Word for Mac のショートカットキー
■先日、研究室のデスクトップ、iMacが新しくなりました。研究室のiMacはリース物なので、私のばあいは、3年ごとに新しいものにかわるのです。研究部の職員の方が、古いiMacと新しいiMacを直接つないで、そっくりそのまま中身を移動させてくれました。Macはそういうことができるんだそうです。便利ですね〜。新しいiMac、キーボードの感触は以前の方が良かったように思うけれど、本体は、かなり薄くなりました。また、ディスプレイもさらに美しく映るようになっていると思います。薄くなったということでいえば、トップの画像のような感じになります。かなりの薄さですね。
■しかし、困ったことも起きています。とくに、私のような「かな入力」の人間にとっては…。
■私は、Mac用のofficeを使っています。Word、Excel、PowerPointといった類いのアプリケーションです。今回 iMac が新しいものにかわり、Word で困ったことが生じました。それは、ショートカットキーが使えないということです。特に、カット、コピー、ペースト、セーブ、全てを選択、元に戻る…といった「command+X/C/V/S/A/Z」のショートカットキーが使えなくなっているのです。上の画像の左をご覧ください。マウスで「編集」をクリックしてみても、ショートカットキーはみつかりません。もちろん、マウスを使えば作業はできるのですが、むちゃくちゃ時間がかかってしまいます。大変面倒です。作業時間が1.5倍になります…。
■弱りました。facebookで「友達」の皆さんに解決策を尋ねましたが、「こうすれば良いよ!!」という回答はなかなかいただけませんでした。それもそのはずです。これは「かな入力」の人にだけ出てくる現象なのだそうです。詳しくは、こちらのブログ記事をお読みいただければと思います。「ことえりが日本語モードの時にだけ発生する」のだそうです。
■なんといいますか、悲しいです。「かな入力」の人たちって、もはや極めて少数派のため、その存在は、開発者の目には入っていない様です。Macを使い続けようと思っているのにな〜。そういえば、iPadも「かな入力」ができませんね。「私たち」に対して、Apple社はかなり冷たいです…。もし「かな入力」ができれば、すでにiPadを購入しているところなのですが…。
■さて、解決策ですが、上記のブログ記事のリンクにもあるように、「option」キーを押したままWordを起動すると大丈夫なようです。若干副作用があるようですが…。
沖島訪問
■6月8日(土)、「社会学入門演習」の18名の新入生たちと一緒に、琵琶湖の浮かぶ離島、沖島(近江八幡市)を訪問します。沖島には、長い歴史をもつコミュニティがあります。ここの自治会長さんと副会長さんのお2人にお話しを伺う予定になっています。本当は、沖島に宿泊できればよかったのですが、諸般の事情から沖島での宿泊は難しいということがわかりました。仕方がないので、夕方、野洲市のユースホステルに移動して宿泊する予定になっています。翌6月9日(日)は、草津市の烏丸半島にある滋賀県立琵琶湖博物館で一日勉強することになっています。
■「社会学入門演習」では、1年生が必修の授業です。すべてクラスが、学外に現地実習旅行に出かけ、そこでの体験にもとづき報告書を執筆することになっています。以下は、シラバスの講義概要です。ちょっと固い説明になっていますね…。
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この科目では、大学での学修スタイルと、本学科における大学生活にいちはやく慣れる機会を提供することを目的として、クラス単位で1泊2日の現地実習旅行をおこない、現地で見たり聞いたりして得た知識をもとに、実習報告書を作成する。
高校までの「勉強」と、大学での「学修」は大きく異なる。高校までは、基本的に与えられた知識を身につければよかったのに対して、大学での「学修」の最大の特徴は、自分がおもしろい・重要だと思える知識を自分で掴み取るという点にある。そのために大学の授業では、「話し合い(議論)」が非常に重視される。そしてその基本となるのが、「異質な他者」とのコミュニケーション能力である。初めて出会うクラスメイト、教員、実習旅行先で出会う人、自分の書いた報告書を読むことになるであろう人、これらの人々は、家族や友人とは異なり、独りよがりに「気分語」「仲間語」を発するだけではわかってもらえない、自ら進んで関係を持とうとする姿勢や、お互いに理解し合えるための工夫が必要な「異質な他者」である。この実習を、そうした「異質な他者」との出会いを体験し、「話し合い」という様式のコミュニケーションに慣れる場として捉えて欲しい。それが、本学科での4年間の学修生活の基礎を培うはずである。
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■私のクラスでは、4班にわけて、このシラバスにある「話し合い(議論)」を進めてきました。そのなかで、沖島でお聞きする質問項目についても議論してきました。ネット上の情報や動画をみながら、そして以下の新聞記事などを参考にしながら、質問項目を整理してきました。今回の現地実習では、事前に、この質問項目を沖島の自治会の関係者にお渡してする予定にもなっています。
【産経新聞記事】
琵琶湖・沖島の挑戦(上) 「離島」になりたい 財政優遇に未来かける
琵琶湖・沖島の挑戦(下) 日常が「スローライフ」 観光客呼び込みに活路
■ところで、上の画像、Google Mapから取り出したものです。琵琶湖の真ん中あたりです。もう少し細かくいうと、堅田と守山の間を渡る琵琶湖大橋を超えた北湖の南部にあたります。右上のほうに、沖島が確認できるでしょうか。画像の左の方は、湖西になります。私の3・4年生ゼミでおこなっている「北船路米づくり研究会」の活動は、ちょうこの画像では左の真ん中あたりになります。山裾に四角い圃場がひろがっているのが見えるでしょうか。ここが、北船路の棚田になります。下の写真は、北船路の棚田から沖島を撮ったものです。
大津駅前商店街のツバメ
■JR大津駅で、琵琶湖側(北側)の改札口を出て左の方面にいくと、寺町筋と呼ばれる通りがあります。駅前からしばらくは「大津駅前商店街」が続きます。お店の前には、広告も兼ねた照明が、歩道の上に伸びたアーケードに設置れています。この広告照明、とっても人気があります。はい、ツバメに・・・です。
■毎年、春になると、この大津駅前商店街のお店の照明のところにツバメが巣をつくります。雛が孵り、親鳥が餌を運ぶころになると、この商店街では、たくさんの親ツバメが飛び交うようになります。私は、その風景が大好きです。今年もちゃんとツバメがやってくる・・・当たり前のことですが、このような季節の循環を感じ取ることができることに、私は幸せを感じるのです。
■以前、岩手県立大学に勤務していました。住まいのあった盛岡市では、毎年、市内を流れる中津川に鮭が産卵のために遡上してくることを、多くの市民の皆さんが気にしていました。理屈からいえば、サケは当然のことながら遡上してくるわけですが、それでも、当たり前であっても、その遡上するサケを確認するために橋の欄干から川面を覗きこんだものです。そして、今年もやってきたなと、嬉しい気持ちになったのです。
■大津の街の、駅前商店街のツバメ。それは、岩手に暮らしていた時代のサケに通じるものがあります。皆さんも、ぜひ、育っていくツバメの雛たちを見守ってあげてください。
「みつばち保育園」の遠足
■昨日、28日(火)、大津市内にある「みつばち保育園」の園児さんたちが、ゼミ活動の一環として取り組んでいる「北船路米づくり研究会」のフィールド、北船路の棚田に、園の先生方の引率のもと電車(湖西線)でやってこられました。そして、研究会の顧問である指導農家でもある吹野藤代次さんが世話役となって、地元の農業生産法人「福谷の郷」の田んぼで農作業を体験されました。「みつばち保育園」では地産地消に熱心に取り組まれており、園の給食に北船路産の「こしひかり」(環境こだわり米)を使われており、そのような関係もあって、遠足も北船路にやってこられたのです。
■昨日は火曜日で、3年生は授業があり、4年生は就職活動等があったわけですが、なんとか忙しいなか都合をつけられた4年生のYくんが、サポート役で園児さんたちの農業体験を手伝ってくれました。また、この3月に卒業したばかりの卒業生・Sくんも休日であったことから手伝いに来てくれました。Sくん、ありがとうございます!! 卒業しても、こうやって時間をみつけては手伝いにきてくれるOBの存在、とってもありがたいものがあります。
■さて、園児さんたちは、田植えの体験をされたあと、北船路の茶畑にいき茶摘みをされました。このお茶は、保育園にもってかえって、園で飲むお茶っ葉になるのだそうです。すごいですね〜。私は茶摘みはしたことがありません…。羨ましい。最後は、里芋の種芋の植えつけをされました。秋には、園の給食の材料として使われることになるのだと思います。これは、「食育」であるとともに「農育」「環境教育」でもありますね。これからも、「みつばち保育園」と連携しながら、様々な事業を推進していこうと思います。
■私は、昨日は、授業や学生の指導、また会議があり、北船路にはいけませんでしたが、YくんとSくんが写真を添えて報告してくれましたので、それにもとづいてこのエントリーを書いています。YくんとSくん、ありがとうございました。
甲賀の農村で
■過去のエントリーで、総合地球環境学研究所の文理連携(協働)の研究プロジェクトのことをアップしました。先週の25日(土)、このプロジェクトのコアメンバーの皆さんと、野洲川流域の視察と簡単な聞取り調査にでかけました。この日は朝8時半にJR瀬田駅に集合したあと、リーダーの奥田さんが所属する京都大学生態学研究センターの車2台に分乗して、第二名神高速道路を使い野洲川の上流部まで一気にさかのぼり、上流かから琵琶湖の湖岸まで、一日かけて野洲川を少しずつ下っていきました。
■ちょうど昼頃になりますが、甲賀市にある小佐治という集落を訪問しました。小佐治は、137世帯の農村です。JRの最寄りの駅は、草津線の寺庄。滋賀県の内陸部とはいえ、兼業可能な地域です。近くには、工業団地も多数あります(滋賀県は、湖東に工場群が集積する内陸工業県です)。もちろん、専業や兼業の農家以外にも、非農家の皆さんもお住まいです。そして、他の農村地域と同じように、少子高齢化や農業の後継者の問題をかかえています。
■この辺りは、古琵琶湖層が隆起した丘陵地帯です。古琵琶湖というと、聞き慣れない人がいるかもしれませんね。琵琶湖はもともと現在の三重県の伊賀上野で、400万年前に誕生しました。地殻変動によってできた「大山田湖」です。湖とは、おおきな水たまり。地殻変動で大地生じた凸凹に応じて移動します。琵琶湖が、およそ現在の位置に到着したのは、40万年〜100万年前の間といわれています。私たちが訪問した甲賀市は、その琵琶湖の移動の通り道に位置しているのです。現在の甲賀市の位置には、約270年前から「甲賀湖」という深い湖が形成されました。この「甲賀湖」は約20万年間続きました。古い時代の琵琶湖、古琵琶湖のなかでは一番安定していた湖といわれています。
■小佐治は、甲賀市の丘陵地帯にあります。古琵琶湖の泥がたまった湖底の粘土が隆起してできた丘陵地帯です。そのため、関東地方でいうところの「谷津田」がたくさんみられます。トップの写真をご覧ください。まるで、人間や動物の肺の気道と肺胞のようでしょう。古琵琶湖の湖底が隆起してできた丘陵は、細かな粘土からできていますから、雨水を簡単には透しません。あふれた雨水は、低いところに流れていき、大地を削り、写真のような谷を形成していったのです。人間は、この谷筋に流れる雨水を頼りに水田をつくっていきました。もちろん、丘陵の森に降った雨水をためておく溜池もつくました。溜池に溜めた水を谷につくった水田にひいていったのです。大きな溜池は5つですが、小さいものは100はあったとのことです。
■もっとも、1962年に、少し離れたところに灌漑用の大原ダムが建設されたあとは、このダムの水を水路により溜池までひっぱってきました。いったん溜池に貯水して使用しているとのことです。ですから、かつて存在した小さな溜池は現在では、使われず、堤もこわれているのではないかとのことでした。ちなみに、こちらの小佐治のばあいは、丘陵の森は、ほとんど民有林でした。だいたいどの農家も1町歩ほどの山林地をもっているといいます。また、村の共有林もありました。ですから、かつては、冬になるとどの農家も山で山仕事をするのが普通だったといいます。もっとも、高度経済成長期の燃料革命で、これらの山はほとんど利用されなくなりました。
■村人のお話しによれば、古琵琶湖の細かな粘土でできている水田は、米や餅米の生産に大変適しているのだそうです。特に、小佐治の餅はこの村の名物になっており、皇室にも献上されてきたようです。左の写真は、ドブガイの化石と粘土の固まりです。古琵琶湖の時代の化石がこうやって地中から出てくるんですね。ご覧いただけばわかると思いますが、粘土は乾燥すると大変固くなります。この地域では、以前は、稲刈りの終った後でも、冬場に水田を湛水状態にしておいていたとのことでした。来年の春に農作業を始めるとき、鍬などの農具が入りやすいようにするためです。古琵琶湖の贈り物である粘土の土が、この地域の農業に特色を与えているように思います。
■ところで、最近では、この特産品を使った、米粉の麺料理や餅料理を食べさせる農村レストランもオープンしています。いわゆる、コミュニティビジネスです。大変熱心に村づくりに取り組んでおられることがわかります。もちろんハッピーな話しばかりではありません。先ほども少し触れましたが、民有林の管理ができなくなり、山は荒れ、獣害がひどくなり、田んぼにいた生物の賑わいも減ってしまったといいます。また、後継者不足や村の農地の維持についても問題になっています。現在、まだ法人化はしていないものの、「集落営農」にも取り組み始めているそうです。
■ただし、頑張って村づくりに取り組んでおられるだけのことはあります。小佐治では、水田の生きものを復活させる、生きものの賑わいを取り戻す事業にも取り組んでおられます。滋賀県庁の農村振興課の事業に応募されたのです。なぜ、応募されたのか。この辺り、「村の論理」をきちんとわかっていなければなりません。補助金というお金だけみていたのでは、「村の論理」は把握できません。問題は、農業を基盤とした村の永続生や持続性なのです。言い換えれば、「持続可能な農村コミュニティ」を目指してこの地域を再生していくためには、身近な環境保全に努めることが必要だ…と考えておられるのです。小佐治では、環境こだわり農産物の生産にも取り組んでおられます。生きものを育む水田で生産された米や餅米は、それ自体が付加価値を持つとともに、さきほどの農村レストランのようなコミュニティビジネスとともに「村のブランディング化」に寄与することでしょう。先行き不透明な、厳しい現実が存在していることは事実なのですが、小佐治のみなさんは、村づくりに大変意欲的に取り組んでおられます。そのことは、村人が話しをされている時の話しぶりや表情からも窺えました。
■興味深いことに、この村には、外部から4世帯が移り住んでこられました。子どものいる若い家族の転入を村としては大歓迎されています。また、家族の定住をサポートされてもいます。転入した家族の方でも、積極的に村の活動に参加されているようです。そのような新住民のお1人にもお話しをうかがいました。いろいろ農村地域で暮らしたいと思って移り住める家を探していたとき、この村が美しいと思ったのだそうです。そのことが、転入した一番の理由だとのことでした。山は荒れてきているとはいえ、身近な里の自然に配慮をし、村人の手が加わっているのです。村の風景は、ここに暮らす村人の心のあり様をも映し出しているはずです。そのことが、ここの村の風景を、そして村の暮らしを美しく見せたのではないでしょうか。
■今回視察したグループが取り組む研究プロジェクトは、いわゆる文理融合・文理協働の研究プロジェクトということになります。私としては、このプロジェクトの研究をとおして、ここの村づくりのお手伝いができたらと思っています。村としても、私たちの参加を歓迎してくださっています。村人の話しをうかがいながら、私の頭の中には、これからのプロジェクトが取り組むべきことがらのアイデアが、脳みそのなきら次々と湧き出してきました。経験上、こういうイメージは、とても重要なのです。これからが、楽しみです。少し先のエントリーになると思いますが、この小佐治の村づくりの取り組みを、こんどは野洲川の流域管理の問題や、生物多様性、生態系サービスの問題と結びつけながら考えてみたいと思います。
阪急電車(十三-梅田)
■今日は、老母宅へ週1回の生活介護に行ってきました。到着するなり、「ヘルパーさんが掃除機が壊れたといっている」ということですぐに確認。新しい掃除機を電気屋に買いに行くことになりました。そんなこんなで昼食の時間がなくなりました。仕方なく、行儀は悪いのですが、電車のなかでサンドイッチをつまみました。で、たまたま阪急電車の1両目に乗っていたこともあって、運転席越しにみえる風景を、ふと動画に撮影してみようと思い立ったのです。ということで、iPhone5で撮影してみました。
■あまり深く考えずに撮影したのですが、facebookでこの動画を投稿したところ、「3つの複線が走っているはの、ここだけ」、「私鉄王国・関西らしい」、「阪急はスゴイ」という類のコメントをいただきました。考えてみれば、そういうことなんですね~。そう思って動画を見直すと、確かに迫力があります。私自身は、梅田駅に入っていくところが好きなんですけれど…。すみません、ちょっとだけ、鉄道ファン、プチ鉄なものですから。
■ところで、鉄道の記憶で一番古いものは…阪急電車です。幼い頃、私は神戸の六甲山麓に建設された団地(公団住宅)に住んでいました。最寄りの駅は阪急御影。神戸市バスで山をくだっていくとその駅がありました。電車の色は、現在と同じマルーン色、内装は木目模様。これははっきりと記憶しています。というわけで、私にとって阪急電車は、「My Favorite Things」のひとつなのだろうと思います。
岐阜県関市で講演をしてきました、そして「長良川鉄道」!
■昨日は、関市で「『生きがいづくり』から『地域づくり』へ」という題目で講演をさせていただまきました。関西にいる私が何故岐阜県なのか…少し、説明させていただきます。私は、以前、岐阜県の環境生活部人づくり文化課 が取り組まれていた生涯学習の事業をお手伝いしていました。当時、岐阜県では、積極的に「地域づくり型生涯学習」の推進を目指しておられました。「これからは、個人的生活の充実のための生涯学習に加え、子育て、福祉、環境、まちづくりなど身近な地域における課題の解決を目指し、自己の知識、技術、経験を地域社会に役立て、社会的生活の充実を図る「地域づくり型生涯学習」が求められている」との判断からです。というわけで、地域づくりを自分のライフワーク(?!)にしている私にも協力依頼の話しがあったのです。岐阜県では、岐阜市、各務原市、可児市等で、この「地域づくり型生涯学習」のモデル事業等に取り組んできました。
■このモデル事業が終了してから、しばらく時間が経過していますが、昨年度末(たしか、2月頃だったと思いますが)、関市の生涯学習課から講演のご依頼をいただいたのでした。以前、県の生涯学習センターの所長をされていたYさんが、現在、関市で教育長をされているというご縁から、お声掛けいただいたのです。関市では、現在、「1学習・1スポーツ・1ボランティア」をスローガンに、生涯学習を通して、地域社会に貢献できるようになろう…と、新たな生涯学習の取り組みを模索されておいます。今回は、その取り組みにあわせたお話しを…ということで、講演のご依頼をいただいたのです。右が、職員の方の、お手製のポスターです。関市のスローガンにふさわしく、マラソンを走っている私の写真を入れていただきました。講演の内容は、これまで私が地域づくりに関する実践で経験してきたことをもとにしたものです。その内容はともかく、気持ち良く1時間半、お話しをさせていただきました。関市の皆さんには、心から感謝いたします。
■トップの写真は、講演会の会場である「わかくさプラザ・学習情報館」の最寄りの駅、「関市役所前」です。岐阜県の美濃太田から郡上八幡市方面まで走っている「長良川鉄道」の駅です。田園風景のなかの駅、ローカル線の旅が好きな私には、とっても素敵な風景でした。この駅から10分程あるいたところに、市役所、そしてわかくさプラザ・学習情報館や体育館などの相当に立派な施設が並んでいるのです。
■今回、関市には、鉄道で移動しました。自宅のある奈良から京都まで近鉄。京都から名古屋までは新幹線。名古屋から美濃太田までは特急「ワイドビューひだ7号」、美濃太田から関市までは「長良川鉄道」と、ちょっとした鉄道旅行を楽しむことができました。「長良川鉄道」には初めて乗車しました(いわゆるディーゼルカーです)。しかも、美濃太田駅には、駅弁の立売(釜めしを販売されていました)されている方をおみかけしました。今時、駅弁の立売なんて、めったに拝見することはできません。わかりますか?立売って。「帯のついた長方形の箱に駅弁や茶を入れ、首から下げホーム上を歩く人」・・・といっても、若い学生の皆さんはわからないだろうな…。
■ところで、「長良川鉄道」、経営がなかなか厳しいようです。列車のなかに、下のような壁新聞が張ってありました。小学生が取材・編集・発行されています。いいですね〜。赤字ローカル鉄道をなんとかしたいと、いろいろアイデアも提案されています。
いよいよ季節到来
■帰宅途中、iPhoneで撮った京都タワーです。今日は雲ひとつ無い青空。ですから、こんなにスッキリした写真が撮れました。で、どうしてたくさんの観光客と一緒に、わざわざこの京都タワーを撮ったのか。じつは、気持ち的には京都タワーではなく、京都タワーの根元(?)、つまり京都タワービルの屋上にあるビアガーデンのことが気になったのです。写真では、提灯が並んでいるのがわかるのでしょう。いよいよ、ビアガーデンが始まりました。
■冷たいビール。私は、真夏に呑むよりも、まだ湿度がそれほど高くなく、朝夕は涼しい、この季節に呑むのが好きです。ビールは、灼熱の真夏よりも、初夏が似合っていると思います。新聞でも、ビアガーデンがオープンした…という記事を読みました。行きたいですね~!! どなたか、ご一緒してください!! ご連絡をお待ちしております。
過疎地の選択 “お上依存”を脱しよう(中日新聞社説)
■以下は、本日の中日新聞社説です。大いに共感しました。大切なことは、「自分たちの幸せ」「自分たちの幸せの物差し」を共有できるかどうか…なのだと思います。
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人口減と高齢化が急速に進む中、過疎地がどう生き残るかは、とりわけ重い課題だ。地域ごとに実情は違っても、あすへの希望をつなぐには“お上依存”脱却が有効な手だてのひとつではないか。
全国の過疎地に点在する約六万五千集落を調べたら、四百五十カ所が十年以内になくなる可能性がある-。これは二〇一〇年、総務省がまとめた予測だ。いわゆる限界集落のことである。
今春出された将来推計人口などの数値でも人口減・高齢化の進行は著しい。が、そんな未来社会がマイナス面のみ強調されすぎても、やりきれない。
知恵を絞る試みが地域にあるからだ。長野県南部も、その仲間といえよう。ここは地方自治法の広域連合制度を活用している。
一県単位で全市町村が名を連ねて広域連合を構成しているのは長野(十連合)、埼玉両県だけ。規約によって消防や介護など行政の一部を補い合い、これという施策は自治体の独自性を存分に発揮できる柔軟性がミソである。
昨年始まった自然エネルギーの固定価格買い取り制度は、大企業の参入が目立ち、売電利益も電気も地元を“素通り”する。
南信州広域連合(十四市町村)の中核市、人口十万人余の飯田は「地域環境権」という考えを柱に四月、市再生可能エネルギー条例をつくった。山あいの人口約五百人の過疎地・上村(かみむら)地区で今、谷川など自然の恵みを生かした住民主体の小水力発電所計画が進む。
利益も電気も地元に還元し、地区に自立してもらう「持続可能な地域モデル」と市は位置づける。条例はその支えなのだ。
下條村。六千四百人はいた人口が四千人を大きく割った。だが、公共事業のバラマキで景気回復を図る国策には背を向け続けた。
若者が住みやすい村営格安の住宅を整備、医療費を高校生まで無料にした。未来への投資だ。人口は四千人台に戻り、何より子どもが増えた。
三分の一が限界集落の泰阜(やすおか)村。「年寄りばかりでも不幸せとは限らん」と、松島貞治村長は言う。“低空飛行の村”は「最期は自宅で迎えたい」という住民の願いを聞き入れた高齢者・在宅福祉に重きを置く村政が、村民の安らぎを支え続ける。
どれも国の政策や効率性、成長頼みより、住民の自立や安心をすくい取ることを第一にしている。
へこたれぬ田舎は、まだまだあるはずだ。もっと増えてほしい。