瀬田キャンパスウッドデッキ整備の工事


昨日までとは打って変わり、今日はちょっと春のような雰囲気です。空には雲ひとつありません。どこかに出かけたいところですが、事務仕事があり、研究室に出勤しました。今日のキャンパスにはほとんど人が歩いていません。昼からは、吹奏楽部が練習している音がたまに聞こえててくるだけです。しかし、そのの長閑な雰囲気の中で、ウッドデッキの整備工事が進んでいます。結構、大きな音ですかね(^^;;。
このウッドデッキの杉の樹は、滋賀県高島市朽木の森林から切り出したものです。この切り出しにあたっては、瀬田キャンパスの学生の皆さんが見学されましたが、私も同行させていただきました。その時のことを個人ブログに投稿しています。
「高島市朽木で樹齢100年の杉を伐採します(その1)。」
「高島市朽木で樹齢100年の杉を伐採します(その2)。」
「高島市朽木で樹齢100年の杉を伐採します(その3)。」

▪️トップの動画は、完成時の様子がわかる大学広報です。山の中から杉の樹を切り出すところを見学していることもあり、このウッドデッキが出来上がることを大変楽しみにしています。下の写真は、今日の工事中の様子です。2号館の中庭にもウッドデッキが整備されるようです。新学期、学生の皆さんは驚くでしょうね。このような工事をしているからだと思いますが、今年の卒業式は、瀬田キャンパスではなく、近くにある県立体育館をお借りして挙行することになっています。この整備工事で、樹心館前は芝生になるようです。これまで、どちらかというとただ通過するだけの場所でしたが、新年度からは、瀬田キャンパスのシンボルとも言える樹心館の前で、多くの学生の皆さんがキャンパスライフを友達と一緒にさらに有意義に過ごしてくださるのではないかと思っています。
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八味丸

20230228hatimigan.jpg▪️今朝、撮りました。左が血糖を尿と一緒に排出するように促す薬と血圧を下げる薬です。毎朝、1錠ずつ飲むことになっています。右の八味丸、この前富山に旅行した際に観光で見学した和漢薬・漢方の薬店で購入したものです。

▪️昨日は月1回のクリニック、医師に両方飲んでも良いか伺ってみました。「いいですけど。今お飲みの薬の1/10も効果が無いですよ」と、否定的なご意見でした。でも飲んでも構わないとのことなので、せっかくだから飲み始めました。毎食後小さな粒を10粒。白い10個の穴の空いた匙で瓶から丸薬をすくいとって飲みます。左の西洋医学の薬はピンポイントで強い効果があるわけですが、右の和漢薬は、「腎」機能をじんわりと整える効果があるようです。まあ、信じて飲んでみることにしましょう。まあ、毎食後10粒というのが面倒ではありますが。この瓶を持ち歩くわけにはいきませんから、昼食後の分については、小さな袋に入れて持参するようにします。

「一病息災」と「怪我の巧妙」

▪️今日は、午前中は公益財団法人・平和堂財団の「夏原グラント」の審査会でした。「夏原グラント」では、「びわ湖およびその流域の自然環境の保全」に取り組むさまざまな実践活動、教育活動、研究活動に対して、その活動資金を助成を行っているのですが、今日は、その書類審査の日でした。審査会は午前中に終了し、午後からは瀬田キャンパスに向かい、「社会共生実習」の事務処理や、自分の研究費の事務処理のための作業を行いました。年度末に向かっていますから、いろいろあるんです。今月中にやらなくてはいけない作業が、あと3つあります。なかなか気持ちが落ち着きません。

▪️事務処理をいったん終えて、そのあとは、月1回の通院でした。かかりつけのクリニックで、毎月1回、血液検査をして血糖値の状況をチェックしてもらっています。今回は、HbA1cは「5.4」て正常の範囲内にありました。HbA1cは、糖化ヘモグロビンがどのくらいの割合で存在しているかをパーセント(%)で表したもので、過去1~2ヶ月前の血糖値を反映しています。つまり、きちんとコントロールできているということになりす。ちなみに、肝臓関係の数値等も正常の範囲内なんです。みなさんご存知のように、酒は呑んでいるんですが。ただ、糖質を含む日本酒やビールは呑まないようにしています。呑むのは、ウイスキーと焼酎。蒸留酒で糖質を含まないものですね。ウイスキーも薄いハイボール、焼酎の湯割りになります。食事の方も、糖質をできるだけとらず、ベジタブルファースト(まず野菜から、しかもしっかり食べる)を実践しています。この食生活に慣れてきているので、HbA1cも適正な数値を維持できているのではないかと思います。

▪️「無病息災」という言葉があります。「病気をせず元気であること」という意味ですね。それに対して「一病息災」という言葉もあります。これは、「ひとつくらい病気があった方が、かえって体に気を付けるので健康でいられるし、長生きできる」という意味のようです。長生きできるかどうかは、かなり疑わしいと思いますが、少なくとも自分の健康に注意し、配慮するようになっています。それは、「怪我の功名」なのかもしれません。

大著「命の嘆願書」が伝えるもの ジャーナリスト 井手裕彦氏講演会4/18

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▪️『命の嘆願書』の著者であるジャーナリスト・元読売新聞大阪本社論説委員・編集委員の井出裕彦さんの講演会です。『命の嘆願書』は、以下のような書籍です。

新聞記者生活の最後の年 著者はモンゴルへ向かった。「命」の呼称がある文書と言えば、第二次世界大戦中、ナチス・ドイツ の迫害から逃れようした多くのユダヤ人にリトアニアの日本領事館領事代理だった 杉原千畝が発給した「命のビザ」が知られる。一方、私が見つけた「命の嘆願書」 はモンゴルやロシアの公文書館の奥深くに「外交文書」や抑留の「公的記録」とし て厳重に保管され、誰の目にも触れず、歴史の中に埋もれようとしていた。 こんな抑留者やその妻、母、子がいた真実を置き去りにしたまま、出会った記録を 墓場まで持っていっていいものだろうか。新聞社を後にして筆を執ってから脱稿ま で三年を要したが、私は伝えずにはおれなかったのである。

▪️井出さんの講演会は、4月18日にギャラリー読売で開催されます。会場参加:700円、オンデマンド受講:500円 です。詳しくは、こちらをご覧ください

杉岡孝紀先生のこと

▪️土曜日の若林義人監督退職パーティーの際、来賓としてお越しになっていた入澤崇学長から、「今連絡があり、杉岡先生が亡くなられました」と小さな声で教えていただきました。杉岡先生は文学部に勤務されていますが、以前は、農学部にもご所属の時期がありました。龍谷大学では、「仏教の思想」という授業が必修になっており、それぞれの学部のこの授業を仏教を専門とされる教員が担当するのです。そのようなわけで、以前、杉岡先生は農学部に所属されていました。私は社会学部に所属しているので、杉岡先生とは深い交流はありませんでした。杉岡先生が学内で研究発表されている時にお話をお聞きした程度です。ただ、私がセンター長を務める龍谷大学世界仏教文化研究センターでは、杉岡先生に副センター長をお勤めいただいていました。センターの会議はその多くはオンラインではありますが、杉岡先生には、その会議の際にいろいろお世話になりました。

▪️昨日は杉岡先生のお通夜の日でした。葬儀場には、たくさんの僧籍を持つ方たちが集まっておられました。そのことは服装からわかりました。おそらくご同僚や後輩、大学院や学部の指導学生の方たちなのでしょう。葬儀場に入られたときには、身体の中から溢れてくるように南無阿弥陀仏とお念仏を唱えておられていました。自分の意思とは別にお念仏が口から出てくるというふうにしか感じられませんでした。葬儀の導師は、杉岡先生が住職をお勤めの岐阜県のお寺のお近くのお仲間の方でした。「正信念仏偈」を唱えました。お通夜に参列された方達の多くが僧侶であることから、場内には「正信念仏偈」を唱える声が響き渡りました。最近、通夜や葬儀に参列することが少しずつ増えてきましたが、今までこのような経験をしたことはありません。

▪️通夜は枚方で行われましたが、枚方に向かう途中、「りゅうこうブックス」という龍谷大学宗教部が発行している講演録を収めた冊子の、杉岡先生のご講演を読み直していました。ひとつは、「他者とは誰なのか」、そしてもう一つはこのYouTubeの動画にある「人間は一本の管、だが苦悩する管である」というタイトルのご講演です。私は、この杉岡先生の講演録を読んで、直接、先生がお考えになる「他者」という問題について、詳しくご教示いただきたいと思っていましたが、それは叶わないことになりました。大変残念です。「りゅうこくブックス」のバックナンバーのリンクも貼り付けておきます。

若林義人監督退職記念パーティー

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▪️24日(土)、京都コンサートホールでの退職記念コンサートに引き続き、ホテルグランヴィア京都で、若林監督の退職記念パーティーが開催されました。

▪️私と若林監督との最初の出会いは、瀬田キャンパスの生協食堂で開催された教職員の交流会(パーティー)の場だったと記憶しています。混み合う会場の向こうの方から、私の方に向かって来られるお二人の方がおられました。若林監督と児玉コーチでした。その時は、私がブログに龍谷大学吹奏楽部の定期演奏会のことや、クラシック音楽のことを投稿していることを知って、わざわざやってきてくださったのです。その時は、簡単なご挨拶と名刺交換だけだったのですが、数年後(たぶん)、2019年に吹奏楽部の部長に就任することになりました。あとで監督ご本人からお聞きしましたが、あの名刺交換が、ある意味で部長就任に向けての「布石」のようなものだったようです。

▪️部長就任後は、元々龍谷大学吹奏楽部のファンでもありますし、吹奏楽の経験はないけれど音楽は大好きでしたから、練習にもたびたび見学に通ってきました。部長の仕事を通して、音楽を楽しんでいた…というのが正直なところなのかもしれません。

▪️部長に就任してすぐに気が付いたこと、それは吹奏楽部の「部訓」でした。吹奏楽部の「部訓」は「音楽・感謝」です。世の中一般の部訓と比較して、なんだかシンプル過ぎるな〜というのが最初の印象でした。しかし、すぐに「音楽・感謝」の意味がわかってきました。大学の、それも龍谷大学の吹奏楽部に所属して音楽に取り組むということは、相当の時間とエネルギー(体力、精神力、そして経済力も)を吹奏楽のために費やすことになることにきがついたからです。もちん、個々の部員の皆さんは、しっかりと自分自身をコントロールされているわけですが、その背後には、応援してくださるご家族の皆様、励ましてくれる友人たち、楽器や音楽を指導してくださる指導者の先生方、そして練習場や活動資金に関して活動を応援してくれている龍谷大学、演奏会で自分の音楽を聴いて感動してくださる観客の皆様(そうやって感動していただくことが一番の励みになります)、いろんな方たちの存在があるのです。自分たちが、大好きな音楽に取り組み、全国一の学生バンドとして評価していただけるのは、そのような方たちの存在抜きには考えられない。それが、「音楽・感謝」の部訓の意味なのではないかと、私はずっと思ってきました。

▪️記念パーティでは、いろんな方達とお話をしました。パーティー会場を巡っていると、同い年のOBの方がいらっしゃいました。その方と、同じテーブルにいた方達は、そのOBの方の先輩でした。1970年代、吹奏楽部はまだ同好会のような小さな存在でした。本当に音楽が好きで、吹奏楽に取り組みたいという純粋な気持ちから活動をされていました。もちろん、いろんな問題や課題が発生していたようです。しかし、それらを乗り越えて活動を継続してきてくださったからこそ、今の龍谷大学吹奏楽部が存在しているのです。現在200名(卒部した4回生も含めて)を超えるまでに成長した吹奏楽部の、最初の礎、小さいけれどもしっかりと礎を築いてくださったOBOGの先輩方に心より感謝したいと思います。

▪️今回の記念行事では、OB・OG会の皆さんがしっかり準備と運営をしてくださいました。若林監督のご退職というタイミングで、OB・OG会の結束力が一層高まったように思います。大学の課外活動は通常4年間のみです。OB・OG会の同窓会活動がなければ、交流することはありません。そのあたりのことを、部長として少し気にしていました。今回のコンサートとパーティーにより、OB・OG会の活動がさらに活発になるような気がしています。そして、組織力を強化していただき、現役の部員の皆さんの音楽活動を、笑顔で静かに支えていけるような存在になっていただきたいと思います。期待しています。写真についても説明いたしましょう。

▪️1枚目は、OBの方1人を離さないうにして、スピーチをする若林監督です。ひょとして、若林監督はシャイ…なんでしょうか。2段目左は、竹林先生とのツーショット。竹林先生には、フルートのご指導はもちろんのこと、バンド全体のことについても細かなご指導をいただいています。コンクール等では、本当にお世話になっています。感謝です。2段目右は、私も写っています。龍谷大学吹奏楽部が大変お世話になってきた作曲家の酒井格先生と日景貴文先生と一緒に写真を撮らせていただきました。あはは、ミーハーですね。嬉しかったです。3段目右、龍谷大学吹奏楽部の十八番である「ブラジル」です。現役部員とOB・OG会の皆さんが合同で演奏しています。盛り上がりました。実に楽しそうです。動画から画像をカットしたので、少しブレています。指揮をしているのは児玉コーチ、指揮棒ではなくてフォーク。3段目右は、龍谷大応援リーダー部の皆さんに、エールをきっていただきました。ありがとうございます。

▪️パーティーの後は、近くの居酒屋で二次会。現役部員の皆さんとも、もっともっと話をしたかったんですが、ちょっと残念です。それでも、いろんな部員の方達とお話ができました。かわいそうなのは、現役の部員の皆さんは、青いブレザーを着用しており、お酒は厳禁。我慢されている方もおられたでしょう。パーティーを盛り上げてくださいました。パーティーには、関西の他大学の吹奏楽部の指導者の皆様、学外指導者の皆様、お世話になっているたくさんの皆さまがご参加くださいました。ありがとうございました。「音楽・感謝」です。

龍谷大学吹奏楽部特別演奏会「若林義人監督退職記念コンサート」当日のこと

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▪️昨日、京都コンサートホールで「若林監督退職記念コンサート」が開催されました。プログラムは以下の通りでした。

【第I部】現役生ステージ
マーチ「ゴールデン・イーグル」(作曲/A.リード)
坂本九コレクション(作曲/坂本九 編曲/金山徹)
プスタ~4つのロマの舞曲~(作曲/J.ヴァンデルロースト)

【第II部】OB・OGステージ
ポロネーズ「戴冠の春」本演奏会委嘱作品(作曲/酒井格)
アマポーラ(作曲/J.ラカジェ 編曲/小杉比)
高度な技術への指標 ( 作曲/河辺公一)
さくらのうた (作曲/福田洋介)
シンフォニア・ノビリッシマ (作曲/R.ジェイガー)

【第Ⅲ部】合同ステージ
大序曲「1812年」 (作曲/ P.I.チャイコフスキー 編曲/松本昇一)

▪️当日のプログラムは、こちらからご覧いただけます

▪️教えてもらったのですが、龍谷大学吹奏楽部 OB・OG 会 220 名、龍谷大学吹奏楽部現役生 150 名、あわせて370名の皆さんがこの日、ステージで演奏されたようです。OB・OG会の皆さんは、昨年の秋から、仕事の合間を縫って深草キャンパスや瀬田キャンパスに集まり、練習を積み重ねて来られました。関西に暮らしておられる方はまだ良いのですが、ご自宅が遠方のため、練習ホテルに宿泊して練習に参加された方もいらっしゃった聞いています。

▪️若林監督には40年にわたって龍谷大学吹奏楽部をご指導いただきました。最初の頃に指導を受けられた方は、もう還暦を超えておられます。そのようなわけで、【第Ⅲ部】合同ステージの大序曲「1812年」の演奏は圧巻でした。ステージだけでなくステージの背後にあるポディウム席にも150名ほどの方達が並んでバンダ隊として演奏を行いました。親子以上に年齢差のある方達が、指導を受けた若林監督の指揮のもとで一緒に演奏を行う…。ものすごく感動しました。きっとそれぞれの方が、若林監督との大切な思い出を胸に演奏されたのではないかと思います。ありがとうございました。昨日のコンサート、 YouTubeで配信されました。まだ、録画したものを視聴することが可能なようです。2時間17分20秒のあたりから、「1812年」の演奏が始まります。

▪️コンサートの最後では、入澤崇学長と赤松徹眞校友会会長(前学長)から花束の贈呈が行われました。このことからも、若林監督と吹奏楽部がどれだけ龍谷大学に貢献してきたのかが伝わってきます。コンサートの後は、ホテルグランヴィア京都で記念パーティーも開催されました。たくさんの皆さんと少しずつお話をさせていただきました。そのことは、また別の投稿にしたいと思います。

▪️来年度からの指導体制ですが、定年退職後も、若林義人監督には桂冠指揮者として引き続きご指導いただくことになっています。新たな音楽監督には現在監督補佐をお務めいただいている外囿祥一郎先生が就任され、児玉知郎コーチとともに学生の指導を担っていただくことになります。私事ではありますが、来年度は特別研究員に就任するため、学内ルールで課外活動の部長を務めることはできません。そのため、社会学部の同僚でもある栗田修治先生に代理をお務めいただくことになっています。

龍谷大学吹奏楽部特別演奏会「若林義人監督退職記念コンサート」リハーサル

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▪️本日23日はリハーサル、明日24日はいよいよ「若林監督退職記念コンサート」が開催されます。OB・OGの皆さん、そして現役の皆さんが演奏されます。龍谷大学吹奏楽部 OBOG 会 220 名、龍谷大学吹奏楽部現役生 150 名、あわせて370名の皆さんが出演いたします。さらに、普段指導をしてくださっている学外の先生方も一緒に演奏してくださいます。ありがとうございます。私は、例によっているだけなんですが、明日のリハーサルから見学させていただきます。

【追記】
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▪️今日は、「若林監督退職記念コンサート」のリハーサルを、京都コンサートホールで行いました。この写真は、3部の最後の曲。チャイコフスキーの「1812年」です。OBOGの皆さんと現役生の皆さん、あわせてこれだけの人数で演奏します。すごいです‼︎

明日お越しいただけない皆様も、ぜひこちらのYouTubeでご視聴ください

【開催日】2024年2月24日(土) 
【開場】13:00
【開演】13:30
【会場】京都コンサートホール
【出演】若林義人 / 外囿祥一郎 / 児玉知郎
龍谷大学吹奏楽部 / 龍谷大学吹奏楽部OB・OG会

【プログラム】
構成
第Ⅰ部 現役ステージ
第Ⅱ部 OB・OGステージ
第Ⅲ部 合同ステージ

曲目
シンフォニア・ノビリッシマ / R.ジェイガー
アマポーラ / J.M.ラカーリェ
高度な技術への指標 / 河辺 公一
さくらのうた / 福田 洋介
特別演奏会委嘱作品 / 酒井 格
大序曲「1812年」 / P.I.チャイコフスキー 他

冬の立山連峰

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▪️少し前の投稿で、20日、富山県美術館に行き、そして企画展「倉俣史郎のデザイン 記憶の中の小宇宙」を観覧しましたことを投稿しました。旅行の途中に、NHKの美術番組「日曜美術館」で知った倉俣史郎さんの企画展を観覧できたのは良かったです。ただし、残念なことも。繰り返しになりますが、この美術館からは晴れていれば立山連峰がバッチリ眺めることができるはずなのです。美術館の2階から屏風のように横に広がる立山連峰が見えるはずなのですが…、残念でした。

▪️最終日の21日。富山市の中心市街地から日本海の方の海岸や神通川の河口のあたりに岩瀬という場所があります。江戸時代は北前船がやってくることで大変栄えていたようです。ここには、「満寿泉」(ますいずみ)の銘柄で知られる枡田酒造店があります。こちらの酒造会社も、北前船の歴史と関係しているようです。今回の富山旅行での私の目的のひとつは、この岩瀬にある廻船問屋の森家の屋敷を訪問することでした。北前船に強い関心があるからです。ところが、元旦の震災のため、森家の屋敷、現在は立ち入ることができなくなっていました。残念。この日はとても寒く、この岩瀬の町中をゆっくり散策することはできませんでしたが、雰囲気の良い街並みでした。先ほどの枡田酒造店の社長さんは、まちづくり会社を発足させて、この地域の活性化に取り組んでおられるようです。詳しくは、こちらをご覧ください。この中にある「自分のため、身近な人のために行う切実な「まちづくり」」というのが素敵だなと思いました。

▪️で、この岩瀬でどこに行ったかというと、富山港展望台に登りました。神通川の河口の近くに25mほどの展望台が建設されているのです。昭和60年だそうです。写真は、この展望台からの景色です。冷たい雨が降って、さらに強い風も時々吹いてきます。そのような天気ですから、遠くは真っ白。晴れていれば、ここから立山連峰がバッチリ見えるはずなんですが。ガラス窓に、山々の輪郭が書いてあります。ただ、土地の皆さんにお聞きしても、一冬の間に、空が真っ青に晴れ渡って、雪の立山連邦がバッチリ見える日は限られているといいます。さあて、困りました。

▪️そこで思いつきました。天気予報の1週間程度の予報を元に、富山の天気の移り変わりを確認して、市内に設置されたライブカメラで確認するのです。早朝、空が晴れ渡って立山連峰がはっきり見えそうだと確信を得たら、急いで、富山に向かうのです。昼から夕方まで景色を堪能して、晩は、とても深い富山湾の地形と立山からの湧水により育った美味しい海の幸を堪能するわけです。良いプランです。来年の冬こそは、実現させたいと思います。

▪️もうひとつ。動画を。こんなふうに見えるらしいです。

立山連峰からの海底湧水と富山湾の深さが生み出す海の幸

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タラの白子のポン酢/本ズワイ蟹の身とカニ味噌共和え
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写真を撮る前に思わず一切れ食べてしまった「プリシャブポン酢」/シロエビの天ぷら
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アナゴの白焼/カニ焼売
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ツナとクリームチーズのリエット

▪️2月19日から21日までの富山旅行で、富山の海の幸、いただきました。ありがとうございました。20日の晩のお店は「吟魚」さん。人気店で、予約しないと難しいお店のようです。私も予約して行きました。というのも、大津駅前のいつもの居酒屋「利やん」にお越しになったお客さんから、「富山に行くのならば吟魚でしょ」と教えていただいていたからです。写真の魚を中心とした料理以外に、野菜の料理についてもきちんといただきました。血糖値の管理しています。

▪️ところで、どうして、こんなに美味しい海の幸が豊富なのか。それを知るためには、富山湾を地学的・生態学的な側面から理解する必要があります。こちらの「富山の魚が美味しいのは、海底の地形に理由がある」では詳しく説明されていますね。「一年中が、旬。うまさすぐそこさかなは富山」というサイトの中でも、「富山のさかながうまい理由」が説明されいます。

「天然のいけす」富山湾
日本近海には約3,400種の魚がいて、そのうち日本海には約800種、
そして富山湾には約500種の魚がいると言われています。
立山連峰の標高は約3,000m、富山湾の水深は約1,000m。
この4,000mもの高低差が、富山湾のお魚のおいしさの最大の秘密。
大自然の滑り台のような高低差のおかげで、立山連峰の森の成分と酸素をたっぷり含んだ水が富山湾に注ぎ込んでいます。

▪️以下は、自然科学的な立場から富山湾の特徴について説明しているサイトです。富山湾の海底からは湧水、水が湧き出ているそうです。これは、立山連峰の山々に降った雨が、山の腐葉土の中で栄養をたっぷり吸収して、それらの水は地下水として海に運ばれて海底湧水として噴き出しているのだそうです。もちろん河川の水も海に栄養分を補給する役割を担っているのですが、湧水は時間をかけて地下を流れるので、窒素やリンなどをたくさん吸収しており、河川の水と比較してはるかに栄養分が豊富なんだそうです。そのような栄養分が富山湾の生態系を豊なものにして、美味しい海の幸を生み出すことになるのです。
「『木一本、鰤千本』-豊かな海を育んだ海底湧水の秘密(張勁・富山大学教授)」
「巡回する水、つながる水~日本海と富山湾の調査から~」(富山大学大学院理工学研究部 教授 張勁)
「富山の水循環から世界へ〜気候変化が地下水・沿岸海域・海洋生態系へ与えるインパクト〜」(地球生命環境科学専攻 博士課程1年 片境紗希)

▪️富山湾面白いですね。背後には立山連峰、加えて富山湾は水深1,200m。その落差は4,000m。短い距離の間で、これだけの落差がある地形は世界的に見ても珍しいそうです。その富山湾の地形は能登半島とも関係しているのでしょうね。どうして富山湾はこんなに深いのか、調べてみます。もう一度、この辺りのことをしっかり勉強することにします。再び、富山に行きたいと思います。

【追記】▪️こうやって豊な海の幸が生み出される背景を調べると実に楽しいですね。「大人の修学旅行」といった感じです。ひとつ前の投稿「扇状地と湧水」も含めて、地学、地理、歴史、生態、そして美味しい食事も含めて、富山を堪能しました。楽しめました。こういう「大人の修学旅行」が、滋賀県でも、「世界農業遺産 琵琶湖システム」をテーマにして実施できたら良いなというのが、私の願望なのです。「琵琶湖システム」が生み出す食材を「点」として消費するだけでなく、それらがつながって「線」になり「面」担って、それらを「舌」と「頭」と「心」で味わえるような「大人の修学旅行」。これから考えていきます。

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