初秋の伊香立でウォーキング

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■昨日は午前中に、ウォーキングを行いました。「びわ湖チャリティー100km歩行大会」=「びわ100」が、いよいよ来月に迫ってきました。昨年に引き続き、今年も、滋賀県庁の「世界農業遺産申請チーム&農政水産部」の職員の皆さんと100kmを歩きます。これまで再びフルマラソンを完走するためにランニングに取り組んできましたが、ウォーキングも練習することにしました。走るのと歩くのとでは、やはり違うような気がするからです。ということで19km弱歩きました。当初の計算では、20kmだったのですが…。また、途中で色々関心のあるところに寄り道したりしたので、ちょっとウォーキングに時間がかかりました。3時間弱。1,127kcalを消費しました。

■今月末に、滋賀県庁の「世界農業遺産申請チーム&農政水産部」の職員の皆さんと、50kmウォーキングの練習会があります。それまでにも35kmウォーキングしておく必要があります。月末の50kmウォーキングが完歩できれば、100kmはなんとかなる…はずです。

■ウォーキングだったので、少しゆとりがありました。コースは、大津市の堅田から比叡山と比良山の間にある丘陵地帯です。学区でいうと、伊香立学区になります。秋の山里の田園風景を楽しむことができました。ほぼ、稲刈りが終わりかけている段階でした。先日、伊香立のまちづくりに関して聞き取り調査を行ったのですが、その時に伺った野菜の直売所も確認できました。土日に営業しているようです。この野菜市を運営されている「香の里 粋に生きよう会」のこと、このブログでもご紹介できたらと思います。ちなみに、この伊香立のまちづくりに関して、公益財団法人滋賀県人権センターの月間情報誌「じんけん」に短い文章を寄稿しました。10月号になります。チャンスがあれば、お読みください。
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びわ湖パラダイス

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妹子神社

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■ランニングの練習を再開しましたが、ベテランのランナーの方からは、ただ走るだけではなく、楽しみを持って取り組んでほしいとのご指摘をいただきました。ただ、タイムや距離といった数字に一喜一憂するのではなく、走りながら自然の変化を感じ、風の香りをかぐ…そういった楽しみがランニングはいっぱいありますよ、というご指摘です。ということで、「ランニングにもっと楽しみを付け加えよう」と、先日は「歴史ラン」をしてみました。小野妹子の墓と伝承されている唐臼山古墳と、妹子が祀られている妹子神社を折り返し地点にして走ることにしたのです。一般には、といいますか歴史学的には、小野妹子の墓は大阪府南河内郡太子町にあると言われており、大津の墓については単なる伝承でしかないわけですが、私にとっては、そのようなことはどうでも良いのです。

■大津にある唐臼山古墳と妹子神社は、「びわ湖ローズタウン」の中にあります。JR湖西線・小野駅が最寄の駅になります。もっと正確に言うと、妹子神社のある唐臼山古墳の周りがニュータウンとして開発されたのです。私は鈍感な方だと思うのですが、妹子神社に行くと、そのような私でも何か神々しい雰囲気が伝わってくるように感じがした。すぐに折り返して戻ることをせず、キャップもサングラスも外して、二礼二拍手一礼。きちんと参拝をしました。「ランニングの練習を継続できますように見守ってください…」と祈りました。もっとも、小野妹子は遣隋使として派遣された人です。そのようなこともあり、この神社には、外交官や駐在員の皆さんが参拝されるらしいのです。妹子さんは、ランニングは専門外だろうか…。ところで周りはニュータウンなのですが、その先には、比良山系や琵琶湖が見えました。「小野妹子の墓は、なんて素敵な場所にあるんだ!」と思いました。ニュータウンはもちろん、鉄道も道路も何もない、いにしえの時代の風景を頭の中で想像しました。なんて素敵なんでしょう。

■10分弱ばかり妹子神社で過ごしました。もっと居てもよかったのですが、次の予定がありましたので、ランニングを再開し、自宅に向かって走り始めました。今日は、「ニコニコ・ルンルン♪」なスピードって、どんな感じかを確認しながら走りました。おそらく6分40秒/kmから6分50秒/kmまでのあたりなのだろうと思います。このスピードならば、途中で心肺がきつくなることもありません。また、スピードは落ちてしまうものの、ニュータウンの中の上り坂も、止まらずに走って行けます。脚力と心肺機能も、少しずつ強化されていると信じたいものです。この日のランは13.23km、1017kcalを消費しました。

印象派・モネのガーデニング-ガーデンミュージアム比叡

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20170508gardenmuseum5.jpg■この「ガーデンミュージアム比叡」は、モネに代表される印象派の絵画たちの作品(陶板画)と庭園を重ね合わせた演出になっています。「京都観光Navi」の紹介ページでは、以下のようにこの庭園をわかりやすく説明しています。

標高840mの比叡山頂の庭園美術館。1.7haの園内に1,500種10万株の花が咲き乱れるここガーデンミュージアム比叡は、フランスの設計者により2001年にオープンしました。

園内は6つの庭に分かれており、南仏プロヴァンスの丘陵をイメージした「香りの庭」、藤のからまる太鼓橋、睡蓮の咲く池など、モネの代表作『睡蓮』をイメージした回遊式庭園「睡蓮の庭」、シャクナゲが咲きそろう花の回廊「こもれびの庭」、藤棚と季節の草花に彩られた「藤の丘」、モネの自宅庭園をモチーフにした「花の庭」、6月中旬から10月頃まで途切れることなく様々な種類のバラを鑑賞することができる「ローズガーデン」があり、四季折々の花を楽しむことができます。また園内にはモネ、ルノワール、ゴッホなどフランス印象派画家たちの作品が陶板画として45点飾られて、季節ごとに表情を変える花々とともに、訪問者の心を魅了してくれます。

■実は、この「ガーデンミュージアム比叡」は、一度来たことがあります。しかし、前回はガーデニングに全く関心がなかったので、ただのお付き合いで歩いていただけでした。今回は、我が家の庭づくりに関して、いろいろ自分なりのイメージを膨らませることができたわけでして、とても勉強になりました。興味深かったのは、モネの作品である「睡蓮」をイメージした大きな池のある庭でした。ちょっと調べたところ、モネの庭づくりは、幾何学的に区切られたフランス式庭園にイングリッシュガーデンの自然美を融合させたものと言われていることがわかりました。きちんとした出典がはっきりしないのですが、なるほどと思います。フランスの庭園でありながら、イングリッシュガーデンは、植物の自然な成長を活かした庭づくりを目指します。モネの庭園は、そう行ったイングリッシュガーデンの理念をうまく取り込んでいるというわけです。

■この「ガーデンミュージアム比叡」には、「印象派ガイダンスコーナー」が設けられています。印象派の歴史、そしてその作品が日本文化から強い影響を受けていることが解説されます。印象派の画家たちが活躍したのは、日本の歴史でいえば19世紀後半です。幕末から明治の初期にかけての時代です。よく知られていることですが、印象派の画家たちは、日本から流出した浮世絵に強い影響を受けました。モネもそのような影響を受けた画家の1人です。しかし、そのモネが自らの庭園をつくる時に、日本から睡蓮を取り寄せて植えるとともに、日本風の太鼓橋を架け、池の周囲には竹、柳、藤、アイリス等の植物も植えたということに驚きました。「モネのガーデニング」について私はよく知りませんでしたので、その解説を興味深く聞きました。

■さきほど、「フランス式庭園にイングリッシュ・ガーデンの自然美を融合させたもの」と書きました。また、そのようなイングリッシュガーデンの背景にあるイギリス人がイメージする自然、いわゆる自然観と、日本人がイメージする自然観との間には共通性が高いとも言われています。自然を人間が作った形式の枠の中に押し込めるのではなく、自然そのものの生命観を大切にしようとしているようとしている点が共通しているのかもしれません。もちろん、生命観を大切にしようとしているとはいっても、それはあくまで人間の都合を元にした自然観であって自然そのものではありませんが…。印象派の画家たちが日本文化から強い影響を受けたこと、印象派の絵画に対する新たな考え方、「モネのガーデニング」とその背景にある自然観、きっと繋がりがあるように思います。おそらくは、そのような研究がなされていると思うので、調べて読んでみたいとも思います。

■今回は、「ガーデンミュージアム比叡」を楽しむことができました。もちろん、この後は、入院している老母の見舞のために病院に車で向かいました。老いた上に、病でさらに弱っている母親と向き合うのはなかなか辛いものがあります。今後のことを考えると、いろいろ心配事ばかりなのですが、仕方がありませんね。以前は、そのような心の中にあるネガティブな気持ちを大阪梅田地下街・三番街にある「インデアンカレー」の辛さで吹き飛ばしていましたが、最近はそういうこともできません。ガーデニングで心を癒しつつ…という感じなのかなとも思います。

【追記】■「ガーデンミュージアム比叡」の「印象派ガイダンスコーナー」では、印象派の作品と鉄道や都市郊外との関係についても知りました。関連する文献が、ネット上ですぐに見つかりました。美術史の研究者である三浦篤(東京大学)さんの「印象派とレジャー ―19世紀後半のパリ近郊とノルマンディー海岸」(ドレスタディ 第 53 号 2008 SPRING)という学術的エッセーです。そのエッセーの冒頭には、以下のように記述があります。

1860年代後半頃から、マネや印象派の画家たちがセーヌ河沿いのパリ近郊の地やノルマンディーの海辺で作品を制作したのはなぜか。必要条件から言えば、パリを起点とする鉄道網が発達して、都市から離れた場所に行きやすくなったからだ。だがそれだけではない。イル=ド=フランスの美しい自然の中で展開された印象派の絵画制作は、実はパリの近代都市化と中産階級の余暇文化の形成という社会現象とも深く結びついていた。彼らがイーゼルを立てた場所は、パリに住む人々が週末やヴァカンスのときに汽車に乗って訪れた行楽地にほかならない。鉄道の進展とリンクしたパリ近郊でのレジャーの発達、ノルマンディー海岸のリゾート地化は、印象派絵画と不可分の関係にあった。

柳が崎湖畔からの景観

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20170506yanagasaki8.jpg■ひとつ前のエントリー、イングリッシュガーデンに行った後のことについても。琵琶湖大津文化館やイングリッシュガーデーンは、柳が崎と呼ばれる場所にあります。「崎」という字からもわかりますが、ここは少し湖岸から陸地が琵琶湖に突き出ています。イングリッシュガーデンは、この「崎」の一番突端のところにあります。写真をご覧になればわかるかと思いますが、この柳が崎からの眺望は素晴らしいものがあります。

■対岸には近江富士と呼ばれる三上山が見えます。高層のマンションが建っていることから草津市の市街地も確認できます。そして、南の方を見ると大津の市街地を楽しむことができます。南湖をぐるりと眺望できるのです。これは素晴らしいです。このような眺望を確保できる場所だからこそ、1934年にここに「琵琶湖ホテル」が建設されたのかなと想像しました(今の所、根拠資料がないのですが…あくまで想像です)。

■この柳が崎は、大津市の景観を考える上で大切な場所にもなっています。湖岸には「眺望景観保全地域と重要眺望点 琵琶湖で繋がる大津の景観」という解説板が設置されていました。そこには、以下のように書かれていました。

柳が崎からの眺望 歴史的風土保存地域に指定される音羽山を中心とする山並みと、浜大津からにおの浜にかけての近代的かつ機能的なまちなみ、そして前面にはいつの時代においても壮大なスケールを誇る琵琶湖というように、水と緑と都市の大景観を体感することができる絶好のポイントです。

美しい琵琶湖の眺望が望めるとともに、夜は素晴らしい夜景を堪能することができます。この場所は自然豊かな柳が崎湖畔公園の一部であり、毎年8月に開催されるびわ湖花火大会において、迫力のある花火を観覧できる場所となります。

■大津市は、2003年(平成15年)に、全国で10番目の「古都」指定を受けました。「古都大津の風格ある景観を作る基本条例」、そして「大津市景観計画」が策定されました。基本計画では、重要な眺望景観を保全・育成することを目的に、眺望景観に配慮すべき眺望景観保全地域と重要眺望点を定めました。この柳が崎もその重要眺望点のひとつなのです。

■この柳が崎の北側は、かつて大津市民に親しまれたは水泳場がありました。現在は、水泳場は廃止になっており、広い公園として整備されています。滋賀県庁の公式サイトの中にある柳が崎を空から撮った写真です。この辺り、なかなか気持ちの良い場所です。ピクニックには最適な場所からと思います。弁当を持参して、一日、この湖岸でゆったりと過ごすと良いのではないかと思いました。この日は、ルアーの釣り人以外にも、湖岸からの風景を楽しんでいる方たちがいらっしゃいました。

イングリッシュガーデンの背景

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20170506englishgarden5.jpg■滋賀の老人ホームに入所している母親が、体調が悪くなり入院しました。一時は心配しましたが、幸いにも、病状は安定してきました。もっとも、さらに老いを深めていることは間違いありません。というわけで、母親の見舞い&様子を見に行くことが続いています。まあ、こういうことが続くと気分的に滅入るので、病院に行く前に、琵琶湖大津館のイングリッシュガーデンで息抜きをすることにしました。薔薇のシーズンはこれからですが、美しい花々を堪能することができました。藤が見事に咲いていました。藤の花は良い香りがするのですね。私は、藤の花が咲いた、この池のあたりの雰囲気がとても好きです。ちょっと印象派の絵画を連想するようなところがあります。

■このイングリッシュガーデンのある琵琶湖大津館は、以前は、琵琶湖ホテルとして営業していました。外国人観光客の誘致を目的に、1934年に竣工した県内初の国際観光ホテルでした。このエントリーに写真をアップしていませんが、桃山様式と呼ばれる特徴的な和風の外観と洋風の内観を併せ持つ、独特の雰囲気をもつ建物です。設計が、東京歌舞伎座の設計も手がけた岡田建築事務所。素人の考えですが、和風のデザインは東京歌舞伎座とあい通じるところがあるようにも思います。私は、まだ30歳代の時に、このホテルで開催された国際ワークショップに出席したことがあります。歴史を経て来た建物だけあって、素敵な雰囲気がありました。現在は、結婚式や会議に利用できるようです。ところで、この琵琶湖ホテルですが、1998年に浜大津に移転し、新たな現代的な建物としてリニューアルしました。そして、大津市が敷地と建物を買い取って修復し、観光施設として2002年に開館しました。イングリッシュガーデンは、この琵琶湖大津館に隣接する庭園です。

■これまで、このイングリッシュガーデンには家族に連れられて来ているだけでした。しかし、今回は、自宅の小さな庭のガーデニングを趣味にするようになってきたこともあり、庭全体の作り方について、いろいろ勉強することができました。難しいですね、庭づくりって。全体を統一感持たせて見栄えのある庭にするのは、センスが必要です。造園家と呼ばれる専門家がいるだけあって、大変奥が深いわけです。で、このイングリッシュガーデンという言葉や考え方ですが、「自然の景観美を追求した、広大な苑池から構成されるイギリス風景式庭園」(wikipedia)を指すのだそうです。まだ、よくわかっていないのですが、個人的には、人工的でありなが自然美を追求するというところが、このイングリッシュガーデンの興味深い点です。当時のイギリスの皆さんの「自然観」がここに現れているようにも思います

■イングリッシュガーデンが誕生したのは、18世紀。幾何学模様のようなフランス式の庭園とは異なる点、また植民地を拡大して行く中で、植物学に詳しいプラントハンターと呼ばれる研究者・冒険家が世界から、珍しい植物を収集するようになった時代と重なっています。造園学の研究者である白幡三郎さんが、『プラントハンター』という本を執筆されていたように記憶しています。ちょっと、調べてみようと思います。私は、この大津のイングリッシュガーデンの池のあたりの雰囲気が好きだと書きました。しかし、そのような「眼差し」自体が、18世紀のイギリスの置かれた歴史的・社会的な状況の中で作り出されて来たものであり、それを極東の島国の日本に住む私自身が内面化している…そのように考えられるわけです。庭を楽しむというガーデニングという行為を超えて、イングリッシュガーデンが歴史的に構築されていく過程そのものに興味が湧いてきました。

「新京阪山科線」のこと

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■時々、大津市内を走る京阪電鉄石山坂本線を利用しています。特に、市役所で会議等の用事があった時など、京阪の別所駅から京阪膳所駅まで乗り、そこからJRに乗り換えるという経路で移動することが多いからです。ところでこの駅は、浜大津方面の線路がカーブしており、プラットホームもカーブ上にあります。ということで、電車とプラットホームとの間に微妙な隙間を生み出しています。バリアフリーの観点からすれば、このような隙間は問題なのですが、この隙間が周囲の景観とも重なり合い、私には印象深い風景の一部になっています。写真は、京阪膳所駅の踏切あたりです。言葉で説明しにいくのですが、膳所の商店街等、街の人の営みの雰囲気が溶け合ったこの「鉄道の風景」に、私は魅力を感じているのだと思います。やはり、このような説明では、何のことかわかりませんね。

■ところで、この写真を、鉄道好きの皆さんが集まるfacebookのグループのページにアップしたところ、私などとは違い鉄道に非常に詳しい方から、以下のような情報の提供を受けました。大正時代に現在の阪急京都線は新京阪鉄道と呼ばれていました。当時としては、技術的にも日本の先端を行く鉄道会社だったようです。その新京阪鉄道が、山科線を計画しました。新京阪山科線は、現在の向日市にある西向日町駅から分岐して、伏見区の久我(こが)、下鳥羽、竹田、深草、六地蔵を通り、山科で京阪六地蔵線と山科で合流し、さらにその線路は、現在の京阪膳所駅まで延伸される計画だったようです。また、名古屋急行電鉄が、この膳所と名古屋を結ぶ鉄道の計画を立てていたということも知りました。もっとも、これらの計画は、昭和の大恐慌で、全部計画だけで消えていき、「幻の鉄道」になってしまったわけです。詳しくは、以下の記事をお読みいただければと思います。

京都・伏見で幻の鉄道計画「新京阪山科線」たどるまち歩き
京阪六地蔵線

■私は、現在の京阪膳所駅あたりの街の人の営みの雰囲気が溶け合った「鉄道の風景」が好きなのですが、もし世界大恐慌がおこらずに、この幻の鉄道が実現していたら、膳所の界隈は、また大津の街はどうなっていたでしょうね〜。

蓮如上人の犬塚の欅、そしてパン屋さん

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20170406druriver3.jpg■蓮如上人は、浄土真宗本願寺派第8世宗主であり、「本願寺中興の祖」と呼ばれています。その蓮如上人ゆかりの場所が、大津駅の近くにあります。駅から少し北西に行ったところに、大きな病院があります。大津赤十字病院です。その向かいに、大きな欅の老巨木があります。樹齢600年以上、樹高20m、幹周8.3m。大津市指定の天然記念物です。この欅の樹には、以下のように伝承があります。

■室町時代、衰退していた浄土真宗を蓮如上人は教団として発展させましたが、そのことをよく思わない仏教勢力から命を狙われるようになります。京都から難を逃れて大津の地に入ったときにも、殺されそうになりました。蓮如上人が食事をとろうとした時、可愛がっていた愛犬がその食事を食べてしまいます。しかし、その食事には毒が入っていたのです。愛犬は、蓮如上人の身代りとなって死んでしまいました。蓮如上人は、愛犬の亡骸を埋め、そこに欅の樹を植えて弔ったというのです。その欅が、現在の老巨木なのです。「犬塚」の石碑も建てられています。

■4月1日のことですが、この犬塚の欅の老巨木の横にあるパン屋さんにいってきました。「ドライリバー」さんです。これまでも家族が買ってきたものを食べわたことがありますが、今回は甘いパンではなく、いわゆる調理パンと食パンを購入しました。噂通りの美味しさでした。今回いただいたのは、ハムとチーズを挟んて焼いたものと食パン。特に食パンは、パンの耳のあたりがめちゃくちゃ美味しくて、また購入したくなりました。ところで、レジで「どうしてドライリバーという店名なのか」と素朴な疑問からお尋ねしたところ、レジ担当の女性が大笑いをされました。店主さんのお名前が、干川さんだから…なのだそうです。今まで、何度も同じことをお客さんから尋ねられたことでしょうね。ドライリバーの袋には、お店と、お店の横にある蓮如上人の犬塚の欅が描かれています。とてもお洒落です。浄土真宗の宗門校である龍谷大学に勤務していることから、なんとなく嬉しくなりました。

京阪電鉄石山坂本線の4駅の駅名が…

20170216keihan.png■京阪電車が、大津市内を走る京阪石山坂本線の駅名を変更すると発表されました。びっくりししました。以下が、発表された内容です。PDFファイルで読むことができます。これを読むと、大津市の「観光交流基本計画」と連動しているようです。文書中では賛同とありますから、たぶんそうなのでしょう。実際に「大津市第2期観光交流基本計画策定に関する懇話会」の委員には、京阪電気鉄道株式会社の役員さんも入っておられますし。

京阪電気鉄道株式会社(本社:大阪市中央区、社長:加藤好文)では、大津市が策定を進めている第2期観光交流基本計画(平成29年度~)の中心的な考え方である「オンリーワンのびわ湖を活用した地域の活性化」に賛同し、びわ湖、比叡山などを訪れる観光のお客さまのよりスムーズなご移動や、沿線のお客さまの乗換利用促進を目的として、平成30年3月より、大津市内の4駅の駅名を変更します。
今回、駅名を変更するのは、①「浜大津」 ②「別所」 ③「皇子山」 ④「坂本」の4駅です。
それぞれ、

①びわ湖大津観光の玄関口であることから「びわ湖浜大津」
②大津市役所に隣接していることから「大津市役所前」
③JR湖西線「大津京」との連絡駅であることから「京阪大津京」
④比叡山観光の拠点であることから「坂本比叡山口」

とします。

京阪グループでは、中期経営計画「創生果敢」(平成27~29年度)の主軸戦略の一つとして「観光創造」を掲げており、びわ湖~京都・岡崎エリアの観光活性化や比叡山を含むびわ湖淀川水系を「水の路」として観光ルート化し“人の流れ”の創出に取り組んでいます。今回の駅名変更を契機として、大津線の利便性(京阪山科駅、京阪石山駅、京阪膳所駅、皇子山駅でJR線と乗り換えが可能)や魅力的な観光資源が沿線に数多く存在することをあらためて発信し、観光客のさらなる誘致を図ってまいります。詳細は別紙のとおりです。

■黒字のところは、私が強調したものです。「観光のお客さま」と「沿線のお客さま」のためにということになっています。たしかに、琵琶湖観光や比叡山観光に関心のある人には、「浜大津」や「坂本」駅よりも「びわ湖浜大津」駅や「坂本比叡山口」のほうがイメージが湧きやすいかもしれません。市役所に用事のある人は、「別所」駅よりも「大津市役所前」駅の方が便利でしょう。さらにJR「大津京」駅のほうが、「皇子山」駅よりも連絡はわかりやすいかもしれません。しかし、唐突感を否めません。地名と同じく駅名についても、名前を変更することにそれなりの覚悟がいるように思います。利便性だけじゃないと思うのです。駅名は地名とは違います。地名の変更ほどの深刻さはないかもしれません 。しかし、それに準じるぐらいの覚悟がいるんじゃないのかな、と思うわけです。

■私は、利便性に加えて、歴史性を意識する必要があるように思うわけです。最近、旧町名を復活させる活動をしている地域があります。1962年年5月10日に施行された「住居表示に関する法律」(住居表示法)よって消えてしまった町名を復活させるためです。金沢市の主計町(かずえまち)がその口火を切ったといわれています。大津市では、実際には住所表記を元に戻したわけではありませんが、琺瑯看板に旧町名を記して、街角の町家に張り付けています。大津市の中心市街地では、大津祭の曳山の巡航が行われます。13基ある曳山は、江戸時代から続くの旧町名に暮らす人びとが担っています。郵便物は住居表示によって届けられるわけですが、人びとのなかでは、まだ旧町名がしっかり生きています。歴史を生きておられるのです。琺瑯看板による地名表記は、そのような生きられた土地の歴史を「見える化」する試みなのだと思います。

■「旧町名復活」の取り組みが何故行われているのかといえば、旧町名・地名と結びついたその土地の歴史は、そこに暮らす人びとのアイデンティティの一部でもあるからです。「たかだか名前じゃないか」と思われるかもしれませんが、名前は大きい存在です。話しが飛躍するように感じられるかもしれませんが、歌舞伎や落語等にみられる襲名を思い出してみてください。襲名とは、かつての有名な歌舞伎俳優や噺家たちの歴史と誇りを背負うことであり、そのことに見合う実力に基づく芸を披露することが期待されているわけです。地名も、土地の歴史を背負っています。地名の由来、すなわち土地のルーツと、ここに暮らしてきた人たちによって意味づけられてきた思い出を背負っているのです。

■そのように考えたとき、今回の駅名変更は私には唐突に感じられるのです。この話題をfacebookに投稿したところ、様々なご意見をいただきました。変更を「是」とするという方もおられますが、少なくとも私の周りの皆さんは少し頭のなかに疑問符が浮かんだようでした。下のご意見は、その代表的なものです。駅名を変更するにしても、もっと変更していくプロセスを大切にしなくてはいけないのではないか、そのように思うわけです。たくさんの観光客がやってきて大津に金を落としてくれる・・・そこにばかり目を奪われると、長い時間のなかで静かに実感できる土地の記憶という問題を、いつのまにか忘れてしまうのではないかと思うのです。これは、都市の品格の問題でもあります。

歴史ある名前の地を訪ね歩いてもらう仕掛けをするべきです。石坂線沿線は鎌倉の江ノ電沿線よりもうんと歴史が深く、多くの人を魅了するアイテムがたくさんあると思うのですが、単に名前を変えただけで人に来てもらおうとする安易さがあきません。

「別所(大津市役所前)駅」みたいな感じで、残せないのかなと思います。行政府の執行権だけで、地域名称を変えるのはどうなのかなと思いました。少なくとも公募みたいな手順が必要に思います。

「都市計画マスタープラン」と「うまいトンカツ」

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20170215tonkatsu2.jpg■昨日の午前中は大津市役所で第124回都市計画審議会が開催されました。審議案件は2つありましたが、そのうちの1つが「都市計画マスタープラン」に関するものでした。2014年8月から委員を務めてきた「大津市都市計画マスタープラン案策定専門部会」では、部会の委員の皆さんと一緒に深い議論を行ってきました。また、市民の皆さんと一緒にフォーラム、シンポジウム、ワークショップ等にも参加してきました。相当の時間と手間をかけてきましたが、これからの「人口減少社会」に相応しい「都市計画マスタープラン」(案)がやっと完成しました。今回の都市計画審議会では、この(案)をお認めいただき、あとは市長に答申するだけの段階まできました。とりあえず、一段落です。事務局の皆様、ご苦労様でした。特にマスタープランをご担当され、真摯に取り組まれた職員の皆さんには、心よりお礼を申し上げたいと思います。お世話になりました。

■「都市計画マスタープラン」の完成により、まちづくりのスタート地点に立つことができました。スタートはこれからです。絵に描いた餅…のようなマスタープランでは意味がありませんから。この「マスタープラン」を上手に活用しながら、地域ごとの、切実で具体的な個別の問題を解決していくために、実際のまちづくりの活動を始めなければなりません。「人口減少時代」には税収が低下し、これまでと比較した場合、相対的に行政サーピスは低下していくことになります。そのため、地域社会の中に「共助の仕組み」をどのように作っていくのかが重要になってきます。都市計画部だけでなく、市民部、福祉こども部、保健部、産業観光部…といった様々な部署間連携による、「共助の仕組み」づくりへの支援が必要になってくるでしょう。私も、大津市民として、大津市にある大学の教員として、そのような「共助の仕組み」づくりに関わっていけたらと考えています。

■審議会終了後は、大津市社会福祉協議会から大津市役所に出向している植松美穂さん(龍谷大学社会学部卒業生)と、市役所前の「とんかつ棹」へ昼食を摂りに行きました。「1人ではトンカツ屋さんには入れない…」という植松さんのご要望にもとづき、爺やの私が付き添ったという形になりました。トンカツデート⁈が実現したわけです。植松さんとはひさしぶりにお会いしまたが、「とんかつ棹」もひさしぶりでした。このお店のトンカツ、相変わらずの美味しさでした‼︎ 豚肉の肉質がかなり上等なんですよね〜。また、トップ写真のトンカツの断面を見ていただいてもわかるように、抜群の火の通し方なんです。植松さんは、ヒレカツ定食を、私はロースカツ定食のキャベツ大盛り・ご飯小盛りをお願いしました。植松さんとは、以前、大津駅で出会い、そのまま彼女を拉致して(本人の許可を得て)いつもの大津駅前の居酒屋「利やん」に連れて行ったことがあります。「また、連れていってください」ということで、「利やん」での再会を約束しをして、私は瀬田キャンパスに向かいました。午後からの研究部の会議…。こちらもあと1ヶ月半です。頑張ります。

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