練習再開

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■今日は、早起きをしました。ジョギングをするためです。2012年の夏から、フルマラソンの完走を目指して練習をしてきました。結果として、フルマラソンで3回完走することができました。しかし、レースの後は、走ったり、やめてしまったり…と、なかなか長続きしません。走ることが、なかなか生活の一部にはならないし、そもそもまだ走ること自体を心の底から、身体のの奥底から楽しむまでには至っていないのだと思います。しかし、今年は2つの目標を設定しています。いよいよ練習を開始しなくてはいけなくなりました。2つの目標とはは、「100kmウォーキング」と「フルマラソン」です。

■そのような目標を設定したこともあって、知人とある約束をしました。その人は、健康のために、現在3桁ある体重を20kg落とそうと頑張っておられます。その方とは、10月10日までに、現在の75kgのポテポテの身体を68kgに絞るという約束をしました。マラソンを走るのには、やはり体重は軽い方が有利です。身体を絞り込むことができたら、一緒にすき焼きを食べてお互いを慰労することになっています。

■昨年の100kmウォーキングのときは、瞬間70.5kgまで絞ることができましたが、その後が続きませんでした。すぐに74kgまで戻ってしまいました。加えて、3月に我が家で産後の身体を休めていた娘が、子どもを産んだので栄養をつけないといけないということで、しっかり食事を摂っていたのでずか、つい調子に乗って私も同じように食べてしまいました。当然のことながら、さらに体重は増加しました。そして、最近、もやっと75kgまで戻すことができました。

■一応、走る準備はできていました。新しいシューズ(asicsのGEL-Kayano 23)、息子からプレゼントされたアミノバイタル、ヨドバシカメラの溜まったポイントで買ったELECOMの体組成計、そしていつもの万歩計。このあたりは完璧なので、あとは「私のやる気」次第となりました。しかし、ここが一番難しいのです。以下の練習のメニューは、昔、初めてフルマラソンを走るために、サブスリーの実力を持つコーチ(当時の社会学部教務課課長)に考えてもらったものを、これからのカレンダーに単純にあてはめたものです。あの頃は、生真面目に練習をしていたな〜と思います。コーチを信じて、本当にコツコツ練習をしていました。

5/23〜5/30:7分/kmで5km(フラットな道)の練習。
5/31~6/14:6分半/kmで5km(フラット)の練習。
6/15~6/30:6分半/kmで6km(フラット)の練習。
7/1~7/22:6分半/kmで6km(アップダウン)の練習。
7/23~8/22:6分半/kmで6km(アップダウン)の練習&8/5頃に15km走の練習。
(メニュー自体は続く…)

■もっとも、フルマラソンを目指して走り始めた時分と比較して、年は取ったけれど当時よりも走力はあるかもしれません。当時は、7月から走り始めたということもあり、かなり体力的にきつかったように記憶しています。7分/kmでも厳しかったなあ。今朝は久しぶりのランで5km走ったわけですが、最後の坂道を除き、6分半/km程度のスピードでジョギングができました。今日から、週に4〜5回、走ることになります。無理せず、怪我せず、目標に向かって進むことにします。様子を見ながら、昔のメニューよりも、もう少し負荷をかけつつ、距離も伸ばしていこうと思います。ちなみに、朝からジョギングをして、そのまま庭の手入れをすると、7,000歩近くまでいっていました。そうそう、今年も、龍谷大学の「ウォーキングキャンペーン」に参加する予定です。

タックンからのプレゼント

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■我が家のお隣には、若いご家族が住んでおられます。3人家族です。3歳の息子さんは、タックンといいます。よく、タックンと庭でお話しをすることがあります。私が今の家に転居してきた頃は、まだきちんと言葉が喋られませんでしたが、どんどん言葉を覚えて、私のようなおじさんとも話しができるようになってきました。最初の頃は、「ジジ…」と言ってから「おじちゃん」と言い換えていましたが、最近は、大きな声で「おじちゃ〜ん」と呼びけてくれるようになりました。まあ、確かに「ジジ」でも良いのですが、本当のお祖父様がいらっしゃるのでしょうから、やはり「おじちゃん」でしょうかね。

■一昨日のことになります。朝から庭木の剪定に悩んでいました。我が家には、5本の樹が植えてあります。4本まではなんとか自分の力で剪定できたのですが、一番大きなシマトネリコだけはどうしたものかと悩んでいたのです。素人考えですが、枝の張り方等をじっと見つめて剪定の進め方を考えなければなりません。そうやっていた時のことです。タックンから「おじちゃんが好きだ」と告白されたのです。「あれま、嬉しいね〜」…です。ということで、タックンのお母さんがお家のお庭に咲いているバラの花をプレゼントしてくださいました。我が家はの庭はイングリッシュガーデンを目指して、いろいろ植えてあるのですが、お隣は、スッキリ、シンプルなお庭です。綺麗な芝生に、アーチが設けてあり、そこで蔓薔薇が大きな花を咲かせていました。タックンのお母さんは、その蔓薔薇をくださったのです。写真が、その蔓薔薇です。花瓶は和風の一輪挿しです。どちらかと言えば、椿のような花が似合うのかもしれませんが、バラだっていいよな…と、自分で自分を納得させています。

創立記念日・親鸞聖人降誕会法要

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■昨日は、龍谷大学の創立記念日です。というわけで、2017年度「創立記念日・親鸞聖人降誕会法要」 が行われました。私は、大宮キャンパスの法要に参拝しました。龍谷大学に勤務するようになってからも長らく「創立記念日・親鸞聖人降誕会法要」には参拝したことはありませんでした。しかし、一昨年の春、研究部長になった時、同じ研究部の事務職の皆さんと話しをしていて、「そうか、それでは自分も参拝してみよう」という気持ちになりました。なぜかと聞かれても、よくわかりませんが、同僚の皆さんと一緒に創立記念日をお祝いしたいという素朴で素直な気持ちです。ということで、今年で3回目になりました。法要では、入澤学長の法話をお聞きしました。入澤先生のスピーチは、聴衆に自然に耳を傾けさせます。聴聞した後で言葉の中に静かな力があるように思います。

■入澤学長の法話の中でも、「降誕会」のはじまりについて説明されておられました。この創立記念「降誕会」は、1877年(明治20年)に、普通教校(本学の前身)の学生有志によって親鸞聖人のお生誕をお祝いする法要として始められました。普通教校とは僧侶ではない一般の学生のことです。1922年(大正11年)年5月20日に、当時の大学令による大学への昇格が認可されました。そのため、その翌日、21日を創立記念日としてお祝いすることになっているのです。大学のホームページでは、次のように説明されています。

親鸞聖人降誕会とは…

親鸞聖人のお誕生は1173年5月21日(承安3年4月1日)とされています。源平合戦の鬨の声けたたましい武士の世は、まさに「祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響きあり……」と語られたように栄枯盛衰の激しく、悲惨な時代でした。

下級公家に生まれられた親鸞聖人は幼くして両親と別れ、9歳にして出家、比叡山での20年間に及ぶ烈しい求道の末、「よきひと」法然上人と出遇い、そして浄土の真宗――選択本願念仏の仏道に出遇われました。以後,念仏者として如来の恩徳を、教えに問い、身に確かめつつ、人間の闇を見つめ、本願の救いを顕わし続けられた「ただ念仏のみぞまこと」のご生涯でした。

降誕会とは、親鸞聖人のお誕生をお祝いする法会です。また,本学は1922(大正11)年5月20日、大学令による大学への昇格が認可されました。このため翌21日を創立記念日として、併せてお祝いしています。

底知れぬ妄想の闇に迷い、虚偽に執着して空しく生きる私たちに対して、親鸞聖人が人の世に生まれ、真実を求め、真実に生き、そして真実を顕らかにして下さったことの意義を改めて確かめしましょう。

■法要が終わり、大宮キャンバスの正門の外に出ると、西本願寺の唐門(国宝)が34年ぶりに1日だけ開門されるということで、多くの皆さんが並んでおられました。私も、せっかくだからと並ぼうと思いましたが、長蛇の列に諦めざるを得ませんでした。ということで、法要の後に配られた「お斎」(おとき)を、世界仏教文化研究センターの職員の皆さんといただくことにしました。世界仏教文化研究センターは、大宮キャンパスの近くにある白亜館という建物の中にあります。2年間の研究部長の職を終えたわけですが、それでも職員の皆さんは歓迎してくださいました。最近の世界仏教文化研究センターのことなど、いろいろ教えていただきました。

■「創立記念日・降誕会法要」のあとは、深草キャンパスで「勤続永年表彰」と「名誉教授の称号授与」が行われました。研究部におられる知り合いの職員の方も、今年で勤続30年ということで表彰されました。おめでたいことです。表彰と称号授与の後は、職員懇親会でした。大学の教職員だけでなく、法人統合をした龍谷大学付属平安高校の皆さんも参加されました。生協の大きな食堂が人でいっぱいになりました。

■昨日は事務職員の皆さんと呑みながら、たくさんの話しをしました。この懇親会から、なんと3次会まで。その内容も様々です。一緒にため息をついたり、憤慨したりするような話しから、一緒に夢を語って元気が出てくるような話しに至るまで。非常に大切な話しもしましたね。しかし、大切な話しは素面の時に、もう一度きちんとやらないとダメですね。

■育休を経て職場復帰された研究部の女性職員の方とは、ひしぶりにお会いして、赤ちゃん談義になりました。初孫「ひなちゃん」の写真もみてもらいました。研究部長を終えて1ヶ月と3週間しか経っていないけれど、久しぶりにお会いした深草キャンパスの研究部の職員の皆さんと、懐かしく話しもできました。なんだか、一緒に仕事をしてきた仲間との同窓会のようでもありますね。

■しかし、あれだけの人数の職員の皆さんが盛り上がっておられるのをみて、自分の職場のパワーのようなものを感じました。「呑み」は3次会まで続いたわけですが、学長や総務局長も2次会までおられました。印象的だったのは、入職したての新採の職員の皆さんからベテランの職員の皆さんまで、縦のつながりを大切にされているなあということ、特に若い方たちが積極的であることでした。若い職員の皆さんは、ベテランの職員の皆さんと一緒に呑み語らうことで、働くということの意味を、言外に汲み取っているのかもしれません。素敵なことだなあと思いました。昼から晩まで、いろんな方達と話しができて、充実した時を過ごすことができました。まあ、これを時間の無駄と感じる人もいるのかもしれないけれど(特に、教員の皆さんの中には)、それは価値観、もっと言えば仕事観や職場観の違いかなと思います。「創立記念日・降誕会法要」は、大学にとって非常におめでたい日。教職員共に、大いに飲んで語り合うことが大切なのだと思います。最後は、同じ方面の職員さんと電車に乗り、寝過ごすことなく無事に最寄駅で降りることができました。1人だと、絶対、眠っていましたね。ほとんどビールばかりだったけど、飲み続けるとそれなりに大変です。なんとか、二日酔いにはならないですみましたけど…。

睡蓮鉢の黄菖蒲

20170519kisyoubu.jpg ■自宅の睡蓮鉢に植えた黄菖蒲に、花が咲きました!これは園芸種で黄菖蒲(キショウブ)という種類なのかなと思います。先日のエントリーでも書きましたが、アヤメ(菖蒲)、ハナショウブ(花菖蒲)、カキツバタ(杜若)に加えて、園芸種もあるので、なんだかややこしいですよね〜。

■水生植物だけでは、そのうちにボウフラが湧いてきます。昨日も、今シーズン初になりますが蚊に刺されました。ということで、クロメダカを10匹入れてみました。残念なことに、そのうちの1匹は自分で睡蓮鉢から飛び出して、干からびて死んでいました。今のところ、残りの9匹はこの睡蓮鉢の中で暮らしています。赤玉土を入れ、水生植物も増やして、良い環境づくりに努めてきましたので、プランクトンが湧いてきました。どういう種類なのか、よくわかりません。また、小さな巻貝もいます。恐らくは、卵が水生植物についてきたのではないかと思います。まあ、素人考えでしかありませんが。

■クロメダカの飼育、昨年は、同じ睡蓮鉢で失敗しています。クロメダカを購入したペットショップの店員さんのアドバイスでは、水温の変化が一番の問題なのだそうです。日が当たって急激に水温が上がると、クロメダカは死んでしまいます。もちろん、酸素の問題もあります。今のところエアレーションは使っていませんが、暑くなると必要になるかもしれませんね。また、家族から聞きましたが、水を入れ替えるにしても、いっぺんに替えるといけないようです。半分ずつ、水を交換することがコツだとのことです。うまくいくかな。

「魚のゆりかご水田プロジェクト」、「生みの親」「名付け親」「育ての親」

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■滋賀県農政水産部農村振興課で、「魚のゆりかご水田プロジェクト」の「名付け親」で「生みの親」Kさん、そして「育ての親」Tさんのお2人にお会いすることができた。本当に嬉しい‼︎ すでに退職されていると思っていましたが、現役の職員さんでした。「生みの親」のKさんと担当者の職員の方からは、「魚のゆりかご水田プロジェクト」での現状や課題について、いろいろお話しを伺いました。勉強になりました。集落内外の社会関係資本のあり方、集落内のリーダーの交代、プロジェクトのマンネリ化…様々な要因が、現状や課題の背景には存在しているようですね。

■「育ての親」のTさんは、水郷地帯のご出身でした。昔話しを聞かせてくださいました。もちろん、圃場整備事業のため、そのような水郷地帯はすでに存在していません。現在、年齢は50歳過ぎとのことでしたが、水郷地帯のクリークそして水田で、フナやコイそしてナマズをつかまえることはもちろん、家に隣接する洗い場「セド」でボテジャコを遊びで釣っていた経験をお持ちであることがわかりました。昭和40年代のことですね。おばあさんは網でボテジャコをすくって晩御飯のおかずによくされていたとか…しっかりと「魚つかみ」や「おかず取り」の経験をお持ちでした。一方、「生みの親」のKさんは、別の地域で同じように「魚つかみ」や「おかず取り」を経験されていたわけですが、水郷地帯の方とは内容に違いがありました。魚種についても。面白いですね。Kさんは、母方のご実家が内湖のそばだったというお話しもしてくださいました。

■「魚のゆりかご水田」というプロジェクト名の起源については、私が知る限り複数の説があって、中には疑問に思うものもあったのですが、今回はお話しを伺ったご当人が「生みの親」だったというで、とても驚きました。気持ち的にスッキリしました。公務員の仕事は、一人の「個人」の仕事ではなく、組織の中で与えられた「役割」が仕事をしているので、事業が動いてもそれは誰が発案したものなのかは分かりにくいわけです。それは仕方がありませんね。

■ところで、Kさんからは以下の論文を教えていただきました。いろいろ参考になりますが、魚のゆりかご水田の「実施水田面積拡大のため」ということを前提にされている点が、私などの問題意識とは異なっています。プロジェクトを実施されている滋賀県庁の皆さん、もちろんこのような問題意識を共有されていることと思います。ただし私自身は、その辺りの根本の問いの立て方が違っています。「何のため」の、「誰のため」の「魚のゆりかご水田」プロジェクトのなのか、その辺りのことをもう一度深く考えていく必要があるように思うのです。

「魚のゆりかご水田プロジェクト実施地域の類型化と実施水田面積拡大のための方策と考察」(中西悠・井出慎司、土木学会論文集 G(環境),Vol.70,No.6(環境システム研究論文集 第 42 巻),II_151-II_158, 2014.)

まだまだ続いている異常なアクセス…(3)

■週に1回、アクセスカウンターの数字が異常に伸びる件の続報です。困っています。意図がわからない全文検索、気持ちが悪いですね。4月4日に、アクセスカウンター1400を超えました。その後も、だいたい週に1度だけ、1400を超えるアクセスがありましたが、今週は2回。5月16日(火)「1520」、そして5月18日(木)「1371」です。もう少し様子を見ようと思いますが、本当に、抜本的な解決方法はないでしょうかね。

4月4日(火)「1400」超
4月12日(水)「1470」
4月18日(火)「1446」
4月25日(火)「1516」
連休中は不明…
5月11日(木)「1495」
5月16日(火)「1520」
5月18日(木)「1371」

睡蓮鉢とアイリス

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20170516mygarden4.jpg■玄関の横に、今年も睡蓮鉢を置いています。今年は赤玉土をちゃんと入れで、睡蓮、布袋葵、黄菖蒲、コウホネ、ウォーターバコパ等を配置しました。鉢の中の状態も安定したのか、水草たちも成長してきました。最初は、結構、水草の間に隙間があったのですが、今、水面は水草で覆われてきつつあります。そして、昨日のことなんですが、鉢の中に、丸い小さな小さな生き物がたくさん湧いていることに気がつきました。かなりのスピードで泳いでいます。プランクトンですね、たぶん。次は、メダカを入れてみようと思います。去年は失敗しているので、今年は時間をかけて鉢内の環境を安定させてからと思っているのですが、どうなるだろうな〜。

■狭い敷地の我が家ですが、あちこちに草花が植えられています。日当たりのあまり良くない、敷地の北西の角には、アイリスが植えられています。そろそろ咲き始めました。この歳になって知りましたが、アイリス=菖蒲(あやめ)はアヤメ科の植物で、菖蒲(しょうぶ)は漢字は同じでも、全く別の植物でなんですってね。ちなみに、菖蒲(あやめ)と、花菖蒲(はなしょうぶ)と杜若(かきつばた)は、同じアヤメ科の植物だけど、咲く場所、花の大きさ、背丈が違うらしい…ということを知りました。しかし、よく似ています。だから、「何れ菖蒲か杜若」と言うのでしょうね。狭い庭ですが、何も考えずにガーデニング等の作業に集中することは、介護で疲れている精神を安定させるのには効果があるのかなと思っています。

ショウブとアヤメの違い

親の介護のこと、入院と受診

20170517kaigo.jpg ■兵庫県の自宅で暮らしていた老母は、介護ヘルパーさんに通ってもらっても1人暮らしが困難になり、自宅近くの介護老人保健施設に入りました。それが2年前の晩秋。そして昨年の秋からは滋賀県の老人ホームに移動しました。私の自宅の近くに来てもらったのです。老人ホームに入所した時は、もう全てに介助が必要になっていましたが、食事だけはなんとか1人でできていました。

■身体は弱ってきていますが、それなりに安定していたと思っていたところ、1ヶ月前の朝のことになりますが、突然、老人ホームから連絡が入りました。身体を動かせなくなったので、近くの病院に救急車で運びます…という連絡でした。診察の結果、脳内出血であることがわかりました。糖尿病で血管が弱っているところに高血圧が重なり、脳内出血したようです。幸い、命に影響を与える状態になってしまうまでに処置することができました。手術をする必要もありませんでした。

■ただし、脳内出血のために麻痺が残ってしまいました。食事も1人ではすることができなくなりました。ただ、麻痺等の問題は残っていますが、とりあえず老人ホームに帰ることができるようになりました。それが、一昨日のことです。退院時には、麻痺による言語の障害もだいぶ緩和されてきたように思いましたが、認知的な部分はどうだろうかと不安になりました。家に帰りたいらしく、「家の廊下には手すりもついているし、ヘルパーさんも来てくれるし、大丈夫」と言うわけですが、すべてに介助が必要で、とてもそのような状態ではありません。そもそも1人で歩ける状態ではありませんが、本人にあまりその自覚がありません。なんだかこちらまで悲しくなってきました。これで、脳内出血のこともとりあえず一安心と思っていたところ、昨日の午前中になりますが、老人ホームからまたまた連絡が入りました。今度は、消火器の様子がおかしいということで、同じ病院の消化器内科の外来で受診することになりました。直腸の潰瘍でしたが、幸いにもきちんと治療をしてもらい、夕方までに老人ホームに帰ることができました。

■いろいろ、続きますね。2009年に父が亡くなり、父がしていた母の世話を私が引き継ぐことになりました。何度も病院に入院しなければならなくなりました。眼底出血、薬の副作用による横紋筋融解、転倒による硬膜下血腫…。自宅で動けなくなっているところを、レスキュー隊に救出されたと母の自宅のお隣の家の方から連絡が入り、朝1限の授業のために9時過ぎに大学についていたけれど、慌てて休講にして電車とバスで駆けつける…というようなこともありました。兵庫県の介護老人福祉施設に入り、そして今は滋賀県の老人ホームで暮らすようになり、私は精神的に随分楽になりましたが、それでもこのような入院騒動が起きるわけです。全体に身体が弱ってきているように思います。

■昨夕は、「お腹が減った、早く夕食を食べさせて欲しい」とクレームを言うほど食欲がありました。ただし麻痺があるので、誤嚥をしないようにと、ご飯はお粥、肉や魚はすり身、その他もトロミがつけてあります。それを時間をかけて職員の方に食べさせてもらうのです。しかし、母が言うに、「お粥はもう飽きた」のだそうです。そうだろうな〜と思います。でも、仕方がありません。なぜおかゆなのかを説明しますが、どこまで理解できでいるでしょうね。入院をしたことで、おかしなことを言うようになりました。素人判断ですが、軽い認知症のような…。周りの人は、老人ホームに戻り落ち着いてくると、元に戻ってくると言ってくださいます。そうあって欲しいと思っています。

■今は、老人ホームの個室で思う存分テレビを聴いています。視力がほとんど無くなっているので聴くだけです。それでも、ニュースを聴いて「籠池?あの事件はまだやっているんか」と独り言を言っていました。入院前のニュースの記憶があるんですね。なんだか、認知的な部分については、しっかりしているところと、おかしなところと、まだら模様のような感じです。子どもの頃、私からすると「鬼母」のような人で、母との思い出はろくなものがありません。辛いことばかりだったような気がします。そのため、ずっと良い関係ではなかったわけですが、こうやってここまで老いてしまった母を目の前にすると、あの「鬼母」がね…と、複雑な気持ちになります。

【追記】■今日も老人ホームをのぞいてきました。体を動かすことができないので、ベッドからリクライニングのついた椅子への移動は二人掛かりになります。麻痺は残っているけれど口はまだ達者、施設長さんの話しでは予想しているよりも随分元気とのことなので、まあよしとしなければなりません。明日の午前中、私はすでに仕事の予定がはいっていますが、老人ホームの職員さんが付き添っていただき、病院で受診することになっています。こういう費用もかさんでくるので、介護認定を見直していただく必要があります。以前と比較して、身体がこのような状態になっているので、いろいろ専門家とも相談をしなければなりません。高齢者を支える様々な制度、きちんと勉強してきませんでした。これって、もはや現代社会に生きていく上で基礎知識のようなものだと思うのです。

まだまだ続いている異常なアクセス…(2)

■週に1回、アクセスカウンターの数字が異常に伸びる件の続報です。といっても、困っているのは私ひとりなんですけどね。4月4日に、アクセスカウンター1400を超えました。その後も、だいたい週に1度だけ、1400を超えるアクセスがあります。

4月12日(水)「1470」
4月18日(火)「1446」
4月25日(火)「1516」
連休中は不明…
5月11日(木)「1495」

■そして、昨日5月16日は、5月11日から5日しかたっていませんが、「1520」になっていました。恐らくは、普通のアクセスも多めのところに、文献検索ツールによるアクセスが続いたのでしょう。いやもう、こういう文献検索ツールでアクセスされると、アクセスカウンターを設置する意義がなくなってしまいます。何度も繰り返していますが、検索する側の勝手なのだとは思いますが、その意図が知りたいものです。もう少し詳しく、この件に関して、学内の情報メディアセンターにご相談をさせていただきたいと思います。

第7回「龍谷大学餃子研究会」

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■昨晩は、龍谷大学の職員の皆さんとの交流会。龍谷大学餃子研究会でした。2014年に第1回が開催されましたが、今回で第7回になりました。第7回は、京都の祇園にある「泉門天」(せんもんてん)でした。小さな小さな一口餃子が特徴です。一説によれば、祇園の舞妓さんでも一口で食べられるように、このように小さな餃子なのだとか…。私たちは、普通の肉餡のものと、紫蘇入りのもの、6人であわせて200個いただきました。今日は、おじさんのコアメンバーとの交流に加えて、新入会員の入会テストも行われました。無事、入会されました。というわけで、会長としての役目を果たしました!

■昨日は、一日、バタバタしていました。体調を崩して入院していた母親を退院させ、大学に戻り卒業延期になった学生を指導し、京都の上賀茂にある総合地球環境学研究所で琵琶湖の水草問題に関する「オープンサイエンス」の打ち合わせをして、叡電と京阪で祇園四条まで移動してからの餃子研究会に参加しました。本当に、いろいろあった1日でした。

■さて、現在のところ京都市内を中心に研究会を開催していますが、滋賀、大阪、兵庫への遠征しようという企画もあります。さらには、浜松や宇都宮(東京の蒲田もありますね)、いつかは本場の鉄板餃子である「鍋貼」(guotie、グゥオ ティエ) を経験するために中国にも遠征したいねという話しになりました。それだけでなく、実際に自分たちで皮から作ってみる実習も必要だろうということにも。こういった職場の仲間との交流は大切ですね。介護で疲れていましたが、気持ちが少し楽になりました。

■写真下段の左、スマートフォンを持っているのは私ですが(老眼のためデコ眼鏡状態)、スマートフォンのカメラで撮った、中国浙江省寧波市の食堂の「上海生煎」という鉄板焼き餃子について説明しています。一応、研究会ですので、普段からの研究の成果を「薀蓄」として喋っているところです。

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