京阪・浜大津駅の絵

20141028ohtani.jpg■京阪浜大津駅の改札口を抜けたところに、このような絵が飾ってありました。寄贈されたもののようです。場所は、京津線の「大谷駅」とのことです。絵画のことはよくわかませんが、なにか惹かれるものがあり、iPhone5で写真を撮ってみました。なにか、寂しい雰囲気の女性らしき方がホームのベンチに座っておられます。電車が来ているのに、どうしたのでしょうね。疲れて立ち上がれないのかも…なんて想像をしてしまいました(ちょっと写真のピントもボケていますね、すみません)。

■列車ですが、京都市営地下鉄まで乗り入れている800系ですね。京津線は、地下鉄区間と併用軌道(路面電車)区間を直通する車両です。日本でここだけです。しかも、急勾配、急カーブも多いことから、かなりの費用と技術を投入されている列車なのだそうです。

瀬田キャンパスの紅葉

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■瀬田キャンパスの紅葉も、だいぶ本格的になってきました。急に気温が下がってきたことも影響しているのでしょうか。それとも樹種によって紅葉の進み方が違うのでしょうか…。まわりの森林と比較して、キャンパス内部の樹々の紅葉は少し早いような気がします。

街の記憶を保存すること

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■社会学科の「社会調査入門」の授業は、火曜日の1限に開講されています。今日は、その「社会調査入門」の授業の1コマが、「大津エンパワねっと」の「大学と地域をつなぐ特別講義Ⅱ」にあてられました。ゲストは、大津市歴史博物館で学芸員をされている木津勝先生です。講義いただいた内容は、「街の記憶を保存すること」です。

■博物館は、実物資料を保存するとともに、これらの資料をもとに研究・展示・社会教育活動をおこなっていく研究機関です。そのような博物館の実物資料は、じつに様々な範囲におよびますが、木津先生が担当されているのは近現代の写真・古写真です。それらの写真を使って、様々な企画展を開催されてきました。今日は、そのような企画展を実施するなかで経験されたことを中心にお話しいただきました。以下は、先生が用意されたレジュメと実際のお話しをもとにしていますが、木津先生からいただいた刺激をもとに、自分なりの解釈や説明も加えています。特に、プライベート「記憶」とハプリックな「記憶」に関する部分がそうです。木津先生のお考えとずれているかしれません。

【事例1:ニコニコ動画】滋賀県の湖西地域には、JR(旧・国鉄)の湖西線が開通するまで、「江若鉄道」という私鉄が走っていました。1969年に全線が廃止されました。この「江若鉄道」が廃止になるさい、最後の姿を記録された方がおられます。今だとビデオカメラということになりますが、当時は8mmフィルムでした。博物館ではその貴重な8mmフィルムをもとにDVDを製作されました。「ありし日の江若鉄道」という企画展ではそのDVDを販売されました(私も持っています)。ところが、著作権法的に問題があるにもかかわらず、DVDを買った人が「ニコニコ動画」にこのDVDの内容をアップされたのだそうです。ニコニコ動画の特徴は、ユーザーが配信される動画にコメントを投稿できることにあります。「ありし日の江若鉄道」にも、これを視た方達からたくさんのコメントが寄せられました。過去の8mmを通して、多くの人びとがコメントの投稿を通して交流することになったのです。しかも、「江若鉄道」を知っている人だけでなく、廃止後に生まれた若い人たちも含めて、多くの方たちがコメントを寄せられたのです。通常であれば抗議することになるのでしょうが、木津先生はそのまま置いておいたのだそうです。プライベートな記録(8mm)が、「ニコニコ動画」というパブリックなネット空間のなかで、別の意味合いを帯びてくることになったわけですね。おそらく、木津先生のなかでは、この瞬間に何か閃かれるものがあったのかもしれまん。

【事例2:企画展「ありし日の江若鉄道」】企画展「ありし日の江若鉄道」では、思い出写真とコメント提供の事前募集をされました。写真とそれにまつわる思い出を募集されたのです。「参加型」の企画展です。そして展覧会の会場内には、「思い出目メモ」という壁に来館者が思い出した記憶を貼付けるコーナーも設けられました。そのような思い出は、博物館の公式サイトで読むことができます。以下のリンクをご覧ください。多くの人がもっているプライベートな断片的な「記憶」が、展示を通して「街の記憶」として形になっていったわけです。
第14回 企画展に寄せられた江若鉄道の思い出

20141028kioku.jpg 【事例3:大津百町大写真展】この企画展「ありし日の江若鉄道」のあと、木津先生は「大津百町代写真展」を担当されました。この写真展では、来館者の皆さんが、自分が知っている写真(風景や出来事の写真)にたくさんのコメントを残されました。この企画展でも、多くの人びとのなかに眠っているプライベートな断片的な「記憶」が引き出され、それらがパブリックな企画展という空間のなかで重なり合っていきました。1枚の写真資料に、多くの皆さんの「記憶」を重ね合わせていくことで、写真資料が厚みを帯びていきます。活かされていきます。通常の博物館の展示では、解説するのは博物館の側ですが、この写真展では、来館者から博物館側が教えてもらうこともありました。来館者の方が、写真が写っているその時代のその場所のことについてよくご存知だからです。このような「水平方向」のやり取りを積み重ねていくなかで、結果として、みんなで考えながら「街の記憶を保存していくこと」につながっていくのです。

【事例4:オールドオーツ『物語の誕生』】「大津百町大写真展「大津百町第博覧会」等とともに開催された「オールドオーツ『物語の誕生』では、家庭にあるアルバムの写真から、インタビュアーが当時の思い出を聞く…という形で展示用のパネルが作成されました。通常であれば、家庭用のアルバムの写真は、プライベートな領域に属するものです。それをあえて博物館の展覧会というはパブリックな空間に展示することにより、多くの人びとの共感を生み出します。あるいは、自分のなかに眠っていた記憶を呼び戻すことにもつながっていきます。また、写真資料は見る人によって、受け取る意味が違ってきます。それは、写真がたくさんの情報量をもっているからです。見る人によって写真から得られる情報は、じつに様々なのです。家庭に眠っていた写真がパブリックな空間である写真展で写真資料となり、多くの人びとがかかわることのなかで、写真資料のもっている多様な情報が引き出されていくのです。この点は、事例3と同様です。

【事例5:証言VTRでたどる百町むかしがたり(いまきいとき隊)】街の高齢者の方たちから当時の聞取り、文章やコメント文字ではなく、その方の生の声と表情までを記録することを目指した活動です。文字では伝わらないことまで、動画は伝えることができます。今日の授業で拝見した動画では、以下のようなエピソードを登場された方たちが話されていました。かつて浜大津港に停泊していた観光船「玻璃丸」の周りで泳いだという記憶です。もちろん、法律的には遊泳禁止だったのですが、当時の子ども達は泳いだというのです。泳ぎながら、船から出る油に頭をつっこんでしまいべとべとになったとか、泳ぎの達者の人たちが観光船の船底を潜ってくぐったとか…。

■木津先生が5つの事例で示された「記憶」は、大文字の「歴史」のなかでは語られることがありません。小さな断片的なエピソードばかりです。しかし、この街に暮らす人びとにとっては、それらはとても大切なものなのです。写真、そして動画を通して、多くの人びとの内に眠っている「記憶」(プライベートな「記憶」)が、ハプリックな空間のなかで少しずつ「つながり」ながら(パブリックな「記憶」群)、「街の記憶を保存すること」につながっていくのです。以上の「街の記憶論」については、もっときちんと整理し、別のエントリーで自分の考えをまとめてみたいと思っています。

大津市パワーアップ・市民活動応援事業「中間報告会」

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■本日、大津市パワーアップ・市民活動応援事業「中間報告会」が、大津市役所で開催されました。「北船路米づくり研究会」からは、4年生2人(鶴井志帆さんと冨田幸代さん)と3年生1人(小林風花さん)が報告しました。また、報告の応援にも2人(小西 悠介くんと渡邊悠椰くん)の3年生が駆けつけました。事前に準備をきちんとして「中間報告」にのぞんだこともあって、無事に報告を終えることができました。審査委員の皆さんからも、好意的な質問や評価をたくさんいただくことができました。今年度の後半も、予定とおり事業を実施していければと思います。

■委員会の質問は記憶する限り、以下のようなものでした。
・学生が、生産者から地域へのフローをつくってこられた。どういう経験をスキルを獲得したのか?
・おもしろい事業だ。「龍大米」、「龍大芋」、商標登録をしてブランディングしていく予定は?
・学生が生産者と消費者の媒体役になっている。非常におもしろいことだ。パワーポイントの画像のかなで、日本酒にかかわっている県内の他大学と交流していた。他大学の取り組みで、参考になったことはなにか?
・非常に楽しい事業だ。特に、北船路の皆さんが学生をむかえて、どのように反応をされているのか?

■報告会のあとは、別室に移動し、意見交換会が開催されました。別室に移動するときに、1人の学生と一緒に話しをしましたが、審査委員の皆さんからの鋭い質問に「緊張感がありますね…」と驚いていました。申請書を書いて、プレゼンテーションをして、審査を受けて、助成金をいただき、中間報告をして…という一連の活動に参加すること自体が、学生にとっては大きく成長していくチャンスになるのではないかと思います。もちろん、地域のなかで、地域の人びと一緒に課題を共有し、その課題解決のための活動に取り組み、その取り組みから生まれた成果を共有していく等、活動のプロセスや実質性が大切なのですが、こういう助成に応募することは、活動資金の獲得ということを超えて、そのような活動の実質性を担保するうえでも重要ことなのかなと思っています。

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20141028otsu3.jpg ■意見交換会の様子です。「北船路米づくり研究会」のメンバーたちは、「お野菜大学」という取組をされているFくん(理工学部4年生、「お野菜大学」学長)と一緒のテーブルでした。両グループとも、「パワーアップ・市民活動応援事業」の「学生部門」でエントリーしたからです。左上の写真。中間報告をおこなった7団体は、お互いに他の団体の報告を聞いたうえで、「ここがこの活動のすてきなたころだ」と評価できる点や、「こうしたらもっと素晴らしくなるよ」ということに関して短いコメントをポストイットカードに書込み、それぞれのグループのテーブルの上の模造紙に貼付けていきました。そのコメントを読んだ上で、それぞれのテーブルでディスカッションが始まりました。「学生部門」のテーブルでは、審査委員の方や、市役所の自治協働課の職員の方たちの「まちづくり」への熱い思いに、やや圧倒され気味ではありましたが、良い刺激を受けることができたのではないかと思います。最後は、そのディスカッションの結果を報告しました。こういった他団体との交流や意見交換は、お互いにとって良い刺激になりますね。私はあくまでオブザーバーですが、拝見していて、そのように思いました。

20141028otsu5.jpg■報告会や意見交換会が終了したあと、学生たちに、「お疲れさま〜。みんなを慰労したいと思うけど、くる?」と聞いたところ、全員が飛びついてきました。ということで、大津駅前の居酒屋「利やん」に移動しました。そこでも、ちょっとびっくりすることが。浜大津駅から「利やん」まで、歩きながら学生と雑談をしていました。そのさい、前日に「大阪マラソン」を完走された原田先生のことを話題にしていました。なんと、「利やん」にいくとその原田先生がおられたのです。びっくりですね〜。フルマラソンを完走されて、お酒を解禁にされたようです。しかも、もうひとつ、びっくりすることが。

■原田先生が帰宅されたあと、入ってこられたグループが、中間報告をした4年生Tさんの内定先の企業の方たちでした。これには、Tさん本人もびっくりです。じつは、この会社には、龍谷大学を卒業された先輩Nさんが入社されています。しかも、この先輩は大津エンパワねっと1期生(内定をいただいているTさんは5期生)。Nさんは、時々、職場の皆さんと「利やん」に来られているので、Tさんには「入社したら、君もきっとこの店にたびたび来ることになるで〜」といっていたのです。するとそのすぐあとに、Tさんの内定先の方たちがお店に入ってこられた…というわけです。いろいろありますね〜。写真は、瀬田方面に帰宅する3年生のKさんです。ちょっと寒そうです。

【追記】■Tさんが内定をいただいた企業の皆さんと名刺交換をしました。Tさんをよろしくお願いいたしますというゼミ教員としての気持ちも込めて、皆様に御礼のメールを送らせていただいたところ、お返事をいただけました。そのお返事のなかには、「地域との連携に注力されておられ、Tさんには今の活動を通じて、色んな経験をされて入社されて来られるんだなとうらやましい気持ちになりました」と書いておられました。「北船路米づくり研究会」に関わらず、「大津エンパワねっと」においても、「私たちの学生時代は、このような活動なんてなかった。今の学生さんたちが羨ましい」ということを、しばしば言っていただきます。いずれも社会人の皆さんからのコメントですが、学生時代に、地域連携のなかでいろんな経験をしておくことが大切だ、将来その経験がきっと役に立つ…と皆さん思っておられるのです。学生の皆さんには、そのことをぜひ知ってほしいと思います。

脇田ゼミ8期生・米研2期生の同窓会

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■少し前のことになりますが、「北船路米づくり研究会」2期生、脇田ゼミ8期生の学年が、指導農家である吹野さんのお宅に集まって同窓会をもちました。出張や出勤のため、集まったのは6名。社会人になって2年目の皆さんです。私自身は別用があり、残念ながら参加できませんでしたが、こうやって写真を送ってくれました。

■日本の農村地域には、「親子関係でない者が,命名・成人・結婚などの機会に仮の親子関係を取り結ぶこと」があり、それを「親子成り」と呼びます(擬制的親子関係)。実の親とは別に、社会的に若者を支えていく年長者が後見人になっていく仕組みですが、学生たちと吹野さんとの関係は、そのような伝統的な「親子成り」の関係に少し似ているような気がしました。吹野さん、いつもありがとうございます。

■2期生は、現在、「北船路米づくり研究会」の活動の基盤となっている「北船路野菜市」と「かかし祭」を立ち上げた学年です。後輩たちは、2期生の成果を発展させていっています。

第4回「大阪マラソン」の応援

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■昨日は、第4回「大阪マラソン」でした。私は、第3回の大会で出走しました。そのときに、私のランを私の家族と一緒に応援してくださった同僚の原田先生が、今回は出走されました(私は抽選に落ちました…)。ということで、昨年の恩返し、原田先生のお友達の皆さん一緒に応援をさせていただくことにしました。昨日は快晴でした。マラソンにはうってつけの…と書きたいところなのですが、ぐんぐん気温があがり、マラソン向きのコンディションではなくなってしまいました。原田先生は、そのようなコンディションにもかかわらず、目標の時間を達成して完走されました。おめでとうございます。

■以前の原田先生しかご存知ない方は、ずいぶん痩せた原田先生に驚かれるかもしれません。マラソンの練習で体を絞り込まれたのです。好きなお酒も極力控え、ここしばらくは、月に200kmの距離を走ってこられました。今回の出走では、練習中に発症した足裏の痛みが影響したようですし、驚いたことに昨日は風邪で発熱されていたのだそうです。体調も良くないなかでの完走です。すばらしいです。

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■当日は、大阪マラソンのコースの4箇所の沿道で移動しながら応援をしました。まずは、10kmに近い天満場橋のそばで。次に、22km手前の難波の交差点近くで。そして、30km手前の玉出で。最後は、ラスト1km近くの陸橋の上から。この4枚の写真は、30km地点のあたりで撮ったものです。

■地下鉄玉出の駅から地上に出たところにあるマクドナルド。「店長マラソン出場記念 本日かぎり」と看板が出ています。面白いですね〜。この気さくさというか、ユーモアのセンスは、さすが大阪ですね〜(実際に商品の値段が下がっていたようです)。このあたりは、沿道の人たちが、一生懸命、走っている人たちに声をかけておられました。今年からなのかその辺りのことはよくわかりませんが、ゼッケンにご自身のニックネームが書かれているランナーが多数おられました。沿道の皆さんは、その名前をみて応援されるのです。ゼッケンに「○○」とニックネームが書いてあると、「○○ちゃん、がんばって〜。かわいいし、最後まで走れるで〜」と叫ぶわけです。すると、○○ちゃんは嬉しくなって応援してくださる人たちに「ありがとう」といって手を振るのです。こういう沿道の「応援の連鎖」が、市民ランナーをゴールまで引っ張ってくれるのかもしれません。「スプレーもあるよ〜」とも叫んでおられる人もいました。足を痛めたランナーが脹脛にスプレーをかけてあげているのです。これは、ありがたいですね。

■仮装して走る人もいました。そのような仮装の割合が例年と比べて、また他の大会と比べて多いのか少ないのか、そのあたりのことはわかりませんが、仮装は沿道で応援する人たちを楽しませてくれます。天満橋あたりで驚いたのは、「新郎新婦の格好」をしてペアで走っている人がいました。新郎はタキシード、新婦はもちろんウエディングドレスです。足元はジョギングシューズでしたが。ゴールまでちゃんと走られたのでしょうか…。本当にゴール後に結婚…なのかもしれません。スーツ姿で黒い鞄を右手にさげた方も走っておられました。沿道から、「がんばれサラリーマン」と声援がとんでいました。頭に通天閣を乗せて走る人、「くいだおれ」のマスコットキャラクター「くいだおれ太郎」の格好で走る人、大阪らしい人たちも多数おられました。私がびっくりしたのは、お笑いコンビ「日本エレキテル連合」の橋本小雪が演じる「あけみちゃん」の格好をした女性2人組です。「あけみちゃ〜ん」と声がかかると、「だめよ〜、だめだめ」と応じてくださるのです(写真)。これには、沿道も爆笑です。

■さてこの30km地点で、原田先生はまだか…と心配していると、少しペースが落ち始めた原田先生がやってこられました。ご友人たちが用意したお手製の看板をもたされて記念写真です。笑顔ですね。まだ、余力があります。フルマラソンは、30kmを過ぎてからゴールまでが一番苦しい。いや、もう本当に、苦しいのです。

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■ゴールまであと1km…の地点を少しすぎたあたりに陸橋があります。私は、その陸橋の上で、応援の旗をふりながら原田先生の到着を待ち続けました。かなりペースを落としてはおられますが、原田先生から私のiPhoneの携帯電話に連絡が入りました。声はお元気そうでした。もっとも、たくさんの人が走っているので、原田先生がどこを走っておられるのかわかりませんでした。すると、陸橋の下から「わきたさ〜ん」と声が。原田先生です。そこで、私も残り1kmを伴走させていただくことにしました。伴走といっても歩道を走るだけですけど…。3枚の写真の一番右の車線の切れたところで、白い帽子に赤っぽいシャツを着ているランナーが原田先生です。疲れて少し歩いておられたので、「せんせ〜走って〜、あと少し」と声援を送ったところ、「はしりたいのだけどね〜」と反応が。やはり、かなり疲れておられたのですね。私も昨年走っているので、よくわかります。きついです。苦しいです。でも、最後は走りきって無事にゴールされました。

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■このエントリーのトップの写真は、ゴール後の原田先生です。満足された表情をされていますね。ゴール地点の会場であるインテックス大阪のあちこちで、完走された方達が「FINISHER」と書かれた記念のタオルをひろげて写真を撮っておられました。どの方も、「やり遂げた!!」という充実感で胸がいっぱいなのでしょう。今回気がつきましたが、台湾から参加されているランナーの方達がたくさんおられました。観光も兼ねて走っておられるのでしょう。私は、カジノなんかで有名になるよりも、こういうスポーツ大会で大阪がさらに有名になってもらいたいと思うのですが…。それはともかく、この記念写真の後、梅田に移動しました。一緒に応援をしたご友人の皆さんや原田先生の奥様と一緒に、完走を祝っての小宴を持ちました。充実した一日でした。次回は、応援「される」側になって、つまりランナーになって走りたいです。やはり…。そのためには、抽選に当たらなければなりません。これが難しいのです。

第31 回「北船路野菜市」

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■本日は、第31回「北船路米づくり研究会」でした。2011年の9月に始まった「北船路野菜市」ですが、夏野菜と秋・冬野菜の生産の端境期である4月と9月や、特別な事情があって休んだときを除いて、先輩から後輩へと引き継ぎながら毎月1回、第3土曜日に開催してきました。今年の6月からは、「(株)まちづくり大津」さんや「中心市街地活性化協議会」さんのお誘いで、第4土曜日に開催される「大津百町市」のなかで開催させていただけるようになりました。31回続けてくることができたのも、じつに多くの皆さんのおかげです。本当にありがとうございます。

■今年の6月には、「北船路野菜市」はリニューアルしました。野菜については、北船路の協力農家の皆さんに出荷していただいていますが、リニューアルにともない、それぞれの農家の方専用のカゴを用意し、そこに「農家さんカード」を取り付け、どのような思いで生産されているのかをより消費者の皆さんに伝えられるようにしました。「生産者と消費者の顔の見える関係」をより太くしていくための学生たちのアイデアです。また、北船路での農作業の様子をお伝えすることや、美味しい料理の仕方などの情報についても提供できるようにしました。これも学生たちのアイデアです。少し、店先が洗練された感じになってきました。

■今回は、研究会で生産した「龍大米」(コシヒカリ)と「龍大芋」(サトイモ)も販売させていただきました。「龍大米」については、京都や大津の飲食店で使っていただいていますが、今日は、そのようなお店に「龍大芋」も配達させていただきました。大津の中心市街地にある居酒屋「利やん」さんと、懐石料理「魚忠」さんに、「龍大芋」をお届けしました。実際に、お店に出す料理に使っていただきます。北船路の棚田は、里芋の生産に適しているようで、ねばりがあり、煮崩れのしない、美味しい里芋ができます。そのことを評価してただきました。少しずつですが、研究会の活動の成果が生まれてきました。

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■今日は、素敵なコラボもおこなわれました。滋賀の食材をつかった石釜ピザを販売される「Ishigama」さんが、「北船路野菜市」の横のスペースで、焼きたてのピザの出張販売をされました。大津百町館のなかに臨時の石釜を設営されてピザを焼く作業をされていました。こちらは、今年中に、「地域食財(特産)」×「石窯ピザ」により、大津の商店街の裏道にある隠れ家的な石窯ピザ屋を開店させようと頑張っておられる方達です。今回は、北船路の野菜(ジャガイモとタマネギ)を使っていただきました。ありがとうございます。今後とも、「ishigama」さんとは、良い連携ができればと思っています。写真の最後ですが、「北船路米づくり研究会」の活動のためにスペースを提供してくださっている「大津百町館」(大津の町家を考える会)の雨森さんです。焼きたてのピザ、そして同時に発売されたスパークリングワインで上機嫌にされているところです。美味しそうだ。

『小さく、低く、ゆっくりと』(アン・ドヒョン 安度眩 안도현)

20141024ansohyon.jpg ■10月12日のエントリーは「안도현 (アン・ドヒョン)の詩」でした。안도현 (アン・ドヒョン)、漢字では安度眩と書きます。安度眩さんのことについては、12日のエントリーをお読みいただきたいと思います。今日は、安度眩のエッセー集について。

■『小さく、低く、ゆっくりと』というエッセー集です。2002年11月より西日本新聞に連載されたエッセーをまとめたもののようです。出版社は、福岡市の「書肆侃侃房」(しょしかんかんぼう)です。タイトル、いいですね〜。まだ、読了していませんが、読んでいてこの詩人の特徴がよく理解できるように思いました。彼の詩は、政治や権力と緊張関係をもちながら詩を書いた一世代上の詩人たちとはスタンスが違っています。民主化が進み、「漢江の奇跡」と呼ばれる経済発展を成し遂げた韓国社会で、この詩人は何を感じているのか、私のようなものでもぼんやりと理解できる気がします。

「生物多様性タウンミーティング」

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■昨晩は、「滋賀県生物多様性地域戦略」の策定作業の一環で、大津での「生物多様性タウンミーティング」が開催されました。ぶっつけ本番でファシリテーターをさせていただくことになりました。皆さん、素敵な人たちばかりで、ファシリテーターとしてとても楽しく仕事をさせていただくことができました。いろいろ勉強にもなりました。特に、企業と生物多様生との関わり、生物多様生とその社会的費用について、個別の地域ごとの生物多様生…大切な課題について、いろいろ勉強させていただくことになりました。ありがとうございました。

■ファシリテーターの立場からちょっと残念だったことをいえば、ジェンダーバランスが悪かったことと、あとは年齢構成でしょうか。参加者の皆さんは、年齢40歳代〜50歳代の男性に集中していました。男女の違いや年齢にそれこそ多様生があったほうが、より多様なご意見がお聞きすることができたのかなと思います。このタウンミーティングはどなたでも参加自由ということになっていましたので、当日になるまでどんな方達が参加されるのかはわかりませんでした。とはいえ、こんなことがありました。

■同じ中学の先輩・後輩の関係にあたる方たちがいらっしゃったのです。それがわかったとき「おお、まさにタウンミーテイングや」と思いました。昭和50年代の前半、同じ中学に通っておられたのです。そのことが、みんなで話しをしているあいだにわかってきたのです。しかし、同じ中学に通っておられても、住んでいる地域が違うと琵琶湖に対する印象もぜんぜん違っておられました。面白いな〜と思いました。そのうちのお1人は、魚釣りが好きで、よく魚を釣って食べていたというのです。「学校にいくときに、釣りの道具をもって出かけて、土管のなかに釣り道具をかくしておいて、帰りは道草してその釣り道具で釣りをして帰って、魚臭いので魚釣りをしてきたのがばれて、親に怒られました」とか、「近所に川魚屋さんが何軒かあってのですが、自分で釣ればいくらでもおるのに、なんで魚を買わんとあかんねんと思って釣っていました」とか。こういう過去の経験っておもしろいし、すごく大切だと思います。また、そのような川魚屋さんは、当時、中学生が釣ってきたウナギを500円で買ってくれたというのです。お小遣いかせぎにもなったわけですね。

京阪電車

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■微妙に、ちょっと「キッチュ」なのが、素敵だな〜。

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