「個人主義的な『新しい学問』の姿 - 自立と連携でつくる」(井上真・『SEEDer』No.11, 2014,昭和堂)

20150130seeder11.jpg▪︎何度も、このブログで紹介させていただきましだ、私は、総合地球環境学研究所の流域管理に関するプロジェクトに参加しています。その総合地球環境学研究所=地球研に関連する雑誌が、京都の昭和堂から出版されています。『SEEDer』という雑誌です。「全国共同利用機関としての地球研と全国の国公私立大学との共同利用・共同研究の連携をとおして「地域」と「環境」の「情報」を統合した<知>を共有する拠点形成の研究連絡誌です」。その最新号である11号に、交流のある井上真さんのエッセイが掲載されています。「個人主義的な『新しい学問』の姿 - 自立と連携でつくる」というエッセイです。このエッセイのことを、仕事上のやりとりをしているさいに、井上さんご自身から教えていただきました。私自身、30歳代のころから、既存の社会学の枠組みからはみ出て仕事をしてきたということもあり、井上さんのこのエッセイに共感しました。(本文、続きます)

「限界集落株式会社」

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▪︎黒野伸一さんの『限界集落株式会社』が、NHKのドラマになるようです。主演は、反町隆史さん。カッコいいですね〜。このドラマのホームページで、制作統括をされた落合将さんが、次のように語っておられます。

NHKの現代ドラマ、久しぶりの農業ものです。農業を撮影するのは困難を極めます。作物の状態が、限られたスケジュールに合うのか、台風などの襲来によっては撮影用の畑が壊滅します。それでも、その困難な素材に正面から取り組んだのは、いま劇的に日本の農業をめぐる世界が変わってきているからです。ドラマをつくるにあたって、いろいろ取材をされていることがわかります。

日本の農村はいまや「限界集落」どころではなく「地方消滅」の危機を迎えています。そのなかで、地方唯一の産業「農業」を通じて、一矢を報いていく小さなチームを描くときに、バブルの時代に描かれたのんびりした空気の流れる「村おこし」を描くことはもはやできませんでした。シビアな時代に、どういまある力を使って、仲間たちと立ち向かっていくのか、難しい題材を描く際に、あとおししてくれたのは、実際に農業法人をたちあげて、新しい農業の形を模索する若者たちの姿でした。農業未経験者の彼らは、都会ではなく、農村に夢を求めて、アイターンしてきます。旧来の世襲制度が崩れ始め、地方の農村が変わり行く中で、私たちの目には彼らが「開拓者」のように見えました。そういったたくさんの取材先の方々たちの力を借りながら、この挑戦的な企画はなりたちました。出来上がったドラマもまた、素晴らしい出演者の皆さんの力を借りた、現代の「開拓者たち」のドラマに仕上がったと思います。

▪︎黒野さんの本自体は、研究室に置いてあるのですが(本のタイトルに惹かれて…)、まだ読めていません。原作とドラマは少し違っているようですが、まずは明日31日(土)から始まるドラマを視ることにしたいと思います。小説自体の評価は様々なようですが、大切なことは、ここからどういうメッセージを受け取るかでしょうかね。このような限界集落のようなテーマと関連する新書を紹介したことがあります。1月7日のエントリー「『農山村は消滅しない』(小田切徳美・岩波新書)」です。こちらの方、ぜひご覧いただければと思います。新書の著者である小田切徳美さんの講演の動画も貼り付けてあります。

【追記】▪︎さきほど、ゼミ生が研究室に相談にやってきました。ゼミでおこなっている「北船路米づくり研究会」の活動に関して、ある財団に活動助成を申請するのですが、その申請書類をチェックしてほしいとやってきたのです。ちょっと雑談もしました。お父様が、時々、このブログを読んでくださっているとのこと。ありがとうございます。お父さん、娘さんは頑張って大学で勉強してはりますよ!!

小さな発見、わたしの知床『シリエトク ノート』第9号 2014年文月

20150129shirietoku.jpg ▪︎「青山ブックセンター」の「青山ブックスクール」で企画主任されている作田祥介くんが、雑誌を送ってくれました。雑誌というか、小冊子かな…。まあ、それはともかくです。作田くんが、北海道の斜里町の方から、エゾジカ猟特集の雑誌をもらったのでと、私にも1冊わけてくださいました。『シリエトクノート』第9号です。「シリエトク」とは、知床のことです。アイヌの言葉で、地の果て…という意味なのだそうです。この雑誌の特集は、「エゾシカ猟」。冒頭で、猟師さんたちとエゾジカ猟を撮り続けているホンマタカシさんが座談会をされています。作田くんは、ここから何か環境社会学に通じるものを感じたらしく、私に送ってくれたのでした。

▪︎エゾジカ猟は、増えすぎて森林を破壊するエゾジカを駆除するために行われているものです。これについては、いろいろ意見の対立がこれまであったようです。この知床では自然保護運動が取り組まれてきたからです。このあたりの問題については、ネット上にあるNHKのニュースをご覧いただくことができます。

エゾシカ駆除へ 知床の決断 NHKニュースおはよう日本 2010年12月14日 放送

▪︎『シリエトクノート』の座談会では、このあたりのことが詳しくは説明されていません。駆除するハンターの皆さんは猟友会に入っておられますが、その猟友会の皆さん自身が、「我々が絶滅危惧種なんだよ」と揶揄しておっしゃるのです。ハンターが高齢化し減少していく一方で、近年は、あちこちで獣害の問題が深刻化しています。獣害は北海道だけではありません。このあたりの問題については、出版されてだいぶたちますが、鬼頭秀一さんの『自然保護を問い直す』のことが頭に浮かんできます。

▪︎鬼頭さんは、「生身」と「切り身」という独特の概念を使います。いずれも人間と自然との関係を表現するための概念です。そして、人間が社会/経済的にも、文化/宗教的にも、多様なネットワークのなかで総体としての自然と不可分なかたちでかかわりつつ生業を営み生活している一種の理念型の状態を「かかわりの全体性」と呼んでいます。それに対して、この「生身」の関係が、人間の都合で部分的な関係を取り結ぶようになったとき、それは「かかわりの部分性」ということになり、「生身」ではなく「切り身」ということになります。鬼頭さんは、「環境問題の本質は人間から離れて存在している自然の破壊にあるのではなく、人間と「生身」のかかわりあいがあった自然が「切り身」化していくことにある」と捉えます。そのうえで、「近代が、自然破壊と同時に自然保護という概念も生み出したと言ったのは、まさに、両極の二種類の『切り身』の関係が、近代という時代に出現したことを意味している」と述べています。

▪︎最近では、専門書ですが、『野生動物管理システム』(梶光一/土屋俊幸 編)という本も出版されています。これについては、2014年10月7日のエントリーで少しだけ紹介していますので、そちらをご覧いただければと思います。

▪︎『シリクトク ノート』第9号の最後の「編集後記」では、編集・制作作業にあたった中山芳子さんが、次のように書いておられます。素敵な文章だなと思いました。

雪のエゾジカ猟は、自分の生まれ育った斜里にいながらにして、映画の中の出来事のようだった。解体作業では、まだ若いシカの体にナイフが入り、鮮血とともに白い湯気がフワーッと立ち上がった時、あー確かに今の今まで、生きていたのだと感じ、自然に涙が出た。「カワイソウ」などというあいまい感情とは違う心の揺れ。解体に格闘する若いハンターを見守るベテランの視線の温かさ。そうして、内臓を抜いたシカを車まで引っ張って運ばせてもらうと、思いがけない重みに汗が吹き出た。いのちの重み。野生動物や、雄大な風景がクローズアップされがちな知床だけど、こうして人間が常に自然に携わり、いのちに対峙し続けている。良くも悪くも、人間が居てこそ知床なのだと思う。

2016年4月に社会学部を改組、社会学部福祉系2学科を「現代福祉学科」に改組

▪︎私が勤務する龍谷大学社会学部が改組を行うことになりました。詳しくは、龍谷大学のホームページの記事をご覧ください。

45,000アクセス感謝!

■昨年の12月8日に、アクセスカウンターが40,000を超えました。その50日後、昨日1月27日に45,000に到達しました。アクセスカウンターは、2012年の9月5日に設置しましたが、それ以降、5,000刻みでいうと、以下のようにアクセス数が増えてきました。5,000ごとに、かかった日数=期間も縮まり、また1日ごとの平均アクセス数も伸びてきました。特に、40,000に至るあたりからアクセスが伸びてきました。今回は、冬季休暇が入りましたが、その間もアクセスくださったことに、心より御礼申し上げます。

2012/9/5b:アクセスカウンター設置。
2013/2/21 :5,000アクセス:期間169日: 30アクセス/日
2013/6/29 10,000アクセス。期間128日: 39アクセス/日
2013/10/30 15,000アクセス。期間123日: 40アクセス/日
2014/2/6 20,000アクセス。期間99 日:51アクセス/日
2014/5/6 25,000アクセス。期間89日: 56アクセス/日
2014/8/5 30,000アクセス。期間91日: 55アクセス/日
2014/10/21 35,000アクセス。期間77日: 65アクセス/日
2014/12/8 40,000アクセス。期間48日: 104アクセス/日
2015/1/27 45,000アクセス。期間50日: 100アクセス/日

▪︎1日に何千、何万というオーダーのPVをいくような内容は、私には書けませんし、書くつもりもなく、あくまで基本的にはfacebookと連動された身辺雑記を残しているだげです。どうかお許しください。今後とも、どうぞよろしくお願いいたします。この調子でいくと、50,000アクセスは、3月の上旬から中旬のことではないかと思います。

再会

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▪︎先々週の土曜日の話しになります。「東京スカイツリー」に登ったあと、ずっとご無沙汰していた東京の友人のMさんとCさんに再会しました。特に、Cさんとは何年もお会いしていませんでした。上野駅の地下鉄銀座線の改札口で待ち合わせだったのですが、現れたCさんは、なんだか山荘の主人のようないでたち、そして立派のヒゲも蓄えておられれました。なんだかとっても迫力がありますね。

▪︎Mさん、Cさんとは、上野恩賜公園の近くの飲食店で昼食をとりました。 Cさんと私は酒飲みなので、昼間から生ビールをいただき、ご機嫌状態です。上の写真は、御徒町あたりを歩いているCさんと私です。写真家でもあるMさんが、撮ってくださいました。生ビールでご機嫌状態のまま、上野から御徒町へ、そして秋葉原まで歩きました。こうやって、あってくださる友人の皆さんが、あちこちにお住まいになっていることを、私自身はとても幸せなことだと思っています。

▪︎Mさん、Cさんとのお付き合いは、ブログがきっかけでした。お互いのブログにコメントを書き込むうちに、オフ会ということになり、これまでも何度もお会いしてきました。2006年から2010年頃までのことです。懐かしいですね。あの頃、私の周りではブログが全盛期でした。お2人と知り合いになり、墨田区の京島界隈もよく歩きました。その京島も、再開発がどんどん進むなかで、ずいぶん地域の雰囲気が変わってしまいました。複雑な気持ちです。

東京スカイツリー( 2 )

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▪︎トップの写真、中央に高い高層マンションが見えます。しかし、「東京スカイツリー」の450mの展望台からだと、たいした高さに見えません。ここは、墨田区の京島と呼びれる地域です。線路が見えますが、京成電鉄と東武電鉄です。少し離れたところに確認できますが、大きな川があります。これは荒川です。私は、東京の友人たちと、この京島から荒川にかけてのエリアを何度か歩きした。大変、思い出深い地域です。それこそ、「虫の眼」でもって歩きました。今回は、「鳥の眼」でこの地域を眺めています。「虫の眼」と「鳥の眼」、その両方で見るからこそ理解できることがあります。「虫の眼」からだけでは、また「鳥の眼」だけからでは、理解できないことがあると思います。両方が大切だ、それが私のスタンスです。これは社会を考えるさいの視点の取り方について比喩的にもいっているわけです。荒川の向こう側は、江戸川区です。写真ではよく確認できませんが、さらに向こう側には江戸川が流れており、江戸川の左岸は千葉県です。千葉の松戸にも行ったことがあります。松戸に親しくさせていただいている方たちが多数お住まいなのです。その松戸を訪問したのも何年も前のことになります。懐かしいです。

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▪︎左は東京タワーを撮ったものです。「東京タワー」にも登ったことがありますが、ずいぶん小さく見えますね。「東京タワー」は333m(「東京スカイツリー」は634m)、昭和33年(1958年)に竣工しました。私と「同い年」です。「東京スカイツリー」よりも「東京タワー」に共感を覚えるものですから、こんなに小さく見えることに少しがっかりしました。右側は、「東京スカイツリー」の南側の風景です。東京湾が見えます。小さくてわかりにくいですが、東京湾にポツンと何か建造物が見えます。これは、「東京湾アクアライン」の「風の塔」です。地下トンネルの換気のために設けられています。左の方には、「海ホタルPA」や「アクアブリッジ」のシルエットが確認できます。

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▪︎左の写真をご覧ください。手前の方に流れてくるのは隅田川です。その向こう側に流れているのは荒川です。さらにずっとずっと向こうには、筑波山も確認できます。手前の隅田川沿いの地域は、南千住です。ここも京島ほどではありませんが、歩いたことがあります。酒飲みの方たちには有名な店なのですが、南千住の「大林」という居酒屋にも数回行きました。懐かしいです。関心のある方は、ぜひネットで調べてみてください。東京に関心があるとしても私のばあいは、隅田川、荒川、江戸川の流れる地域が中心になります。私は、東京の友人たちと「東京底湿地帯」と勝手に呼んでいました。このあたりには、いわゆる「海抜0m地帯」が広がっています(実際には、-2mだったりするのだそうです)。

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▪︎写真左。中央に黒い細い帯のようなものがみえます。ここは、駅でいえば、王子、東十条、赤羽のあたりです。北区です。この地域も、よく歩きました。素敵な元気の良い商店街が健在でした。もし、東京に暮らすことがあれば、こういうところに住みたいなと思う場所でした。赤羽では飲みました。漫画「孤独のグルメ」で有名になった「まるます家」に行きました。懐かしいです。赤羽は台地の上に昭和30年代に開発された団地があり、台地の下には下町がひろがっています。ここもいろいろ勉強しました。思い出深い地域です。荒川の向こうには川口の街があります。若い学生の皆さんは、なんのことやら…でしょうが、吉永小百合が主演した「キューポラのある街」で有名です。赤羽、荒川、川口…。高度経済成長期、この川を挟んだ地域の関係は大変面白いものがあるのです。川口からすれば、赤羽は東京の入り口でもありました。川口の工場の女工さんたちが、休みに日に遊びにいく街でした。東京の一番北の入り口にあたる街でした。

▪︎真ん中の写真には、「上野恩賜公園」が見えます。この「上野恩賜公園」の左の方には、白い屋根のようなものが確認できます。これは、「東京ドーム」です。雲がなければ、おそらくは富士山も見えたのでしょうが、この日は、残念ながら確認できませんでした。右側の写真では、「両国国技館」が見えます。その横には「江戸東京博物館」も見えます。東日本大震災の後、東京の友人の皆さんと東京の街を歩くことがなくなりました。震災が、なにか私たちの意識を大きく変えてしまった感じがします。でも、またこの東京の街を歩くチャンスがやってくるのではと思っています。そうあってほしいと思います。

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▪︎今回、「東京スカイツリー」に登って感じたことがもうひとつあります。災害の問題です。東京都では、各地域における地震に関する危険性を、建物の倒壊及び火災、災害時の避難や消火・救援活動のしやすさ(困難さ)を加味して、それぞれの地域の危険度の測定を行っています。詳しくは、東京都都市整備局の「地域危険度とは」のページご覧いただきたいと思います。ひとつの目安ではありますが(危険度が低いから安心というわけではないでしょう)、こうやって地図化してみると、直感的に理解できます。上の図がそうです。東京都都市整備局では、「災害時活動困難度を考慮した総合危険度の高い地域は、建物倒壊危険度、火災危険度ともに高かった荒川・隅田川沿いのいわゆる下町地域一帯に分布しています。具体的には、足立区から荒川区、葛飾区西部、墨田区、江東区北部に広がる地域で、また、品川区南西部や北区北部から豊島区北部に広がる地域でも危険度が高くなっています」と説明しています。「東京スカイツリー」のあるあたりや、京島もこの危険度の高い地域に入ります。もっとも、このような危険度が、実際の地域社会のなかで、具体的にはどのように機能するのか / 機能しているのかという点については、私にはよくわかりません。「防災」や「減災」に対する取り組みがどれほど進んでいるのか、また、社会学の古典的な概念でいえば、このような危険度の提示が地域社会に対してどのような「潜在的逆機能」を持っているのか(特に、社会的に弱い立場にある方達にとって)…ということも気になるところです。

東京スカイツリー( 1 )

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▪︎先々週の金曜日になりますが、早稲田大学所沢キャンパスで最終講義を聴講したあと、東京で友人の皆さんにお会いしました。そして翌日、最近の東京のお上りさんや海外からの観光客の定番である、「東京スカイツリー」の登ってみることにしました。前の日に、浅草に近いホテルに宿泊していたことから、「東京スカイツリー」までは徒歩でいってみることにしました。

▪︎後でわかったのですが、スカイツリーの展望台から眺めたとき、地上からスカイツリーを眺めたときの、なんといいますか「距離感」が違うなと思いました。地上からは、どちらかといえばスイスツリーが「遠く」に見えるのですが、スカイツリーの展望第からは、「遠く」に見えた場所が、すぐ「下」に見えるのです。目の錯覚だろうと思いますが、不思議な感覚です。

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▪︎「東京スカイツリー」には、「東京スカイツリー天望デッキ(350m)」と「東京スカイツリー天望回廊(450m)」の2つの展望台があります。それぞれ、350mまでは2,060円、450mまではさらに1,030円が必要です。私のときは30分程度並びましたか、それに加えてこの金額…。でもせっかく来たのだからとUターンせずに素直に入場料を払ってタワーに登りました。

▪︎「東京スカイツリー」のある場所は、墨田区です。海抜よりも低い0メートル地帯です。こういう海抜の低いところに、どうやってこのタワーは建設されているのか、気になりました。すでに有名な話しなのかもしれませんが…。建設は大林組です。公式のページがありました。「東京スカイツリー建設プロジェクト|株式会社大林組 : GO! GO!」。ここにスカイツリーの建設技術について解説されています。最新の技術で建設されているのでしょうが、どうも強風に弱いようです。私がいったときも、1台のエレベーターの扉が風の影響で閉まらなくなっていました。職員の皆さんが、6人がかりで扉を閉めようと努力されていましたが…閉まりませんでした。職員といっても、お揃いのワンピースの制服と帽子の女性の皆さんですから…。なかなか大変ですね。私は果たして登れるのかな…と少し心配しましたが、無事に450mの展望台まで登ることができました。続きは、次のエントリーをご覧ください。

第34回「北船路野菜市」

20150127yasaiichi1.jpg ▪︎先週の土曜日、第34回「北船路野菜市」を開催しました。厳しい寒さのなかで、お客さんの出足はイマイチの状況のなか、学生たちは頑張って野菜市に励みました。ご苦労様でした。

▪︎この日は、配達もありました。安納芋と柚子の配達です。野菜市を開催している商店街の、そのお隣の商店街にある果物店の奥様から、「安納薯と柚子が欲しいのだけど、村で残しておられないでしょうか」とのご相談がありました。学生に伝えたところ、いつも協力してくださっいる農家と連絡をとり、まだ倉庫に保管してある安納芋や、木にまだ成ったままになっていた柚子を譲ってくださることになりました。後者の柚子については、ジャムやスイーツの材料に使うのだそうです。「滋賀県大津市北船路産」という情報をつけて商品にしてくださることになりました。ありがとうございます。

20150127yasaiichi3.jpg▪︎野菜市は土曜日ですが、月曜日には北船路の集落で、海老芋の勉強会が開催されました。以下は、この勉強会に参加したリーダーの学生が、facebookにアップしたレポートです。

本日は、北船路公民館で協力農家の方を含む数名の北船路の農家さん対象にえび芋の栽培方法の勉強会が行われ、参加させていただきました。講師として、滋賀県の農産普及課 普及指導担当の駒井さんが来てくださり、様々な地域の事例をもとにお話してくださいました。皆さんとても熱心に話を聞いておられ、農家さん同士の情報交換も盛んに行われていました。自分自身も大変勉強になりました。次回のえび芋の収穫(冬頃)がとても楽しみです!

▪︎海老芋は、里芋のひとつの品種ですが、里芋よりも長めですこし曲がっており、その表面に横縞がありることから、まるでエビのようだということで海老芋と呼ばれてきたようです。普通の里芋と比較して、味やねばりも里芋よりも上等で、また煮崩れしにくいことから、高級食材として扱われています。北船路の農家の皆さんは、この海老芋を北船路の特産品にしようと勉強会を始められたのです。これまでも、個人的には、個別にいろいろ努力をされてきましたが、今回は複数の農家の皆さんが一緒になって連携として取り組んでいかれるようです。「北船路米づくり研究会」としても、海老芋のプランド化に少しでも貢献できればよいなと思っています。研究会では、大津や京都の飲食店や料亭と連携をしていますので、そのルートで北船路産の海老芋をアピールするお手伝いができればと思っています。

2015「びわ湖レイクサイドマラソン」/ サードプレイスとしての「利やん」

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▪︎昨日は、2015年「びわ湖レイクサイドマラソン」でした。大津駅前の居酒屋「利やん」のマラソンチーム、チーム「利やん」も参戦いたしました。私はこのチームの(なんちゃって…)キャプテンなのですが、昨年は出張で、今年は練習不足と風邪のために欠場しました…。2年連続の欠場です。チームの皆さん、情けないキャンプテンで本当に申し訳ありません。

▪︎さて、チームの成績ですが、非常に健闘いたしました。昨年までは、15kmと12kmの2つのレースでしたが、今年は、ハーフマラソンと13.5kmと距離が伸びました。まずハーフマラソンです。龍大職員のSさんが3位(1:20:40)に、13.5kmでは同じく龍大職員のTさんさんが2位(0:49:32)に入賞。非常に健闘されました。昨年、15km・40歳代の部で優勝したHさんは、今回のハーフで14位(1:26:22)、12km40歳代の部8位だったOさんは、13.5kmで11位(0:55:55)。これまた健闘されました。その他のメンバーの多くも、自己の目標を達成し、全員完走されました。ということで、琵琶湖と比叡山をバックに記念写真。私も、来年は、レースに復活して自己記録を更新したいと思います。ちなみにハーフマラソンの自己記録は、1時間55分18秒です。できれば、自己記録を更新したいものです。チーム「利やん」には、ランナーだけでなく応援隊もいます。ご自身は走らないけれど、毎年応援をしてくださっているお店の常連の方達と店員さんです。今年は、私も応援隊にまわりました。今年は、ユニフォームが一新されました。明るいブルーに赤いライン、そして「利やん」というお店の名前の入ったシャツです。これは、チームオーナーである「利やん」のマスターが提供しているものです。私も来年は、これを着て走りたいと思います。

▪︎このチーム「利やん」。当初は、居酒屋「利やん」のマスターと常連の皆さんからできた素人集団でしたが、一昨年から、龍大職員のアスリートランナーの皆さんに参加していただけるようになりました。龍大では、教職員のチームで大津市民駅伝に出場していますが、駅伝に参加されるなかでも実力をもった皆さんたちに参加していただけることになったのです。そのため、チーム「利やん」は、急に実力を伸ばしてきている謎のチームとして注目をあびつつあります(ほんまか…)。実際、昨日のレースでは、あるメンバーがスタート前に次のような質問を受けたといいます。「チーム『利やん』て、最近すごいですよね。どういうチームなんですか ? どこにあるんですか ?」。実際は、「年1回集まって、それぞれのレベルで走ったあとに、美味しいビールと料理を楽しむ会」なのですが…。そのようなチームですので、参加される方達の働いておられる業界は実に多様です。食品、通信、建築・建設、保険、大学教職員…。大津駅前の居酒屋「利やん」という気持ちのよい「場所」に集まる人たちというのが、唯一の共通項になります。

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20150126lakebiwa6.jpg▪︎ レースは午前中に終わりましたが、午後からは「利やん」に移動して、慰労会 / 宴会になりました。皆さん、この午後からの宴会があるからこそ、午前中のレースに参加しているのです。そこが居酒屋「利やん」のマラソンチームらしいところです。普段の仕事のことは忘れて、レースと酒・食事を、「利やん」の仲間と一緒に楽しい時間を共有できる…。とても幸せなことかなと思います。

▪︎左上の写真は、なかちゃんです。アルミサッシ工事会社の社長さんです。なかちゃんは、私よりも3つほど年上ですが、2010年の第1回を除いてすべて出場されています。年齢からいくと、なかちゃんの実力はなかなかのものです。もっとも、年齢とともにタイムが遅くなってきたので、少しだけ弱気になるとともに、私に対しても牽制をかけてきます(^^;;。「おい、ワッキー。おまえ、高島のハーフ(2012年のびわ湖高島栗マラソン)で出した記録、あれはな。おまえのベスト記録やからな(1:55:18)。もうあれ以上のタイムはでえへんから。あきらめ。無理せんと」なんてことをいうのです。しかし、ここで手を抜いては なかちゃん に対して失礼です。来年こそは、精一杯練習をして、なかちゃんとの勝負にケリをつけなくてはいけません。まあ、半分冗談なのですが、それはともかく、こうやって、異業種の仲良しの皆さんたちと、酒を飲みながらワイワイやることができる。これは、すべて「利やん」というお店のおかげです。昨日は、宴会の最中にLINEで娘から素敵な報告があり、そのことをチーム「利やん」の皆さんも一緒に喜んでくださいました。ありがとうございました。

20150126thirdplace.jpg▪︎『サードプレイス コミュニティの核になる「とびきり居心地よい場所」』(みすず書房/レイ・オルデンバーグ)という都市社会学の本があります。私にとっての大津駅前の居酒屋「利やん」は、オルデンバーグのいう「サードプレイス」なのだろうと思います。「利やん」は、地域づくり、マラソン、いろんな人のつながりの生まれる素敵な場所なのです。少しだけ、内容をご紹介しておきましょう。出版社のサイトから書籍情報を引用させていただきます。

居酒屋、カフェ、本屋、図書館…情報・意見交換の場、地域活動の拠点として機能する〈サードプレイス〉の概念を社会学の知見から多角的に論じた書、待望の邦訳。

第一の家、第二の職場とともに、個人の生活を支える場所として都市社会学が着目する〈サードプレイス〉。そこでは人は家庭や職場での役割から解放され、一個人としてくつろげる。

著者オルデンバーグが、産業化‐効率化‐合理化を進めてきたアメリカ社会と、そのもとに展開されてきた都市計画が生んだ人々の孤独の問題を批判しつつ、地域社会を再び活気づけるための〈サードプレイス〉として注目するのが、地域に根ざし、長く人々に愛されつづけている地元の飲食店だ。「見知らぬ者どうしの気楽で面白い混交」を創り出し、情報交換・意見交換の場所、地域の活動拠点としても機能する、地元の飲食店や個人商店ならではの特質が社会学の知見をもとに照らし出される。

第I部では、〈サードプレイス〉の機能、特徴、物理的な条件が詳細に解説され、第II部では、イギリスのパブやフランスのカフェなどの具体例から、文化や国民性が生み出す〈サードプレイス〉のヴァリエーションが紹介される。さらに第III部では、社会・政治面での〈サードプレイス〉の課題とその解決策が論じられる。 

全編を通じ、オルデンバーグが〈サードプレイス〉に向ける期待は揺るぎない。そこには長年「とびきり居心地よい場所」に親しみ観察してきた者の実感と、「コミュニティの問題は住民の力で解決できる」という市民魂がみなぎっている。

店舗設計、都市計画、マーケティング、地域社会づくりの分野に刺激を与えつづけてきた書の待望の邦訳。

目次

はしがき
第二版へのはしがき
序論
謝辞

第 I 部
第1章 アメリカにおける場所の問題
第2章 サードプレイスの特徴
第3章 個人が受ける恩恵
第4章 もっと良いこと
第 II 部
第5章 ドイツ系アメリカ人のラガービール園
第6章 メインストリート
第7章 イギリスのパブ
第8章 フランスのカフェ
第9章 アメリカの居酒屋
第10章 古典的なコーヒーハウス
第 III 部
第11章 厳しい環境
第12章 男女とサードプレイス
第13章 若者を締め出すということ
第14章 めざすは、よりよい時代……と場所

解説(マイク・モラスキー)

参考文献
索引

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