2019年1月17日 神戸

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20190118kobe2.jpg■昨日は授業がなかったことから、亡くなった母の年金の手続きに必要な書類を発行してもらいに兵庫県まで出かけました。まずは、母が暮らしていた自治体の役所で、母の住民票の除票を発行してもらいました。人が亡くなると、役所に死亡届が提出され、住民票から登録が抹消されたます。その抹消された住民票のことを除票と言います。この除票の後は、そのあとは本籍地である神戸に移動して戸籍抄本を受け取りました。郵送はできないとのことで、あらかじめ発行してもらえるように市役所のサービスコーナーに予約をしておきました。すべて電車に乗っての移動になりましたが、比較的スムースに移動することができました。

■夕方からは滋賀県庁で打ち合わせの仕事が入っていましたが、それまでは時間ができたので、高校の同窓生がボラティアとして参加されている震災関連の「追悼行事」を見学させていただくことにしました。メインとなる行事は暗くなってからだったので、残念ですが、三宮の東遊園地と新長田駅前の2箇所で、それぞれ募金をして、本当にちょっとだけの見学をさせていただきました。ボランティアをされている同級生のお2人からは、facebookでやり取りをしましたが、「テントの数も減り、小規模になっているのが気になりますが、続けることに意味があります」、「あの辺りは(新長田駅の辺り)、震災時は、火の手が上がったところです。今日も、当時を思い出した方々が話しかけて下さいました。辛い経験ですが、少しは、祈りに昇華できたのだろうか、等と考えたりしました」といったメッセージをもらいました。ちょっとだけその場にいただけですが、それでも私にとって大切な経験になりました。ニュースや新聞記事を拝見しましたが、東遊園地でのイベントの実行委員長の男性が、昨日は東京でアピールされていたようです。記憶を風化させないこと、そして被災地の横の連携や地域間のネットワークが大切になっているのですね。
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◾️2つの追悼行事を見学させていただくと同時に、とても短いですが、時間を作って西元町にある「フルーツカフェ サイタ!サイタ!」 を訪問しました。今日、1/17(木)から、「アトリエこうき展」が始まったからです。木下晃希くんの作品展です。木下くんは、芦屋にある特別支援学校に通学されている高校生です。広範性発達障がいを持っておられます。小さい時から絵を描くのがお好きで、図鑑や写真集で見つけた好きな写真を題材に絵を描いておられます。様々なアートコンクールでも入賞されています。なぜ、木下くんのことや彼の作品のことを知っているのかといえば、木下くんのお父さんの木下賢二さん、そしてこのカフェを経営されている採田賢志さんも、じつは学生時代に私が所属していた関西学院大学交響楽団の後輩にあたる皆さんだからです(学年でいえば、お2人とはかなり離れていますが…)。そうそう、もちろん、作品を鑑賞するだけではなく、こちらのカフェの名物であるフルーツパフェをいただきました。とても、美味しかったです。あまり還暦のおじさんというか、おじいさんが食べるものではないのかもしれませんが、私は大満足しました。「アトリエこうき展」を観覧した記念に、晃希くんの作品のポストカードも買わせていただきました。自宅で飾っています。
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「FMわぃわぃ」の「ゆうかりに乾杯」

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◾️昨年の12月23日のことになりますが、神戸市長田区にスタジオのある「FMわぃわぃ」の「ゆうかりに乾杯」という番組に出演させていただきました。トップの画像写っている方たちは、お1人を除いて、すべて母校である兵庫県立兵庫高等学校の先輩・同級生・後輩の皆さんになります。壁際で立っておられる方たちは、全員、この日の放送を見学に来られた同級生です。兵庫高校の同窓会は「武陽会」と言います。武陽会の同窓生は、それぞれの学年ごとに卒業年次の順番に数字をつけて「○陽会」と呼ばれます。私たちの学年は「64陽会」ということになります。写真の一番の右側のFくんとは、おそらく42年ぶりの再会かと思います。私の左に座っておられる若い女性はMC担当のKさんです。彼女も兵庫高校の同窓生です。しかも、龍谷大学文学部を卒業されています。

◾️少し説明を。「FMわぃわぃ」は、1995年の阪神・淡路大震災の直後から、在日外国人が多い長田区を中心に多言語放送をしていたミニFMがルーツになります。2016年3月31日でFM放送を停止し、現在はインターネットで放送しています。このインターネットラジオの中で、月1回、「ゆうかりに乾杯」という番組が放送されています。母校・兵庫高等学校OBを中心にゲストをお招きして、お話を聞く番組です。2009年4月に第1回目の放送が行われ、今回の私で140回目になるようです。同窓生の皆さんによる、息の長い番組ですね。すごいです。番組のサイトもあります。すべての回の音源を聴いて、放送内容の概要も読むことができます。また、放送の様子はすべて動画に撮り、すぐに編集を行ってYouTubeにアップされます。昨日の放送もすでにアップされています。これまでの自分の人生について語っていますので、ちょっと恥ずかしいですが…。

◾️こういうインターネットラジオ、比較的簡単に開設できるのではないかと思っています。今取り組んでいる「大津エンパワねっと」や、これから取り組む「学生まちづくりLaboratory」の活動の延長線上で、何かできないかな…、いろいろ妄想しています。ところで、今年は、兵庫高校の創立110周年記念の年でした。そのことを記念して名簿も作成されました。そのような名簿を作成されていることをよくわかっていませんでした。結果、私は、行方不明者になっているそうです。そのことを何人かの人たちに心配していただきました。すみません。来年の3月には、今年度に還暦を迎えた「64陽会」の同窓会が神戸で開催されることになっています。楽しみにしています。

冬の比良と菜の花

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20190114nagisa2.jpg◾️昨日も亡くなった母の年金のことで、お世話になった老人ホームに行ってきました。年金事務所から送られてきた書類にサインをいただくためです。後日、この他にも複数の役所で書類を発行してもらわねばならず、なんていうか、いろいろ勉強になります。そういうわけで老人ホームに出かけたのですが、ただ行って帰るだけではつまらないので、往きは自宅から琵琶湖大橋を渡って守山市の湖岸にある「第1なぎさ公園」に立ち寄りました。有名な菜の花がピークのようです。今日は天候も良く、湖西にある自宅からも頂きが雪で白くなった鈴鹿山系の山々を眺めすることができましたが、湖東の守山の側からも、美しい比良山系はもちろんのこと、伊吹山や湖北の山々を眺めることができました。美しい景色を眺めると心が洗われますね。行って良かったです。
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◾️昨日は空気が大変澄んでいました。自宅のリビングからも、雪で頂きが白くなった鈴鹿山系の山々を見ることができました。「第1なぎさ公園」の岸辺からは、比良山系はもちろんのこと、湖北の伊吹山をはじめとする山々がはっきり見えました。ひょっとすると竹生島も確認できるかなと目を凝らしましたが、私の視力でははっきりわかりませんでした。残念。ちょっと自撮りの写真も撮ってみました。怒ったような顔をしていますが、風が強いので、こんな顔になってしまいました。すみません。
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神戸へ

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◾️亡くなった母の年金を支給停止にすることに関して、母の住まいの地域を所管している年金事務所に電話をしました。そうすると、母が住んでいた地域を所管する事務所ではなくて、大津の事務所でも良いということを教えてもらいました(そうか、知らなかったな)。ただし、住民票とか戸籍抄本とか、諸々の書類を発行してもらうために、あちこちをウロウロしなくてはいけません。また、年金事務所から送られてくる書類に記入をして提出しなくては行けません。事務的なことは先週でお終いと思っていましたが、来週以降にも続きそうです。

◾️喪主になるのは、今回で2回目です。父と母の2回だけでもう十分なわけですが、父や母の看病や介護、亡くなりそうになる直前の段階から亡くなった後のいろんな手続きや供養に至るまでを含めて、いろいろ勉強させてもらったような気がします。先週は、母が入所していた老人ホームの居室から荷物を撤去しました。その次の日は、暮らしていた自治体の役所で様々な手続きをしました。次から次へと担当者がやってこられて、丁寧に説明をしてくださいましたので助かりました。落語の「善哉公社」のような、たらい回しになることはありませんでしたが、よくわからない事ばかりでした。助かりました。人は、様々な制度に登録されています。当たり前のことですが、いろんなことに気がついたり、改めて認識したり…。そういう経験を文字化して、子どもたちに伝えておく必要があるんじゃないのか。今、そういうふうに思っています。エンディングノートには、そういう子どもに向けたマニュアルのようなことを書いておく部分はあるのかな…。いろいろ介護や看取りの本も出版されていますね。自分自身の介護、看取り、葬儀、亡くなった後の諸々のこと。勉強して、子ども達と共有しておこうと思います。子ども達からすれば、私の生きている間にそういう勉強をすることは、なんだか気がすすまないことでしょうしね。親の介護が終わったので、次は自分の終活をきちんとできるようにしなければなりません。

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20190114kobe6.jpg◾️毎日、亡くなった母のことであちこちに移動しているわけですが、一昨日の土曜日は神戸に行ってきました。神戸に本籍があるからです。必要だったのは戸籍抄本ですが、JR三宮駅に隣接するビルに市役所のサービスコーナーがあり、休日でも受け付けてもらえることがわかりました。ただし、当日の発行にならないとのこと。発行は、火曜日以降になるとのことでした。ちょっとがっかりでした。ということで、せっかく神戸に来たからと少し街をぶらついて帰ることにしました。まずは、市役所の展望台に登り、高いところから自分の故郷である神戸の街を見渡しました。私の記憶の中にある故郷・神戸の街は、阪神淡路大震災以前のものですから、海と山に挟まれたその地形は変わらないにしても、街の雰囲気は随分変化してしまいました。展望台から神戸の街を眺めた後は、東遊園地に行きました。もちろん「慰霊と復興のモニュメント」へ。この日は、市内のたくさんの中学生たちが集まって、「1.17希望の灯り」から火を分けてもらっていました。何かのイベントの一部ですね。おそらくは、17日に開催される「阪神淡路大震災1.17の集い」の関連かと思います。次に神戸に来て戸籍抄本を受け取るのは17日になるので、また東遊園地に行ってみようと思います。

◾️そのあとは、元町の中華街に行きましたが、人混みが嫌でそこから外れてみると、有名な「ぎょうざ専門店 赤萬」が目の前に。ここで遅い昼食をいただきくことにしました。神戸の餃子は味噌ダレでいただきます。有名店だけあって、かなり美味しいと思いました。そしてデザートは、大学時代に所属していた関西学院大学交響楽団の後輩である採田くんが経営カフェに行きました。「フルーツカフェ サイタ!サイタ!」です。以前から、噂に聞いていたフルーツサンドを、この日、やっといただくことができました。これも美味しかったな〜。みなさんも、ぜひ「フルーツカフェ サイタ!サイタ!」へ。母の通夜や葬儀が終わり、ちょっと故郷の神戸で休憩です。
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京都から神戸へ

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◾︎先週の土曜日、龍谷ミュージアムへ行ってきました。「水木しげる魂の漫画展」が開催されており、翌日の日曜日が最終日だったからです。博物館の課長さんに「まだ来ていないでしょ‼️」とfacebookでご指摘を受け、「そうや、まだ行ってへんかったわ」と慌てて土曜日に観覧したというわけです。いや、課長さんにご指摘いただき、良かったです。結局、この水木しげるさん展覧会、来館者数は40,000人を超えたそうです。大学が運営する博物館としては、かなりの実績だと思います。素晴らしい。

◾︎さて、展覧会の中身ですが、詳しいことは別途エントリーしたいと思います。細かいことですが、水木しげるさんの水木というペンネームは、母校・兵庫県立兵庫高等学校のそばにある水木通りが元になっていることを確認しました。水木さんは、戦後、ここで「水木荘」というアパートを経営されていたのです。それはそれで良いのですが、どうしてペンネームになったのか。漫画展の展示で知ることができました。なるほど、なのですよ。

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◾︎龍谷ミュージアムの「水木しげる魂の漫画展」を拝見した後、神戸の六甲アイランドへ移動しました。六甲アイランドには美術館が3つもありますが、そのうちの2つ、「神戸ゆかりの美術館」と「神戸市立小磯記念美術館」で、母校の先輩や大大先輩の展覧会が開催されていたからです。少し詳しく説明します。母校、兵庫県立兵庫高等学校の学年が6つ上、今年の春まで京都市立芸大で教員をされていた西田眞人先輩の「一の宮をえがく」が「神戸ゆかりの美術館」で、母校の前身である神戸第二中学校を卒業された小磯良平先輩(大大先輩ですね…)の「没後30年 小磯良平-西洋への憧れと挑戦-」が「神戸市立小磯記念美術館」で開催されています。最近、母校の同窓生の皆さんから、この2つの展覧会の招待券をいただけたこともあって、神戸まで出かけることにしたのです。こういう機会がないと、故郷の神戸に行くこともできません。

◾︎西田眞人さんの作品にはとても感動しました。日本画家である西田さんは、現在、全国各地にある一の宮と呼ばれる神社を訪ねて、その姿を日本画に描き続けておられます。今回の展覧会は、その中間発表のようです。絵画のことはよくわかりませんが、全国各地の一の宮とともにある自然、歴史、何故そこに祀られているのかといった理由についてまで、西田さんが想いを馳せるとともに感じ取られた事柄が、精緻で繊細な筆使いで作品の中に埋め込まれているかのように感じたからです。とても感動しました。この展覧会では、一の宮の作品に加えて、初期の神戸を描いた作品、阪神・淡路大震災、取材旅行をされたイギリスの風景をテーマにした作品、スケッチ、下絵も展示されていました。時間をかけて出かけて良かった…そう思える作品の数々でした。

◾︎西田先輩の後は、小磯大大先輩の展覧会です。小磯先輩は、教科書にも登場される歴史上の人物であり、誰しもがご存知の方なので、私のような者が説明するまでもありませんね。ただ、今回の展覧会で少し驚いたことがあります。戦争画(作戦記録画)です。軍部の要請で、このような作品も描かれていたのですね。その中には今年の夏に発見された、特攻隊員の肖像画もありました。もちろん、小磯良平といえば女性を描いた作品が有名なのであり、1941年に描かれた「斉唱」も実物を始めて拝見して感銘を受けました。また、展覧会全体を通してですが、その時々の西洋絵画先端の動きを注視し、そこから影響を受けつつ、画風変えてこられたこともよく理解できました。そういう意味で、勉強になりました。展覧会のタイトルにある「西洋への憧れと挑戦」の意味もよく理解できました。

◾︎今回は、JR芦屋まで新快速、芦屋から住吉までは普通の須磨行き、そして住吉からは六甲ライナーに乗りました。「キョリ測」というアプリで作成した地図の画像をご覧ください。六甲ライナーに乗ったところを赤い線にしました(設定がジョギングになっていますが、これは設定ミスです)。六甲アイランドは、住宅地を造成する際に出た土砂で埋め立てた人工島です。1972年(昭和47年)に埋め立て工事に着工し、埋め立てが完了し、住宅が建設され入境が始まったのは1988年(昭和63年)3月になります。その頃は、すでに結婚して奈良県に住んでいて、神戸を訪れることはなくなっていました。ということで、今回、六甲アイランドには、生まれて初めて行ったことになります(たぶん…)。自宅へは、同じコースで戻りました。写真は、帰りの六甲ライナーから撮影したものです。東灘区の青木というところで生まれこともあり、この海と山が迫ったこの風景が、私の原風景かと思います。いつも通り、展覧会の図録を購入しました。「神戸市立小磯記念美術館」では、神戸の街の版画を残した川西英の、来年のカレンダーも購入しました。川西の作品は、幼い頃の記憶とともにある、私には懐かしい作品になります。
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おおつ百町発酵めぐり

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■大津のまちなかで、こんなコラボレーションが行われているようです。酒蔵、鮒寿司屋、漬物屋、この3つのお店のコラボレーションです。いずれのお店も、古い歴史を持つ老舗になります。この3軒の老舗には、それぞれ若い跡取りの方達がおられます。その跡取りの方達が、「発酵」をキーワードに横につながり、これまでも様々なイベントに出店されてきました。今回は、これまで積み重ねてこられた実績の、次のステージを狙っておられるのではないかと思っています。阪本屋さんでは、「鮒寿司のスープ」を試飲できるようです。どんな味なのか気になります。滋賀県では、鮒寿司の頭と尻尾にお湯や昆布だしかけて、お吸い物にしますので、ひょっとして、それに近い味かも…と想像していますが、実際のところはどうなんでしょう。

母校・兵庫県立兵庫高等学校を訪問しました。

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■神戸出身です。といっても、0歳〜4歳、16歳〜25歳の期間しか神戸には暮らしていません。ただ、「どちらの出身?」と聞かれると、やはり神戸と答えることになります。学校関係でいうと、唯一、高校だけは神戸の学校を卒業しています。兵庫県立兵庫高等学校です。今月の17日になりますが、その兵庫高校の関係で神戸に行ってきました。コミュニティFMとして知られる「FMわいわい」の「ゆうかりに乾杯」という番組の取材を受けるためです。こんな番組です。

長田、兵庫、須磨地域に根付いた県立兵庫高校(旧神戸二中)の卒業生をベースに、その友人たちや地域で活躍する人々をゲストに迎えて、仕事や趣味やいろいろな地域活動等をお伺いして、FMわいわいを通じた地域コミュニティの連携強化に繋げて行きます。

放送番組『ゆうかりに乾杯』は、コミュニティ放送局「FMわぃわぃ」から、毎月第4土曜日の午後4時から5時まで 60分番組を提供しています。

■人にお話しを伺うことは、自分の仕事の範疇に入ってくるのですが、この日は逆に聞かれるということで、どんな感じになるのか興味津々でした。放送はインターネットの動画が流れますので、また報告させていただくとして、ここからは取材の後の事を。取材の後は、母校・兵庫県立兵庫高等学校を訪問しました。自分たちが学んだ校舎は、建て替えられてもうありませんが、今も思い出の地であることに変わりはありません。阪神淡路大震災の際には、偶然にも母校に滋賀県職員として派遣され、図書室に寝泊まりしながら避難されていた被災者の皆さんに支援物資をお配りしました。そのような意味でも、懐かしさを感じました。

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20181123hyogo7.jpg■母校には、「FMわぃわぃ」でお世話になる同級生のSさん、そして「武陽会」という母校同窓会の理事長でもある同級生Kくんと一緒に徒歩で向かいました。母校に到着すると、ソフトボール部にいたやはり同級生のAさんが待っていてくれました。また、私たちよりも2年後輩の同窓生の先生が、待機してくださっていました。到着後、まず見学させていただいたのは、戦前、母校が神戸第二中学だった時代に卒業された東山魁夷先輩達の作品を展示している「記念室」でした(同窓生は、東山魁夷さんのことを東山先輩と呼ぶことがあります)。母校の先輩には、他にも、画家であれば小磯良平先輩がおられます。この「記念室」に飾られている東山先輩の作品の中で、私が一番惹かれた作品は、雪の降る京都の街描いた「年暮る」というタイトルのついたリトグラフでした。このような先輩方の作品が、母校の「記念室」に飾られているとは夢にも思っていませんでした。私が在籍していた頃は、東山魁夷先輩や小磯良平先輩の作品が、当たり前のように講堂や廊下に飾ってありました。飾ってありましたが、高校生当時の私には、それらの作品の価値がまったくわかっていませんでした。

■画家である東山魁夷・小磯良平両先輩以外にも、母校の先輩にはたくさんの著名人がおられます。そのことが、同窓生にとっては少し誇らしかったりします。たとえば、小説家の横溝正史さんや舞台美術家・作家である妹尾河童さんなども私たちの先輩に当たります。母校訪問から話しが逸れていきますが、横溝正史さんが在籍されていたころのことについては、「東京紅団」というサイトの「横溝正史の神戸を歩く」というエッセーで詳しく知ることができます。このエッセーによれば、神戸駅の近くにある東川崎公園内には横溝正史の生誕地碑が設置されているようです。一度、訪問してみたいものです。

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20181123hyogo10.jpg■上の2枚の写真のうち左側は、卒業アルバムに掲載された写真です。私が在籍した3年4組の集合写真です。右側は、今回の母校訪問で撮った同じ場所の写真です。私たちが学んだ校舎は、1940年にできた校舎です。戦前の建物ですね。今の校舎は、1994年に建て替えられたものです。現在の校舎とは同じ敷地の中でも、建てられている場所が違います。私たちの頃は、南東の角が正門でしたが、現在はもう少し北、北西部分に正門があります。

■正門を入ると右手に、「合掌の碑」が建てられています。私たちが在学している頃は、敷地の西の方にありました。この「合掌の碑」は、沖縄県最後の官選知事として沖縄戦に散った島田叡(あきら)先輩(1901~1945年)の慰霊碑です。島田先輩は、1945年1月に沖縄県知事として赴任し、米軍上陸を前に県民の疎開や食糧確保に奔走。米軍の砲撃の下でも壕(ごう)を転々として執務を続け、本島南部で消息を絶ちました。享年43歳。沖縄県では、島田叡を知らない方はおられません。それほど、有名です。現役の後輩達も、毎年、沖縄で修学旅行を実施しています。詳しくは、島田先輩のことについては、拙ブログの「島田叡さんのこと」の投稿をお読みいただければと思います。

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■校舎は建て替えられ、昔の様子は曖昧な記憶の中にしかありません。同級生たちと歩きながら、ここに武道場があったね…とか、部室の建物があったよね…とか、昔の様子を思い出しながら歩きました。すつかり変わってしまっていますが、以前と変わらないものがあります。ユーカリの樹とスタンドです。敷地のあちこちに、ユーカリの樹が植えられています。以前は、もっとたくさんのユーカリの樹があったように思います。今回、私の母校訪問に同行してくださった同窓会理事長のKくんからは、もともと池があったところを埋め立てて学校作ったために土地に湿気がく、その対策として深く根を張って水分を吸い上げるユーカリの樹が植えられたのだそうです。この話しは、今回初めて聞きました。校章にも、そのユーカリの葉が3枚デザインされています。

■グランドでは、テニス部やソフトボール部が練習していました。その様子をスタンドから眺めました。昔、このスタンドを使って練習をしたな…とか、いろいろ思い出しました。そうすると、母校という「場所」の持つ力のようなものを感じることができました。偉大な先輩たち、多くの同窓生、そして現役生の皆さんと一緒に築いてきた伝統のようなものを感じることができました。

■昔の正門は、学校の敷地の南東の角にありました。その正門を出て川を渡ったところには、駄菓子屋がありました。学校帰りに、よく立ち寄っていました。お店の名前はなんという名前だったかな…。確か、西明寺という名前だったように思います。阪神・淡路大震災の時に、この辺りは大変被害にあいました。この駄菓子屋さんに隣接する商店街も全て火災で燃えてしまいました。

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20181123hyogo17.jpg■母校を見学した後、同行してくださった同級生の皆さんが、母校の周り散策してみようと提案してくださったことから、かつて通学に使っていた神戸電鉄の長田駅に向かっての坂道を登っていくことにしました。震災の影響もあるのでしょうが、街並みについては随分変わったかなという印象です。もっとも42年が経過しているので、変わっていても当然でしょうか。ただし、駅近くの地形等については、記憶の中にある通りのものでした。いろいろ懐かしい思い出が蘇ってきました。一番の思い出は、不良中学生にからまれたところを、同級生が救ってくれたことでしょうか。その同級生は、今、有名な企業の経営者になっています。その時のことを、彼は覚えているかな。

■長田駅からは一駅、湊川駅まで神戸電鉄に乗ることにしました。神戸の皆さんは、普通、神鉄(しんてつ)と呼びます。同行してくれた同級生は、普段、神鉄に乗ることはないようで、「長田駅から初めて乗った」と言っていました。神戸電鉄を利用する方達は、六甲山の裏側、北区にお住いの皆さんが多く、母校の近くに住んでいる方達は、普通、乗ることはないですからね。

■同級生の皆さんとは散策しながらいろいろ話をしました。私たちは今年度に還暦になります。母校のかつての先生方よりも年を取ってしまいました。お亡くなりになった先生のほうが多いと思います。先生だけではありません。同級生でも亡くなられた方達がおられました。大病をされた方達の話しも聞かせてもらいました。私はといえば、卒業後、同窓会ときちんと連絡を取っていなかったので、ずっと「行方不明」のままでした。42年の時間が経過しました。人生いろいろです。神戸電鉄で移動した湊川駅の近くでは、懐かしいお店と再会しました。「人工衛星饅頭」のお店です。このお店は、高校の時からずっと流行っているようです。ソビエトのスプートニクが打ち上げられた年に開店したとか。こちらについては変わりはありませんでした。

「藤原敦写真展『つくろひ』」(三井寺観音堂書院)

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◾️出版社「さいはて社」の大隅直人さんからご案内いただき、昨日、三井寺の観音堂書院で開催されている「藤原敦写真展『つくろひ』」を観覧してきました。藤原さんは、滋賀県出身東京在住の写真家です。今回の写真展のメインの展示は、藤原さん作品群『蝉丸』になります。

◾️平安前期の歌人である蝉丸をご存知でしょうか。「これやこの 行くも帰るもわかれては 知るも知らぬも逢坂の関」の百人一首で有名ですね。三井寺から少し離れたところ、浜大津から山科に向かう途中に、この蝉丸を祀った蝉丸神社があります。逢坂山に住み、盲目で琵琶の名手とされています。音曲の守護神、芸能の神様としても有名です。

◾️藤原さんの『蝉丸』は、この蝉丸からインスピレーションを得ているのだそうです。そのようなこともあり、今日は、「琵琶の秘曲をきく 蝉丸に想いを馳せるミニコンサート」も開催されました。琵琶は小野真龍さん、篳篥(ひちりき)は前川隆哲さんが演奏されました。演奏されたのは3曲。「太食調 長慶子」と「高麗壱越調 胡蝶」。この2曲は、平安時代に作曲されたものですが、最後に演奏された「啄木調 啄木〜『三五要録』より」は、唐からもたらされた琵琶の3つの秘曲のうちの1つです。最初の2曲が和風とすれば、この「啄木」は、私の個人的な印象ですが、シルクロードの向こうの地域を連想するような調べでした。とても興味深く拝聴しました。

◾️コンサートは本日のみですが、写真展は11月4日まで開催されます。ぜひご覧になってください。ところで、私は、この写真展で、ハンセン病歌人、明石海人のことを初めて知りました。時間を見つけた、彼の歌集を読んでみたいと思います。

鉄道ファンとの交流

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◾️昨晩は、facebookの鉄道ファンのグループに所属されている「鉄道愛」に溢れる皆さんと、大津で飲み会でした。わざわざ、都合をつけて関東方面かお越しの方もお2人。流行りの言葉でいえば「半端ないって」という感じです。

◾️一次会は浜大津の交差点にある「駅前酒場 御蔵」でした。店内の入り口付近のテーブルに陣取りました。ここからは、京阪電車京津線と石山坂本線を走る電車の姿と音を堪能することができるからです。京阪電車を視界に入れて、近江の食と酒を楽しみつつテツテツ談義です。私のような、なんちゃって…な鉄道ファンはたじたじの(つまり、専門的すぎてよくわからない…)熱いやり取りがありました。でも、私のような者からの質問にも、とても丁寧に解説してくださる紳士な皆様ばかりです。大変、ありがたかったです。

◾️二次会はジャズバー「パーンの笛」。このテツテツなみなさんの仲間で、『乗らずに死ねるか』や『すごいぞ!私鉄王国・関西』の著者でもある故・黒田一樹さんを偲びつつ、ビールをいただきました。ずいぶん昔に、偶然に、このジャズバーで黒田さんと出会ったのです。すごい人がいるものだと、とても驚きました。

◾️締めの三次会はいつもの大津駅前の居酒屋「利やん」。名物「だし巻き豆腐」と「おでん」を楽しみました。関東方面からはお2人が参加されました。すごいと思います。お1人は大津泊でしたが、もうお1人はなんと夜行バスで戻られました。仲間との鉄道愛を育むために、わざわざ大津にまでお越し下さったことに、心より感謝いたします。

「うみのこ」と堅田の秋空

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◾️買い物ついでに、大津市の堅田にある湖畔のカフェへ立ち寄りました。杢兵衛造船所の横にあるカフェです。こういうことは、滅多にないことなんですけれど。コーヒーを飲みながら外を眺めると、杢兵衛造船所には、退役した前の環境学習船「うみのこ」が繋留されていました。「うみのこ」は、「滋賀県立びわ湖フローティングスクール」で使われている環境学習船です。現在は、2代目の新しい「うみのこ」が就航していますから、これは1代目の「うみのこ」です。滋賀県の小学校5年生は、全員「うみのこ」に乗船して琵琶湖の環境学習を行うことになっています。詳しくは、以下をご覧いただきたいと思います。ところで、新しい「うみのこ」が就航したこともあり、この写真の1代目はどうなるんでしょうね。少し古い新聞記事では、利活用していくにも相当のお金がかかるようですし、解体するにしてもそれなりの費用が必要のようです。

滋賀県立びわ湖フローティングスクール

◾️カフェでは「うみのこ」のことを考えながらびわ湖の風景を眺めていました。するとV字編隊の白い渡り鳥たちが南に向かって飛んでいるのが見えました。目を凝らせば、この写真でも確認できるかもしれません。種類はなんでしょうね。そういう季節なんですね。ちなみに上の方に浮かんでいるUFOみたいなのは、電灯がガラス窓に反射したものです。カフェには20分ほどいたでしょうか。カフェの外に出ると、もう夕方になっていました。空は秋空です。羊雲ですね。羊の群れが比叡山の山えを超えて行こうとしているかのようです。

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