「弦楽六重奏第1番(ブラームス)」のこと
▪️先日も投稿したように、日曜日に、学生オーケストラ時代の先輩後輩たちと取り組んできた「アラ還ブラームス」の最後の練習が終わりました。先輩の中には、大学を卒業した後も、ずっと、40年以上にもわたってアマチュアとして市民合奏団の中で楽器を弾いてこられた方がおられます。とはいえ、私たちはアマチュアなので音楽大学や音楽学部できちんと西洋音楽の教育を受けたわけではありません。例えば、和声などについても深い知識があるわけではなく、あえて言えば分析的というよりも感覚的に演奏しているように思います。今回、「アラ還ブラームス」で取り組んだブラームスの「弦楽六重奏第1番」ですが、私が担当したセカンドバイオリンも、やたらと臨時記号が譜面に出てきます。和製が複雑になり、ブラームス固有の響きが生まれます。
▪️西洋音楽一般の話ですが、高校までの音楽の時間で習ったように、楽譜の左端にはその曲の調号が付与されています。ヘ長調だと、五線の真ん中、シの音のところにフラット(♭)の記号が付いていますよね。その曲全体の調が決められています。そのことに加えて、臨時記号としてシャープやフラット、さらにはナチュラル、さらにさらにダブルシャープ、ダブルフラットが付け加えられる場合があります。そのような臨時記号は、付与された音符以降の同じ小節の内だけで有効になります。タイがかかっている場合は、小節線を超えることもあります。その臨時記号が付けられることで、少し憂いを帯びたようなブラームス固有の響きが生まれてきます。ですから、本来であれば、その臨時記号のついている音符の音楽的な意味を一緒に演奏している他の楽器の演奏との関係の中で考えて弾かないといけません。そのあたりを、分析的というよりも私たちは感覚的にやっているのです。
▪️ 「アラ還ブラームス」で取り組んだブラームスの「弦楽六重奏第1番」の練習はもう終わりましたが、この段階になって、きちんと分析的に説明している記事を見つけました。きちんと音楽教育を受けたプロの方のnoteの中にありました。こういう記事をもっと早めにしっかり読んで、多少なりとも分析的に意識して弾いていたらなあと思いました。今頃思ってももう遅いのですが…。せっかくですので、このブログに残しておこうと思います。細かく分析されているのは、第1楽章と第2楽章です。
ブラームス弦楽6重奏 第1番 第2楽章 第1楽章(第3、第4楽章)との関係
ブラームス 弦楽6重奏曲 第1番 第1楽章 楽曲分析(アナリーゼ) 提示部編
ブラームス 弦楽6重奏曲 第1番 第1楽章 楽曲分析(アナリーゼ) 展開部編
ブラームス 弦楽6重奏曲 第1番 第1楽章 楽曲分析(アナリーゼ) 再現部〜終結部編
ブラームス弦楽6重奏 第1番 第2楽章 アナリーゼ 主題と変奏
ブラームス弦楽6重奏 第1番 第2楽章 動機(モティーフ)について
▪️最近、ブラームスの「弦楽六重奏第1番」については、以下のYouTubeの動画がお気に入りです。
「アラ還ブラームス」最後の練習。
▪️今から、7年ほど前のことになりますが、植田先輩から「ブラームスの弦楽六重奏第1番をみんなでやろうと思うので参加してね」というような連絡が届きました。植田先輩は、私が学生時代に所属していた関西学院交響楽団の先輩です。最初は、「えっ、マジか」と思いました。そして、気がつくと譜面が送られてきていました。曲はもちろん、メンバーもほぼ決まっていました(途中、メンバーの交代はありましたが…)。結成してすぐにお揃いのTシャツもできました。私の記憶はこんな感じなんですが、先輩の言うことに逆らうことはできません。
▪️このブラームスの弦楽六重奏第1番、私たちアマチュアには大変難しい曲だと思います。なんでこの曲なんだろうと思いつつも、1st.バイオリンの鳩野先輩の剛腕なリードもあり、そして一番最年少の市民オケでバリバリ演奏している後輩・小倉巌くん(還暦を超えておられますが)の参加もあり、なんとかここまでやってくることができました。弾けないところ、途中で落ちてしまうところもありますが、とりあえず一緒に演奏できたという実感と喜びをもつことはできました。もっと時間があれば、もっと練習をしていれば…という思いもありますが、今日で最後になりました。会場は、母校、関西学院大学のある西宮市の市営の音楽練習場をお借りしました。
▪️これまで、6回、それぞれ数時間ずつ練習をしてきました。定期的に集まって…というわけではなく、コロナ禍や、参加されている皆さんの体調等のこともあり、1年以上期間が開いたこともあります。5回目の2023年1月15日は、大阪フィルハーモニー管弦楽団のビオラ奏者・岩井英樹先生にレッスンをしていただきました。
①2017年8月5日、②2018年4月7日、③2022年8月13日、④2022年10月9日、⑤2023年1月15日、⑥2024年6月30日
▪️私は、学生・大学院生時代は一生懸命楽器を演奏していたのですが、28歳の時に演奏をやめてしまいました。本業の研究に集中しなければ、そうしなければならないと思ったのです。それ以来、たまに楽器に触れることはあっても、実態としては楽器から完全に離れていました。仕事をしていると、私の場合はですが、楽器を楽しむだけの精神的な余裕がなかったのです。楽器から離れて30年ほど経過したときに、植田先輩から突然お声がけをいただきました。30年ぶりということで、へっぽこな演奏しかできないのですが、2nd.バイオリンとして仲間に加えていただき、苦しみながら、時にステレスを感じながらも、なんとか音楽を楽しむことができました。ありがたいことです。植田先輩に感謝しなければなりません。
▪️「アラ還ブラームス」というのが私たちの合奏団の名前でした。その頃は、まだ還暦前だったのです。ところが、気がつくと今日は、6人のうち4人が前期高齢者になっていました。加えて、加齢に伴い、病気や体の故障等、みなさんいろいろ抱えておられます。今や「限界ブラームス」です。でも、こうやって「学生時代の仲間と集まれる」ということが、とても幸せなことなんだと思います。
クランクレーデ ブラームスフェスティバル
■以前にも投稿した市民オーケストラ「クランクレーデ」のコンサートのお知らせです。前回は、昨年の秋でした。その時のことは、「クランクレーデ演奏会「Viva★MOZALT」」というタイトルで投稿しました。その投稿には、次のように書きました。
こちらの市民オケで演奏されている皆さんは、ほとんどの方が学生時代から楽器を続けてこられた方達、あるいは途中、楽器から離れても今は一生懸命楽器の演奏に取り組んでおられる方達なのではないかと思います。驚くべきことですが、このクランクレーデ以外にも、掛け持ちでいくつもの市民オケで演奏されている方達がおられます。阪神間にはたくさんの市民オケがあるからでもありますが、それだけ音楽に情熱を傾けておられる方達が集まっているのです。アマチュアとしては、相当のベテランの方達が集まっておられるような気がします。
■前回は、すべてモーツァルトでしたが、今回はすべてブラームスです。ブラームスの全交響曲(No.1~No.4)と、全協奏曲(バイオリンとチェロ、バイオリン、ピアノ協奏曲1番と2番)、ハイドンの主題による変奏曲、大学祝典序曲。2日間にわたって、ブラームスの10作品を演奏されます。演奏する方はもちろ大変ですが、演奏を聴くほうも相当の体力がいります。二日連続ではなく、あいだに1週間空くのでまだなんとかなりそうです。そうなんです。今のところ、両日とも聴きにいく予定にしています。
2022年 新年のご挨拶
■あけましておめでとうございます。本年もよろしくお願いいたします。旧年中は、大変お世話になりました。
■昨日、大晦日の夕方に息子が帰省しました。帰省とはいっても、今暮らしている大津市内の家は5年前から暮し始めた家なので、息子が成長した家でもなく、実家というよりも親の家…という感じなのかもしれません。
■夕食時には、年越しそばを作りました。昆布とうるめ節で美味しいつゆを作りました。いつもは、市販の出汁の元や麺つゆを使ってしまうのですが、昨日は、大晦日ぐらいはと思い丁寧に作りました。昆布のグルタミン酸と花鰹のイノシン酸、自然の旨みを楽しむことができました。食後はNHKの「紅白」を視ていましたが、「知らない若い人たちがたくさん歌っているな〜…」と、ちょっとアウェイな感じがして(年寄りだから仕方がないのですが)、しかも年末の整理整頓や大掃除で身体が疲れてしまったせいか、眠くて仕方なくなり、22時過ぎには就寝してしまいました。
■元旦の朝。私が住んでいるあたりでは雪が降っていたので初日の出を拝むこともなく、ゆっくり起床した後は、利尻昆布と花鰹で丁寧に出汁をとり、水菜と鶏肉の雑煮を作りました。関西ですが、どういうわけか我が家は元旦だけはすまし雑煮です。お節料理も、イクラやカズノコ以外は、我が家で作った(作ってもらった)ものです。それでなくても、世の中から正月らしさが無くなってしまい、毎年、正月を迎えるという循環的な時間が感じられなくなってきています。直線的に時間が過ぎ去ってしまっているのです。せめて、ちゃんとしたお雑煮やお節料理がないと、正月を迎えた気持ちにならないのです。子どもの頃は、つまり50年ほど前までは、年が明けると、世の中全体も新しくなる(更新される)ような気持ちになりました。ある意味厳粛な気持ちで新年を迎えたものです。しかし、しだいにそのような感覚も希薄になっていきました。いつからでしょうね。
■そんなことを考えると、元旦早々、なんとなく寂しい気持ちからのスタートになります。しかし、新年を迎えて、やるべきこと、やりたいことはたくさんあるので、今年も頑張って取り組んでいきたいと思います。自分の仕事や吹奏楽部の仕事はもちろんですが、もう一度ヴァイオリンを弾いてみようかなという気持ちにも少しずつなってきました。幼い頃から学生時代まで弾いてヴォインリンですが、28歳の頃には楽器から離れてしまいました。昨年、何人もの人から「脇田さんは、もうヴァイオリン弾かないんですか」と言われ続けてきたので、そのことが少し良い刺激になっているのかもしれませんね。いろいろ言ってくださった皆様、ありがとうございます。
■そういえば、年末は龍谷大学吹奏楽部の定期演奏会の後、N響主席の辻本玲さんも参加されているチェロのアンサンブルコンサート、加えて反田恭平さんの凱旋コンサートと音楽づいてきて、ついヴァイオリンケースを開けてしまいました。大変ひさしぶりに音を出してみましたが、きちんと鳴ってくれたので安心しました。
■ということで、今年もよろしくお願いいたします。写真のお重の中身ですが、栗きんとん、牛蒡のきんぴら、ごまめ、いくら、かずの子、黒豆、五色なます、牛肉の八幡巻、伊達巻、かまぼこ、酢蓮、菊花蕪、スモークサーモンの砧巻き、庭の南天も飾ってあります。これ以外に、筑前煮も。
関西学院交響楽団「第136回定期演奏会」
■昨晩は、学生時代に所属していた関西学院交響楽団の第136回定期演奏会でした。ただし、コロナ禍により無観客での演奏会でした。YouTubeでLIVE配信されました。部員の皆さんは、さぞやお辛かったことでしょうね。でも、このような状況でも頑張って定期演奏会を実現されたことに誇りを持っていただきたいとも思います。素晴らしいです。私はといえば、今日は自宅でずっとパソコンにへばりついて仕事をしていました。そのようなこともあり、逆に、LIVE配信だから後輩の皆さんの演奏を聞かせていただくことができました。ありがとうございました。
■ただし、仕事をひと段落させYouTubeを拝見した時には、すでにメインの曲であるシベリウスの交響曲第2番の第3楽章が始まるところでした。私自身も遠い昔、今から42年前の1979年、現役の学生だった頃にこのシベリウスの第2番を弾いたことがあります。ということもあって、学生時代のことを思い出しながら聴かせていただきました(スクリーンショットをSNSにアップすることが禁止になっているので、雰囲気をお伝えできませんけど…)。YouTubeの画面に顔を近寄せてみると、存じ上げている方たちがおられました。ファゴット、フルート、オーボエを吹いておられる女子部員の皆さんです。昨年の関西学院同窓会滋賀支部の総会で、3人で木管三重奏を演奏してくださった皆さんです(当時は3回生)。写真はその時のものです。この時は、世界中がコロナで苦しむなんて、だれも想像できませんでした。コロナ禍の中でも、4回生最後の定期演奏会で演奏できて本当によかったね。
■ところで、昨晩、親しい後輩から、この3人のうちのファゴットの部員のお母様が、私よりも学年が7つ下でファゴット吹いていた方だということを教えてもらいました。冷静に考えれば、そういうことは当然あり得るわけですが、やはり「へー‼︎」と驚くことになります。それから、これも後輩からの情報ですが、本番までに弦楽器も管楽器もそろって練習できる機会は2回しかなかったこと、全員揃ったのは今日が初めてだったのだそうです。これ、びっくりです。本当に大変でしたね。関学は、コロナ感染拡大に対応するために、大学当局の課外活動への制限が大変厳しいと聞いています。課外活動への姿勢は、大学間でかなりの差があるのです。そのような厳しい制限の中でも、なんとしても定期演奏会を実現させようとされた現役の部員の皆さんの熱意に、心より敬意を表したいと思います。こういう時だからこそ、十分に注意を払いながら、音楽を続けて欲しいと思っています。
大島理沙子さんはおもしろい。
笑いが止まりません。笑🤣
面白いと思ったらリツイートお願いします🤣#おもしろ動画 #面白い #爆笑 #クラシック pic.twitter.com/jO3RBDEOhk— 大島理紗子 (@Risako_Oshima) October 20, 2020
■面白い動画をアップされている。楽器の技量と顔の表情のギャップが、面白すぎて🤣繰り返し見てしまうな〜。
弦楽器工房「Welkstatt der Hobel」
■一昨日は、浜大津にある弦楽器の工房「Welkstatt der Hobel」(ヴェルクシュタット デア ホーベル)を訪れ、ヴァイオリンの弓の毛替えをお願いしました。私の楽器は、西宮北口にある「絃楽器MASARU」さんで入手したものです。こちらは、大学時代に所属していた関西学院交響楽団の後輩である坂本勝くんの工房です。毛替えについても、坂本くんにお願いをすれば良いのですが、やはり滋賀県からすると西宮北口は遠すぎます。家族から、大津市内の立ち寄りやすい場所、浜大津に弦楽器の工房があることを教えてもらい、訪問してみることにしたのです。近くに弦楽器の工房があること、とてもありがたいことです。
■工房の名前、何やら難しいそうですよね。「ヴェルクシュタット」とは作業場、「デア」は定冠詞で「ホーベル」とは弦楽器を製作するときに使用する特殊な鉋(かんな)のことを指すのだそうです。店主の堤邦之さんに教えていただきました。弦楽器の作成には、大小様々な特殊な鉋を使用します。「鉋仕事の作業場」という感じでしょうかね。堤さんの工房の中は、実質本位で装飾的なものが一切ありませんでした。本当に作業場という感じなのです。そういうと、なんだか、職人気質の気難しい店主さんのように思えわれるかもしれませんが、堤さんは、非常に丁寧で温和な方でした。工房は、浜大津の交差点の角のところにあります。特に、大きな看板を掲げておられるわけでもなく、ビルの入り口に、写真のような鉄製の小さな看板が置いてあるだけです。これもお人柄でしょうか。
■ところで、なぜ毛替えをしなくてはいけなくなったのか。少し説明しますね。ヴァイオリンの弓の毛は、馬の尻尾です。この尻尾に松脂を擦り付けて、それで弦を弾きます。松脂で摩擦がおきて、弦が振動するのです。しかし、弾いていると、弓の毛自体も次第に劣化していきます。松脂を塗っても、きちんと演奏することが難しくなってきます。普通は、こうなると毛替えの時期が来たということになります。ところが、今回の場合は、少し事情が違います。楽器をあまり弾かずにケースの中にずっと入れておくと、日本中どこにでもいて、タンスの中の洋服にも穴を空けてしまうカツオブシムシが、ヴァイオリンの弓の毛を食べてしまうのだそうです。カツオブシムシとは、甲虫の一種です。この甲虫が幼虫の時には、乾燥した動物性の繊維質を食べるのだとか。だから、箪笥の中にあるウールの洋服やセーターに穴が開かないよう、防虫剤を入れておくわけです。今回の場合は、弓の毛です。弓の毛は、ウールではなく馬の尻尾ですが、同様にカツオブシムシの餌になります。カツオブシムシに食べられると、弓の毛が細くなり、ちょっとしたことでパラパラと毛が切れやすくなってしまうのです。堤さんは、弓だけでなく、楽器の方も少しチェックをしてくださいました。私の楽器は、イタリアのクレモナで作られた楽器のため、イタリアとは気候が違う日本の場合、ニカワも剥がれやすくなる場合があるとのこと。今のところ、大丈夫でした。
■さて、これで練習できる準備ができました。学生自体から継続して楽器を弾いている知人からは、毎日、5分でもいいから楽器を弾くようにと言われているので、とりあえず15分程弾いてみました。左手の筋が痛い。無理せず、身体を慣らしていこうと思います。すぐに、かつて弾いた曲を演奏しようとすると、身体に無理がくると別の知人にも教えてもらいました。まずは「開放弦のボウイングと音階練習の積み重ねが近道」とのアドバイスをもらいました。もう一度、基礎から身体を作り直すということでしょうか。少しずつ、やってみることにします。先輩からのミッションを無事に果たせるように頑張ります。
ブラームスの弦楽6重奏
■大学時代のサークル、関西学院交響楽団の先輩から譜面が送られてきました。2つ上の学年の女性の先輩です。現役時代、随分、親しくさせていただきました。その先輩と、最近、facebookでつながることになりました。そして、いろいろやり取りとをしているうちに、「ブラームス(Johannes Brahms)が作曲した弦楽六重奏曲を一緒に弾きましょう」と提案されました。もじもじしている間に、我が家に譜面が送られてきました。ブラームスの弦楽六重奏は、バイオリン、ビオラ、チェロがそれぞれ2つずつで演奏する曲です。特に、ブラームスの好みだと思いますが、ビオラとチェロが活躍する曲です。先輩からは、「2ndバイオリンを弾くように」との指示がありました。卒業しても先輩は先輩。先輩が決定されたことなので、「もう30年ほど弾いていません」と断るわけにはいきません。夏頃、8月上旬に、先輩達とこの曲を演奏することになりました。はたして、30年ぶりに楽器を再開することができるでしょうか。
■バイオリンについては、「ひさしぶりに…」を、今年の1月23日にエントリーしました。その中で、「知り合いの方たちからは、『できるだけ頻繁に、数日おきに10分でも良いから、楽器を弾く習慣をつけるように』と言われています。頑張ってみます」と書いていますが、その習慣はまだできていません。全然頑張っていません。これではダメですね〜。早く、コツコツ、練習を積み重ねて行かねばなりません。
■ブラームスの弦楽六重奏はとても有名な曲で、特に第2楽章の主旋律はよく知られています。そのような主旋律は、主に、1stバイオリン、1stビオラ、1stチェロが弾き、私が担当する2ndバイオリンは伴奏に徹する感じでしょうか。他のパートを支える黒子の役割が多くなるわけです。ということもあり、スコアを注文しました。自分が弾くパートと他のパートとの関係をよく理解するためです。こんなふうに勉強するのは久しぶりのことです。それから、あとは、弓の毛替えをしなくてはいけません。浜大津にある楽器修理屋さんに行かねば…。と練習に取り掛かる前に、いろいろ言い訳をしているような気もしないでもありません…が、今度は、頑張ります。マラソン、ランニング、バイオリン…なかなか長突きしませんね〜。性格でしょうかね〜。
■以下は、YouTubeで見つけた、お気に入りのブラームスの「弦楽六重奏」です。イスラエル・チャンバー・プロジェクトの皆さんによる演奏です。
ひさしぶりに…
■最近、うちの妻はチェロのレッスンに通い、市民オケにも入り、音楽三昧の生活をしています。もともと、私と同じ学生オーケストラに所属してチェロを弾いていました。大学入学時は、クラリネットの経験はあるものの弦楽器は初心者。しかし、努力して4年生の時には首席奏者になりました。そうやって努力をしてきたわけですが、卒業後は仕事が忙しく一切楽器を触ってきませんでした。ところが、最近、そのチェロを復活させたというわけです。そのことを羨ましく思いながら、今月の前半は締め切りの過ぎた原稿を書いていました。一昨日の午後、妻はレッスンを受けているチェロの先生が出演するコンサートに出かけて行きました。午前中は大津市の伊香立での研修会の仕事でしたが、午後は原稿書きも終わっており気持ちが落ち着いたので、一人だけの自宅で自分もヴァイオリンを出して弾いてみようと思ったのでした。
■写真が私の楽器ですが、これは一昨年だったと思いますが購入したものです。新作の楽器ですが、イタリアのクレモナのバイオリン工房で製作されたものです。このブログでも紹介したことがあります。その時は、まだバイオリンを知り合いの工房からお借りしている状態でしたが、清水の舞台から飛び降りる気持ちで購入したのです。頑張って働いてきた自分へのご褒美です。なのですが、購入してガンガン弾いているかといえば、そうではありません。妻の「チェロ復活」も刺激になり、これではいかんと弾いてみることにしたのです。もっとも、楽器から離れて26年たっています。しばらく弾くと、身体の筋が痛んでくるのです。まあ、これは仕方がないかな。思うように弾けないのが歯痒い思いあります。まあ、これからの練習でしょうか。知り合いの方たちからは、「できるだけ頻繁に、数日おきに10分でも良いから、楽器を弾く習慣をつけるように」と言われています。頑張ってみます。
「篠崎バイオリン教室」のこと
■連休中、通いで母親の介護をしています。母の家でみつけた、私の子どもの頃のアルバムのなかにこういう写真がありました。
■子供の頃、私はバイオリンを習わされていました。もちろん、私が「習わせて!!」といったわけではなく、強制です。「ピアノかバイオリンか、どっちをするか」と5歳のときに母親に迫られました。「やらない」という選択はありませでした。昭和一桁生まれの両親は、若い頃は戦争でできなかったことが多かったようです。いわゆる「文化的な事柄」に対するあこがれがありました。そもそも、いわゆる「文化資本」のない家ですから、「子どもには、何か身につけさせたい」というパターンだったんだろうと思います。本当は、ボーイスカウトのような活動をしたかったのですが、これについては、即、否決されました。
■この写真は、通っていた、「篠崎バイオリン教室」の「おさらい会」の写真です。当時、暮らしていた、北九州市小倉区(現在の小倉北区)に教室はありました。写真の「おさらい会」ですが、小倉のヤマハだったように記憶している。角のほうに「於:日本楽器国小倉店8階ホール」って書いてありますね。まず、一人一人、自分が取り組んできた曲の演奏を終えたあと、全員で合同演奏しているときの写真です。何を弾いているのかは、もう記憶にありません。
■右端に立っている男の子が私です。前の列には、先生の息子さんである篠崎史紀さんが弾いています。まだ幼稚園じゃないかと思います。当時は、「ふみちゃん」と呼ばれていました。年齢が離れているので、話しをすることはあまりありませんでした。現在、ふみちゃんは、N響のコンサートマスター。「まろ」というニックネームでファンの皆さんから呼ばれています。なんといいますか、迫力のある風貌をされていますが、小さい時は、こんなに可愛らしかったんです(まあ、あたりまえですね)。しかし、将来は大物のバイオリニストになると、みんな思っていたのではないでしょうか。子どもながらも、立派な演奏をされていました。ふみちゃんの他にも、篠崎バイオリン教室からは、すぐれた演奏家が排出されているようです。バイオリンが好きでなかった(当時…)私は、この教室の劣等生でした…。いつも先生に叱られていました。ところで、私の記憶では、彼はいつもマッシュルームカットでした。お母さんが自ら鋏をでカットされていたような記憶があります。
■篠崎永育先生がどうされているのか、調べてみました。喜寿でお元気のようですね。
篠崎ヴァイオリンスクール 九州交響楽団 合同演奏会
【追記】■写真の右隅をみると、昭和44年5月5日とあります。1969年ですね。そのとき、私は博多に住んでいました。篠崎先生は、小倉と博多で教室を開いておられました。博多の教室が開かれたのは、市内の東のほうにある公団住宅の集会所だったように記憶しています。ちなみに、私の向かって左側の方は、現在、九州で活躍されているバイオリニストです。北九州交響楽団のコンサートミストレスをされていたようです。