2013年 最後のご挨拶。

■「環境社会学/地域社会論 琵琶湖畔発」にお越しの皆さま。大晦日のこの日、「2013年最後のご挨拶」をさせていただきます。

■昨年、2012年のの7月25日に、このホームページを開設しました。「三日坊主」で更新も終わるかな…と思っていましたが、自分でも意外なことに、なんとか今日まで更新を続けてこられました。いろんな理由からコメントはできないように設定してあります(大きな理由は、スパムコメントの大攻撃にあうため)。ですので、何かございましたら、「CONTACT」機能か、あるいはメールでご連絡をいただければと思います。

■2013年、いろいろありました。ありすぎて、ここでは簡単に書くことができません。各方面の皆さまには、本当にお世話になりました。いろいろ勉強させていただきました。長年、滋賀県で学ばせていただいたことをもとに、来年はいよいよ、アウトプットに時間とエネルギーを割いて頑張ることになります。ちょうど1年前の大晦日には、このブログで以下のようにかいています。

■とはいえ、ゼミ4年生の卒業論文の原稿がドッと送られてきており、これから原稿のチェックをしなくてはいけません。ゼミ生たちには、「私の正月を返してくれ!!」と声を大にして叫びたいのですが、仕方がありません…。来年度は、もっと早くに卒論指導を終えるように、卒論指導の仕組みを大きく変える予定です(3年生の皆さん、ご覚悟を)。また、この5年程、学生の指導や地域貢献にかなりのエネルギーと時間を投入してきましたが、少し自分自身に充電をする時間が必要になってきました。来年は、長期的な視点にたって、自分自身への充電も心が得けるようにしたいと思っています。

■…と決意しただけで、実際にはどうだったでしょうか…。気持ちばかりが焦ってしまっていますが、こんどこそは分自身の仕事にきちんとエネルギーを割いていくことにします。とはいえ、研究、教育、地域連携、地域貢献、学内行政(研究科長は2期目の1年目で、あと1年残っています…)のバランスが重要です。特定のことに傾きすぎた自分の仕事のバランスを、きちんと修正するという感じでしょうか。

よみがえったイタセンパラ

20131230itasenpara.jpg■右の写真は、イタセンパラ(板鮮腹)という淡水魚です。ウィキペディアコモンズから拝借してきました。このイタセンパラは、タナゴ(コイ科)の一種です。10cm程の小さな魚です。国の天然記念物にもなっています。ただし、その生存が危ぶまれてきました。環境省のレッドリストで最も絶滅危険性の高い「絶滅危惧IA類」に指定されています。生息している地域は、琵琶湖・淀川水系、そして濃尾平野、富山平野になります。淀川の「シンボルフィッシュ」と呼ばれています。

■先日、このイタセンパラについて新聞記事(産経新聞)を読みました。一度消滅したと思われていた淀川のイタセンパラですが、8年ぶりに繁殖が確認されたというのです。記事には「大阪府立環境農林水産総合研究所水生生物センター(同府寝屋川市)や沿岸の子供たちなど、官民が手を携えた地道な活動が着実に実を結びつつあり、関係者は『地域の宝』のさらなる繁殖に期待を寄せている」と書かれています。素敵な話しですね。

■淀川のばあい、イタンセンパラは、流れの早い本流ではなく、岸近くの「わんど」にいます。わんどとは、河川沿いにある潅水域(かんすいいき=水たまり)のことです。河川本流が増水したとき直接につながりますが、ふだんは、ため池のようになっています。淀川のばあい、これらのわんどは明治以降の治水事業のなかで人為的につくられてきました。水草なども茂り、いろんな水生生物が生息できる安定した環境となっていました。しかし、このわんどに生息していたイタセンパラが一時期、姿を消していたのです。記事には、こう書かれています。「しかしその後、琵琶湖から下ったブラックバスやブルーギルなどの外来魚が繁殖し、生態系が変化。護岸工事によるわんどの減少が重なり、18年には大阪の淀川から完全に姿を消した」。その姿を消したイタセンパラが、また繁殖をしはじめたのです。

■再び、繁殖をはじめた背景には、行政と地域の子どもたちの努力がありました。再び、記事を引用してみます。

復活の裏には、官民連携した保全への努力があった。10月には、大阪市旭区の淀川左岸に広がる「城北(しろきた)わんど」で、地元の小中学生約45人を招いた行政機関主催の放流会が行われた。

イタセンパラは、希少性の高さや見た目の美しさからネットオークションなどでの売却目的に密漁する動きがあり、これまで放流場所は非公開だった。しかし「地域の人も参加できるような保全活動にしたい」と初めて公開に踏み切った。密漁防止のため、行政と地域住民が連携した巡視活動も始まった。

シンボルフィッシュを守る動きは、ほかにも活発化している。同センターは、子供たちにイタセンパラについての知識を深めてもらおうと、淀川沿岸の小学校に職員が出向く「出前授業」を開催。市民団体「淀川水系イタセンパラ保全市民ネットワーク」(寝屋川市)と行政機関が連携し、外来魚駆除を目的とした釣り大会も開かれた。

着実に成果が表れつつあるイタセンパラの保全活動。同センターの上原一彦主幹研究員は「長期的な生物の保全には地域ぐるみの協力が不可欠。『地域の宝』として地元住民が誇れる存在になれば」と話している。

20131230itasenpara2.jpg■この記事からわかることは、生物を保全していくためには、人のかかわりが必要であるということです。以前は、人と生物を隔離することで保全しようとする発想の方が、圧倒的に優勢でした。しかし、時代は少しずつ変化してきました。今回の事例では、「シンボルフィッシュ」という意味付けを通して、イタセンパラと地域の人びととの間に関係が生まれ、地域の人びとが保全の担い手となっていることがわかります。その前提として、イタセンパラが生息し続けていくために必要なわんどという環境、そこにある生態系の価値を再評価しようとする意識の広がりが存在しているはずです。

■ところで、この画像は、新聞記事の引用のなかにある「城北わんど」を、Google Earthでみたものです。いかがでしょうか。画像の左側が下流、右側が上流です。上流からみて左側が左岸、右側が右岸と呼ばれます。この画像では、左岸の方に、わんどが確認できるかと思います。わんどのあるところは、増水すれば水につかります。わんども、本流とつながります。現在、淀川は、治水・利水のための土木工事によって、「陸」の世界と「水」の世界は完全に分断されているわけですが、かつては、その境目が大変曖昧でした。わんどのような場所が、いたるところにありました。いろんなところに中洲があり、また河岸ではヨシが繁っていました。それらの場所は、「陸」の一部になったり「水」につかったりする場所となっていました。そこにも、たくさんの生物が生息していました。

■この「陸」と「水」の関係について、もう少し考えてみたいと思います。極端な例で考えてみましょう。私は、かつて東南アジアのカンボジアのトンレサップ湖に調査にいったことがあります。その時の経験について、少し述べたいと思います。以下は、トンレサップ湖についてのwikipediaの説明です。

トンレサップは、カンボジアに位置する湖であり、河系と結びついている。東南アジア最大の湖であり、クメール語で巨大な淡水湖 (sap) と川 (tonlé) という意味がある。一年のうちほとんどの期間、水深は1mに留まり、面積は2700平方kmしかない。形状はひょうたん形である。しかし、夏季のモンスーンの時期には湖からプノンペン付近でメコン川に流れ込むトンレサップ川が逆流する。そのため周囲の土地と森を水浸しにしながら面積は1万6000平方kmまで拡大して深度も9mに達する。淡水魚には陸上植物起源の有機物が豊富に供給され、また多量のプランクトンが発生する、このような一時的水域で繁殖するものが多いため、魚が大量に発生する。体重100kgを上回るメコン大ナマズ (Pangasius gigas) やフグなど600種類以上の淡水魚が生息する。雨季の終わりには水が引き、繁殖を終えた魚は川下に移っていく。トンレサップ水系で採れる魚は、カンボジア人のたんぱく質摂取量の60%を占める。水が引くにつれ周囲に養分に富む堆積物を残すため、雨季以外には重要な農地が拓ける。浮き稲などが栽培されている。トンレサップ川が逆流することで、メコン川下流の洪水を防ぐ安全弁にもなっている。

(太字強調は脇田)

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■トンレサップ湖周辺の水田です。2003年8月下旬に撮影したものです。「ああ、これから田植が始まるのかな?」とお思いの方、それは違います。もう一度、上のwikipediaの引用の太字をお読みください。そうです。この水田は、これから湖になってしまうのです。水につかった水田のむこうには、なにやら茶色い壁のようなものが見えますね。これは、竹で作った漁具です。湖のなかに迷路をつくって魚を迷い込ませて獲るのです。琵琶湖のエリという定置漁具に似ています。稲を育てる場所が、同時に、魚を獲る場所でもあるのです。興味深い風景ですね(確認していませんが、漁具を仕掛けている人と、水田を耕している人は別の方だと思います。一定のルールの元で、特定の人の所有している水田に、他人が漁具をしかけても問題ないのです。もともと、カンボジアには、私たちが近代国民国家のもとで自明としている近代的土地所有権の観念ははっきりとは存在していませんでした)。右の写真ですが、家が見えます。これは水に浮いています。雨季にトンレサップ湖の水位が上昇するあいだ、ここに暮らして、漁をおこなうのだと思います。フローティングハウスですね。ここでは「陸」と「水」の世界が連続していることが、はっきりわかります。また、そのような環境をうまく活用して人びとの生業や生活が成立していることがわかります。もちろん、日本を含む東アジアと東南アジアとでは、同じモンスーン気候とはいってもかなりの差があります。トンレサップ湖のばあいは、かなり「強烈」です。しかし、このような「陸」と「水」の世界が連続する風景、そしてそこに人びとが強く関与する風景、それは日本も含めたアジア・モンスーン地帯のいわば原風景といえると思うのです。

(この投稿の後半は、現在、塩漬け状態にある拙ブログ「Blog版「環境社会学/地域社会論 琵琶湖畔発」の「モンスーンのなかの淀川、淀川のワンド(その1)-大阪から、何故かカンボジアへ-」 」にもとづいています。)

仕事を律する

20131229ayameike.jpg ■冬休みに入り、自宅の大掃除とか、いろいろ、諸々…やるべきことを、とりあえず少しずつこなしています。前進しています。それと同時に、マラソンのレースに向けて気合いをいれるために、「今日からきちんと計画的に練習するぞ!!」という強い意識のもと、走りました。もちろん、走ることは確かに気持よかっのですが(心肺は少々辛いものがありましたが)、なんといいますか、ランニングがまだまだ生活のなかに定着していないといいますか…。これから、きちんと走って練習し、定着させます(反省)。写真は、その気持を改めて、しっかり自分のなかで強く意識したときに撮ったものです。

■今日は、少し風はありましたが、写真のとおり、気持ちが良い日でした。こんな空のような気持ちで、いつもいると幸せなのでしょうね。まずは、(1)やるべきことをきちんと処理できている。(2)部屋や研究の中が整理整頓されている。(3)パソコンのデスクトップが美しい。(4)酒を飲みすぎず、規則正しい生活をする。私のばあいでいすが、(1)~(4)が、きちんと日常生活のなかでうまくいっていると、きっと、写真のような空のような気持ちで過ごせるのではないかと思うわけです。

■そうは思うのですが、これがなかなか難しい。(1)~(4)は、どこかで相関しているように思います。なんでもかんでも、「よっしゃ!」と引き受けてしまうことを、少し考えて、仕事の優先順位に関して、きちんと自分のなかで整理をつけなければ…、言い換えれば、「仕事を律する」必要があるとも思っています。う~~ん、それが果たしてできるのかな~。そこが、問題なのですね。でも、自分のなかには、この写真の空のような清々しい気持で、これからも仕事をしていたいとは思っているのです。

米粉パン&米粉ケーキづくり教室

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■昨日は、JR草津線に乗って、甲賀市で米粉パン&米粉ケーキをつくっておられる藤井真知子さんをお訪ねました。ゼミ生であるYさんTさんの2人も一緒です。少し前のことになりますが、Yさんが「米粉パンに関心がある」といったので、「それならば、米粉でパンをつくっている藤井さんという人が甲賀市にいるので、紹介してあげようか」ということになりました。藤井さんにゼミ生のことを伝えたところ、「実際に、米粉でパンやケーキをつくって体験してらおうか」と学生の訪問を歓迎してくださるお返事があり、今回の「米粉パン&米粉ケーキづくり教室」が実現したのでした。

■藤井さんは、元・甲賀市役所職員、政策法務を担当されていましたが、思うところがあり、龍谷大学大学院のNPO地方行政コースに社会人院生として入学されました。私は、このコースに大学院の授業科目を提供していることから、藤井さんも私の授業に顔を出されるようになったのでした。大学院を修了した後(彼女の修士論文は京都府知事賞を受賞しました)、ご家庭の事情で市役所は退職されましたが、農村地域にお住まいであることから、米の粉、米粉を使ったパンやケーキをつくり始められたのでした。そして、それらを核に、地元産の農産物を使った村おこしにも取り組もうと頑張っておられるのです。藤井さんも含めて、その前後のNPO地方行政コースの社会人院生の皆さんとは、年に1回ほど吞み会をしているので、藤井さんが米粉でパンをつくっておられる・・・ということをうかがってはいたのですが、今回やっと実際の米粉パン&ケーキづくりを拝見させていただくことができました。

■トップの写真は、藤井さんのお宅の「パン工房」です。自宅を改造されて、このような「パン工房」をつくられたのです。学生たちは、まず、小麦粉と米粉の見た目や細かさの違い、栄養的な違いについて学び、実際に、シフォンケーキ、パン、ピザ、ロールケーキを藤井さんにご指導いただきながら、つくり始めました(写真のあとに、さらに本文は続きます)。

【米粉シフォンケーキ編】
■この工房には、大きなガスオーブンが2台設置されていました。家庭用ガスオーブンのなかでも、一番大きなものなのだそうです。ちょっと圧倒されました。藤井さんの手際の良さもあって、短時間でどんどん作業が進んでいきました。焼きあがったシフォンケーキは、みずからの重さでつぶれてふわっとした食感がなくならないように、さかさまにして冷まします。このパン粉のシフォンケーキ、夏場であれば、良く冷やしてアイスクリーム添えるとおいしいとのことでした。
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【米粉ピザ編】
■米粉でピザもつくりました。ひとつは、通常のピザ。ちいさなピザパンもつくりました。通常、トマトソースをぬるわけですが、今回は、藤井さんお手製の黒豆の味噌を塗ってみました。味噌とチーズはあいます。そして、味噌と米は当然のことながら相性は抜群なわけです。であれば、肉味噌なども美味しいと思います。また、米粉をつかった「お焼き」などもできるとのことです。なかには、地場産の漬物を入れるとよいですね。
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【米粉パン編】
■焼きあがった米粉パンは、独特の甘みがあります。米がもっている甘味ですね。非常においしかった。ピロシキなんかもできませんかね。
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【米粉ロールケーキ編】
■米粉でつくったロールケーキは、非常にしっとりしています。小麦粉だと作り方や焼き方の加減によっては割れてしまうことがあるのですが、米粉のばあいはそんなことがありません。非常に柔らか。お土産に頂きましたが、自宅の冷蔵庫でよく冷やしてたべると、さらに美味しさが引き立ちました。
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■藤井さんが終了された「龍谷大学大学院 NPO・地方行政研究コース」では、「グローカル通信」というニューズレターを発行されています。そのニューズレター(2010. 11vol.19)に、藤井さんが2006年度終了生として「食をテーマに活動してます」という短文を寄稿されています。

私は、現在、女性が定年後に地域性を活かした社会参加ができないものかと、地産地消や安全安心な食材の視点から、地域のコミュニティの中で特産品の体験講座や米粉を使ったパンやお菓子作りの教室といった活動をしています。
 私が自治体職員を退職するという転機に巡りあわせ、仕事を通して社会参加してきた女性が、男性と同じ定年を迎えるときに、「自分の住む地域で市民として何ができるか」という課題を見つけたことによるものです。私自身の「法務」という研究テーマから離れた分野での活動で、周囲の方は驚いておられますが、このコースで学んだ地域人材への思いが私に自然と流れてきたのかと、そして今も、先生方や修了生の仲間が道標でいてくださると安心しています。

(太字強調は脇田)

■なぜ、政策法務の専門家として市役所に勤務していた藤井さんが、村おこしの活動にはいられたのか。太字で強調しているところをお読みいただければよくわかりますね。男性のばあい、退職後、地域社会でどのように生きていくのかということが、よく問題にされます。「おやじの地域デビュー」といわれる問題です。何十年も組織のなかで働いて、退職後に「役割喪失」してしまう男性たち。様々な領域で経験を積んできた男性が、退職後、地域社会にどのように貢献し(地域社会、そして他者とのつながりをもちながら)、自らの第二のどのように人生を充実させていくのか。高齢社会の日本において大変重要な問題となっています。しかし、このような「役割喪失」の問題は、男性だけのことではないのです。一般的にみて、女性のばあいは、家族の誰かに介護が必要になったばあい、介護するために定年前に退職されることが多いのではないでしょうか。そのばあい、男性とは異なる「地域デビュー」の在り方が必要になるのかもしれません。藤井さんは、そのことを、自らの退職を契機に「発見」されたように思うのです。

■藤井さんのお宅では、県外からやってきた中学生が農業・農村体験するために民泊することがあるそうです。教育旅行ともいわれますが、グリーンツーリズムのひとつのやり方ですね。中学生が楽しそうに体験しているところを写したお手製のアルバムも拝見しました。教育旅行にやってきた中学生たちの思い出のためにと、みずから製作してプレゼントされているのだそうです。藤井さんは、農村のライフスタイルを再評価しながら、村づくりの進む方向性を模索されています。また、今回の続きのお話しを伺ってみたいと思います。

2013年の「自分新聞」

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■facebookに「自分新聞」というアプリがあります。このアプリ、2013年に投稿しした記事のなかで、facebookの「友達」から「いいね!」をいただいた数が一番多かったものがトップ記事になります。あとは、月ごとの「いいね!」が多い記事をリストアップしたり、どの「友達」からの「いいね!」が多かったかを示すランキングや、投稿数や「いいね!」の数を折れ線グラフとして表示したり、さらには投稿した記事のなかで一番使用頻度の闘った単語を流行語としてランキングしたり・・・そんなこんなを、新聞風の一枚の画像にしてくれます。記事のなかには、某大学の先生や、先輩、元上司、職場の仲間…いろんな方たちが登場されます。記事は、自動的に、面白おかしいものに仕上げられています。お名前が登場した方たちには、失礼な感じになるかもしれませんが、「お遊び」と思ってご容赦ください。

■トップ記事は、「卒業式」でした。また、流行語大賞も1位が「大津エンパワ」、2位が「北船路米づくり」、3位が「龍谷大学社会学部」。あれ~、みんな仕事がらみのものばかりです。facebookは、個人的なものではありますが、大学で取り組んでいる仕事のことをよく投稿するものですから、このようなランキングになってしまいました。なんだか、少し寂しいものがありますね。

■とはいえ、いろんな皆さんに「いいね!」をいただきました。ありがとうございました!!

「経験」すること

■ある学生と面談をしていたときのことです。「せんせー、僕の『やる気スイッチ』、どこにあるんですかね。結果がみえていないと、やる気がでないんですよ」。つまり、「こうすれば確実に確かな結果が獲得できる」と保証され、高い確実性が存在しないのであれば、自分は取り組みたくない…ということなのかもしれません。そのことを、自分でも困ったことだと思っており、なんとかしたいとは思ってはいるようなのですが…。私だって「やる気スイッチ」があればなあ…もっとバリバリ仕事をするんだけど…とは思いますが、「結果がみえないと、やる気がでない」というのは…すぐには理解できません。結果がすぐにはみえないから、確実ではないからこそ、そして未知の経験ができるからこそ、逆に、やる気が生まれてくるってこともあると思うからです。最初から結果が見えている…そんな計算可能、予測可能な未来…、それはそれで退屈で辛いことなんじゃないでしょうか(…・と思うのは、おじいさんに近づきつつある、おじさんの言い分でしょうが)。

■いろいろ学生たちと話しをしていて、時々、強く感じることがあります。コスト・ベネフィットを考えるように自分の日々の生き方を選択しているように思うのです。無駄になるかもしれないけれど、汗をかいて頑張って、人に相談をしてお願いをして…そんな面倒なことはできるだけしたくない。要領よく結果だけを獲得したい。そんな発想が見え隠れしているように思うのです。言い換えれば、自分の思うようにならないことは苦痛であり、そのような苦痛は、できるだけ自分の周りから消去したいという願望です。

■今、『民主主義のつくり方』(宇野重規・筑摩選書)という本を読んでいます。このなかで、藤田省三(日本思想史)が取り上げられています。引用してみます。

藤田は『経験の重視と自由の精神とは分ち難い一組みの精神現象』であるという。逆にいえば、経験が失われるとき、自由の精神も失われる。(中略)藤田にとっての経験とは、人と物との相互的交渉である。『物に立ち向かった瞬間に、もう、こちら側のあらかじめ抱いた恣意は、その物の材質や形態から或は抵抗を受け、或は拒否に出会わないわけにはいかない。そしてそこから相互的交渉が始まり、その交渉過程の結果として、人と物との或る確かな関係が形となって実現する』。藤田にとっての経験とは、自分が思うようにはコントロールできない物や事態との遭遇を意味した。その意味では、経験とは自分の恣意性の限界を知ることに等しい。

もし人がすべてを思うままに支配できるならば、そこには経験はない。思うままにはならない物事に対し、それと交渉し、何とか行き詰まりを打開すること、そのような実践こそが、藤田にとって経験の意味するものであった。そして、経験なくして人間の成熟はありえないと藤田は考えた。

自分の思うようにならない物事との交渉は、当然苦痛を伴うものになる。しかし、自分を震撼させるような物事との出逢いを回避するとき、人はすべてを支配できるという幻想に自閉することになる。とはいえ、それは真の意味での「自由」とはほど遠い。「自由の根本的性質は、自分の是認しない考え方の存在を受容するとこにあ」るからである。

(中略)現代社会をますます覆い尽くすようになっているのは、「私たちに少しでも不愉快な感情を起こさせたり苦痛の感覚を与えたりするものは全て一掃して了(しま)いたいとする絶えざる心の動きである」。このような傾きこそが、人々を「経験」から遠ざけると藤田が考えたことはいうまでもない。(中略)経験を拒み、言い換えれば自分に抵抗し拒絶を示すような事態との遭遇を回避し続けるとき、逆説的には人間は自動的な機械の部品にならざるをえなくなっていくと藤田は指摘した。

「今私たちを取り巻いている世界には、もはやそのような基礎経験も、それとの知的交渉を通した知的経験の再生力もない。それだけに、自分だけの『体験』を重視することによって、制度の部品となっている函数的境遇の中での気晴らしと『自分』の存在証明を求めようとする」。いたずに自らの「体験」を誇る言説の氾濫にいらだちながら、それにもかかわらず、「経験」は失われ続けていると藤田は指摘したのである。

■藤田省三の文献をきちんと読んだわけではなく、宇野さんの文章を引用しているだけです。孫引きのような形になりますが、この藤田省三の「経験」という概念は、面談する学生たちの発言の背後にあって無意識のうちに共有されている時代意識のようなものを考えるうえで、大切なことだと改めて思うのです。宇野さんが引用している藤田省三の文献は1980年代から1990年代にかけて書かれたものです。学生からすれば、ずいぶん大昔の話し…のように思えるかもしれませんが、そうではないと思います。藤田が批判的に指摘した状況は、より一層、深く社会のなかで進行しているのではないでしょうか。

■ここで、話しを少しかえます。龍谷大学社会学部の理念は、「現場主義」です。この「現場主義」をどう捉えるのか、教員によって様々だと思いますが、私は上記の藤田のいうところの「経験」を学生たちが積み重ねていくことこそが「現場主義」の教育ではないかと思うのです。私の限られた経験ですが、地域連携型教育プログラムである「大津エンパワねっと」で…、ゼミでおこなっている「北船路米づくり研究会」で…、そして各自の卒論のフィールドワークで、義務感からでもなく、就職に有利だからという功利主義的な考え方からでもなく、それぞれの活動のなかで自分の目の前に生じている事態にきちんと向き合い、「経験」(自分が思うようにはコントロールできない物や事態との遭遇)を蓄積していった学生が結果として成長していくように思うのです。そして、なによりも大切なことは、藤田のいう意味での「自由」に近づいていると思うのです。

【追記】■この『民主主義のつくり方』、勉強になります。この本を、出版社側は、こう紹介しています。

民主主義は今、不信の目にさらされている。決定までに時間がかかり、「民意」は移ろいやすい…。だが、社会の問題を共同で解決する民主主義を手放してしまえば、私たちは無力な存在となる他ない。ならば、この理念を再生させるには何が必要か?「習慣」と「信じようとする権利」を重視する“プラグマティズム型”の民主主義に可能性を見出す本書は、この思想の系譜を辿り直し、日本各地で進行中の多様な実践に焦点を当て、考察を加えてゆく。未来が見通しがたい今、「民主主義のつくり方」を原理的に探究した、希望の書である。

■プラグマティズムに関連して、本書ではチャールズ・テイラーが取り上げられていました。そしてテイラーの「孔だらけの自己」(porous self)と「緩衝材で覆われた自己」(buffered self)という概念、興味深いですね〜。

近代の「緩衝材に覆われた自己」とは、自らの内面に撤退し、そこから世界をうかがい、あるいは操作しようとする存在である。あらゆる意味は自らの内面からのみ生まれるのであって、自分の外部と統御すべき対象でしかない。

地酒プロジェクト

■ゼミでおこなっている「北船路米づくり研究会」が「架け橋」となった、新しい事業が動いています。学生たちが企画した農村-都市の交流事業である「かかし祭」をきっかけに誕生した「地酒プロジェクト」です。北船路の営農組合と大津の蔵元「平井商店」さんとの間を、学生たちがつなぎ、北船路で生産された山田錦(酒米)を原料に、新しい地酒『北船路』をプロデュースしようと頑張っているのです。

■来年、1月下旬に仕込みに入る予定になっています。2月には、まずは「生原酒」が生産されます。加熱処理した清酒については、春頃に発売の予定です。お花見には間に合いそうですね。現在、学生たちは瓶(300ml、720ml、一升瓶)に貼るラベルのデザインをしています。また、広報や予約注文等についても、これから頑張らねばなりませんし、面白いアイデアも必要になります。このプロジェクトに関わることで、成長していってほしいと思います。最近は、研究会の活動は、ほぼ学生主導でやっているので、私は時々進捗状況を聞いているだけです。

■また、詳しい情報をアップしますので、お知り合いの日本酒好きな皆さん、ぜひともご注目ください!! 龍大関係者のあいだでは、予約注文も受付けてはどうかなと思っています。ある職員の方と話しをしたときに、「300本ぐらい、あっという間に売れるんじゃんないですか」と言っておられましたが、さて、どんなものでしょうね〜。いろいろご意見やアドバイスをいただければと思います。

■社会学部の卒業式のあとのパーティで使ってくれるとうれしいんですけどね〜。これは社会学部同窓会に相談してみようかな。

博多風の鶏の水炊き

20131225mizutaki.jpg■昨晩は、若い独身の同僚の先生のお宅に伺いました。そして、都合のついた親しい教職員の皆さんと小さな忘年会をもちました。昨晩は、私が料理を担当させていただきました。メイン料理は、「博多風の鶏の水炊き」です。「なんだ、ただの家呑みの鍋パだ」と思わないでくださいね。昨晩は、自宅から持参した圧力鍋で、時間をかけて美味しい鶏のスープをとるなど、けっこう手間をかけてつくりました。博多風の鶏の水炊きは、スープが命…なのです。

■写真は、その同僚の先生がfacebookにアップされたものです。博多風の鶏の水炊きでは、まずはスープからいただきます。黄金色のスープに、ごくごく微量の塩を入れて、博多ネギ(薬味ネギ)をうかべていただきます。鶏の骨を細かくくだき、スープを白濁させてもよかったのですが、昨日は澄んだスープに仕上げました。うまみ調味料のような尖った味ではなく、じつに丸い味なんですよね~。

■写真はありませんが、このあとに、あらかじめ下準備をした鶏肉をいただきました。圧力鍋を使ってスープと一緒に少しボイルしたのです。とてもやわらかく、スープの旨味と融け合っていました。鶏肉のあとは、キャベツと春菊と豆腐。白菜ではなくキャベツです。白菜は水分が出てスープが薄まるので、しばしば博多ではキャベツが用いられます。このキャベツも、これまたスープにばっちりマッチするのです。小さな宴会でしたが、楽しい時間を過ごすことができました。自分で料理して、自分で自画自賛する…どうもすみません。でも、本当においしかったんですよ。

20131225kasaitei.jpg 【追記】■若い独身の同僚の先生…って書いても、関係者はすぐに誰だかわかりますよね〜。コミュニティマネジメント学科の笠井先生です。匿名にする必要ななかったな。ということで、当日の写真もアップします。私、酔っぱらって眠っているのではなく、たまたま目をつぶってしまっているのです。この日は、コミュニティマネジメント学科の仲畑先生や、大津エンパワねっとの事務職員である並松さんも参加されました。楽しい宴会でした。次回は、すでにワインが用意されています。次回の宴会用に笠井邸にキープしてあります。次回は、ワインですから洋食ですね。パエリアとか…考えているのですが、どうでしょうか。

学生との面談

20131224soturon.jpg■自分の教育方針として、個人面談を大切にしています。今日も、5人の学生と面談をしました。いずれも、卒業論文の指導に関する面談です。まだ、この時期に、指導を受けながら執筆しているゼミたちがいるのです。困ったものです。作業が遅れてしまっているのは、実際に卒論の調査や執筆を経験することなしに、「卒論、やりたくないな〜」、「なんとかなるやろ〜」と先送りしてきたからです。実際には、もちろん、なんともならないのです。残された時間を必死になって取り組むことになるのです。しかし、必死になって取り組むなかで、卒論の調査や執筆の面白さにも触れているのです。これは、ひとつの希望ではあります。

■1人の学生に「フィールドワークせんとあかん厳しいゼミやのに、なんで僕のゼミにきたんや」と聞いたところ、「いつも怠けて先送りする自分をなんとかしたいと思い、ゼミに入りましたが、やっぱり油断して、先送りする癖がまた出でしまいました」というのです。「こんなことなら、もっと早くから取り組んでおけば、もっともっと充実した経験ができただろうに…」と反省しているのでしょうが、残念ながら、もうじっくり指導をしている時間がありません。

■私は、学生との面談の記録をつけています。3・4年生のゼミ生だけでありません。1・2年生との面談も少し入っています。結果として、延べ104人と面談をすることになります。来月も含めると、延べ人数で110人は超えるのではないかと思っています。次の面談は、1月4日になります。赤ペンを入れた原稿を、1人1人の学生に返していきます。その赤ペンを参考に、卒論提出直前の最後修正を加えてもらいます。そして、1月7日(火)に全員揃って、社会学部教務課に提出します。写真は、昨年、ゼミ全員でそろって提出した時のものです。

「取り戻せ!つながり再生モデル構築事業」

20131224yamaki.jpg■今日の午前中、滋賀県庁琵琶湖環境部琵琶湖政策課を訪れました。流域と地域とのつながりを再生するための「取り戻せ!つながり再生モデル構築事業」に関して打ち合わせをするためです。県庁の職員の方が、研究室に伺うとおっしゃっていましたが、通勤の途中、大津駅で降りれば県庁はすぐそこですから、私のほうから訪問させていただくことにしました。

■こういうモデル事業というと、大きな予算をかけた事業のように思われるかもしれませんがそうではありません。簡単にいえば、「身近な水環境のつながり再生に向けて、県も含め地域の関係者が立場を超えて一緒になって話合い、プラン作りを通じてつながりの再生を実現する」ためのモデル事業です(最大3地域を公募することになっており、すでに募集は終了しています)。モデル地域に選定されると、次の3つに関して支援が行われます。また、モデル地域の成果をもとに、県内の他の地域のつながり再生にも取り組んでいく予定になっています。

(1)話合いの「場」の立ち上げおよび運営
(2)「場」におけるプラン策定のための検討
(3)「場」の運営に係る経費の一部負担。

■詳しくは、以下のリンクをご覧いただければと思います。
知事定例記者会見(2013年11月12日)
平成 25 年度 取り戻せ!つながり再生モデル構築事業 モデル地域公募要領

■担当者の方たちとは、「盛り上がり」のある打ち合わせができました。キーワード的にいえば、地域環境ガバナンス、地域と行政の連携のあり方、地域を支援する行政組織のあり方…。なかなか面白い話しができて、気持ち的には盛り上がりました。自分の個人研究や、研究プロジェクトとも深く関わっている内容ですので、これからどう展開していくのか大変楽しみにしています。写真ですが、特にモデル事業とは関係ありません(あたりまえですね)。打合せのあと、大津駅前の蕎麦屋さん「やま喜」で昼食を摂ったときのものです。ミニ天丼にミニ月見蕎麦。

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