こちらの記事では、次のように説明しています

日本には古くから「左方上位(左側の方が位が高い)」という考え方がありました。ですから左大臣と右大臣では、左大臣の方が格上になります。神社で手水を使うときに左手から清めるのも同じ理由です。雛人形は平安貴族の姿をしていますが、平安時代の帝は、妃の左側(向かって右)へ座っていました。京都と関西の一部では、そのしきたりに従って、内裏雛を並べているのです。
一方現在の皇室では、天皇は必ず皇后の右側(向かって左側)に立たれます。座られる場合も右側です。この位置の取り方は、西洋式のルールにのっとっています。明治時代の終わり頃から日本でも西洋に準じて、このルールが取り入れられました。

■もうひとつ興味深いことを知りました。右大臣と左大臣の位置関係です。髭を生やした老人が左大臣です。ですから、向かって右側が左大臣になります。その反対側、向かって左側は若い右大臣になります。このお二人は随身と呼ばれる御代理様の警護の役目をする人たちです。左の方が格が上なのですが、この場合の左とは御代理様からみた左側になります。この左大臣と右大臣の位置は、関東風の場合でも変わりません。

この随身の右・左は内裏雛から見た位置になります。したがって向かって右が左大臣、左が右大臣になります。左大臣の方が格上なので老人の姿をしており、右大臣は若者の姿です。随身は左手に弓、右手に矢を持ち、矢を入れた胡簶(やなぐい)を背負います。

facebookの中の母

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■SNSのfacebookは、毎日、過去の同じ日に何があったのかを、記憶の中から呼び起こしてくれます(それが良いことなのか、どうなのか…よくわかりませんが)。今日、facebookが示してくれたのは、上のような写真でした。4年前の今日、母は脳内出血で滋賀医大に入院していました。孫のひなちゃんが両親(娘と娘婿)と一緒にお見舞いに来てくれたのです。母からすると、ひなちゃんはひ孫になります。さて、脳内出血した母ですが、その後、回復して退院はしたものの、身体の機能をかなり落としてしまい、再び老人ホームに戻りました。夏以降は、次第に反応も悪くなり、晩秋までは見舞いに来た私のことだけは識別できたようですが、次の年の正月に亡くなりました。母は糖尿病でした。糖尿病は血管の病気ですから、身体のあちこちに問題が出ていました。眼底出血で失明、脳内出血で入院、腎臓の調子も悪かったし…。でも、翌年の正月まで頑張ってなんとか生き抜きました。86歳。父の看病のことも含めると、両親の看病や介護は11年続きました。父は1年の看病でしたが、母の介護は10年続来ました。その11年の看病や介護で学べたこともずいぶんあるので、両親への文句は心の中にしまってあります。学べたこととは、人が亡くなっていく過程に寄り添う経験ができたということです。おそらく将来の自分のことでもあるわけですから。

■4年前のfacebookの写真には、次のような文章を添えて投稿していました。

2018年2月10日 ·

今日は、大阪に暮らしている娘夫婦とひなちゃんが、ばーちゃんのお見舞いに来てくれた。ありがとうね!
ひなちゃんは、慣れない場所に最初は緊張していたが、そのうちに元気な声を出し始めた。ひなちゃんの声が、寝たきりのばーちゃんの気持ちに少し力をあたえたのかもしない。ばーちゃんは、今日はまともな事をしゃべっている。目は見えないけれど、ひなちゃんのことも、よくわかっている。今日は童謡も歌ってくれたようだ。

補助監督と孫

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■昨日は、定期試験の補助監督の仕事がありました。必修等の授業は人数が多いのですが、人数が多い授業には他の教員が補助監督でサポートを行うのです。昨日は、「社会福祉調査論」の補助監督でした。昨年度、ご退職になった安西将也先生が非常勤講師としてご担当になっている授業(2年次〜4年次)です。

■この日の仕事は、補助監督の仕事だけでした。仕事が終わったら、車で一路奈良に向かいました。向かったのは、娘の家です。コロナでなかなか会うことのできない、孫たちに会いに行ってきました。3月で5歳にになるひなちゃん(ひな子)には、じっくり遊んでもらいました。ひなちゃんが遊びを仕切ってくれるので、おじいさんの私は一生懸命その仕切りについていくので精一杯。ひなちゃんとは、ゲームやトランプのババ抜きもやりました。いろんなことができるようになっています。1歳半のななちゃん(なな望)は、最初はちょっと人見知りでしたが、おじいさん(私)が姉のひなちゃんの指示で、一緒にバレイ風に?!踊っていると(ひなちゃんは保育園でバレイを習っています)、面白がって笑い始めて、しだいに人見知りも無くなっていきました。よかった、よかった。今日は、おじいさんのことをジジと呼んでくれましたよ(写真は、左から、ななちゃん、ひなちゃん、おじいちゃん)。

■孫が誕生したことは、自分自身にとって大きな出来事でした。孫の誕生を契機として、意識の中では、「人生のステージが次の段階」に移行したように思っています。その次のステージにあった生き方をしていく必要があるようにも思っています。私は40歳から大学の教員になりました。そして、その大学教員もあと残すところ5年ほどになりました。5年たって退職した後も、それなりに健康であれば自分の人生はもう少し続いていくことになります。その場合、むしろ退職後の人生を視野に入れて残りの5年を働かねばならないのかなと思うのです。知り合いの方たちとともにNPOを新たに設立し、理事長として仕事に取り組んでいますが、そのことも「人生のステージが次の段階」に入っていると思っているからです。残りが5年というと、「まだ5年あるじゃないですか」とよく言われるのですが、私の認識はその逆で「もう5年しかない」です。5年では、何か新しいことに取り組んだとして、そのことの結果や責任を自分自身で取ることができなくなりますから。そのあたり、よく考えて残りの5年を過ごしたいと思っています。

■「人生の次の段階」で大切なことのひとつは、孫たちとのふれあいかなと思っています。とはいえ、孫にとっては、おかあさん、おとうさん、おばあさん…そしておじいさんのような序列があるような気がしています。仕方ないですね。でも、孫に遊んでもらうと幸せな気持ちになれます。これ、大切なことだと思います。ふと思いましたが、「ちびまる子ちゃん」のおじいさん、さくら友蔵さんのようになれたらいいなと思います。さくら友蔵さんは、完全に「脱力系」です。ちびまる子ちゃんに、ちょっと馬鹿にされながらも、彼女と一緒に遊ぶ良き理解者。私の理想ですね。

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