第1回目のワクチン接種

20210730moon.jpg ■昨日、第1回目のワクチン接種(ファイザー)を行いました。9:45から近くの病院で打ってもらいました。チクリとするだけで、あっという間でした。接種後、15分だけ病院で様子を見て帰宅しました。しばらくの間はなんともありませんでしたが、午後から、多くの皆さんが経験されたように、ワウチンを打った左腕の付け根あたりが筋肉痛のように痛くなってきました。人によっては、四十肩とか五十肩に近いと表現されていますが、私はどちらにもなったことがないのでよくわかりません。念のために、ちょっと横になりましたが、寝返りを打って左を下にすると痛みを感じました。今朝は腕の付け根にまだ痛みが残っていましたが、発熱や頭痛等、その他の副反応は出ませんでした。今のところですけど。

■このようなことをfacebookに投稿すると、多くの皆さんが関心を持っておられるせいか、いろいろアドバイスや経験談をいただくことができました。報道でも言われていますが、2回目の方が副反応がひどいようですね。発熱、悪寒、頭痛、倦怠感、関節痛…。ある人は、2回目を接種する際には、できる限り、次の日は休める体制を作るべきだと言っておられました。そうですよね。私の場合は、2回目は来月の半ばあたりになります。また、寝床には大量の水分を用意することを推奨されていました。スポーツドリンクやお茶かな。また、解熱剤についても品薄が続いているので、早めに用意しておいた方が良いとのことでした。

■私は当初、大学での接種を考えていました。大学拠点接種です。ところが報道されているように、ワクチンが届かなくなり延期になりました。文部科学相からは、「接種開始日が8/16以降になる」旨の連絡があったようです。だいぶ先のことですね。というわけで職場での接種を諦め、近くの病院での接種に切り替えました。幸いなことに、すぐに受け付けてもらえました。いったい、ワクチンの供給ってどうなっているのでしょうね。
(本文と写真は特に関係ありません。)

京都コンサートホールで「ホール練習」

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■龍谷大学吹奏楽部、今月の13日に、サマーコンサート(びわ湖ホール)をYouTube配信により開催しました。サマーコンサートと次は、吹奏楽コンクールです 。昨年の吹奏楽コンクールはコロナ感染拡大のため中止になりましたが、今年度は開催されるようです(今のところではありますが…)。ありがたいです。サマーコンサート、夕照コンサート、定期演奏会とともに、コンクールも活動の大きな柱のひとつだからです。今年度のコンクールですが、一昨年、全国大会で金賞受賞したことから、今回の京都府大会は招待演奏となりました。コンクールでの審査は関西大会からになります。関西大会は来月ですが気合が入っています。

■昨晩は、府大会が開催される京都コンサートホールで、招待演奏の練習を行いました。私自身は、昨日、2限と4限が演習で、その後は大学院生の指導がありました。それらを終えて、そのあとはホールに急ぎました。繰り返し、このブログの投稿の中で書いてきましたが、私がいてもいなくても、練習にはまったく関係ないのです。部長とはそういう存在なんですね。でも、部員の皆さんが全国金賞を目指して成長されているプロセスに立ち会いたいという気持ちがあり、出来る限り大切なポイントは見学させていただくことにしています。

■練習は19時から始まりました。このホールの響きの特性に合わせて、楽器の配置を時々修正しながらの練習でした。いつもよりも人数が少ないのは、コンクールの実施規定で人数は55人以下と決まっていらからです。コンクール出場メンバーは、部内で実施したオーディションを通った人たちです。部員が180名ほどいますから、コンクールに出場できるのは1/3以下ということになります。なかなか厳しい現実があります。コンクール至上主義の大学もあるかとは思いますが、龍谷大学吹奏楽部はそうではありません。学生による自主運営を大切にしながら、組織のマネージメントをさらに丁寧に行ってほしいと思います。これからも、すべての部員が輝くことのできる、そして自身の成長を実感できる課外活動であってほしいと思います。

樹心館へ行ってみよう!


■龍谷大学宗教部の動画です。GoProなどのアクションカメラで撮影したものを早回し再生したものとのことです。この動画をYouTubeで観ていて、学科は違いますが同じ学部の同僚の三谷はるよさんが講演をされている動画をみつけました。

おそろいのワンピース

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20210724grandchild3.jpg■プライベートなことを書いてしまいます。すみません。

■2人いる孫のうちの妹の方が、先日1歳の誕生日を迎えたこともあり、明日の日曜日は会いに行こう…ということになっていました。ところが、またコロナ感染が拡大してきました。そのため、訪問は急遽中止することになりました。コロナめ…。おじいさんはがっかりです。でも、仕方がありませんね。

■明日は、おばあさんお手製のワンピースをプレゼントすることになっていました。手芸店から型紙や自分好みの生地も買ってきて、こしらえました。とても上品な雰囲気のワンピースができあがりました。持っていくことができないので、宅配便で送るようです。

■左の方がお姉ちゃんのワンピース。ボケットやバックの襟元にリボンがついています。髪を括るリボンとシュシュもできあがりました。リボンのゴムは、おじいさんが髪を括っているゴムなのですが、きちんと洗濯してあるのだそうです。内心、そのままでもええやんと思いましたが、いや、やはり爺いのゴムはあかんやろと思い直しました。もうひとつは、1歳を迎えた妹の方のワンピースです。こちらは襟がついていますね。姉と妹が、オソロのワンピースを着た様子を想像して、おじいさんはニヤニヤしています。

東京オリンピック1964 /2021


■私にとってのオリンピックの「原点」とは、63歳という年齢からもわかるように、1964年に開催された東京オリンピックということになります。もっとも、1964年といえば、私はまだ6歳の幼稚園児で、スポーツに関心を持っているわけではありませんでした。しかし、そのような幼かった私にも、社会が盛り上がっていることがわかりました。当時は、福岡県北九州市小倉区(現在の小倉北区)に住んでいましたが、わざわざ聖火ランナーを人混みの中見に行きました。もちろん、幼稚園児ですが、親に抱えられてチラリと見た程度ですが、今でも、きちんと記憶しています。

■オリンピックが終わった後も、記録映画を何度も観たよう思います。学校の運動会での入場行進も、東京オリンピックの開会式で使われた音楽でした。何か、東京オリンピックが刷り込まれるかのような経験をしているのです。そして、1964年の東京オリンピックと、そしてそのあとの1970年に開催された大阪万国博覧会とは、高度経済成長期の重要な出来事ととして社会的に記憶されることになりました。そのこともあり、1964年の東京オリンピックが私の「原点」になっているのでしょう。ただ、東京オリンピックを記憶している人は、どんなに若くても60歳を超えていると思います。また、大阪万博を記憶している人も、50歳代の中頃より上の年代の人になります。

■ということで、オリンピックと言っても、年代によってオリンピックのイメージがかなり違っているはずです。1964年の東京オリンピックを「原点」と感じる年代の人たちからすれば、いつのまにか、最近のオリンピックには、昔感じられたような「聖なるスポーツの祭典」(表現が難しいのですが…)であるようには感じられなくなっているのではないかと思います。古代のギリシャにルーツを持つ、世界平和のための特別なスポーツの祭典…そういう厳粛な存在として感じられなくなっているのです。単に私個人の勝手な思いかもしれませんが…。たぶん、オリンピックをあまり特別視せず、他のスポーツの世界大会と同じような感じに受け止めているように思います。もちろん、オリンピックに参加するアスリートの皆さんは、私なんかとは全く違って、特別な存在として今でもオリンピックを位置付けておられることは理解しています。

■ある知人は、「格調」という言葉を使っていました。今のオリンピックには「格調」がないというのです。1964年の東京オリンピックは、国全体として盛り上がっていました。国の隅々そしていつまでも国の記憶に残るスポーツの祭典でした。重々しさがあったように思います。加えて、当時は「ケ」の日である庶民の日常生活がとってもシンプルでした。高度経済成長で日々生活が豊かになっているとはいえ、現在と比べれば物質的には貧しかったと思います。ところが、現在のように「ハレ」と「ケ」の区別が曖昧になってくると、そして「ハレ」の日が多くなってくると、特別な感じがしなくなってしまいます。いろんなスポーツの世界大会が、全世界で始終開催されていて、そのことがテレビやインターネットを通じて報道されていますから。

■グローバリゼーションの中で、世界が狭く感じられるようにもなりました。遠い国で開催されている出来事ではなく、今はテレビやインターネットを通してリアルタイムで観戦できます。もうひとつ。かつてのように人類の未来の「発展」、究極の目標としての世界平和を単純には信じられなくなったこともあるかなと思います。そのような「発展」に重ね合わせながらオリンピックを観戦することもできなくなりました。加えて、金儲け主義が誰の目にも明らかになってしまいました。多額のお金が動いていることが報道され、多かれ少なかれ、オリンピックの持つ胡散臭い側面を誰もが知ることになっています。IOCのバッハ会長は、「ぼったくり男爵」とアメリカのマスコミに揶揄されました。「聖火」とはいいますが、オリンピックを「聖」なる存在として捉える人、究極の目標を世界平和に置くスポーツの祭典として捉える人は、もはや少なくなっているのではないかと思います。オリンピックが、アスリートの皆さんの純粋な気持ちや精神とは別に、スポーツビジネス、ショービジネスになってしまっている…というと言い過ぎでしょうか。

北陸演奏旅行で舳倉島へ

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20210722hegurajima4.jpg■あれから40年ちょっと過ぎてしまいました。叔父の葬儀を一昨日終えたばかりだし、時の移ろいの早さに「もののあわれ」のようなものを感じるな。

■先日、フランスで俳優として頑張っている同級生の島岡現くんが、学生時代に所属していた関西学院交響楽団の頃の写真をドサッと送ってきてくれました。「自分が持っていても役立てられないので…」という理由で送ってきてくれたのです。送ってくれた写真は、国内の演奏旅行とソビエト演奏旅行の時のものです。アップしたものは、北陸演奏旅行の時のものです。石川県のずっと沖合いにある舳倉島(へぐらじま)まで行って、島の分校で演奏してきた時のものです。地図を見ていただきたいのですが、舳倉島は、輪島の沖合にある岩礁のような複数の島々のさらに沖合いにあります。陸地からは50kmほど離れているようです。この島にオーケストラ(プロではなく学生オケですが…)がやってきたのは、おそらくこの時が初めてではなかったでしょうか。

■舳倉島へは、石川県の輪島から船に乗って行くことになります。今は高速フェリーで80分ほどで行けるようですが、昔はゆっくりした連絡船が就航しているだけでした。かなり揺れて、行きは一部の人たち(私を含む)は、かなりひどい船酔いになりました。島に到着するとフラフラだったように記憶しています。集合写真は、私のいた学年のものです。左端にいるのが、島岡現くん。当時のジーンズは「ベルボトム」という裾広がりのデザインですね。時代を感じます。

福岡の叔父

■福岡に暮らす叔父が亡くなりました。月曜日の晩が通夜、翌日が葬儀でした。急なことで、火曜日の授業は休講にさせていただきました。

■通夜も葬儀も家族葬ということで、極々身内の、叔父の家族と、叔父の甥と姪、つまり私と妹が参列しました。お導師は、浄土真宗本願寺派の方でした。京都出身で今は福岡のお寺の副住職をされている…というようなお話だったかな。昨晩の通夜でのご法話は、当然のことながら、浄土真宗の教義に基づくものでした。関西弁と博多弁にユーモアが混じる、印象に残るご法話でした。龍谷大学に勤務するようになり、個人的に浄土真宗のことを勉強してきたということもありますが、昨晩のご法話はスッと心に入ってきました。阿弥陀仏にお連れいただき、すでにお浄土に帰られた叔父のことを、心の中にイメージすることができました。大切な経験だと思います。

■棺の中の穏やかな叔父のお顔を拝見させていただきましたが、叔父の家族の皆さんは、「おばさんに、だんだん似てきたね〜」、私の亡くなった母親に人生の最後でだんだんと似てきたというのです。姉と弟ということもありますが、確かにそうかもしれないな〜。穏やかなお顔でした。通夜の後は、簡単な食事をしましたが、「いとこ会」のような感じになりました。普段は離れて暮らしているので、なかなか会うこともありません。いとこの子どもたちも大きくなっているので、当たり前とはいえ、驚きました。叔父がご縁をつくってくれたのですね。

【関連エントリー】叔父のこと

夏原グラント「市民環境講座」と「ワールドカフェ」

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■日曜日は午後から、夏原グラントの「市民環境講座」が、大津のピアザ淡海にある滋賀県立県民交流センターで開催されました。テーマは「活動を元気に続けていくためのポイント」。前半は私が話題提供をさせていただき、後半は、このテーマに関して「ワールドカフェ」を行いました。前半の話題提供は横に置いておいて、後半の「ワールドカフェ」ですが、むちゃくちゃ盛り上がりました。すごい。

■夏原グラントから助成を受けた環境保全活動に取り組む団体の皆さんが、対話を楽しんでおられましたし、こうやってお互いに語り合い、情報交換をすることの大切さを実感されたようです。素敵だな〜。それぞれの団体の皆さんが、真剣に活動に取り組んでおられるから、また活動しながらいろんな気づきを獲得されているから、また同時に、新たな問題に悩んでおられるから…これだけ「ワールドカフェ 」が盛り上がるのだと思います。

・今回の「ワールドカフェ 」、特別なことをやったわけではありません。市販されている関連する書籍の中に書かれていることを素直にやっただけです。
ワールドカフェの説明。(5分)

・第1ラウンド:短い自己紹介(30秒)。テーマについて、自分の体験や日々感じていることなど、自由に話をしてください。最後にカフェマスター/ミストレスを決めてください。他の皆さんは旅人です。(20分)「行ってきます」「行ってらっしゃい」。

・第2ラウンド:あらためて自己紹介。マスター/ミストレスが自分のテーブルでの対話の内容について説明。旅人は自分のテーブルで出たアイデアを紹介し、繋がりを探りつつ対話を楽しみます。(20分)

・第3ラウンド:元のテーブルに戻り、旅で得た考え方やアイデアを紹介し合いながらさらに対話を楽しみます。 「ただいま」「お帰りなさい」。持ち寄った考え方やアイデアを整理していきます。(20分)

・第4ラウンド:カフェマスター/ミストレスに、どのような整理ができたのか紹介してもらいます。みんなで共有します。(20分)

■今回は、「ワールドカフェ 」において「他花受粉」と呼ばれることをみなさんと一緒に経験できました。ミツバチが、蜜を集めるために花から花へと飛び回っていると、花粉がどんどん広がっていきます。それを「他花受粉」というそうです。それと同じように、自分が最初に話したことが、 この「他花受粉」のように、どんどん他のテーブルへと拡がり、他の考えとも交わりながら、新たな考えが生み出されることになります。非常に興味深く感じました。今回は団体間の交流のスタートだと思っています。こうやって助成を受けた団体の経験知が蓄積され、共有されていくことの重要性を、今日は参加者の皆さんと再確認しました。

■また、今回のようなワールドカフェが開催され、「夏原グラント・コミュニティ」としてお互いの連帯が深まっていくと良いなあと思います。この日は、森林と動物(獣害?)の問題に取り組んでいる団体の方から、「他の森林関係の方たちと、もっと話し合いたい」というご希望をいただきました。そういうのも良いですね。そういう出会いの場、情報交換の場、お互いに励ましあえる場が必要だと思います。コロナ
もうひとつ。最後に、テーブルごとに今日のワールドカフェの対話から得られた気付きを発表してもらいましたが、事務局(しがNPOセンター)の西川さんが、その発表をホワイトボードに的確にまとめてくださいました。すごいですね〜。

石原先生とランチ

20210716ishihara1.jpg ■最近、こういうことをよく聞きます。「組織がギスギスしているでしょ。『自分の仕事を増やすな』って感じでちょっとお互いに疑心暗鬼になって牽制して信頼も希薄になって。一緒に隙間を埋めていこうという気持ちもないでしょ」。これは特定の組織だけでなく、いろんな組織で共通していることのように思います。

■組織の中で働く人は増えないけれど(人件費は抑制される)、やらないといけない(とされる)仕事は増えて、心身ともに余裕がなくなり、個人間で、部署間でお互いに仕事を押し付け合うようなことが生じてしまいます。いろいろ便利になって仕事が合理化されているはずなんですが、実際には仕事は増えているのではないでしょうか。その全てが本当に必要な仕事であるのかどうかも、かなり怪しいわけです。最近は、「ブルシットジョブ」(クソどうでも良い仕事)という言葉を頻繁に目にします。多くの人びとが、働きながらそのことを実感しているのではないでしょうか。

■ところで、昨日は上に書いたようなこととは、反対のことが起きました。先週のことですが、キャンパス内で、偶然に農学部の石原カルロス健吾先生とお会いしました。コロナのためとはいえ、なかなかお会いするチャンスはありませんでした。すると石原先生の方から、「ランチでもご一緒しませんか」というお誘いがありました。というわけで、昨日は、社会学部の校舎である6号館の「社会共生実習支援室」の方に、昼食持参で石原先生にお越しいただきました。短い時間でしたが、いろいろお話をすることができました。

■昼食をとりながら、私の方から、ちょっとした提案をさせていただきました。農学部の学生の皆さんが活躍できるんじゃいのなかと思った地域活性化の活動を紹介させていただきました。石原先生には、大変前向きに受け止めていただきました。早速、石原先生と地域活性化の活動をされている方とを、おつなぎすることにしました。石原先生からは、「楽しいひとときをありがとうございました!やっぱ、こういうのが必要ですね〜😊」とSNSを通してお返事をいただきました。そうなんですよ、こういうことが必要なんですよ。「仕事を押し付けあう」ようなこととは真逆のこと、組織の壁を超えて、新しい「仕事」、本当に組織の発展に必要な「仕事」に一緒に取り組むこと、必要だと思うんですよね。
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「びわ湖・滋賀学」のこと

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■今日は、午前中が「地域再生の社会学」のオンライン授業でした。自宅からオンライン授業を行いましたが、自宅のあたりでは雷がひどく、音の振動が身体に響くほどでした。相当近くで雷が鳴っていたのです。落雷ではたまに停電になりますが、オンライン授業がどうなるのか心配でした。とりあえず、なんとかなりましたが…。

■午後かには、車で草津市の烏丸半島にある滋賀県立琵琶湖博物館に行きました。総括学芸員の大塚泰介さんと「びわ湖・滋賀学」の打ち合わせを行いました。打ち合わせがあるので、大学の学科会議、教授会、研究科委員会は欠席させてもらいました。

■龍谷大学社会学部の「びわ湖・滋賀学」の授業、これまで琵琶湖博物館の学芸員の先生方にお願いをして、チェーンレクチャーによる授業を実施してきました。しかし、今年度は、zoomによるオンライン授業と、展示を用いた博物館での対面式授業の両方を組み合わせた、ハイブリッド型の授業を、集中講義で実施いたします。ちょっと画期的かな…と、個人的には思っているわけなんですが、履修している学生の皆さんはどう反応されるでしょうね。ちなみに、社会学部の学生だけではなく、他学部や、他大学の学生の皆さんも履修されています。

■私の役割はコーディネーターです。授業は担当しませんが、zoomの操作や、博物館での対面式授業のサポートになります。楽しみです。トップの写真ですが、琵琶湖博物館のある烏丸半島から琵琶湖大橋方面に向かって撮ったものです。

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