椋川のノイバラのリース

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■ひとつ前の投稿で、朽木の椋川(滋賀県高島市)でのイベント「第18回おっきん!椋川」に参加して楽しんできたことを書きました。写真はお土産の一部です。すごいでしょ、このリース。山から採ってきた木の実と針葉樹の葉っぱで作ってあるようです。「何の実、何の葉っぱなのか」とfacebookに書いてみたところ、植物の専門家、リース作りが好きな方が教えてくださいました。赤い実はノイバラで、緑の葉はヒバだそうです。クリスマスっぽい雰囲気ですね。我が家にキリスト教の信仰はありませんが、来月も中旬になったら自宅のドアに飾ることにします。あっ、そうそうリースの値段ですが、500円です。もっと高くても良いのにな〜。京都や大阪だと、2000円を超えても売れるような気がします。

第18回おっきん!椋川

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■21日(日)、滋賀県高島市朽木椋川で開催された「第18回おっきん!椋川」に参加してきました。新鮮な空気を胸いっぱいに吸い込み、紅葉を楽しみながら山里を歩き、スタンプラリーをしてきました。とても気持ちが良かった〜。お土産もいっぱい買ってきました。毎年、1000人近くの方達がやってこられるようですが、今年はコロナ感染のこともあり事前に告知されなかったようです。それでも、300人の方達がこの山里にお越しになりました。
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■現在は通信制の高校になっていますが、この高校の校庭が駐車場になります。以前は、今津西小学校の分校でした。2008年に廃校になりました。この学校の歴史については、こちらをご覧ください
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■スタンプラリーですが、これだけです。これで簡単にスタンプラリーができるんですね。どなたもいませんが、アルコールの消毒液と、ハンコとスタンプ台。セルフサービスです。そしてかつてこの地点から見えた風景写真と解説のパウチシートが置いてあるのです。いいですね。このような場所が、集落内に8箇所あり、散策しながら順番に巡っていきます。かつての山里の風景やそこでの暮らしに思いを馳せて、集落の中を散策するわけです。
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■ 燃料革命以前、この村ではたくさんの炭が生産されていました。今とは風景が違うはずです。かつてはすべてが広葉樹ですし、ホトラと呼ばれる採草地もありました。ところで、滋賀県立大学環境科学部の学生の皆さんが、お手伝いをされていました。カッコいいな〜。
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■時々、お土産を買いながらの楽しい散策でした。漬物や干し柿を買いました。新米も買いました。あと、見事な赤い実で作ったリースが500円。それから、籾を取った稲穂で作ったミニ箒等も。栗ご飯と小鮎の塩焼きを昼食にいただきました。栗ご飯をいただいた後に訪れたお宅では、定食を提供されていました。残念ながらお腹がいっぱいで食べられませんでした。

野口・国境の炭焼

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■滋賀県高島市マキノ町野口の「国境炭焼きオヤジの会」を訪問しました。午後から炭焼による村づくり活動についてお聞きする予定でしたが、そのことに加えて、午前中は地元のマキノ西小学校4年生の校外学習の様子を見学させていただきました。国境は、高島市マキノ町野口の、3つある集落(小字)の中でも一番北にあります。ちょっと150mほど歩くと福井県に入ります。

■トップの写真は、「国境炭焼きオヤジの会」が作られた炭窯の小屋です。入り口の上には、「夢炭」と書いた看板が掲げてあります。「むーたん」と読みます。たしか、商標登録されているはずです。夢の炭…なかなかロマンチックなネーミングですね。この日は、小学生がやってくるということで、窯の中にライトが照らされていました。私たちも、窯の中に入れていただきました。2段目左の写真は窯の中から撮ったものです。3段目左は、粘土の塊です。炭窯に隙間から空気が入ると炭にならずに灰になってしまいます。そこで、その隙間をこの粘土で塞ぎます。適度な粘りが出るように色々加えてあります。粘土は硬くても柔らかくてもダメなようです。微妙ですね。
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■4段目左。左側の割った木材が、右側のような炭になります。重さは1/6に、サイズも少し縮見ます。5段目右、小学生のみなさんが、焼いた炭を適当な大きさにノコギリでカットしています。普通の材木とは切る際の感触が違うので、驚きの声が上がっていました。6段目は、この炭焼窯の近くにある願力寺で、昔の暮らし、特に囲炉裏のある暮らしについて、お話を伺っているところです。いろんな質問が出てきます。予想以上にいろんな知識があります。少し驚きました。
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■午後から、願力寺で「国境炭焼きオヤジの会」の活動について、指導している大学院生とともにお話を伺いました。今回は、高島市役所の職員さんも同行された。部屋の真ん中の囲炉裏には、炭が燃えていています。大変温かいです。囲炉裏には五徳が置かれています。五徳に置いた網で餅を焼いていただき、ご馳走になりました。今日も、3時間ほどお話を伺いながら、楽しい時間を過ごすことができました。

■2010年「水源の郷活性化事業補助金」の助成を受けて野口という区の事業として始まった炭焼。最初は、活性化の事業として、どのようなことに取り組むのかを議論されたようです。議論の結果、炭焼をやることになりました。炭焼は、この地域の生業の中心、現金収入の中心でした。この地域のアイデンティティと深く結びついているのです。こんな話も聞くことができました。福井県との県境に位置するこの地域は雪深く、冬の間は炭焼きができません。現金収入が途絶えきます。そこで、炭の問屋から借金をして、雪が溶けて春になってから炭を焼いて、現金ではなく炭で返したというのです。もちろん、そのような経験をされている方は、どうだろう、ご健在ならば100歳前後の方たちでしょうか。

■さて、「国境炭焼オヤジの会」の皆さん、炭を焼くだけでなく、炭を使った石鹸を商品開発して販売もされてきました。近くの道の駅だけでなく、ネットでも販売されたようです。もちろん、炭そのものの販売についても努力されてきました。そうやって盛り上げてきた炭焼きなのですが、活動を始めて10年経過すると、担い手の高齢化や担い手不足等により、炭焼きの活動自体が難しくなってきています。先行きは暗いわけです。しかし、どういうわけだか話は明るく盛り上がります。暗いけど明るい、ここは社会学的にはけっこう大切なポイントかなと思います。

■当初は区の事業として始まった事業ですが、今は野口の有志の個人による活動になっています。加えて、近くの愛知県から在原に移住されてきた方も参加されています。この方はなかなかのアイデアマンのようで、活躍されています。炭窯の煙突にセンサーを設置して、釜の温度を測定したり、窯に原料の薪を運ぶのにも、ローラーコンベアを使ったり、高齢化の中にもいろいろ工夫を提案されているのです。野口の皆さんから期待されています。今日も、リーダーのKさんに、柱を立てて窯全体をブルーシートで覆えるようにすれば、天候に左右されずに炭が焼けると話されていました。しかし、80歳目前のKさんは、「そこまでして、炭を焼きたくないわ」と笑いながら話されていました。このあたり微妙なのですが、大変興味深い点でもあります。

■当初より、野口以外の人たちにもオープンにした活動をされてきました。ただし、炭焼きの作業は、天候や様々な条件に左右されます。作業の段取りが変わるのです。遠く離れたところに住んでいる方、たとえば大津に暮らしておられる方に、急にボランティアで作業をお願いすることもなかなか難しいわけです。結局は、自分たちで作業をすることになります。オープンに活動をする上で、インターネット等での情報発信が大切になるのですが、現在はそこまで手が届いていません。

■高島市には野口の他にも炭焼で活性化に取り組む集落があります。「連携して高島市全体でブランディングしては」という発想も出てくるわけですが、集落によって炭の質が異なるため、それもなかなか難しいとのことでした。炭は工場で生産する工業製品とは異なるのです。もっとも、難しいと言ってばかりでは仕方がありません。なんとか、炭焼を事業化、企業化していきたいとも考えておられます。もう区の事業ではないので、地域外から本気で取り組む若い担い手が来てくれるのならば、技術やノウハウを伝えるという発言がありました。そういう若い担い手が参加してくれるのならば、一緒に頑張るし応援もするという発言もありました。もしそうならば、面白い展開になるのかもしれません。また、「半農半X」ならぬ「半炭焼半X」(炭焼や炭焼に関連する付加価値をつける仕事と、他の仕事(”X”)を組み合わせた働き方)が成立するのならば、実現する可能性もあるのかなと思います。あと、炭焼するには太くなり過ぎた山の広葉樹の利活用をどうするのか。これも大きな課題です。現在、炭にする薪をどうやって調達しているかといえば、別荘地で大きくなりすぎて伐採された樹、炭焼のサイズに割って使っています。山の広葉樹は太くなりすぎて、使えないのです。

■おそらく、こういう現実があることを認識するのならば、地域の支援策もこれまでとは違ったものになってくるのではないかと思います。また、役所の中で部署ごとに縦割りになった支援策をうまく組み合わせていくことも必要だろうと思います。

雲洞谷(うとだに)の炭焼き

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20211117utodani1.jpg■高島市朽木の雲洞谷を訪問しました。「うとだに」と読みます。こちらの「まるくもくらぶ」の活動に関して、指導している大学院生とお話を聞かせていただきました。今回は、高島市の中山間地域の活性化について一緒に仕事をしている市役所の職員さんも同行されました。楽しかったです。お話しいただいたのは、「まるくもくらぶ」のリーダーのIさんと、ここに移住してきてIさんと一緒に活動しているFさんです。Fさん一家は、京都からここに転居されました。お2人に、いろいろ細かな質問に丁寧にお答えいただきました。ありがとうございました。

■写真は復活した炭焼窯です。炭焼は、かつての生業の柱でした。山での暮らしを象徴する生業なのです。その炭焼きを経験されている方を先生役に、「まるくもくらぶ」では炭焼窯を復活させました。活動されているのは70歳前後の人たちです。年齢は前後しますが、全員幼馴染であり、青年団も消防団も一緒に活動してきた仲間です。彼らは炭焼きの手伝いはしても、自分たちの手で炭窯を作ったり炭を焼いたことはありません。そして、親の世代とは異なり、この山村の中だけで暮らしてきたわけではなく、外の職場に通勤しながらここに住み続けてこられました。車と湖西線を使えば、住み続けることができたのです。ただし、同い年の同級生で雲洞谷に残っているのは、Iさんお1人だけです。

■Iさんが生まれたのは1949年。いわゆる団塊の世代です。Iさんが中学生の頃に、「燃料革命」の影響がこの山村にも届くことになりました。そして雲洞谷の炭焼も1960年代の後半には途絶えることになりました。Iさんの記憶では、炭焼きに必要な広葉樹を伐採した後に、杉の苗をどんどん植えていきました。その頃、政策の後押しもあり広葉樹がどんどん針葉樹に替わっていきました。「拡大造林」です。

■先程、炭焼き経験者を先生役に…と書きました。集落を代表する生業としての炭焼きは途絶えていましたが、その経験者の方だけは、身体が動く間、小さな窯で炭焼きを続けてこられていました。2019年、その方から炭焼きを教えてもらう「勉強会」を開催しました。記録を残して、自分たちでも炭焼きが継続できるようにしたのです。この「勉強会」には、多くの外部の人たちも参加されました。「勉強会」がオープンな形であることが興味深いですね。この村に住み続けるのには、外部の人たちの関わりが重要だとの考えを、活動の当初からお持ちだったのです。雲洞谷のことに関心を持ち、気になる人たち、今流行りの言葉で言えば、関係人口を増やそう、そのような考えのもとで取り組まれているのです。

■「まるくもくらぶ」のロゴは、丸の中に「雲」という漢字を書いて、その後にひらがなで「くらぶ」がついてきます。なんでも、消防団の法被の背中は、この「まる雲」が描かれているそうです。ポイントは、「まる」が完全に閉じておらず、少し切れていて、外部に対して開かれているところにあります。つまり、集落で閉じた活動ではなくて、「外部に開かれた活動ですよ、外部の方達にも参加してもらいたいのですよ」という気持ちが表現されているのです。まあ、このブログには全てを書ききれないわけですが、貴重なお話を聞かせていただくことができました。炭焼き以外にも、栃餅、鯖のへしこ、鯖のなれ寿司の話もおもしろかったですね〜。鯖のなれ寿司は食べたことがありません。食べてみたいな〜。この山深い山村の人たちにとって、琵琶湖の淡水魚よりもひと山越えた若狭の海の魚の方が手に入りやすいし重要だったのでしょう。

■本格的に寒くなる前に、再度、雲洞谷を訪問する予定です。その時は、栃餅の原料である栃の実を実らせる巨木にも逢いに行ってみたいと思います。

朽木の炭焼き

20210708kutsuki.jpg■今日は、朝早くから大雨の中レンタカーを借りて高島市の朽木へ行ってきました。高島市の中山間地域で炭焼きを復活させた、あるいはこれから復活させようとされている集落の活動に関して、聞き取り調査を行ってきました。朽木の市場、麻生、雲洞谷(うとだに)、それから今津にある「たかしま市民協働交流センター」に行き、この交流センターの運営を受託されている特定非営利活動法人コミュニティねっとわーく高島の職員の方たちにお話を伺いました。その時、こんな本があることを教えてくださいました。早速、市内の書店で購入しました。

■朽木の小川(こがわ)にお住まいの榊ご夫妻が出版された『聞き書き 朽木小川 しこぶちさんと奥山暮らし歳時記』です。文章は榊治子さんが、写真は榊始さんが担当されています。朽木の小川は、朽木の中でも一番南にある針畑川沿いにある集落です。榊さんご夫妻は、集落外から移住されてきました。朽木には、このような移住された方たちが、それぞれの集落や地域の中でいろいろ活躍されている、大切な役割を果たしておられるようです。

ひさしぶりの高島「ワニカフェ」

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■ひっ…さしぶりに、高島の「ワニカフェ」にお邪魔しました。最近、facebookの更新はストップされているし(おそらくお考えがあって)、どうされているのかなと思っていましたが、岡野将広さんご夫妻、お元気にされていました。ランチを頂くためにお店に伺ったのですが、お客さんがいっぱいで大変お忙しくされていました。もちろん、コロナ対策をしっかりされた上でですので、大変だと思います。このコロナ禍の中で、応援している知り合いのお店や、親しくさせていただいているお店が、忙しくされているということは、基本的には良いことだと思うんですが、どうなんでしょうね。ともかくお会いできて嬉しかったです。

■コロナでかなりお疲れのようではありましたが、店内の黒板にチョークで書かれたメッセージからは、お店のコンセプトがよりクリアに、よりシャープに発信されているように感じました。店内には、食材を提供してくださる、連携されている有機農家の写真も飾ってありました。「ワニカフェ」は、地元の有機農家の野菜を使った料理がとても美味しいお店です。身体にも気持ちにも優しいお料理です。それから有機農家と連携した「高島マーケット」、素晴らしい社会的な取り組みだと思います。頑張っておられます。今日は仕事に集中されていたので、別の日にまたご飯をいただきに行きお話しを伺いたいと思います。お土産に、琵琶湖のエビを使った「ワニカフェ」の「びわ湖川エビスパイスカレー」(レトルト)を購入しました。琵琶湖の沖島の猟師さんが獲った琵琶湖のエビを素材として製造されたカレーです。

■この「びわ湖川エビスパイスカレー」を紹介するパンフレットに、「びわ湖でしか生まれないカレー」(写真・文 オザキ マサキ)に、岡野さんのことが次のように書かれていました。

彼は移住先の滋賀県高島市で2013年にカフェを開いた。開店当初は、地方で食材を揃えることの難しさにびっくりしたという。彼が修行をしていた京都や大阪では、いつでも、使いたい食材が簡単に入手できるからだ。そこで彼は、自分がほしいものではなく、その土地に、その時期にしかない食材を使うことにした。しかし、限られた食材に合わせて料理を作ることは簡単ではなく、ひたすら食材を研究し、創意工夫を重ねるしかなかった。だが結果的にそのことがお店の骨格となり、県外からも客が訪れる人気店になった。ぼくも写真を撮るときは、こちらが被写体に合わせていくことを意識しているので、彼のその姿勢にはとても共感を覚えた。そして、「カレーを通してびわ湖を知ってほしい」という想いでつくったのが『びわ湖川エビスパスイカレー』だ。

■素晴らしいですね。私もとても共感します(特に共感したところ、太字にしました)。フランスの人類学者、レヴィ=ストロースが、「プラクシス」と「ポイエーシス」の概念について説明している講演録を読みました。ここではこれらの概念について説明はしませんが、岡野さんの料理人としてのスタイルは「ポイエーシス」だと思います(自分の備忘録として書いておきます)。素敵です。また、以前にもワニカフェについて書いた時に説明したと思いますが、ワニカフェは、生産者と消費者のふたつの輪が繋がることを目指して経営されています(爬虫類のワニとは違うわけですが、店内の黒板に描かれたチョークのイラストには、さりげなく、琵琶湖から上陸してきたワニが描かれています)。「高島マーケット」も、この「びわ湖川エビスパイスカレー」にも、そのような岡野さんご夫妻の思いがギュッと詰まっていると思います。これからの時代、こういったローカルで小さな互いを支え合う仕組み、広い意味での共助の仕組みが、とても大切になってくると思います。このようなローカルで小さな互いを支え合う仕組みは、おそらくイヴァン・イリイチのいう「自立共生」(Conviviality : コンヴィヴィアリティ)という概念と関係しているはずです。

■私は、NPO法人「琵琶故知新」の理事長としても、岡野さんご夫妻のように「琵琶湖のことを思ってお店をされている店主さんたちと、もっともっと親しくなりたいな〜。お話を伺いたいな〜」と思っています。

「高島市棚田地域振興協議会」第1回準備会

■以前の投稿にも書きましたが、高島市では、「全国棚田サミット」が開催される予定になっています。コロナで1年延期になりましたが、このサミットを契機にして、高島市内の中山間地域を活性化していくための取り組みが始まろうとしています。

■水曜日の晩、高島市役所で「高島市棚田地域振興協議会」第1回準備会が開催されました。市内の中山間地域にある10集落の世話役の方が参加されました。そして、私も含めた龍谷大学の教員5名(社会学部2名、農学部3名)もアドバイザーとして参加しました。アドバイザーの5名はZoomでの参加です。当初、私自身は市役所にいく予定にしていたのですが、社会学部の臨時教授会等が開催されたことから、私も含めて全員がZoomでの参加になりました。

■会議の場の会話は、Zoomでは聞き取りにくいこともあり、どこまで理解できたのかという不安もありますが、なんとかそれぞれの集落の状況をお聞きかせいただくことができました。大変興味深かったです。現在の農村は、農村とはいっても農家ばかりではありません。田畑等をお持ちではあっても自分で耕作せず人や団体にお願いする、いわゆる「土地持ち非農家」の方たちも多数暮らしておられます。水田は人に任せて、自分は自給用の野菜だけを栽培しているような方もおられます。また、これは高島市に顕著な特徴かもしれませんが、高島市の豊な自然が気に入り、転入されてこられた方たちも多数お住まいです。農村とはいっても多様性があります。

■この会議の場で私自身は、まず、集落内の多様な人材に活躍してもらうことが大切であることをお伝えしました。若者、女性、他所から転入されて来たたち、できるけ多様な立場や視点から、集落や地域の課題や目標、そして大切したい魅力等、様々な意見が出てくる必要があると思うからです。そのような中で、地域の再評価が進むことが大切です。

■もうひとつ、どうしても集落内の取り組みや作業ばかりに目が行きがちだけど、集落間の連携が大切であるというお話もさせていただきました。それぞれの集落の強みや持ち味を活かしあいつつ、連携しながら、地域全体として浮上していけるようにする必要があると考えるからです。また、農村だけでなく地域の様々な食品メーカーや飲食店や観光施設とも連携していく必要があるのではないかと思います。

■そのような連携のな中で、お互いを活かしあえる相補的な関係のネットワークが生まれてくると高島市の強みになっていくとも思います。ネットワークの構築のためには、日常的なレベルでコミュニーケーションや関係づくりを行っていくための「場づくり」が欠かせないとも思います。「高島市棚田地域振興協議会」もそのような場のひとつになればと思います。そのためにはICT技術の活用も積極的に使っていくべきだと思っています。私が理事長をしている特定非営利活動法人「琵琶故知新」も、このITC技術の活用という点で何かお手伝いができるかもしれません。

■これから、秋の「高島市棚田地域振興協議会」の発足に向けて、龍谷大学のアドバイザー、高島市や滋賀県の職員の皆さんと一緒に、10集落のヒアリングに出かけることになっています。ヒアリングをさせていただく中で、集落の目標と取り組みを明確にしつつ、地域全体のネットワーク作りのためのアイデアを高島市の皆さんと「共創」できたら良いなと思っています。

夕暮れの湖岸

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■22日の午前中、高島市でのプロジェクトに関する「棚田地域振興に係るweb会議」でした。高島市役所の皆さんと、龍谷大学瀬田キャンパスにある社会学部2名と農学部3名の教員による合同の会議です。瀬田キャンパスには、理工学部と社会学部、そして農学部がありますが、今回はまずは農学部と社会学部の教員がゆるやかに連携しつつ、キャンパス単位での地域連携事業を展開していこうと協議を進めています。私だけが還暦越えで、他の皆さんは40歳代以下、私よりはずっと若い教員の皆さんたちです。大変頼もしいです。あと、理工学部の教員や学生の皆さんにも参加していただければと思うんですが、まあ、焦らずじっくりやっていこうと思っています。

■もっとも、地域連携を展開するとはいっても、少なくとも今年度前半はコロナウイルスの感染拡大のため、学生や教員が現地に出向いてというわけにはいきません。ひょっとすると後半も…。現地に赴くことはできないわけですが、それでも、いろいろ工夫をしてやっていく予定にしています。今日のWeb会議でも、いろんなアイデアが出てきました。専門性の異なる人たちの間で、結果として、シナジー効果が生まれてくるところにこの手の事業の面白さがあります。コロナウイルスの感染拡大で動きが取れないため、さあてどうしたものかと思っていましたが、元気が出てきました。

■22日は、午後からもオンライン会議でした。学科会議、学部教授会、大学院研究科委員会と続きました。終わると夕方です。ということで、今日も夕食の買い物にでかけました。毎日毎日、生鮮食料品を買いに行くことが習慣になっているからです。ですから、うちの冷蔵庫には最低限のものしか入っていません。腐らす…ということはまずありません。いつも冷蔵庫の中に残っているものを頭に入れて、生協のスーパーで売っている食材をながめながら夕食の献立を考えることにしているのです。ということで、冷蔵庫の中はいつも比較的がらんとしています。ただ、そのような買物の習慣も、そのうちにやめないといけませんね。数日分の食料を買っておくということになるのかな。それはともかく、一日中会議が続いたので、買い物だけではなく、ちょっと気晴らしに近くの公園にもいきました。

■琵琶湖の湖岸沿いの公園です。自宅の比較的近くにあります。大津に暮らして4年目になりますが、初めてこの公園に行きました。琵琶湖の湖西の湖岸には、岸から少し突き出た地形があちこちにあります。そういうところは、しばしば「〜崎」という地名がついています。海や湖に突き出た地形のことです。琵琶湖のばあいは、河川が砂を運んだ結果、そのような突き出た地形が生まれているのだと思います。この公園のばあい、「〜崎」という地名はついていないようですが、やはり小さな河川が土砂を運んでできた地形のようです。公園ですから、人の管理がはいっています。古いヨシは刈り取られたようで、美しいヨシが芽吹いていました。水鳥たちも泳いでおり、素敵な雰囲気です。生き物の存在感を強く感じます。ところが驚いたことに、ヌートリアらしき動物もいるではありませんか。芽吹いたヨシの芽を食べているようでした。ほほえましい感じがするわけですが、特定外来生物です。このあたりではわかりませんが、農作物にも被害がでることがあるようです。公園には景色を楽しみに行ったのですが、琵琶湖で初めてヌートリアを目撃することになりました。びっくり。おそらく、あちこちに生息しているのでしょうね。

■私自身は、ヌートリアよりも魚の産卵を観察したいと思いました。この雰囲気だと魚の産卵を観察することができそうだからです。水際の浅瀬のヨシやマコモが生えているあたりに、バシャバシャバシャと水音をさせながら、コイやフナが産卵をするのです。でも、もうじきコロナウイルスの感染拡大のため閉鎖になります。残念。

「全国棚田(千枚田)サミット」高島市実行委員会・第3回準備会

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■昨晩は、再来年に高島市で開催される「全国棚田(千枚田)サミット」高島市実行委員会の第3回目の準備会が、高島市役所で開催されました。私もアドバイザーとして参加させていただきました。会の前半は、実行委員会や運営委員会といった組織体制に関して様々な説明が事務局から行われ了承されました。また、滋賀県の職員の方も出席されており、今年度に成立した棚田振興法の説明が行われました。

■会の後半ですが、それまでの少し堅い雰囲気の会議とは打って変わって楽しい雰囲気のなかで、参加者の皆さんとフリートークを行いました。事前に、市役所の方に、第1回、第2回の準備会で出た課題、地域資源、取り組み等を示した地図を用意していただくようにお願いをしていました。その地図を前に、2グループにわかれてフリートークを行ったのです。こういう形で、これまでの議論の中身を「見える化」すると、関心も高まるし、話も弾みます。

■高島市は、平成の大合併により、新旭町、マキノ町、今津町、朽木村、安曇川町、高島町が合併してできた自治体です。市の面積も滋賀県では二番目に広い自治体です。全市から人があつまると、必ずしもお互いに顔見知りというわけではないのです。しかし、地図を前に話を始めると、私のいたグループでは、前回の準備会で話題になった炭焼きの話、そしてそれに加えて薪の話で盛り上がることになりました。高島市内で炭焼きを復活させようと取り組みをされている団体が複数あっても、人のつながりがなければ、お互いにその存在に気がつくことはありません。知り合いになれば、お互いにいろいろ協力しあえることがあるのに、もったいない。集落やそれぞれの団体に閉じた形で活動をするよりも、もっとオープンにしたほうが、相互に補い合うような連携のネットワークが生まれる可能性が高まります。この準備会は、そのようなことに気がついていただく集まりになりました。

■もちろん、炭や薪は、自分自身で使ってもよいのですが、小さなビジネスにしていくためには、買ってもらわねばなりません。買って使ってもらわなければお金も生まれません。ただし、小さなビジネスは、赤字にはならないけれど、大儲けもできない、そこそこ利益があがって、活動自体が楽しい、知り合いができて楽しい、やりがいがある、充実感がある…そのような活動である必要があります。市内の商工業の現場で、あえて地元の炭や薪を使っていただくことで、何か付加価値のついた商品や製品を生み出すことができるかもしれません。地域の壁、団体間の壁、業種間の壁、セクターの壁を超えるような関係が、これから開催される予定の実行委員会で生まれれば良いなと思っています。お金が生まれることは大切なことですが、加えて大切なことは、「楽しさ」「面白さ」さらには「共感」かなと思っています。棚田サミットを契機に、地域の中にそのような動きが生まれてくると、素敵だなと思っています。その結果として、地域の中で、資源やお金が循環するようになって欲しいなと思います。

■以前、高島市の中山間地域では、炭焼きや薪づくりが、生活や生業の一部でした。冬の農閑期の仕事でした。昨晩、お聞きしたことですが、昔は、自分の持っている山に炭焼き窯を作り、周りの樹を切って炭焼きをしていたそうです。炭の材料になる樹がなくなったら、次の場所に移動します。もちろん移動は自分の山の範囲です。今まで使っていた窯は、放棄されます。新しいところに移動して、新しい窯を作ります。そうやって20年ほど移動していると、最初の窯の場所に戻ってきます。すると、そこにはまた炭焼きにちょうど良い太さに樹が成長しているのです。かつての窯は朽ち果てていますが、窯の後だともう一度窯を作ることは容易なのだそうです。こうやって、自分の山をローテーションで使いながら、炭を生産して自家消費とともに出荷されていたのです。

■「こんな炭焼き作業を、現代社会でできるわけがない…」と思われるでしょう。確かに、昔のようにはできないかもしれません。ただ、このような炭を欲しいという人が、もし地域の中にいれば…話は変わってきます。実際、楽しみで自分たちで炭焼きをしているグループがあります。あえて、炭焼きを経験してみたいという人がこの世の中にはおられるのです。自分で使う炭を自分で作ってみたい。そのことを楽しみたいという人たちに出会うことができれば…。私は、高島市であればそれが可能だと思っています。炭ではなく薪の話になりますが、薪と共に薪ストーブの販売、ストーブの設置と掃除をする小さな商店を経営されている若者がいると聞きました。高島市は、別荘が多い地域です。ニーズがあるのだと思います。面白いところに、目をつけられたなあと思います。別荘以外でも、もしストーブが静かな地域のブームになると、面白い展開になってくるなと思います。

■高島市って、都会とは違った意味で、とても「リッチ」です。素晴らしい。それはお金の力だけで生み出されるものではありません。人のつながりの中で、生み出されてくるものだと思います。まあ、そんなわけでして、昨日のフリートークの場は、そのような「妄想」を掻き立てられる大変刺激的な場でもありました。今後が楽しみだ〜。このような地域に関心のある大学関係者や学生の皆さんはおられませんか。連絡をください。地域の皆さんたちと一緒に、何か素敵なことを生み出せるように思っています。

【追記1】■次回からは、準備委員会ではなく、実行委員会がスタートするわけですが、できれば具体的な作業部会も開催するなどして、皆さんとグループワークなフリーディスカッションをしてみたいなと思っています。その時は、地域や団体の代表や役職者の皆さんだけでなく、女性、若い世代の方達、それから高島市に転入されてきた人たちにもご参加いただきたいと思います。

棚田サミット・高島市実行委員会第2回準備会

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■昨晩は高島市役所へ行ってきました。県外の皆様に説明させていただくと、高島市は琵琶湖の西に位置する自治体になります。その高島市では、再来年、「第27回全国棚田(千枚田)とサミット」が開催される予定になっています。昨晩は、その高島市実行委員会の第2回準備会が、高島市役所で19時半から開催されました。私はアドバイザーとして出席しました。最初は大変硬い雰囲気でどうしたものかと思っていましたが、しだいに固さも解れて、いろいろお話をいただけるようになりました。楽しかったな〜。単に「サミット」を成功させるのではなく、「サミット」をジャンピングボードにして、高島が現状をブレイクスルーしていくことにつながればと思っています。

■ある意味で異業種交流会のような感じなんですが、普段出会うことが無い方たちが、コミュニケーションすることで面白い展開になりました。ある方が「自分はこんなことをしていて。こんなことに困っている」と話すと、「そのことに関連して、こういうことをやっているんだけど、何か役に立てるかも」と話が展開していくわけです。お互いに相補う相補的な関係がその場にフッと浮かび上がってくるかのようでした。

■同じ地域に暮らす人たちでも、そのままでは相補的な関係を持てるわけではありません。お互いの存在も知りません。情報のやり取りもあまりありません。すぐそばにチャンスがあるのに気がつくことができません。見えない壁が存在しているのです。今回のような会議がきっかけとなって、そのような壁が低くなり、異業種が繋がり横の連携やネットワークが広がっていく中で、地域の内側から内発的に面白いアイデアや実践が生まれて、新しい地域ビジネスが誕生すればと思っています。

■今後は、若い方、女性(今日は1人もおられなかった…)、外からの移住者の方たちにも参加していただき、面白いワークショップができたら楽しいなと思っています。そのことを市役所の事務局にもお願いをしておきました。来月は第3回目の会議になります。楽しみです。というわけで、昨晩は会議の心地よい余韻に浸りながら、湖西線で帰宅しました。

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