蔓薔薇
▪︎昨日の第37回「北船路野菜市」の続きです。早めに終わったので、帰宅しようかなと思いましたが、急遽予定をかえて老母の世話をしにいくことにしました。なんといいますか、時間を有効に活用したいとの思いから、身体は疲れきっていましたが、頑張って老母宅のある兵庫県まで行ってまいりました。世話とはいっても、毎日、ヘルパーさんが交代で来て家事をしてくださっていますので、私自身は、車で買い物に出かけたり、生協の食料品のカタログを読み上げながら、母親が欲しいものを宅配の注文票に書き込んでいく…、まあその程度の世話になります。その程度のことなのですが、これからは、庭の世話が加わります。
▪︎庭の世話ですが、私が時々、草刈機で庭の雑草を刈り取っています。それに加えて、年2回程、植木屋さんに伸び放題の庭木の枝をカットしてくれています。ということで、丁寧な世話はできないので、庭は基本的に荒れ放題になっています…。草ぼうぼうの荒れ地にならないように気を使っているだけです。しかし、そのような庭でも、この季節は、雰囲気がよくなります。蔓薔薇にたくさんの花が咲くからです。蔓薔薇は、亡くなった父親が好きだったことから植えられています。もっとも、父が生きているときも、きちんと世話をしているのをみたことがありません。野性味溢れるというか、伸び放題の状態になっています。せめて、この蔓薔薇ぐらいはなんとか世話ができるようにとは思っているのですが…。なかなかですね。もう少しすると、道路に散った花びらも掃除しなくてはいけません。
第37回「北船路野菜市」
▪︎水曜日から3晩続いた「呑み」で疲れ切った身体を引きずりながら、大津へ。昨日は、第37回「北船路野菜市」が開催されました。この日は、4年生は3名ですが、8名の3年生が参加してくれました。これから、「北船路米づく研究会」の活動を担っていくことになるので、気合が入っていました。4年生たちが張り切って3年生たちを的確に指導しているのをみて、心のなかでですが「素晴らしい…」と思いました。こうやって、私が何も言わなくても、上の学年から下の学年へと活動が引き継がれていく仕組みが、これから巧く動いてくれるといいんですけどね〜。
▪︎昨日の野菜市は、3月以来の開催になりました。月1回の活動、先月はお休みをいただきました。毎年、4月と9月は、野菜生産の端境期で、協力農家の皆さんに出荷していただける野菜がありません。今月5月は出荷してたいだきましたが、まだまだ種類や量も少ない状況です。それでも、ダイコン、タマネギ、キヌサヤ、ソラマメ、ホウレンソウ、タケノコ、ウマイナ等を出荷していただき、量も少ないこともあり、開店後1時間半で完売しました。昨日は天候もよく人通りが良かったことに加えて、最近、「大津百町物語」という「まちづくり会社」がシャッターの閉まった店舗に商店誘致して、街に賑わいを作ろうと努力されています。そのような効果の恩恵を私たちも受けることができたのかもしれません。
▪︎写真についても、少し説明をしておきましょう。トップの写真。写っているのは、2名の4年生以外は、すべて3年生です。後ほど、この日の就職活動を終えた4年生がスーツ姿で現れました。就職活動、卒論、そして北船路米づくり研究会の活動に取り組む先輩の姿を目にしておくことは、良いことかなと思います。はじめて野菜市の活動に参加した3年生ですが、意外にも、大きな声を出することができたので、「なかなかやるな!」と思いました。お客さんとのコミュニケーションもなかかな滑らか。良い感じでした。
▪︎下の方は、朝礼の風景です。指導農家の吹野藤代次さんから、この日出荷された野菜に関して、いろいろ指導を受けているところです。自分たちが売る「商品」の情報をしっかり頭に叩き込んでおかないと…と、指導してくださっているのです。いつも、ありがとうございます。
▪︎皆さんのおかげをもちまして、この日は、午前中で完売することができました。ということで、急遽、予定を変更して、兵庫県にいる老母の生活の介護をしにいくことにしました。
研究部の歓送迎会
▪︎これは、金曜日、22日の写真です。前日の木曜日は、「降誕会」関連の懇親会や、その流れの飲み会で深夜の帰宅となりました。疲れました〜。というのも、水曜日も学部懇親会(「淡海会」)の歓送迎会があり、連チャンの「呑み」となってしまったからです。金曜日こそ、早目に帰宅しようと思っていたところ、研究部の職員の方から「今晩はどうされます?」とお尋ねが…。そうなんです、この日も「呑み」だったのです。忘れていました。この日は、研究部の歓送迎会でした。ということで、3日連続ということになりますね。さすがに、私の沈黙の臓器=肝臓も疲れてしまっていたように思います。
▪︎もっとも、研究部の職員の皆さんといろいろお話しができました。普段は、皆さん仕事にかかりっきり、必死のパッチで、とてもゆっくりお話しをするような時間的余裕はありません。また、いろいろご苦労をおかけしている様子を拝見していただけに、率直にいろいろお話しをお聞かせいただき、良い機会となりました。一次会が終わる頃には、肝臓の方も麻痺してきてか、調子が出てきて二次会にも突入。京都駅近くにあるパブでこれまた楽しい時間を過ごすことができました。お店はいっぱいなので、店の外で盛り上がりました。たまたま、研究部以外の部署の職員の方たちも合流されることになり、部を超えて、これまたいろいろお話しをすることができました。まあ、肝臓も大切にしないといけないけれど、「こういうのって大切やな〜」と改めて思いました。組織内部の部局間の隙を埋めることにもなりますからね。
創立記念日
▪︎昨日は、創立記念日でした。龍谷大学の3つのキャンパスでは、それぞれ「創立記念・親鸞聖人降誕会法要」が行なわれました。そのあとは、本部のある深草キャンパスで、名誉教授称号授与式、職員表彰式、そして職員懇親会が開催されました。
▪︎上の方の写真は、深草キャンパスにある「顕真館」です。親鸞聖人が執筆された『顕浄土真実教行証文類』(『教行信証』)から名づけられています。さまざまな勤行・法要・各種宗教行事などが行なわれる「礼拝堂」です。深草キャンバスの「降誕会法要」は、この建物のなかで執り行われました。入り口の向かって右側には、「大学旗」と「仏旗」が掲げられています。「大学旗」の校章は、仏教のシンボルである三宝章と、本願寺の紋所である菊くずしを組合わせたものです。「仏旗」は、仏教を象徴する旗です。
▪︎下の方の写真は、深草キャンパス22号館の地下食堂で開催された職員懇親会です。中央でスピーチをされているのが、赤松徹眞学長です。この職員懇親会には、この4月から法人統合した龍谷大学付属平安高校の教職員の皆さんも参加されましたので、大変賑やかな会になりました。職員の皆さん同士も、部署やキャンパスが違えば、ふだんあまり出会うこともないようで、久しぶりに会ってとても喜んでおられる風景は、なんだか同窓会のようでもありました。私はどうかといえば、担当している研究部の職員の皆さんの日頃のご努力にお礼を申し上げると同時に、部局の壁を越える情報交換をいろいろ行っていました。そういう場としても、機能しているのですね。
淡海会
▪︎20日(水)は、学部教授会、研究家委員会の後、瀬田の唐橋のそばにある料亭「あみ定」で、学部懇親会主催による歓送迎会が開催されました。4月から5名の方たちが社会学部に赴任されました。このうち2名の方が教員です。20代・30代の若手の方たちです。事務職員の方のなかには、新規採用された方が2名おられます。組織が若返ってきた感じを強く持ちました。もちろん、その一方で、寂しいことですが5月末で退職される方もいらっしゃいます。
▪︎ところで、この学部の懇親会ですが、「淡海会」といいます。これで「おあみ会」と読みます。私は龍谷大学社会学部に勤務して12年目になりますが、ずっと「近江会」だと思い込んでいました。たまたま、同僚の教員の方から、「正しくは、淡い海の会で、おうみかい…なんですよ」と教えていただくことができました。辞書の説明は以下の通りです。
大辞林 第三版の解説
おうみ【近江・淡海】〔「あわうみ(淡海)」の転。淡水のうみの意〕
①◇ 旧国名の一。滋賀県に相当。江州(ごうしゆう)。
②淡水湖。特に,琵琶湖。 「新治(にいばり)の鳥羽の-も秋風に白波立ちぬ/万葉集 1757」 〔「近江」の表記は,「近つ淡海」の意で,浜名湖の「遠淡海(とおつおうみ)」に対して用いた〕
ゼミで「まわしよみ新聞」
▪︎陸奥賢さん(むつさとしさん)が発案された「まわしよみ新聞」。3年生のゼミでもやってみました。陸奥さんによれば、「まわしよみ新聞」の効果は、以下の5つなのだそうです。詳しくは、「まわしよみ新聞の効果」をお読みいただければと思います。
①自分の世界を広げる
②他者を理解するコミュニケーション・ツール
③新聞記事(話のタネ、対話の土台)があることで、自然と話が弾んでいく
④プレゼン力を養う(カードゲーム的面白さ)
⑤「無目的」「ノーテーマ」で開かれ、平等に発言機会が与えられる対話の場
⑥レイアウトやデザインのスキルを磨く
⑦メディア・リテラシーを育てる
⑧新聞購入者が増える(「社会の公器」としての新聞応援企画)
⑨アナログ的手法で、誰でも参加しやすい。「参加者の多様性」を担保できる
⑩「顔が見えない記事」から「顔が見える記事」へ
⑪「ぼくらの新聞」を作ることで「共有場=コモンズ」が産まれる
⑫「新読」(目のメディア)ではなく「新聞」(視読聴のメディア)にする
⑬「新聞+他者との会話」というメディアミックス
⑭メディアの遊技者(トリックスター)を作る
⑮「脱・目的論的」であり「セレンディピティ」(偶察性)を楽しむ
⑯個人芸と全体芸で構成され、「世界を作る手仕事感覚」がある
⑰「NIE」(Newspaper in Education=教育に新聞を)ではなくて「PIN」(Play in Newspaper=新聞を遊ぼう)を
⑱マスメディアとソーシャルメディアのあいだを担う「まわしよみ新聞」
⑲みんなで作った「まわしよみ新聞」を掲示することで「活動の宣伝広報ツール」になる
⑳「他者」にアプローチする「いつでも、どこでも、だれでもできる」というコモンズ・デザイン
㉑大阪発の市民メディア
▪︎なんだか、これでもか!…という程、いろいろ効果が書かれています。おそらはく、「まわしよみ新聞」の実践を積み重ねていくうちに、結果として「発見」された効果もあるのではないかと思います。
とりあえず…
▪︎研究部長の仕事を始めてから、もうじき2ヶ月になります。なんといいますか、なかなかハードです…。会議と協議や打ち合わせの多さ、そして難しい案件…。一緒に仕事に取り組んでいる事務職員の皆さんは、逞しいといいますか、大変パワフルに仕事をされているので、驚きです。そのような皆さんについていくだけで必死の状態です。研究部長の任期は2年ですが、体を壊さないように頑張らねばという感じです。写真は、丹波橋の踏切です。月曜日の晩に撮りました。とりあえず、その日の仕事を終えて疲れはてた体を、軽く生ビールで癒やしたところです。学生の皆さん、研究プロジェクトの皆さん。そういう状況ですので、なかなか指導や研究プロジェクトの進捗作業のために時間をとれない状況です。申し訳ない。
55,000アクセス感謝!
▪︎いつものアクセス数に関する報告です。今年の3月24日に、アクセスカウンターが50,000を超えました。その57日後、さきほど55,000に到達しました。アクセスカウンターは、2012年の9月5日に設置しましたが、それ以降、5,000刻みでいうと、以下のようにアクセス数が増えてきました。5,000ごとに、かかった日数=期間も縮まり、また1日ごとの平均アクセス数も伸びてきました。特に、40,000に至るあたりからアクセスが伸びてきました。
2012/9/5:アクセスカウンター設置。
2013/2/21 :5,000アクセス:期間169日: 30アクセス/日
2013/6/29 :10,000アクセス。期間128日: 39アクセス/日
2013/10/30 :15,000アクセス。期間123日: 40アクセス/日
2014/2/6 :20,000アクセス。期間99 日:51アクセス/日
2014/5/6 : 25,000アクセス。期間89日: 56アクセス/日
2014/8/5 :30,000アクセス。期間91日: 55アクセス/日
2014/10/21: 35,000アクセス。期間77日: 65アクセス/日
2014/12/8 :40,000アクセス。期間48日: 104アクセス/日
2015/1/27 :45,000アクセス。期間50日: 100アクセス/日
2015/3/25 :50,000アクセス。期間56日: 90アクセス/日
2015/5/19 :55,000アクセス。期間55日: 91アクセス/日
▪︎こうやって、アクセス数をみなさまに報告することが、どれほどの意味があるのか…すごく微妙ですが、皆さんのアクセスを糧に更新を続けています。拙いブログ、しかも日々の身辺雑記のような記事ばかりですから、大変誠に申し訳ないのですが、今後とも、どうかよろしくお願いいたします。
京阪・深草駅
▪︎一昨日、日曜日でしたが深草キャンパスに行きました。担当している研究部の仕事の関係で、どうしてもやっておきたいことがあり、部屋にこもって仕事をしました。4時間程集中して仕事をしたあと、その日は夕方からご近所のお通夜があるため、16時頃には京阪・深草駅から帰宅することにしました。トップの写真は深草駅まで歩いていく途中のものです。私は、線路、電線、駅、鉄柱等で構成されるこの風景が好きなのですが、この日は少し様子が違っていました。プラッホームが広がっているのです。ひょっとして、もっと前から拡幅されていたにもかかわらず、気がついていなかったのかもしれません。いずれにせよ深草に国際学部ができて学生数が増えているので、安全確保のためにも、プラットホームが拡幅されることはありがたいことです。まあ、この工事と、龍谷大学の都合が、どこかで結びついているのかどうか、そのあたりは私はよくわかりません。
▪︎ということで、この工事のことを調べてみました。以下は、京都市からの情報です。
京都市では,人と公共交通優先の「歩くまち・京都」を目指し,高齢者や障害のある方をはじめ,すべての人が安心・安全で円滑に移動できるまちづくりを実現するため,交通バリアフリーを推進しています。
平成26年3月に策定した「深草地区バリアフリー移動等円滑化基本構想」において,深草自由通路及び京阪深草駅舎新設によりバリアフリー化することとしており,早期の整備に向けて京阪電気鉄道株式会社等と協議調整を進めてきました。
この度,京阪電気鉄道株式会社が既に準備工事を進めている京阪深草駅のバリアフリー化工事に併せて,平成26年11月17日から深草駅自由通路のバリアフリー化工事に着手しますので,お知らせします。
▪︎なるほど、京都市の「街のバリアフリー」工事と京阪電車の「駅のバリアフリー」工事が同時に進行しているわけですか。もともと、深草の駅は、自転車も押して通行できるような構造になっていました。しかし、その駅舎は廃止になります。そして少し南側、大阪寄りのところに新しい駅舎ができるようです。その駅舎につながる形で、新しい通路もできるようです。
▪︎このことをfacebookに投稿したところ、複数の鉄道ファンの皆さんからいろいろ有益なコメントをいただくことができました。深草駅にある線路についてです。少し脇道にそれたところから…。深草駅は、1980年(昭和55年)3月以前まで、車庫がありました。その深草車庫は淀車庫へと移転しました。その移転後のこと、wikipediaの「深草駅」では以下のように説明されています。
深草車庫廃止後は留置線として利用されていたが、1988年2月に深草駅の側の龍谷大学の学生の利用増により、ホーム幅を1m拡張するために東西各1本の留置線を撤去した。最終的には淀車庫の拡充に伴い東側の1本の留置線を残して、その他の留置線は撤去された。深草車庫の跡地の西側部分には京都市立砂川小学校の用地となった他、2001年9月に東急不動産が分譲するマンションが建設された。
線路配置は深草駅を挟んで東側に3線の留置線、西側に5線の留置線(留置線有効長は最大5両まで)と検車庫を備えていた。のちに急行運転開始に向けて深草駅に待避線を設置したときに東西の留置線各1線の一部を流用した。京阪線の連結運転の長編成化に伴い、深草駅のホームを延長したため留置線が短くなり、最終的には1線ずつ減った。現在は1線のみである。
▪︎深草に京阪電車にとってとても重要な車庫があったとは、まったく知りませんでした。しかも、龍谷大学の東側にある砂川小学校や東急不動産のマンションのところに車庫があったとは…、ちょっとびっくりしました。ちょうと「喫茶みどり」の前あたりには、京阪の電車が停車していたというわけですね。昔の様子を、「みどり」のマスターにぜひお聞きしみたいと思います。話しが脱線していますね。facebookのコメント欄での話しに戻ります。じつは、コメント欄でwikipediaの説明にある留置線は「いつ使っているのか」というご質問があったのです。私は、鉄道が好きではありますが、徹底したファンの方たちのように深い知識をもっているわけではありません。お答えのしようもなかったところ、別の方たちから以下のようなコメントをいただきました。
【Yさんから】深草駅の1番、4番線は、平日朝ラッシュ時に、特急と快速急行を10分より短い間隔で運転しつつ、その間に、準急、普通を入れようとすると、深草待避が必要になります。また、ホームは7両分ですが、線路は8両分あるので、回送待避も見られます。12分ヘッド運転だと、深草待避が合理的なようです。正月ダイヤ時は、特急→普通連絡は、七条、中書島になり、普通は深草待避です。ちなみに、丹波橋は、急行→普通連絡(向かい側で乗り換え)になります。普通は、深草で後続の特急に抜かれ、丹波橋で後続の急行を待って、先に行かせるというのんびりです。
【Tさんから】深草駅のバリアフリー化工事・駅舎の移転(大阪方へ)とホーム拡張工事は順調に進んでいて、三条・出町柳方面行ホームはすでに線路が移設されて、ホームの拡張が終わっています。5月16日~17日と一部の列車を運休して工事時間を確保して、枚方・淀屋橋方面のホームの拡張工事が進んでいます。 深草駅は昭和55年に淀車庫が開設されるまでは、京都方の重要な運転拠点として、運転士・車掌さんの所属する列車区というのも存在していました。昭和62年の東福寺~三条の地下化工事完成に伴う時刻改正で「深草行」電車の設定は無くなりましたが、今の車両には、今なお行先表示に「深草」の文字が残っています。深草駅の待避線は行楽シーズンに運転される七条~京橋ノンストップの特急が深草で先行する普通列車を追い抜くのに使用しますし、平日朝ラッシュ時が一息つくころには3扉ロングシートの車両から2扉クロスシートへの特急車両を交換するのに、淀車庫から出庫した特急車が深草で待避するのにもつかわれています。京阪電車を気にかけていると「深草」という文字、言葉の響きには特別な思いがあります!
▪︎お2人からのコメント、とってもすばらしい。私のようなただの電車好き(プチ鉄)とは異なり、豊かな知識と見識をお持ちなのだな~敬服しました。私にとっては、大学の本部のあるキャンパスの最寄りの駅…という感じてしかありませんでしたが、これからはもっと違ったまなざしで深草駅をみることになりそうです。
阪急梅田駅
▪︎昨日は、老母の生活介護の日でした。行き帰りとも、梅田駅を通ります。帰宅するときの方が、「任務」を終えたあとの安堵感があります。気持ち的に余裕もあるので、昨日は、梅田駅で写真を撮りました。もちろん、カバンに入れて持ち歩いている「iPhone6plus」のカメラですけれど…。もう、日常的に一眼レフを持ち歩く気力がなくなってきました。昔は、そうしていたんですけどね〜。
▪︎この写真は、facebookの方にアップしました。すると、 facebookのお「友達」の皆さんから、長めのコメントをいろいろいただくことができました。やはり、私と同じくKGの同窓生の方たちは、ここから西宮の大学に向かうことになるので、特に、現在は大阪から離れておられる方たちであれば、余計に、「懐かしい」風景かなと思います。
▪︎コメントをくださった方のお一人は、プロの鉄道マンの方です。関西の大学で学ばれました。こんなコメントをくださました。
「ズラッとならぶ統一感ある電車たち、複々々線の並走、荘厳な百貨店の通路など、日本とは思えません!たまにお出掛けで使うくらいだったので、良い思い出です」。
▪︎的確なコメントをいただきました。トップの写真は、神戸線のホームから撮ったものです。どの車両も、「マルーン」と呼ばれる色で統一されています。手前から、9・8・7番線では神戸線。6・5・4番線が宝塚線。3・2・1番線が京都線になります。良い広角レンズを使うと、ひずみもすくなく、マルーンの電車がずらっとならんだ素晴らしい写真が撮れるのではないかと思いますが、私の腕では、この程度です…。この9つのフォームでは、次々と電車が出入りするわけですが、特に梅田ー十三間は3本の路線があるので、電車が同時に走ります。鉄道ファンでなければわからないと思いますが、これもたまらない風景なのです。改札を出るとエレベーターがあり、私が贔屓にしている新梅田食堂街(JRのガード下のエリア)をぬけると、阪急百貨店がそびえています。現在は改修されたものですが、改修前の雰囲気のほうがよかったんですけどね〜。全体にいえることは、阪急は「シック」で上品だというこでしょうか。
▪︎ところで、「213 阪急梅田~十三間の3複線区間、京都本線だけ中津駅がない理由」という記事をみつけました。中津駅というのは、梅田の次にある駅なのですが、京都本線だけ駅がありません。「結論から言うと、その理由は3つの複線のうち京都本線の線路が最後に建設され、『ホームを作る場所がなかったから』」だそうです。なるほどね。詳しくは、記事を直接お読みいただければと思います。