シンポジウム「大津いじめ事件のあと」

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■facebookにも同じ写真を投稿したところ、龍谷大学社会学部を卒業した後、教員になるべく京都教育大学の大学院に進学した卒業生から、「第三者委員会のメンバーとして、尾木先生と一緒に取り組まれている先生が院におられます。すごく、貴重な講演会ですね(^^)」とのコメントをいただきました。尾木先生とは、教育評論家として活躍されている尾木ママこと尾木直樹さんのことです。たくさんの皆さんのご来場をお待ちしております。

■詳しくは、以下をご覧ください。

龍谷大学社会学部学会シンポジウム 大津いじめ事件のあと~止められない暴力と向き合う社会へ~
開催日時
2015年1月15日 16:00 〜 2015年1月15日 17:30
開催場所
8号館103教室MAP
お問い合わせ
龍谷大学社会学部学会
龍谷大学社会学部学会シンポジウム
大津いじめ事件のあと~止められない暴力と向き合う社会へ~

と き 2015年1月15日(木) 開場15時30分 開演16時00分
ところ 龍谷大学瀬田学舎8号館103教室
講 師 尾木 直樹(教育評論家、法政大学教職課程センター長・教授)
    加野 芳正(香川大学教育学部・教授)
    森澤 範子(大津市いじめ対策推進室・相談調査専門員)

2014年10月11日、大津いじめ事件から3年を迎えた。加害者に対するネット上の批判や社会の反応も大きく、いじめ事件として社会的に強い影響を与えた事件である。また近年は、SNSを使ったいじめもメディアで多く取り上げられている。事件後、いじめに対する取り組みや社会、地域にはどのような変化があったのだろうか。いじめという怪物に立ち向かうために今、私たちにできることは何か。本シンポジウムでは、事件から3年、いじめ防止対策推進法公布から1年を迎え、もう一度いじめについて考え、向き合う場としたい。

入場無料 一般来場歓迎

2014年度の卒論提出

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▪︎冬期休暇(冬休み)が終わり、授業は6日(火)から始まりました。とはいえ、学生のみなさんは、今月で授業は終了(龍谷大学は、たしか20日までだっでしょうか…)。4年生は、冬期休暇が終わるとすぐに卒論の提出ということになります。この卒論について、ちょっと愚痴をこぼします。

▪︎私のゼミでは、11月末までに草稿を書き上げて、12月は順番に添削指導をする…ということになっていたはずなのですが。ほとんどのゼミ生は、その約束を守れませんでした。本当はとっても嫌なのですが、仕方がないので自宅に草稿を送ってもらうことにしました。もう年末も押し迫ったころに、どっと卒論が送られてきました。私はといいますと、年末に開催された同窓会や忘年会、そして年が明けてからの新年会の合間に、ひたすら学生たちの卒論に赤ペンを入れる「難行苦行」に耐えなければなりませんでした。ゼミの4年生は、卒論を書き上げて清々しい気持ちで正月を迎えたことでしょうが…。

▪︎そして1月5月(月)には、添削した卒業論文を返却し、一人一人と面談をして口頭でも指導をしました。昼の13時から始めましたが、予想以上に時間がかかり、19時頃まで指導が続きました。非常に疲れました。この卒論の添削のために、自分自身の締め切りのある仕事が先延ばしになってしまいました。そちらの方は、なんとかギリギリにまにあわせることができましたが…。無理をして体はくたくたです。現在3年生のみなさん。来年は、こんな冬休みを私に過ごさせないでください。今年の4年生には、私の正月休みを返してもらいたいです。

▪︎とはいえ、全員卒論を提出できたので、ゼミの担当教員としては、ホッとしています。卒論の提出期間は、7日〜9日の3日間。ほとんどのゼミ生は中日の8日に集まって、お互いの卒論の仕上がりぐあいをみたあと(複数の眼でチェックする)、提出しました。1人は予定があわず、前日の7日に提出しました。そして最終日に残りの3人がなんとか提出できました。いや〜、ヒヤヒヤしました。本当に。

駅前(大津)

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▪︎JR大津駅は、滋賀県庁のもよりの駅になりますが、「本当にこれが県庁所在地の駅なんか?」とよくいわれます。つまり、住んでいる人からも、外からやってくる人からも、評判があまりよろしくありません。そのJR大津駅前の写真です。昼間と違った雰囲気が漂っていたので、写真に撮りました。ええと、私個人としては…写真的には…面白い雰囲気に取れたなと…思っていますけど、あかんやろか。

月と鉄道

20150107moon.jpg ■冬休みが、卒業論文の怒濤のような添削作業が、同窓会・忘年会・新年会とともに終わり、新年の仕事が始まりました。昨日は、今年初めての講義でした。残すは、あと1回。後期の授業のまとめをするだけです。4年生のゼミも、今日、全員で卒業論文を提出します(1人だけ都合がつかず、昨日、早めに提出しました)。

■年末に「脇田ゼミ」1期生、そして2期生の同窓会に呼んでいただきました。みなさん、立派になっておられました。同窓会ですから、「あの時、どうだった、こうだった…」というような昔話に花が咲きました。どういう昔話か、私のゼミのばあいは、やはり卒業論文ということになります。優れた卒論が書けた人のことだけでなく、ギリギリセーフだった人のことも。頑張った人からは、「卒論は大変だったけども、ちゃんと取り組んでよかった…と、今すごく思っています。本当に心の底から良かったと思っています。そういうことは、卒業してやっとわかるんでしょうかね。適当に過ごす大学生活よりも、勉強したって後になって自信持っていえますし」と卒業論文に関しての経験を語ってくれました。

■4年生は、あと、みんなで協力して卒業論文集を印刷・作成するだけです。そして2月の口述試問ですね。それで、4年間の大学生活が終了します。あとは、3月の卒業式を待つだけです。3年生は、現在、「北船路米づくり研究会」の活動を4年生から受け継ぎ、頑張って活動に取り組んでいます。もうじき、農事組合法人「福谷の郷」さんと平井商店さんのコラボによる今年の「純米吟醸 無ろ過生原酒 北船路」が販売されます。その予約確保に懸命になっています。頑張ってください。3年生の後輩、つまり4月から新3年生(現在2年生)は、19名に決定しました。後輩をきちんと指導する準備をしてほしいと思います。

■私の方はといいますと、昨年の秋から続いている忙しさが、年度末に向けて続きそうです。ちょっと健康管理にも気をつけないといけませんね。春休みの予定については、そのうちに「脇田の予定」でアップしようと思います。学生の皆さんは、それを見て、私に連絡をとってください。

■写真は、この文章とは特に関係ありません。昨日、帰宅時に、自宅の近くで撮った写真です。ちなみに、線路内に立ち入っているのではなく、踏切で撮影しました。iPhone6plusで撮りました。月の輝きが美しい晩でした。

『農山村は消滅しない』(小田切徳美・岩波新書)

20150107nousanson.jpeg ▪︎ネットでこういうニュースを読みました。NHKのニュースです。一部を引用します。

住民の半数以上を高齢者が占め、存続が危ぶまれているいわゆる「限界集落」は国の調査で全国400か所以上に上り、中でも東北地方は50か所と中国・四国地方に次いで人口減少が深刻な過疎地が多く、集落維持のコストが課題となっています。
このため国土交通省は、集落を維持する場合と中心部に移しコンパクトな街づくりを進める場合のコストを比較し、実際の集落をモデルに検証することになりました。

▪︎国交省は、限界集落を維持するための、社会的費用がかかりすぎる…といいたいのでしょうね。「集落の維持にかかる道路や上下水道の費用やバスやゴミ収集車などのコストと、集落の移転に伴う費用を比較し移転でどれだけ節約できるのかを分析する」のだそうです。人口が集中している地域に住んでもらいたい、移転の費用を出すから、いまいるところを諦めて、町の方に暮らしてくれ…ということなのかもしれません。東北地方整備局の方は、「限界集落の問題は、住民の合意形成が難しくなかなか解決に向かわないが、『コスト』を見える形にすることで、集落再編を進める貴重なデータにしたい」とも話しておられます。

▪︎このようなコストだけが突出するような形での調査には違和感があります。単純に、集落維持に必要なコストと移転の費用を天稟にかけて判断することに違和感があります。限界集落の移転の話しは、その地域の歴史や状況、そして当事者の方たちの考え方を大切にしながらでないと進みません。コストの見える化だけの話しではないでしょう。移転するにしても、その移転先は、集落にとって馴染みのある地域なのか、それとも縁もゆかりもない地域なのかで、かなり違った話しになります。また、何代にもわたって暮らしてきたその土地の持つ意味、土地の「場所性」の問題についても、きちんと視野にいれないといけません。さらには、近くの町場に息子世代が暮らしているのかどうかといったことも、移転の問題にとっては重要になるでしょう。どのような地域を対象にした調査なのか、どのようなデータが収集されるのか、そのあたりもすごく気になります。特定の地域の事情が強く反映しているにもかかわらず、データだけが一人歩きしてしうことが怖いと思います。なんとか生き残ろうと頑張って村づくりに取り組んでいる地域がありますが、そのような地域にも、冷水をかけてしまうことにはならないのか…と心配しています。

▪︎この小田切徳美さんの『農山村は消滅しない』(岩波新書)は、このような政策的動向が既成事実化していく状況を批判的にとらえています。新書の帯には、「地方消滅論が見落とした農山村の可能性」と書いてあります。以下は、この新書の内容です。

増田レポートによるショックが地方を覆っている。地方はこのままいけば、消滅するのか? 否。どこよりも先に過疎化、超高齢化と切実に向き合ってきた農山村。311以降、社会のあり方を問い田園に向かう若者の動きとも合流し、この難問を突破しつつある。多くの事例を、現場をとことん歩いて回る研究者が丁寧に報告、レポートが意図した狙いを喝破する。

▪︎今は、時間的余裕がありませんが、近いうちに読んでみようと思います。

【追記】▪︎日本記者クラブで、小田切さんが講演されています。その講演がYouTubeにアップされています。
     

日本はどこに向かっているのか…

■内田樹さんの「2015年の年頭予言」(「内田樹の研究室」)を読んだ。私たちの国の向かっている方向や行末について語っておられます。暗い行末のなかで微かに明るい未来を確認するとしたら、絶望のなかで少しでも希望が持てるとしたら…そのような意味で大切な部分かと思いました。

統治システムが瓦解しようと、経済恐慌が来ようと、通貨が暴落しようと、天変地異やパンデミックに襲われようと、「国破れて」も、山河さえ残っていれば、私たちは国を再興することができる。私たちたちがいますべき最優先の仕事は「日本の山河」を守ることである。

■「国破れて山河あり」とは、杜甫の「春望」という漢詩からきています。杜甫は、安禄山の乱で長安の敵中に軟禁されました。この「春望」は、戦乱で荒れ果てた長安の春の景色を遠望し、変わらない悠久の自然と、国を混乱と破壊に陥れる戦乱を比べて、杜甫自身の不遇を嘆いた漢詩だといわれています。しかし、内田さんは、ここで「山河」を次のように説明しています。あえて、絶望のなかの希望のみを引用します。

日本の言語、学術、宗教、技芸、文学、芸能、商習慣、生活文化、さらに具体的には治安のよさや上下水道や交通や通信の安定的な運転やクラフトマンシップや接客サービスや・・・そういったものも含まれる。
日本語の語彙や音韻から、「当たり前のように定時に電車が来る」ことまで含めて、私たち日本人の身体のうちに内面化した文化資源と制度資本の全体を含めて私は「山河」と呼んでいる。
外形的なものが崩れ去っても、「山河」さえ残っていれば、国は生き延びることができる。

自分の手元にあって「守れる限りの山河」を守る。
それがこれからの「後退戦」で私たちがまずしなければならないことである。
それが「できることのすべて」だとは思わない。
統治機構や経済界の要路にも「目先の権力や威信や財貨よりも百年先の『民の安寧』」を優先的に配慮しなければならないと考えている人が少しはいるだろう。
彼らがつよい危機感をもって動いてくれれば、この「後退戦」を別の流れに転轍を切り替えることはあるいは可能かも知れない。

谷川清澄さん戦争証言


「みんなの戦争証言アーカイブス」が提供されている動画を貼付けます。貼付けたのは、現在98歳の谷川清澄さんです。谷川さんは、以下のサマリーをお読みいただければわかりますが、海軍の兵士として従軍されました。

大正5年、福岡県に生まれ佐賀県で育った。「侍か軍人でなければ人でない」と言われた佐賀での暮らし。海が好きで、軍隊に憧れていたという少年は海軍兵学校を目指す。人々が自由を謳歌し文化を育んだ大正デモクラシー。「あれで空気が緩んだ」と谷川青年は時代の空気に厳しい目を向ける。アメリカを仮想敵国とした兵学校での厳しい訓練に耐え、21歳で卒業。分隊長として駆逐艦に乗員した3年後の昭和16年、日米開戦を迎え出撃。ミッドウェー海戦では水雷長として、米国艦隊との激しい戦闘の渦中に。空からの波状爆撃で炎上し自走できなくなった空母「赤城」を沈めたのは、谷川さんが発射した魚雷だ。轟沈する赤城に取り残された1人の水兵の影が見えたという。「30年は夢に出てきた」という。日米開戦前夜から終戦までを一貫して海軍兵士として闘い、見つめてきた谷川さんの証言は貴重だ。ミッドウェーでの作戦は事前に漏れていたーー。谷川さんが目の当たりにした衝撃的な大本営の舞台裏も。

■学生の皆さんにも、しっかり視ていただきたいと思います。

お年玉?

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20150101hoshigaki2.jpg■元旦です。家族そろってお雑煮とおせち料理をいただき、これから母の家に新年の挨拶にいきます。まあ、いつもの生活介護であることにはかわりありません。年末年始は、ヘルパーさんたちに来ていただけないので、30日から2日までは妹が泊まり込んでくれています。おせち料理と、今晩の御馳走(蟹すき)の材料は、我が家から持参します。これが、毎年、恒例になっています。それに加えて、今年は、干し柿が加わります。母の家の庭に実った渋柿を干し柿にしてみたのです。

【関連エントリー】干し柿のその後

■完成した干し柿、あの渋い柿が、大変甘く仕上がりました。すごいですね、伝統食の偉大さを知りました。まあ、見た目は悪いですが、どうかお許しを。おそらくは、プルーチーズなんかと一緒に食べると素晴らしいのではないかと思います。となると、日本酒というよりも、ワインかな。この干し柿、我が家のおせち料理の「膾」(なます)のなかにも入れました。残りは、母とドライフルーツ系が好きな妹へのお年玉ですね。

2015年 新年あけましておめでとうございます

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■2015年、新年、あけましておめでとうございます。みなさま、本年も、どうかよろしくお願いいたします。これは、三河万歳の人形です。お正月に飾られます。むかって右側か太夫で、左側で小鼓をもっているのが才蔵です。三河漫才は、愛知県の三河地域に伝わる伝統芸能で、お正月の祝福芸です。才蔵の小鼓にあわせて、太夫がめでたい詞を唄って舞うのです。ひょっとすると、現代社会には、この太夫と才蔵のような役割がいるのかもしれません。また、そのような学問が必要なのかもしれません。社会に幸せを呼び込むような学問…(希望と幸せの社会学)。ふと、そう思いました。

■皆様のお宅に、今年もたくさんの幸が届きますように!! 社会が、もう少し明るくなりますように!!

【追記】▪︎エントリーしてから気がつきましたが、この太夫と才蔵の左右の位置関係、逆かもしれません。逆にしたほうが、全体的にすっきりするように思います。

「北船路米づくり研究会」です。2014年、ありがとうございました。

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■2014年、お世話になった皆様に、心より御礼申し上げます。

■今年の12月で、大津市・丸屋町商店街でひらいている「北船路野菜市」も第33回になりました。いつも野菜市の場所を提供してくださっている「大津百町館」の皆様、そして「丸屋町商店街」の皆様、ありがとうございました。そして安心・安全・新鮮で美味しい北船路の農産物をお買い求めいただいている、中心市街地にお住まいの皆様、ありがとうございました。

■8月31日には、「街」(中心市街地)と「農村」(北船路)をつなぐ農村-都市交流イベント「かかし祭」を開催しました。今年で3年目になりました。お越しくださった中心市街地の皆様、「みつばち保育園」の皆様、ご協力ださった「北船路自治会」の皆様、ありがとうございました。
今年は、北船路の農事組合法人「福谷の郷」様と、万治元年(1658年)創業の大津の酒蔵「平井商店」様のご協力をいただき、純米吟醸無ろ過生原酒「北船路」、純米吟醸酒「北船路」をプロデュースすることができました。醸された日本酒は、北船路がある旧志賀町木戸地区の皆様にも、地元の特産品として喜んでいただきました。また、龍谷大学の教職員の皆さんにも、たくさんお買い求めいただきご賞味いただきました。ありがとうございました。来年も、ぜひよろしくお願いいたします。

■「北船路米づくり研究会」で生産した「龍大米」(コシヒカリ・天日干し)、「龍大芋」、そして協力農家に出荷していただいた農産物につきましては、大津駅前の居酒屋「利やん」様、京都四条の「串かつ おばんざい とんとん」様、料亭「大津 魚忠」様にもご購入いただいております。今後とも、どうかよろしくお願いいたします。

■鮒寿司の「阪本屋」様、石釜ピザの「ishigama」様には、「龍大米」の稲刈りにご参加いただきました。来年は、北船路の環境こだわり米を使用した鮒寿司や、北船路の野菜を使った石釜ピザが販売されることを期待しております。どうぞ、よろしくお願いいたします。「農村-都市交流」「農・商・学連携」、これからも積極的に進めてまいります。

■大学のゼミで取り組んでいる小さな活動ではありますが、今後とも、ご支援をいただきますよう、どうかよろしくお願い申し上げます。
(写真は、今年の2月におこなった「追い出しコンパ」の時のものです。)

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