同窓会とヴォーリズ
▪️昨日は、母校、関西学院大学同窓会滋賀支部の新年会でした。お昼は、近江八幡市安土町常楽寺にある「料理 魚石」さんで宴会を開きました。参加者は、全員で18人。一番年長の方は、1965年卒。今年で83歳になるのだそうです。とてもお元気です。午前中は、長命寺さんにお参りしましたが、あの808段の石段も副支部長に付き添われてご自身の脚で登られました。素晴らしいです。
▪️その次の方は、1973年卒。お話をすることはできませんでしたが、学生運動の時代にキャンパスにおられたことになります。いや、バリケート封鎖でキャンパスに入れないときもあったと思います。その次は1975年卒がお2人。そのうちのお1人は向かいに座っておられた方です。私とは卒業年次が8年違うわけですが、その年代の方だと、キャンパスの記憶が重なるところがあります。Nさんは放送部に所属されていました。「ああ、そういえば、学生食堂の向かい、銀座通りを挟んで向かいに部室がありましたね」というような話をさせていただきました。今のキャンパスは、私たちの頃とは相当違っていますし、とても懐かしいお話ができました。
▪️次は1980年代の卒業生の皆さんになります。1981年卒から1989年卒までの6人。私は1983年卒ですから、この世代になります。サークルの部室があった木造の建物の1階から出火して、私が入学した時の部室は、2階建ての仮設のプレハブでした。建築現場に臨時に事務所として使われているあの類の建物です。今の学生会館は、私たちが卒業して2年後にできあがったのではないかと思います。所属していた交響楽団も、専用の練習場を与えられました。私たちの頃は、体育館の軒下で、暑い日も寒い日も外で練習をしていました。楽器には、特に木製の管楽器や弦楽器には相当まずい環境なのですが、仕方がありませんでした。1980年代は、そういうキャンパスの風景を共有できる年代になります。
▪️この年代の卒業生のお1人は、1年後輩のKさんです。Kさんは、大学にある3つの学生寮のひとつに入っておられました。そこには、交響楽団の親しい後輩も入っていて、そういう関係でKさんとは学生時代から面識がありました。大学院時代の指導教授が同じだった方は、某銀行の頭取になっておられます。大変なお仕事のようですね。
▪️その次は、1990年代の卒業生の皆さんになります。6名おられます。同窓会滋賀支部の支部長、そして副支部長のお2人も、この年代の方達になります。この3人の皆さんのおかげで、同窓会滋賀支部の活動はけっこう活発になってきているのではないかと思います。年に何回かの食事会、それから見学ツアー、そして年1回の総会、自営業のお仕事の傍で、とても熱心に同窓会支部の運営をしてくださっています。本当にありがたいことです。
▪️この年代の方達のうち1995年以降に卒業された方達は、1995年に発生した阪神・淡路大震災の影響を受けておられます。お話はできませんでしたが、お1人は1995年に卒業されています。関学では、在学生15名、理事1名、現・元教職員7名が倒壊した家屋や土砂崩れの下敷きとなって生命を奪われました。当時の状況について、大学が公表している情報から知ることができます。1999年に卒業された方は、1995年の4月に入学されたわけですが、大学の近くで下宿することはできなかったそうです。学生向けの下宿は、倒壊したり、入居できる状況ではなかったのでしょう。
▪️そして、2000年代はお1人、その次は2020年代がお1人。一番若い方は、2020年卒です。とてもお若いのですが、すでにご自身で行政書士の事務所を開業されています。すごいですね。いわゆる世襲ではなくて、ご自身で開業されたのです。バイタリティがあります。それぞれの年代の方達の中に、それぞれのキャンパスライフの記憶があります。しかし、それらの記憶を貫いているのが時計台と中央芝生なのかなと思います。ウィリアム・メレル・ヴォーリズの設計です。母校には、ヴォーリズ研究センターが設置されています。ヴォーリズに関する様々な研究が進められているようです。同窓会滋賀支部では、昨年に引き続き、今年も、滋賀県内のヴォーリズに関する建築について学ぶ講演会やツアーを企画されているようです。楽しみにしています。
参詣曼荼羅
▪️ひとつ前の投稿にも書いたように、昨日は、母校、関西学院大学同窓会滋賀支部の新年会でした。午前中は近江八幡市にある長命寺さんにお参りしました。その際、ご住職と息子さんの副住職さんから、長命寺に関すたくさんのご説明をいただきました。ありがとうございました。
▪️長命寺は、西国三十三カ所第31番札所です。たくさんの参詣者が808段の石段を登ってこられます。上段の左と右の写真は、「参詣曼荼羅」です。もちろん、実物ではなく撮影してパネルにしたものです。かつて、各地でこの参詣曼荼羅で絵説き(描かれていることをひとつひとつ丁寧に説明していく)をしながら、参詣者の勧誘と霊場案内、そして勧進(寄付を募る)を行ったのだそうです。写真を撮っても良いということで、撮らせていただきました。どうでしょう、雰囲気、伝わりますでしょうか。たくさんの方達が、陸路や船でやってこられている様子が描かれています。
▪️中断の2枚は、人間の心を仏教から説明したもの…なのだそうです。きちんと説明しているかどうか自信がないのですが…。人が抱える業の結果として輪廻転生する6つの世界(天道、人間道、修羅道、畜生道、餓鬼道、地獄道)を表現してあります。この絵図の上半分には、人が誕生して成長し、老いて、最後は死んで骨になるまでの様子が描かれています。そのあとは、6つの世界に輪廻転生していくわけです。仏教的には、ここからどう解脱していくのかということになります。
▪️長命寺は、特定の宗派に属する寺院ではありませんが、天台宗系の単立の寺院です。境内からは、比叡山がよく見えます。比叡山延暦寺は、京都の鬼門の方角に位置するわけですが、長命寺さんはその延暦寺のさらに鬼門の方角に位置しています。偶然なんでしょうけれど。目の良い方だと、びわ湖ホールも見えるようです。私には無理でしたが。そのかわり、琵琶湖大橋、堅田の街並み、三上山(近江富士)についてははっきり確認することができました。
▪️西国三十三カ所第31番札所である長命寺は、日本遺産「琵琶湖とその水辺景観-祈りと暮らしの水遺産-」の「構成文化財」のひとつでもあります。今日は、お話をお聞かせいただき、深く納得しました。
長命寺を参拝しました。
▪️昨日は、母校、関西学院大学同窓会滋賀支部の新年会でした。午前中は近江八幡市にある長命寺さんにお参りしました。関学は、サザンメソジスト派のプロテスタントの大学なのですが、長命寺のご住職と副住職(ご子息)のお2人は、同窓生なのです(同窓会には、キリスト教、仏教、神道、様々な宗教家がおられます)。そのようなご縁もあり、同窓会滋賀支部ではここ3年ほど、毎年の新年会ではお参りさせていただいています。
▪️長命寺さんの石段は808段。毎年、「びわ100」に出場してきて脚力にはそれなりの自信がありましたが、808段はなかなか大変でした〜。上りは心臓に負担がかかり、下りは腿の筋肉に負担がかかりました。今日は、少し腿が筋肉痛です。長命寺さんの石段は、お寺の歴史の古さを感じさせる石段です。通常の階段のように、高さが揃っているわけではありません。高さも様々。古道を歩いているかのようです。そのため、ゆっくり気をつけて歩かないと捻挫、最悪の場合転倒して骨折してしまうような怖さが少しありました。いやほんまに、年々歳をとっていますね〜。まあ、あたりまえのことなんですが。
▪️今回、最高齢の方は、今年で83歳になる先輩でした。その先輩も、参道の入り口に用意された太めの杖を手に持ち、同窓会の副支部長にサポートされながら自力で歩いて登ってこられました。すごいことですね。この先輩のように、80歳代になってもしっかり歩ける体力と脚力を持ち続けることができたらいいなと思いますが、どうなるでしょうね。気をつけようと思います。
▪️長命寺さんでは、同じく同窓生のご住職と副住職さんから丁寧なご説明をいただきました。参拝の後は安土に移り、新年会を楽しみました。
関西学院同窓会滋賀支部の新年会
▪️昨日は、母校・関西学院大学同窓会滋賀支部の新年会が開催されました。滋賀支部の様々な行事にできる限り参加するようにしています。毎年、総会については草津で開催されますが、新年会は前回からここ近江八幡市で開催されるようになりました。新年会は、朝、長命寺にお参りにしたのち、市内での食事会ということになります。長命寺は、長命寺山の中腹なあるお寺で、西国三十三カ所第31番札所になります。車でも参拝できますが、昨年は808段あるという石段を登ってお参りさせていただきました。
▪️今年も参拝するぞ…と張り切っていたのですが、二度寝をした結果、寝坊をすることになってしまい、参拝を断念せざるを得ませんでした。残念です。ところで、なぜ長命寺に参拝させていただくのかといえば、長命寺の御住職と福住職が共に、私たちと同じ関西学院大学の同窓生だからです。そのようなご縁もあって参拝させて頂いるのです。今年は、福住職が山腹に広がる境内を学術的に、そして非常に丁寧にご説明くださったのだそうです。寝坊をしてしまい参拝できなかったことが悔やまれます。
▪️食事会は、14名の方が参加されました。実際には、私よりももっと年上の先輩たちも会員におられるのですが、卒業年次からいうと、この日の参加者の中では「年寄り」の方になります。一番お若い方とは20年近く卒業年が違います。こういう世代を超えての交流って楽しいですよね。そうそう、こういうこともありました。昨日の参加者のお一人は、私が学生時代に入っていた関西学院交響楽団の後輩であるKくんのことをよくご存知でした。Kくんと学生寮が同じだったのです。学生寮の先輩と後輩の関係になるそうです。私は、よくその寮に泊めてもらっていたので、寮での出来事に関してもいろいろ知っているのです。そのようなことがわかり、とても話が盛り上がりました。それから、昨日、初めて滋賀支部の行事に参加された方のお子さんは、龍谷大学社会学部の学生さんであることもわかりました。ちょっと、焦りました。今後も、同窓会活動にできる限りになりますが、積極的に参加したいと思っています。
▪️以前に書いたことと、また同じことを書きます。龍谷大学の同窓会組織である校友会にも、滋賀支部ができたことを再びお伝えしておこうと思います。もし、このブログをお読みの方の中に、滋賀県出身の龍大生の方がいらっしゃれば、卒業後は、ぜひ龍谷大学校友会滋賀支部の行事にご参加ください。卒業後も、母校と繋がって年代を超えて同窓生の皆さんと交流しつつ、現役の学生の皆さんを応援していくことは大切なことだと思っています。皆さんの人生にとっても同窓会活動は大切な存在になるのではないかと思います。
(トップの写真は、関西学院大学同窓会滋賀支部のfacebookへの投稿からお借りいたしました。ありがとうございました。)
同窓会と長命寺参拝
■昨日は、母校、関西学院大学の同窓会滋賀支部の新年会でした。新年会の宴会の前に、同窓の皆さんと一緒に長命寺さんに参拝しました。こちら長命寺のご住職は、関学経済学部(昭和51年卒)の同窓生です。副住職の息子さんも文学部卒です。中世史を勉強されていたそうです。昨日は本堂の内陣までご案内いただき、千手観音を直接拝ませていただきました。観音様、とても優しいお顔をされていました。
■ところで、長命寺のある長命寺山の麓から境内まで808段の階段が続きます。けっこう大変でした。最初は、石段もきちんと積まれて整備されていましたが、途中から時間の経過を感じられるような佇まいになり、石段を登るのも足元に十分に気をつけながらいけなくなってきました。さすが古刹ですね。若い人たちには、なんともない石段でも、還暦を超えるとそういうわけにもいきません。この石段を登って参拝することを続けると、こちらのお寺の名前の通り長生きをしそうな気がします。今日は「膝が笑う」ことはありませんでしたが、喜んではいました。もっとも、今ではこの石段とは別に車で参拝できるように道路も整備されています。
■境内からは、南湖の一部を眺めることができました。こちらの本堂で祀られている仏様は千手観音です。千手観音の浄土(補陀落山:ふだらくせん というようですが)は、南の方角にあるそうで、千手観音も南に向いて立っておられました。境内からは、野洲市の田園風景が見えてきました。その境内に、「琵琶湖周航の歌」の6番の歌詞を刻んだ石碑が置かれていました。歌詞の中では西国十番となっていますが、本当は西国三十一番なんです。三十一番だと歌詞としてメロディの中に収まらないので、こんなことになっているようです。
西国十番 長命寺
汚れの現世(うつしよ) 遠く去りて
黄金(こがね)の波に いざ漕がん
語れ我が友 熱き心」
■近江八幡市にある長命寺に参拝した後、市内のホテルで会食なりました。今日の出席者は25名。私はちょうどその真ん中あたりの年齢になります。一番年齢が上の先輩は80歳、一番若い後輩は29歳。どうしても同窓会の活動は年齢が上の方達が多くなる傾向にあると思いますが、29歳の方が参加されたことは嬉しいことですね。最後は、校歌「空の翼」を歌って閉会となりました。次は、秋の滋賀支部の総会になります。
■滋賀支部の同窓会に参加して、まだ4年ほどでしょうか。大津に転居したのも2016年ですし、年齢はそれなりにいっていますが、こちらの同窓会では新参者でしょうか。年配の男性が中心になってはいますが、できればもっと女性会員や若い年代の方達についても参加者が増えてほしいなと思います。企画の方向性が年配の男性向けなのかもしれませんが、もっと若い年代の方達や女性の方達にもご参加いただけるような企画になればなあと思います。
【追記】▪️学生の皆さんには、龍谷大学同窓会にも、滋賀支部ができたことをお伝えしておこうと思います。もし、このブログをお読みの方の中に、滋賀県出身の龍大生の方がいらっしゃれば、卒業後は、ぜひ滋賀支部の行事にご参加ください。卒業後も、母校と繋がって年代を超えて同窓生の皆さんと交流しつつ、現役の学生の皆さんを応援していくことは大切なことだと思っています。皆さんの人生にとっても同窓会活動は大切な存在になるのではないかと思います。
関西学院交響楽団「第136回定期演奏会」
■昨晩は、学生時代に所属していた関西学院交響楽団の第136回定期演奏会でした。ただし、コロナ禍により無観客での演奏会でした。YouTubeでLIVE配信されました。部員の皆さんは、さぞやお辛かったことでしょうね。でも、このような状況でも頑張って定期演奏会を実現されたことに誇りを持っていただきたいとも思います。素晴らしいです。私はといえば、今日は自宅でずっとパソコンにへばりついて仕事をしていました。そのようなこともあり、逆に、LIVE配信だから後輩の皆さんの演奏を聞かせていただくことができました。ありがとうございました。
■ただし、仕事をひと段落させYouTubeを拝見した時には、すでにメインの曲であるシベリウスの交響曲第2番の第3楽章が始まるところでした。私自身も遠い昔、今から42年前の1979年、現役の学生だった頃にこのシベリウスの第2番を弾いたことがあります。ということもあって、学生時代のことを思い出しながら聴かせていただきました(スクリーンショットをSNSにアップすることが禁止になっているので、雰囲気をお伝えできませんけど…)。YouTubeの画面に顔を近寄せてみると、存じ上げている方たちがおられました。ファゴット、フルート、オーボエを吹いておられる女子部員の皆さんです。昨年の関西学院同窓会滋賀支部の総会で、3人で木管三重奏を演奏してくださった皆さんです(当時は3回生)。写真はその時のものです。この時は、世界中がコロナで苦しむなんて、だれも想像できませんでした。コロナ禍の中でも、4回生最後の定期演奏会で演奏できて本当によかったね。
■ところで、昨晩、親しい後輩から、この3人のうちのファゴットの部員のお母様が、私よりも学年が7つ下でファゴット吹いていた方だということを教えてもらいました。冷静に考えれば、そういうことは当然あり得るわけですが、やはり「へー‼︎」と驚くことになります。それから、これも後輩からの情報ですが、本番までに弦楽器も管楽器もそろって練習できる機会は2回しかなかったこと、全員揃ったのは今日が初めてだったのだそうです。これ、びっくりです。本当に大変でしたね。関学は、コロナ感染拡大に対応するために、大学当局の課外活動への制限が大変厳しいと聞いています。課外活動への姿勢は、大学間でかなりの差があるのです。そのような厳しい制限の中でも、なんとしても定期演奏会を実現させようとされた現役の部員の皆さんの熱意に、心より敬意を表したいと思います。こういう時だからこそ、十分に注意を払いながら、音楽を続けて欲しいと思っています。
同窓会滋賀支部総会・懇親会
■土日は入学試験があり、両日とも瀬田キャンパスにいました。一昨日の日曜日は、前回の投稿のように、仕事が終わってから吹奏楽部の部室で開催された「指揮者講習会」を見学させてもらいましたが、土曜日は夕方から、草津市にあるクサツエストピアホテルで開催された、母校、関西学院大学の同窓会滋賀支部総会・懇親会に出席いたしました。同窓会滋賀支部には、昨年から参加させていただいています。ずっと奈良に暮らしていましたが(一時は岩手県に単身赴任)、4年前から滋賀県大津市に暮らすようになったことから、滋賀支部に入れていただくことにしたのです。総会以外にも、滋賀支部「湖東・湖北ブロック」の皆さんにお誘いをいただき、何度か小さな宴会にも参加させていただきました。こうやって同窓の皆さんと交流することを楽しめるようになったのも、やはり還暦を超えたからではないかと思います。
■総会・同窓会では、学年の近い方達が同じテーブルに着席します。私のテーブルでは、浪人していることもあり私が一番年寄りでしたが、同じテーブルの方達と「こんな店があって、昔はよく通ったなあ」などと上ヶ原キャンパスの周辺や阪急西宮北口周辺のお店のことを、みんなで懐かしがりながら話して盛り上がることができました。おそらく、昨年の同窓会でも同じような話題で盛り上がったのではないかと思いますが、それはそれで「ヨシ」としましょう。同じ話題でも楽しいんですから、それでいいんです。
■総会の後半では、毎年、母校の関係者が余興をしてくださることになっています。昨年は、関学の軽音楽部の出身で、私たちとほぼ同世代のバンドの皆さんの演奏でした。ビートルズのコピーバンドで、懐かしく素敵な演奏でした。今年は、現役の学生さんたちの演奏でした。驚いたことに、私も所属していた関西学院交響楽団の木管楽器の皆さんによる木管三重奏でした。心の中では、「お〜い、現役の部員の皆さん。先輩が目の前に座っていますよ」と思ってはいましたが、先輩は黙って活動費を支援しつつ、ニコニコと微笑んで応援しているのが一番良い…と思っていますので、こちらから彼女たちのところに行くことはしませんでした。しかし滋賀支部の事務局の方が気を利かせて私が交響楽団の出身であると説明してくださったようで、懇親会の時に、彼女たちの方から挨拶に来てくれました。少しだけですが、楽しくお話をさせていただきました。
■この部員の皆さんは来年の2月に第134回定期演奏会を開催されますが、私が4回生の時の最後に出演した定期演奏会は第何回かといいますと…、なんと第59回でした。定期演奏会は年2回。私が卒業してから75回も演奏会が開催されていることになります。私が現役の学生部員だった時、第1回の定期演奏会は遠い遠い大昔のように感じられましたが、おそらく今回木管三重奏を演奏された皆さんは、白い髭をはやしたおじいさんの先輩を前に、私の時以上に大昔に感じられたのではないでしょうか。
母校同窓会滋賀支部「湖東・湖北ブロック」の新年会
「湖東・湖北ブロック」新年会
■滋賀に転居して、もうじき丸2年になります。そろそろ、母校・関西学院大学の滋賀にある同窓会組織にも参加させていただこうと思うようになりました。滋賀県庁の仕事を通じて知り合った県職員の方が、たまたま母校の先輩だったことから、その先輩にお願いをして同窓会組織を紹介していただきました。そして、昨日は、とうとう関西学院同窓会滋賀支部の「湖東・湖北ブロック」新年会に参加させていただくことができました。
■これまでこの新年会は、湖東・湖北ブロックの会員の皆さんだけで開催されてきましたが、今回は、滋賀支部の皆さん全体に呼びかけて開催されたようです。私自身は、まだ、滋賀支部全体の総会にも出席しません。それなのに、ブロックの新年会には参加させていただく…なんだか変則的だけど大丈夫なのかなとちょっと心配になりましたが、先輩や同窓の皆様に暖かく迎えていただきました。私としては珍しく、きちんとネクタイ(関西学院の校章の入ったレジメンタルタイ)を締めて参加させていただきました。
■会場は、近江八幡市白王町にある「やまじん」さんでした。1日に1組・完全予約制の隠れた名店なのだそうです。店主さんのお話しでは、秋篠宮殿下が琵琶湖博物館の歴代の館長と一緒に来店されたことから、多くの人に知られるようになり、しばらく先まで予約が埋まってしまうような状況になっているのだそうです(秋篠宮殿下はナマズの研究で有名ですが、琵琶湖や琵琶湖博物館との縁も深い方なのです)。こちらのお店は琵琶湖の沖島出身の店主さんが経営されています。沖島で、佃煮の加工をやっておられた山甚水産が、この白王町で直売店を経営され、直売店に隣接したところで料理店「やまじん」も経営されているのです。
■今日のお料理は「天然かも鍋コース」でした。献立をご覧ください。鴨料理と琵琶湖の幸が盛りだくさんです。「かも鍋」を中心に、琵琶湖の恵みを楽しみました。ただし、写真を撮ることよりも食い意地が張ってしまい、あるいは同窓の皆さんとの話しに夢中になってしまい、メインの料理、「かも鍋」を写し忘れています。残念。少し写真の料理を説明します。トップの写真は、お分かりだと思いますが「ふな寿司」です。非常に上品に仕上がった「ふな寿司」でした。「ふな寿司」というと、よくある「臭い」というイメージから拒否される方が多いわけですが、一度口にされてみてはどうでしょうか。きちんと下処理して丁寧に漬け込んだ「ふな寿司」は、まったく問題がありません。あえて言えば、酸味と旨味が調和した、魚のチーズという感じでしょうか。
■カモは天然ですが、琵琶湖のカモは禁猟なので獲ることができません。新潟産のカモだそうです。こればっかりは仕方ありません。もっとも、禁猟になるまでは琵琶湖でも鴨猟が行われていました。私の知る限りでは、沖島の漁師の皆さんが、餅捕縄を使って獲っておられたように記憶しています。さて、献立の説明をご覧いただきたいのですが、そこには「琵琶湖八珍」(びわこはっちん)の解説が書かれています。この「琵琶湖八珍」については、このブログの「琵琶湖八珍「琵琶湖は、ほんに凄い!」と「琵琶湖八珍「ビワ・コ・ハ・ホン・ニ・ス・ゴ・イ」」というエントリーで紹介しています。ぜひご覧ください。
■上段右は、「鮒皮切り刺身」です。ニゴロブナの刺身です。私は山葵醤油でいただきましたが、非常に美味しい刺身でした。左上には、ニゴロブナの卵が添えてありました。もちろん加熱してありません。このままいただきます。この季節しか食べられないものだと思いますが、これは初めてでした。中段の左は「本もろこの炭火焼」、右は「うろりの釜揚げ」です。ホンモロコはコイ科の魚で琵琶湖の固有種、ウロリはヨシノボリの稚魚のことです。下段左は、鮒寿司の頭で作ったお吸い物です。これも非常に美味しいものでした。鮒寿司の頭から旨味がどっとお吸い物の中に出ています。しかも、鮒寿司を漬け込んだ飯(いい)の酸味がさっぱりした雰囲気を醸し出しています。下段右は、「かも香草石焼き」です。天然のカモから出た脂をネギが吸い取りつついい塩梅に焼けています。どれも非常に美味しかったのですが、すでに書いたように肝心の「かも鍋」の写真を撮り忘れてしまいました。食欲に負けてしまいました。
■今日はいろんな出会いがありました。お隣の席に座られた大先輩Kiさんは、文学部・昭和36年卒とのことでした。昭和36年というと、私はまだ3歳です。Kiさんは現在79歳ですが、現役で会社を経営されています。とてもお元気です。「甥が龍谷大学で職員をしている、テニスが大好きで…」ということで、お名前を確認するとN課長でした!N課長にもfacebookで連絡して、みんなで「世間は狭いですね」と驚きあいました。所属していた関西学院交響楽団の後輩のKiくんの同級生の友人、Kuさんにもお会いしました。KiくんもKuさんも、大学に3つある男子寮の1つ、静修寮に入っておられました。私は、寮生ではありませんが、よく後輩のKiくんの部屋に泊まっていたのです。そのようなこともあり、Kuさんには、学生時代に寮でお会いしているとのことでした。私はすっかり忘れてしまっています。いけません…。こちらは、LINEを通じてKuさんがKiくんに連絡を取ってくれました。こちらも、びっくりです。そのほかにも。大変珍しい苗字のAさんは社会学部の後輩にあたる方ですが、龍谷大学のA課長と同じ苗字。遠いところでルーツは繋がったりして…と思い、A課長にfacebookで連絡させてもらいました。いろいろありますね〜。
■今日は、またまた素敵な方たちとの出会いがありました。ありがたいことです。次回の湖東・湖北ブロックの集まりは7月、再び今日の「やまじん」さんで湖魚料理を堪能することになりました。ところで、職場にも、龍谷大学新月会という同窓の集まりを作ったのですが、こちらもそろそろ開催しないと行けませんね。