昨日・今日のできごと

20140530hyogokenginkai.jpg20140530okudasan.jpg20140530wakky.jpg
■一昨日は、学部教授会の懇親会でした。そして昨晩は、龍谷大学の兵庫県出身者による「兵庫県人会」でした。私は、奈良在住者としては「奈良県人会」に所属していますが、出身は神戸であることから、知り合いの教職員の皆さんと「兵庫県人会」をつくり、年に数回、飲み会をやっています。今回は、5回目になります。私が勝手につくった規約で、最年長者が会長になるということで、現在は、経営学部の野間学部長に会長をお務めいただいています。昨日は、京都駅ビルのなかにある居酒屋で開催されました。次回は秋、テーマは「松茸」、その次は冬、テーマは「蟹」です。兵庫県は広いですから、食の題材はたくさんあります。県人会で慰安旅行かもしれません。

■長らく「大津エンパワねっと」事務局にお務めいただいた奥田伊代さんが、ご退職されることになりました。今日は、最後の勤務日でした。いろいろご迷惑をおかけしてきましたが、辛抱してくださいました。奥田さんの仕事ぶりは大変緻密で、大雑把な私は、ずいぶん奥田さんに助けていただきました。ありがとうございました。奥田さんには、エンパワねっとを修了した学生たちからメールが送られてきました。また、実際にお別れの挨拶にきた学生もたくさんいたようです。学生たちからも、ずいぶん慕われておられました。

■御礼の気持ちに、ものすごく美味しそうな(私が一番食べたい…と思った)フルーツたっぷりのタルトをプレゼントさせていただきました。喜んでくださいました。私のほうも、奥田さんからプレゼントをいただきました。お手製のキーホルダーです。私の似顔絵が書いてあり、隅には「大津エンパワねっと」のキャラクター(エンパワくんと呼ばれていますが…)が描いてあります。ありがとうございました!!

学部懇親会

20140529oumikai2.jpg20140529oumikai1.jpg
20140529oumikai3.jpg20140529oumikai4.jpg
■昨晩は、近江会でした。近江会は、社会学部の教員の懇親会です。そこに、事務職員の方もお招きして,年に3回開催されます。今回は、近江会の幹事の皆さんが、会場としてドイツレストラン「ヴュルツブルグ」を選んでくださいました。昨日は天候もよく、レストランの庭に置かれたテーブルで実に美味しくドイツビールをいただくことができました。「初夏」のまだ「湿度が高くない」頃の、「夕方」から呑むビールは最高に美味いです。ドイツレストランのあとは、若手事務職員の方と一緒に大津駅前のいつもの「利やん」へ。普段仕事でお互いに忙しくしているので、こういうときはゆっくり話しをすることができますね。というわけで、ドイツ▶︎大津経由で、奈良の自宅には最終電車での帰宅となりました。

須磨海岸

20140527suma.jpg
■出身地はどこかと聞かれたら、神戸だとこたえます。しかし、5歳から16歳の夏までは、神戸にはいませんでした。父親の転勤で、下関、小倉、博多、広島と転居と転校が続きました。幼稚園は3つ、小学校も3つ、中学は1つですが、高校も2つ。転校を繰り返した少年時代でした。というわけで、神戸出身とはいうものの、かなり微妙なところがあります。

■神戸に戻った両親は、私が高2年生のときに、須磨の新興住宅地に家を建てました。子どもからみても、かなり無理をして、がんばって建てた…という感じがしました。国の持ち家政策に煽られて、多くのサラリーマンがローンを組んで郊外に住宅を求めた時代です…。それとはもかく、高校や大学には、この須磨の家から通学することになりました。通学では山の中に造成された新興住宅地から海岸沿いの駅まで歩いていきました。通常、この地域の多くの住民はバスを使って通勤・通学をしていたと思いますが、私のばあい、節約する必要がありました。貧しかったので節約せざるを得ませんでした。行きも帰りも歩いていました。片道2.5kmほどの距離だったと思います。家は高台にありましたから、駅にむかって歩いていくときには、淡路島や瀬戸内海が見えました。

■駅の真横は須磨海岸でした。よく、海岸に座ってぼーっとしていました。現在のようなおじさんの年齢になると、仕事に追われるばかりで、そんな贅沢な時間は何処かに消えてしまっています。ありふれた言い方ですが、お金はなかったが、気持ち的には豊かだった…のです。。

■今日、通勤で京都駅のプラットホームに立っていると、普通・須磨行きの電車が止まっていました。仕事に疲れている現在「気持ち」的には、この電車にそのまま乗ってしまいたかった…というのが本音です。ひさしぶりに、若い頃のように、海岸に座ってぼーっとしてみたかったのです。しかし、それはあくまで妄想のなかだけでしか許されません。

■写真は、2009年の5月の須磨海岸。姫路にある兵庫県立大学に仕事に行った帰りに撮ったものです。末期の肺癌で苦しんでいた父親を泊まり込んで看病していた時期です。父親は、苦しんで、2ヶ月後に亡くなりました。海岸の風景も父の死を予感しながら眺めていたように思います。この写真、長らく塩漬けになったままの個人ブログから引っ張りだしてきました。

北船路米づくり研究会「2014田植作業」

20140524taue.jpg
■昨日は、ゼミでおこなっている「北船路米づくり研究会」で、2014年度の田植作業を行いました。秋から「龍大米」として販売するコシヒカリの田植作業です。その他にも、「龍大芋」として販売する里芋の種芋の植え付け、さらは北船路集落にある農事組合法人「福谷の郷」さん酒米の田植を終えられた田んぼで、補植の作業を行いました。

■facebookにある「北船路米づくり研究会」のページにアルバムを作成しましたので、そのリンクを埋め込んでおきます。ぜひ、ご覧ください。

20140526sakamai.jpg
■昨年、北船路の「農事組合法人福谷の郷」では、棚田の水田3筆で、酒米である山田錦を生産されました。今年は、同じ酒米ですが吟吹雪を生産されます。基本の田植えの作業はすべて組合の方でされていますが、田植機で植えられない隅の方や、まだ田植ができていない部分を、学生たちと一緒に手植えで補植しました。

20140526satoimo.jpg
■こちらは、龍大芋の畑です。種芋を植えて、マルチシートをかぶせているところです。いつもは、畝が蛇のようにうねってしまうのですが、今回は、研究会顧問で指導農家の吹野さんからも、それなりに評価いただける程の出来になりました。

■私たちは米と里芋だけを生産しています。月1回の「北船路野菜市」で販売する野菜については、協力農家に出荷していただいています。野菜を生産して出荷することは、学生にはななか難しいのです。ひとつには、技術的な問題です。あとは、キャンパスと北船路が離れているために、たびたび世話にいけないこと。また、北船路にくるためには移動のための費用がかかり、回数を増やせないこと…。理由はいろいろです。もし、潤沢な実習費のようなものがあれば、交通費については気にしなくてもよいのでしょうが、大津市からの助成金やわずかなゼミ実習費など、活動の財源は限れています。ですから、北船路を訪問する回数や人数を増やしてしまうと、年度途中で予算がなくなってしまいます。そのため、年度計画と予算・決算書等をきちんと書いて活動の経営を自己管理するようにもなってきました。社会に出れば必要とされることですから、経験の先取りといってもよいかもしれません(といっても、そんな複雑な予算・決算書ではありませんが…)。

■学生たちには、農作業が大変だ…ということだけでなく、これだけ世話をして売っても、たったこれだけの売り上げにしかならないのか…ということを実感してもらいたいと考えています。秋になると、生産された米や芋を「龍大米」「龍大芋」として販売します。また、京都や大津の飲食店で料理に使っていただき、そのさい「龍大米」「龍大芋」のアピールとを通して、北船路の存在を多くの消費者の人びとに知っていたただく活動もしています。こうやって、研究会で学生たちは、農産物のブランド化も含めて生産から販売までを、いわゆる「農の6次産業」を経験するのです。
20140526tanada.jpg

流域における栄養循環(1)-リンの問題-

20140428asahi-p.png
■いつもは、教育や地域連携の話題ばかりなのですが、今日は、研究に関連してエントリーします。少し以前のことになりますが、私がコアメンバーとして参加している総合地球環境学研究所(大学共同利用機関法人/人間文化研究機構)の研究プロジェクト「生物多様性が駆動する栄養循環と流域圏社会─生態システムの健全性」が、FS(予備研究 Feasibility Study)からPR(プレリサーチ Pre-Research)に「駒を進めた」ということをお伝えしました。このプロジェクトとも大きく関連する記事が、先月の朝日新聞に掲載されました。「人に欠かせないリン 輸入頼み 安定的確保が課題」です。

■この記事のなかでは、3月に東大で開催された「第1回持続的リン利用シンポジウム」での報告にもとづいて書かれているようです。記事のタイトルにもあるようにリンは、あらゆる生物にとってリンは必須な栄養ですが、記事のなかにはこういう記述があります。「牛肉250キロを得るためには与える資料の生産に、肥料として15.8キロのリンが必要」。「バーチャルリン」といいます。外国から牛肉を輸入すると、結果として、リンを消費していることになるのです。リンの不足の備えとしは、肥料の節約や食利用を無駄にしないこと、下水汚泥からの回収循環の促進、鉄を作った時に出る鉄鋼スラグに含まれるリンの活用等が考えられているようです。もっとも、今後の世界の人口がどれだけ増えるのかで、問題のあり方も違ってくるようです。

■私たちの研究プロジェクトでは、リンだけに特化しているわけではありませんが、リンも含めた栄養元素の循環に注目します。その理由は以下の通りです(総合地球環境学研究所のページからの引用)。

物質的に豊かな現代社会では、モノを大量に生産・消費する過程で、窒素やリンなど特定の栄養分が自然生態系に過剰に排出されます。これによって生じる「栄養バランスの不均衡」は、世界中の流域生態系において富栄養化や生物多様性の減少などの問題を引き起こしています。「地球規模生物多様性概況第3版(GBO3:生物多様性条約事務局 編)」によると、地球上の生物多様性の消失は急速に進み、生態系の劣化とともにさまざまな生態系サービス(自然の恩恵)が失われつつあります。問題の根本的な解決には、私たちの社会経済活動のなかに、生態系や生物多様性の保全と持続可能な利用を組み込むこと(生物多様性の主流化)が必要とされ、地域の実情に即した多様なステークホルダー(利害関係者)との協働が提唱されています(Future Earth)。しかし、具体的にどうすれば協働作業がうまくいくのかはこれからの課題です。

私たちは、「順応的流域ガバナンス」(図1)という考え方に立って、地域社会が抱える問題の解決を通じて、生態系や生物多様性問題の解決に取り組むことが有効だと考えています。本FS では、流域の栄養バランスの不均衡が引き起こす問題に焦点を当て、流域住民が行政や科学者との対話を通じて地域再生に取り組むことで、流域全体の再生も促されるようなガバナンスのしくみの解明をめざしています。

■また、私たちのプロジェクトがこれから取り組むことは、以下のことになります。

私たちは、「順応的流域ガバナンス」という考え方に立って、地域社会が抱える問題の解決を通じて、生態系や生物多様性問題の解決に取り組むことが有効だと考えています。本FS では、流域の栄養バランスの不均衡が引き起こす問題に焦点を当て、流域住民が行政や科学者との対話を通じて地域再生に取り組むことで、流域全体の再生も促されるようなガバナンスのしくみの解明をめざしています。

順応的流域ガバナンスは、流域住民が地域の自然に多様な価値を見いだし、流域の再生に取り組むことから始まります。他方、私たち科学者は、流域の窒素やリンの循環を可視化する指標や生態系サービスを評価するツールを用いて、保全や再生活動にともなう栄養循環・バランスの回復過程を評価します。同時に、住民・行政との対話を通じて、生物多様性のもつ公益的価値の社会評価を行ない、地域社会の自律的再生を支援します。多様な主体による対話と相互学習によるガバナンスを通じて、流域生態系の栄養循環と流域社会の幸せ(Human-wellbeing)がともに高まっていくための社会的条件を明らかにすることを目標とします。

20140521fs.jpg■この図は、生物多様性が駆動する流域生態系の栄養循環を示したものです。黄色の矢印は、生態系における炭素(C)・窒素(N)・リン(P)など栄養元素の代謝回転を表しています。また、赤色の矢印は、生き物による物質循環経路を示しています。生物多様性が豊かであれば、栄養元素は、それら多くの生物に取り込まれることになります。また、下流に流れていった栄養元素をもう一度上流に返していくような社会的な仕組みが必要です。そのような社会的な仕組みだけでなく、たとえば魚が上流に遡上し、その魚が利用されることなども重要になります。

■中途半端なエントリーですが、この続きは、また書きます。

純米吟醸酒「北船路」・読売新聞記事

20140521kitafunajisake.jpg
■「北船路米づくり研究会」の用事で、純米吟醸生原酒、純米吟醸酒「北船路」を醸していただいた平井商店さんにお邪魔しました。お店では、「学生プロデュース酒 続々」という読売の記事のコピーをいただいた。5月18日の新聞記事です。龍谷大学の「北船路」と、滋賀県大の「湖風」のことが紹介されています。

■「北船路米づくり研究会」に関しては、以下のようにご紹介いただきました。

平井商店(大津)が3月末に発売した「純米吟醸 北船路」は、龍谷大生との企画だ。湖西の農村を活性化されて都市との交流を図る「北船路米づくり研究会」とタッグを組み、農事組合法人が酒米を栽培するのを田植えや稲刈りから手伝った。ラベルには竜を配し、無骨な毛筆を走らせた。

同点の杜氏、平井弘子さん(29)は「商品企画に携わることで日本酒に親しんでもらえるのはありがたい」と歓迎。若者らしさより<オヤジっぽさ>が前面に出ているのが意外だったが、「おしゃれなラベルより存在感がある」と気に入った。

■龍大の「北船路」のあとは、滋賀県大の「湖風」の紹介です。そのなかに、「学生日本酒サミット」が開催され、同じように酒の発信試みる全国の15大学が集まり、大学発ブランドの利き酒を行った…とあります。うちも、ぜひ参加させていただきたいですね〜。少し調べてみましたが、以下の大学が参加されていました。
石川県立大学
愛媛大学
岡山大学
香川大学
京都学園大学
神戸大学
神戸大学日本酒サークル正宗会
滋賀県立大学
城西大学
東京農業大学
同志社大学日本酒サークル
新潟大学
佛教大学
三重大学
明治大学
立命館大学

社会学入門演習

20140520nyumon.jpg
■1年生です。担当している「社会学入門演習」の学生たちです。みんな素敵な笑顔をしていますね〜。…なんですが、なかなか名前と顔を覚えられません。トランプの神経衰弱なんて、絶望的なぐらいにできません。それぐらい、記憶力が…悲しい状況です。ということで、いつも集合写真を撮って、そこに名前を書いて、日々眺める…なんて努力をしていたのですが、今期はそれをやっていませんでした。いけませんね。ということで、今頃になって集合写真を撮りました。

小倉時代

20140519wakita1.jpg20140519wakita2.jpg
■少し前のことですが、連休中、母親の家で自分が少年の時のアルバムをみつけました。そして、「篠崎バイオリン教室」のこと…をエントリーしました。今回もアルバムの写真に関するエントリーです。

■写真は、通学前の私です。たぶん、小4の頃だと思います。当時は、北九州市小倉区の城野団地に住んでいた。日本住宅公団(現在のUR)が開発した団地です。その団地から、私は私立の小学校に通っていました。小倉区に隣接する戸畑区の明治学園小学校。カトリック系の私立の学校に通っていました。ですから、写真では制服を着ています。バスで1時間以上かけて通学していたように記憶しています。今も1時間40分かけて奈良の自宅から大津瀬田のキャンパスまで通勤していますが、考えてみれば、このような遠距離通勤のルーツはこの時代にあるのか…という気になります(実際のところは関係ありませんが…)。

■この私立の学校には、親の意向で通うことになりました(もっとも、両親ともクリスチャンではありませんが…)。親の意向とはいえ、宗教的な様々な経験ができたことは、自分の人生にプラスだったのではないかと思います。この小学校は、私のような庶民の倅から、制服を着たおかかえ運転手のベンツで通学する大病院の令嬢や、地方財閥の御曹子まで、いろんな階層の子どもたちが通っていました。そのような「社会」を日常的に経験することも、自分としては良かったのではないかと思っています。

■住んでいた小倉の城野団地は、3DK。6畳、4.5畳×2、小さなキッチンの間取りでした。今から思うとかなり狭いわけですが、当時、庶民の暮らしはこんなもんだったと思います。おそらく40平米程ではないでしょうか。写真は部屋の中、そして自宅の窓から撮ったものです。おそらくは、フイルムが残ったから、父がもったいないと撮ったのだろうと思います。窓からの写真には、団地に隣接する三郎丸の聾学校(現在の福岡県立小倉聴覚特別支援学校)が写っています。時々、こちらの学校の生徒さんに散髪をしていただきました。理髪の技術を身につける実習のような位置づけだったと思います。近くには、元々米軍基地だった自衛隊基地(松本清張の小説で知られる)がありました。鉄条網で囲まれて、中には歩哨の自衛隊員が銃をもって歩いていました。ドキドキしながら、近所の子どもたちとそばによって話しかけたこともありました…。近くには民族学校もありました。そこでは、赤いネッカチーフをまいた少年少女たちが、左右に腕をふりながら並んで行進の練習をしていました。そのときは、素朴に、自分たちの運動会の練習とはずいぶん違うなあと思いました。まだ、帰還事業が行われていました。少し離れたところには、廃線になった線路がありました。かつて炭鉱につながっていた線路です。石炭を満載した貨車が走っていたのでしょう。私の少年の時には、すでにエネルギーは石油が中心になっていました。そういう時代でした。私が小倉に住んだのは、1964年4月から1968年3月までことです。

【追記】■本文に、「地方財閥の御曹子まで…」と書きました。これは本当のことです。クラスメートの1人がその地方財閥の次男でした。彼の自宅は、学校の近くにありました。大きなお屋敷でした。子どもたちが、軟式庭球のボールで、ちょっとした野球ができるほどの広さの庭がありました。庭というよりも、庭園ですね。植木や芝の手入れも細かく行き届いていました。遊びにいったとき、お屋敷の大きな正面玄関ではなく、キッチンのある裏口から入りました。裏口といっても、普通の家の玄関ぐらいはありました。基本的に欧米風のつくりになっていました。キッチンにある裏口に置かれたマットの上で靴をぬぎました。段差がありません。キッチンもちょっとした家庭科教室程の広さがありました。お手伝いさんが働いておられました。そのままスリッパに履き替えてお屋敷のなかを案内してもらいました。

■大きな広間のようなリビングには暖炉がありました。その暖炉の前で、クラスメートの兄姉の皆さんと一緒にゲームをしました。そのゲームは、アメリカ製のボードゲームでした。ボードに書かれている文字は英語で、小学生の私にはさっぱり意味がわかりませんでした。おそらくは、人生ゲームのようなものではなかったかと思います。書けばきりがないのですが、「こんな大きなお家に住んでいる子どもも、世の中にはいるんだな…」と団地に暮らしていた私は心の底からびっくりしました。現在、そのお屋敷に、クラスメートの家族は住んでいません。結婚式場になっています。どうしているのかな、そのクラスメートは。

北船路米づくり研究会、活動開始!

20140519kitafunaji1.jpg 20140519kitafunaji2.jpg
20140519kitafunaji3.jpg 20140519kitafunaji4.jpg
■土曜日の「北船路米づくり研究会」の活動の様子を4年生がfacebookにアッブしてくれました。私は「大津エンパワねっと」という授業の「まち歩き」があり、参加できまんでしたが、みんな頑張ってくれました。4年生は、上田さんと山科くん、3年生は、小西くん、小林さん、瀬上くん、渡辺くん、全員で6名での作業でした。

■以下は、ゼミ4年生・山科くんの報告です。

脇田ゼミ4年の山科です。17日土曜日は米研の活動日でした。
朝9時に吹野さんのお宅に集合して、活動の概要について説明を受けて早速畑へ移動!午前中から午後にかけて畑の除草や整地作業、肥料まきを行いました。

その後、協力農家の中野さんからキャベツ10個をいただき、四条のとんとんさんへ配達しました。また途中、お世話にいなっている平井商店さんで北船路を2本購入後、先斗町のみます屋へ配達を行い本日の活動は終了…

今回の活動から新3年のゼミ生が活動に加わり、当日は4名来てくれました。4年が2人しか来れない状況、また初めての農作業にもかかわらず精力的に参加していました、本当にありがとうございます!

そして米研は今年度の事業計画や予算、野菜市の件など課題は山積しており1つずつ進めていかなければいけませんが、みんなで協力して活動していきますのでご指導ご鞭撻のほどよろしくお願いします。

■平井商店さんは、この棚田の集落・北船路で生産した酒米を原料に、集落の名前の銘柄、純米吟醸酒「北船路」を醸してくださって造り酒屋さんです。そして四条のとんとんさんとは、「串かつ おばんざいの店 とんとん」さんであり、みます屋さんとはカフェレストラン「みます屋DELI」さんのことです。「とんとん」さんも「みます屋」さんも、私たちが生産した米や里芋を購入してくださっています。また、協力農家が生産された野菜を購入してくださっています。

瀬田キャンパスも初夏

20180518seta.jpg
■昨日の瀬田キャンパスです。さすがに、だーれもいませんね。このあと、「大津エンパワねっと」の「まち歩き」を行いました。しかし、日差しがもうかなりきついですね。昨日は、2時間半ほどでしたが、半袖で「まち歩き」をしていると、腕が真っ赤になってしまいました。もう明日から半袖で通勤します。ポロシャツです。ポロシャツがよいのは、アイロンをかけなくてよいこと。楽チンです。おそらくは、これから秋になるまで、ほとんどポロシャツで過ごすことになろうかと思います。

■しかし、ほんとうに、だーれもいませんね。土曜日とはいっても、もう少し、学生がいてほしいのだが…。

管理者用