琵琶湖北湖において全層循環を4年連続で確認

▪️昨日、滋賀県が「琵琶湖北湖において全層循環を4年連続で確認」と発表しました。「琵琶湖の深呼吸」という呼び方で知られる全層循環については、このブログでも毎年投稿してきました。全層循環とは、琵琶湖の全層循環とは、真冬に湖水が鉛直方向に深湖底までよく混合することにより、水温と溶存酸素(DO)が琵琶湖全体で表水層から深水層まで一様になる物理現象です。この物理現象により溶存酸素をたっぷり含んだ表層の水が深い湖底にまで届くことになり、湖底の生物が生き続けることができるし、湖底の水質悪化にを防いでいます。しかし、地球温暖化や暖冬により、表層の水が十分に冷えないことなどにより、2018年と2019年には全層循環が未完了になってしまいました。だから、発表の中で「4年連続」と強調しているのです。今年の冬も暖冬だったので、大変心配しました。滋賀県は、「1月下旬の冷え込みに加え、2月中旬から3月上旬の強風により琵琶湖の水が混合されたことにより全層循環に至った」と推測しています。

▪️環境問題解決のための手法には、技術的解決手法、法的規制、経済的手法等があります。琵琶湖の水質問題について言えば、下水道の敷設を促進する、排水基準を厳しくして違反した場合は罰則を設ける、税金等の制度を使って人びとの経済合理性に働きかけ、環境配慮行動へと人びとを誘導する…、一般にはそういうことが行われてきました。

▪️しかし、地球温暖化、気候変動、暖冬…そのような地球規模の気象現象が目の前の琵琶湖に影響しているということになると、琵琶湖に対する直接的な対策が難しくなります。気候変動を緩和するために二酸化炭素をはじめとする温暖化ガスの排出を制限していくことしか私たちにはできない…ということになります。今回は、なんとか全層循環が完了しましたが、これからどうなっていくのでしょう。これは、難しい問題です。もし、琵琶湖の全層循環が未完了の年が何年も継続し、生態系や水質に甚大な影響を及ぼし始めたとしたら、その時、私たちはどのように対処できるのでしょうか。

福音館の絵本『あさいち』の復刊、利益は義援金に。

▪️素敵なニュースです。絵本で有名な福音館書店では、石川県の「輪島朝市」の活気ある風景を描いた絵本『あさいち』(大石可久也 絵/輪島・朝市の人びと 語り) を2024年3月6日(水)に復刊し、本作の売上の一部 (利益相当額) は令和6年能登半島地震災害義援金として、日本赤十字社に寄付するそうです。詳しくは、こちらをご覧ください。これは福音館書店さんによるプレスリリースですが、その中では、絵本の中の一部の絵を見ることができます。amazon等で注文しても、手元に届くのはかなり先のことになりそうです。多くの方が購入されているので、増刷に時間がかかるのではないかと思います。

「堅田の落雁」と干菓子の「落雁」

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▪️先日うかがった堅田の「魚清楼」さんで撮った写真です。もちろん、ホンモロコの素焼きと鴨すきを楽しみにして行ったのですが、あの有名な堅田の浮御堂の見えるお座敷にあげていただき、まず最初に出していただいたのが、この写真のお茶とお茶菓子でした。お茶菓子は落雁(らくがん)。落雁とは、米等から作った澱粉質の粉に水飴や砂糖を混ぜて着色し、型に押して固めて乾燥させた干菓子のことです。私の場合、糖質制限をしているので、甘いものはちょっと…なんですが、よく見ると、この落雁に浮かび上がっているのは目の前に見えている浮御堂でした。ふと思いました。今まで、考えたことがなかったのですが…。

▪️堅田は近江八景のひとつ「堅田の落雁」としてもよく知られています。リンクを貼り付けますけど、これは歌川広重の作品です。背景には、夕暮れの比良山系がみえますね。湖岸には、今とは少し形が違いますが浮御堂も確認できます。そして、空からは、渡り鳥の雁(カモ目カモ科ガン亜科の水鳥のうち、カモより大きくハクチョウより小さい一群の総称)が琵琶湖に舞い降りようとしています。近江八景は、中国の瀟湘八景(しょうそうはっけい)をモデルにしています。おそらく、「堅田の落雁」のモデルは、この瀟湘八景の「平沙落雁」ではないかと思います。ちなみに、「落雁」は俳句の秋の季語でもあるようです。

▪️では、「堅田の落雁」と干菓子の「落雁」、どういう繋がりがあるんだろう。それがね、よくわからんのです。なんで、干菓子の名前に「舞い降りる雁の群れ」という名前をつけたのか。

中国の「軟落甘(なんらくかん)」が「落甘」に転じた説と、中国の名所を集めた「瀟湘八景(しょうしょうはっけい)」のうちの一つ「平沙落雁(へいさらくがん)」を由来とする説があります。

▪️これ、和菓子屋さんの解説ですね。説が二つあるとして、「落甘」と「落雁」の音が近いから…なんとなくわかります。でも、もうひとつの方はよくわかりません。「平沙落雁」と干菓子の「落雁」、どういうふうに、どういう意味で繋がっていくんでしょうね。「落雁」の謎。

堅田の魚清楼

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▪️堅田の「魚清楼」さんです。今年の1月から予約を入れていました。「そんなに前から…」。そうなのです、予約でいっぱいなんです。京都の花街から芸妓さんや舞妓さんと一緒にやってこられる方も何組もいらっしゃるとか。人気があります。創業300年の老舗です。江戸時代は脇本陣だったというお話もお聞きしました。私は、こちらのお店は今回で3回目でした。2回目の時は、龍谷大学社会学部を退職される先生を慰労する会を、親しい社会学科の3人の同僚とこちらの「魚清楼」さんで開かせていただきました(退職される先生は学科が違っていましたが)。懐かしいです。今から、10数年前のことですね。

▪️で、今回は3回目です。冬のこちらのお店のお料理は、なんといってもホンモロコの素焼きと鴨すきです。堪能させていただきました。勤続40年を超える仲居さんが、全てお世話をしてくださいました。しかも、琵琶湖と堅田の浮御堂が座敷からしっかり眺めることのできる座敷です。勤続40年の仲居さんによるお世話と座敷からの風景も含めて、楽しませていただきました。
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▪️私は琵琶湖の魚の中で、ホンモロコが一番好きだと思います。美しいホンモロコを炭火で素焼きしたものを、三杯酢に浸したし、その上で生姜醤油につけていただきました。すでにホンモロコは卵を抱えていました。もちろん、骨まで全部食べられます。美味しい!! 焼いた時の香りも素敵なんですよね〜。それから鴨。琵琶湖では禁猟ですので、北陸から仕入れておられるようです。こちらも美味しかったです。まずは鴨のたたきで美味しい出汁をとり、鴨肉と野菜を加えていきます。これも美味しかった。最後は、雑炊ですね(糖質制限の関係で控えめに…)。いろいろ美味しい料理はありますが、料理というか、食材そのものにパンチ力がある料理が好きなんですね。今日は、満足しました。

▪️お料理の写真ですが、一番最初にいただいたのが、一番下の左側、鯉の洗い。酢味噌でいただきます。その次は、ホンモロコの炭火焼き。最後は、金網に頭を突っ込んで少し焦がして、頭から全部食べられるように焼いてくださいました。そして、一番下の右側にあるゴリ(ヨシノボリの稚魚)の佃煮。最後が鴨すきですね。卵の黄身が見えますが、この黄身とたたき(鴨骨の部分を細かく砕いた)を混ぜて、まず最初に鍋に入れます。その後に、野菜と鴨肉を。美味しかったです。

▪️もっとも、そんなにゆっくりしている余裕はないのですが、前々から予約をしていたものですから…どうかご容赦ください。

【追記1】▪️私の経済力からすれば、魚清楼さんは高級なお店になります。でも、年に1回程度であれば、家族で湖の幸を楽しむことができるのかなと思っています。次回は、来年ですね。ホンもロコが卵を抱えつつ、まだ骨が柔らかい季節を早めに予約することにしたいと思います。
【追記2】▪️こういった湖の幸を楽しむことと、「MLGs」や「世界農業遺産」とがどこかで繋がって体験できるような仕組みが欲しいと思っています。
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冬の立山連峰

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▪️少し前の投稿で、20日、富山県美術館に行き、そして企画展「倉俣史郎のデザイン 記憶の中の小宇宙」を観覧しましたことを投稿しました。旅行の途中に、NHKの美術番組「日曜美術館」で知った倉俣史郎さんの企画展を観覧できたのは良かったです。ただし、残念なことも。繰り返しになりますが、この美術館からは晴れていれば立山連峰がバッチリ眺めることができるはずなのです。美術館の2階から屏風のように横に広がる立山連峰が見えるはずなのですが…、残念でした。

▪️最終日の21日。富山市の中心市街地から日本海の方の海岸や神通川の河口のあたりに岩瀬という場所があります。江戸時代は北前船がやってくることで大変栄えていたようです。ここには、「満寿泉」(ますいずみ)の銘柄で知られる枡田酒造店があります。こちらの酒造会社も、北前船の歴史と関係しているようです。今回の富山旅行での私の目的のひとつは、この岩瀬にある廻船問屋の森家の屋敷を訪問することでした。北前船に強い関心があるからです。ところが、元旦の震災のため、森家の屋敷、現在は立ち入ることができなくなっていました。残念。この日はとても寒く、この岩瀬の町中をゆっくり散策することはできませんでしたが、雰囲気の良い街並みでした。先ほどの枡田酒造店の社長さんは、まちづくり会社を発足させて、この地域の活性化に取り組んでおられるようです。詳しくは、こちらをご覧ください。この中にある「自分のため、身近な人のために行う切実な「まちづくり」」というのが素敵だなと思いました。

▪️で、この岩瀬でどこに行ったかというと、富山港展望台に登りました。神通川の河口の近くに25mほどの展望台が建設されているのです。昭和60年だそうです。写真は、この展望台からの景色です。冷たい雨が降って、さらに強い風も時々吹いてきます。そのような天気ですから、遠くは真っ白。晴れていれば、ここから立山連峰がバッチリ見えるはずなんですが。ガラス窓に、山々の輪郭が書いてあります。ただ、土地の皆さんにお聞きしても、一冬の間に、空が真っ青に晴れ渡って、雪の立山連邦がバッチリ見える日は限られているといいます。さあて、困りました。

▪️そこで思いつきました。天気予報の1週間程度の予報を元に、富山の天気の移り変わりを確認して、市内に設置されたライブカメラで確認するのです。早朝、空が晴れ渡って立山連峰がはっきり見えそうだと確信を得たら、急いで、富山に向かうのです。昼から夕方まで景色を堪能して、晩は、とても深い富山湾の地形と立山からの湧水により育った美味しい海の幸を堪能するわけです。良いプランです。来年の冬こそは、実現させたいと思います。

▪️もうひとつ。動画を。こんなふうに見えるらしいです。

立山連峰からの海底湧水と富山湾の深さが生み出す海の幸

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タラの白子のポン酢/本ズワイ蟹の身とカニ味噌共和え
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写真を撮る前に思わず一切れ食べてしまった「プリシャブポン酢」/シロエビの天ぷら
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アナゴの白焼/カニ焼売
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ツナとクリームチーズのリエット

▪️2月19日から21日までの富山旅行で、富山の海の幸、いただきました。ありがとうございました。20日の晩のお店は「吟魚」さん。人気店で、予約しないと難しいお店のようです。私も予約して行きました。というのも、大津駅前のいつもの居酒屋「利やん」にお越しになったお客さんから、「富山に行くのならば吟魚でしょ」と教えていただいていたからです。写真の魚を中心とした料理以外に、野菜の料理についてもきちんといただきました。血糖値の管理しています。

▪️ところで、どうして、こんなに美味しい海の幸が豊富なのか。それを知るためには、富山湾を地学的・生態学的な側面から理解する必要があります。こちらの「富山の魚が美味しいのは、海底の地形に理由がある」では詳しく説明されていますね。「一年中が、旬。うまさすぐそこさかなは富山」というサイトの中でも、「富山のさかながうまい理由」が説明されいます。

「天然のいけす」富山湾
日本近海には約3,400種の魚がいて、そのうち日本海には約800種、
そして富山湾には約500種の魚がいると言われています。
立山連峰の標高は約3,000m、富山湾の水深は約1,000m。
この4,000mもの高低差が、富山湾のお魚のおいしさの最大の秘密。
大自然の滑り台のような高低差のおかげで、立山連峰の森の成分と酸素をたっぷり含んだ水が富山湾に注ぎ込んでいます。

▪️以下は、自然科学的な立場から富山湾の特徴について説明しているサイトです。富山湾の海底からは湧水、水が湧き出ているそうです。これは、立山連峰の山々に降った雨が、山の腐葉土の中で栄養をたっぷり吸収して、それらの水は地下水として海に運ばれて海底湧水として噴き出しているのだそうです。もちろん河川の水も海に栄養分を補給する役割を担っているのですが、湧水は時間をかけて地下を流れるので、窒素やリンなどをたくさん吸収しており、河川の水と比較してはるかに栄養分が豊富なんだそうです。そのような栄養分が富山湾の生態系を豊なものにして、美味しい海の幸を生み出すことになるのです。
「『木一本、鰤千本』-豊かな海を育んだ海底湧水の秘密(張勁・富山大学教授)」
「巡回する水、つながる水~日本海と富山湾の調査から~」(富山大学大学院理工学研究部 教授 張勁)
「富山の水循環から世界へ〜気候変化が地下水・沿岸海域・海洋生態系へ与えるインパクト〜」(地球生命環境科学専攻 博士課程1年 片境紗希)

▪️富山湾面白いですね。背後には立山連峰、加えて富山湾は水深1,200m。その落差は4,000m。短い距離の間で、これだけの落差がある地形は世界的に見ても珍しいそうです。その富山湾の地形は能登半島とも関係しているのでしょうね。どうして富山湾はこんなに深いのか、調べてみます。もう一度、この辺りのことをしっかり勉強することにします。再び、富山に行きたいと思います。

【追記】▪️こうやって豊な海の幸が生み出される背景を調べると実に楽しいですね。「大人の修学旅行」といった感じです。ひとつ前の投稿「扇状地と湧水」も含めて、地学、地理、歴史、生態、そして美味しい食事も含めて、富山を堪能しました。楽しめました。こういう「大人の修学旅行」が、滋賀県でも、「世界農業遺産 琵琶湖システム」をテーマにして実施できたら良いなというのが、私の願望なのです。「琵琶湖システム」が生み出す食材を「点」として消費するだけでなく、それらがつながって「線」になり「面」担って、それらを「舌」と「頭」と「心」で味わえるような「大人の修学旅行」。これから考えていきます。

扇状地と湧水

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20240222itachigawa2.jpg▪️富山旅行の3日目の最終日(2月21日)、富山市内にある「石倉町の延命地蔵」を訪ねました。ここは湧き水が出てくるのですが、たくさんの方達がその水を汲みにこられていました。詳しくは以下の「立山黒部ジオパーク」のサイトにある説明をお読みいただきたいのですが、ここは「常願寺川が運んだ土砂の堆積によってつくられた、扇状地の扇端部」なのです。立山の積もった雪が溶けて、扇状地に染み込み、非常にゆっくりと地下を流れて、扇状地の一番端から湧き出てくるのです。その湧き水と延命地蔵信仰とが融合しているわけですね。

富山市街を流れる「いたち川」沿いには、延命地蔵尊がいくつも祀られています。安政5年(1858)に発生した飛越地震により、立山カルデラの一部が大崩落し、溜まった土砂が自然のダムを作り、それが決壊して常願寺川からの濁流が町を襲いました。多くの死者や病人が出たなか、夢のお告げで川底からお地蔵様を引き上げて奉ったところ多くの病人が救われたと伝わっています。石倉町の延命地蔵が祀られている場所は、常願寺川が運んだ土砂の堆積によってつくられた、扇状地の扇端部にあたります。扇状地はたびたび洪水に見舞われますが、扇端部では豊かな水の恩恵を受けることができます。この場所では、扇状地に染みこんだ立山の豊富な雪解け水が、清純な地下水となって湧き出し、万病に効くといわれ延命地蔵の水として人々に利用され続けています。

20240222itachigawa8.jpg▪️富山平野の背後には、北アルプスや飛騨高地(飛騨山地)があり、そこからいくつもの急流河川が富山平野に流れ出してきます。そして、水深1200mもある富山湾に注ぎ込んでいきます。そのため、この富山平野にはいくつもの扇状地群が発達することになりました。東側から、黒部川扇状地、片貝川扇状地、早月川扇状地、上市川扇状地、常願寺川扇状地、そして庄川扇状地です。最後の庄川扇状地=砺波平野は、散居村の景観で有名ですね。こちらの扇状地では、「屋敷林に囲まれた約7,000戸を超える家(農家)が点在」しています。こちらの地図をご覧いただけばわかりますが、投稿線の間隔が広いです。扇状地ではありますが、他の扇状地に比べて傾斜が緩やかです。だからこの扇状地の中央部分は、砺波平野と呼ばれるのでしょう。この庄川扇状地の散居村もいつか見学にぜひ行きたいと思っています。ただ、今回の旅行で訪問したのは、上記の引用にもあるように常願寺川扇状地になります。

▪️延命地蔵尊のあるいたち川は、元々は、この常願寺川を源とする川でした。そして、以前は常願寺川と神通川をつなぐ川だったようですが、今は、常願寺川から取水する「常西合口用水」から始まって、田園地帯、住宅街、市街地を流れて、最後は神通川につながるようです。さて、このいたち川、前述の説明では、地震により自然にできたダムが決壊して、水害の大変な被害にあった地域のようですね。そのあたりのことも含めて、地理的な特徴と災害について解説している「富山平野の土地条件と自然災害-急流河川がつくる扇状地群の平野」をネット上に見つけました。執筆者は、千葉大学で教員をされていた水谷武司先生です。「防災講座: 地域災害環境-日本各地の災害危険性に関わる自然環境・社会要因・災害履歴-」の中の一つの講座のようです。地理的なことに関して素人の私にもよく理解できる解説になっています。関心のある方は、ぜひお読みいただきたいなと思います。富山の地理的な特徴をよく理解できます。

▪️このいたち川に関連して、神通川のことも調べてみました。すると、今の神通川に河川整備されたのは、明治以降のことなんですね。ここではわかりやすい資料をネット上に見つけましたので、そちらのリンク先をここに貼り付けておきます。神通川沿いもよく水害が発生した地域のようです。ただ、明治以降、今の富山市の中心市街地は、河川整備により神通川の流路を変化させ(直線化)さい、その廃川になった跡地にできた場所なのだそうです。埋め立てたわけですね(新たに運河を掘った時に出た土砂で)。そのようなこともあり、土地の方のお話では、今年の元旦の地震によって道路に被害が発生したとお聞きしました。埋め立てた土地は、地震には脆弱ですから。

月刊グッドラックとやま 2003年7月号
月刊グッドラックとやま 2003年8月号 
月刊グッドラックとやま 2003年9月号

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20240222itachigawa7.jpg▪️もうひとつ、「そうなんだ」と驚いたことがありました。このあたりが小説家の源氏鶏太(1912年・明治45年~ 1985年・昭和60年)の故郷であったということです。源氏さんは富山の生まれだったんですね。といっても、お若い皆さんはご存知ないでしょうね。私の年代でも、同世代であれば読むことは少ない小説家なんだと思います。私の場合ですが、亡くなった昭和一桁生まれの両親が、通勤の際に、源氏鶏太の小説を文庫本でよく読んでいて、家に書架に並べてあったその文庫本を高校や浪人の頃に手に取って読んでいたんですね。

▪️それから、小説家の宮本輝さんが、1978年に第78回芥川賞を受賞した作品『蛍川』は、この投稿で取り上げたいたち川が舞台になっているようです。「いるようです」というのは、私は、宮本さんの『泥の河』と『道頓堀川』は読んでいるのですが、この『蛍川』は未読のように思います。『蛍川』は富山のいたち川が舞台だったんですね。今回は、扇状地と災害、そして源氏鶏太と宮本輝、いろいろ勉強になりました。

富山の薬屋「池田屋安兵衛商店」

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▪️富山といえば、「薬売り」今回の富山旅行(2月19日~21日)では、江戸時代からの歴史をもつ池田屋安兵衛商店を訪問しました。なぜ富山で薬なのか、気になりますよね。特に、富山で薬草がたくさん生産されていたわけではなくて、江戸時代の殿様の経済振興策だったんですね。勉強になりました。では、原料はどこから?こういう資料を見つけました。今は便利です。旅行中に、スマホで調べることができます。

▪️トップの写真ですが、これは昔使われていた丸薬製造機のようです。かつては、一粒ごとに手で丸めて作っていたそうですが、この機械ができてから量産できるようになったとのこと。これは体験学習用で、本物の丸薬ではありませんが、粘土のような感じでしょうか。何か簡単にできそうですが、私がやってみると潰れてしまいました…。

▪️少し説明しないと、この製造機がどういう仕組みになっているのかわかりませんよね。すみません。垂直に立っている部分に、薬の原料が入っています。この垂直の箱の一番下には、横一列に、とても小さな穴が空いています。薬の原料に上から圧力をかけると、この横一列の穴から少しだけ出てきます。穴から少し出た薬を包丁のような道具で切り取ります。包丁のような道具には、粒が、横一列に並びます。それをこの垂直の部分の手前にある黒い部分に並べていきます。写真では、11列並んでいます。こうやって並べた後に、この上から少し重い四角い蓋のような道具で押さえつつ丸くなるように動かします。お店の方がやると、丸くなるのですが、上にも書きましたが私がやると潰れてしまいました。難しいです。

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▪️私自身は経験がありませんが、子どもの頃は、富山の薬売りの方が各家庭を訪問されていました。使った薬の分だけ代金を徴収して薬を補充する。そういう商売の仕方でした。柳行李は薬売りの方がこの行李に薬を詰めて遠方のお店や家庭を訪問されていたわけですね。その横は薬箱ですね。看板の展示、左の方は近江国日野町と書いてあります。岡寶充堂…かな。右の岩盤の下に、こんな張り紙が。「越中富山の反魂丹 鼻くそ丸めて万金丹 それをのむ奴ァあんぽんたん」。これも子どもの頃ですが、「鼻くそ万金丹」という言い方をしていましたね。思い出しました。子どもが鼻糞を丸めたりいじったりしていると、そう言ってその子を囃したわけです。

富山で息ぬき

20240220toyama1.jpg▪️息抜きで、富山県を旅行しています。2泊3日の旅行です。1泊目は、富山県の黒部渓谷にある宇奈月温泉に泊まりました。温泉に浸かって、溜まっていた疲れを取り除きました。今回富山を旅行したのは、雪の美しい立山連峰を鑑賞するためでした。ところが、天気がよくありません。トップの写真は、宇奈月温泉駅(富山地方鉄道)の駅に貼ってあったポスターです。かっこいいですね。剱岳です。素晴らしいですね。剱岳の向こうには、富山平野と富山湾が見えています。ところが、です。今回の旅行で、雨が降り続けています。まったく、立山連峰は見えません。

▪️Facebookの鉄道関連のグループで親しくさせていただいているBさんに、宇奈月温泉から富山市内に戻るのには、どういう移動が良いでしょうかとお尋ねした時に、以下のアドバイスをいただきました。

車窓でしたら以下のような感じです。まず宇奈月温泉駅から電鉄富山方面に乗る場合は進行右側が良いです。宇奈月温泉駅から愛本駅までは黒部川に沿って走り、そこから一気に黒部扇状地に出て平野を下ります。山が遠くなった頃、左にカーブして電鉄石田駅から右手に富山湾が見えてきます。あいの風とやま鉄道との並走区間になって抜きつ抜かれつになることもあります。

魚津、滑川まで海沿いを並走しますが、この区間は晴れていれば左側の立山連峰もきれいに見えます。再び平野部に入り、上市(かみいち)駅でスイッチバックして富山に向かいますが、その途中の寺田駅と稲荷町駅では進行左手から別の路線が合流し、駅は合流線路の真ん中で扇状に広がっています。終点の電鉄富山駅は現在改良工事中で少々狭くなっており、電車が直列に停まることもあります。

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20240220toyama4.jpg▪️せっかくBさんからアドバイスをいただいたのですが、外は雨。残念ですが、地図を眺めながら、おそらく今はこういう風景が見えているのだろうなと想像をしながら移動しました。富山駅に到着した後は、「富山市ガラス美術館と」「富山県美術館」にいきました。「富山県美術館」では、企画展「倉俣史郎のデザイン 記憶の中の小宇宙」を観覧しました。NHKの番組「日曜美術館」で知った倉俣史郎さんの企画展を観覧できた良かったと思います。ただし、残念なのは、この美術館からは晴れていれば立山連峰がバッチリ眺めることができるはずなのですが、今日はこんな感じでした。

▪️天気予報では、明日も雨です。おそらく、今回は、美しい立山連峰を眺めることはできないでしょうね。残念ですが、仕方がありません。でも、来年の冬、もう一度、富山を訪問しようかなと思っています。今年は、暖冬のせいで、まとまった積雪がありません。まあ、雪がなく移動しやすいわけですが、せっかく冬に来たのに…ちょっと残念な気持ちも。地元の方たちは、暖冬のせいで雪が少なく今年はたすかる…と思っておられたら申し訳ないのですが、もう少し北陸の冬を感じたかったですね。もっとも、食事は、北陸を味わっています。そのことについては、また別途、投稿したいと思います。

しばしの息抜き

20240219hipparitakomeshi.jpg▪️ちょっと息抜きさせていただきます。本日、JRの特急サンダーバードで北陸、富山県にに向かいました。

▪️写真は駅弁です。この器に入った「たこ飯」のことを、かなりの頻度で投稿されている方がfacebookのお友達におられて、その方のことが頭に浮かび、明石の「ひっぱりだこ飯」を購入しました。向かっている北陸の方向と逆なんですが…。この器、食べたあとは捨てずに自宅に持って帰ろうと思っています。
で、左側は?これ、自宅から持参した野菜です。息抜きの間も、「ベジファースト」(ベジタブル=野菜から最初に食べる)をできるだけ維持できるように…ということです。不自由な身になっていますが、その状況を前向きに生きています(^^;;。

▪️今回の富山県での息抜き、前々から計画していました。ただ、能登半島の地震の後、あまり深くも考えずに、なんとなく「行き先を変更するかな」と思っていたのですが、東京での研究集会でお会いした富山県出身の方から「ぜひとも、なんとしても計画を変えずに、富山にお越しください」と強くおっしゃっていただき、当初の予定通り富山に向かうことにしました。なんとなく、自ら「観光の風評被害」に加担していたのだなと、深く反省しています。

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