卒業式のあとで

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▪️午前中の式典の後は、瀬田キャンパスに戻り、社会学部の3学科ごとにわかれて、ゼミの担当教員から学生の皆さんに学位記が手渡されました。今年度のゼミ生は12名。少なめですが、しっかり卒論に取り組んでもらいました。まあ、頑張り抜いた人と、そうでない人との差はありますが…。でも、みんな卒業できて本当によかったです。彼らの卒論のタイトルは、こちらからわかります。この学年だけでなく、大学教員になってから指導した卒論の氏名とタイトルがわかるようにしてあります。私のデータベースのようなものでしょうか。ところで、来年度、2024年度は特別研究員になりますので、ゼミを担当しません。次のゼミ生は、2025年度、3回生の皆さん(今年度の入学生)になります。そして、大学教員として担当する最後のゼミ生になります。

▪️上の写真の右側。学位記を手渡す前、他のゼミの女子学生が挨拶にきてくれました。吹奏楽部で木管主任を務めていた竹内さくらさんです。私の向かって右側は、ゼミの田崎秀斗くん。彼は、吹奏楽部で金管主任を務めていました。2人で頑張って吹奏楽部の演奏をリードしてくれました。ありがとう。4月からは仕事で忙しくなるのでしょうが、後輩を応援し続けてください。

20240316graduation_ceremony7.jpg▪️学位記を手渡ししたあとは、大津市にある大津プリンスホテルにバスで移動しました。18時から、社会学部同窓会が主催する「新会員歓迎パーティー」が開かれました。卒業生は自動的に同窓会の新入会員になります。今回の卒業生は、コロナ元年に入学してきた人たちです。大変な4年間でした。よく頑張りました。授業はオンライン、課外活動もできない、そのような中で新たに友人を作ることもなかなかできなかったのではないでしょうか。

▪️社会学部同窓会主催の「新会員歓迎パーティー」には、ゼミ生12人のうち、用事があり1人は欠席しましたが、残りは全員参加することができました。私は同窓会会員ではありませんが、教員は招待ということで参加させていただきました。卒論の提出前は、表情もシビアな感じでしたが、昨日は、みんな晴れ晴れした顔をされていました。本当に、ご卒業おめでとうございます。卒業後も、また皆さんで集まり同窓会を行いましょう。

▪️ところで、この「新会員歓迎パーティー」の開催は3年ぶりになります。2022年から始まったコロナ禍のため、ずっと開催できずにいたのです。それまでは、多くの卒業生の皆さんが参加し、会場はめちゃくちゃ盛り上がって来賓の挨拶も聞こえないぐらいだったのですが、今年は参加者も予想したよりも少なめだし、大騒ぎをするようなこともなく、おとなしくて、やや拍子抜けしてしまいました。来年からは、このパーティーまた盛り上がって欲しいです。やはり、この辺りにもコロナ禍の影響が出ているのかもしれません。みんなが集まって盛り上がるというような経験もしていないですからね。

▪️下の写真は、パーティーの最後に撮った集合写真です。真ん中の椅子に座っているのは私ではなくて、ゼミ生?!。少し調子に乗って飲みすぎたようで、フラフラしているので椅子に座らせました。4月から社会人になるわけですが、仕事に慣れてきたらぜひ同窓会して欲しいです。社会学部同窓会では、「ゼミ同窓会活動等促進事業」に取り組まれています。同窓会の公式サイトをご覧ください。このような制度を活用して、同窓会活動を活発にしてまいりましょう。

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20240316graduation_ceremony9.jpg▪️大津プリンスホテルで開催された「新会員歓迎パーティー」がお開きになり、ホテルのバスでJR大津駅までおくってもらいました。大津駅です。まっすぐに帰宅するのかというと、やはり大津駅前のいつもの居酒屋「利やん」にちょこっと立ち寄ることにしました。すると、龍谷大学社会学部で社会福祉を勉強された卒業生の植松美穂さんが、ご友人と飲んでおられました。全員、社会福祉関係のお仕事をされています。で、ここが滋賀県らしいというか、いろいろ共通の知り合いがいたりするんですよね。短い時間でしたが、楽しい時間を過ごすことができました。ありがとうございました。

▪️私自身の卒業式の時はどうだったか。ちょっとここにも書いておこうかなと思います。このブログの過去の投稿のリンクを貼り付けておきます。好奇心のある方は読んでみてください。今から40年以上前の話になります。

琵琶湖博物館の皆さんと

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▪️昨日の出来事です。昨日、「公益財団法人淡海環境保全財団 設立30周年記念行事」と「記念講演会」には、滋賀県立琵琶湖博物館から学芸員の橋本道範さんと林竜馬さんがお越しになっていました。ということで、3人で呑むことにしました。「えっ、連日呑んでるやんか」と言わないでくださいね。私の場合ですが、こうやって「人とのつながり」を磨き直しているのです。「人とのつながり」は丁寧にお世話をしないとだんだん錆びていきますからね。

▪️橋本さんとは博物館の開設準備室時代からのおつきあいになります。私が開設準備室や博物館にいたときの後輩にあたる方です。彼は日本史、それも中世史を専門にしていますが、よく話しが合いました。当時、自然科学分野の研究者とも連携をしながら、琵琶湖の環境史に関するディシプリンを超えた総合的な研究進めていました。琵琶湖博物館らしい研究だったと思います。その時の成果は、「21世紀琵琶湖の環境課題とはなにか」や「21世紀の琵琶湖―琵琶湖の環境史解明と地球科学―」という形で『月刊地球』に掲載していただきました。もっと研究を進めてと思っていたのですが、私は、その後、岩手県立大学に異動することになりました。

▪️私は、琵琶湖博物館で働いていた頃から、社会学という学問の枠の中だけでなく、その枠を超えたところで研究をするようになりました。そして3つの文理融合型の研究プロジェクトに参加して、それらのプロジェクトの中で生み出される細かな成果を有機的に連関させて全体をまとめるための論理や考え方を提案してきました。そのような提案では、自分自身の専門分野である環境社会学の知見が活かされています。自然科学では扱えない意味やコミュニケーションの問題も取り込んだ考え方です。自分でも頑張ったと思います。それらを、『流域管理のための総合調査マニュアル』(京都大学生態学研究センター)、『流域環境学』(京都大学学術出版会)、『流域ガバナンス』(京都大学学術出版会)という形で発表してきました。その時は、必死だし、辛いことや、腹が立つことも多かったわけですが、今から振り返ってみて、結果としてですが、その軌跡には「自分らしさ」が表れている、浮かび上がってくるように思っています。

▪️その出発点は、琵琶湖博物館にあります。もし、琵琶湖博物館に勤務していなければ、全然違った人生になっていたと思います。研究者であったとしても、社会学の枠から出ることのないまま研究をしていたんじゃないのかなと思います。その大切な時期に、親切にお付き合いいただいた橋本さんには本当に感謝の気持ちしかありません。橋本さんは、その後も、環境史という新しい分野を開拓し続け、様々な分野の研究者の皆さんと共に、その成果を『自然・生業・自然観―琵琶湖の地域環境史―』にまとめておられます。また、その環境史の考え方を一般の皆さんにもよく理解できる形で、朝日新聞でも執筆されています。「地域環境史を開拓する」①~④です。
地域環境史を開拓する① ビワハツ 琵琶湖博物館研究だより
地域環境史を開拓する② ビワハツ 琵琶湖博物館研究だより
地域環境史を開拓する③ ビワハツ 琵琶湖博物館研究だより
地域環境史を開拓する④ ビワハツ 琵琶湖博物館研究だより

▪️林さんと知り合ったのは、比較的最近のことになります。滋賀県のヨシ群落保全審議会の関係、そして龍谷大学瀬田キャンパスで開講している教養の授業「びわ湖・滋賀学」(以前は、社会学部の授業)を琵琶湖博物館の学芸員の皆さんにご担当いただくいている関係で、お付き合いいただいています。飲むのは、今回が初めてかなと思います。3人で話をしているのですが、5:4:1=脇田:橋本:林の割合で話をしていたかなと思います。一番年寄りの私が懐かしい気持ちも含めて一番喜んで話をしていたのかなと思います。それから、橋本さんのお話が興味深く、いろいろ合いの手を入れながらお話を伺っていました。後で思ったのですが、こういうのをきちんと動画で録画しておきたいなと思いました。もったいないですから。で、林さんには、なんだか2人の話にお付き合いいただいたようで、後で少し反省しました。林さんの専門は、古微生物学です。湖や湿地の泥の中に眠る小さな花粉の化石から森の歴史を考えるというお仕事をされています。小さい花粉の化石、森林の歴史。素人考えですが、なんだかダイナミックです。今度、またこういう機会があったら、林さんのお話をじっくり聞いてみたいです。その人が何を面白がって研究しているのかを知ることって、楽しいです。まあ、社会学者は人から話を聞く(その人が生きている世界=意味世界を明らかにする)のがひとつの仕事のようなものですからね。

▪️林さんも朝日新聞に、ご自身にの研究のことを執筆されています。お読みください。
琵琶湖の森 100年史 1
琵琶湖の森 100年史 2
琵琶湖の森 100年史 3
琵琶湖の森 100年史 4

▪️もうひとつ、蛇足のような話を。私がなぜ琵琶湖博物館の学芸員になったのか。オーバードクターの時に、ある研究会に参加した時のことです。そこに、滋賀県琵琶湖研究所の嘉田由紀子さんも参加されていました。当時は、この研究所の研究員をされていました。研究会が終わった時のことです。嘉田さんが、「今度、滋賀県が琵琶湖の環境をテーマにした博物館を作るんだけど、脇田さん試験を受けてみない」と声をかけてくださったのです。当日、私にはフルタイムの仕事がまだありませんでしたから。研究会の後の懇親会も終わり、タクシーで京都駅に向かいました。一緒に乗っていたのは、文化人類学者の松田素二さんでした。松田さんに、「今日、嘉田さんから試験を受けないかと言われたんですけど、どうしたものでしょうね」と相談をしたところ、「脇田、そら試験を受けんといかんやろ」と一言。その一言で、採用試験を受けることにしたのでした。もちろん、松田さんは、深く考えずに適当に言っているだけなんですが(たぶん…)。誰も関心のない裏話ですが、結果としてではありますが、嘉田さんと松田さんは、私の人生のいわば転轍手(線路のポイントを切り替える人)のような役割をされたことになります。もちろん、その後も、私の人生にはいろんな転轍手が現れることになります。そういうことを書けるような(書いても許してもらえるような)年齢になってきました。いろんなご縁をいただきながら、ここまで生きてきました。そのご縁のことについては、またこのブログの投稿の中で触れたいと思います。

滋賀県人会と湖魚の佃煮

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▪️金曜日(8日)の晩、は職場の「滋賀県人会」でした。「淡水会」と言います。年2回、夏と冬に開催していますが、今回は少し遅めの冬の県人会でした。こちらの県人会では、「冬の陣」と呼んでいます。ところで、「滋賀県人会」=「淡水海」といえば、職場内での評価は「酒飲みの集まり」ということのようです。実際、その通りなのです。もちろん酒好きの私は楽しい時間を持つことができました。ただし私は日本酒ではなく、芋焼酎の湯割りでした。日本酒は糖質が高いので、本来は大好きなのですが、呑まないようにしているのです。呑んでいるのは、焼酎やウイスキーといった蒸留酒です。

▪️ところで、県人会の中では福引が行われました。私は近江八幡にある川田商店さんの佃煮4点セットをいただくことができました。「えび豆」は滋賀の郷土食です。こちらの農林水産省のサイトの中に「うちの郷土料理 次世代に伝えたい大切な味」として丁寧な解説がしてありました。

「えび豆」は、琵琶湖でとれるスジエビを大豆と一緒に甘辛く煮た滋賀県の郷土料理で、カルシウムとタンパクが豊富な料理である。
滋賀県では田んぼの畦で大豆や小豆が栽培されていて、古くから祝儀や法事、祭りなどの集まりで大豆を使用した料理がよく食されていた。「えび豆」もその一つである。「えび豆」は、安価な食材でつくることができ、保存もきくため、日常食としても食べられているほか、「エビのように腰が曲がるまでまめにくらせますように」との長寿への願いをこめて、お正月などのハレの日にも食されている。
スジエビは、琵琶湖の水草の生えている浅瀬に広く生息しており、産卵期である春から夏にかけて水深10m以内に生息する。冬に入ると、より一層深いところへ移動するため、春から夏は沖島に伝わる伝統漁法「エビたつべ漁」を行い、冬は「沖びき網漁」を行っている。エビたつべ漁は、「たつべ」と呼ばれる専用のかごを使った伝統漁法のことで、たつべの中に餌を入れ水中に仕掛ける。たつべの中に入り込んだエビが出られなくなる仕組みである。また、沖びき網漁とは、漁船を使用し網を仕掛け、巻き上げる底びき網の一種である。

▪️さて、4点セットの後の3点のうち、「あゆ」と「もろこ」はおわかりになると思いますが、最後の「うろり」は聞いたことがない方もいらっしゃるのではないかと思います。「うろり」とは、ゴリ(ヨシノボリ)の稚魚のことです。魚の専門家ではないので、自分ではうまく説明できません。ここちらのサイトが勉強になるように思います。で、この佃煮の「うろり」は、ビワヨシノボリ、オウミヨシノボリのどちらかだと思いますが、小さすぎて全くわかりません。

▪️佃煮は好きなんですが…砂糖をたくさん使っているので…糖質が高い食べ物になります。1回の食事でちょっとだけいただくことにします。そうそう、弁当の片隅にも入れようかなと思っています。まあ、そもそもガツガツ食べるものではありませんけど。写真を撮ってから気がつきましたが、「あゆ」の佃煮の方向が反対ですね。

【追記】▪️この5年間、「淡水会」の幹事としていろいろお世話くださったSさんとYさん、幹事を退任されます。長い間、お疲れ様でした。

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▪️昨日、我が家に届いたものです。まず左側。親戚から頂いたイチゴです。奈良のイチゴです。みずた農園の「まほろばいちご」と入れてある箱には書いてありますね。大粒で甘いです。で、甘いとなると、ちょっと構えてしまいます。イチゴの果糖が…。だから、むしゃむしゃ食べずに、一度に2つ程度、血糖値を気にしながら、遠慮しながらいただいています。

▪️昨日、我が家に届いたもの。今度は右側。赤い「cafemug」です。真空断熱層のある金属製のマグカップです。蓋付きです。faebookのお友達であるMさんが投稿されているのを見て、私もポチッと衝動買いしました。Mさんは、私が学生時代、私が所属していた学生オーケストラによくエキストラでお越しいただいていました。ところで、家にもタンブラーがあるということがわかりました。ということで、どちらが保温力に優れているのか実験してみました。このタンブラーは断熱材としてプラスチックが入っているようなのです。同じ沸騰したお湯を入れてみて触ってみると、タンブラーの方が暖かく感じます。ということは、あまり保温できていないということなのかな。きちんと確認しようと、温度計で計測してみました。プラスチックのタンブラーは70℃になっていましたが、右の赤い「cafemug」は85℃でした。赤の勝ちです。自宅で重宝しそうです。

▪️年度末で仕事に追われて、書斎にこもっているのですが、Facebookとイチゴと「cafemug」に、気持的にですが「逃避」しています。

「堅田の落雁」と干菓子の「落雁」

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▪️先日うかがった堅田の「魚清楼」さんで撮った写真です。もちろん、ホンモロコの素焼きと鴨すきを楽しみにして行ったのですが、あの有名な堅田の浮御堂の見えるお座敷にあげていただき、まず最初に出していただいたのが、この写真のお茶とお茶菓子でした。お茶菓子は落雁(らくがん)。落雁とは、米等から作った澱粉質の粉に水飴や砂糖を混ぜて着色し、型に押して固めて乾燥させた干菓子のことです。私の場合、糖質制限をしているので、甘いものはちょっと…なんですが、よく見ると、この落雁に浮かび上がっているのは目の前に見えている浮御堂でした。ふと思いました。今まで、考えたことがなかったのですが…。

▪️堅田は近江八景のひとつ「堅田の落雁」としてもよく知られています。リンクを貼り付けますけど、これは歌川広重の作品です。背景には、夕暮れの比良山系がみえますね。湖岸には、今とは少し形が違いますが浮御堂も確認できます。そして、空からは、渡り鳥の雁(カモ目カモ科ガン亜科の水鳥のうち、カモより大きくハクチョウより小さい一群の総称)が琵琶湖に舞い降りようとしています。近江八景は、中国の瀟湘八景(しょうそうはっけい)をモデルにしています。おそらく、「堅田の落雁」のモデルは、この瀟湘八景の「平沙落雁」ではないかと思います。ちなみに、「落雁」は俳句の秋の季語でもあるようです。

▪️では、「堅田の落雁」と干菓子の「落雁」、どういう繋がりがあるんだろう。それがね、よくわからんのです。なんで、干菓子の名前に「舞い降りる雁の群れ」という名前をつけたのか。

中国の「軟落甘(なんらくかん)」が「落甘」に転じた説と、中国の名所を集めた「瀟湘八景(しょうしょうはっけい)」のうちの一つ「平沙落雁(へいさらくがん)」を由来とする説があります。

▪️これ、和菓子屋さんの解説ですね。説が二つあるとして、「落甘」と「落雁」の音が近いから…なんとなくわかります。でも、もうひとつの方はよくわかりません。「平沙落雁」と干菓子の「落雁」、どういうふうに、どういう意味で繋がっていくんでしょうね。「落雁」の謎。

堅田の魚清楼

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▪️堅田の「魚清楼」さんです。今年の1月から予約を入れていました。「そんなに前から…」。そうなのです、予約でいっぱいなんです。京都の花街から芸妓さんや舞妓さんと一緒にやってこられる方も何組もいらっしゃるとか。人気があります。創業300年の老舗です。江戸時代は脇本陣だったというお話もお聞きしました。私は、こちらのお店は今回で3回目でした。2回目の時は、龍谷大学社会学部を退職される先生を慰労する会を、親しい社会学科の3人の同僚とこちらの「魚清楼」さんで開かせていただきました(退職される先生は学科が違っていましたが)。懐かしいです。今から、10数年前のことですね。

▪️で、今回は3回目です。冬のこちらのお店のお料理は、なんといってもホンモロコの素焼きと鴨すきです。堪能させていただきました。勤続40年を超える仲居さんが、全てお世話をしてくださいました。しかも、琵琶湖と堅田の浮御堂が座敷からしっかり眺めることのできる座敷です。勤続40年の仲居さんによるお世話と座敷からの風景も含めて、楽しませていただきました。
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▪️私は琵琶湖の魚の中で、ホンモロコが一番好きだと思います。美しいホンモロコを炭火で素焼きしたものを、三杯酢に浸したし、その上で生姜醤油につけていただきました。すでにホンモロコは卵を抱えていました。もちろん、骨まで全部食べられます。美味しい!! 焼いた時の香りも素敵なんですよね〜。それから鴨。琵琶湖では禁猟ですので、北陸から仕入れておられるようです。こちらも美味しかったです。まずは鴨のたたきで美味しい出汁をとり、鴨肉と野菜を加えていきます。これも美味しかった。最後は、雑炊ですね(糖質制限の関係で控えめに…)。いろいろ美味しい料理はありますが、料理というか、食材そのものにパンチ力がある料理が好きなんですね。今日は、満足しました。

▪️お料理の写真ですが、一番最初にいただいたのが、一番下の左側、鯉の洗い。酢味噌でいただきます。その次は、ホンモロコの炭火焼き。最後は、金網に頭を突っ込んで少し焦がして、頭から全部食べられるように焼いてくださいました。そして、一番下の右側にあるゴリ(ヨシノボリの稚魚)の佃煮。最後が鴨すきですね。卵の黄身が見えますが、この黄身とたたき(鴨骨の部分を細かく砕いた)を混ぜて、まず最初に鍋に入れます。その後に、野菜と鴨肉を。美味しかったです。

▪️もっとも、そんなにゆっくりしている余裕はないのですが、前々から予約をしていたものですから…どうかご容赦ください。

【追記1】▪️私の経済力からすれば、魚清楼さんは高級なお店になります。でも、年に1回程度であれば、家族で湖の幸を楽しむことができるのかなと思っています。次回は、来年ですね。ホンもロコが卵を抱えつつ、まだ骨が柔らかい季節を早めに予約することにしたいと思います。
【追記2】▪️こういった湖の幸を楽しむことと、「MLGs」や「世界農業遺産」とがどこかで繋がって体験できるような仕組みが欲しいと思っています。
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二日連続で交流

20240301nemoto.jpg▪️28日、大学で事務仕事に取り組み、晩は京都に出かけました。滋賀県水産試験場の根本 守仁さんと、京都四条の小料理屋さんで湖魚を楽しみました。楽しい時間を過ごしました。この小料理屋さんは、看板には湯豆腐と書いてあるのですが、私の中では川魚(淡水魚)のお店です。で、お店の中での会話。根本さんによれば「琵琶湖ではホンモロコはそれなりに獲れている」のに、女将さんは「なかなか仕入れることができない…」と困っておられました。これ流通の問題なんでしょうね。こちらのお店では、ビワマスをいただけるのですが、女将さんが西浅井漁協に発注されています。昨日も、美味しいビワマスをいただきました。写真は、根本さんと。二軒目です。今度は、立ち飲み。根本さん、とても愉快な人で、一緒にいて幸せな気持ちになります。根本さん、また飲みに行きましょう。しかし、私の目つき悪いですね…。歳をとって、瞼が下がってきて…。眼瞼下垂(がんけんかすい)っていうのかな。おじいさんですね。

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20240301harada2.jpg▪️そして29日、昨日のことになりますが、原田達先生が72歳にして「姫路城マラソン」を4時間55分で完走されたことを知り、大津駅前のいつもの居酒屋「利やん」でお祝いをしました。「利やん」ご常連のKさんとNさかもご参加くださいました。一番お若いのが、Kさん。それでも全員還暦は超えていて、「おじいさん大集合」って感じですね。ひさしぶりに4人が揃いました。まあ、この年齢ですから、私も含めて体の調子はどうだとか、親世代の介護のことだとか、まあそんな話が中心になるわけです。これはどなたも同じだと思います。それなりの年齢になると、こんな感じになりますよね。

▪️写真について説明します。「利やん」のご常連は、たいがい焼酎のボトルをキープされているのですが、今日は、それぞれのボトルを持って「記念写真」を撮りました。どういうわけか、川北さんは微妙に残しつつ2本の焼酎をキープされていました。原田先生は、龍谷大学を早期にご退職になって8年になるので、私のように「利やん」にふらりと立ち寄ることはなくなり、なかなか焼酎が減りません。というとで、さかんに私たちにご自身の焼酎を飲むように勧めてくれました。原田先生のお友達の皆さん、ご協力??ください。2枚目の写真は、「利やん」をお暇して、JR大津駅で原田先生と一緒に撮ったものです。原田先生には、龍谷大学に勤務されている時から、いろいろお世話になりました。ご退職後もこうやって会っていただけることを幸せなことだなと思っています。

立山連峰からの海底湧水と富山湾の深さが生み出す海の幸

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タラの白子のポン酢/本ズワイ蟹の身とカニ味噌共和え
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写真を撮る前に思わず一切れ食べてしまった「プリシャブポン酢」/シロエビの天ぷら
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アナゴの白焼/カニ焼売
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ツナとクリームチーズのリエット

▪️2月19日から21日までの富山旅行で、富山の海の幸、いただきました。ありがとうございました。20日の晩のお店は「吟魚」さん。人気店で、予約しないと難しいお店のようです。私も予約して行きました。というのも、大津駅前のいつもの居酒屋「利やん」にお越しになったお客さんから、「富山に行くのならば吟魚でしょ」と教えていただいていたからです。写真の魚を中心とした料理以外に、野菜の料理についてもきちんといただきました。血糖値の管理しています。

▪️ところで、どうして、こんなに美味しい海の幸が豊富なのか。それを知るためには、富山湾を地学的・生態学的な側面から理解する必要があります。こちらの「富山の魚が美味しいのは、海底の地形に理由がある」では詳しく説明されていますね。「一年中が、旬。うまさすぐそこさかなは富山」というサイトの中でも、「富山のさかながうまい理由」が説明されいます。

「天然のいけす」富山湾
日本近海には約3,400種の魚がいて、そのうち日本海には約800種、
そして富山湾には約500種の魚がいると言われています。
立山連峰の標高は約3,000m、富山湾の水深は約1,000m。
この4,000mもの高低差が、富山湾のお魚のおいしさの最大の秘密。
大自然の滑り台のような高低差のおかげで、立山連峰の森の成分と酸素をたっぷり含んだ水が富山湾に注ぎ込んでいます。

▪️以下は、自然科学的な立場から富山湾の特徴について説明しているサイトです。富山湾の海底からは湧水、水が湧き出ているそうです。これは、立山連峰の山々に降った雨が、山の腐葉土の中で栄養をたっぷり吸収して、それらの水は地下水として海に運ばれて海底湧水として噴き出しているのだそうです。もちろん河川の水も海に栄養分を補給する役割を担っているのですが、湧水は時間をかけて地下を流れるので、窒素やリンなどをたくさん吸収しており、河川の水と比較してはるかに栄養分が豊富なんだそうです。そのような栄養分が富山湾の生態系を豊なものにして、美味しい海の幸を生み出すことになるのです。
「『木一本、鰤千本』-豊かな海を育んだ海底湧水の秘密(張勁・富山大学教授)」
「巡回する水、つながる水~日本海と富山湾の調査から~」(富山大学大学院理工学研究部 教授 張勁)
「富山の水循環から世界へ〜気候変化が地下水・沿岸海域・海洋生態系へ与えるインパクト〜」(地球生命環境科学専攻 博士課程1年 片境紗希)

▪️富山湾面白いですね。背後には立山連峰、加えて富山湾は水深1,200m。その落差は4,000m。短い距離の間で、これだけの落差がある地形は世界的に見ても珍しいそうです。その富山湾の地形は能登半島とも関係しているのでしょうね。どうして富山湾はこんなに深いのか、調べてみます。もう一度、この辺りのことをしっかり勉強することにします。再び、富山に行きたいと思います。

【追記】▪️こうやって豊な海の幸が生み出される背景を調べると実に楽しいですね。「大人の修学旅行」といった感じです。ひとつ前の投稿「扇状地と湧水」も含めて、地学、地理、歴史、生態、そして美味しい食事も含めて、富山を堪能しました。楽しめました。こういう「大人の修学旅行」が、滋賀県でも、「世界農業遺産 琵琶湖システム」をテーマにして実施できたら良いなというのが、私の願望なのです。「琵琶湖システム」が生み出す食材を「点」として消費するだけでなく、それらがつながって「線」になり「面」担って、それらを「舌」と「頭」と「心」で味わえるような「大人の修学旅行」。これから考えていきます。

チーズエッグ・カレーパン

▪️私は、かつて大阪の「インデアンカレー」を大変大切にしていました。毎週末、一人暮らしの母親の世話をしに2時間半かけて通っていたのですが、行きの昼食は、気合いを入れるために阪急三番街の「インデアンカレー」に行って、ルー大盛り卵トッピングを注文していました。そうやって毎週生活介護に行くために気合を入れていたのです。私の50代は、母の世話の記憶と共にあります。でも、その母が亡くなり、毎週大阪を通過することも無くなり、「インデアンカレー」は遠のいてしまいました。しかも、昨年からは血糖値が高くなって糖尿病になっていることが判明し、その治療のために薬と食事で治療に励んでいることから、カレーを一切口にしなくなりました。いや、ほんまに。カレーやカツ丼とか大好きやったんですけどね。まあ、仕方がありません。

▪️で、カレーパンはどうやねん、っていう話なんですよ。糖質ゼロなのでウイスキーはソーダで割って薄いハイボールにして楽しんでいますが、このポストはお世話になっている「ニッカウヰスキー【公式】」さんのものです。ウイスキーにあう、つまみということなのでしょう。カレーパンに穴を開けて、そこにチーズと生卵を入れて、レンジでチンするということのようです。カレーは我慢しても、これは食べてみたい。食べた後に、運動をして血糖値を下げるってことをしてでも食べてみたいです。ぜひクリックしてみてください。自分でも作って食べてみたら、このブログでも紹介したいと思います。

人のつながりが生まれていく場所


▪️Yahoo!ニュースになりました。岩原勇気さんに教えてもらった大津に開店する「スパイスランド ポンセ」。「昼はカレー、夜は酒場になり、「『ローカルカルチャーと人間の交差点』をテーマに様々な人の交流の場となるのをコンセプトにしているお店」とのこと。血糖値の関係でカレーは食べられないけれど(ライス抜きならば…)、夜のメニューだと大丈夫だと思います。岩原さんからは、Facebookを通して、「本当に、大津に今まで無かった形の交差点になったと思います。ぜひいらしてください(^^)」とメッセージをいただいていますので、一緒に伺わせていただこうかと思っています。

▪️そうそう、岩原勇気さんは、私のゼミ生が卒論で大変お世話になった方で、「BRAH=art.」(ブラフアート/特定非営利活動法人)の理事長をされています。この公式サイトをご覧いただくと、岩原さんが目指している社会のイメージが伝わってくるかと思います。ちなみに、龍谷大学社会学部の卒業生で社会福祉を勉強されていました。

▪️さて、「人のつながりが生まれていく場所」って、こういうレストランだけに限らず、全国あちこちで、いろいろ企画運営されていますね。切り口は様々ですけど。私自身にとっては、大津駅前のいつもの居酒屋「利やん」がそういう「場所」のひとつになります。こういう自分にとって大切な「場所」が何箇所もあって、それがネットワークになっていて…理想のイメージはそんな感じなんです。そこでは、常連やお馴染みの皆さんとも楽しい時間が過ごせるし、偶然に出会った人とも「ご縁」を感じて楽しい時間を過ごせる…、まあそういうイメージかな。「利やん」での経験ですが、NPOの新しい事業のアイデアが生まれてきたりします。新しい仕事に取り組むきっかけが生まれたりします。私の「世界農業遺産」との出会いは、「利やん」でした。いろんなことが、このような「場所」での出会いの中から始まるのです。

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