「ちょっとお寺で新年会」

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20170205tsukaguti.png ■昨晩は、尼崎市の塚口まで出かけました。尼崎にある浄土真宗本願寺派の西正寺で開催された「【どなたでも参加歓迎!】ちょっとお寺で新年会〜尼崎を楽しみたい人たちの年初めの寄り合い〜」というイベントに参加するためです。私は、若い頃は阪神間で暮らし、学び、遊び、アルバイトをしていました。ですから、尼崎についても、それなりの土地勘があるはずと思っていたわけですが、実際にJR塚口駅に降り立った途端、記憶している街のイメージとは随分違っていることに気がつきました。駅前が再開発されていたからです。再開発された土地は、以前、森永製菓の工場があったところだそうです。まあ、そのように街の変化に驚きながら、Googleマップを頼りに西正寺に向かいました。地図を見ると、道路に微妙な「揺れ」があります。まっすぐではありません。尼崎は工業都市というイメージですが、それ以前の、元々農村だった時代の土地利用のあり方(集落、農道、農地…)が、道路の様子から垣間見えるのです。再開発された新しい街、工業都市、農村…街の中に尼崎の歴史の地層(レイアー)が積み重なっていることがわかります。

■さて、なぜ西正寺のイベントに参加したのかというと、このお寺の副住職をされている中平了悟さんと知り合いになったからです。中平さんは、現在、龍谷大学の実践真宗学研究科の実習助手として勤務されていることもあり、ちょっとした「ご縁」で一緒に呑む機会がありました。普段であれば、私のような社会学部の教員だとなかなか出会えない方かと思いますが、「呑み」はそのような組織の中の見えない壁を突破させてくれます。その時は、中平さんがお住いの尼崎で取り組まれている活動について、いろいろお話しをお聞かせいただきました。とても興味深い活お話しでた。そして、実際にちょっと活動をのぞいてみたくなったのです。どなたでも参加歓迎ですしね。

■昨晩は、まず中平さんを導師に礼拝が行われました。皆さんと一緒にお経を唱えました。きちんとお念珠を用意していました。半分以上の方が、お経を唱えるのは初めとのことでした。お経をたくさんの人と一緒に唱えると、皆の気持ちが一体化するような感じもあります(ある方は、「グルーヴ感」が生まれると表現していました)。中平さんは、「お寺を町に返していく」ことを念頭に活動されています。お寺を町に開いていくといいますか、お寺と町との間にある「線」を相対化して、両義的な空間を創出していくことを考えておられるのだと思います。私としては、お寺の本堂をそのような両義的な空間として地域づくりに使わせていただくことの感謝の気持ちとともに、お経を唱えました。礼拝の後は、3〜4人のグループに分かれて自己紹介をしました。私のグループは、まだ20歳代の若い男性と女性と一緒になりました。男性は岐阜県、女性は富山県のご出身でした。この辺りから、場の空気も随分ほぐれてきました。ほぐれたところで、今度は鼎談です。「尼崎ENGAWA化計画」でコミュニティエディターをされている藤本遼さん、中平さん、そして重症心身しょうがい者の地域生活(入浴・外出)を支える活動をされているNPO法人「月と風と」の清田仁之さんの3人で鼎談が行われました。

■お3人が自らの経験をもとにいろんな話しをされましたが、ポイントをまとめると以下のようになります。制度化され固定化された社会の仕組み、線引きによって白黒をはっきりさせようとするものの見方や考え方、さらにこれが正解と決めつけた(権威主義的な/パターナリスティックな)言説、それらは人と人の間を分断してしまう。そのような弊害を、日々の実践の中でどのように相対化、無化していくのか。人と人の関係。今生きている人と死者との関係。しょうがい者と健常者との関係。それらの関係が生み出す潜在的な可能性を大切にする。そのような関係が創発的に生まれる仕掛けをみんなで楽しみながら作っていく…そのようなお話しだったように思います。こんなに単純にまとめてしまっていいのか…という不安もありますが、私にはこのように理解できました。

■尼崎という地域を、暮らしている方達自身、「あま」と呼びます。「あま」の持っている地域の特性、「人と人の間のハードルが低い」地域であるということも、重要な地域要因としてお3人の活動の背景に存在しているように思いました。これは藤本さんからお聞きしたことですが、土地の有力者や地付層の方達のネットワークとは別のレイヤーで動いているというのです。よくある上の年齢層が結果として若い年齢層の動きにブレーキをかけるようなことも少なそうです。

■清田さんが紹介してくださった、「重度しょうがいしゃの方とヘルパーさんが、他所の家のお風呂を借りる」という話し…、私は非常に興味深く拝聴しました。中平さんと藤本さんは西正寺でカレーを食べるイベント?!「カリー寺」を開催されました。お風呂にしてもカレーにしても、しょうがいしゃと健常者や地域社会との関係、お寺と地域社会との関係の間にある見えない壁を相対化していこうとする試みだと思います。以下は、私のメモです。

・清田さん: 自閉症のNくんが、周りを変化させていく話し。しょうがいしゃを軸にすると社会が変わる。
・中平さん:こたえがない、その方が良い。与えられると、生き辛くなる。
・藤本さん:自分の中に他人を持つ。自分の中の他者性。
・清田さん:良い場所とは、圧倒的なプロがいない場所のことだ。プロがいない方が良い。
・中平さん:「曖昧さ」の中に、身を置けるような感覚が大事。答えがあることの違和感。
・藤本さん:お金にならないことをやらない人は、面白くない。それ以外のこと想定していない。それ以外のことが関係性を作る。
・藤本さん:成果がなくても、プロセスを面白がる。プロセスを味わえる。

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■鼎談の後は、みんなで持ち寄った食べ物と飲み物を楽しみながら、フリーに懇談ということになりました。非常に盛り上がりました。尼崎、元気があります〜。もともと、地域づくり・まちづくり、地域福祉に関心がある方達だとは思いますが、後で中平さん教えてもらったところでは、僧侶、NPO職員、保険屋さん、居酒屋さん、不動産屋さん、ライターさん、歌手、パフォーマー、看護師、医師、隣保館の職員、介護と保育の施設の運営者、市役所の職員、県の職員、銀行員、住みびらきしている人、学生(間もなく終わる人)、そして私のような大学教員と、実に様々な方達が参加されていました。ということで、最後は記念の集合写真を撮りました。

20170206sotokoto.jpg ■藤本さんが代表をされている「尼崎ENGAWA化計画」につきましては、『ソトコト』3月号にその活動内容が紹介されています。こんなタイトルの記事です。「まちづくりではなく、『遊び』だ! 『尼崎ENGAWA化計画』がつくる、まちの縁側。」(「まち縁側」といえば、建築家の延藤安弘さんのことを思い出します)。縁側という人と人が交流する内でない外でもない曖昧な空間、そのような曖昧さを街のあちこちに作り出していこうということでしょう。そして、何かの理念のために「ねばならない」「耐え難きを耐え忍び難きを忍び」ではなく、「遊び」で活動するというのです。楽しいことは主体的にやる…その通りだと思います。私も常々、同様の指摘をしてきました。私が流域ガバナンスの問題の中で、「楽しみ」や「しあわせ」という言葉をあえて使うのも、ステークホルダーの主体性の問題と関連しています。また、尼崎を訪ねることができればと思います。面白いです、尼崎。

【追記】■本文に書いた「清田さん:良い場所とは、圧倒的なプロがいない場所のことだ。プロがいない方が良い。」というメモに関して、また「遊び」という楽しみを重視する活動に関して、思い出したことがあります。

■今から10年前の話しになりますが、私が環境社会学会の学会誌『環境社会学研究』の編集委員長をしている時に、学会誌の特集として「市民調査の可能性と課題」を組みました。その特集の中では、林学の蔵治光一郎さんに「参加者の楽しみを優先する市民調査-矢作川森の健康診断の実践から見えてきたもの-」をご執筆いただきました。私は、この特集の解説をした短い文章の中で、蔵治さんの論文を次のように紹介しました。

一般に、市民調査の成果をもとに政策提言していくためには、科学的厳密性やデータの信頼性が求められる。そのような市民調査は、目的志向的ないし手段的(instrumental)と言える性格を強く持つことになるが、そのことは、市民調査という活動自体のなかに何らかの楽しみや充足感を見出そうとする多くの市民の思考とはしばしば矛盾することになる。しかし、この「矢作川森の健康診断」では、そのような問題を、現場での工夫のなかから乗り越えようとしてきた。蔵治は、「矢作川森の健康診断」の特徴を、「効率を追わない」「市民と専門家が対等な立場でかかわる」「科学的精度よりも参加者の楽しみを重視」「参加費を取って運営する」という4つの特徴にまとめている。最初の3つの特徴は、楽しみを媒介に参加する市民の主体性を鼓舞するための工夫であるし、4つめの特徴は、行政に依存するのではなく参加する市民の自立性を育む工夫であろう。また、このような活動に参加する専門家の条件が、「専門分野のずれ」「分野外への踏み出し」「社会提言」の意思があることだという発見も興味深い。

22年前のこと

■22年前のこと。思い出しています。頭の中には、まるで当時の写真を見ているかのように、具体的なシーンが浮かび上がってきます。

・大きな揺れに驚き、2段ベッドに寝ていた子どもたちのところに飛んで行ったこと。
・すぐにテレビをつけたけれど、「マンションが倒壊しているらしい」といった報道が信じられなかったこと。
・交通機関が麻痺している中、当時、膳所にあった職場(琵琶湖博物館開設準備室)まで頑張って行ったこと。
・職場のテレビを視て驚いたこと。
・翌日、西宮市上ヶ原にある母校・関西学院まで、西宮北口から歩いて行ったこと。
・大阪の街の被害はたいしたことがないのに、尼崎のあたりから被害が風景の中に現れ、西宮に入ると、途端に被害が増えていたこと。
・古い立派なお屋敷は潰れていたけれど、ハウスメーカーの住宅だけはしっかり建っていたこと。
・フランス語の文法の再履修でお世話になった紺田先生に会ったこと。
・後輩、恩師、友人の安否を確認しに回ったこと。
・仁川にお住いの恩師・鳥越晧之先生のことを気遣う学会関係者から、自宅に「何かわからないか」と電話がかかってきたこと。
・実際に恩師の仁川のご自宅まで行き、ご家族と共にご無事であったことを確認して安堵したこと。
・恩師のご自宅は仁川の川沿いの斜面に建っていたけど大丈夫だったこと。
・崖崩れは反対側の斜面だったこと。恩師からは、お世話になった事務職員の女性が崖崩れに飲み込まれて亡くなったと聞かされたこと。
・小学校の体育館には、毛布に包まれたご遺体が並んでいたこと。
・友人の荻野昌弘さんの自宅に行ったこと。
・マンションの室内は無茶苦茶で、震災のショックで何もやる気が起こらず、水道水が出ないため、水代わりにシャンパンを飲んでいたこと。
・地底からゴジラが飛び出してくるような感じがしたという説明を聞いたこと。
・荻野夫妻と母校まで歩いたこと。
・人びとが、自助・共助で生き抜こうと必死になっていたこと。
・ガス臭い街の中で、人びとが自主的に交通整理をしていたこと。
・水洗トイレの水を確保するために、バケツに紐をつけて川の水を汲んでいたこと。
・荻野さんと2人で、「社会がゼロから立ち上がる瞬間」を確認したこと。
・さらに翌日から職場のトラックやバンで救援物資を運んだこと。
・検問中の警察官から「ご苦労様です」と一礼され、一台も車が走っていない名神で阪神間のどこか近くの地域まで移動したこと。
・名神を降りた時の街は異常な混乱状況だったこと。
・中央分離帯に片側の車輪を乗せて逆走するパトカーのこと。
・静まり返った高級住宅街の中で、企業の社宅だけが人が集まっていたこと。
・同僚のお母様が亡くなったこと。死後硬直されたご遺体の様子のこと。
・混乱する道を避けて、六甲山の山裾の道を抜けて大津の職場まで戻ったこと。
・正式に自治体の職員としてボランティア派遣されたこと。
・派遣先が母校・兵庫高校だったこと。
・かつて本を読んでいた図書館で、上司や他の自治体の職員さんたちと並んで、毛布に包まって寝たこと。
・校舎の廊下で上を見上げると地震でできた隙間から空が見えたこと。
・教室はもちろんのこと、校庭にもたくさんの被災者がテントを張って避難していたこと。
・その校庭から、通勤されていたこと。
・高校に隣接する室内商店街や周囲の地域が焼け落ちていたこと………その他まだまだ、いろいろ。

■昨年からは、阪神淡路大震災で家族を失った遺族の長期にわたる悲嘆を研究するために、修士課程に看護師の女性が社会人入学してきました。

■さて、トップの動画ですが、当時、市役所職員だった方が記録たし映像と、ご本人へのインタビューで構成されています。

須磨駅

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20150125sumastation4.jpg20150125sumastation5.jpg
20150125sumastation6.jpg▪︎ひとつ前のエントリーの続きです。高校から大学まで暮らした、神戸市須磨区にあるニュータウン「高倉台」。私は、その「高倉台」にある自宅から、須磨海岸沿いにある「須磨駅」まで徒歩で移動していました。もちろん、「高倉台」から「須磨駅」までは市バスが運行されているのですが、大学に入学してからはそのバスを利用することはほとんどありませんでした。大学に入学したら学費意外の様々な費用はすべてアルバイトでなんとかするというのが我が家のルールでした。私は交通費を節約するために、駅まで歩くことにしたのでした。片道2.3km。それほどの距離ではないのですが、高台にある「高倉台」から駅までは急な坂道になります。ですから、帰りはこの坂道を登らねばなりませんでした。雨の日も、寒い日も、この坂道を歩いて通学しました。急いで歩くと、だいたい25分程で歩けました。一昨日は、「高倉台」から駅まで、学生時代のように歩いてみることにしました。裏道のようなコースなので、そのとっかかりをみつけるのに少し苦労しました。

▪︎「高倉台」のある山から降ってくると、そこはもう須磨海岸です。トップの写真は、山陽電車の「須磨駅」です。小さな駅です。しかし、この駅の雰囲気は山と海がせまった須磨のこじんまりした風景に似合います。人によっては、「神戸の中心市街地を関東の横浜に例えるのならば、須磨は逗子や湘南だ」ということを言われます。なるほど、その意味、よくわかりますよね。三宮や元町の海岸に近い街並みは、震災後、すっかり変化してしまいました。それに対して、須磨は、まだ昔の面影が濃く残っています。私自身は、学生時代、山陽電車よりも当時の国鉄をよく利用していました。ということで、JR「須磨駅」もチラリと拝んできました。

▪︎青年時代に暮らした須磨を堪能しました。本当は、まだ明るいうちに「須磨駅」に到着し、海に山が迫る独特の景観を写真に撮りたかったのですが、すでに日没していました。ということで、奈良の自宅に帰ることにしました。以前であれば、奈良までだと、JRで「大阪駅」までいき、こんどは大阪市営地下鉄に乗り換え「梅田駅」から「難波駅」まで行き、難波からは「大阪難波駅」から近鉄に乗る…というコースになるのですが、この日、私鉄1本で帰宅しました。阪神電鉄と近鉄が相互乗り入れしているからです。「須磨駅」は山陽電車の駅ですが、ひとつ明石寄り(西寄り)の「須磨浦公園駅」まで、1968年の神戸高速鉄道会社の開業により阪神電車が乗り入れています(1998年までは阪急電車も乗り入れていました)。山陽電車「須磨駅」から阪神電車で「阪神尼崎駅」まで移動し、そこからは近鉄に乗り換えて奈良まで移動できるのです。便利な世の中になりました。

お礼状

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■本日、火曜日の1限は、1年生対象の「社会学入門演習」です。先日の土・日に、学生をつれて近江八幡市の白王町や北之庄町で現地実習を行いました。西の湖という内湖のそばの集落です。ということで、現地実習でお世話になった皆さんにお礼状を書いてもらいました。形式的なお礼状ではなくて、現地実習から何を学んだのか、具体的に心に強く感じたことは何なのか…その点を意識しながら、お礼状を書いてもらいました。

■写真右。1年生の学生諸君が必死になってお礼状を執筆しているなか、LA(ラーニングアシスタント)の4年生Mさんは、学生たちが現地実習で撮ったデジタルカメラのデータや、ICレコーダーの音声データを整理してくれています。

「社会学入門演習」現地実習・近江八幡市白王町・北之庄町(6月7・8日)

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■6月7・8日、「社会学入門演習」の現地実習が開催されました。取り急ぎ、facebookにアップしたアルバムをご覧いただければと思います。

2014「社会学入門演習」現地実習/近江八幡市白王町・北之庄町(1)
2014「社会学入門演習」現地実習/近江八幡市白王町・北之庄町(2)

社会学入門演習「現地実習」

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■6月7日(土)・8日(日)の両日、1年生の「社会学入門演習」の「現地実習」で近江八幡市にいきます。現地では、NPO法人「百菜劇場」の廣部里美さんにコーデイネーターをお願いして、白王町と北之庄町で体験学習を行います。この2つの集落は、上記の地図をご覧いただければわかりますが、西の湖(干拓されずに残った)のそばにあります。

■白王町では、地元の農家の皆さんから「現在の集落の活性化に関する取り組み」や「以前の暮らしと内湖とのつながり」等についてお話しを伺います。そのあと、西の湖にうかぶ島「権座」に田舟で移動します。ここでは、活性化の取り組みとして酒米を生産されています。この酒米を原料に、東近江市の酒蔵(喜多酒造)が「権座」という日本酒を製造されています。また、市民参加のイベント等も行われています。学生たちは、この権座で地元の農家から説明を受けたあと、「竹チップづくり」と「雑木林の刈り取りとチップ化」に取り組みます。そして、体験を通して感じたこと、不思議に思ったこと、農家の方たちと語り合うことになっています。若者の視点から権座の活動に対するアイデアを提案できればと思います。そして、晩は、地元野菜や猪肉を使ったバーベキュー交流会が開催されます。豪華ですね〜。

■2日目は、北之庄町にいき、「北之庄沢を守る会」の皆さんと一緒に田舟に乗って北之庄沢の清掃活動を体験します。そのあと北之庄町自治会館へ移動し、地元の皆さんから「北之庄沢を守る会の取り組み」と「伝統野菜・北之庄菜について」についてお話しを伺います。また、「百菜劇場」の廣部さんから「NPO法人百菜劇場の活動について」説明をしていただきます。そのあとは、2グループにわかれて八幡山から水郷を眺めたり、百菜劇場の見学を行います。昼食は、地元のお母さんたちの手作りのお昼ご飯をいただき、歴史的建造物群保存地区のある市街地に移動し、5つの班に分かれて散策をします。

■廣部さんのおかけで、充実した2日間のプログラムになりました。楽しみにしています。

須磨海岸

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■出身地はどこかと聞かれたら、神戸だとこたえます。しかし、5歳から16歳の夏までは、神戸にはいませんでした。父親の転勤で、下関、小倉、博多、広島と転居と転校が続きました。幼稚園は3つ、小学校も3つ、中学は1つですが、高校も2つ。転校を繰り返した少年時代でした。というわけで、神戸出身とはいうものの、かなり微妙なところがあります。

■神戸に戻った両親は、私が高2年生のときに、須磨の新興住宅地に家を建てました。子どもからみても、かなり無理をして、がんばって建てた…という感じがしました。国の持ち家政策に煽られて、多くのサラリーマンがローンを組んで郊外に住宅を求めた時代です…。それとはもかく、高校や大学には、この須磨の家から通学することになりました。通学では山の中に造成された新興住宅地から海岸沿いの駅まで歩いていきました。通常、この地域の多くの住民はバスを使って通勤・通学をしていたと思いますが、私のばあい、節約する必要がありました。貧しかったので節約せざるを得ませんでした。行きも帰りも歩いていました。片道2.5kmほどの距離だったと思います。家は高台にありましたから、駅にむかって歩いていくときには、淡路島や瀬戸内海が見えました。

■駅の真横は須磨海岸でした。よく、海岸に座ってぼーっとしていました。現在のようなおじさんの年齢になると、仕事に追われるばかりで、そんな贅沢な時間は何処かに消えてしまっています。ありふれた言い方ですが、お金はなかったが、気持ち的には豊かだった…のです。。

■今日、通勤で京都駅のプラットホームに立っていると、普通・須磨行きの電車が止まっていました。仕事に疲れている現在「気持ち」的には、この電車にそのまま乗ってしまいたかった…というのが本音です。ひさしぶりに、若い頃のように、海岸に座ってぼーっとしてみたかったのです。しかし、それはあくまで妄想のなかだけでしか許されません。

■写真は、2009年の5月の須磨海岸。姫路にある兵庫県立大学に仕事に行った帰りに撮ったものです。末期の肺癌で苦しんでいた父親を泊まり込んで看病していた時期です。父親は、苦しんで、2ヶ月後に亡くなりました。海岸の風景も父の死を予感しながら眺めていたように思います。この写真、長らく塩漬けになったままの個人ブログから引っ張りだしてきました。

社会学入門演習

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■1年生です。担当している「社会学入門演習」の学生たちです。みんな素敵な笑顔をしていますね〜。…なんですが、なかなか名前と顔を覚えられません。トランプの神経衰弱なんて、絶望的なぐらいにできません。それぐらい、記憶力が…悲しい状況です。ということで、いつも集合写真を撮って、そこに名前を書いて、日々眺める…なんて努力をしていたのですが、今期はそれをやっていませんでした。いけませんね。ということで、今頃になって集合写真を撮りました。

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■担当している1年生の「社会学入門演習」の様子です。6月7日・8日「現地実習」として、近江八幡市の西の湖のそば(水郷地帯)にある2つの農村を訪問し、村づくりの活動やかつての水郷地帯の暮らし等について、いろいろ勉強させていただく予定になっています。

■私が担当するクラスは、男子が9名、女子が10名です。写真は、5つのグループに分かれて、現地実習の地域に関して事前学習をしているところです。楽しそうにやっていますね〜。けっこうなことです。それから、もうひとつ。私をサポートしてくれる優秀なTA(ティーチング・アシスタント)のMさんも頑張っています。ちなみに、一番下の段の右側の写真がMさんです。学部の4年生です。期待していますよ〜。

【ゼミ連絡】4年ゼミ・前期の報告の順番

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■4年生ゼミの皆さん。連絡です。今日は、前期最初のゼミでした。体調不良や就職活動で欠席する人がいました。欠席の連絡は、もっと早めにきちんとメールで行うようにしてください。欠席の理由もきちんと書くこと。しっかりスケジュール管理、自己管理してくださいね。就職活動であっても、無断欠席はだめです。よろしくお願いいたします。

■前期のゼミでの研究報告の順番が決まりました。トップの画像をご覧ください。1回につき、2名報告してもらいます。まだ、調査のフィールドがはっきりせず、卒論のテーマさえもぼやっとしている人が多いわけですが、面談のなかで絞り込んでいきましょう。急いぎましょう。

■就職活動、卒論の調査・研究、忙しいわけですが、「北船路米づくり研究会」のことについても3年生をきちんと指導していってください。

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