第4回「北船路・かかし祭」当日

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▪︎昨日は、第4回「北船路・かかし祭」が開催されました。天気予報では「雨」だったのですが、参加者の皆さんの願いが通じたのか、イベントの開催中は雨が降りませんでした。よかった〜。地元の北船路からは「北船路自治会」、「農事組合法人北船路福谷の郷」、「北船路中山間地域管理組合」の関係者の皆さんがご参加くださいました。また、市内の「みつばち保育園」の園児、保護者、保育士の皆さんも多数ご参加くださいました。

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第4回「北船路・かかし祭」前日(準備)

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▪︎昨日は、第4回「北船路・かかし祭」の前日でした。学生たちが翌日の本番に向けて、準備に取り組みました。昨年までは、「かかし祭」と呼んでいましたが、今年からは地元との関係をより明確に示すことができるように「北船路・かかし祭」と一部名称を変更しています。本番は、まず、北船路の棚田のいちぱんてっぺんから棚田と一望できる琵琶湖とが一体となった風景を堪能しつつ、参加してくださる「みつばち保育園」の園児さんたちが製作した案山子をご覧いただきます。そのあとは、一般参加の皆さんと、保育園とに分かれて、「村内ツアー」に出発します。昨日は、追加の案山子の製作と設置、「村内ツアー」のコース確認と、ご協力いただく農家へのご挨拶に伺いました。トップの写真は、研究会が栽培している「龍大米」(コシヒカリ)の水田です。他の水田はそろそろ稲刈りの作業に入る時期ですが、「龍大米」は9月の下旬頃になる予定です。これから熟成していきます。

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▪︎左は、大津市内の酒造会社・平井商店さんに出荷される予定の酒米です。こちらもこれから熟成させていきます。酒米は背丈が高く、稲穂が熟成しすぎると倒れてしまいます。かといって、米粒のなかにある心白(しんぱく)が熟成しなければ良い酒ができません。栽培が難しいのです。今年の出来はどうでしょうか。栽培は、農事組合法人がされていますが、すごく気になっています。右は、「みつばち保育園」の園児さんが田植えをされた水田です。三角形の小さな水田です。こちらも稲刈りは、もう少し先になります。現在は、10月1日に稲刈りをする予定になっています。可能であれば、研究会の学生がサポートします。
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▪︎「北船路・かかし祭」の会場。北船路の棚田の一番てっぺんで記念写真。ここまで徒歩で登ってくると滝のように汗がでます。しかし、景色は最高です。あいにくの曇天ですが、天気が良くて空気が澄んでいると、南(右手)は大津と草津との境あたり、北(左手)は伊吹山まで見渡すことができます。てっぺんまで登った棚田からは、こんどは「村内ツアー」のコースを確認しながら下っていきます。まずは、研究会が里芋を栽培している畑に。それなりに順調に里芋も成長しているようです。こちらの里芋の収穫は、10月末から11月にかけてかと思います。

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20150830kakashi10.jpg▪︎午後からは、「北船路・かかし祭」の会場にかざる案山子を学生たちも作りました。今回の「北船路・かかし祭」には、新規就農を目指す方達を支援するNPO法人「スモールファーマーズ」からもご参加いただきますが、準備作業からいろいろお手伝いくだいました。学生たちと一緒に、案山子づくりもしていただきました。

▪︎できあがった後は、毎回、「北船路・かかし祭」にご協力いただいている、「みつばち保育園」の園児さんたちが製作した案山子15体に加えて、学生たちが製作した案山子も棚田のてっぺんまでかついであがり、棚田の端に立てていきました。「スモールファーマーズ」の皆さんたちには、草刈機で棚田の法面や道沿いの草を刈ってくださいました。本当に助かりました。

▪︎夕方には、この「北船路・かかし祭」を立ち上げた学年のリーダーである岩崎智紀くんも車で駆けつけてくれました。岩崎くんは、この日、学生たちや「スモールファーマーズ」の皆さんと一緒に北船路に宿泊してくれました。翌日も、そのまま参加してくれます。来月のシルバーウイークには、岩崎くんたちの学年の有志が集まる予定とのことでした。岩崎くんは、現在、名古屋で働いていますが、卒業後も後輩たちの活動を気にかけて応援してくれています。なかなかできないことです。岩崎くん、ありがとうございます。

Biodiversity-driven-nutrient cycling research in Laguna de Bay officially underway

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▪︎コアメンバーとして取り組んでいる総合地球環境学研究所のプロジェクト「生物多様性が駆動する栄養循環と流域圏社会─生態システムの健全性」では、フィリピンのラグナ湖の流域でも研究を進めていきます。共同研究のフィリピン側の研究チームでも、サイトを立ち上げてくれました。

ひさしぶりの甲子園

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20150829koshien2.jpg ▪︎昨日は、午前中、まず深草キャンパスに出勤しました。研究部の仕事で、かなり困って悩んでいたことに、大學の理事に相談に乗っていただき、いろいろご指示をいただくことで見通しがつきました。安心しました。午後からは、京都上賀茂にある総合地球環境学研究所に行って、研究会議を行いました。湖沼間・環境ガバナンスに関する比較研究を進めるための作戦会議です。そして夕方からは、甲子園に移動しました。妻に誘われての阪神・ヤクルト戦の観戦です。なんと、今年初めての甲子園行きになりました。忙しくて、とても甲子園に行っている時間がなかったのです。

▪︎阪神は、2回の裏、無死満塁からの犠牲フライで先制したあと、5回に3点、7回に1点、8回に4点と、阪神は12安打9得点と打線が爆発し、大量得点で勝利することができました。ピッチャーの藤波選手もピッチングが好調でした。今シーズン3回目の完封だったようです。また、11勝目になりました。素晴らしい。甲子園球場に私が応援にいくと、阪神が負ける傾向にありましたが、この日はそのようなジンクスの存在などなかったかのようなすばしい勝利でした。連敗していただけに、ちょっと一安心です。昨夜、甲子園球場の阪神ファン(レフトスタンドのヤクルト応援団の一画を除き、ほとんどが阪神ファンです…)は熱狂しました。写真は、試合が始まろうとしている瞬間の甲子園球場(パノラマ写真)と、阪神の勝利とビールに酔っている私です。

初秋刀魚

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▪︎今シーズン、初の秋刀魚でした。美味しかった。焼き方や、お皿の大きさについて許してください…。美味しかったのは間違いないです。あとの献立。茄子の味噌汁。万願寺唐辛子とジャコの煮浸し。胡瓜のひピリ辛漬け。辛子明太子…まあ、そんなところで。歳だから、こんな感じで、お腹いっぱい。

プラハの写真

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▪︎昨晩、親しくさせていただいている方からメールが届きました。ヨーロッパを旅行されている最中とのことで、メールにはトップのような素敵な写真が添付されていました。ひと昔前だと、旅行に行った先、海外のその土地で買った「絵はがき」に短い文章を書き、その国の切手を貼って、日本の家族や友人に向けて送る…普通はそうやっていました。今回のメールは、そのような「絵はがき」と同じような気持ちで受け取りました。送ってくださった方は、私よりも年上の方なので、たぶん同じような気持ちで送ってくださったのではないかと思います。若い方達だと、そのような海外から「絵はがき」を送った経験も、海外からの「絵はがき」を受け取ったという経験もないだろうなと思います。現在であれば、スマホで撮影して、WiFi環境でネットにつながって日本の友達に簡単に送ったり、SNSにアップすることができますから。いただいた写真は、中欧にあるチェコ共和国の首都プラハです。プラハの街のなかを流れるヴルタヴァ川に架かるカレル橋です。橋の欄干には、左右に15体ずつ、彫刻が並んでいます。美しいですね〜。チェコにはまだいったことがありません。いつか、私も行ってみたいと思います。

▪︎行ったことがないのですが、ヴルタヴァ川と聞くと、いろいろ思い出すのです。ヴルタヴァ川は、ドイツ語ではモルダウ川になります。ヴルタヴァではわからなくても、ドイツ語読みの「モルダウ」といえば反応される方も多いのではないかと思います。そうです、チェコ生まれのベドルジハ・スメタナが作曲した「連作交響詩『わが祖国』」の第2曲になります。日本では、合唱曲にもなっています。とても有名です。この連作交響詩は6曲から構成されていますが、この「ヴルタヴァ」が一番有名なのではないかと思います。私自身、大学生のときに、学生オーケストラの最後の定期演奏会の曲のひとつが、このスメタナの「ヴルタヴァ」でした(当時は、モルダウといっていましたが)。思い出深い曲です。

▪︎ところで、スメタナ自身はチェコの作曲家ですが、1824年に生まれた頃、現在のチェコは「オーストリア帝国」の領土でした。また、1884年に満60歳で亡くなったときも「オーストリア=ハンガリー帝国」の領土でした。チェコは、ずっと周辺の国々に支配され続けてきました。第一次世界大戦後、一時、スロバキアと一緒に建国して「チェコスロバキア」として独立しますが、すぐにナチスにより支配され、第二次世界大戦後はソビエト連邦の政治的影響下におかれました。真の意味でチェコが独立したのは、1989年からの「ビロード革命」の後、そして1993年にチェコとスロバキアが平和的に別々の国になってからなのかもしれません。

▪︎スメタナは、音楽史のなかでは国民楽派の先駆者と言われています。それは、スメタナが、単に、チェコやボヘミアの民族音楽を取り入れて作曲したからだけでなく、チェコの国家としての独立を願いつつ、作曲活動に取り組んできたこととも関係しているように思います。このようなスメタナの思いは、「連作交響詩『わが祖国』」の第2曲「ヴルダヴァ」からはストレートに伝わってきます。この曲は、よく知られるように、上流から下流のプラハに向かうのヴルタヴァ川の風景を描写したものです。「モルダウの水源」、「森の狩猟」、「村の結婚式」、「月の光・水の精たちの踊り」、「聖ヨハネの急流」、「モルダウの大河の流れ」という6つの部分から構成されています。このなかでわかりにくいのが、「聖ヨハネの急流」です。

▪︎これは、wikipediaの記事ではありますが、参考になるかもしれません。聖ヨハネは、14世紀ボヘミアの司祭でローマ・カトリック教会の聖人です。当時の支配者であるボヘミア王(ヴァーツラフ4世)と対立し、拷問の末に亡くなり、遺体はカレル橋の上から投げ捨てられたといわれています。遺体はヴルタヴァ川で発見され、プラハの教会のなかにある墓に埋葬されました。wikipediaには、「ボヘミアの守護聖人で、チェコ・ドイツ・オーストリア・ポーランドなどに関連する教会や聖人像がある。聴罪司祭をはじめとした聖職者や水難からの庇護者として船員や橋の守護聖人としても崇敬されている」と解説してあります。そのような史実があるせいでしょうか、プラハの街からすると上流になりますが、ヴルタヴァ川が蛇行するあたりを「聖ヨハネの急流」と呼んでいたようなのです(現在はダム湖のなかに沈んでいるようなのですが…参考となるデータがあまりなく、不正確な話しではありますが…)。聖人の殉教、「わが祖国」チェコを流れる大河ヴルタヴァ川、そして隣国に支配され続けた歴史…、これらはどこかでつながってくるような気もします。

▪︎もし、プラハに行くことができるのならば、事前にいろいろ学習して知識をもっておくことが必要でしょうね。そうすることで、単に美しい街の風景を楽しむだけでなく、その美しい風景のなかにある奥行きや陰影が見えてくるはずです。自分自身のことを思うに、中欧や東欧の歴史や文化について、教養が足りないと思います(悲しいけれど…)。これは、昨年、北欧のノルウェーに行ったときにも思いました。考えてみれば、若い頃に世界史で学んだエリアには偏りがありましたね。もっとも、もちろんのことですが、美味しいことで有名なチェコのビールについては、すぐにでも深く楽しめると思います。

【追記】▪︎以下は、プラハ関係のメモ。
阿部賢一さんに聞く「生誕100年フラバルとチェコ文学の魅力」前編
阿部賢一さんに聞く「生誕100年フラバルとチェコ文学の魅力」後編

かかしづくり教室

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20150826mitubati2.jpg ■今日の午前中、「北船路米づくり研究会」が主催する「かかしづくり教室」が、大津市観音寺にある「みつばち保育園」で開催されました。今日の教室では、保育園児さんたちと研究会のゼミ生たちが一緒になって、15体の案山子をつくりました。8月30日(日)に北船路で開催される第4回「かかし祭」のさいには、ゼミ生が作成した案山子も加えて、イベントのシンボルとして、棚田のてっぺんにずらりと案山子が飾られることになっています。これまでのエントリーにも書いてきたように、「みつばち保育園」では、地産地消や食育に非常に熱心に取り組まれています。園の給食のご飯も、北船路で生産した環境こだわり米を使っておられます。また、北船路に園児さんたちが田植えや芋ほりに来られるときは、学生たちがサポートをしています。そのようなご縁から、私たちの「かかし祭」にも積極的にご参加くださっています。

■今日は、8時45分に浜大津駅に集合し、そこから保育園まで徒歩で移動しました。9時からミーティングと準備を開始し、「かかしづくり教室」は10時から始めました。園児さんたちには、いらなくなったシャツに手形スタンプを押してもらいました。また、好きな絵を描いてもらいました。さらしの布に、顔も描いてもらいました。その「シャツ」と「顔」を、あらかじめ指導農家の吹野藤代次さんが製作してくださった案山子の躯体に着せていくのです。躯体は、竹を十文字に縛り、そこに藁をまきつけたものです。シャツは「着せる」ですが、さらしの布に描いた顔は、藁の胴体に巻いて「縛る」…という感じでしょうか。頭には、防止をかぶせます。

■トップの写真は、案山子の役割や、案山子の作り方について説明をしているところです。園児さんに理解してもらおうと思うと、なかなか大変です。わかりやすい言葉を使っているつもりでも、それは園児さんには理解できない大人の言葉だったりします。難しいですね~。「かかしづくり教室」は、年少さん、年中さん、年長さんごとに、それぞれ20分~30分程度の時間で行いました。中段の写真は、年中さんが、案山子に着せるシャツに絵を描いているところです。すでに手形スタンプは押してあります。園児さんを優しく指導しているのが、私とペアを組んでくれたI君です。最後(下)の写真は、「かかしつづくり教室」が終わったあと、園児さんたちが「ありがとうございました」と学生たちに御礼をしているところですね。こちらこそ、「ありがとうございます」なんですが。園児さんたちを指導しながら、学生たちは、いろいろ戸惑うところもありながらも、社会学部生としては普段経験することのできない、そういう意味で有意義な体験ができたように思いました。みなさん、ご苦労様でした。さて、いよいよ第4回「かかし祭」の本番です。

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仰木の棚田

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■昨日は、プライベートな用事があり、妻とともに滋賀に出かけました。たまたま、昨日は自家用車で向かいました。大津市の仰木の近くを通ったとき、「そうだ、全国的にも有名な『仰木の棚田』を見学してみよう」と思い立ちました。「仰木の棚田」を見学するのはひさしぶりでした。龍谷大学に赴任した頃ですから10年程前のことでしょうか、山に戻ってしまった山奥の棚田を復元する作業のボランティアだったかと思います。現在、仰木ではボランティアを受け入れた棚田の保全活動が行われているようですが、当時は、まだ模索段階だったかたと思います。

■その前にも「仰木の棚田」を訪問したことがあります。それは、今から20数年程前のことになろうかと思います。当時、私は滋賀県立琵琶湖博物館の開設準備室に勤務していました。仕事の関係でお知り合いになった、昆虫写真家の今森光彦さんとご一緒させていただきました。仰木には今森さんのアトリエがあるのですが、そこにもお邪魔しました。おそらく、仰木の棚田と人びとの暮らしを写した写真集『里山物語』(木村伊兵衛賞受賞)が出版された頃だったかと思います。今森さんとは、仰木のお隣の伊香立の方にもでかけました。懐かしい思い出です。そのようなことも思い出しながら、おぼろげな記憶を頼りに棚田の狭い道を走りました。

■「仰木の棚田」は、琵琶湖の湖岸からの傾斜地をあがったところの丘陵地にあります。丘陵地の高低差によりそうようにひろがっています。棚田の境目には樹や樹の茂みもみられて、独特の美しさを感じさせます。遠くには、かすかに琵琶湖を望むこともできます。昨日は、台風のせいで雲が垂れ込めていました。青空のときとはまた異なる、棚田の風景は不思議な魅力を放っていました。今森さんの写真集で全国的に有名になった「馬蹄形の棚田」も、もちろん健在でした。仰木の棚田は、丘陵部だけでなく、山の谷筋のかなり奥の方までも続いています。かなり奥の棚田でも、きちんと耕作がなされ、稲が成長していました。同行してくれた妻が、そのような棚田を眺めながら「こんな奥までどういう人が耕しているんやろね」とつぶやくようにいっていました。こんな山奥の棚田だと作業が非常に大変だろうな…という思いから出たつぶやきなのでしょう。私自身も、立派に手入れをされていることに驚きました。

能勢電鉄

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▪︎老母の生活介護の日でした。今日も能勢電鉄に乗りました。

再掲「川・霧・地震・水・竹―ウイスキーの背景―」(2008/11/4)

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▪︎大学の本部のある深草キャンパスの近くに、「軍人湯」という銭湯があります。まだいったことはありませんが、その名前が気になっています。伏見区の深草には、「大日本帝国陸軍第十六師団」が存在していました。この十六師団の練兵場の跡地は、現在、龍谷大学の深草キャンバスと京都府警警察学校になっています。そういうわけで、龍谷大学の周囲の伏見区の深草界隈は軍事的なエリアでもありましたて。さて、「軍人湯」ですが、京阪の駅としては藤森駅の近くになります。かつて、この銭湯の周囲には兵舎が並んでいたてことから、このような銭湯の名前になっていようなのです。興味深いですね。大学のある伏見区、深草界隈の近現代の歴史について、もっと勉強してみたいと常々思っています。

▪︎さて、この「軍人湯」に関して短い投稿をfacebookにしたのですが、すると同僚の先生からコメントをいただきました。「銭湯も京都名物のようですね。京都通の旅行者によると『地下からくみ上げた水がまろやか』なんですって」。それに対して、「しかも京都の地下は、巨大な水瓶ですからね‼︎」とお返事しました。そうなんです。京都は地下水が豊富なんです。そうリプライさせていただいたとき、現在は「塩漬け状態」になって更新が停止しているブログに、「川・霧・地震・水・竹―ウイスキーの背景―」という記事を投稿していたことを思い出しました。2008年11月4日に投稿したものですから、もう7年近く昔のことになりますね。せっかくですから、その記事をここに掲載することにしました。以下が、その記事です。本文中に登場する「ryotaさん」とは、当時の私のブログにいつもコメントをくださっていた方です。いろいろ深い見識をお持ちの方で、私自身、ryotaさんのコメントをいつも楽しみにしていました。

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■少し前のことになりますが、エントリー「サントリー・オールド」(2008/10/19)に、ryotaさんから今回は以下のようなコメントをいただきました。ryotaさんは、このブログが扱う、かなり広い意味での「環境」の話題に対して、いつも前向きにコメントをくださいます。
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「名酒がつくられる場所は人間にとっても気持ちのいい場所なのだろうか?というテーマだと各地の酒蔵を巡ったりして楽しく追求できそうだなと想像しています。」

「『アースダイバー』ふうにみると、『山崎』というのは天王山の『崎』、三川合流に臨んだ『サッ』に位置する特別な場所といえるのかもしれません。」
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■いただいた2つのコメントのうち、前者については、中国でいうところの「気」の問題とも深く関係していると思いますし、このテーマでアースダイビングしてみると、飲兵衛の私のばあい趣味と実益(という趣味)をかねていて大いに結構ということになるのですが、悲しいことに、そのアプローチを深めていくだけの知識や教養がありません(アースダイビングについては、ちょっと読むのが大変かもしれませんが、こちらをご覧ください)。後者については、「あっ…」と、ちょっと驚きました。山崎は、天王山という山の先っちょ、ということですよね。う~ん、そうか。このブログで、ずいぶんアースダイビングなんて書いてきたにもかかわらず、私には、そういう発想がありませんでした。ryotaさんからいただいたコメントに、真正面からお応えすることができないわけですが、それでも、非力なりに少しだけ書いてみたいなという気持ちになりました。サントリー・オールドの背景について書いてみることにしました。

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■上の画像をご覧ください。トップの写真に、少しばかり知名等を入れてみました。ここは、桂川、宇治川、木津川の3つの河川が合流する三川合流地点です。この三川合流地点あたりの北西(左上)には天王山が、そして南西(右下)には男山があります。天王山については、Wikipediaでは、次のように解説しています。
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京都盆地の西辺となる西山山系の南端に位置し、東の男山とのあいだで地峡を形成する。この地峡には、桂川・宇治川・木津川が合流して淀川となる川の流れに沿って、右岸にJR京都線(東海道本線)、東海道新幹線、阪急京都線、国道171号(旧西国街道)が、左岸に京阪本線、旧国道1号(現・府道13号京都守口線、旧京街道)と、かつて水上交通路であった川筋をふくめて、近畿最大の大動脈である京阪間のほぼ全ての交通路が含まれる。また、その京都府側では名神高速道路の大山崎JCT/ICがあり、名神高速道路のバイパス機能を持つ京滋バイパスが宇治・滋賀(名神瀬田東JCT)方面へ分岐する。

また、当地は、豊富な地下水に恵まれており、南麓の大阪府側にサントリー山崎蒸留所が所在することでも有名。関西地方では名神高速道路の渋滞箇所で有名な天王山トンネルの知名度が高い。
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■この「地峡を形成する」ってとこが、なんだかすごいな~。これまで、地峡だなんて考えたことはありませでしたから…。wakipediaの定義は、「二つの陸塊をつなぎ、水域にはさまれて細長い形状をした陸地」です。地峡といえば、スエズ地峡やパナマ地峡しか頭に浮かびませんでしたから…。この天王山、本能寺の変で織田信長を討った明智光秀と羽柴秀吉が戦った「山崎の戦い」で有名です。スポーツの勝敗の行方に関して、よく天王山という言い方をしますが、ここからきています。といっても、お恥ずかしいお話しですが、そのことを知ったのはずいぶん大人になってから、それもオジサンと呼ばれてもよい年齢になってからでした…。まあ、こんなふうに書いても、ご理解いただけるのは、関西在住の皆さんということになりますから、少し、全体の状況がわかるように、もう一枚画像を用意しました。現在は干拓されましたが、かつて存在した巨椋池のおおよその位置も円で示しておきました。

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■このような地形の特徴をご理解いただいたうえで、次の説明をお読みいただけますでしょうか。以下は、サントリーのサイト内にある「ジャパニーズウイスキー物語 第二話 研鑽が生んだ傑作」にある説明です。
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鳥井信治郎はスコッチ製造法に関する文献から、土地の重要性を学んでいた。良い原酒は良い水が生み、良い熟成は良い自然環境なしにはあり得ない。その確信をもとに、全国の候補地から選ばれたのが京都郊外の山崎だった。
山崎は北に天王山を背負い、対岸の男山をはさんで桂川、宇治川、木津川が合流する。三川の水温が異なる上に、大阪平野と京都盆地が接する、狭まった自然の関門にあるため霧が発生しやすい。この湿潤な気候が貯蔵熟成に好影響を与える。
また千利休の愛した水がある。天王山に広がる竹林の下からは良質な水が湧き出している。利休はこの清水で茶を点て、侘び茶の第一歩を記している。
最終的にはこの水が決め手となった。当時のスコットランドの醸造学の権威、ムーア博士から「山崎の水は、ウイスキーに最適の水」の検査報告を得られた。
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■なるほど~。霧ですか。霧が生みだす湿度がウイスキーの熟成に必要なわけですか。「狭まった自然の関門」、つまり上でみた地峡ですね。それから「三川の水温が異なる」ってところがポイントのようです。調べてみると、霧の発生には、①空気中に凝結核が多い、②水蒸気量が十分である、③空気を冷却する、この3つの条件が必要だといいます。この3つの条件についてはよくわかりますが、三川の水温が違うとどうして霧が発生しやすいのでしょうか。う~ん、わかるようで、ちょっとわからない部分があります…(ちょっと、理解できなくて気持ち悪いのですが…どなたか教えてください…)。まあ、それはともかく、サントリー山崎蒸留所の水野めぐみさんが運営されているブログ「山崎蒸留所ブログ」のエントリー「霧の山崎」で、この霧が発生している状況をご覧いただけます。

■さて、もうひとつは水です。さきほどのサントリーの解説では、「天王山に広がる竹林の下からは良質な水が湧き出している。利休はこの清水で茶を点て、侘び茶の第一歩を記している」とあります。この点についても、少し調べてみました。尾池和夫さんのホームページのエッセーで興味深い記述をみつけました。尾池さんは、京都大学の総長をつとめられた地震学者ですが、俳人でもいらっしゃいます。月刊俳誌「氷室」に、「京都の地球科学」という連載エッセーを、1994年5月からずっと続けておられます。この連載の23番目のエッセー(1996年3月号)「京都の水」です。
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京都の有名な茶席を市の地図に記入すると、それらは南北に三列に並んでいることがわかる。東山の山麓に、北は大原三千院から、銀閣寺の東山殿お茶の井、菊の井、清水寺の南の延命水、東福寺、その南の金湧水まで並ぶのが花折断層系、市中の裏千家、表千家から菊水、芹根井までの列が伏流水、西の天竜寺や西芳寺が西山断層系の水である。
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■う~ん、なるほど。尾池さんの解説を地図に落とすと、上の画像のようになります。黄色が花折断層系、水色が伏流水、ピンクが西山断層系です。じつにはっきりわかります。気になったところを、大変乱暴にまとめると…。
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①「京都の名産である京扇子」

②「原料は竹」

③「竹は活断層の破砕帯や扇状地の補強のために植えられる」。
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それから…
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①「水と地震は深い関係にある」

②「おいしい酒が作られる所は大地震の起こる所である」(伏見の地下水=伏し水)

③「千年から数千年に一度ずれた活断層に沿って岩盤は深くまで破砕されていて、そこを地下水が大量に流れている」

④「天王山麓の山崎蒸留所と千利休の妙喜庵」

⑤「有馬-高槻構造線は、大地震を繰り返し起こしてきた活断層」。
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■いや~、竹と水と酒(伏見の日本酒、山崎のウイスキー)がつながってくるわけですね。サントリーのホームページのなかで、作家・椎名誠さんの「シングルモルトウイスキーの旅」というタイトルのエッセーを読むことができます。その第5回目は「山崎 勇躍編」です。ここにも竹のことが登場します。椎名さんは、山崎蒸留所の裏山を登ったときのことをレポートされています。その最後には、「山崎峡は昔から豊富な竹林に覆われて、これが良質の水を蓄えていた。その湧水がうまいウイスキーのもとになる」と書かれています。しかし、尾池さんの説明によれば、竹が良質の水を蓄えてきたというよりも、「竹は活断層の破砕帯や扇状地の補強のために植えられ」たのであり、「活断層に沿って岩盤は深くまで破砕されていて、そこを地下水が大量に流れている」ということになります。なるほど~。勉強になります。冒頭に書きましたように、ryotaさんからいただいたコメントとうまく結び付けてエントリーすることはできませんでしたが、個人的には、いろいろ勉強になりました。そういう意味で、ryotaさんに感謝、です。

■このような話題は、社会学とはまったく関係のないことであり、地理学や地学等の話題になってくるわけですが、私自身は、それぞれの地域の社会を特徴づけているこのよう制約条件は、環境社会学の枠組みのなかで考えていることともつながっていると思っています。近代社会は、このような環境がもつ制約条件を制御する方向で展開してきました。実際には、「制御できている」と思い込む方向で…という方が、より正確かもしれませんね。そして、近代社会から生まれた社会学も、このような制約条件を無視しがちです。しかし、環境の研究を進めていると、普段は無視している/気が付かないそのような制約条件を、強く意識せざるを得ないことがたびたびおこります。

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