雨森鼎さんのこと

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▪️この前の金曜日は大学で仕事をした後、雨森鼎さんからお誘いをいただき、大津駅前のいつもの居酒屋「利やん」で合流しました。当初は、安孫子邦夫さんもご一緒できるはずでしたが、この日はご都合でお越しになれませんでした。雨森さんも、安孫子さんも、地域連携型教育プログラム「社会共生実習」「大津エンパワねっと」でお世話になってきました。お2人とも人生の大先輩ですが、今では同時に楽しい飲み友達でもあります。

▪️この日、雨森さんからはいろいろな話題でお話をしてくださいましたが、なかでも「長江再会」という映画については丁寧に解説をしていただきました。私は、かつて長江のごく一部、武漢や岳陽のあたりですが、漁労の調査をしていた時代があり、武漢から岳陽までわざわざ客船に乗って移動したこともあります。その時は、後漢末期に起こった、曹操軍と孫権・劉備連合軍の間の戦い「赤壁の戦い」で有名な場所を通過しました。でも、この「長江再会」は、スケールがとてもでかいです。こんな映画です。

中国の母なる大河·長江。上海、南京、武漢、重慶、雲南、チベット高原まで、広大な中国大陸を横断する、全長6300キロのアジア最大の大河だ。日本人監督の竹内亮は、10年前にNHKの番組で長江を撮った時、一つの後悔があった。それは北極・南極に次ぐ地球第三の極地と呼ばれるチベット高原にある「長江源流の最初の一滴」を撮れなかった事。あれから10年、日本から中国南京市に移住し、「長江沿いの民」の一人になった竹内は、2021年から2年かけて再び長江6300キロを走破する。旅の途中で10年前に撮影した友人たちと再会しながら、一本の大河を通して中国の10年の変化を見つめ、今度こそ「最初の一滴」をカメラに収めるべく、長江源流をめざす。

雨森さんは、年間映画館に相当の回数通っておられます。何十回だったかな。映画通です。80歳になられますが、今も好奇心旺盛、そして私とも呑まれます。お元気ですね。私もこういうふうになりたいなあ。

李広志先生(寧波大学外語学院日本語学科)のブログ

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■先月、中国浙江省寧波市にある寧波大学外語学院日本語学科を訪問しました。その時のことは、「寧波大学外語学院(中国・浙江省・寧波市」(3月27日)として投稿しました。そのエントリーにも書きましたが、急遽、日本語学科の教員で友人でもある李広志先生の授業で講演をすることになりました。その時のことを、李先生ご自身も中国のミニブログに投稿されており、先日、メールでお知らせくださいました。李先生が使っておられるのは、中国最大のSNSであるWeibo(微博)です。

■私は中国語ができませんが、ネットの翻訳機能を使って理解すると、およそ次のような内容のようです。

龍谷大学の脇田健一教授が来訪されました。そして、学生達のために一回だけですが、すばらしい講義をしてくれました。彼自身は社会学の教授です。高齢社会、老人の貧困の問題、子供、医療、女性、精神の幸福などの問題を講座の中で取り上げました。10年前に、私たちは、脇田教授と力を合わせて東アジアと寧波地区の葬儀と埋葬の風習に関して研究したことがあります。彼は学生に対して、言語を一つの道具であり、その道具を活かして専門性を身につけてはどうかと勧めました。言い換えれば、言語は包丁であり、専門性は食材です。

■やはりネットの翻訳機能だとわかりにくいですね。最後のところですが、日本語を勉強している学生たちに、その語学力を活かして、日本に留学して語学とは別の専門性を身につけるようにしてはどうか…ということを勧めたのです。その際、語学=道具=包丁と、専門性=食材という比喩を使ったので、その時のことを説明されているのだと思います。よく切れる包丁を持つことを最終的な目標にするのではなくて、そのよく切れる包丁を使って食材を切ったり刻んだりする事ができるようになることが大切なのでは…ということでしょうか。

寧波大学外語学院(中国・浙江省・寧波市)

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■3月21日(火)から23日(木)までは、中国の湖北省・武漢市にある華中師範大学を訪問しましたが、23日には浙江省・寧波市にある寧波大学外語学院に移動しました。寧波大学外語学院では、外語学院と本学の社会学研究科とが締結した入試協定に関して協議を行いましたが、加えて、友人でもある李広志先生の日本語の授業で、急遽、講演をすることになりました。講演の内容は、「龍谷大学大学院への留学の勧め」…のような感じです。みなさん、熱心に私の話しを聞いてくださいました。ありがとうございました。トップの写真は授業の最後に撮った記念写真です。

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■寧波大学でも、宿泊は隣接する大学が経営するホテルでした。朝食はホテルでの中華風のバイキングになるのですが、どこの街のホテルに行っても似たような料理なってしまうので、大学に隣接する学生街の食堂に出掛けることにしました。ホテルから数分のところにある「上海特色生煎」というお店です。上海の名物である「生煎」を売っています。これは餃子のような包子の一種で、大きな鉄板で焼いて作ります。皮はもちろん小麦粉ですが、日本で食べる餃子よりも肉厚です。片側はしっかり焦げ目が付いています。まずは、焦げ目が付いていない、柔らかい方を少しかじって中身の肉汁を吸います。スープのような感じです。ちょっと、小龍包(ショウロンポウ)に似ています。そして、黒酢や唐辛子味噌をつけていただきます。このお店に来たのは、しばらくぶりでしたので食べ方を忘れていました。口の中ではなく、テーブルの上に肉汁を飛ばしてしまいました。4個で5元。日本円で80円ぐらいです。さすが学生街です。とても、安いですね。

■このお店のある学生街は、元々、(良い意味で)小汚い場所でした。個人的な感覚では、落ち着く場所でした。ところが、寧波大学の創立30周年事業のなかで整備され、すっかり小洒落た今風の場所に変わってしまいました。創立30周年ということから、寧波大学はまだ若い大学であることがわかります。鄧小平の指示でできた大学だからです。学生街の一角には、この学生街の整備過程についてのパネル展示がありました。最後の写真が、そのパネル展示の1枚です。昔の「上海特色生煎」の店の様子が写っています。私個人としては、街の景観の中にある「履歴」が一気に消えてしまったようで、ちょっと残念です。

20170327ningbo7.jpg■この写真はホテルの部屋から撮ったものです。この日は団体が宿泊しており、通常の部屋は満杯。結果として、2部屋あるスイートルームに宿泊することになりましたホテルの側の事情なので、宿泊代金は普通の部屋と同じです。ちょっと、ラッキーという感じですね。窓からは、立派な大学のグランドが見えます。そのグランドの向こうに見える高層マンションは、こちらの中産階級の方達が購入されるタイプのものです。日本円で3000万円ぐらいだそうです。100平米は確実にあると思います。その手前には、横長のものが見えますが、これは鉄道です。寧波大学は寧波市の郊外にありますが、市内を走る地下鉄が大学の少し手前から地上に出て、その後は高架を走ります。寧波大学に初めて来た10年前には、まだありませんでした。完成してから2年程ではないかと思います。経済力をつけた中国社会はどんどん変化しています。発展することは良いのですが、バブル経済っぽいところが気になります。また、中国のどの街の風景・景観も、みんな似たような感じになってしまっていることも気になります。そのことを問題視する方たちも、こちらにはいます。

華中師範大学外国語学院(中国・湖北省・武漢)

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■先週の21日(火)から昨日の25日(土)まで、中国に出張してきました。今回も、大学院社会学研究科の「東アジアプロジェクト」に関連する出張です。ここで「東アジアプロジェクト」に関する説明はいたしませんが、ぜひ過去のエントリーをお読みいただければと思います。私は、「東アジアプロジェクト」で中国を担当しているのですが、2016年度末まで研究部長を務めているため、なかなか出張の時間が取れず、結局、年度末になってしまいました。今回の出張では、湖北省武漢市(長江中流域)にある華中師範大学外国語学院と浙江省寧波市にある寧波大学外語学院(沿岸域)を訪問しました。まずは、華中師範大学のことから報告したいと思います。

■21日は、始発の電車に乗り、滋賀県から関西国際空港に向かいました。関空から上海浦東空港へ。そのあとは上海から武漢空港へと飛びました。写真は、湖北省の武漢空港に着陸する前に撮ったものです。長江流域であることから、その周囲も「水っぽい」場所が広がっています。地図を広げて眺めていただければわかりますが、武漢の周囲には、長江が氾濫することで生み出された大小様々な湖があります。また、水路も発達しています。そのような環境ですから、元々、淡水魚を対象とした漁業が行われてきました。現在では淡水魚の養殖も盛んです。また、「水っぽい」環境であることから、蓮根も名物です。「南船北馬」という言葉は、このような環境から生まれたのでしょう。

■武漢空港に到着すると華中師範大学外国語学院日本語学科の学生、呉くんと王さんが迎えにきてくれました。呉くんは大学のある武漢の人です。つい最近まで、1年間、交換留学生として東京の武蔵野大学で勉強していました。王さんは東北地方の長春の出身。彼女は日本語弁論大会で2位になりました。今週末、中国の学生団の1人として来日する予定です。2人とも、とても優秀です。中国語のできない私は、とても助かりました。夕食は、こちらの先生も混じって、武漢料理を美味しくいただきました。名物の蓮根のスープがとても美味しかったです。こちらの蓮根は、熱を加えると芋のようにホクホクした食感になります。

20170326wuhan8.jpg ■華中師範大学外国語学院では、学生対象の講演を行いました。講演会には1年生から大学院生まで参加してくれました。3年生以上は、私の日本語がわかります。すごいことですね! 短期で集中的に練習するので話せるようになるのです。さすがに、1年生はまだ無理、2年生も少し難しい…。ということで、私にアテンドしてくれた呉くんと王さんが通訳をしてくれました。講演のタイトルは「大学と地域社会の連携」。講演会は午後からでした。午前中は、私く院長になった先生にご挨拶をした後、呉くんと王さんに、この日の講演の内容をあらかじめレクチャーすることにしました。すごく反応が良いといいますか、飲み込みが早いので、助かりました。講演会ですが、お2人の通訳のおかげで楽しい講演会になりました。講演会の最後には質疑応答の時間がありました。講演会が終わった後にも、恥ずかしがり屋の学生2人が、そっと質問をしに、そして感想を伝えに来てくれました。まだ日本語がうまく話せないのですが、一生懸命私に自分の考えを伝えようとしてくれました。2年生でした。このような経験は、日本ではあまりないので、とても嬉しかったな〜。写真は、講演の最後に、「みんな、一緒に写真に写ってくれよ!」とお願いをして撮ったものです。

東湖の風景

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20160309katyu7.jpg■今回宿泊した常宿であるホテル「桂苑」の部屋は12階にありました。北向きだったので、部屋の窓から東湖の一部が見えました。東湖は、中国の都市内にある湖としては最大のものだと聞いています。この東湖の風景を眺めながら、25年ほど前のことを思い出しました。

■30代前半の時代の話しです。当時、私は滋賀県教育委員会文化施設開設準備室に勤務していました。文化施設開設準備室とは、滋賀県立琵琶湖博物館(1996年開館)と滋賀県立芸術劇場びわ湖ホール(1998年開館)の開設準備に取り組む部署でした。私自身は、1991年から博物館担当の学芸技師として働き始めていました。そして1992年に、当時、将来の博物館館長候補として勤務されていた、京都大学生態学研究センター名誉教授の三浦泰蔵先生と一緒に中国を訪問し、その際、東湖の畔りにある中国自然科学院水生生物研究所を訪問したのでした。現在、東湖に行くと立派な研究所の建物が見えますが、当時は古い小さな建物でした。しかしながら、この研究所は中華民国の時代に設立された歴史を持っており、研究所の収蔵庫には、たくさんのタイプ標本(新たに種の学名を付けるための記載論文中で使用され,学名の基準として指定された標本)をはじめとする多種多様な魚類標本が収蔵されいました。国際的な淡水生物の研究センターとしても有名でした。

■しかし、今一番思い出すのは、仕事の事よりも、併設された宿泊施設に泊まった時のことです。宿泊施設は、2階建てのテラスハウスのような建物で、食事は、賄いのおばあさんが作ってくださいました。食事時になると、1階から「めし、めし〜」と呼んでくれるのです。初めてコイ科魚類の一種である武昌魚(ダントウボウ)をいただいたのも、その賄いのおばあさんの料理ででした。毛沢東が好んだと言うこの武昌魚、とても美味しいのです。その時以来、武昌魚は私の大好物になりました。

■この宿泊施設の周りには、古ぼけた集合住宅が建っていました。窓の外には洗濯物が干してあり、生活感が溢れていました。現在は違いますが、当時は、「単位」という制度が生きていたと思います。「単位」とは、社会主義の中国における基礎となる組織のことです。都市部に暮らすすべての人びとは、職場を中心とした何らかの「単位」に所属しており、給料、住宅、退職金、そして年金など、人々の一生をこの「単位」が面倒を見ていました。研究所の敷地内の道では、研究者をリタイアした老人が孫の世話をされている風景なども、よく見かけました。まあそんなわけでして、「桂苑」の12階から見える東湖の風景を見ながら、四半世紀前のことを懐かしく思い出したのです。

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■武漢市を省都とする湖北省は、省の名前からもわかるように「湖の北」にあります。湖とは、中国で2番目に大きい洞庭湖のことです(ちなみに洞庭湖の南側にあるのは湖南省です)。洞庭湖は、アジア最長の河川である長江の天然の遊水地の役目を果たしています。長江を流れる大量の水を受け止めています。しかし、長江流域の湖沼は洞庭湖だけではありません。上の地図をご覧ください。武漢の中心地域は、華中師範大学のある武昌と、長江の対岸にある漢口と漢陽の3地域から構成されていますが、郊外も含めた武漢市域全体では、こんなにたくさんの湖沼があります。そのようなこともあり、湖北省は「千湖之省」といわれています。淡水魚を使った料理が有名です。宴会のさいには、必ずといってよいほど淡水魚の料理が出てきます。淡水魚というと、日本人は泥臭い魚と思うかもしれませんが、上手に料理してあるのでとても美味しくいただくことができます。また、レンコンも有名です。いろんな料理にレンコンが使われます。レンコンは湿地帯で生産されますから、このような湖沼の多い地域は生産に適しているのでしょう。

■味付けですが、淡白なものから辛いものまで、様々な料理があります。中国の地図をご覧いただければわかりますが、湖北省や武漢市は、華中地域の中心都市です。しかも「九省通衢」=「9つの省へのつながっている」という表現からもわかるように、歴史的に人や物が行き交ってきた都市であるため、各地域からの様々な調理の仕方が入ってきているそうです。各地域の調理法と地元の食材を使って武漢の料理は出来上がっているのです。武漢に行くと、毎回、「千湖之省」に相応しい美味しい郷土料理をいただくことができます。日本では中華料理というと広東料理が中心になりますが、実際に中国に行ってみると、中華料理とは言ってもその内容は非常に多種多様であることがわかります。料理は、その地域の歴史、そして風土や環境を見事に表現しています。

華中師範大学のホームページ

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■先日、華中師範大学を訪問したときのことが、同大学の外国語学院と社会学院のホームページに掲載されました。中国語はよくわからないのですが、かなり協議の内容にまで踏み込んだ記事になっています。トップの画像は、外国語学院のホームページの写真です。左から華中師範大学社会学院の万仁徳先生、私、外国語学院日本語学科の李俄憲先生です。3者で力をあわせて、留学生の受け入れや研究・教育交流を進めていこうという気持ちが伝わってくるでしょうか。

■以下は、その他の今回の訪問に関する記事です。
日本龙谷大学脇田教授一行与我院领导商讨“推荐日语系应届毕业生免试入龙大读研”协定
日本龙谷大学脇田健一教授一行访问我院圆满落幕
胁田健一:希望中国大学生来龙谷大学交流学习

2014年春の「黄鶴楼」

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■前回のエントリーにも書いたように、武漢市で訪問した障碍者福祉施設は、とても有名な「黄鶴楼」の近くにありました。そのようなことから、万先生(華中師範大学社会学院)が「黄鶴楼」を案内してくださることになりました。私自身は、昨年も連れて行っていただきましたが、今回は一緒に訪中した原田達先生と大塩めぐみ先生が初めてということで、私も一緒に「黄鶴楼」に登ることにしました。じつは遠い昔、まだ30歳半ばの頃にも来たことがあります。ということで、私個人は3回目の登楼ということになりました。

■昨年のことについては、「李白と黄鶴楼」としてエントリーしています。こちにもご覧いただければと思います。李白のこれまた有名な「黄鶴楼送孟浩然之広陵」(黄鶴楼にて孟浩然の広陵に之くを送る)という漢詩について、少し説明しています。前回は、あまり景色がよくありませんでした。写真をご覧いただければわかりますが、今回は、長江の対岸を一応ながめることができました。

20140324bukan4.jpg■対岸とのあいだにかかっている橋があります。大きな橋ですね。武漢長江大橋です。上下2層の構造で、上が4車線の道路と歩道、下が複線の鉄道です。全長は1,670mですから、簡単に歩いて渡ることができますね。空気は悪そうですが、一度、経験をしてみたいものです(わざわざ歩くなんて私がいいだすと、案内してくださる華中師範大学の皆さんは困るかもしれませんね…)。下の鉄道も気になります。京広線というのだそうです。北京と広州とをつなぐ鉄道大動脈というところでしょうか。私たちが「黄鶴楼」から武漢の街を眺めているときも、楼閣の横を列車が通過していきました。ところで、このトップの写真は自分で撮ったものですが気に入りました。ということで、今、パソコンのデスクトップ画面にはりつけています。

【追記】■せっかくですから、1回目の登楼のときのことについても書いておきたいと思います。1回目は、初めて武漢を訪れたときです。だいたい20年ほど前のことかと思います。当時、私は滋賀県立琵琶湖博物館の開設準備室に勤務していました。滋賀県庁職員でした。琵琶湖博物館の展示等の準備の関係で、館長予定者でもあった三浦泰蔵先生と一緒に、武漢市内の東湖の畔にある中国自然科学院・水性生物研究所を訪問しました。懐かしい思い出です。武漢の水性生物研究所には、その後、博物館の調査の関係で2回ほど訪問していますから、武漢にはこれまでに5回来ている…ということになりますね。少し、三浦先生に関しても調べてみました。じつは、三浦先生は、琵琶湖博物館の館長に就任することなく、1993年にお亡くなりになりました(琵琶湖博物館の開館は1996年)。晩年は、東湖の研究に打ち込んでおられました。以下の文書は、森主一さんが書かれた三浦先生の追悼文です。
三浦泰蔵くんを偲ぶ

華中師範大学での協議と福祉施設の訪問

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■中国出張に関して、もう少しだけエントリーしておきます。

■湖北省・武漢市にある華中師範大学の社会学院と外語学院を訪問し、22日の午前、私たち社会学研究科が進めている「東アジアプロジェクト」に関して、三者で協議を行いました。このことについては、先日のエントリーでもお伝えしました。龍谷大学大学院社会学研究科の福祉学専攻に進学を希望する学生の日本語教育に関しては外語学院日本語学科が、社会福祉学の教育については社会学院が担当し、推薦入試制度を通して優秀な留学生を送り出しす…そのような仕組みが近い将来確実に動き始めるように、3者で努力していくことになりました。3者が相互に補い合い、そのトライアングルの相補的な関係のなかで人材養成を行っていくところが画期的なところかなと思っています。

■トップの画像は、市内にある障碍者福祉施設のひとつを訪問したときのものです。この施設は、大変有名な「黄鶴楼」のすぐそばの繁華街の中にあります。近くのエリアから656人の様々な障碍をもった方たちが通われているとのこです。また、華中師範大学と武漢市政府の民政局が共同で取り組んでおり、このような施設に社会学院の学生たちが実習にやってきています。訪問した日は土曜日ということで施設はお休みでしたが、ソーシャルワーカーの皆さんから様々なお話しをうかがうことができました。写真、左から、お2人はこの施設のソーシャルワーカーの皆さん、私、今回一緒に訪中した大塩先生(社会福祉学)、原田先生(社会学)、ソーシャルワーカーの方、万先生(社会学院)。

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帰国しました

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■一昨日、湖北省の武漢にある華中師範大学での協議を終えて、昨日は一日かけて日本に帰国することになりました。

■武漢からは、余裕をもって13:40発の便に乗る事にしていました。しかし、華中師範大学の先生方のご判断で、早めの朝9時半にホテルを出発して武漢空港に向かうことになりました。何もなければ空港までは1時間たらずなのですが、市内の渋滞もあること、それに昼食も「きちんと」とらねばならないという判断からです。渋滞も問題なのですが、中国では食事をとても大切にされているます。きちんと昼食をとることは、とても大切なことなのです(もちろん、私たち日本からの来客に丁寧に対応されているということもありますけどね)。

■武漢市内の交通渋滞についてですが、これはかなりひどいものがあります。車の増加に、都市のインフラが追いついていないようです。市内のあちこちで道路や地下鉄等の整備をして交通渋滞を緩和しようと市政府も努力しているようですが、私には、まだその効果のほどがよくわかりませんでした。通訳をしてくれた大学院生の話しでは、「市政府は、今は陣痛のようなものだから、もう少し耐え忍んでほしい」といっているのだとか。pm2.5の問題も含めて大気汚染も深刻です。これは大きな問題です。

■交通渋滞以外にも、気になったことがあります。武漢には2泊しましたが、夕方から夜にかけて街中を走っているときに気がついたのですが、再開発されたあとに立った高層マンションには灯りがともっていないことです。つまり人が住んでいない。投資目的で購入している人が多いことを示しているように思います。不動産バブルが心配になります。現地の先生方も心配されていました。このような都市の再開発と関連しますが、中国のどこにいっても、同じような都市景観になってきています。これも長期的にみれば、大きな問題かと思っています。都市の没個性化・画一化の問題です。私のような一訪問者の眼には、直接的に見えてきませんが、この背後には経済格差の拡大等の問題も存在しているはずです。

■さて、武漢空港から日本までですが、13:40の国内便で上海浦東空港まで飛び、上海からは国際便で関西空港まで…ということになります。武漢から関西空港までの直行便はないのです。上海でスッと乗り換えができればよいのですが、そうもいかず、上海浦東空港では3時間半待ちになりました。それに加えて、機材の到着が遅れたとかで出発も30分遅れることになりました。結局、上海を19時を過ぎてから飛び立ち、関空に到着したのは22時過ぎ…ということになってしまいました。いつもは、関空から南海・特急ラピートに乗って帰宅するのですが、この日は、ちょうど最終のラピートが出てしまったあとでした。「orz…」です。南海のあとは近鉄を利用するのですが、結局、帰宅は深夜0時30分近くになってしまいました。写真は、上海浦東空港で撮ったものです。

中国出張

■19日から中国に出張しています。19・20日は浙江省寧波市の寧波大学。一昨日21日は、浙江省の寧波から湖北省の武漢へ移動。華中師範大学にあるホテルに宿泊しています。こちらでは、大学がホテルを経営しています。大学関係者だけでなく、一般の方たちも、普通にこのホテルを利用されています。ちなみに、こんなことは中国の大学では普通のことです。日本の大学も、そして龍大も、そんな感じだったらいいのに…と思ってしまいます。

■それはともかくです。きちんと仕事「東アジアプロジェクト」の話しをしておきます。昨日の午前中は、華中師範大学の社会学院そして外語学院日本語学科との共同で協議を行いました。龍谷大学・華中師範大学間だけでなく、こちらの学院間(日本の学部間)を超えた協働により、龍谷大学の社会学研究科に優秀な留学生を送り出してもらえる事業が進めていくことで合意しました。また、中国側の若手教員の短期研修受け入れ、日本人学生・院生の中国での短期研修等を実施できるように努力することになりました。これは、なかなか画期的なことなのではないかと思います。

■「東アジアプロジェクト」は、国境を超えて、日中韓の大学間の協力のもと、社会福祉の専門職・研究者を養成していくプロジェクトです。今回も、社会福祉学を専攻される先生とともに訪中しています。私は、社会学専攻なので、社会福祉に関しては素人ですが、いろいろしっかり勉強させていただきました。すでに退職された先生が中国に撒かれた種を、同僚の教員の皆さんと育ててやっと芽が出てきた感じがします。大切にこの芽を伸ばしていければとも思います。

■とりあえず元気に働いていますが、ひとつ困ったことが…。先日のエントリーで寧波の歓迎会で白酒(パイチュー)をいただきすぎた話しをしました。そのさい、今回は、私には珍しくリバースしてしまいました。内モンゴルの草原のゲルで白酒の「攻撃」を受けたとき以来…です。リバースするときには、はやく白酒を体外に排出してしまおうとして、普段使わない筋肉まで使ってしまい、脇腹というか背中に近い方が痛みます。何もしなければなんともないのですが、触れると痛い…。くしゃみをすると痛い…。強い振動を受けると痛い…。風邪をひいて酷い咳が続くと肋骨にヒビが入ることがあるらしいのですが、ひょっとすると…今回もヒビが入っているかもです。まあ、そのばあいも自然治癒にまかせるらしいのですが…。帰国したら医者にみてもらうことにします。

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