ランニングの復活に向けて(その2)

20160114walking.jpg ■昨日は、朝一番から大学本部のある深草キャンパスで、来年度の大学全体の予算に関する会議がありました。しかし、その次の会議(評議会)は15時15分からでした。こういう時、研究室が瀬田キャンパスにある私などはとても困ってしまいます。深草キャンパスから瀬田キャンパスまでは移動に1時間必要です。いったん、瀬田キャンパスの自分の研究室に戻って、午後からまた深草キャンパスにやってくるなんてことは、とても面倒でできません。仕方なく、深草キャンバスの研究部の自分の執務室にこもることになります。すごく無駄な時間が生まれてしまいます。まあ、そんな愚痴を言っても誰も聞いてくれませんけれど…。

■さて、午後の会議は、審議事項も少なく、比較的早く終わりました。外もまだ明るいので、仕事を切り上げて、ウォーキングをして帰宅することにしました。深草キャンパスの通勤経路は、通常、京阪深草駅から京阪丹波橋駅まで行き、今度は近鉄丹波橋駅から自宅のある奈良まで向かう…ということになります。しかし昨日は、深草キャンバスから近鉄丹波橋までウォーキングすることにしてみました。「師団街道」と呼ばれる道です。約3kmの距離を、約29分で歩きました。私としてはかなり速いスピードでのウォーキングということになります。iPhone6プラスに入れてあるアプリでは、消費カロリーが181kcalとでましたが、実際には、本やパソコンを入れたリュックを背負い、重いショルダーバックもかけているので、もう少しカロリーを消費しているのではないかと思います。少しずつ、ウォーキングの距離を伸ばし、負荷を高め、そのうちにジョギングに移行しようと思っています。

水鶏橋

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■一昨日は、総合地球環境学研究所(地球研)の研究プロジェクトで緊急に処理しないといけない案件があることがわかり、午前中は深草キャンパスで会議を終えた後、午後からは地球研の方に移動しました。地球研は、京都の岩倉、市街地の北の方にあります。深草キャンパスからであれば、市営地下鉄の最寄駅「くいな橋」から終点の「国際会館」まで移動し、そこからバスということになります。ところで、この「くいな橋」駅の駅名について、ずっと気になっていました。よく利用するのですが、駅名はひながらですし、どういう地名なんだろうとずっと思っていました。たまたま、地下鉄駅に降りていく入り口付近に、写真左のような地図が掲示してありました。この駅の近くの鴨川にかかる橋が「水鶏橋」というのだそうです。「水鶏」と書いて「くいな」と読む…。昨日、初めて知りました。

■では「水鶏」とは何なのかといえば、写真右のような鳥なのだそうです。クイナは、シベリア東部などで繁殖し、冬になると中国や日本などへ南下し越冬する渡り鳥のことのようです。水辺環境にいるようです。ということは、「水鶏橋」とは、単純に考えればクイナが生息するあたりにかかった橋…ということなのでしょうか。このクイナのことをfacebookにちょっと書いたところ、知り合いの建築家が、「ヤンバルクイナのクイナですか?」と聞いてこられました。私ももちろんわかりません。調べみると、「ヤンバルクイナ」とは「山原水鶏」のことなのです。沖縄本島北部に位置する山原(やんばる)地域のクイナだから、「ヤンバルクイナ」と命名されたとのことでした。それはともかく、このfacebookの投稿には、博物館の学芸員の方からもコメントをいただきました。「京都だとクイナかヒクイナの2種がいたと思います。かつては鴨川にも多かったんでしょうね」。なるほど、私の「クイナが生息するあたりにかかった橋」という説も、まんざら間違いではないようです。

【追記】20160114gakusyoku.jpg ■昨日の昼食。一昨日は「休肝日」でした。アルコール摂取しなかった結果(だと思い込んでいますが…)深い睡眠と、今朝の気持ち良い目覚めを得ることができました。この両者を、心の中で必死になって強く結びつけて、そうやって自分に目覚めの「ご褒美」をあげることで節酒に努めています。しかし、今朝は寝坊をして朝食を食べる時間がありませんでした。これはマズイ…です。そのようなこともあり、昼食は学生食堂でしたが、食べ過ぎてしまいました。ライスS。ブリの照り焼き。揚げ出し豆腐。納豆。ひじき煮。白菜胡麻和え。豚汁。今日は、907kcalでした。野菜量は136g。今から思うに、揚げ出し豆腐は、余計でしたね…。

シルバーカレッジの授業アンケート

20160114silver.jpg ■一昨日、講義をさせていただいた「神戸シルバーカレッジ」の一人の学生の方からメールをいただきました。学生とはいっても、「神戸シルバーカレッジ」は生涯学習のための老年大学ですから、学生の皆さんは全員私よりも年上の皆さん、人生の先輩の皆さんです。いろんなところで、年上の皆さんを前にお話しをさせていただきますが、いつもどこかで緊張しています。まあ、緊張しているようには見えないとは思いますが、内心はどこか緊張しているのです。一昨日は、冒頭の自己紹介のところで、神戸出身であること、出身が兵庫県立兵庫高等学校であることをお伝えしたところ、同じ高校の先輩方が何人かおられました。いつにも増して、緊張してしまいました。

■メールをいただいたのは、その先輩のお一人でした。なんでも、「神戸シルバーカレッジ」には授業モニターという制度があるらしく、受講した学生の皆さんのうちの何人かがそのモニターの委員となり、授業を評価されるのだそうです。そういう制度があることを、初めて知りました。まあ、大学での授業評価のようなものです。メールの内容は、そのモニターの結果が満点だったというものでした。滅多にないことのようで、わざわざお知らせいただいたことに心から感謝いたします。大学の授業評価だと、私の場合ですが、満点なんて経験はこれまではありません。

■「神戸シルバーカレッジ」の皆さんは、3年間勉強・活動された後、地域社会を支える人材として活躍されることが期待されています。私の講義のタイトルは、「生涯学習から地域づくりへ -地域づくりと「私たち」の幸せ-」というものでした。内容は、これから地域を支える人材として卒業してかれる皆さんに「エールを送る」ことにありました。一昨日の講義は、私の意図と受講された皆さんの気持ちとがぴったり重なったのではないかと思います。

■メールを送ってくださった先輩は、すでに私が講義でお話しした内容を半分ぐらいは実践されているとのこでした。自治会を始めとする地域を支える団体、趣味の団体、様々な団体に所属し活動されています。また、それらの団体で率先してお世話役をされているようです。活動やお世話の中で、充実した生活を送っておられるご様子でした。私は、講義の中で、「幸せには2種類のものがある」ということをお話をしました。ひとつは「私の領域の幸せ」、もうひとつは「私も含めた私たちの幸せ」です。後者の幸せは、人と人の関係の中に生まれます。多様な人びととの関係を自分の周りにたくさん持っている人は、後者の幸せに恵まれ、おそらくは心豊かな生活ができるはずです。先輩は、そのことを自ら実践されているご様子でした。さらに講義の中では、地域の活動の外にいる人に呼びかける「呼びかけ屋さん」、そして様々な活動を始めている方たちをつないでいく「つなぎ屋さん」の重要性についてもお話ししました。そのような「呼びかけ屋さん」・「つなぎ屋さん」としての役割も、きちんと務めておられるようでもありました。素晴らしいことですね。先輩は、私よりも8歳年上です。私のいた兵庫高等学校では、戦前の旧制中学の時代からの同窓会があります。「武陽会」と言います。私は64期生ですので、「64陽会」と呼ばれる学年になります。先輩は、「56陽会」でした。ご活躍されている8歳年上の先輩のように、自分も溌剌とした老後を生きたいと思いました。

反省

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■職場での定期健康診断の結果、いろいろ数値が良くないことが判明しました。大学の保健管理センターからの勧めで、さらに検査をしてみました。問題は自分でもわかっていました。何かといえば、酒の量が多すぎるのです。もともと酒好きの上に、仕事のストレスの解消を酒に求めてしまうことが原因なのです。検査のさいに、栄養士さんから「節酒するように」とのアドバイスをいただきました。そんなに太っているわけではないのですが、「少しでも体重を減らすように」とも言われました。「1日30分以上の有酸素運動をしなさい」とのアドバイスもいただきました。これは、ランニングで解決です。私は、現在、親の介護をしています。介護をしながら、生活習慣病が老後に何をもたらすのか、いろいろ勉強させてもらっているわけでもありますし、「これはいかん」と、まずはアドバイス通り節酒に努めることにしました。

■外での酒の付き合いが普通の人よりも多いので、自宅では基本的に「休肝日」にするか、飲んでも弱いアルコール度数のビール風味のリキュールにすることにしました。もちろん、1缶です。「休肝日」にはどうするのか。炭酸水を飲むか、あるいはノンアルコールびーるを飲むことにしました。炭酸水の「シュワッ…」とした刺激でも、結構、満足できることがわかかりました。ノンアルコールビールも、最近は、良いものが出ていますね。私のお気に入りは、アサヒビールの「ドライゼロ」です。アルコールがゼロ、カロリーもゼロです。しかし、これまた気分的に満足できるのです。アルコールはゼロなのに、フワッとした気持ちになるのです。こんなことを言っているところが飲酒に依存しているわけですが…。しかし、酒を飲まないと深い睡眠と気持ちの良いめざめが得られます。そこで朝起きた時に、「酒を飲まないことは、なんて素敵なことなんだ!!」と強く思い込むようにしています。まあ、これまた、こんなことを言っているうちはダメなんですが…。もともと油っぽいものは好きではありませんでした。しかし、ラーメンは別でした。意識してラーメンも食べないようにしています。ファンである大阪のインデアンカレーについても、少し考えないといけないかもしれません。節酒ならぬ、節インデアンカレーですね。

■写真は、昨日の昼食です。深草キャンパスの学生食堂でいただきました。ご飯はSサイズ。豚汁。切干し大根を炊いたもの。ほうれん草のお浸し。若鶏の醤油揚げ+千切りキャベツ。これにほうじ茶を1杯。お腹は満足しました。これで647kcalなのです。野菜量は180g。学生食堂のレシートには、こういったでーたが印字されてきます。1日に必要な野菜の量は350g。ということは、あと今日の昼食と同じ程度の量の野菜を食べれば大丈夫なんでしょう。いろいろ気をつけないといけない年齢になってきました。

ひさしぶりの神戸

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■神戸の「しあわせ村」にある「神戸シルバーカレッジ」で講義をしてきました。「しあわせ村」とは神戸市北区にあります。「温泉、宿泊施設、キャンプ場、スポーツ施設、ゴルフ場などがそろい、豊かな自然の中でバーベキュー、ピクニック、ウォーキング、バードウォッチングなどが楽しめる総合福祉ゾーン」です。「神戸シルバーカレッジ」は、この「しあわせ村」の中にあります。「高齢者の豊かな経験を活かして自らの可能性を拓き、その成果を社会に還元することをめざして学びあう、生涯学習の場」として設置されています。私は、この「シルバーカレッジ」で、2年前から「生涯学習から地域づくりへ」というテーマでお話しをさせていただいています。今回で3回目になります。過去の講義の様子は、こちらのエントリーをご覧いただければと思います。

■「神戸シルバーカレッジ」には、まず奈良の自宅から近鉄に乗ります。近鉄は阪神と連絡していることもあり、現在では、自宅最寄り駅から1時間15分ほどで阪神の神戸三宮駅に到着します。おそらく、近鉄、大阪市営地下鉄、阪神を乗り継いでいた頃に比べると30分は移動時間が短くなっているように思います。便利になりました。しかも、三宮からはバイパス道路を通って、「神戸シルバーかレッジ」にはスムーズに行くことがきます。写真は、阪神の神戸三宮駅です。ホームがなかなかシックな感じです。戦前からの歴史を持っているのですが、そのレトロな雰囲気を残す形で改修されています。ホームにある路線図を見ると、阪神に加えて、近鉄奈良線や山陽電車本線・網干線の駅の名前を確認できます。一番東は、近鉄の奈良駅。一番西は、山陽網干駅です。私は、少しだけ鉄道ファンなところもあり、こういう路線図を見ると嬉しくなってきます。試したことはありませんが、この山陽網干駅から阪神、近鉄を経由すると名古屋まで行けます。さらに、若干の徒歩も入れて名鉄(名古屋鉄道)に乗り換えると、豊橋あたりまで行けるわけですね…。だから、それがどうしたと言われそうですが、個人的には、「いいな〜」としみじみと思うわけです。わかりませんね、この感覚…。

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■「神戸シルバーカレッジ」での講義を終えた後、昨年、一昨年は、「我が故郷」である神戸の街をぶらぶら散歩をして楽しんだのですが、今回は、深草キャンパスで研究部の会議があったため、急いで京都に戻らねばなりませんでした。講義が終わった後、すぐにタクシーで新幹線の新神戸駅まで行き、そこから京都駅まで「のぞみ」で移動しました。仕方がないのですが、せっかく神戸に行ったのに…と、残念な気持ちでいっぱいになりました。この写真は、新神戸駅のホームにあったものです。「焼きビーフン」で有名な「ケンミン食品」のポスターです。なかなか面白いですね〜。しかし、なぜ「ケンミンの焼きビーフン」なんだろう…。調べてみると「ケンミン食品」の本社は神戸にあったんですね。なるほど…です。神戸出身なのに知りませんでした。さらに調べてみると、YouTubeでは、このポスターに関連する動画もありました。

【関連エントリー】
神戸シルバーカレッジ
神戸電鉄
神戸須磨ニュータウン

【ケンミン食品の動画】

樹木希林さんの死生観

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■今月の1月5日の新聞に、出版社である「宝島社」の2016年の企業広告が掲載されました。新聞の見開きという大きさもさることながら、そこに癌の治療をしながら女優を続けてこられた樹木希林さんが登場され、ご自身の「死生観」を表明されていることから、話題になりました。

■上の写真は、樹木希林さんの広告(朝日新聞)。下は、その題材となったミレーが描いた絵画です(wikimediacommonsより)。シェークスピアの「ハムレット」に登場するオフィーリアです。絵画については全く知識がありません。調べてみました。このミレーの作品は、オフィーリアがデンマークの川で溺れて死ぬ前に歌を口ずさんだ、そのシーンを描いたもののようです。樹木希林さんは、このオフィーリアを演じているのです。つまり、もうじき死ぬことを前提にしている…ということにななります。そう考えると、この「宝島社」の広告に書かれた文章の意味もよくわかります。

「死ぬ時ぐらい 好きにさせてよ」
人は必ず死ぬというのに。
長生きを叶える技術ばかりが進化して
なんとまあ死ににくい時代になったことでしょう。
死を疎むことなく、死を焦ることもなく。
ひとつひとつの欲を手放して、
身じまいをしていきたいと思うのです。
人は死ねば宇宙の塵芥。せめて美しく輝く塵になりたい。
それが、私の最後の欲なのです。

■樹木希林さんは、死を自分の日常生活の延長線上で受け止めようとされているかのようです。樹木希林さんもいうとおり、医療の技術的進歩により、人は、なかなか「死ねない」時代になりました。それに加えて、私たちの現代社会は死を「不可視化」させます。死を「隠蔽」しようとします。そして「生」ばかりを煽ります。「欲」を捨て切れません。「欲」を媒介に「生」ばかりにこだわると、「生」から「死」への移行が非常に困難になります。樹木希林さんは、生きている時から「生」と「死」の間にある境界をきちんと乗り越えるための準備をされています。それを樹木希林さんは、ひとつひとつ欲を手放すことだと言います。欲は、生への執着と関連しています。ただ、こうも言っておられます。「人は死ねば宇宙の塵芥。せめて美しく輝く塵になりたい。それが、私の最後の欲なのです」。

■これは欲と言うよりも、境界を超えた向こうにある「死」にスムースに移行するための、心に深く位置付けられたイメージようなものなのだと思います。「生」と「死」は連続しています。「生」の最期の瞬間に、すぐに到来する「死」を先取りできていないといけません。そのような意味での心の「羅針盤」が必要になります。「私」という存在は、この「地球」から生まれ、「地球」は宇宙の「塵」から生まれてきたのですから、また「私」もその「塵」に還っていくのです…樹木希林さんがおっしゃっていることは、そのような大きな宇宙的・神話的な循環のイメージでしょうか。おそらくは、樹木希林さんの場合は、そのようなイメージが、「身体」の感覚の一部になるほど深く身についておられるのかもしれません。表面的なところで「理屈」として理解したとしても、「生」と「死」の間にある境界を超えることはなかなか困難です。「境界などないのだ。両者は連続しているのだ。そのことを普通に経験するのだ」という強いイメージを持つことはなかなかできません。そのために、人類は、様々な宗教的な文化的な装置を作り出してきたのではないか、私のそう思うのです。にもかかわらず、そのイメージを実感することが困難な時代や社会に、今私たちは生きているのです。

■浄土真宗の僧侶の方とお話しをしたことがあります。私の職場には、僧籍をお持ちの方が多数働いておられますが、普段、浄土真宗の教えや死生観についてお話しを聞かせていただくことは、ほとんどありません。酒席でお隣りになったとき、たまたま偶然にそのようなお話しを聞かせていただくチャンスが生まれました。お話しの中では、お父様もお母様も、死ぬ時には苦しまれなかったということをお聞かせくださいました。それは、「お聴聞を繰り返してきたからだ」というのがその方の説明でした。浄土へとお連れくださる阿弥陀如来への感謝の気持ちを深く身体化していく、浄土真宗の教えを「理屈」だけではなく「身体」の感覚のレベルまで深く受け止めていたから…そのように私は感じ取りました。私は、樹木希林さんの「せめて美しく輝く塵になりたい」という言葉を読みながら、ふとこのようなことを思い出しました。

卒業アルバムから

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■昨日の晩、押入れから卒業アルバムを取り出して、久しぶりに眺めました。この写真は、iPhone6plusで、アルバムの中にあったものを複写したものです。学生時代に所属していた「関西学院交響楽団」の同期の仲間との集合写真です。34年前、1982年の写真です。関学の上ヶ原キャンパスに今もある古い学生会館の前かと思います。一人楽器を持っていない男性がいますね。学生指揮者のMくんです。ひとりだけスーツを着ている男性がいます。ファゴットを吹いていたHくんです。これは就職活動をしていたために、スーツ姿なのでしょうか。当時は、先輩を訪問することから始まり、8月から企業訪問、10月には内定が出ていました。そういう時代でした。

■調べてみると、1980年には1ドルが250円あたりまで円安が進み、その後は200円〜250円で推移していたようです。4月に500円硬貨が発行されました。イギリスとアルゼンチンとの間で「フォークランド紛争」が起きました。6月には大宮と盛岡の間で東北新幹線が、12月には大宮と新潟の間で上越新幹線が開業しました。もちろん、JRではなくて国鉄でした。大阪梅田の「ヨドバシカメラ」の場所には、大阪鉄道管理局庁舎がありました。10月には、フジテレビ系でタモリさんの『森田一義アワー 笑っていいとも!』の放送が開始しました。「軽薄短小」という言葉が流行り、エアロビクスもブームになりました。こういうことを書き始めれば、きりがありませんね。

■以前にも少し書いたように記憶していますが、私たちが4年生の時の定期演奏会での曲目は、以下の通りでした。春そして冬の定演とも、湯浅卓雄先生に客演指揮をお願いいたしました。関西学院交響楽団として、初めての客演指揮でした。4年生の最後の曲は、チャイコフスキー 交響曲第5番でした。今、NHKの「クラシック音楽館」では、この「チャイ5」を演奏しています。あっ、学生指揮者のMくんの名前、イニシャルにしても意味がありませんね。

第59回定期演奏会 1982年6月29日 神戸文化ホール大ホール

客演指揮:湯浅 卓雄 学生指揮:守谷 祐一
曲目:ベートーヴェン 舞踏音楽「プロメテウスの創造物」序曲
   ヴォーンウィリアムズ イギリス民謡組曲
   ドヴォルザーク 交響曲第8番「イギリス」

第60回定期演奏会 1982年12月22日 神戸文化ホール大ホール

客演指揮:湯浅 卓雄 学生指揮:守谷 祐一
曲目:グルック 歌劇「アウリスのイフィゲニア」序曲
   スメタナ 連作交響詩「わが祖国」より「モルダウ」
   チャイコフスキー 交響曲第5番

■18日に、学生時代の同期や後輩たちと、大阪の福島で新年会を持つ予定です。楽しみにしています。ちなみに、私は写真の前列、向かって左から3番目です。ローファー、スラックス、白いポロシャツかな、それにカーディガン。当時は、こんな格好をしていたんですね。

中野秀一郎先生の葬儀ミサと告別式

20160110nakano.jpg ■金曜日の研究部の会議中に、母校・関西学院大学社会学部の名誉教授である中野秀一郎先生がご逝去されたというe-mailが届きました。長年親しくさせていただいている、関西学院大学社会学部長の荻野昌弘先生からのe-mailでした。やはり母校の別の名誉教授の先生からいただいた年賀状で、中野先生のことが書いてありました。病院に入院されている中野先生をお見舞いしたとのことでした。その文面からは、かなり中野先生のご容態が悪い状況であることがわかっていましたが、年賀状をいただいてわずかな日しか経っていなかったので、とても驚くことになりました。

■中野先生を最後にお見かけしたのは、近鉄京都駅でした。中野先生は、関西学院大学を退職された後、奈良女子大学や京都文教大学に勤務されました。当時は、京都文教大学におられましたので、おそらくはご通勤の途中だったのではないかと思います。杖をついておられました。その時は、足をお悪くされていたのではないかと思います。2013年頃までは、ご自身のホームページに社会学的なエッセーもアップされていました。写真は、私が卒業した年の卒業アルバムに載っていた先生のお写真です。おそらくは、46歳頃のお写真ですね。

■昨日の午前中、中野先生の葬儀ミサと告別式が夙川カトリック教会で執り行われ、私も参列しました。中野先生からは、直接、何か学問的な指導を受けたわけではないのですが、今となれば笑い話しになるような、いろいろな出来事がありました。一つの思い出を書きます。大学院の修士課程当時(正確には、博士課程前期課程)、私は、大学の近くに学生下宿に暮らしていました。晩遅く、小腹が空いたので、下宿の近くの駐車場で、夜だけ営業していた屋台入っておでんを食べていたところ、突然、お酒を飲んでご機嫌の中野先生が入ってこられました。私の方は、挨拶をしてそのまま下宿に戻ろうとしたところ、引き止められました。そして、どういうわけか(本当はそのまま下宿に帰りたかったのですが)、最後は、先生のご自宅まで連れて行かれることになったのです。先生のご自宅は、大学から少し離れたところにありました。そこまで歩いて先生をお連れすることになりました。先生は酔っておられました。おそらくは、2時間近くかかったのではないかと思います。奥様は笑顔で迎えてくださいましたが、大変ご迷惑をおかけすることになったのではないかと思います。先生は、多くの人たちからダンディーと言われていました。髭をたくわえた大柄な方でした。そして、何よりもお酒がお好きな方でした。葬儀ミサや告別式の時に、先生の遺影を拝見しながら、そのような中野先生との個人的な出来事を、ひとつひとつ思い出すことになりました。

■奥様はキリスト教のカトリックを信仰されています。奥様の、そしてお元気だった時の先生のご意向もあるのかと思いますが、亡くなる少し前に、入院されていた病院の病室で洗礼をお受けになったとのことでした。そのことを、夙川教会の司祭である梅原彰神父が、葬儀ミサの中で、参列した皆さんにお話しになりました。梅原神父は、ご夫婦やご家族のこれまでの様々なエピソードとともに、キリスト教の信者にとっての死がどのような意味を持つのかを丁寧にお話しになりました。おそらくは、カトリックを含めたキリスト教一般なのでしょうが、人の死は終焉ではありません。寂しいことですが、神様のもとへ召される祝福されるべきことと考えるのです。ヨゼフ・中野秀一郎先生。天に召された中野先生の平安をお祈りいたします。

わたしは復活であり、命である。
わたしを信じる者は、死んでも生きる。
(ヨハネによる福音11ー25)

韓国ソウルの聖公会大学校から

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■昨年の12月の最初に、韓国の聖公会大学の学生さんから1通のメールをいただきました。メールの内容は、龍谷大学社会学部の地域連携型教育プログラム「大津エンパワねっと」に関して聞き取り調査をしたいので対応してもらえないかというものでした。メールを送ってくれたのは経営学部の学生Rくんでした。私は、韓国のコミュニティビジネス研究の第一人者である建国大学の金才賢先生と、研究・教育交流に関して深めてきましたが、彼は、金先生から私のことを紹介してもらったとのことでした。聖公会大学校は、別名「NGO大学校」とも呼ばれているそうです。学外の市民団体NGO/NPOと多様なネットワークをつくり社会的に評価される活動を展開しています。まだ歴史の短い大学ですが、80年代末に韓国が民主化していくさいの起点となった大学というふうに聞いています。

■昨日は、Rくんを代表とする4名の学生グループが大津にやってきました。彼らは日本語ができないので、聖公会大学からの交換留学で日本に来ている日本語が得意な学生仲間が通訳をしてくれました。今回の来日調査の研究費は、すべて聖公会大学から出ているそうです。大学の審査を通って、今回の研究費がついたとのことでした。彼らの研究の目的は、日本のコミュニティビジネスに関すること、そして社会学部の「大津エンパワねっと」に関して調査をすることにありました。自分たちの聖公会大学にも、「大津エンバワねっと」のような地域連携型の教育プログラムを導入したいと考えたからです。

■昨日は、大津市の中心市街地を見学した後、社会学部の町家キャンパス「龍龍」で、「大津エンパワねっと」の概要について説明しました。いろいろ質疑応答をした後、大津駅前のいつもの居酒屋「利やん」で彼らの歓迎会を行いました。他のお客さんとも交流するなど、「利やん」をとても楽しんでくれました。本日は、1限から瀬田キャンパスにやってきて、「大津エンパワねっと」の担当教員や履修している学生たちにインタビューを実施しました。良いインタビューができたようです。彼らとは、近い将来、ソウルで再会する約束をしました。楽しみです。また、聖公会大学に「大津エンパワねっと」を参考にした地域連携型の教育プログラムが導入された際には、今度は私たちの方が聖公会大学に学びたいとも思っています。

2015年度の卒論提出

20160107soturon.jpg ▪︎2015年度の4年生は全員で9人です。ゼミ生の人数は、どういうわけか多い年と少ない年が交互にやってきます。2015年度は少ない年でした。今日は、全員で集まって社会学部教務課に提出しました。写真に写っているのは7人。あと2人足りません。今日、提出することが約束でしたが、まだ出来上がっていないのです。明日は、卒論提出の最終日。なんとか間に合いそうですが、やはり心配です。

▪︎これまでのエントリーにも書いてきましたが、私のゼミでは、全員が調査を行い、その調査データにもとづいて卒業論文を執筆することになっています。調査にあたっては、実に多くの皆さまのお世話になりました。ありがとうございました。ゼミ生たちには、そのことの意味を深く考えてもらいたいと思います。今日は、卒業論文を書きあげて思っていることを、ひとりひとり語ってもらいました。ある学生は、高齢化率の高まりにともなって生じた地域社会の様々な問題を少しでも解決するために、地域住民の皆さん自身が「共助」の仕組みを立ち上げてきた事例もとに研究を進めました。「卒論で取り組むことがなければ、自分の住んでいる自治体にそのような活動をされている方達がおられることを、おそらくは知ることがなかっただろう。卒業後は、自分が地域社会を支える側になり、多くの皆さんと一緒に市民活動に取り組みたい」と決意を述べてくれました。

▪︎卒論に取り組むことで、自分自身にどのような「気づき」や「成長」があったのか、じっくり時間をかけて考えてほしいと思います。

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