Seoul-散策(1)

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■9日は金浦空港から夕方の便で帰国することになっていました。中心市街地にある明洞のホテル出発するのは午後2時。それまで時間があったので、ホテルを朝9時半に出発して市内を少し散策することにしました。まずはホテルからタクシーで「徳寿宮」へ移動しました。「徳寿宮」を見学したあとは、徒歩で「市役所」、「南大門、「南大門市場」を廻り、再び「ホテル」まで歩きました。

■「徳寿宮」では、ラッキーなことに日本語のガイドさんに解説していただきながら、歴史の勉強をしました。なんとガイド料は無料です。ガイドさんに「本当に無料で良いのですか?」とお尋ねすると、「私たちは会社から派遣されて給料は持っています」とのことでした。政府かソウル市が、ソウルの観光産業をそうやって支えておられるのかもしれません。この辺りは、よくわかりません。それはともかく、ガイドさんに丁寧に解説していただきました。本当にありがたかったです。最後にお礼を申し上げたところ、「日本人のお客さんは2ヶ月ぶりだったんですよ。その前も、コロナの感染で日本人のお客さんは少なくて、コロナ以前も安倍さんが総理大臣の時代は観光客が減ってしまって…。本当にひさしぶりだったので、上手にガイドができません、恥ずかしいです」と。いやいや、とっても素敵なガイドをしていただきました。感謝感謝です。

■今回、「徳寿宮」を見学して、日本の植民地になる前と植民地にされた後。李氏朝鮮から大韓帝国、そして日韓併合へという歴史の流れの中で、もっと知らないといけないことがたくさんあると思いました。日本の高校までの「日本史」の授業、「世界史」の授業では、植民地にされた側の歴史についてきちんと勉強できないのじゃないのかな…と思っています。

■もし、徳寿宮に関心がおありであれば、こちらをご覧いただければと思います。以下は、その一部を引用したものです。

徳寿宮は、特に朝鮮時代末期から大韓帝国時代にかけての旧韓末の悲運の皇帝・高宗が日帝の圧迫により譲位を強要され、恨(ハン)に満ちた余生を送り、1919年1月22日、徳寿宮の咸寧殿で日帝により毒殺されたと人々に伝えられ、翌々月の3月3日に予定されていた高宗の葬儀の直前の3月1日に起きた3・1独立運動の直接的な引き金となった現場でもあります。

■日本、清、ロシア、日清戦争、日露戦争、攘夷波と開化波、高宗と閔妃…。20世紀の前後の朝鮮の歴史をよく勉強していると、この徳寿宮の見学は大変有意義なものになるように思います。今回は、たまたま日本語ガイドの方が丁寧に解説してくださいましたし、洋風建築の石造殿(1909年竣工、その翌年には日韓併合)でも音声ガイドが充実していてとても勉強になりました。

20230210kankokurekishitizu.jpg【追記】■私は、朝鮮・韓国のことを直接的に研究しているわけではありません。とはいえ、時々、朝鮮・韓国についての本を購入して勉強することがあります。そのような本の中の1冊。この『韓国歴史地図』(平凡社)は、出版社の紹介を引用すれば、「古代から現代までの韓国の歴史を、見開きの美しいカラー地図と豊富な図版でヴィジュアルにまとめ、古代の合戦から現代の事件まで、臨場感あふれる歴史を再現した画期的な歴史地図」です。とても役に立ちます。私自身、自分の頭の中にある朝鮮・韓国の歴史的な知識は、相当乏しいわけですが、この歴史地図で補っています。勉強になります。朝鮮・韓国の歴史を東アジア全体の中に位置付ける解説も多く、お勧めします。ちょっと値段が高いので、購入を躊躇されるかもしれませんが。

五島列島福江島の「円畑」

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20221017enhata4.jpg ■NHKの朝の連続テレビ小説「舞い上がれ!」が始まりました。今度の朝ドラの舞台は、九州・長崎県の五島列島と大阪府の東大阪市です。ドラマの視聴率を上げるためでしょうか、この朝ドラの特集番組が放送されていました。番組を眺めながら、私も手元にあったiPadでロケ地となった福江島をGoogleマップで探索してみました。すると、トップの画像のような不思議な畑がモザイクのようになっていことに気がつきました。五島列島福江島の「円畑」と呼ばれる独特の景観を持った農地です。最初は、「えんばた」と間違って読んでいましたが、円畑と書いて「まるはた」と読むようです。

■Googleマップから切り取った画像についても説明しておきましょう。トップは、福江島の西北部にある三井楽地区の一部を拡大したものです。二段目左側は、この三井楽地区です。三井楽地区の中央には、標高165mほどの山があります。その山の周囲がなだらかな傾斜になっています。二段目右側は、福江島全体です。南部には富江地区があります。ここにも円畑がたくさん確認できます。3段目は五島列島全体です。長崎県の西側に位置しています。長崎港から100kmほど離れているようです。

■最初は、まったく手がかりがありませんでした。しかし、すぐに「円畑」と呼ばれていることがわかりました。じっくり調べたわけではありませんが、以下の2つの講演録を見つけました。

五島列島福江島の「円畑」をグリーン・インフラの視座で考える—(1)某風鈴の椿
五島列島福江島三井楽半島における円畑の地形の特徴

■以下は、前者の講演録のサマリーには、次のことが書かれています。あえて言えば、「円畑の多面的機能」ということになります。
・縁・楕円・不定形といった畑の細やかな組み合わせは、台地の凸凹に沿うべく造られたかのようである。
・それらを縁取る防風林の緑は、椿などの常緑樹の線上の里山となっている。
・椿の実は地域のささやかな経済に役立っている。
・緑の回廊の花は渡り鳥の餌になるなど二次林の生態系を形成している。
・山地斜面を階段状にしており、土砂災害の減災にも役立ってい可能性がある。

■また、講演録の最後には、次のような記述もありました。非常に興味深く思いました。忘れ去れられていた円畑の防災上の機能を再確認したり、上空から撮影した円畑の美しさに驚いたり、地域調査や保存や活用に向けての方策が検討されている様子です。この講演録は2018年、4年前のもので。現在は、どのように進捗しているのでしょうね。もっと詳しく知りたいと思っています。

研究者と住民が共同調査した過程で、石積みの間の狭い通路は出水時には排水溝になってきたのではなど、機能の再発見が続いた。近年撮影を始めたドローン画像により、住民が地元の円畑モザイクの美しさに驚愕した。現在、住民らが現地調査や公民館での勉強会を行って、保存や活用を模索している。

■後者の講演録についても、少し触れておきます。こちらでは、この円畑のある地域を測量し地形を解析しています。その結果、本来の斜面に比べ、円畑と石垣があることで傾斜が緩やかになっていること。円畑があるから斜面が緩やかになり、山から流れる水の勢いが減衰し、大雨の際に洪水を防ぐ役割をしているのではないかとの指摘がなされています。この講演録は、22016年のものです。

■たまたま見つけたこの円畑、ちょっと興奮しました。社会学者ですが、何か地理学的なことに強い関心を持っているようです。こんなこと、この年になって言うと、「だったら地理学者になればよかったじゃない…」と言われそうですが、まあ、そのようなこと横に置いておきましょう。このちょっと興奮したことをfacebookに投稿しましたのです。すると、高校で社会や地理の教員をされていた大学時代の後輩が以下のようなコメントをしてくれました。

福江島は昭和末期に五島市の修学旅行誘致策に応じて最初の誘致校として計3度訪問しましたが漁業やキリシタンが主でこんな面白い農業があったなんて初めて知りました。不勉強を恥じ入るとともに残念です。当時は島内は、まだ交通インフラも未整備で、訪問する度に大型バスが走ることができる道路が増えたり、トンネルができてショートカットが可能になったりと毎回便利になっていく島に驚いていました。

■昭和末期というと、今から35年近く前のことになりますね。後輩のコメントを拝見すると、この地域では教育旅行や観光に力を入れておられたことがわかります。現在は、どのような状況なのでしょうか。観光振興に力を入れ、35年近く経過したことで、地域にはどのような変化が生まれているのでしょうか。最初の方の講演録の最後にある、研究者の調査が触媒となり、地域住民の皆さんが円畑を再評価されているということも含めて、時間があれば調べてみたいと思います。素人考えですが、この円畑は農業遺産であるとともに文化的遺産であると思います。

■こちは、農水省の「日本農業遺産」の公式ページです。日本農業遺産については、以下のように定義されています。

日本農業遺産とは、社会や環境に適応しながら何世代にもわたり継承されてきた独自性のある伝統的な農林水産業と、それに密接に関わって育まれた文化、ランドスケープ及びシースケープ、農業生物多様性などが相互に関連して一体となった、我が国において重要な伝統的農林水産業を営む地域(農林水産業システム)であり、農林水産大臣により認定されます。

百瀬川の隧道(滋賀県高島市マキノ町)

■お世話になっている高島市在住の谷口良一さんが、facebookにマキノ町にある百瀬川の隧道のことを投稿されていました。百瀬川は天井川の下を通る隧道(トンネル)がその役目を終えて解体されるという話題です。その前にこの百瀬川と百瀬川が形成した扇状地のことについて少し確認しておきましょう。私は知らなかったのですが、この百瀬川によって地理学や地理学教育の分野では、大変有名なんだそうです。自分でも少し調べてみました。こちらの「日本の地形千景+α」[/rul]では次のように解説されています。

百瀬川」は,滋賀県西北部と福井県若狭地方に跨がっている「野坂山地」から流れ出しています。山地と平地の境界には「琵琶湖西岸断層」が走っており,その特徴は「西側隆起の逆断層」です。従って,野坂山地側が隆起する度に,河川の「下刻侵食」が激しくなると共に,平地には巨大な「扇状地」が発達します。

百瀬川の強大な侵食力によって,平地には広大な「扇状地」が形成されました。大量に運ばれてくる土砂により,「自然堤防」が高くなって「天井川」となってしまいました。このため,県道287号は「百瀬川」の下をトンネルで抜けています。

【百瀬川扇状地に関して解説しているサイト】
[url=http://www.eonet.ne.jp/~otto/outline-content.html]百瀬川扇状地-扇状地のあらまし

百瀬川扇状地-天井川と治水
120.扇状地 扇端集落のわき水  百瀬川扇状地
コンターサークル地図の旅-百瀬川扇状地

今日のTV番組「新移住時代」「流転!足利義満が愛した秘宝」

20220817ijyushinjidai.png■本日、個人的にはですが、興味深い番組が放送されます。「地域再生・地域づくり」、「琵琶湖」に関連しています。

■ひとつめは、見逃してしまい視たかった番組「クローズアップ現代」の「移住新時代 過疎地域にチャンスあり」です。関西では、今日の夕方に再放送するようです。NHKBS1で17時半からです。

今、都市から過疎地へ移住する若者が増えている。最新の国勢調査によると過疎市町村の半数近くで20代後半から30代の転入者が転出者を超えた。リモートワークを活用し転職せずに移住したり、町の支援策を使って資金150万でパン屋を開業したり、農業で売り上げ1千万を目指す若者が現れたりと、新たなトレンドが。チャンスの少ない都市を脱し、人手の足りない過疎地で暮らし始める若者たち。可能性と価値観の変化を見つめる。

■昨年度に引き続き、今年度も滋賀県高島市で受託研究に取り組むことになっています。取り組むテーマは、関係人口、人口、移住者、移住者の定着過程と受け入れの仕組み等々です。参考になる部分があるかもしれません。期待しています。

20220817syousouhakkei.png■もうひとつの番組は、今晩20時からBSプレミアムで放送される「英雄たちの選択」です。今晩は、「流転!足利義満が愛した秘宝」です。滋賀の「近江八景」は、中国の「瀟湘八景」に倣ったもの。その「瀟湘八景」が、足利義満、織田信長、豊臣秀吉、徳川家康といった時の権力者に深く関係していたことを知りませんでした。「瀟湘八景」については、京都国立博物館の解説をお読みください。

今回の番組の主人公は、歴史上の人物ではなく、水墨画の最高傑作といわれる「瀟湘(しょうしょう)八景図」。室町将軍足利義満が愛した秘宝の数奇な運命をたどる。

絵巻は、その後切断され、流転していく。信長や秀吉、家康といった天下人の手に渡り、茶道の大名物(おおめいぶつ)として珍重された。江戸期にはいると、将軍吉宗が、江戸ルネサンスの文化の象徴として、各藩に分散しているこの絵巻を一堂に集めようとした。絵巻の流転の歴史から見えてくるのは、一枚の絵巻に託された権力者の飽くなき欲望とそれに振り回された悲喜こもごもの物語である。

■「近江八景」のもとになった「瀟湘八景」、現在の中国ではどのような状況になっているのでしょうね。状況というのは、実際の景観がどのようなものなのか、加えて、「瀟湘八景」のひとつであることをそこに暮らしている人たちがどのように捉えているのか…ということです。気になってネット上で調べてみましたが、まあわかりませんね。

権座のこと

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■大学のメールボックスに権座からお便りが届いていました。公式サイトはこちら。権座・水郷を守り育てる会

なにわ歴博講座「大阪環状線から見た近代大阪」

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■こちらの講座に参加します。私が興味深く思っていることは、この講座の概要の中にある「大正末から昭和初期にかけて、大阪市は市域拡大して「大大阪」となりましたが、当時、環状線は「都市」と「農村」の境界線になっていました」という部分です。境界線のような場に環状線が建設された…のではないのかなと思っていますが、まあ、いずれにせよ楽しみにしています。でも心配なのは、開催日の頃のコロナ感染の状況ですよね…。

近くの棚田

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■昨日、朝、夜明け前に、家から車で10分ほどのところにある棚田を見に行ってきました。ガスがかかっておりあまり見通しは良くないのですが、これはこれで雰囲気があるかな…、ちょっと幻想的かな…と思えました。本当は夜明けの朝日の中の棚田を見たかったんですけどね。仕方がありません。

■ここは大津市の仰木と呼ばれる農村の棚田です。仰木の棚田も、多くは圃場整備を済ませているのですが、ここはまだ棚田のままです。これは推測でしかありませんが、棚田のある山裾の丘陵地帯の中でも、圃場整備を比較的行いやすいところと、そうでないところがあるのかなと思います。この画像の向こうには、琵琶湖に流入する天神川という小さな河川があり、その川に向かって傾斜がきつくなっていくことから、あまり圃場整備にむいていなかったのかなと…。まあ、推測でしかありませんが。圃場整備を済ませていると、このような雰囲気は多分出てこないように思います。もっとも、耕作者の方は、かなりご苦労されているかなとも思います。

■ずいぶん昔のことになります。30年近く前のことです。この仰木のご出身の方とお話をしたことがあります。その方ご自身は次男か三男で、家を出ておられましたが、こんなことを言っておられました。「あんたらは、棚田が美しいとか、生き物にとってどうやとかいうけれど、こんな牛のケツも回らんような田んぼで百姓することがどんだけ大変か考えたことがあるんか」。牛のケツも回らん…とは、農耕のために使っていた牛が方向転換できないくらい狭い水田ということですね。もっとも、この時分は、もうすでに機械化とはされていたと思います。

■4時半に起きて、睡眠不足で頭が重たい中、そのようなことを思い出したのでした。

高島市の棚田を視察

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■再来年に高島市で開催される「全国棚田(千枚田)サミット」のアドバイザーとしてお手伝いをしていることは、以前の投稿でもお知らせしましたが、私としては「棚田サミット」だけでなく、龍谷大学と高島市の地域連携がもっと進んでいくと良いなあと思っています。そのため、龍谷大学の教員の皆さんと高島市役所の担当者の皆さんと一緒にいろいろ相談を始めることにしました。昨日は、社会学部コミュニティマネジメント学科教員の坂本清彦先生と一緒に、高島市にある棚田の集落、鵜川と畑を訪問しました。高島市役所の職員さんにご案内をいただきました。ありがとうございました。対照的に棚田を拝見させていただいたように思います。

■鵜川は、高島市の一番南に位置する集落です。Googleマップの画像をご覧いただければわかりますが、琵琶湖の湖岸近くに位置しています。鵜川の辺りは、山が琵琶湖にまで迫っています。その山の裾野の傾斜に棚田が築かれています。これから色々調べてみたいと思いますが、石垣でしっかり支えられた棚田です。その棚田の低い方にはJR湖西線が走っています。私がいる時も、特急サンダーバードや普通列車が通過していきました。鵜川は、JR北小松と近江高島駅の間にあります。

20200128ukawatanada5.jpg■多くの皆さんは、棚田が生み出す曲線が構成する「棚田の風景」に魅力を感じておられるのではないかと思います。鵜川の棚田の場合は、「棚田の風景」というよりも「棚田からの風景」が素晴らしいと思います。もちろん、あくまで個人的な評価にしか過ぎないのですが、「琵琶湖・列車・棚田」の組み合わせが素敵だなあと思うのです。対岸には近江八幡市の沖島、彦根、そして長浜の街を確認できます。景色の良い時、棚田の一番上に登って、そこからその風景を眺めながら美味しいお弁当を食べることができたらなあと、妄想しました。

■鵜川には、「うかわファームマート」という直売所があります。せっかく鵜川にやってきたのだからと、いろいろ購入させていただきました。鵜川の棚田で生産された環境こだわり米のコシヒカリ。それから、トートバックも購入しました。「UKAWA TANADA PROJECT」と印刷してあります。「鵜川棚田プロジェクト」です。棚田を再生・保全するための取り組みです。よくみると、そこには石垣の棚田と湖西線と山がデザインされています。素敵ですね。私は、「山→棚田→列車→琵琶湖」という風景を眺めましたが、これは「琵琶湖→棚田→列車→山」です。琵琶湖側から棚田を眺めているわけです。これも素敵です。大津から高島に向かう船から、この鵜川の棚田を眺めてみたいものです。

■「うかわファームマート」では、柑橘類も購入しました。どうして棚田で柑橘類?…と思われるかもしれません。鵜川では、全国の棚田の農村と同じく、後継者不足・高齢化に悩んでおられます。そのような問題を少しでも緩和するために、「棚田のオーナー制度」を実施されています。地域外から、オーナー登録をされた方たちが農作業に関わっておられるのです。もちろん、それだけでは不十分なので、ボランティアの皆さんも農作業を手伝っておられるとお聞きしました。もっとも、この「棚田のオーナー制度」だけでも、全ての棚田を耕作することはできません。不耕作の棚田は荒れていきます。一部、そのような棚田もありました。しかし興味深く思ったことは、鵜川では、棚田が荒れてしまわないように、柑橘類を中心に果樹が植えられていることでした。あえていえば、不耕作地の有効利用ということでしょうか。直売所「うかわファームマート」で売られていた柑橘類も、この棚田で生産されたものかもしれません(未確認)。日当たりの良い棚田ですから、柑橘類等の果樹もよく実るのではないでしょうか。

20200128hata-ukawa.jpg■上のGoogleマップの小さな画像をご覧ください。青い丸で囲んだところが鵜川です。昨日は、もうひとつの棚田の集落も訪問しました。畑という集落です。「日本棚田百選」にも選ばれている集落です。滋賀県で選ばれているのは畑だけです。緑の丸で囲んだところが畑になります。一番下Googleマップの画像をご覧いただくとよくわかりますが、かなりの高低差(おそらく130mほど…)のある尾根筋に棚田が作られています。全体としては、周りが山に囲まれた地形かなと思います。鵜川の方は石垣の棚田でしたが、畑の棚田は少し違います。もちろん、一部に石垣もありますが、縁が丸い地形の棚田が順番に連なっています。同行してくださった坂本清彦先生は、「日本昔話に出てくるような棚田だ」とおっしゃいました。まさに、昔話の絵本などに登場する柔らかな雰囲気の棚田です。素敵です。

■こんな山の中にある棚田ですが、JR高島駅からだと車で15分ほどの距離です。近いですね。この棚田の集落から車と電車を使えば、京都駅までだと1時間半かからずに到着することができます。1時間半といえば、東京だと普通の通勤時間かもしれません。通勤は大変だとは思いますが、大阪駅までだと2時間をきるほどの時間で到着できます。そうなんです。高島市は、都会に近い場所にあるのです。地図を見ていただくとわかりますが、この畑の集落の山側には、横谷トンネルがあります。このトンネルを抜けると、そこは旧朽木村の村井という場所になります。ここには国道367線が走っています。福井県の小浜市や京都市の北部までは車だとそれほど時間がかかりません。まだ、聞き取りをしているわけではありませんが、何かかいものをするときも、小浜や京都に向かわれるのではないかと想像しています。

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■畑を訪問した後は、「公益社団法人びわ湖高島観光協会」と「たかしま市民協働交流センター」を訪問しました。観光協会の方は時間的余裕がありませんでしたが、交流センターではじっくりお話をお聞かせいただくことができました。ありがとうございました。棚田とも少し関連してくるのですが、「炭焼き」をテーマに、いろいろワクワクする地域づくりの取り組みができそうな予感がしてきました。意欲のある龍谷大学の学生の皆さんと一緒に、素敵な地域づくりの経験ができるのではないかなと思っています。関心のある学生の皆さんは、私に連絡をいただければと思います。

■今回の視察の目的は、あくまで再来年開催される「棚田サミット」に合わせて、棚田のある集落を視察することにありました。集落の皆さんに丁寧にお話を伺うことはできませんでした。そのような聞き取りについては、これからの地域連携の中で取り組むプロジェクトの中で時間をかけてできればと思っています。

【追記】■上にアップしたGoogleのマップの画像、いつ頃に撮影されたものかはわかりませんが、棚田のなかに緑色の部分が確認できます。おそらく、このうちの多くは不耕作地ではないかと思います。きちんと確認したわけではありませんが、鵜川も畑にもそのような不耕作地を確認いたしました。ここからも、平地でも不耕作地が増えています。ましてや棚田であれば、その維持がいかに大変であるか想像できるのではないかと思います。

棚田サミットのお手伝い

■高島市の地域づくりのお手伝いをすることになりました。2022年に開催される第27回全国棚田(千枚田)サミット開催に関連して企画等のお手伝いを行うアドバイザーの仕事です。期間は、今月の20日から2022年の3月末までです。本日、委嘱状が届きました。高島市の皆さん、どうかよろしくお願いいたします。私は滋賀県の世界農業遺産申請についてもアドバイザーをさせていただいたので、どこかで両者がうまく結びつくことになったらいいなと思っています。滋賀県庁の皆さん、ご支援ください。

「3万年前の航海 徹底再現プロジェクト」


◼︎現生人類は日本列島に約3万8千年前、朝鮮半島から到達したといわれています。しかし、ルートはそれだけではありません。大陸と陸続きだった台湾から沖縄へと北上するルートからも、その後に生まれたといわれています。国立科学博物館の「3万年前の航海 徹底再現プロジェクト」は、それを実証するための実験です。上の動画は、そのプロジェクトを紹介するものです。いよいよ、壮大な実験が始まります。以下は、動画の解説です。

最初の日本列島人は、3万年以上前に、海を越えてやって来たことがわかってきました。中でも注目すべきは、到達困難な沖縄の島々。彼らはいかにして大航海を成功させたのか? このプロジェクトはその謎を解くために、2016年に始動しました。

私たちが最終的に再現したいのは、沖縄ルートの最初の関門である、台湾→与那国島の航路。2019年に予定するこの本番の実験航海は、世界最大の海流黒潮を越え、遠く水平線の下に隠れる島へ向けて、3日間に及ぶタフな航海になるでしょう。これをやり遂げたとき、未知の世界に挑戦し切り開いていった、祖先たちの知られざる姿が浮かび上がってくるはずです。

◼︎台湾から与那国島を目指すわけですが、これまでの実験、草や竹の船では黒潮の強い流れに流されてしまい、与那国島に近づくことができませんでした。今回は、風や波の穏やかな日を選んで出発するようですが、200kmを2日かけて航行するとのことです。詳しくは、直接、公式サイトのプロジェクトの解説のページをお読みいただければと思います。でも、人類はなぜ未知の世界を目指すのでしょうね。この辺りは、人類の本質に触れることかなと思います。

◼︎私は、社会学を学んできましたが、どういうわけか人類進化や、約10万年前にアフリカでホモ・サピエンスが誕生し、 そこからユーラシア大陸、北アメリカ、南アメリカなど世界中へと広がっていた、いわゆるグレイトジャーニーの類の話が大好きです。ということで、この国立科博のプロジェクトにも注目しています。

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