「看取り」という死に方/石飛幸三/


■この動画の中に登場する医師・石飛幸三さんは、「胃ろう」の問題を厳しく批判されています。胃ろうをしても、胃が弱っているので食道に逆流して誤嚥性肺炎につながる。誤嚥性肺炎を防ぐことが、逆になっている…石飛さんはそう指摘されています。人生の終末において、少しずつ肉体が死に向かって弱っている時期に、どうして無理に治療を継続するのかという問題です。石飛さんは、『「平穏死」を受け入れるレッスン: 自分はしてほしくないのに、なぜ親に延命治療をするのですか?』『平穏死という生きかた』『家族と迎える「平穏死」–「看取り」で迷ったとき、大切にしたい6つのこと』等の著書も出版されています。これらの書籍のタイトルからもわかるように、肉体が自然に弱って死に向かっている人を、無理やり生かそうとする現代社会の医療や福祉のあり方を根本から批判されているのです。自然な状態で死を迎えることを見守る=「看取り」は、どうすれば可能なのでしょうか。石飛さんの著書はヒントを与えてくれそうです。

NHKスペシャル「老衰死」

昨日のラン

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■滋賀の老人ホームに入所している母が85歳になりました。姪(私の従姉妹)からの誕生日プレゼントも届いていました。玲子ちゃん、ありがとう!もっとも、母は目が見えないし、脳内出血の影響で左半身に麻痺が残り、麻痺している左手には痛みを感じるようで、誕生日プレゼントを自分で持つことができません。認知的な部分でだいぶおかしなことを言います。「今日は、ちゃんとゴミ出しをしてくれたか」。「出しといたで」と答えておきました。まだ、自宅に住んでいるような気持ちになっているのですね。老いが深まっているなあという感じなんですが、曽孫のひなちゃんのことについてだけは、いつも比較的まともなことを言います。昨日は、娘が送ってくれたひなちゃんの動画を「聞かせ」ました。わかってくれたかな。

■ところで、義理の母も少し具合が悪く、昨日は、妻は夕方から実家に向かいました。姉妹で交代で介護をしています。介護には車がいるので、今、我が家には車がありません。ということで、買い物も全部歩いていく必要があります。改めて、滋賀の家庭には車が2台以上あることの意味がよくわかるようになりました。とはいえ、歩いて10数分のところにスーパーがあるので、まだマシかもしれませんね(買い物だけで小一時間かかってしまいますが…)。問題は、年を取って足腰が弱くなってしまった時です。足腰は、あっというまに弱くなってしまいます。これは、親の介護をしながら学ばせてもらったことです。身体を使うのが億劫になると、筋肉が衰えます。筋肉が衰えると、さらに身体を動かすのが億劫になります。悪循環ですね。というわけで、しっかりした足腰をできる限り維持できるように…というわけでもないが、昨日もジョギングをしました。

■ランニングのログをiPhone6のアプリで記録をしています。ご覧の通りです。最初は、けっこう身体が軽く感じられました。2kmから3kmは5分55秒/km、3kmから4kmは5分45秒/km。調子が良かっんです。ただし、住宅地の中のアップダウンを走り終えた後、9kmあたりから、きつく感じられるようになりました。そのあとはちょっと歩いてしまいました。マラソンに関するある本に、「ニコニコ、ルンルン♪」で走ることのできるスピードは、ややきつく感じられるスピードと書いてありました。心拍数は、私の年齢だとでも、だいたい108/分程度らしいです。心拍数って測ったことがありません。仕方がないので、まあその時の気分で走っているけれど、おそらく今日は速すぎたのだと思います。おそらく、6分30秒/kmあたりでずっと安定して走ることが今の私には必要なようです。さて、昨日の消費カロリーですが、942kcalでした。で、体重は減っているのかといえば、やっと1kgぐらい減ってきたでしょうか。体脂肪は微妙に減ってはいますが…。今月は、まだ、たかだか71.5kmしか走っていません。ウルトラマラソンの距離にも届きません。身体があまり変化しないのも、仕方がありません。とはいえ、顔の肉が少し削げてきたかな。

■ところで、体脂肪等を計測する体組成計に加えて血圧計も使っています。以前、血圧は高めでした。薬を飲んでいたこともあります。しかし、走ることで血圧が下がることを経験上知りました。現在は、50代の平均以下に下がっています。上が128で下が80、脈拍も65。体脂肪の変化は緩慢だけど、血圧はわかりやすいですね。あまり、こういうのに縛られるのは嫌ではありますが。

親の介護のこと、入院と受診

20170517kaigo.jpg ■兵庫県の自宅で暮らしていた老母は、介護ヘルパーさんに通ってもらっても1人暮らしが困難になり、自宅近くの介護老人保健施設に入りました。それが2年前の晩秋。そして昨年の秋からは滋賀県の老人ホームに移動しました。私の自宅の近くに来てもらったのです。老人ホームに入所した時は、もう全てに介助が必要になっていましたが、食事だけはなんとか1人でできていました。

■身体は弱ってきていますが、それなりに安定していたと思っていたところ、1ヶ月前の朝のことになりますが、突然、老人ホームから連絡が入りました。身体を動かせなくなったので、近くの病院に救急車で運びます…という連絡でした。診察の結果、脳内出血であることがわかりました。糖尿病で血管が弱っているところに高血圧が重なり、脳内出血したようです。幸い、命に影響を与える状態になってしまうまでに処置することができました。手術をする必要もありませんでした。

■ただし、脳内出血のために麻痺が残ってしまいました。食事も1人ではすることができなくなりました。ただ、麻痺等の問題は残っていますが、とりあえず老人ホームに帰ることができるようになりました。それが、一昨日のことです。退院時には、麻痺による言語の障害もだいぶ緩和されてきたように思いましたが、認知的な部分はどうだろうかと不安になりました。家に帰りたいらしく、「家の廊下には手すりもついているし、ヘルパーさんも来てくれるし、大丈夫」と言うわけですが、すべてに介助が必要で、とてもそのような状態ではありません。そもそも1人で歩ける状態ではありませんが、本人にあまりその自覚がありません。なんだかこちらまで悲しくなってきました。これで、脳内出血のこともとりあえず一安心と思っていたところ、昨日の午前中になりますが、老人ホームからまたまた連絡が入りました。今度は、消火器の様子がおかしいということで、同じ病院の消化器内科の外来で受診することになりました。直腸の潰瘍でしたが、幸いにもきちんと治療をしてもらい、夕方までに老人ホームに帰ることができました。

■いろいろ、続きますね。2009年に父が亡くなり、父がしていた母の世話を私が引き継ぐことになりました。何度も病院に入院しなければならなくなりました。眼底出血、薬の副作用による横紋筋融解、転倒による硬膜下血腫…。自宅で動けなくなっているところを、レスキュー隊に救出されたと母の自宅のお隣の家の方から連絡が入り、朝1限の授業のために9時過ぎに大学についていたけれど、慌てて休講にして電車とバスで駆けつける…というようなこともありました。兵庫県の介護老人福祉施設に入り、そして今は滋賀県の老人ホームで暮らすようになり、私は精神的に随分楽になりましたが、それでもこのような入院騒動が起きるわけです。全体に身体が弱ってきているように思います。

■昨夕は、「お腹が減った、早く夕食を食べさせて欲しい」とクレームを言うほど食欲がありました。ただし麻痺があるので、誤嚥をしないようにと、ご飯はお粥、肉や魚はすり身、その他もトロミがつけてあります。それを時間をかけて職員の方に食べさせてもらうのです。しかし、母が言うに、「お粥はもう飽きた」のだそうです。そうだろうな〜と思います。でも、仕方がありません。なぜおかゆなのかを説明しますが、どこまで理解できでいるでしょうね。入院をしたことで、おかしなことを言うようになりました。素人判断ですが、軽い認知症のような…。周りの人は、老人ホームに戻り落ち着いてくると、元に戻ってくると言ってくださいます。そうあって欲しいと思っています。

■今は、老人ホームの個室で思う存分テレビを聴いています。視力がほとんど無くなっているので聴くだけです。それでも、ニュースを聴いて「籠池?あの事件はまだやっているんか」と独り言を言っていました。入院前のニュースの記憶があるんですね。なんだか、認知的な部分については、しっかりしているところと、おかしなところと、まだら模様のような感じです。子どもの頃、私からすると「鬼母」のような人で、母との思い出はろくなものがありません。辛いことばかりだったような気がします。そのため、ずっと良い関係ではなかったわけですが、こうやってここまで老いてしまった母を目の前にすると、あの「鬼母」がね…と、複雑な気持ちになります。

【追記】■今日も老人ホームをのぞいてきました。体を動かすことができないので、ベッドからリクライニングのついた椅子への移動は二人掛かりになります。麻痺は残っているけれど口はまだ達者、施設長さんの話しでは予想しているよりも随分元気とのことなので、まあよしとしなければなりません。明日の午前中、私はすでに仕事の予定がはいっていますが、老人ホームの職員さんが付き添っていただき、病院で受診することになっています。こういう費用もかさんでくるので、介護認定を見直していただく必要があります。以前と比較して、身体がこのような状態になっているので、いろいろ専門家とも相談をしなければなりません。高齢者を支える様々な制度、きちんと勉強してきませんでした。これって、もはや現代社会に生きていく上で基礎知識のようなものだと思うのです。

お正月の介護

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■元旦。滋賀の老人ホームに入所している老母が、日帰りで我が家にやってきました。もちろん、一人ではやってくることはできませんので、車で迎えに行くのです。我家の車はトヨタのSpadeという車種で、オプションで助手席を介護仕様にしてもらっています。電動で助手席が回転し、車外へスライドダウンするようになっているのです。簡単に言えば、電動で補助席が外にグイーンと出てくるようになっているのです。高齢者や障害者の方達にも乗車が楽なようになっています。うちの母親の場合は、目も足も不自由になっています。しかし、この車だと車椅子からでも比較的楽に助手席に座ることができます。夫婦で介護世代であることから、親の世話をすることを考えてこの車を選びました。

■さて、我が家までの移動はこれでOKなんですが、問題があります。我が家には道路から玄関まで10数段の階段があるのです。ここがネックになります。大晦日から息子が帰省していたことから、2人で母親の両脇を抱えてなんとか登りきることができました。こうやって母親の世話をしながら、自分が年老いた時はどうなるのか…と想像するようにしています。目の前の老婆は、自分の老いのレッスンの先生でもある。老いを学ばさせていただいている…と思うようにしています。

■母は目が悪く、ほとんど視力がありません。そのようなわけで、食事も結構大変です。自分で食べることはできますが、ひとつひとつお節料理の中身を説明して、注文に応じて皿に取ることをしなければなりません。これから生まれてくるであろう自分の孫の世話と老人の世話とは、このような世話という点では同じようなものなのでしょうが、修行が足らないせいか、なかなかそのような気持ちにはなれません。修行が足りません。このように目と足は不自由なのですが、頭と口はまだ比較的しっかりしており、よく喋ること…。孫である息子は疲れて昼寝体制に入ってしまいました。私は書斎から学生の卒論を持ち出し、よく喋る母親の横で卒論の原稿に赤ペンを入れることにしました。適当に相槌をうちながらも、母親の話しは右の耳から左の耳へ…。私にはなかなか傾聴ボランティアの方達のようにはできません。あのような傾聴は、血が繋がっていないからできることなのだと思います。

■ここに1枚の写真があります。右側の方です。着物を着ている女性が母親です。今から53年前の写真です。たぶん31歳だと思います。その横は、亡くなった父。この時は36歳です。そして千歳飴を持っているのが私になります。写真を撮影したのは昭和38年。1963年です。七五三であることから11月だと思います。しかし、こうやって写真眺めてみると、「人生は一瞬の出来事」のように感じられてなりません。親に育てられ、大人になれば今度は自分の子供を育て、子育てを終えてしまった後は、親の介護がやってくる。そして介護が終わると自分の老後です。それで人生は終わりです。当たり前のことですが、本当に上手くできているな〜とつくづく思うわけです。

■ところで、若い頃にバイオリンを弾いていたことは、このブログのエントリーでも何度か書いたように思います。写真の中の私は5歳ですが、この歳からバイオリンを習わされることになりました。ピアノかバイオリンか。拒否する選択肢はありませんでした。両親がクラシック音楽が好きで強い関心があれば別なのでしょうが、そうではありませんでした。我が家にあった重いレコードは、誰の指揮で、どこのオーケストラが演奏しているのかわかりませんが、「運命」、「新世界」、「未完成」…だけだったように記憶しています。あとは、「グレンミラーオーケストラ」と「ナット キング コール」だったかな。戦争で青春を奪われた世代が、自分たちが憧れた文化を子どもに押し付けてきた…というと言い過ぎかもしれませんが、そう思わずにはいられません。

■今もしっかり記憶しているのは、辛い辛い自宅での練習です。音楽のことなどわからない母親ですが、きちんと弾けないと手が飛んでくる…そのような時代でした。教育ママのスパルタ教育の走りなのかもしれません。大人になって思いますが、子どもはもっと緩やかにのびのびと育てなければなりません。困ったものです…と言って、もうその子どもも「アラ還」ですから、もう遅すぎますね。まあ、そのように若い頃はそのように気性の激しかった女性も、84歳になり、以前とは比べ物にならないほど穏やかになってしまいました。辛い思いをした子どもはしっかりそのことを記憶していますが、辛いことをしたご本人は、そのことをすっかり忘れてしまっているのでしょうね。こういう話しをすると、年代の近い方達は、けっこう似たような経験をされているようです。そういう時代なのかもしれません。

NHKスペシャル「老衰死」

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NHKスペシャル「老衰死 穏やかに最期を迎える」
▪︎ふだん、あまりテレビをみないのですが、時々、NHKスペシャルのような番組は楽しみにして視るようにしています。しかし、楽しみにしていても、ついうっかり見逃してしまうんですよね。今回のばあいも気にはなっていたのですが、案の定忘れてしまっていました。しかし、偶然にふとテレビのスイッチを入れたら、視たいと思っていた番組がちょうど始まるときでした。「老衰死 穏やかな最期を迎えるには」という番組です。番組の内容を少し紹介します。

▪︎超高齢社会の日本では、近年、「老衰死」が増えています。2014年には75,000人を超えて統計を取り始めて以来過去最高になりました。自然な死を受け入れるという考え方が広まってきているのではないか、と番組では考えているようです。番組では、入居者の平均年齢が90歳以上の特別養護老人ホームでの半年にわたる取材を行いました。老いとともに食べ物を受け付けなくなっていくのはなぜか、人は亡くなるときに苦しくないのか、という点にも焦点をあてています。

▪︎海外では老衰死を積極的に受け止めようとしているようですが、必ずしも日本ではそうではありません。医師を対象としたアンケートからは、まだまだ、迷いがあることがあるのですが、少しずつですが、日本でも、老衰死を受け止めようとする動きがあることがわかります。

▪︎番組では、医学の最先端研究にも焦点をあてます。アメリカの大学の研究では、老化に伴う細胞の減少が臓器の萎縮につながること、小腸内のじゅう毛やその周りにある筋肉が萎縮すると栄養素をうまく吸収することができなくなることが、明らかにされています。また、老化し分裂を止めた細胞の中では「炎症性サイトカイン」などの免疫物質が数多く作られ、それらが外に分泌されると、周囲の細胞も老化が促進され慢性炎症が引き起こされることが明らかになってきました。この現象を「SASP」(サスプ)と呼ぶのだそうです。まるで、死に向かうために、体のスイッチがパチンと入るかのようです。

▪︎慢性炎症は、体の様々な機能を低下させます。この老いがもたらす炎症には、「老化(Aging)」と「炎症(Inflammation)」を組み合わせた造語が生まれています。「Inflammaging」(インフラメイジング)です。老いがもたらす死の謎を解くカギとして注目されているのだそうです。では、死が迫ったとき苦しくはないのでしょうか。イギリスの大学の研究では、死が迫った高齢者の脳は炎症や萎縮により機能低下し苦痛を感じることはなくなっていることが明らかになってきました。何か、これまで流布していた死に対するイメージとは違っています。

▪︎世田谷区立特別養護老人ホーム「芦花ホーム」の医師・石飛幸三さんは、次のように語っています。

施設に勤めて10年になります。多くの人が自分の“最期”の迎え方を真剣に考える時代になりました。医療技術の発達によって、命を延ばすさまざまな延命治療法が生まれ、そのことが、逆に家族や本人を悩ませることになっているのではと感じています。私たちは人生の終末期をどのように迎えればいいのか迷い道に入ってしまったのかもしれません。施設では、本人や家族と話合いを続けながら、胃ろうなどの延命治療に頼るのではなく、自然の摂理を受け入れ、静かに最期を迎えてもらう取り組みをすすめてきました。入居者の皆さんが亡くなられる前には、次第に食べる量が減って、眠って、眠って最期は穏やかに息を引き取られます。私は老衰による安らかな最期を「平穏死」と呼んできました。実は、施設に来るまで、自然な最期がこんなに穏やかだとは知りませんでした。40年以上外科医として、徹底した治療を続けてきました。“死”を遠ざけていたのは、医師である私自身だったのです。施設ではいつも「ご本人もご家族も、みんなが平穏な気持ちで最期を迎えることが理想」と話しています。今回の番組が皆さんの大切な人の最期を考える一助となることを願っています。

▪︎大変、考えさせられる内容でした。番組のなかには、2つのご家族が登場されました。いずれのご家族も、息子さんがお母さんを看取るわけですが、お母さんという個人の死は、老衰で亡くなっていかれるお母さんと息子さん、そしてその周囲にいる方たちとの「関係」の問題でもあると思いました。死とは、一人の人間の身体の死であるにとどまらず、「関係」の変容として捉えることができると思います。

カマキリ

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▪︎母が先週の金曜日から1週間程、体調を悪くして入院していました。昨日、土曜日、なんとか退院することができしまた。妹と一緒に介助をして、自宅に連れ帰りました。退院にあたっては、病院のメディカルソーシャルワーカーやケアマネージャーの皆さんにお世話になりました。ありがとうございました。介護保険のおかげで、母の生活は、なんとかなっているというのが実情です。ヘルパーさんによる生活のサポート、本当にありがたいです。もし、これを自分一人でやることになったら、とてもではありませんが無理です。

▪︎母は急に入院することになりました。この手配もケアマネージャーさんがやってくださいました。あわてていたものですから、母の入院にあたって冷蔵庫の中をきちんと処理していませんでした。ということで、妹がその傷んだ食料品の処理をして、私の方は、近所のスーパーに買い物に出かけました。スーバーの駐車場で、ふと左のミラーをみると、どこからやってきたのか1匹のカマキリがしがみついているではありませんか。そばに寄って写真を撮ってみました。何か、秋を感じました。

【追記】▪︎このカマキリですが、「ハラビロカマキリ♀」なのだそうです。昆虫に詳しい方が教えてくださいました。カマキリにも、いろいろ種類があるんですね。

関西「私鉄王国」

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▪︎今日は、老母の世話の日でした。忙しくて手入れができていなかった老母宅の庭は、草がぼうぼうでジャングルのようになりかけていました。こまでは、見て見ぬ振りをしてきたのですが、さすがにこれでは…という状態でした。ということで、真昼の炎天下に、草刈機を持ち出し作業を始めました。年に何回か草刈りをしなければなりませんが、そのたびごとに優勢な草の種類が違います。今回は、草に加えて、このまま放っておくと樹になってしまう…そのような感じの植物も生えていました。これはいかん…と草刈りを始めたのです。

▪︎草刈りを終えた頃にiPhone6plusに電話がかかってきました。大学の学長室からでした。担当している研究部の懸案となっている課題に関して、学長室の会議で研究部長として話しをしてほしいという内容でした。着ていたポロシャツは汗びしょびしょで、しかも下はジーンズ、とても大学の会議に出席するような格好ではありませんでしたが、良いチャンスをいただけたので、老母の世話を完了させたのち、あわてて大学の本部に移動しました。

▪︎老母宅は兵庫県にあります。「能勢電鉄」、「阪急宝塚線」。「阪急十三駅」乗り換えの「阪急京都線」で「阪急四条河原町駅」まで行きます。そこからは、徒歩で「京阪本線」の「京阪祇園四条」まで移動。職場の本部のある「深草駅」までは10分です。なんとか予定の時刻に間に合わせることができました。老母宅から大学の本部まで全部私鉄で移動できます。さすが、関西は「私鉄王国」です。今回は、ひさしぶりに「阪急京都線」に乗りました。普段、大阪と京都のあいだは、阪急に乗るチャンスがあまりありません。ということで、満足いたしました(よくご理解いただけないと思いますが…電車好きなものでして…)。河原町では、阪急から京阪に徒歩で移動するさいに鴨川を渡ります。昨日は、前日の雨のせいでかなりの水量で、ゴーゴーと川の濁った水が流れていました。ところで、その鴨川の横には、「東華菜館」という有名な北京料理店の建物があります。私にとっては、ランドマークのような建物です。

▪︎このレトロな建物は、あのウィリアム・メレル・ヴォーリズが設計したもので、1926年に竣工しています。現在は、登録有形文化財になっています。また、このお店のエレベータは1924年OTIS製です。日本に現存する最古のエレベータなのだそうです。東華菜館の公式サイトにあるページでは、以下のように説明しています。

前身は、西洋料理店「矢尾政」。大正の頃よりビアホールブームが始まっており、大正13年、「矢尾政」二代目店主・浅井安次郎氏が新しいビアレストランをイメージし、その設計をウィリアム・メレル・ヴォーリズ氏に依頼。大正15年に、このスパニッシュ・バロックの洋館が生まれました。その後、戦時色が深まる中、洋食レストランの存続が許されない状況になり、浅井安次郎氏はこの建物を中国人の友人・于永善に託しました。中国山東省出身の于永善は、大連で北京料理のベースである山東料理を修得して来日しており、ここで北京料理店を創業。昭和20年末、「東華菜館」が誕生致しました。尚「東華菜館洛北店」は、現店主・于純政が、平成5年にオープン致しました。

シンプルなデザインの学校・教会建築を数多く残したヴォーリズ氏による商業建築は少なく、その中でも当店は氏による生涯唯一のレストラン建築です。特に玄関ファサードで印象的な海の幸・山の幸等食材のモチーフは、館内にちりばめられており、目を楽しませてくれます。シンプルな直線と曲線を組み合わせた天井や梁・腰板・扉の装飾が美しいのも特徴的。また、建物に合わせヴォーリズ氏により設計された調度品や花台も残っており、料理とともにお客様をもてなします。当店の建物は、ほぼ大正15年竣工当時の姿を残しており、今もその維持管理・保存に努めております。

1924年米国で製造、輸入されたOTIS製。格子形の蛇腹式内扉や時計針式のフロアインジケーターなど非常に珍しい器具が備わっている、現存する日本最古のエレベーターです。昇降は運転手による手動式であり、その操作盤・L字方向での二面開き扉等洗練された設計になっています。

▪︎娘は建築が専門なので、年末には、ここで家族の忘年会ができたらなあ…などと考えながら通り過ぎました。ここのお店では、冬に、中国風の「火鍋」料理をいただくことができます。「火鍋」とは、中華の鍋料理です。鍋の中央に炭を入れる煙突が立っている…そんな中華の鍋をご覧になったことはありませんか。ここの東華菜館の「火鍋」も、そのような形の鍋です。そのような鍋に、様々な具材を入れていきます。湯通ししたもの、揚げたもの等、具材ごとに適切な下準備を施してあるそうです。そのことで、最大限の味わい深さを引き出すのです。最高のスープから出た鍋の最後には、中華麺を入れて楽しみます。いかがでしょか。ちょっと、なんだか、人生の楽しみが増えました(大げさですが)。

能勢の湯治場

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20150111nose1.jpg ▪︎世の中は三連休ですが、大学は、ちゃ〜んと授業があります。大学の関係者は働き者です…冗談です。それはともかく、土曜日に、自らを慰労しに奈良の近場の温泉を探していってまいりました。昨日は、老母の生活介護の日。妻も同行してくれました。そしていつもとは違って車ででかけることにしたのですが、車でいくのならばついでだからと、老母宅の近くにある温泉にはいりに行こうということになりました。ネットで探すと、ありました、ありました。それも、かなり鄙びた感じの温泉です。湯治場という雰囲気ですね。大阪府の能勢町にある「山空海温泉」です。能勢町は、大阪府の最北端に位置します。お隣は、京都の亀岡市です。田園風景が続きます。そのようなのどかな風景のなかの、川沿いの土地に「山空海温泉」はありました。建物の屋根に温泉マークです。

▪︎関西で、こういう雰囲気の温泉をみたことがありません。どこも観光化された温泉ばかり…。この鄙びた雰囲気は、岩手県に暮らしていたときに、訪れた温泉に似ています。観光客向けではなくて、集落が経営している温泉でした。ちなみに、ここは個人が経営されている温泉のようです。係りの方にお聞きしたところ、豊中にお住まいの方がオーナーさんで、その方が個人の資金で掘り当てたのだそうです。源泉かけ流しの温泉です。ただし、温度が少し低いため、加温しているようです。温泉らしい硫黄臭が少しします。エエ感じですね〜。ひさしぶりでした、こういう温泉は。入浴料は700円と、東北の鄙びた村の温泉と比較すると高めですが、こういう雰囲気も混みと考えれば(個人的な評価ですが)OKでしょうか。私個人は、大変満足いたしました。けっこうわかりにくいところにあるにもかかわらず、お客さんが次から次へとやってこられます。知る人ぞ知る…タイプの温泉のようです。

【追記】▪︎冒頭に、「世の中は三連休ですが、大学は、ちゃ〜んと授業があります」と書きましたが、月曜日は、大学も休みでした。今回については。次のエントリーにも書きましたが、そのことをわからずに、大学に出勤してしまいました。

お年玉?

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20150101hoshigaki2.jpg■元旦です。家族そろってお雑煮とおせち料理をいただき、これから母の家に新年の挨拶にいきます。まあ、いつもの生活介護であることにはかわりありません。年末年始は、ヘルパーさんたちに来ていただけないので、30日から2日までは妹が泊まり込んでくれています。おせち料理と、今晩の御馳走(蟹すき)の材料は、我が家から持参します。これが、毎年、恒例になっています。それに加えて、今年は、干し柿が加わります。母の家の庭に実った渋柿を干し柿にしてみたのです。

【関連エントリー】干し柿のその後

■完成した干し柿、あの渋い柿が、大変甘く仕上がりました。すごいですね、伝統食の偉大さを知りました。まあ、見た目は悪いですが、どうかお許しを。おそらくは、プルーチーズなんかと一緒に食べると素晴らしいのではないかと思います。となると、日本酒というよりも、ワインかな。この干し柿、我が家のおせち料理の「膾」(なます)のなかにも入れました。残りは、母とドライフルーツ系が好きな妹へのお年玉ですね。

多重介護

20141116tajyukaigo.png ■視ることはできませんでしたが、11月10日のNHK「クローズアップ現代」は、「“多重介護”担い手たちの悲鳴」でした。非常に視たかったのですが、時間がありませんでした。以下のような内容です。

「実の親と義理の親」、「親と配偶者」など、1人で複数の家族を介護する“多重介護”。要介護者の増加と介護期間の長期化、そして少子化による介護者の減少を背景に急速に広がっている。しかし、要介護度が「2」以下だと施設への入所は難しい。また、「3」以上でも、特養ホームの費用が払えず、在宅で介護せざるをえない人も多い。医療や福祉も“多重介護”の負担を考慮して支える仕組みは少なく、事態は深刻化している。「日本ケアラー連盟」が4年前、全国2千人のケアラーを対象に初めて行った調査によると、実に25%が複数のケアを担っていた。「医療・介護は在宅で」という流れが進む中、どうすれば介護者の負担を減らすことができるのか。最新の調査から実態を浮き彫りにし、課題を検証する。

■NHKの「クローズアップ現代」では、放送した番組の内容を文字で読めるようにしたサービス「放送まるごとチェック」を行っています。「“多重介護”担い手たちの悲鳴」も、以下でご覧いただくことができます

■こうやっていつも番組を見逃しています。研究室には、17年程前に購入したテレビデオが1台ありますが、現状ではビデオテープを再生できるだけの機械になってしまっています。地上デジタル放送に対応していないからです。困りました…っていうか、買えばよいのですね。しかし、ずっとこれまで先送りにしてきました。やっと…です。「Panasonic DIGA ブルーレイディスクレコーダー 3TB HDD搭載ハイビジョン 4Kアップコンバート出力対応 DMR-BXT870」と「Panasonic プライベート・ビエラ ポータブル地上・BS・110度CSデジタルテレビ19v型 SV-PT19S1-K」が研究室に搬入されました。次は、これをどうセッティングするのか…ということですね。じっくり取り組む時間があるのかな…心配。

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