2024年夏の「おうみ会」

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▪️昨日の夕方、自宅近くの歯科院に行きました。3ヶ月ごとに歯のチェックをしていただいているのです。昨日も、歯科衛生士さんが丁寧に歯のチェックとクリーニングをしてくださいました。いろいろご指導いただいたこともあり、評価していただけるような歯磨きができるようになりました。通常の歯ブラシ、細い歯ブラシ、歯間ブラシ、デンタルフロス、この4つを使いながら歯をメンテナンスをしています。自宅にいるときは、毎食後、歯を磨く習慣がつきました。今までは、朝と晩だけだったんですが、昼食後も磨くようになりました。歯の健康を維持することは、身体全体の健康を維持するためにも、健康寿命を維持するためにも、非常に大切なことだと思っています。「8020(ハチマルニイマル)運動」をご存知でしょうか。「80歳になっても20本以上自分の歯を保とう」という運動のことです。今のところ、全部自分の歯です。歯のメンテナンスを続けて、このまま残りの人生をできるだけ健康に過ごせたらと思います。

▪️歯科院の予約は16時からでしたが、15時頃から激しい雨が降ってきました。朝は晴れていたように思うのですが、急に天候が変わりました。地球温暖化、気候変動、そして最近の酷暑…大変な状況になっていることを実感していますが、ローカルな場所でもゲリラ豪雨が発生したりします。豪雨だけでなく、雷、雹、竜巻…。昨日は、激しい雨程度で済んだのですが、困ったことがありました。歯科院までは良いのですが、そのあた京都で開催される学部教授会の懇親会「おうみ会」に普通の靴で行けるのかということです。電車は動いていますが、雨の中、歩いていく時に靴はどうなってしまうのだろう、ゴム長靴を履いて行こうか…そのことで迷ってしまいました。幸いにも、雨が少し小ぶりになってきたので、ゴム長靴ではなく、革靴のブーツっぽくみえるけど実は雨靴という靴で、なんとか家を出ることができました。こういう便利な靴があるのです。でも、あの大雨のままだとスボンの裾はびしょびしょになっていたと思います。まあ、どうでも良いことを書いていますね。すみません。

▪️歯科院の後は、京都に移動して、少し買い物をした後、徒歩で「おうみ会」の会場となった「フォーシーズンホテル京都」に徒歩で向かいました。このホテル、国立京都博物館のもう少し東側にあります。ずいぶん高級そうなホテルでした。実際、驚くような宿泊料のようです。いつもビジネスホテルに宿泊している私には縁遠いホテルです。とはいえ、ひさしぶりに、同僚の教員の皆さんと同じテーブルで「バカ話し」ができて楽しかったです。こういう「バカ話し」、教員間の信頼関係を維持するためにもとても大切なことだと思うのですが、コロナ禍以降は、なかなか実現しませんでした。昨年からやっと、この「おうみ会」についてはできるようになりました。以前は、教授会の後に、あらかじめ約束をしたわけではないけれど、「ちょっと、呑みにいきましょうか」みたいなことが度々あったのですが、今は、私個人に限ればそういうことは無くなってしまいました。残念です。

「利やん」で魚見さん安田さんと。

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▪️昨晩は(も?)、大津駅前のいつもの居酒屋「利やん」でした。昨晩は、「革靴をはいた猫」代表取締役の魚見航大さんと、近江八幡市教育庁の安田全男さんの3人で呑みました。じつは、昨晩初めて魚見さんにお会いしました。安田さんが、昨晩の「利やん」をセッティングしてくださいました。でも、安田さんに魚見さんを紹介したのは私なのです。うん?どういうこと?…という感じですよね。魚見さんは、障がい者と健常者が一緒に働く靴磨き靴修理の株式会社「革靴をはいた猫」を起業されました。各地にある障がい者就労支援の事業所ではなく、株式会社として起業されたのです

▪️このあたりのことは、龍谷大学の広報や、ネットの記事を通して知っていたのです。安田さんと「利やん」で呑んでいる時に、近江八幡市の教育行政の「新たな取り組み」の話を聞かせていただきました。その時、魚見さんのことがすっと頭に浮かんできたのです。「そういえば龍大出身で『革靴をはいた猫』という、これこれしかじか…の会社を起業した若者がいますよ」と、安田さんにお話したのです。安田さんは、すぐに魚見さんに連絡をとって会いに行かれました。魚見さんも近江八幡までやってこられて、トントンと話は進んでいき、魚見さんはその「新たな取り組み」のお手伝いをすることのなったのでした。私は、頭に浮かんできた魚見さんを安田さんに紹介して、ネットで「近江八幡市の方達がお会いしたいそうなのでよろしくお願いします」と連絡をしただけ、なのです。というわけで、昨晩は、魚見さんのご希望で、「利やん」で呑むことになり、安田さんのセッティングで初めて魚見さんにお会いすることができたのです。

▪️龍大の政策学部からはたくさんの皆さんが起業されています。魚見さんもそのような方達のお1人です。自分は何がしたいのかよくわからない、ある意味で、よくいる普通の若者だった魚見さんが、人生の「転轍手」となる女性との出会いがあり、その女性の強い勧めで靴磨きの修行を行い、そして「革靴をはいた猫」を起業された…とってもドラマチックです。困難を抱えた方達に対する魚見さんの眼差しは、とってもフラットです。一緒に働く仲間なんですね。昨日は、長年一緒に働いてきた方が、別の企業に立ち上げられた新たな部門に雇用されたというお話も聞かせていただきました。素晴らしいです。

▪️魚見さん、爽やかな青年でした。魚見さんの手には、まだ靴墨が所々に残っているのが印象的でした。昨晩は一緒に呑んだ後に、深夜バスで東京に向かわれるとのことでした。超有名商社の会長さんにお会いになるのだそうです。その辺りにも、何かドラマがありそうですね。それは次回に。魚見さんも、「利やん」にボトルキープされましたので。楽しみです。魚見さんの人生の「転轍手」となった女性って、「樹林」のおばちゃんって、この方なんですねこちらの記事もすごく参考になりました。昨日伺ったお話を復習しているかのようです。

瀬田キャンパスのウッドデッキと栗本慶一さんのこと

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▪️今年度は特別研究員です。当初は、ちょくちょく研究室に行く予定にしていたのですが、これだけ暑いと、ちょっと気持ちが挫けてしまいます。でも今日は用事があり、瀬田キャンパスに向かいました。

▪️ 2号館の入り口の近くに、このようなパネルが掲示してありました。瀬田キャンパスでは、滋賀県高島市朽木の杉材を用いたウッドデッキが整備されました。「Green Deck(グリーンデッキ)」、「Sky Deck(スカイデッキ)」です。パネルでは、この2つのウッドデッキの元になった杉材の育ててくださった林業家・栗本慶一さんのことが説明されています。また、栗本さんも林業に取り組むご自身の「お考え」を語っておられます。素晴らしいと思いました。ということで、ちょっと文字に起こしておきます。ちなみに、栗本さんのお顔の写真は、私が撮ったものです。

課題に目を向け、持続可能な森林へ
森林への想い Green Deck Sky Deck の木

滋賀県安曇川流域北部に位置する朽木針畑地区で江戸時代から5代に渡り林業を営む滋賀県を代表する林業家 栗本慶一さん。従来の皆伐を止め、大径木材に誘導するための択伐への転換や、天然苗での植栽を行い自然の力に逆らわず自然の力を活かした山づくりを行なっておられます。

琵琶湖の水源となる朽木針畑地区の森は豊富な降水と積雪により杉の生育にきしたとちであり、ここで育った杉はその土壌から赤みを帯びた細かい木目が特徴で雪に強く古来より「芦生杉(あしゅうすぎ)と呼ばれ、かつては東大寺建立時にも使用されたほど良質な木が生育しています。「Green Deck」「Sky Deck」は大正期、栗本さんの祖父の代に植林され、代々受け継ぎ大切に育てられた樹齢100年を超える芦生杉を使用して建設しました。

林業は植林から伐採までには60年以上の長い月日がかかり、先祖代々、書林をされた森林を長い期間をかけて適正に管理し、優良材を育てていかなければならない非常に厳しい世界です。しかしこの地で生まれたからには覚悟をもって未来に向け持続可能な森林を守っていきたい。森の時間に耳を傾け、身を任せる。草木、水、生き物、それぞれが繋がって形成される大きな森。小さな生命に畏敬の念を感じられた時、人は本当の恵みを手にするのかもしれません。森林と人との共生を目指して、自分たちの育てた木が製材所、設計士、大工、そして利用者へと森から繋がり様々な形になり、先人たちが守り育んできた森や文化を次世代へと引き継いでいければと思います。   栗本林業 栗本慶一

▪️太字の部分は、私が強調した部分です。「森の時間に耳を傾け、身を任せる」。「タイパ」という言葉が登場する現代社会とはある意味「真逆」の生き方ですね。森は、様々な生き物や事柄がつながってできあがっていることは、仏教的に言えば縁起、自分が様々なご縁の中で生かされているということでしょうか。そのようなつながりが実感できた時に、森の中に生きる小さな生命もかけがえのない存在だと強く感じられるわけです。そして、そのようなことをリアルに感じられること自体が「本当の恵み」なのだと。森を貨幣的価値や尺度で捉えるのとは全く異なるお考えだと思います。素敵ですね。昨日は、このパネルの前で、この栗本さんのお考えを拝読して、静かに感動していました。

【関連投稿】
「高島市朽木で樹齢100年の杉を伐採します(その1)。」
「高島市朽木で樹齢100年の杉を伐採します(その2)。」
「高島市朽木で樹齢100年の杉を伐採します(その3)。」
「卒業生の皆様、瀬田キャンバスにお越しください。
「「GreenDeck」と「琵琶湖森林づくり県民税」」

野呂先生の講演

半年ぶりの再会

20240712namiki_family2.jpg▪️昨晩は、大津駅前のいつもの居酒屋「利やん」で、並木州太郎さん千代苑子さんのご家族と懇親会でした。昨年の9月以来、10ヶ月ぶりでしょうか。まずは、龍谷大学ユヌスソーシャルビジネスリサーチセンターに勤務されている並木さんのお仕事の話を聞かせていただきました。龍谷大学では、自らの事業や行動を通じて、主体的に社会の変革をリードする「価値創造力」や、他者の幸福に資することを考え行動するマインドを育むことを目的として、ビジネスや事業を学生が生み出す支援を続けていますが、並木さんの勤務されている部署、その先端で頑張っておられます。志を持って頑張っておられる若い方からお話を伺い、とても楽しい時間を過ごすことができました。並木さんには、私の話も聞いていただきました。最近の高島市での経験とか、地域連携の様々なプログラムやプロジェクトを、バラバラではなく包摂するような学内的な仕組みの必要性とか…諸々、有意義な時間になりました。

▪️以下は、並木さんが取り組まれている事業の一部です。学生さんむけの講演会の情報です。
宮島勇也氏(パナソニック株式会社)「失敗から学ぶイノベーション -人生を豊かにする挑戦-」(アントレプレナーシップセミナー )
菊池 モアナ 氏(Borderless Tanzania Limited)「すべての命が祝福される社会へ-アフリカで挑戦する女性起業家-」

▪️並木さんと仕事関係の話をした後、保育園から帰宅し、ひとっ風呂浴びてきたもうじき3歳になる息子さんと苑子さんも合流。苑子さんからは、ダンスを通じて、地域づくりを行う事業のお話を伺いました。兵庫県の豊岡市で一般社団法人ダンストークの活動です。大津でも、事業展開したらいいのにね、ということで少しだけお手伝いができるかもしれません。

▪️こんな動画も教えてくださいました。彼女の活動については、こちの記事「[for_KIDS 舞台芸術編]子どもたちの生きる力を育む「ダンス」の可能性」に詳しく紹介されています。

龍谷大学出身の福留慧美 さんのこと


▪️龍谷大学女子バレーボール部出身の福留慧美 さん(2019年度経済学部・スポーツサイエンスコース卒)が、パリ五輪出場選手に選出されというニュースです。リベロですって。注目しています。

ウォーキングキャンペーン2024

20240626walking_campaign.jpg▪️職場の健康管理センターから、画像のようなエクセルのファィルが送られてきました。今年もセンターが主催するウォーキングキャンペーンに参加することにしたからです。現在70名(アスリートコース8名・通常コース62名)の方がエントリーされているそうです。私は、もちろん通常コース。アスリートコースの皆さんはちょっと尋常ではないのです。ウォーキングというよりも、ランニング、トレイルランニングの方達かもしれませんね。走っても競技ではないので問題ありません。大切なのは、歩数と体重です。通勤時の歩数も入ります。

▪️やり方ですが、まずキャンペーン開始前に体重測定をし、「歩数記録表2024」体重欄に日付と体重を記入し(体重は非公表、増減だけでも構いません)、目標(エレベーターやエスカレーターを使わない・1日○○歩など)を決めて、歩数記録表の目標欄に記入する…というものです。私は、血糖値を下げるために食事療法と薬で相当減量したので、もうこれ以上体重を減らしたくありません。ウォーキングしながら逆に筋肉量を増やすことが目標になるのかしれません。結果として体重が増えないにしても、体重は変わらず体脂肪は落ちるのかなと思います。痩せても、まだ脂肪は残っていますので。

▪️このウォーキングキャンペーンを土台に、10月の「びわ湖チャリティー100km歩行大会」(びわ100)での完歩を目指して、来月から3ヶ月間で体づくり・脚づくりを行います。その前に、7月スタートの前に、少し練習でウォーキングを始めておきます。

芥川龍之介賞受賞作家 綿矢りさ氏特別講演会

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20240621wataya_risa2.jpg▪️昨日は、大宮キャンパス東黌の大教室で、芥川龍之介賞受賞作家である綿矢りささんの特別講演会が開催されました。これは良い機会だとネットで申し込んで参加させていただきました。綿矢さんは、2001年、京都市立紫野高等学校在学中に『インストール』で第38回文藝賞を受賞されました。「高校生が!!」ということで大変話題になりました。その後、早稲田大学に進学され、2004年に『蹴りたい背中」』で芥川賞を受賞されました。綿矢さんの存在が、文学ファンの間だけでなく、そうでない人たちの間でも話題になっていましたので、私もお名前は存じ上げていました。

▪️芥川賞を受賞された2004年は、私がちょうど龍谷大学社会学部に勤務するようになった年でした。その時、担当した「社会調査実習」を履修していた学生さんの中に、綿矢さんと高校時代に同級生だったという方がおられました。どういうわけか、そのことを今でも記憶しています。綿矢さんは、昨日の講演会で40歳だと言っておられたので、その時学生だった方も、今は社会の中堅として働いておられるのでしょうね。

▪️そのような話はともかく、何が言いたいかというと、初期の作品以外は読んだことがなく、私は綿矢さんの良い読者では全然なかったということです。でも、『蹴りたい背中』、『勝手にふるえてろ』、『かわいそうだね?』、『憤死』、『私をくいとめて』、『嫌いなら呼ぶなよ』といった作品のタイトルからは、個人と周囲との乖離、ズレ、不調和のようなものを感じていました。綿矢さんってどのような方なんだろうという思いがあり、講演会に申し込んだのです。13時半から講演会は始まったのですが、会場に到着したのが講演開始10分前で、大教室の隅の方で聞かせて頂こうと思っていたのですが、後ろの方はすでに満員でした。木曜日の3限の授業の学生さんたちが授業の一環として講演会に参加されているようでした。残っている席は前の方にしかありません。ちょっと恥ずかしかったのですが、前から2列目に座らせていただきました。

▪️講演会で、綿矢さんは、京都弁(関西弁)でご自身の思いや経験を話してくださいました。こういう講演会では時々ありますし、学会発表等ではしばしば見かけるのですが、肩に力が入って、自意識のようなものが滲み出て、聴衆の反応を気にしながら話をする…そういうことが全くない方でした。素晴らしい。おそらくは、「素」のままなんだろうなと思います。楽しかったですね。行って良かったなと思います。

▪️講演会は、2部形式でした。第1部は副学長の安藤徹先生(文学部)が綿矢さんにインタビュアーする形で進みました。綿矢さんは、自ら饒舌に語るタイプの方ではないようで、安藤先生が一生懸命聞き出そうと頑張っておられました。第2部では近現代文学を学ぶ大学院生がお2人登壇されて、丁寧に質問をされていました。あらかじめ参加した学生さんたちから集めておいた質問も含めて、それらの質問に対して綿矢さんがお答えになっていました。そのような質疑応答から、作家としての綿矢さんが浮かび上がってくるように思えました。スマホに残したメモを元に思い出すと、以下のようなことをお話しになりました。

・作品の主人公が自分(綿矢さん)に語りかけてくる、その言葉を正確に文字にしていく。時々、主人公がつまらないことを言っているなと思っても、とりあえず残しておく。
・昔は、行き当たりばったりで書いていたが、今はプロットを大体決めてから書いている。しかし、理性で描こうとしても、主人公が大暴走をしてしまうことがある。
・小説を書いていると、パソコンの前ではない時の方がアイデアが湧いてくる。特に、お風呂に入っている時。お風呂の中にメモを持って入れないので、慌てて外に出てメモにアイデアを残したりする。
・書き出しは大切だと思う。主人公の性格、その人らしさが出てくるようにしている。冒頭で読者の心を掴むようにしている。

▪️環境社会学の論文を書いても、文芸作品の創作を自分でした経験はなく、文学に関しても知識や経験が乏しいわけですが、それでも興味深くお話を伺うことができました。主人公やテーマの設定については、もちろん作者である綿矢自身がされているわけです。しかし、その主人公が綿矢さんに語りかけてくる、自分はそれを書き留めているという説明に大変惹かれるものがありました。「主人公の気持ちが乗り移ってきて、擬似体験している時が一番楽しい」とも語っておられました。表現が難しいのですが、「まるで、神から送られてくるメッセージに集中して、そのメッセージを人びとに正しく伝えようとするシャーマンや巫女のようだな」と思いました。シャーマンや巫女には神様が憑依しますから。神からのメッセージに耳を傾けること。それは自分自身の無意識の層にあえて意識を集中させていく作業のように思います。そうそう、村上春樹さんの小説の中によく「井戸」が登場します。執筆するときに自己と向き合い無意識の層に沈潜していく作業を井戸を掘ると表現されているようにも思います。それと似ているなと思いました。特に、「主人公が大暴走してしまう」というあたりについて、村上春樹さんが臨床心理学者の河合隼雄さんとの対談(『村上春樹、河合隼雄に会いにいく』新潮文庫)で同様のことを述べておられます。ちょうど、『ねじまき鳥クロニクル』を出版された後のことのようです。

村上 というのは、ぼく自身、小説が自分自身より先に行っている感じがするからんですよね。いまぼくは自身がそのイメージを追いかけている、という感じがある。(91~92頁)

村上 今回ばかりは、自分でも何がなんだかよくわからないのです。たとえば、どうしてこういう行動が出てくるのか、それがどういう意味を持っているのかということが、書いている本人にもわからない。それはぼくにとっては大きいことだったし、それだけに、エネルギーを使わざるをえなかったというとだと思うのです。

河井 芸術作品というのは、絶対にそういうところがあるだろうとぼくは思います。そうでなかったらおもしろくないのではないでしょうか。作者が全部わかってつくっているのは、それは芸術じゃないですね。

▪️どうでしょうか。共通する部分があることをご理解いただけたでしょうか。それから、あと、質問をされた安藤先生や大学院生の皆さんが上手に引き出されたのだと思いますが、綿矢さんの小説の中にはものすごく面白い「比喩表現」がたくさん出てくるということです。ご自身でもそのようなひ比喩表現がすごくお好きなようで、日常生活でも使うことがあるし、それが自分自身の強みともおっしゃっておられました。また、文章に勢いがあるときは、そういう面白い「比喩表現」が自然に出てくるのだそうです。安藤先生によれば、作家の高橋源一郎さんが綿矢さんの比喩表現を高く評価されているそうですね。綿矢さんの良い読者ではないので、改めてきちんと読んで、その比喩表現を楽しんでみたいと思います。

▪️景色の描写についても興味深いことを話されました。安藤先生によれば、『勝手にふるえてろ』の49ページにそのような主人公が見ている風景の説明があるのだそうです。綿矢さんは、「景色とかに自分の心が映ることがある。忘れられない風景。嬉しい悲しいを書くよりも、景色を書いた方が情緒が豊かになる」、そのように説明されていました。

▪️もうひとつだけメモを元にここに書いておきたいことがあります。綿矢さんが影響受けた作家についてです。最近は宇野千代さんだというのです。宇野千代さんは、1996年に98歳で亡くなられた作家です。綿矢さんによれば、宇野さんは、90歳を過ぎた頃から自分は死なない気がすると言っておられようです。客観的に言えば、確実に死に近づいておられのですが、それでも宇野さんの生命のエネルギーが溢れていることに驚かれていました。綿矢さんは、宇野さんの作品を、出版された当時の版で、つまり昔の書籍、古書でお読みになっています。「昔の表現にはこうだったんだ」との発見があるとのこと。そのことが、語彙力を増やしていくことにも通じているようです。

▪️綿矢さんは高校生の時に作家としてデビューしますが、その時に影響を受けたのは太宰治でした。退廃的、死の匂いがするのが好きだったし、普段隠している自分自身の内面で悩んでいることを作品として表現していることに強く共感されたようです。しかし、「今ではそのような共感が薄くなってきた」とも語っておられました。その太宰治は38歳で入水自殺をしています。今の綿矢さんは40歳。年齢では追い越しています。「自然な流れで卒業したなって感じ」、「それが悔しい」とも。悔しいというのは、とても正直ですね。作家として成熟されていかれた証拠かな。デビュー時高校生だった頃の、ヒリヒリするような繊細な感覚とは違うステージに作家として立たれているのではないでしょう。生命力が溢れる宇野千代と、退廃的で死の匂いがする太宰治。両者から影響を受けた年齢が異なっていることを頭の片隅に置きながら、綿矢さんが年齢を重ねるうちに作品群にどのような変化が生まれてくるのか、気になるところです。そのことと関係していると思いますが、初期のご自身の作品を読むと「高校、学校に馴染めなかったんやなと、他人が書いたもののように思える」とも語っておられました。

▪️講演会の最後に、司会の安藤先生が、「学生の皆さん、帰りは書店に寄ってぜひ綿矢さんの本を購入してください」と呼びかけておられました。私は学生ではありませんが、早速、書店に立ち寄りました。『インストール』と『蹴りたい背中』は大昔に読んだように思いますが、加えて、『オーラの発表会』、それから最新作の『パッキパキ北京』等4冊ほど購入しました。時間を見つけて読んでみたいと思います。

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▪️特別講演会の後は、大宮キャンパスのお隣にある西本願寺にお参りしました。ちょうど、念仏奉仕団の皆さんが、ご門主と会っておられるところでした。本願寺では、「全国各地から参拝した門信徒などの団体が、本願寺ご門主とのご面接、本山の清掃奉仕、法話等を通じて、仏縁を深め」る活動をされています。ちょうど、そのタイミングでお参りしたということになります。ご門主のお声を初めて直にお聞きしました。

龍谷大学吹奏楽部サマーコンサート

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▪️龍谷大学吹奏楽部のX(6月18日)への投稿を以下に転載します。23日にびわ湖ホールで開催されるサマーコンサート、S席、A席、B席は売り切れてしまったようです。残りはC席ですね。まだの皆様、お急ぎください。また、遠方のためお越しいただけない皆様のためだと思いますが、龍谷大学吹奏楽部の公式YouTubeでも無料生配信されるようです。

▪️昨年度まで5年間吹奏楽部部長を務めてきました。今は、龍谷大学の一教員として吹奏楽部の活動を応援しています。

【B席販売終了のお知らせ】
6月23日(日) 開催 /
#龍谷大学吹奏楽部 サマーコンサート
B席のチケットが完売いたしました✨
いつもありがとうございます!
引き続き、C席は好評販売中!
ご購入を検討されている方はお早めに

▪️チケットぴあ「龍谷大学吹奏楽部(リュウコクダイガクスイソウガクブ) のチケット情報」

『お坊さんたちのライフストーリーズ』(大学生のためのLGBTQ+ライフブック Vol.4)

20240618lgbtqlifebook.png▪️昨日、『お坊さんたちのライフストーリーズ』(大学生のためのLGBTQ+ライフブック Vol.4)を深草キャンパスでいただきました。 PDFでもお読みいただけます。読み進めていくと、「仏教SDGs」を推進する龍谷大学としてはもちろんのこと、浄土真宗本願寺派、さらには日本の仏教教団にとっても、真摯に取り組まねばならない課題であることがよくわかります。以下は、「はじめに」の文章です。最後のところ、宗教部としてのアンコンシャスネスを、きちんと自ら確認して、反省的に捉えて、改善されています。このような反省と改善の積み重ねが大切なのかなと思います。もちろん、自戒の念も込めつつ、そう思っているのです。なお、下線は私がつけたものです

「父親には絶対にカミングアウトできません」

ある学生のその一言がずっと気になっていました。その学生の実家はお寺で、お父様は住職だったのです。すべての人をすくいとってくださるという仏さまの身近にいる人に、自分のセクシュアリティやジェンダーアイデンティティを素直に伝えられない。きっと同じような苦しみを抱えている人がおられるのではないでしょうか。

いま、「LGBT」や「LGBTQ+」という言葉は多くの人が知っています。しかし、その一方で性的マイノリティへのヘイトは後を絶ちません。同性愛や同性婚が伝統的な家族を崩壊させるとか、トランスジェンダーを犯罪者扱いするような言説が吹き荒れています。このことは決して他人事ではないはずで、私たち自身も、知らず知らずのうちに差別に加担してしまっているかもしれません

本冊子は、Vol.1 「先輩たちのライフストーリーズ」、Vol.2「それぞれの結 婚のカタチ」、Vol.3「みんなのキモチ」に続く第 4 弾です。宗教者もそうでな い人も是非読んでいただきたいです。なお、前号まではシリーズ名を「大学生 のための LGBTQ サバイバルブック」としていましたが、「マイノリティがサバイバルしないといけないのは変じゃない?」 ということで今号から「LGBTQ+ ライフブック」としています。また、タイトルが「お坊さん」となっていますが、お坊さんだけでなく、お坊さんとご縁のある人や神道の方からも寄稿いただきまし た。執筆者のみなさまに心から感謝を申し上げます。

2024年3月 龍谷大学 宗教部

▪️「LOBTQ+」の諸課題に取り組んでおられる職員さんとお話をしましたが、「関西学院大学の取り組みは、大変すぐれています。うちは、もっと頑張らねば」とおっしゃっていました。関西学院大学は、南メソジスト派のキリスト教を基盤にする大学であり、私の母校です。関学の「インクルーシブ・コミュニティ宣言」も含めて「「LGBTQ+」「SOGI」尊重への取り組み」をご覧いただければと思います。

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