龍谷大学吹奏楽部 サマーコンサート2022

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■龍谷大学吹奏楽部サマーコンサート、7月10日です。オンラインで無料生配信いたします。
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プログラム

1年次キャリアセミナー

20220629careerseminar.jpg ■火曜日の2限は、「社会学入門演習」です。1回生対象の入門演習です。今日は、キャリアセンターから依頼のあった「1年次キャリアセミナー」の動画を観て、そのあと、manabaという教育支援システムを使ったワークに取り組みました。

■私が学部を卒業した頃は、日本の社会は安定成長期で、就職課があるだけでした。私が学んだ関西学院大学では、たしか置塩さんという方が有名職員さんとして勤務されていました。中央講堂で就職活動の心構えのような話をされていました。懐かしいです。で、龍谷大学、現在です。就職課はありません。キャリアセンターです。学生の人生設計を支援することに目的があります。大学での学びも、そのような自分自身の人生設計と関連づけていく必要があるということになるのですが…そのようなメッセージは、学生の皆さんにとってはどう感じられたでしょうね。

■私自身も、学生の皆さんに、時々、このような話をします。

単位を楽に取って楽に卒業する…そんなことばかり考えていると、カリキュラムという制度のなかで消費されてしまいますよ。講義とアルバイトと自宅の三角形、時々、「盛場で遊ぶ」も入れて四角形をぐるぐる回って4年間なんとなく過ごすことは勿体ないですよ。授業だけでなく、ボランティアや課外活動に取り組む中で、自分自身の学びをどう作り上げていくのかが大切ですよ。予測通りには行かないけれど、いろんな経験をすることが大切ですよ…

■まあ、こんな感じで話をしているのですが、全員に私の思いが伝わったかという、あまりそのような実感はありません。一つ前の投稿で引用した記事の中にある「コスパ」と「タイパ」「保証」や「安心」が大切だと思うようなら、なおさらです。でも今日のキャリアセンターの動画は、「社会学入門演習」の中で言ってきたこととかなり重なるので、履修している学生の皆さんは、いろいろ考えてくれたんじゃないのかなと、勝手に思っていますが、どうでしょうね。

■この前は、この授業の現地実習を行いました。高島市マキノ町でエコツーリズムに取り組んでおられる谷口良一さんから学生の皆さんと一緒にお話を伺いました。そのお話の中で、若い頃からどのようにキャリアを築いてこられたのかということも伺うことができました。今日の動画、もし学外の方にも観ていただけるのならば、谷口さんにもご覧いただきたかったです。どう反応されたでしょうね。谷口さんからお聞きした話では、人事交流で国の役所に勤務されていたときに、地方自治体職員のキャリア形成の研修等も担当されたとお聞きしていますので、何かご意見をいただけたかもしれません。

■知り合いの大人の皆さんの職場では、やはりキャリア形成支援の研修等があるのでしょうか。もし、あれば社会人の場合はどうなのか知りたいものです。まあ、そんなわけでして、学生の皆さんには、今日、授業で観たキャリアセンターの動画、谷口さんのお話を関連づけながら理解を深めてほしいと思っています。

■続きです。こんな話も出てきました。今の学生の世代はZ世代(1996年〜2012年生まれ)、その上がY世代=ミレニアム世代(1980年〜1995年生まれ)、保護者の世代はX世代(1965年〜1979年生まれ)、それぞれの世代で社会状況は違いますという話です。「皆さんの両親が若者の時代に経験したことは、今では通用しないんですよ」というメタメッセージも感じました。実際、個人的にはそう思っています。自分の人生は、自分自身の責任で切り開いていかないと。また、「おっ!」とも思いました。もう1958年生まれ(私のことですが)は登場させてもらえないんだな〜。私たちは、団塊の世代とX世代の間で目立たない存在です。まあ、それでよかったんですけど。このまま消えていきます。

■この話には、さらに続きがあります。2030年、仕事を激変させる「7つのキーワード」です。パンデミック、DX、AI・ロボット、脱炭素、ジョブ型雇用、ギクワーク、遊び。このようなキーワードで社会が激変していくという説明の後に(このあたりはビジネスマン向けのネット記事にも登場しますが)、Before CoronaからWith Coronaへと社会がシフトしていくというのです。「産業の効率化や高付加価値化を目指す社会」から、「人の生命保護を前提にサイバー空間とリアル空間が完全に同期する社会へと向かう不可逆的な進化が新しい価値を創出する」ような社会へと。こうなると、おそらく1回生の多くの学生さんたちにはピンとこない話になりますが、「めっちゃ大変な時代を生きていかなあんねんな〜」ということは理解されているかもしれません。

■そして、その上で出てくるが、VUCA 時代という言葉です。Volatility(変動性)、Uncertainty(不確実性)、Complexity(複雑性)、Ambiguity(曖昧性)の頭文字を取った言葉です。成功したビジネスモデルが確立されたとしても、状況が変動するサイクルがとても早く、すぐに昔のものになってしまう。変化のある時代、正解が一瞬にして正解でなくなる。不安定になる。そういう時代ですよ…。そう言われると学生さんたちは、たぶん不安になります。大変です。気分的にしんどいです。

■まだ続きます。その次は、そのようなニューノーマルな社会で求められるのは、変化への対応、課題設定・解決、そして創造という力であると。この後は、全員が受講するテスト(GPSアカデミックテスト)の結果をもとに、社会学部生の強みと弱みについての説明、社会学部のカリキュラムの特徴と続きます。当然ですが、自分達がやっている授業のカリキュラムをもとにして説明されているのですが、社会学部は京都の深草キャンパスに移転することもあり、もっと変えていかないと…とカリキュラムの再検討が進んでいるので、ちょっと違和感があったりもしました。本当に、現在のカリキュラムは、変化への対応、課題設定・解決、そして創造といった力をつけることを支援するものになっているのかなと思いました。こんなことを書くと、キャリアセンターの方に叱られますけど。すみません。先に謝っておきます。個人的には、個人がどう生き残るのかという力に加えて、異なる立場や価値観の人と粘り強く協働することで集団、地域として生き残るための力についても強調していただければよかったかなと思います。そういう経験をすることも大切なんですよ。自分のことは横に置いておいて言っているという自覚はありますけどね。許してください。

■ぼろが出てきたので、もう、このへんで終わりにしておきます。動画を観て、上手に作ってあるなあと思うと同時に、聞く側はプレッシャーだな〜、大変だな〜という気持ちにもなりました。社会学者だと、その辺りを批判的に指摘する人もたくさんいると思います。無責任な言い方に聞こえるかもしれませんが、若い大学教員の皆さんには、これから「変化しなければ」と「煽る時代」で教育をしなければならないので、大変だなあと思います。逆に、そういう「煽り」を「鎮める」教育も必要かもしれません。この「煽り」と「鎮め」、亡くなった社会学者の大村英昭先生が言っておられたことです。

■ということで、朝から「煽りの社会」の別件に対応してバタバタしていた時に、このキャリアセンターの動画を拝見しました。ちょっと疲れたかな。X世代の前の名前さえない世代で良かったのかもしれません。コロナ前に退職された先生方は、もっとそのことを実感されているでしょうね。でも、社会学部の職員の方には「この動画良かったですよ、よくできていますよ」と勧めておきましたからね。基本は、よくできているな〜と思っているのです。準備、とても大変だったと思います。各学部の各学科の学生さんたちに理解してもらうためには、学科ごとに内容を替える必要があるからです。キャリアセンターの皆さんに、感謝いたします。

毎日新聞記事「動画も倍速視聴 若い世代の「コスパ」「タイパ」志向、なぜ?」

20220629mainichi.pngこの記事の初めに「若い世代が今、重視するのが『コストパフォーマンス』(費用対効果)や『タイムパフォーマンス』(時間効率)」とあります。「タイムパフォーマンス」という言い方があるのですね。そうか、だから「映画やドラマの倍速視聴」が若い世代から流行っているのかと、やっと気がつきました。私は、今のところ、この流行に巻き込まれてはいないませんが。

■で、ちょっと気になったのは、以下の部分です。「コミュニティー平和維持の生存戦略」。「この辺りはどうなん?」と思う部分もありますが、もし、そうならばこれはけっこうなストレスだと思います。

作品を楽しむために映画を見るだけでなく、鑑賞後に仲間と語り合うために映画を見る若者も多い。若い人たちは学校や地元、バイト仲間などとSNS上で24時間つながっている。争うのは嫌なので、意見が分かれるような社会的な問題は話題にしづらい。
コミュニティー平和維持の生存戦略として映画やアニメなどのコンテンツは話題にしやすく、結果的に見なくてはいけない作品が増えていっている。

■もうひとつ、これも生存戦略の一部ということなるのかもしれません。

自分の時間を無駄にしたくないが、映画の予告編では情報が足りず、判断ができない。だから原作を読めば結末がわかるものや、多数が口コミで褒めているものを好む。そういう何かしらの「保証」があれば安心して見られるからだ。

■「保証」があれば安心で見られる…それは、「つまらない」というのとかなり近いような気もしますが、これは若い人たちと接していて、なんとなく理解できることでもあります。たとえば、卒論のテーマとか、調査をどうするというときに、「ああ、回り道したくないのね」、「ああ、安心したいのね」、そういう考えが背景にあるなとはずっと思っていました。ある時、「こうやれば、絶対に卒論がうまくいくというやり方を教えてくれたら、『やる気』スイッチが入るのに」とある学生が笑顔で私に言ってくれたのですが、彼は、冗談ではなくて本気でそう思っていたのです。

■この記事では、「なぜ若者はコスパを重視するのか。大人があおりすぎてきたからだと思う。『効率』や『無駄なことをするな』と言い過ぎなのだ」と指摘しています。大人は、本当に煽っているかな〜。そうかもしれないけれど、ここでいう大人って具体的にはどういう人たちのことでしょう。例えば、保護者の皆さんはそういう考えでお子さんと接しておられるのでしょうか。そのあたり、よくわかりません。ただし、高度経済成長期の時代のような、いい学校に入り、いい会社入って、安定したいい暮らしをする…という「人生の王道」は無くなったという点については、確かにそうだよねと思います。若者たちは、情報化社会の中でSNS等を通して様々な人の生き方に関する大量の情報が入ってきます。押し寄せてくるたくさん情報の中で、どうして生きたら良いのかわからないのです。

学生からは「好きなもの、趣味がない。どうすれば見つけられるか」という質問を受ける。
「たくさん経験した中で決まる。無駄な経験もたくさん必要だ」と回答するが、若い人たちは「無駄」を嫌がる。自分に合う職業、人生に一発で出会いたいという欲求が強い。

■「保証」や「安心」が欲しいのは、社会に情報が溢れていて、何を信じて良いのかわからないからでしょう。しかも、社会そのものが流動的で安定した基盤を持ち得なくなっています(液状化)。そうであれば、「他者」を志向しているようで、それは自己の足元から不安定さを取り除くための仕方なしの生き方なのです。「自分に合う職業、人生に一発で出会いたい」という気持ちもわからなくはありせん。でも、ジョブ型雇用、ギクワークにこれから転換していくと言われており、そのような人生が液状化する中で、シンデレラのガラスの靴のような職業が、どこかにあると考えるのも不思議な気がします。仕事をしているうちに、自分もどんどん変化していきますし。仕事をしながら、以前は気がつかなかった仕事の面白さをみつけていけることの方が大切なように思います。

■昔、昔、その昔。20世紀の半ば頃、アメリカのリースマンという社会学者が注目されていました。彼は、社会的性格として伝統志向型、内部志向型、他人志向型の3つの類型を提示して、最後の他人志向型=「周囲の他人やマス・メディアに登場する同時代人を行動の基準または指針とする」が登場していることに注目しました。井上俊という社会学者は、他人志向型のタイプは、「資本主義の高度化によって生産や仕事そのものよりもむしろ消費や人間関係に重点が移ってくるような社会において支配的となる」と説明しています。現代の日本の若者の傾向を考える上で、そのままでは役に立たないと思うけれど、リースマンがもしまだ生きていてたとしたら、どう語っただろうなと妄想してしまいました。

お寺の掲示板

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■先週の土曜日、地域連携型教育プログラム「社会共生実習」の「地域エンパワねっと・大津中央」の学生2人と、午後から大津の中心市街地をまち歩きしました。まち歩きのことについては、ひとつ前の「『地域エンパワねっと・大津中央』でまち歩き」に投稿しましたが、そのまち歩きの途中で見かけたこのお寺の掲示板のことについて、投稿させてください。

■掲示板には、「『努力の賜』か『努力は賜』か」という、この掲示板のお寺、永順寺のご住職が書かれた言葉が掲示してありました。これは、奥が深いと思いました。一見、似ているのですが、前者と後者では、真逆ですね。前者「努力の賜」は、「この成果は、自分が努力したからだ」という意味になります。ここで、メリトクラシーという概念が頭に浮かんできます。前近代の社会では、どういう家に生まれたのかとか、どういう社会的出身なのかということによって、その人の地位は自動的に決定されていました。ところが、近代社会になると個人の努力によって獲得された業績(メリット)により自分自身の地位が決まってくるようになります。また、そのようなことが近代社会を形作る上での原理として機能するようになります。社会の多くの人びとが、そのような業績に基づいて地位が決まっていくことを正しいこととして受け入れるようになります。

■でも、そのようなメリトクラシーに多くの人びとが疑問を感じるような状況が生まれてきます。特に大人にまるまでの学校の中で、どのよな家の生まれだとか、どういう社会的出身だとか、そういうことに関係なく努力で地位を獲得できるのではなく、そのような意味で社会がより平等になっていくことではなく、逆に、社会的不平等や格差の世代が超えて生み出されていくという再生産理論が登場することになりました。

■このお寺の掲示板の後者、「努力は賜」は、「自分が努力して、そのことにより業績をあげられと思っているかもしれないけれど、それはあなたが周りの皆さん、そしてすでに亡くなった人たちにに支えられてきたからだ」という意味で書いておられるのかなと思います。でも、そういった「感謝」の気持ちとして理解するだけでなく、「努力できるって、結局、親から子どもへの教育投資、金があるかどうかできまってくる」ということになると、それは教育格差の問題になります。再生産理論が社会を批判的に捉えるのと同じような意味で、この「努力は賜」を解釈することが可能になるのかもしれません。「『努力は賜』であって、あなたがもし努力できたとしても(=努力の賜)、それはあなた自身の能力というよりも、経済的・文化資本的を背景に、上の世代から努力できる環境や条件をたまたま与えられたからなのですよ」ということになります。そう気がついた時に、その人は、次にどのように振る舞うべきなのか。掲示板にはそのように書いてありませんが、暗に、人びとに問うているような気がするのです。

「地域エンパワねっと・大津中央」でまち歩き

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20220627empowernet4.jpg■ 先日の土曜日、休日でしたが、地域連携型教育プログラム「社会共生実習」の「地域エンパワねっと・大津中央」の学生2人と、午後から大津の中心市街地をまち歩きしました。「ここがね、私が通っている居酒屋なんだよ」とまち歩きの冒頭に「利やん」を紹介。もちろん、紹介だけですよ。

■その後は、コッテリ解説をしながら、地図の赤い線を歩きながらガイドしました。通常であれば、ゆっくり歩いて1時間半程度の距離のようですが、何度も立ち止まり解説をしますから3時間ほど歩きました。思い返せば、2004年に龍谷大学に赴任した頃は、中央学区、長等学区、逢坂学区、平野学区、最近では「old大津」と呼ばれるこの界隈を非常によく歩きました。カメラを持って歩いていました。懐かしいです。最近は油断をしているわけではありませんが、歩くことも少なくなってしまいました。町家が解体されてなくなっていることは、この界隈によくあることではありますが、町家を利用した店舗がちょっと増えているような印象を持ちました。やはり、もう少しきちんと歩かないといけませんね。

■結局、昨日は、4.5kmほど歩きました。大した距離ではありませんね。

【追記】■この日のまち歩きの目的ですが、「地域エンパワねっと・大津中央」で活動する中央学区を中心としたエリアを歩いて、多少なりとも「土地勘」を養うということにありました。地図があっても、地図を理解しにくい人たちがいます。これは、もう仕方のないことなのですが、そういう方達でも、活動していくのに不自由がないようにとの配慮からです。もうひとつは、これまで大学の教室で勉強してきた知識を街の景観の中に重ね合わせながら、表面的には見えてこない深いところにあるこの地域の課題や魅力を実感することにありました。

■これまで、コロナ禍以前は、5月の連休後に学生たちは街に出て、地域の方達にお話を伺いにいくことをやっていました。「学生たちの地域デビュー」です。ところが、コロナ禍でそのようなことができなくなりました。そこで、まずは大学でしっかり事前学習を積み重ねることにしました。この事前学習の中身ですが、大きくは3つに別れます。1つめですが、「大津」について学習することです。ここでいう大津とは、近年はold大津と呼ばれる江戸時代の宿場町のエリアを指します。この地域の大きな歴史の流れ(中世から現代まで)を学習をしました。2つめは、自治連合会や自治会等、地域住民組織の歴史や仕組みを学ぶことです。また、現在、これらの地域住民組織がどのような課題や問題を抱えているのか、地域住民組織はどのように変化していこうとしているのか、その辺りのことについて学習しました。これは、地域社会学的な学びということになます。そして3つめは、「エンパワねっと」固有の課題、地域住民の皆さんとの協働による「課題発見×課題解決」に取り組む中で必要とされる、協働や利他的行動のあり方について学びました。ちなみに、龍谷大学生の行動原理は「自省利他」ですから、そのこととも関係していますね。加えて、先輩たちが過去10数年の中で取り組んできた活動の中身についても学んできました。

■今年度は、しっかり準備をしてからのまち歩きです。今年度は9名の学生が履修していますが、金曜日の2限に開講されている「社会共生実習」(その中の私の担当が「地域エンパワねっと・大津中央」)の前後の1限と3限に別の授業を履修している学生が多く、学生を引率して学外に出かけたくてもできないような状況になっています。履修や時間割を組むのは学生の権利ですから、教員がそのことについて何か言うことはできません。とはいえ、自分自身の時間割全体を考えて、もし1限と3限を空けることができるのであれば、もう少し活動の内容も違ってくるかもしれません。この辺り、まあ、仕方のないことですね。このような事情もあって、活動に取り組むのが遅くなっているのです。でも、これから取り返してくれると思います。また、自分自身の成長をしっかり実感できる取り組みになってくれると信じています。

もう一人の健一くん

■一昨日の晩、突然、小学校6年生の時のクラスメートの名前が頭に浮かんできました。ずっと、彼のことを思い出すことなんてなかったのに…。「そういえば、下の名前が同じクラスメートがいたな」と突然に思い出したのです。そう、健一くんです。特別、仲が良かったわけでもないけれど、素敵な笑顔の優しい感じの少年でした。時代は1970年。大阪万博の年でした。

■彼と私は同じ地元の中学校に進学したと思っていましたが、中学校の「卒業アルバム」に彼の名前はありませんでした。あれっ、と思いました。もう一人の健一くんは、転校したのかもしれません。還暦を超えて記憶の奥底から健一くんの名前が浮かび上がってきたわけですが、中学では一緒のクラスになったことはなかったからでしょう、中学生の健一くんの記憶は私にはありません。不思議なものです。

■今、もう一人の健一くんは、どうしているのだろう…そう思って、googleで検索してみることにしました。ひょっとすると名前が出てくるかも知れません。これが女性のクラスメートだと、例えばご結婚されている場合であれば、苗字が変わっていることが多いし、そうなるとみつからないだろうと思います。だけど男性の場合は、ひょっとすると何か手がかりがあるかも知れない、そう思って検索してみることにしたのです。

■すると、もう一人の健一くんが目の前に現れました。記憶に残っている小学生の頃の面影が写真には残っていました。写真が出てくるのは、写真を出す必要のある仕事をされているからです。彼は、大手の設計会社で建築家として働いていました。建築賞を受賞するような建築家でした。専門領域は、「博物館・資料館/小・中・高等学校/大学・各種学校…」とのこと。滋賀県内にも、彼が設計した建物があることもわかりました。ちょっと嬉しくなりました。

【追記】■私は、3つの小学校に通いました。福岡県の北九州市と福岡市の小学校、そしてこの投稿にある3つ目の小学校は、広島市立中山小学校です。当時の広島市の郊外にある小学校でした。

エンパワとヤマモモ

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20220624yamamomo.jpg■ 金曜日2 限は地域連携型プログラム「社会共生実習」のプロジェクト「地域エンパワねっと・大津中央」。

■4月から、地域に出て行くために、学生の皆さんはいろいろ勉強をしてきました。自治会の歴史や自治連合会のこと(地域社会学の勉強でもあります)。大津の歴史や現在の概況。先輩たちが「エンパワ」で取り組んだ活動の内容等々、盛りだくさん。先週は、前・中央学区自治連合会会長/現顧問の安孫子邦夫さんにzoomで講義をしていただきました。

■そろそろ、現場に出かけるタイミングになってきました。明日は、2名の学生だけど、まち歩きもします(残りの人たちは来月)。ということで、これまでの勉強で関心を持ったことを、キーワードにして書き出してもらいました。高齢者の問題や、最近増えてきた(マンション建設の結果)子どもたちの問題、中心市街地(old大津)の魅力発信、世代間交流、新住民と旧住民とのコミュニケーション…いろんなキーワードが出てきました。

■これから活動するテーマの前段階のような感じでしょうか。ここから、グループ分けとテーマの絞り込みを行なっていきます。ぜひ、先輩たちが残していった活動の蓄積という資産も利活用しながら、自分たちの取り組みを進めて欲しいと思います。

■授業の後は、こんな感じ。「秋に、農学部の古本先生と一緒に、蜂蜜とジャムのイベントをやるんだけど、2人が企画から参加したいと言ってくれてます(エンパワの学生が)。他の人はどうですか? 考えといて。で、今からジャムの原料になるヤマモモの様子を見にいって、試食してみるんだけど、関心ある人はついてきて」と言ったところ、今日出席していた全員がついてきました。

■現場(場所は秘密…)に到着すると、1人の学生が「これ、知っています。自分が卒業した小学校にありました。私も食べていました」と言ってくれました。慣れた手つきでよく熟した実を取ると、口に入れました。彼女は、九州の出身。彼女は、みんなに熟した実を選んで渡してくれました。恐る恐る口に入れてみていましたが、「甘い」、「すっばい」、「変な香りがする」と色々感想が聞けました。確かに、口に入れて噛んでみると、最初はちょっと薬臭い匂いが鼻を抜けるんですよね。受け止め方には、微妙に違いがありますね。そこが面白い。

■で、ヤマモモには種があるんですが、九州出身の学生は、口からタネをプイッと地面に吐き出しました。ああ、もちろん、木の下の地面にですよ。木の下には、すでに熟して落ちている実もあります。特に、何も問題はないのですが、地面に種を吐き出せない学生もいました。そんなマナー違反はできないというか、気持ちが許さないのでしょうね。きちんと、ゴミ箱に捨てていました。ここも面白いな〜と思いました。状況的に、地面でも問題ないんですけどね。こういう学生が、ヤマモモでジャムを作って食べてくれると嬉しいな。

「百縁夕食」開催

■龍谷大学の取り組みです。
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「百縁夕食」開催🍙🫑🥕

1食100円で栄養バランスの取れた夕食を提供し、百(多く)のご縁(つながり)が広がっていくようにという想いを込めて、2021年度に開始した取組を今年度も開催します

川内有緒(かわうち・ありお)『目の見えない白鳥さんとアートを見にいく』

20220623kawauchiario.jpg ■ 川内有緒(かわうち・ありお)さんの『目の見えない白鳥さんとアートを見にいく』、読み終えました。

■こんな本です。出版社の集英社は、こんなサイトまで作っています。私が説明するよりも、こちらの方が分かりやすいな。

■書かれた文章に惹き込まれて、軽快なフットワークで読み進めて行きましたが、読むうちに、自分でも考えながら読んでいることに気がつきました。軽快には読めなくなっていきました。最後の方、この本の最後の部分、結論的な部分になるのでしょうが、簡単にはオチません。むしろ、悩みに悩んでいる川内さんの様子が想像できました。でも、正直なんだと思います。そのような悩みに悩んでいるうまく言葉に表現できない部分も含めて、読んで良かったと思えました。

■筆者の川内さんは、全盲の白鳥建二さんとアート作品を鑑賞することで、今まで気が付かなったことに気がついていきます。だから、「視覚障がい者ののために」というのとは全く違うのです。障がい者のためのようでありながら、障がい者を自分の前提の中に位置付けてしまっている…なんてことはまったくないのです。でも最後はその「気が付かなったことに気がついて」というのとも違ってきているのかなあと思います。「視覚障がい者ののために」と「気が付かなったことに気がついて」とは、真逆のように見えてネガとポジのような関係にありますからね。白鳥さんと友達のホシノさんが、こう語っています。とても大切なことかなと思いました。「僕らは他の誰にもなれない」。わかったような気持ちになることの気持ち悪さについて語っています。そしてこう言うのです。「だから、俺たちは、むしろ進んで、いい加減に、わあああって言いたいんですよ。この世界で、笑いたいんですよ」。川内さんは、このホシノさんの主張をどう受け止めたのか、その辺りがもっと知りたいと思いました。

■この本を1年生の演習の時に紹介したら、ある男子学生が、本を読むのが好きでない男子学生が、課題図書と思ったのか、否定的な言葉を思わず小さな声でつぶやいていました。いやいや課題ではなくて、面白いよ〜と伝えたかっただけなんですが。困りましたね〜、ほんまに。誰か1人でも気になって読んでくれたら嬉しいな。図書館に入っています。

社会学部のホームページに記事が掲載されました。

20220623chuougakku.jpg■本日、龍谷大学社会学部のホームページに「自治会の実情を知る【社会共生実習】」という記事が掲載されました。先日の投稿「前・中央学区自治連合会長さんにお話を伺う。」に関連する記事です。この日は、「地域エンパワねっと・大津中央」を含めて「社会共生実習」のプロジェクトを支援する職員さんの取材がありました。さっそく記事にしてくださいました。ありがとうございました。

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