『空也上人がいた』

20141103kuya.jpg ■やっと昨日、購入することができました。そして一気に読みました。新井英樹さんの漫画。原作は山田太一さん。これは、山田太一の原作も読んでみなくては…と思いました。原作は、山田さんの小説です。

■登場人物は3人。介護の仕事をやっている27歳の青年。46歳独身のケアマネージャーの女性。81歳の独居老人の男性。ケアマネさんの紹介で、青年が独居老人の介護をする…。単純なストーリーのように思えますが、この3人、それぞれに忘れようとしても忘れられない辛い過去を抱えています。そして、なかなか複雑な関係にあるのです。独居老人はケアマネさんに対して、ケアマネさんは青年に対して密かに恋している…。

■巻末には、新井さんと山田さんの対談が掲載されいました。「人の死を受け止める側のやわらかい過激さがすごい」、「状況が一変したら、我々はまったく違う人間になってしまう」、「老人の最後の性欲が二人を結びつけた」…。読んでよかったと思います。ストーリーのなかで、六波羅蜜寺の空也上人像が登場します。この漫画の底の底のところで、空也上人の存在(その向こうの究極にある阿弥陀仏)が私たち人間の「どうしようもなさ」を優しく包み込んでいるようにも思うのだが、考えすぎでしょうか…。

『小さく、低く、ゆっくりと』(アン・ドヒョン 安度眩 안도현)

20141024ansohyon.jpg ■10月12日のエントリーは「안도현 (アン・ドヒョン)の詩」でした。안도현 (アン・ドヒョン)、漢字では安度眩と書きます。安度眩さんのことについては、12日のエントリーをお読みいただきたいと思います。今日は、安度眩のエッセー集について。

■『小さく、低く、ゆっくりと』というエッセー集です。2002年11月より西日本新聞に連載されたエッセーをまとめたもののようです。出版社は、福岡市の「書肆侃侃房」(しょしかんかんぼう)です。タイトル、いいですね〜。まだ、読了していませんが、読んでいてこの詩人の特徴がよく理解できるように思いました。彼の詩は、政治や権力と緊張関係をもちながら詩を書いた一世代上の詩人たちとはスタンスが違っています。民主化が進み、「漢江の奇跡」と呼ばれる経済発展を成し遂げた韓国社会で、この詩人は何を感じているのか、私のようなものでもぼんやりと理解できる気がします。

漫画『カレチ』

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■facebookで教えていただいた漫画『カレチ』。昭和40年代後半を舞台に、当時の国鉄大阪車掌区に勤務する新米「カレチ(長距離列車に乗務する客扱専務車掌)」の日常を描いた素敵な漫画です。とても内容の濃い漫画です。時々、ウルウル…ってなります。鉄道という合理的な技術システムとそれを動かす独特の仕事感・職業間をもった職員、そしてそこに交叉するのは登場する人びとの多様な人生。そこにドラマが生まれるって感じなんですね。取材も丹念にされているのかな…と思います。

■今の若い人たちには伝わらないかもしれませんが、「仕事ってどういうことなのか」(人は何故に仕事をするのか、人生にとって仕事とは何か…)、「人を鍛える」ってどういうことなのか、「人が成長する」ってどういうことなのか…いろいろ考えさせられます。同年代の皆さん、ぜひお読みください。もし、主人公の荻野カレチが実際に生きておられるとすると、おそらくはもう70歳ぐらいになっておられるのかな…。まだ、第2巻の途中までしか読んでいませんが、第3巻の帯の言葉が気になりますね。「いずれ国鉄のみならず この国全体がこうなっていくんだろうな」。重いです。

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■こちらは、漫画雑誌『モーニング』の公式ページです。ここで、「カレチ」の第一話を楽しむことができます。

【追記1】■「いずれ国鉄のみならず この国全体がこうなっていくんだろうな」と本文の最後に書きました。これは、また改めてエントリーする必要があるのかもしれません。3巻は「昭和50年代前半」の国鉄です。合理化、民営化へと進んで行く時代です。読み進むうちに頭に浮かんできたのは、「JR福知山線脱線事故」のことでした。

【追記2】■この漫画に関連するブログ記事。
理想の鉄道マン、理想の日本人描いた「カレチ」最終章、ついにタブーの<国鉄組合不正>に踏み込む。

『悪童日記』(アゴダ・クリストフ)

20141013akudo2.jpg ■この本は、アゴダ・クリストフ(1935-2011)という作家の『悪童日記』という小説です。自宅の書架にある『悪童日記』の奥付には、1991年初版発行、1994年17版発行となっています。今から23年前に翻訳出版された小説です(購入したのは20年前)。原作は1986年です。原題は「Le Grand Cahier」。「大きな帳面」という意味です。主人公である双子の兄弟が書いた日記、という形式で作品は書かれています。「大きな帳面」が、日記なのです。

■この『悪童日記』、世界的なベストセラーになりました。作者のアゴダ・クリストフは、1956年のハンガリー動乱のさいに西側に亡命し、フランス語圏のスイスに住みながら創作活動をしてきたのだそうです(世界史をまなんだことのない学生の皆さんだと、ハンガリー動乱といってもよくわかりませんよね。ここでは説明できませんので、各自で調べてみてください)。この『悪童日記』は、彼女にとって初めての小説で、しかもフランス語で書かれました。生きることが厳しい母国の状況から逃れ、異国の地に暮らし、母国語以外の言語で小説を書いたわけです。小説家としてのデビューは51歳のときでした。彼女自身、自らの自伝なかで、フランス語で創作活動をすればするほど自分の母国語であるハンガリー語を「殺し続けることになる」と述べているようです。言語というものは、人間にとって、大変大きな存在基盤です。自己を形づくっている基盤です。『悪童日記』を創作することは、大変な苦労だったと思います。といいますか、異国の地で異国の言葉で書き続けることが…といったほうがよいかもしれまれん。しかし、そのような言語的なハンディキャップが、むしろ独特の文体を生み出すことにもつながっているのです。

20141013akudo1.png■ところで、なぜ昔読んだこの小説を自宅の書架からひっぱりだしてきたかというと、この小説が映画化され、10月3日より、全国各地の映画館で上映されているからです。新聞や雑誌等でも、この映画の評判を時々読みます。やはり行ってみたくなるではありませんか。芸術の秋は、いろんなところで素敵な展覧会をやっていますし、困りました。時間が足りません。とりあえず、映画の公式サイトをみてみました。すると、動画が自動的にたちあがりました。背景に流れる曲は、ベートーベンの交響曲7番の2楽章です。どうして、この曲が選ばれているかわかりませんが、深い哀しみを表現したかのような第2楽章とこの『悪童日記』とは、どこかで共振しあうように思います。

■映画のあらすじですが、原作にかなり忠実なようです。映画の公式サイトでは、次のように紹介されています。

第2次世界大戦末期、双子の「僕ら」は、小さな町の祖母の農園に疎開する。粗野で不潔で、人々に「魔女」と呼ばれる老婆の下、過酷な日々が始まった。双子は、生きるための労働を覚え、聖書と辞書だけで学び、様々な“練習”を自らに課すことで肉体と精神を鍛えていく。
そして、目に映った真実だけを克明にノートに記す――。
両親と離れて別世界にやってきた双子の兄弟が、過酷な戦時下を、実体験を頼りに独自の世界観を獲得し、自らの信念に基づきサバイバルしていく。なんとしても強く生き抜く彼らのたくましさは、倫理の枠を超えて見るものを圧倒し、希望の光をも示してくれるだろう。

20141013kristof2.jpeg20141013kristof1.jpeg ■『悪童日記』と、その後に執筆された『ふたりの証拠』『第三の嘘』をあわせて、アゴダ・クリストフの三部作と言われています。すべて、翻訳されて文庫本にもなっています。読んでみようと思います。いろんな方達の感想をプログ記事等で読ませていただくと、この三部作をすべて読むことで、深く納得できる世界が見えてくるようなのです。まだ、読んでいないので、最初からわかってしまうと面白さも半減してしまいそうではありますが…。とはいえ、たとえそういう結末なのだな…と知ったとはいえ、これは読まないわけにはいきませんよね。

20141013kristof3.jpeg 【追記】■もう1冊、まだ読んでいませんが、紹介しておこうと思います。『文盲』(L’analphabète) は、アゴダ・クリストフの「自伝」だそうです。amazonに掲載された出版社が提供した情報は以下の通りです。太字は、自分ために強調したものです。

世界的ベストセラー『悪童日記』の著者が初めて語る、壮絶なる半生。祖国ハンガリーを逃れ難民となり、母語ではない「敵語」で書くことを強いられた、亡命作家の苦悩と葛藤を描く。

「もし自分の国を離れていなかったら、わたしの人生はどんな人生になっていたのだろうか。もっと辛い、もっと貧しい人生になっていただろうと思う。けれども、こんなに孤独ではなく、こんなに心引き裂かれることもなかっただろう。幸せでさえあったかもしれない。
確かだと思うこと、それは、どこにいようと、どんな言語でであろうと、わたしはものを書いただろうということだ。」──本文より

東欧とおぼしき土地で、厳しい戦況を残酷なたくましさで生き抜く双子の「ぼくら」──彼らとそれを取りまく容赦ない現実を、身震いするほど淡々とした文体で描いた世界的ベストセラー『悪童日記』(邦訳1991年)の衝撃は、今なおわたしたちの記憶に新しい。

その驚愕の物語設定や独得の文体はもとより、それがまったく無名のハンガリー人女性の処女作であったこと、小説が書かれたフランス語は〈難民〉だった彼女が20歳を超えてから身につけたものだということなど、著者本人についても大いに注目が集まった。

そんな彼女が、短いながら濃密な自伝を発表した。祖国ハンガリーを逃れ、異国の地で母語ではない〈敵語〉で書くことを強いられた、亡命作家の苦悩と葛藤が鋭い筆致で描かれ、「家族」「言語」「東欧」「難民」「書くということ」について、そして「幸福」について深く考えさせられる。そして、彼女の作品がまさに自身の壮絶な人生から絞り出されたものであることもわかる

「もし自分の国を離れなかったら、わたしの人生はどんな人生になっていたのだろうか。もっと辛い、もっと貧しい人生になっていただろうと思う。けれども、こんなに孤独ではなく、こんなに心引き裂かれることもなかっただろう。幸せでさえあったかもしれない。確かだと思うこと、それは、どこにいようと、どんな言語でであろうと、わたしはものを書いただろうということだ。」(「国外亡命者たち」より)

『野生動物管理システム』(梶光一/土屋俊幸 編)

20141007book.jpeg■私は、これまで「流域管理」の学際的研究に取り組んできました。そのような私が、他の分野の専門家と議論しながら、環境社会学の研究蓄積をベースに、それらを組み立て直し、再構成しつつ、提案してきた概念に「階層化された流域管理」があります。この「階層化された流域管理」の考え方の元になった素朴なスケッチは、脇田(2002:342-351)のなかで示してあります。その後、総合地球環境学研究所のプロジェクト「琵琶湖-淀川水系における流域管理モデルの構築」に取り組むなか、脇田(2005)において「階層化された流域管理」という考え方にまとめることができました。それらは、谷内茂雄・脇田健一・原雄一・中野孝教・陀安一郎・田中拓弥 編(2009)のなかの脇田(2002)で、さらに詳しく説明しています。この「階層化された流域管理」の概念は、研究プロジェクトを統合する「柱」としての役割、そして異なる分野の研究者が相乗りするための「プラットホーム」のような役割を果たしました。

■今回ご紹介する『野生動物管理システム』(2014)は、先月、東京大学出版会から出版されたばかりの研究書です。エゾジカの研究で有名な梶光一さんを中心に実施された研究プロジェクト「統合的な野生動物管理システムの構築」の成果をまとめたものです。本書の「はじめに」では、次のように書かれています。「異なる行政・自治上の階層の統合、異なる空間スケール(ミクロ・メソ・マクロスケール)の統合、社会科学と生態学を統合することによって、深刻な農業被害をもたらしているイノシシに焦点をあてて、統合的な野生動物管理システムの構築を目指した」。このような考え方は、梶さんが「1.3『統合的な野生動物管理システム』の構築に向けて」の中でも述べているように、私たちの流域管理から生まれた「階層化された流域管理」の概念を、野生動物管理へと応用展開しているものなのです。こうやって、流域とは異なるテーマの研究のなかで応用していただけたことは、空間スケールに着目したこの「階層化された流域管理」という概念が、汎用性をもっていることを示しているともいえます。私たちの研究を、きちんと引用し応用展開していただいたことに、心より感謝したいと思います。

■本書の目次は以下の構成になっています。

I 総論編
第1章 野生動物管理の現状と課題(梶 光一)
第2章 地域環境ガバナンスとしての野生動物管理(梶 光一)
第3章 野生動物管理システム研究のコンセプト(梶 光一)

II 実践編
第4章 研究プロセスと調査地(戸田浩人・大橋春香)
第5章 ミクロスケールの管理――集落レベル(桑原考史・角田裕志)
第6章 メソスケールの管理――市町村レベル(大橋春香)
第7章 マクロスケールの管理――隣接県を含む(丸山哲也・齊藤正恵)
第8章 イノシシ管理からみた野生動物管理の現状と課題(大橋春香)
第9章 学際的な野生動物管理システム研究の進め方(中島正裕)

第III部 政策編
第10章 北米とスカンジナビアの野生動物管理――2つのシステム(小池伸介)
第11章 野生動物の食肉流通(田村孝浩)
第12章 統合的な野生動物管理システム(土屋俊幸・梶 光一)

おわりに(土屋俊幸)

■目次のなかにはっきり現れていますが、野生動物の管理をめぐる階層性に注目されていることが理解できます。梶さんは、このように書かれています。

野生動物管理の階層を考えた場合、これらの階層は国、都道府県、市町村、集落といった行政・自治上の単位(階層)に相当する。そこには、様々な行政のほか、農林業、酒量者、NGO、研究者などマルチスケールの階層がかかわっている。これらの野生動物管理にかかわる関係者(アクター)の協働によるボトムアップの取組と管理計画によるトップダウンの調整が必要である。

さらには、野生動物管理に求められている個体数管理、生息地管理、被害防除についても、空間スケールと行政・自治上の単位に関係するので、異なる社会構造における階層間の連携が野生動物管理には不可欠である。問題は、それをどう築き上げるかである。

■このあたりの梶さんの考えかは、テーマは違いますが、私たちの「階層化された流域管理」とも共通する問題意識でもあります。まだ、読了していませんが、現在取り組んでいる流域管理のプロジェクト「生物多様性が駆動する栄養循環と流域圏社会─生態システムの健全性」で、梶さんたちの研究の成果を、こんどは逆に応用展開させていただけるのではないかと思っています。

・脇田健一,2002 ,「住民によ環境実践と合意形成の仕組み」『流域管理のための総合調査マニュアル』京都大学生態学研究センター 未来開拓学術研究推進事業 複合領域6:「アジア地域の環境保全」 和田プロジェクト(JSPA-RFTF97100602)編.
・脇田健一,2005 ,「琵琶湖・農業濁水問題と流域管理―『階層化された流域管理』と公共圏としての流域の創出―」『社会学年報』No.34(東北社会学会).
・谷内茂雄・脇田健一・原雄一・中野孝教・陀安一郎・田中拓弥 編,2009,『流域環境学 流域ガバナンスの理論と実践』和田英太郎 監修,京都大学学術出版会.
・脇田健一,2009,「『階層化された流域管理』とは何か」『流域環境学 流域ガバナンスの理論と実践』和田英太郎 監修/谷内茂雄・脇田健一・原雄一・中野孝教・陀安一郎・田中拓弥 編,京都大学学術出版会.

『フルサトをつくる』(伊藤洋志・pha)

20141001book.jpg ■おもしろいタイトルの本をみつけました。『フルサトをつくる』です。「故郷」ではありません。「フルサト」です。そもそも「故郷」だと「つくる」ものでもありません。そもそも「故郷」は、自分の意志でつくったり選択したりできるものではありません。でも、「故郷」ではなくて「フルサト」なのです。

■タイトルからすれば、いっけんしたところ「ゆるゆる」の本のように思えますが、いや、なかなかどうして。かなりの「本気度」です。「ゆるゆる」の着ぐるみのなかは、意外と…なのです。(本文、続きます)

目次

はじめに―― 21世紀のスーパーディフェンシブ生活体系のすすめ 伊藤洋志
はじめに―― 帰るべき場所は自分でつくろう pha

第1章 フルサトの見つけかた pha
人の縁をたどっていこう /人・環境・交通 /面倒臭くなって行かなくならないためには

第2章 「住む」をつくる  伊藤洋志
「どこに住むか」についての考え方 / 家をどうやって探すのか? フルサトの家確保条件 / 建ててしまってもいい、小屋作戦 / フルサトのきっかけづくりは瞬発力が必要 / 遠くと連携しよう / フルサトを行き来する意義 / 行ったり来たりを無理なくする方法

第3章 「つながり」をつくる pha
「つながり」をつくる /移住者コミュニティがあると楽 / ときどき来る人のネットワーク / ゆるい流動性をつくる /骨は埋めなくていい? /オープンとクローズドのあいだ /「人を集める」と「人を集めない」の使い分け

第4章 「仕事」をつくる――「頼みごと」をつくる 伊藤洋志
フルサトでの「仕事」になる要素 /家計と自給力について 経済は何かが交換されて循環すればよい /古きナリワイをアップデートする 都会に住みながらもフルサトでやれるナリワイの考え方 / 土地を持たない遊撃農家 /仕事はお金を正しく使うことから

第5章 「文化」をつくる pha
日本中どこでも都会的な文化が楽しめるようになった? / 観光客向けの文化と住人向けの文化 / 自分たちで町を作る / カフェという都市的文化空間 / 小さな図書館をたくさん作ろう / 旅と日常のあいだ / 文化は楽しみながら作れる / 生活とともにある文化 / 都会の人を呼んでくるという手もある / 一つずつ必要なものを作っていく面白さ

第6章 「楽しい」をつくる――「〜したい」をつくる 伊藤洋志
フルサトならではのテーマを探求する / 温泉掘るぞ!――老害問題を防ぐという一大テーマに挑む / 古代の人たちもフルサトをつくっていた / 田舎はチャレンジするスペースが空いている / 目指せニンジャ幼稚園――田舎ならではの教育を考える / ヨタヨタのジャンキーと健康優良不良少年 / 「都会は冷たい、田舎には刺激が無い」を超えて

第7章 フルサトの良さ――多拠点居住の意義 pha
都会と田舎を往復する暮らし / 都会への人口の集中の歴史 / 家族制度と住居形態の変遷 / 家は一人では使いにくい / 複数人で複数の家を使ってみよう /自分が楽しいことをやっているだけ / 都会と田舎を連動させよう

あとがき 伊藤洋志
あとがき pha

「ONE PIECE」75巻

20140906onepiece75.jpg ■昨日は、「大津エンパワねっと」の学生の指導がありました(そして、今日もあります^_^;)。みんな、日曜日の報告会に向けて、発表用のポスターやパワーポイントづくりで頑張っています。そんななかに1人の学生が、『ONE PIECE』の最新号、75巻が発売されていることを教えてくれました。学生諸君は、みなさん、きちんとフォローしていますね。また、「大津エンパワねっと」の事務職員のお一方も、猛烈な『ONE PIECE』ファンで、私に最新号のことを教えてくれました。そうですか、買わなくちゃ…です。

■しかし、最近の『ONE PIECE』どうもストーリーの展開が緩慢で、ダイナミックさに欠けるところがあります。また、私のようなおじさん(おじいさんに近いおじさん)には、どうも一コマ一コマの絵が複雑すぎて、何が描かれているのか…よくわからないことがあります。困ったことです。でも、そんな不満は、私だけじゃなかったのですね。数年前の記事になりますが、ネットにこんな感じのものがありました。「【ONE PIECE】最近の「面白く無さ」は一体何があったんだ?!」。私だけじゃなくて、安心しました。

■記事を読んでみると…

「1.絵柄が見にくくなり読み難さが増した。」
「2.登場人物が多すぎて把握できない。」
「3.ストーリーが把握できない。」
「4.面白いと言う人はほとんどが初期頃。」

■もっともなご指摘ですね〜。と、ぶつぶつ文句を言いつつ、明日の朝、コンビニで買ってしまうでしょうね〜。

【追記】■とりあえず、読了。漫画でも読了というのか…は、別にして、とにかく、頑張って読みました。上記の「絵柄が見にくくなり読み難さが増した」という問題と、「登場人物が多すぎて把握できない。」という問題を乗り越え、とりあえず読了です。疲れました。でも、本質的にはおもしろい漫画だと思います。この漫画、どこまでいくんでしょうね〜。

『戦後日本公害史論 』(宮本憲一・著)

20140825miyamoto.jpeg■発注しました。『戦後 日本公害史論』。読者は、歴史から学ぶ…ということですね。この著書の根底のところに流れている宮本先生の「歴史観」のようなものを、きちんと理解できればなあと思います。丁寧に、真摯に読み、先生のご著書から学ばさせていただかなくてはいけないと思います。しかし、同時に、宮本先生が気になさらかったことはどういうことなのか、そういうことについても、後発の者たちは考えなくてはいけないと思っています。

■amazonでは「一時的に在庫切れ; 入荷時期は未定です」ということになっています。定価よりも、中古品の方が値段が高いということ、これも、この本への社会の注目度があらわれではないのかなと思います。

■朝日新聞の書評で、環境経済学者の諸富徹さんは、次のように書いておられます。

「著者は日本の環境政策が決してトップダウンではなく、ボトムアップ型で形成された点に特徴があると強調する。それは、世界でも類例のない公害問題を手探りで克服する中から、新しい方理論が生み出され、画期的な被害者救済制度が創出され、今では当たり前になった『原因者負担原則』が打ち立てられる創造的な過程でもあった。」

序章 戦後日本公害史論の目的と構成
  第1節 歴史的教訓
  第2節 日本公害史論の方法と構成
第1部 戦後公害問題の史的展開
 第1章 戦後復興と環境問題
  第1節 戦後復興期(1945〜59年)の経済と政治
  第2節 本源的公害問題の発生
  第3節 大都市の公害
  第4節 公害対策
  第5節 典型公害
 第2章 高度経済成長と公害問題
  第1節 国民的社会病
  第2節 公害の政治経済システム
  第3節 公害対策の始まり
  第4節 地域開発と公害
 第3章 公害対策の展開
  第1節 公害反対運動
  第2節 公害対策基本法
  第3節 革新自治体と環境権
  第4節 公害国会と環境庁の創設
 第4章 4大公害裁判
  第1節 公害裁判の創造
  第2節 イタイイタイ病裁判
  第3節 新潟水俣病裁判
  第4節 四日市公害裁判
  第5節 熊本水俣病裁判
  補論 高知パルプ生コン投入事件刑事訴訟
 第5章 公共事業公害と裁判
  第1節 公共性と環境権
  第2節 大阪空港公害裁判
  第3節 国道43号線・阪神高速道路公害裁判
  第4節 東海道新幹線公害裁判
 第6章 公害対策の成果と評価
  第1節 公害健康被害補償法
  第2節 ストック公害とPPP
  第3節 公害対策の成果と評価
  第2部 公害から環境問題へ
 第7章 戦後経済体制の変容と環境政策
  第1節 高度経済成長の終焉と政治経済の動態
  第2節 環境政策の一進一退
  第3節 環境保全運動の新局面
 第8章 環境問題の国際化
  第1節 多国籍企業と環境問題
  第2節 アジアの環境問題と日本の責任
  第3節 沖縄の環境問題
  第4節 国連環境開発会議をめぐって
 第9章 公害対策の転換と環境再生
  第1節 公害健康被害補償法全面改定
  第2節 環境基本法の意義と問題点
  第3節 「公害と闘い環境再生の夢を」
 第10章 公害は終わっていない
  第1節 水俣病問題の解決をもとめて
  第2節 終わりなきアスベスト災害
  第3節 福島第一原発事故
 終章 維持可能な社会(Sustainable Society)
  第1節 システム改革の政治経済学
  第2節 足元から維持可能な社会を

『銀の匙』12巻

20140825ginnosaji.jpg ■あの大蝦夷野農業高校を舞台とした『銀の匙』、12巻が出ました。すでに出版されてからしばらくたっていると思いますが、今日、やっと手に入れました。今日は、老母の生活介護の日でしたが、母親の自宅近くの書店で購入し、いろいろ世話をして大阪も戻ったあたりで、読了していました(漫画で読了というのかな…)。

■この『銀の匙』、よく考えて描かれていますね〜。本当に、いつも関心します。市場で「商品」として売買される農産物(畜産も含む…というか、こちらがメイン)と、「命」としての農産物。その両者のギャップから生まれる葛藤。日本の農業をめぐる厳しい状況と、そのなかで翻弄されながらも必死に経営に挑む農家。都会の若者と同じように、将来のリスク・ヘッジ(より安定した生活をしたい…)を気にしながらも、この状況を突破しようと懸命に夢に向かって挑む農業高校の若者たちの悩み。これは、一度に全部、読み通してほしいな〜と思います。

■1巻から12巻まで私の研究室にあるので、2〜3日で読破するぞという学生の皆さんには、お貸しする事もできますよ。ただし、読後の感想を聞かせてください。いろいろこの漫画に関して、話しをしてみたいものです。

「消滅する市町村」に関して

20140810sekai.jpg ■例の増田レポート「消滅する市町村」が一人歩きしているなと思っていたら、やはりこういう議論が出てきました。雑誌『世界』(岩波)の特集「『消滅する市町村』論批判」です。

■昨年の『中央公論』の12月号に、「壊死する地方都市 戦慄のシミュレーション」という特集記事が、そして今年の6月号では「消滅する市町村523〜壊死する地方都市〜」という特集記事が掲載されました。いずれも、元総務大臣の増田寛也さんと日本創世会議・人口問題検討分科会の研究がもとになっています(11年前に岩手県立大学に勤務しいただけに、元岩手県知事といったほうが私にはしっくりきますが)。この「増田リポート」、強いインパクトをもっているせいか、様々な場面で語られています。もちろん、この私自身も、気にしないではいられません。今回の『世界』の特集は、その「増田リポート」に対する批判です。もうあたりまえのようになった「限界集落」という用語が登場したときも、似たような感じがありました。

■「どうせ消滅するんだったら、何をやっても無駄じゃないか、無駄なところにお金を投資するのはやめよう…」的な言説が流布しだすと、予言の自己成就的なスパイラルにはまり、「消滅市町村」にが現実化していくスピードが加速するような展開になりはしないか…という心配もあります。このような「消滅市町村」の議論に便乗して、妙な動きが水面下で動いていないか…ということも心配になります。

■以下は、『世界』のサイトからの引用です。

「人口減少社会」の罠
坂本 誠

 本稿では、月刊誌「中央公論」に掲載された増田寛也東京大学大学院客員教授ら人口減少問題研究会による論文や、増田氏を座長とした日本創成会議・人口減少問題検討分科会が発表した提言など、増田氏を代表とする一連の論稿を「増田レポート」と総称し、その意味と問題点について、それが政策に及ぼすインパクトを含めて批判的に検討する。
 増田論文の根拠となるデータ、そして増田レポートの分析に問題はないのか。農山漁村における「ショック・ドクトリン」的効果を狙ったものともとれるこれらの論稿に、気鋭の研究者がメスを入れる。

「農村たたみ」に抗する田園回帰
──「増田レポート」批判 ──
小田切徳美

 市町村消滅を予測する「増田レポート」のインパクトは非常に大きかった。一部の地域には、「諦め」の気配もある。それを含めて、このレポートは地域に大きな混乱をもたらしつつある。さらに、この混乱に乗じて、いままで出来なかったことを一気に実現しようとする輩も見え隠れする。
 いま、必要なことは、こうした状況のなかで、事態を冷静に整理して、今後の足がかりを示すことであろう。そこで、本稿では、増田レポートとそのインパクトの実態、そこで生まれつつある「農村たたみ論」の意味、そして、その対抗軸のように発生しつつある若者を中心とする「田園回帰」傾向の実態や展望について論じる。

■9月8日発売予定の『世界』10月号でも引き続き、地方再生の問題が特集されるようです。予告には「安倍政権は『地方創生』関連法案を9月からの臨時国会に提出すると言われています。最近聞かれるようになった『ローカル・アベノミクス』にリアリティはあるのか。地方が生き続けられるためには何が必要なのでしょうか」とあります。

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