弦楽器工房「Welkstatt der Hobel」

20170427welkstatt.jpg■一昨日は、浜大津にある弦楽器の工房「Welkstatt der Hobel」(ヴェルクシュタット デア ホーベル)を訪れ、ヴァイオリンの弓の毛替えをお願いしました。私の楽器は、西宮北口にある「絃楽器MASARU」さんで入手したものです。こちらは、大学時代に所属していた関西学院交響楽団の後輩である坂本勝くんの工房です。毛替えについても、坂本くんにお願いをすれば良いのですが、やはり滋賀県からすると西宮北口は遠すぎます。家族から、大津市内の立ち寄りやすい場所、浜大津に弦楽器の工房があることを教えてもらい、訪問してみることにしたのです。近くに弦楽器の工房があること、とてもありがたいことです。

■工房の名前、何やら難しいそうですよね。「ヴェルクシュタット」とは作業場、「デア」は定冠詞で「ホーベル」とは弦楽器を製作するときに使用する特殊な鉋(かんな)のことを指すのだそうです。店主の堤邦之さんに教えていただきました。弦楽器の作成には、大小様々な特殊な鉋を使用します。「鉋仕事の作業場」という感じでしょうかね。堤さんの工房の中は、実質本位で装飾的なものが一切ありませんでした。本当に作業場という感じなのです。そういうと、なんだか、職人気質の気難しい店主さんのように思えわれるかもしれませんが、堤さんは、非常に丁寧で温和な方でした。工房は、浜大津の交差点の角のところにあります。特に、大きな看板を掲げておられるわけでもなく、ビルの入り口に、写真のような鉄製の小さな看板が置いてあるだけです。これもお人柄でしょうか。

■ところで、なぜ毛替えをしなくてはいけなくなったのか。少し説明しますね。ヴァイオリンの弓の毛は、馬の尻尾です。この尻尾に松脂を擦り付けて、それで弦を弾きます。松脂で摩擦がおきて、弦が振動するのです。しかし、弾いていると、弓の毛自体も次第に劣化していきます。松脂を塗っても、きちんと演奏することが難しくなってきます。普通は、こうなると毛替えの時期が来たということになります。ところが、今回の場合は、少し事情が違います。楽器をあまり弾かずにケースの中にずっと入れておくと、日本中どこにでもいて、タンスの中の洋服にも穴を空けてしまうカツオブシムシが、ヴァイオリンの弓の毛を食べてしまうのだそうです。カツオブシムシとは、甲虫の一種です。この甲虫が幼虫の時には、乾燥した動物性の繊維質を食べるのだとか。だから、箪笥の中にあるウールの洋服やセーターに穴が開かないよう、防虫剤を入れておくわけです。今回の場合は、弓の毛です。弓の毛は、ウールではなく馬の尻尾ですが、同様にカツオブシムシの餌になります。カツオブシムシに食べられると、弓の毛が細くなり、ちょっとしたことでパラパラと毛が切れやすくなってしまうのです。堤さんは、弓だけでなく、楽器の方も少しチェックをしてくださいました。私の楽器は、イタリアのクレモナで作られた楽器のため、イタリアとは気候が違う日本の場合、ニカワも剥がれやすくなる場合があるとのこと。今のところ、大丈夫でした。

■さて、これで練習できる準備ができました。学生自体から継続して楽器を弾いている知人からは、毎日、5分でもいいから楽器を弾くようにと言われているので、とりあえず15分程弾いてみました。左手の筋が痛い。無理せず、身体を慣らしていこうと思います。すぐに、かつて弾いた曲を演奏しようとすると、身体に無理がくると別の知人にも教えてもらいました。まずは「開放弦のボウイングと音階練習の積み重ねが近道」とのアドバイスをもらいました。もう一度、基礎から身体を作り直すということでしょうか。少しずつ、やってみることにします。先輩からのミッションを無事に果たせるように頑張ります。

ブラームスの弦楽6重奏

20170408brahms.jpg■大学時代のサークル、関西学院交響楽団の先輩から譜面が送られてきました。2つ上の学年の女性の先輩です。現役時代、随分、親しくさせていただきました。その先輩と、最近、facebookでつながることになりました。そして、いろいろやり取りとをしているうちに、「ブラームス(Johannes Brahms)が作曲した弦楽六重奏曲を一緒に弾きましょう」と提案されました。もじもじしている間に、我が家に譜面が送られてきました。ブラームスの弦楽六重奏は、バイオリン、ビオラ、チェロがそれぞれ2つずつで演奏する曲です。特に、ブラームスの好みだと思いますが、ビオラとチェロが活躍する曲です。先輩からは、「2ndバイオリンを弾くように」との指示がありました。卒業しても先輩は先輩。先輩が決定されたことなので、「もう30年ほど弾いていません」と断るわけにはいきません。夏頃、8月上旬に、先輩達とこの曲を演奏することになりました。はたして、30年ぶりに楽器を再開することができるでしょうか。

20170407brahms2.jpg■バイオリンについては、「ひさしぶりに…」を、今年の1月23日にエントリーしました。その中で、「知り合いの方たちからは、『できるだけ頻繁に、数日おきに10分でも良いから、楽器を弾く習慣をつけるように』と言われています。頑張ってみます」と書いていますが、その習慣はまだできていません。全然頑張っていません。これではダメですね〜。早く、コツコツ、練習を積み重ねて行かねばなりません。

■ブラームスの弦楽六重奏はとても有名な曲で、特に第2楽章の主旋律はよく知られています。そのような主旋律は、主に、1stバイオリン、1stビオラ、1stチェロが弾き、私が担当する2ndバイオリンは伴奏に徹する感じでしょうか。他のパートを支える黒子の役割が多くなるわけです。ということもあり、スコアを注文しました。自分が弾くパートと他のパートとの関係をよく理解するためです。こんなふうに勉強するのは久しぶりのことです。それから、あとは、弓の毛替えをしなくてはいけません。浜大津にある楽器修理屋さんに行かねば…。と練習に取り掛かる前に、いろいろ言い訳をしているような気もしないでもありません…が、今度は、頑張ります。マラソン、ランニング、バイオリン…なかなか長突きしませんね〜。性格でしょうかね〜。

■以下は、YouTubeで見つけた、お気に入りのブラームスの「弦楽六重奏」です。イスラエル・チャンバー・プロジェクトの皆さんによる演奏です。

ひさしぶりに…

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■最近、うちの妻はチェロのレッスンに通い、市民オケにも入り、音楽三昧の生活をしています。もともと、私と同じ学生オーケストラに所属してチェロを弾いていました。大学入学時は、クラリネットの経験はあるものの弦楽器は初心者。しかし、努力して4年生の時には首席奏者になりました。そうやって努力をしてきたわけですが、卒業後は仕事が忙しく一切楽器を触ってきませんでした。ところが、最近、そのチェロを復活させたというわけです。そのことを羨ましく思いながら、今月の前半は締め切りの過ぎた原稿を書いていました。一昨日の午後、妻はレッスンを受けているチェロの先生が出演するコンサートに出かけて行きました。午前中は大津市の伊香立での研修会の仕事でしたが、午後は原稿書きも終わっており気持ちが落ち着いたので、一人だけの自宅で自分もヴァイオリンを出して弾いてみようと思ったのでした。

■写真が私の楽器ですが、これは一昨年だったと思いますが購入したものです。新作の楽器ですが、イタリアのクレモナのバイオリン工房で製作されたものです。このブログでも紹介したことがあります。その時は、まだバイオリンを知り合いの工房からお借りしている状態でしたが、清水の舞台から飛び降りる気持ちで購入したのです。頑張って働いてきた自分へのご褒美です。なのですが、購入してガンガン弾いているかといえば、そうではありません。妻の「チェロ復活」も刺激になり、これではいかんと弾いてみることにしたのです。もっとも、楽器から離れて26年たっています。しばらく弾くと、身体の筋が痛んでくるのです。まあ、これは仕方がないかな。思うように弾けないのが歯痒い思いあります。まあ、これからの練習でしょうか。知り合いの方たちからは、「できるだけ頻繁に、数日おきに10分でも良いから、楽器を弾く習慣をつけるように」と言われています。頑張ってみます。

「篠崎バイオリン教室」のこと

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■連休中、通いで母親の介護をしています。母の家でみつけた、私の子どもの頃のアルバムのなかにこういう写真がありました。

■子供の頃、私はバイオリンを習わされていました。もちろん、私が「習わせて!!」といったわけではなく、強制です。「ピアノかバイオリンか、どっちをするか」と5歳のときに母親に迫られました。「やらない」という選択はありませでした。昭和一桁生まれの両親は、若い頃は戦争でできなかったことが多かったようです。いわゆる「文化的な事柄」に対するあこがれがありました。そもそも、いわゆる「文化資本」のない家ですから、「子どもには、何か身につけさせたい」というパターンだったんだろうと思います。本当は、ボーイスカウトのような活動をしたかったのですが、これについては、即、否決されました。

■この写真は、通っていた、「篠崎バイオリン教室」の「おさらい会」の写真です。当時、暮らしていた、北九州市小倉区(現在の小倉北区)に教室はありました。写真の「おさらい会」ですが、小倉のヤマハだったように記憶している。角のほうに「於:日本楽器国小倉店8階ホール」って書いてありますね。まず、一人一人、自分が取り組んできた曲の演奏を終えたあと、全員で合同演奏しているときの写真です。何を弾いているのかは、もう記憶にありません。

■右端に立っている男の子が私です。前の列には、先生の息子さんである篠崎史紀さんが弾いています。まだ幼稚園じゃないかと思います。当時は、「ふみちゃん」と呼ばれていました。年齢が離れているので、話しをすることはあまりありませんでした。現在、ふみちゃんは、N響のコンサートマスター。「まろ」というニックネームでファンの皆さんから呼ばれています。なんといいますか、迫力のある風貌をされていますが、小さい時は、こんなに可愛らしかったんです(まあ、あたりまえですね)。しかし、将来は大物のバイオリニストになると、みんな思っていたのではないでしょうか。子どもながらも、立派な演奏をされていました。ふみちゃんの他にも、篠崎バイオリン教室からは、すぐれた演奏家が排出されているようです。バイオリンが好きでなかった(当時…)私は、この教室の劣等生でした…。いつも先生に叱られていました。ところで、私の記憶では、彼はいつもマッシュルームカットでした。お母さんが自ら鋏をでカットされていたような記憶があります。

■篠崎永育先生がどうされているのか、調べてみました。喜寿でお元気のようですね。
篠崎ヴァイオリンスクール 九州交響楽団 合同演奏会

【追記】■写真の右隅をみると、昭和44年5月5日とあります。1969年ですね。そのとき、私は博多に住んでいました。篠崎先生は、小倉と博多で教室を開いておられました。博多の教室が開かれたのは、市内の東のほうにある公団住宅の集会所だったように記憶しています。ちなみに、私の向かって左側の方は、現在、九州で活躍されているバイオリニストです。北九州交響楽団のコンサートミストレスをされていたようです。

「利やん」でバイオリン

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■ひとつの前のエントリーにも書きましたが、楽器(バイオリン)の演奏を趣味の範囲で再開し、友人たちと音楽を通して交流できたらなあと思っています。仕事の関係もあり、とても本格的に再開というわけにはいかないのですが、それでも気分転換ぐらいには弾いてみたいなあと思います。昨晩は、職場の懇親会でしたが、私は、懇親会終了後、ただち大津駅前のいつもの居酒屋「利やん」に移動しました。

■昨日はバイオリンをもっていたものだから(ケースでですが…)、マスターがめずらしがりました。ふだん、マスターとはマラソンや野球の話しはしても、音楽や楽器の話しはしませんからね。ちょっと、酔っぱらってきましたし、他にお客さんは、後から遅れてやってこられた同僚のH先生だけだったので、調子に乗ってバイオリンを弾かせてもらうことにしました。写真は、マスターが撮ってくださったものです。昭和の香り満載の居酒屋で、バイオリンを弾く…なんだかシュールの光景です。

25年ぶりのバイオリン

20140209violin2.jpg ■学生のときに、オーケストラでバイオリンを弾いていました。学生時代にオーケストラだったというと、たいがいの人たちは、私がコントラバスか、ティンパニーか、トロンボーンか…まあ、そんういう楽器(どういう楽器?)をやっていたのかと聞いてきます。しかし、違います。私の楽器はバイオリンです。とはいえ、25年程弾いていません。そのあたりの事情については、以前のエントリーをお読みください。

絃楽器MASARU
関西学院OB交響楽団のこと

■ところで、昨年のことになりますが(まだ、暑い季節…)、学生時代に私がバイオリンを弾いていたという話しをどこかで聞かれた、ある宴会の幹事さんから、「年度末の宴会では楽器を弾いてほしい!!」という強い強い要請があり、トランペットやピアノの経験のある同僚の先生2人と一緒に余興をやることになりました。とはいえ、学生時代に弾いていたオンボロの楽器では…修理も必要だし…。ということで、後輩のバイオリン職人である「絃楽器MASARU」の坂本くんから楽器を借りてきました(まあ、いずれ購入することになるのかもしれません…)。そのバイオリンで、今日は、俄か練習です。25年弾いていませんから、根本的なところで無理があるのですが、宴会の日も迫ってきていますし、瞬間的に頑張らねばなりません。

■今日は、妻にピアノで伴走をしてもらいながら、余興で演奏する曲の練習をしました。曲名は、内緒です・・・。同じバイオリンでも楽器によって性格というか癖が違いますので、楽器に身体と耳を慣らすのに時間がかかります。トホホ…な感じでした。でも練習するしかありません。本当にひさしぶりなので、左手が痛みます。左手は絃を指で押さえるのに腕を曲げますからね。借りている楽器は、イタリアのクレモナの工房で作られたとのことです。とても、明るい音がします。

絃楽器MASARU

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■週1回の老母の生活介護の後、いつもであれば大阪・梅田を経由して奈良の自宅に帰宅するのですが、昨日は、西宮北口にいくことにしました。阪急・西宮北口のそばにある、坂本勝くんの工房「絃楽器MASARRU」を訪問するためです。坂本くんは、私の学部生時代に所属していた関西学院交響楽団の後輩です。昨日は、27年ぶりに坂本くんと話しをすることができました。

■坂本くんは、私が卒業したあとに入学してきたので、いわゆる「入れ違い」ということになります。しかし、私は、学部を卒業したあとも、現役の団員に交じって定期演奏会に出演し、エキストラとして後ろのほうでバイオリンを弾いていました。そんなこともあり、坂本くんたちとの学年とも、親しく愉快に交流させてもらっていました。あの頃は、ずいぶん乱暴な先輩だっと思いますが、みなさん仲よくしてくれました。さて、坂本くんの話しです。昨日、工房で彼から聞くまですっかり忘れていた話しです。

■坂本くんは、高校のときは吹奏楽部に所属し、ユーフォニアムを吹いていました。大学に進学し、こんどはオーケストラで管楽器を吹きたいと思っていましたが、オケの管楽器の人数は少ないので、坂本くんが入団をしてきたときには、彼の希望するパートはすでに他の新入生で募集枠がうまっていました。空いているのは、弦楽器の枠。ということで、或る意味仕方なく、バイオリン・パートに所属することになりました。大学オケの弦楽器パートは、初心者が多いわけですが、坂本くんも初心者としてバイオリンの練習を始めたのです。まだ、自分の楽器はありませんでした。団にあった、「ほんまにこれがバイオリンか…」という質の悪い楽器を貸与されて練習していました(貧しい学生オーケストラには、貸し出すにしても、そんな楽器しかありませんでした)。でも、そんなオンボロの楽器で練習するのが嫌になるのか、あるいは管楽器にこだわりを残していたからなかの、坂本くんは、時々いつも練習する場所から少し離れた、団員のいないところまでいって、1人ユーフォニアムを吹いていました。

■ここからは、昨日、坂本くんから聞いた話しです。関西学院交響楽団では、毎年、夏期休暇に演奏旅行をします。私が卒業し、坂本くんが入団した年の演奏旅行は、宮城県にいきました。名古屋から仙台まではフェリーなのですが、仙台から名古屋に戻るときのことです。フェリーの中で酒を飲みながら、「坂本が弾いている楽器があまりにひどい、こんなので練習してても上達しない、俺の楽器を貸してやろう」といったらしいのです(らしい…というのは、私には記憶がなく、昨日、坂本くんから聞かされたからです)。坂本くんは、「酒を呑んだ勢いで先輩(脇田)が言っているだけやろう。楽器を貸してくれるはずがない」と思っていたようです。ところが、大学に到着して解散になったとき、私が坂本くんを呼びとめて、その場で楽器を渡したというのです。そんなやり取りがあったんですね…。

■私のほうは、坂本くんに楽器を貸したこと自体は記憶していました。しかし、細かなシチュエーションはすっかり忘れていました。その頃、私は、現役時代の1stバイオリンのパートの他に、2ndバイオリンや、ビオラなどのパートでも弾いてみたいと思っていました。オーケストラのハーモニーを、内声部から楽しんでみたかったのです。演奏旅行では、ブラームスの交響曲第2番だったと思いますが、ブラ2では2ndバイオリンでした。そして、次はビオラだと決意し、知り合いからビオラを借りて練習を始めていたのです。ですから、気前がよい先輩なんてものではなく、バイオリンを貸すことになんの問題もなかった、たまたま条件がそろっていた…だけのことだったのです。それに、私がもっていたのは、ドイツで大量生産された安物のバイオリンですし…。ただ、そんな安物のバイオリンですが、坂本くんにとってはとても嬉しいことだったようで、私からバイオリンを借りることができた日、嬉しくて嬉しくて夜中まで弾いていたそうです。

■記憶はさだかではありませんが、坂本くんには、彼が自分の楽器を手に入れるまでの1年半か2年間ほど貸していたのではないかと思います。ただし、私のほうは、楽器が戻ったあと数年して、「いつまでも演奏しているばあいではない」と自分の研究に集中するようになりました。楽器を弾くことをやめてしまいました。博士後期課程の時代に結婚して、子どももできて、そのほかにも決定的な理由があるのですが、それはともかく、私は楽器をやめてしまったのです。いっぽう坂本くんの方は、卒業後もバイオリンへの情熱が衰えることはありませんでした。しばらくサラリーマンをしていましたが、退職して、お世話になっていたバイオリン職人の親方に弟子入りしました。そして修行を続け、自分の工房をもち独立しました。おそらく、独立したのは15年程前のことでしょうか(坂本くんに聞くのを忘れたな…)。もし、楽器を坂本くんに貸していなかったら…ひょっとすると、坂本くんは、バイオリンのことが嫌いになって、オケもやめてしまって、別の道を歩んでおられたかもしれませんね。そういう話しを、昨日もしました。人生というのは、邂逅の連続だといいますが、その通りですね。

■今回、坂本くんの工房をお邪魔したのにはちょっとした理由があります。ひとつは、「親業」を終えて、また楽器を弾いてみたい…という気持ちがよみがえってきたからです。昨年の「関西学院OB交響楽団演奏会」で、先輩や後輩の皆さんが演奏を楽しまれているのをみて、余計にそのような気持ちになりました。まだ、自宅には坂本くんに貸した安物のドイツのバイオリンがあるのですが、新しいバイオリンが欲しいと思うようになったのです。昨日は、いろいろバイオリンを弾かせてもらいました。フランス、イタリアの楽器が中心でした。もう四半世紀バイオリンを弾いていないのですが、そのような私にもわかる程、イタリアの楽器はとても明るい音がしました。自分がもっている楽器とは違い、楽に楽器が鳴ってくれるようにも思いました。坂本くんの工房で、いろいろ学ばせてもらおうと思います。

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