「六斎念仏踊り継承発表会」(滋賀県高島市朽木古屋)


■8月14日、「六斎念仏踊り継承発表会」(高島文化遺産活用委員会、朽木の知恵と技発見・復活プロジェクト)を見学するために、高島市朽木針畑の古屋を訪れました。私のゼミを2011年の春に卒業した坂本昂弘くんのお祖父様が、この「六斎念仏踊り」の継承者のお1人として踊られました。80歳を超えておられますが、足腰に負担の大きい、この「六斎念仏踊り」を踊っておられるので驚きました。

■この「六斎念仏踊り」を見学するのは昨年に続いて2度目になります。この念仏踊りは、その起源が『空也上人絵詞伝』の空也に始まるという伝説もあります。先祖の霊が戻ってくるお盆の時期に、太鼓をもった踊り手3名、鉦が2名、笛が2名の計7名が演奏とともに念仏を唄い踊る、そのような民俗芸能なのです。かつては20軒ほどの家々を順番に回って踊っていましたが、過疎と高齢化のためにできなくなり、お寺で踊るようになっていました。

■伝統的なお盆の行事ではありますが、2013年より高齢化や過疎により人が揃わず、中断していました。ところが、昨年からは、行政(高島市教育委員会)や地域活性化のNPOによる支援のもと、都市のアーティストたちが、高齢の継承者の皆さんから「六斎念仏踊り」を習得し、継承者の方達と一緒に、再開することができるようになりました。今年は、さらに、この古屋にルーツを持つ若者2名も新たに参加して、「継承発表会」という形で実現することになりました。また、「継承発表会」の後、晩には、かつて家々を回って順番に踊っていた頃の様子を再現して、映像記録に取ることも行われました。

■上の動画は、宗教民俗学の研究者である山中崇裕さんという方が撮影されたものです。YouTubeに公開されているものを共有させていただきました。このような貴重な動画を公開してくださったことに、心より感謝いたします。

■以下は、このブログの「六斎念仏踊り」関連のエントリーです。あわせてお読みいただければと思います。
朽木古屋「六斎念仏踊り」の復活

安曇川扇状地にある水田からの湧水

20170629yusui.jpg ■最近のことですが、高島市の農村地域で調査をしている時、興味深いものを見つけました。画像をご覧ください。丸く囲ってある中の水田から、冷たい地下水が湧き出ているのです。湧水です。ここは、安曇川左岸の扇状地、安曇川の堤防のすぐ近くにある水田です。安曇川の扇状地は、国内でも有数の規模を誇るものです。この扇状地が終わるあたり、扇端で、地下から水が湧き出てくるのです。とても冷たい水です。そのためでしょうか、湧水が出てくる周囲には稲の苗が植えられていませんでした。私の推測でしかありませんが、苗が生育するには水温が冷たすぎるのでしょう。苗が植えられているのは、この湧水の場所から数m離れた場所からでした。もうひとつ、水田から湧き出た水は、丸く囲ってあるところから水路を通して、手前に見える排水路に流されています。水田に冷たい水が広がらないようにしているのでしょう。このような現象は、この地域では一般的なことなのでしょうか。水田からの湧水。農作業をする上では困ったことのようにも思うのですが。残念ながら、確認することができませんでした。

■この安曇川の扇状地の湧水について、以前、1年生の学生の皆さんと一緒に見学したことがあります。新旭町の針江という集落です。その時のことは、このブログで以下のエントリーでご覧いただけます。

針江のカバタ(5)-「2016社会学入門演習」
針江のカバタ(4)-「2016社会学入門演習」
針江のカバタ(3)-「2016社会学入門演習」
針江のカバタ(2)-「2016社会学入門演習」
針江のカバタ(1)-「2016社会学入門演習」

■実は、来月の上旬になりますが、韓国からの視察団の皆さんを針江にお連れします。私は、そのコーディネート役を勤めています。そして、現地の「生水の郷」委員会の関係者の方に、針江の集落内で見られる湧水を生活用水として利用されている様子をガイドしていただくことになっています。針江以外にも、滋賀県庁の関係部局や、県内の地域社会で環境保全に取り組んでおられる集落を訪問します。充実した視察になるように頑張ります。

朽木村古屋の坂本家のこと

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■先週の金曜日、ゼミの卒業生である坂本昂弘くん(脇田ゼミ6期生)、そして坂本くんの叔父さまと一緒に呑むことになりました。少しその背景を説明しておきます。昨年の夏、大学の先輩でもある写真家・辻村 耕司さんのご紹介で、朽木古屋(高島市)の「六斎念仏踊り」を拝見することができました。そして、坂本くんと再会し、坂本くんのご一家ともお話しをすることができました。詳しいことは、以下のエントリーをご覧いただきたいのですが、いよいよ坂本家三代の皆さんにお話しを伺うことになりそうです。

朽木古屋「六斎念仏踊り」の復活

■場所は、当然のことながら、大津駅前のいつもの居酒屋「利やん」。酒を楽しみながら、叔父さまから古屋での山村の暮らしや、一家で山を降りてからも、家や家産として山を守るために古屋に通い続けて来たことなど、いろいろお聞かせいただきました。坂本くんも、普段、親戚が集まっても、自分のルーツについて詳しい話しを聞くこともなかったらしく、叔父さまの話しを真剣に聞いていました。

■坂本家の皆さんにお話しを伺う準備として、朽木が高島市に合併される以前の1974年に発行された『朽木村史』と、高島史に合併されてから、2010年に発行された『朽木村史』の2つを入手して朽木のことについて勉強をはじめました。良い仕事ができるように頑張りたいと思います。

Satoyama Japan | The Secret Watergarden | Discovery English Subtitles


■BBCが製作した作品のようです。滋賀県高島市新旭町針江の水辺環境や、その水辺環境と一体化した針江の暮らしが取り上げられています。ステレオタイプというと言い過ぎかもしれませんが、ちょっとBGMが…、日本人の私にはちょっとだけですが違和感がありますが…。素敵な作品です。

朽木古屋「六斎念仏踊り」の復活

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■2009年の4月、1人の学生が私のゼミの配属になりました。脇田ゼミ6期生の坂本昂弘くんです。その坂本くんが4年生になり卒業論文の調査に取り組むことになりました。ひょっとすると、3年生の終わりかもしれません。坂本くんが提案してきた調査は、滋賀県高島市の朽木にある山村の研究でした。話しを聞いてみると、京都府の美山や福井県の名田庄に近い場所にあります。最初は、「そのような遠い場所に調査に通えるのかな…」と指導教員として若干の不安がありましたが、よく聞いてみると、お祖父様がその山村にお住まいで、お父様もその山村のお生まれ、つまり自分自身のルーツがその山村だというのです。朽木にある古屋という集落です。

■坂本くんの問題関心は、過疎化が進み、限界集落化が進む古屋で、その山村に転居してくるIターン者の方たちが果たす社会的な役割に注目するものでした。彼は、お祖父様のいらっしゃる山村に大きなバイクで通いながら調査を進めました。調査を行うたびに、研究室に来て報告してくれました。その内容は、とても興味深いものでした。良いセンスの持ち主で、とても指導のしがいがありました。私自身は、古屋に行った経験は全く無かったのですが、彼の報告を丹念に聞きながら、時々質問をしていく、そのようなやり取りというか指導の中で、坂本くんはメキメキ力をつけていきました。坂本くんの卒業論文は、「限界集落にみるIターン者の役割-滋賀県高島市朽木針畑を事例に-」として提出され、優秀論文に選ばれました。卒業後、坂本くんは滋賀県内の企業に就職しました。卒業後は、facebookを通して再びつながりが生まれ、元気に働いている様子が伝わってきました。そのうちに、大津駅前のいつもの居酒屋「利やん」で飲もうということになっていました。

■話しは変わります。母校・関西学院大学の先輩である辻村耕司さんは、滋賀県を中心に活躍されている写真家です。県内の民俗芸能等の撮影でも、たくさんのお仕事をされています。辻村さんと出会ったのは、私が滋賀県立琵琶湖博物館に勤務されている時ですから、もう20年近くも前のことになります。辻村さんともfacebookで日常的に交流していますが、一昨年の秋のこと、朽木の古屋の「六斎念仏踊り」の映像に記録する仕事に関してfacebookでメッセージをくださいました。そして、映像記録の一部を拝見させていただくことができました。その時に、ピンときました。「六斎念仏踊り」については、坂本昂弘くんが彼の卒業論文で言及していたからです。そして、坂本くんに、「君が継承者になりなさいよ!」と言っていたからです。さっそく辻村さんに許可を頂き、その「六斎念仏踊り」の映像記録の一部を坂本くんにも見てもらいました。坂本くんからは、「色々考えさせられました。少し泣きそうになりました」との返事をもらいました。「六斎念仏踊り」の継承者の孫として、坂本くんも、いろいろ悩み考えていたのです。しかし、今の仕事でめいっぱい、なかなか「六斎念仏踊り」に取り組む余裕がないこともよく理解できました。

■再度、話しは変わります。今年の話しになります。先月のことです。ある仕事で、辻村さんとお会いしました。その際、2013年から行われなくなっていた古屋の「六斎念仏踊り」が、8月14日に復活することになったと教えていただきました。「六斎念仏踊り」の継承者である古老の皆さんと、村の外の若者とが連携することにより復活することになったというのです。主催は、「高島市文化遺産活用実行委員会」と「朽木の知恵と技発見・復活プロジェクト」です。辻村さんからは、当日、坂本くんもやってくるとお聞きしました。もちろん、見学させていただくことにしました。

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■朽木の古屋に行くには、ふた通りのルートがあります。ひとつは、高島市朽木の中心地である市場から行くルート。もうひとつは、国道367号線(鯖街道)から古屋に向かうルート。大津市内に住む私は、後者のルートで古屋に向かうことにしました。道は舗装されているものの、道幅はかなり狭く、対向車が来たらどうすればよいのかと、ドキドキするようなところもありました。狭い山道を通りつつ、幾つかの集落を抜けて大津市内からは1時間20分程で古屋に到着することができました。おそらくは、いつもは静かな山村に、たくさんの方たちが集まってこられていました。

■「六斎念仏踊り」は、20時から始まりました。その様子については、上の動画をご覧ください。また、「六斎念仏踊り」の民俗学的なことについては、以下の「(財)滋賀県文化財保護協会」の「滋賀文化財教室シリーズ[223]」をご覧いただければと思います。私も、歴史的・民俗学的なことについては、これから、いろいろ勉強してみようと思っています。ここでは、ごくごく簡単に説明しておきます。「滋賀文化財教室シリーズ[223]」にも説明してありますが、もともとは、現在のようにお寺で行われるものではなく、太鼓を持った踊り手3人と、笛2人、鐘2人の合計7人で行われます。この一団で、古屋にある約20軒の家を順番に回って「六斎念仏」を踊ったのです。夜の22時頃から翌日の夜明けまで、それぞれの家の祖霊を供養するために行われていました。14日に「六斎念仏踊り」がおこなわれた玉泉寺は、曹洞宗のお寺です。伝承によれば、以前は天台宗の寺だったといいます。集落の中にある寺の宗派が変わることは、それほど珍しいことではありませんが、祖先祭祀やお盆と結びついた「六斎念仏踊り」の方が古くからの歴史を持っていると考えられているようです。もう一つ、これは自分への備忘録のつもりで書いておきますが、「滋賀文化財教室シリーズ[223]」には、次のような記述があります。

昭和49年発行の『朽木村志』の記述から、編さん当時の六斎念仏の姿を見てみましょう。

生杉と古屋の2地区で毎年8月14日に行われていた六斎念仏も、徐々に忘れられつつありましたが、昭和46年に、この2地区を含む地域一帯が県立自然公園の特別指定地域に編入されたことから、地元有志の人々によって六斎念仏の保存活動が行われるようになったといいます。

■まだ実際に『朽木村志』を読んでいませんが、すでに昭和40年代から徐々に忘れられつつあったということに注目したいと思います。古屋のある朽木は、林業が盛んな地域でした。昭和40年代というと、全国的に日本の林業が不況に陥った時代です。山での仕事がなくなり、朽木の古屋でも、多くの人びが山を降りました。その頃と、「六斎念仏踊り」の保存活動が行われるようになった時期とが重なっていることです。このあたりの事情は、また関係者の皆さんに詳しくお聞きしてみたいと思います。

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■「六斎念仏踊り」の復活が無事に終わった後、私は坂本くんのお祖父様のお宅にお招きいただきました。遠くまで来てもらったからと、ご丁寧におもてなしをいただきました。もう夜が遅かったこともあり、短い時間でしたが、お祖父様、お父様、叔父様とお話しをすることができました。非常に興味深いお話しをお聞かせいただくことができました。坂本くんのお祖父様は、林業の仕事がなくなった後も、山を降りて滋賀県内で新しい仕事を見つけて、生きてこられました。再就職した後も、実に度々、古屋に戻っておられました。といいますか、古屋の家と仕事のための家との間を往復されていたと言っても良いのかもしれません。街場と山を往復しながら、家を守り、村を守ってこられたのです。遠く離れた大都会ではなく、古屋から車で1時間半ほどの場所に暮らすことができたことは、坂本くんのお祖父様、そして同じように生きてこられたお仲間の人生に取って、非常に大きな意味を持っていたのではないかと思います。

■今回は、坂本昂弘くんや坂本家の皆様、辻村さん、そして「高島市文化遺産活用実行委員会」と「朽木の知恵と技発見・復活プロジェクト」の関係者の皆様に大変お世話になりました。非常に貴重な見学をさせていただくことができました。心より感謝いたします。なお、当日の玉泉寺での撮影が、シャッター音を消してほしいという指示がありましたが、私はスマホのカメラしかなく、音を消すことができませんでした。トップの写真は、坂本昂弘くんが撮影したものを使わせてもらっています。

【追記】■「朽木の知恵と技発見・復活プロジェクト」の皆さんに、プロジェクトのfacebookで、このエントリーのことをご紹介いただきました。ありがとうございました。

2016年のカレンダー

20151228calendar.jpg ▪︎来年のカレンダーを注文しました。滋賀県の風景のカレンダーです。「しがトコSTORE」は、「”滋賀を自慢したくなる”を切り口に、新しい滋賀を伝えるローカルメディアです」。その「しがトコSTORE」が、カレンダーを発売しています。「琵琶湖、白鬚神社、メタセコイア並木など、滋賀ならではの絶景が12か月を彩るカレンダー」です。上の「白髭神社と琵琶湖」は、カレンダーの表紙です。この表紙の写真は、「しがトコ」のファン投票で決定しました。3万人の滋賀ファンが選んだ「白鬚神社の朝日」が表紙になりました。

白鬚神社

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■昨日は、滋賀県庁の「つながり再生モデル事業」(琵琶湖環境部・琵琶湖政策課)の関係で、琵琶湖政策課や滋賀県立琵琶湖環境科学研究センターの皆さんと一緒に、高島市にある松の木内湖まででかけました。滋賀県庁の公用車ででかけたのですが、途中、白鬚神社で少しだけ時間をとっていただき、この写真を撮りました。

■iPhone5で撮ったわけですが、なかなか満足のいく出来に仕上がりました。写真を撮っているとき、とても清々しい気持ちになりました。最近は、いわゆるパワースポットとしても有名らしいのですが、なるほど…と思います。

2012びわ湖高島栗マラソン(ハーフ)結果

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■昨日は、「びわ湖高島栗マラソン」(ハーフマラソン)に出場しました。ハーフマラソンですから、フルマラソン=42.195kmの半分の距離、約21kmということになります。これまで、毎年2月末の日曜日に開催されている「びわ湖レイクサイドマラソン」(15km)には3回出場してきました(ほとんど練習を積み重ねずに…ですが)。また、練習でも15kmをゆっくりと走ったことはあります。しかし、15km以上、しかも本格的なレースは今回が初めて。ということで、少し緊張しての参加となりました。昨日は朝から雨が降っており、「コンディション最悪やな〜」と不安だったのですが、どういうわけか、スタート直前になると雨も小雨に、そしてしだいに霧雨になり、ランニングであがる体温を下げるのにちょうど良い感じになりました。

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■今回は、大津駅前の居酒屋「利やん」のマスターであり、マラソンチーム「チーム・利やん」のランメイトでもある光山さんと一緒に参加させていただきました。光山さんと私はマラソン初心者ということもあり、暑い夏から、facebookにお互いの練習記録をアップし、励まし合い・切磋琢磨しながら練習を積みかねてきました。写真の左側、スタート前の光山さんです。右側は、少しふざけている…私です。ふざけている…ということは、少し緊張している…ということでもあります。スタート直前になって、「スタート地点はどこやろ?皆が歩いている方向にいってみようか…」と、いかにも初心者らしい感じでスタート地点に向かいました。するとどうでしょう、すでに多くの市民ランナーの皆さんがズラズラ…っと並んでおられるではありませんか。私たち2人も、慌ててその列に加わったのでした(今となれば、なんとも情けない…)。

■初心者としての私の作戦は、以下のようなものでした。目標は、コーチの指示通り、ハーフマラソン・2時間切り。全体の平均スピードを5:30に設定する。10kmまでは、後半にばてない程度に速めに走り、できるだけ「タイムの貯金」をしておく。10kmからは疲れてペースが落ちてくるだろうから、15kmまではラスト6kmに余力を残しつつ、多少スピードが落ちても粘って走る。そして最後の6kmは、気力でゴールに向けて走る。このような作戦でした。

■スタート後は、多くの市民ランナーで団子状態でした。ですので、スピードをあげて隙間をぬってできるだけ前の方に進みました。2kmまでは、5分を切るペースで頑張りました。これまでこんなに速く走ったことがなかったので少し脛に違和感を感じましたが、できるだけ「タイムの貯金」が欲しかったので頑張りました。なんといいますか、周りの市民ランナーの皆さんに、引っ張っていただくような気持ちで走りました。しかし、周りのランナーの皆さんは、長年、練習を積み重ねてこられた方たちのようで、じわじわと引き離されていきました。最初は、飛ばしすぎて自分のスピードが落ちているのかなと思いましたが違いました。ウエストポーチに入れたiPhone5のアプリ「runmeter」を確認すると、普段の練習以上のスピードで走っているのです。おそらく周りの皆さんは、私などよりずっとラン歴も長く(当然ですよね)、普段からかなり速いスピードで走っておられるのでしょう。「全国でマラソンブーム」とよくいわれますが、単なるブームを超えていることを実感しました。

20121028kuri1.jpg ■コースの半分以上は、高島市マキノ町の中を流れる知内川沿いのコースでした。上の地図が、そのコースを示した地図です。ほとんどフラットなコースで「走りやすい…」と聞いていましたが、そんなことを考える余裕はありません。頭のなかでは、自分のスピードとペース配分と、いかに2時間を切るのか…それだけを考えて走りました。「runmeter」に残された記録は以下の通りです。スタート直後2kmまでは、平均 4:51 /km、 4:56 /kmと速めですが、10kmまで徐々にスピードが落ちていっていることがわかります。しかし、作戦通り、10kmまでで1分48秒(計算があっていたら…)の「貯金」をすることができました。10kmから15kmまでは、粘って走ることが目標でした。疲れてスピードが落ちては、また頑張ってスピードをあげる…の繰り返しです。15kmのラップは5:04ですから、急にスピードが復活しています。記憶ははっきりしませんが、フォームや走り方を考えながらできるだけ効率的に走るようにしたのだと思います。残りの6kmは、走ろうとする意思があっても体がいうことをききません。といいますか、体の疲れを精神的にコントロールできないという感じでしょうか。とにかく、できるだけペースを維持してゴールに向かう事だけを意識しました。結果、「runmeter」では1:54:53、公式記録では1:55:18でゴールすることができました。また、男女あわせてハーフに出場された956名中、総合順位では475位、男子だけだと755人中で428位でした。総合では、半分よりも少し上…って感じでしょうか。
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ランタイム 1:54:53, 21.16 km, 平均 5:26 /km, 1664 カロリー

キロメートル 01 - 平均 4:51 /km
キロメートル 02 - 平均 4:56 /km
キロメートル 03 - 平均 5:12 /km
キロメートル 04 - 平均 5:20 /km
キロメートル 05 - 平均 5:23 /km
キロメートル 06 - 平均 5:21 /km
キロメートル 07 - 平均 5:27 /km
キロメートル 08 - 平均 5:27 /km
キロメートル 09 - 平均 5:37 /km
キロメートル 10 - 平均 5:38 /km
キロメートル 11 - 平均 5:22 /km
キロメートル 12 - 平均 5:40 /km
キロメートル 13 - 平均 5:35 /km
キロメートル 14 - 平均 5:35 /km
キロメートル 15 - 平均 5:04 /km
キロメートル 16 - 平均 5:30 /km
キロメートル 17 - 平均 5:20 /km
キロメートル 18 - 平均 5:47 /km
キロメートル 19 - 平均 5:37 /km
キロメートル 20 - 平均 5:42 /km
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■これまでfacebookに練習の記録をアップし、多くの「友達」の皆さんに「いいね!」や励ましのコメントをいただいてきました。そのお陰で練習を継続することができました。そして、初めてのハーフマラソンでしたが、自分なりに良い記録でゴールすることができました。ありがとうございました。なんといっても、コーチから提示された目標「ハーフ2時間切り」を達成できたことことで、少し自分に自信をもつことができました。これが、一番の大きな収穫かもしれません。ここまで指導してくださったコーチに、心から感謝です!!

■一緒に走った光山さんですが、夏に肉離れの故障で練習がなかなかできなかったこともあり、2時間切りはできませんでした。しかしfacebookには「タイムは2時間10分といまいちでしたが、けがなく完走出来ました!練習開始2ヶ月ながら、真面目に練習した、自分を今日は、誉めてあげたいです(^-^)vハーフマラソン大会は、良い経験になりました!」と完走後の気持ちをアップされていました。そうなんです、「自分を今日は、誉めてあげたい」という気持ち、大切ですね。これは、私も同じ気持ちでした。ゴールでは、「チーム・利やん」のランメイトでありエースである中川さんご夫妻、そして光山さんの奥様も私たちを迎えてくれました。ありがたいですね〜。応援してくださった皆さんにも心から感謝いたします。

■ところで、「チーム・利やん」のランメイトであり、職場の同僚でもある原田先生からも、「完走できたか」というメールをいただきました。長年にわたり走ってこられた原田先生とは違い、私は促成栽培でハーフマラソンに挑戦しているものですから、いろいろご心配くださったのですね。すみません。ところで、原田先生からは、少し前に、「マラソンのことですが、走り終わったあとで、ぜひその体験を論文にしていただきたいと思っています。その体験は貴重だと思います」という課題もいただいています。マラソンについては、走ることだけを考えていましたので、それを基に社会学の論文を書くなんてことは考えてもいませんでした。じつは、原田先生、1994年に「マラソンの現象学-ある心情の編成-」という論文を書かれています。それから20年。マラソンの背景にある社会状況も大きく変化しています。現在の市民マラソンからどのような社会との相関関係を見出すことができるのか…そのあたりが課題かなと思っています。社会が大変不安定(流動的、液状化)になっている現在、老若男女、多くの人びとは何故にマラソンに挑戦し続けているのか。自分なりに考察してみたいと思います。

20121101takashima.jpg ■来月11月23日は「福知山マラソン」です。いよいよ、フルマラソンに挑戦です。まずは、完走を目標にしています。30kmの「壁」をどう乗り越えるのか。練習期間は残り少ないわけですが、頑張ってレースに体のピークをもっていけるように調整します。それから、さきほど、「京都マラソン」の事務局から「定員を超えるお申し込みがあり、厳正なる抽選の結果、貴方様が当選されましたことを通知させていただきます」との連絡を、メールでいただきました。「京都マラソン」は、自分なりに目標のタイムを設定して、頑張って練習に励みます。

【追記】■昨日のハーフマラソンの15kmのラップですが、1:20:27でした。15kmは、2月末の「びわ湖レイクサイドマラソン」と同じ距離です。今年のタイムは、1:35:27でした。ということは、7月末からの練習で15分も短縮できたことになります。これも、私にとっては大きな収穫でした。「京都マラソン」の前になりますが、「レイクサイド」でも良い記録をねらいます。

【追記】■このエントリー、あわてて書いたものですから、日本語がいつもにもましてメタメタでした。申し訳ありません。修正しました。

【追記】■いただいた記録証明もアップしておきます。

ハーフマラソンの参加通知書が届きました!

20121009kurimarathon.jpg ■先日、10月28日(日)に、滋賀県高島市で開催される「びわ湖高島栗マラソン」の参加通知書が届きました。「びわ湖高島栗マラソン」は、ハーフマラソンで、フルマラソンではありません。ですから、約21kmを走ることになります。第一の目標は、11月23日(金)に開催される「福知山マラソン」を完走することなのですが、その前に、試合感覚をつかむ目的でこのハーフマラソンに出場することにしました。

■もっとも、当初は、このハーフマラソンに出場する予定はありませんでした。コーチからの提案は、30km走の練習を事前に行う…というものでした。フルマラソンは、30kmからが勝負なのだそうです。コーチからは、「フルマラソンとは、ハーフを2回走る距離ですが、感覚的には、30kmを走ったうえで、さらにハーフマラソンを走る…そのぐらいのつもりでいてください。そのためには、30km走を体験して、体にその負荷を記憶させてください」と言われていました。私も30km走を自分で行うつもりでいたのですが、ところが…。マラソン仲間のチーム「利やん」のMさん(大津駅前の居酒屋「利やん」のマスター)が、「ハーフマラソンに出たいんだけど、一緒に走ろう」と何度も言ってきたのです。最初は「30km走があるから」と断っていましたが、とうとう根負けしてしまい、コーチにも相談した上で、30km走をハーフマラソンに切り替えたのです。

■コーチからは、「ハーフは2時間切りを目指してください」と言われています。ということは、5分30秒/km程度で走りつづけなければなりません。試合になると、周りのランナーの皆さんのスピードはかなり速いわけで、それにつられて速く走ることもできるようですが、同時に、自分の体力・脚力を超えてしまっては、途中でばててしまうことになります。ちゃんと自分の計画通りのペースで走りづつけられるでしょうか…。とっても不安です。とはいえ、出場は決まったのですから、練習に励み、本番に挑みます。

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