農業共済新聞の取材
■全国農業共済協会という全国団体があります。国が定める農業災害補償法に基づき農業共済制度を運営するためにつくられた公益社団法人です。この「共済制度」とは、農家が掛金を出し合って共同準備財産をつくり、災害が発生したときに共済金の支払いを受けて農業経営を守るという、農家の相互扶助を基本とした制度です。この全国農業共済協会=NOSAIでは、「農業共済新聞」という新聞を発行しています。
■今日は、ゼミで取り組んでいる「北船路米づくり研究会」の活動に関して、この「農業共済新聞」から取材を受けました。取材は昼休みでした。昼食をとる時間をさいて、「北船路米づくり研究会」に参加している4名の学生が集まってくれました。学生たちが、インタビューに答えているのを聞きながら、短い期間ではありますが、この「北船路米づくり研究会」の活動を通して、学生たちはずいぶん成長してくれたのだなあと、あらためて感心しました。教員としては、嬉しかったですよ。
■今月の第三土曜日には、大津市の丸屋町商店街で開催している「北船路米づくり研究会」にも取材に来てくださるそうです。野菜市では、私たちを指導してくださっている農家にもインタビューをしていただく予定になっています。私たちを取材してくださった記事は、1月22日に発行される「農業共済新聞」の近畿版のトップに掲載される予定です。この「農業共済新聞」を通して、多くの皆様に私たちの活動のことを知っていただけたらと思っています。
就活と卒論
■12月になりました。3年生の就職活動が、いよいよ始まりましたね。私のところには、「合同説明会にいくので、ゼミを欠席させてください」というメールが届きます。「ゴーセツ」というやつですね。どうか、洪水のように押し寄せる情報に振り回されないようにしながら、就職活動に前向きに取り組んでもらいたいと思います。また、洪水のように押し寄せる情報に恐れをなして、殻に閉じこもってしまうのも困ります。落ち着いて。焦ってはいません。キャリアセンターのガイダンスやキャリアカウンセラーの方たちのアドバイスを参考に、丁寧に準備を行って就職活動に取り組んでください。「シューカツの雰囲気」に飲み込まれないように。また、友達の就職活動の進捗状況に、過剰に反応しないようにしてください。人それぞれの就職活動があるわけでから。
■ただし、就職活動だけで大学生活の最後が終ってしまうと思っていたら、それは問題です。必修の卒業論文のことを忘れないでください。就職活動に振り回されて、「卒業論文なんてどうでもよい、適当でかまへんやん…」という気持ちになってしまうと、あとで辛い思いをすることになります。就活と卒論は、車の両輪のようなものです。両輪ですから、どちらも同じようにエネルギーと情熱を注がなければ、卒業というゴールに向かってまっすぐに進むことはできません。
■ゼミでは、「今年の12月中に、卒論の具体的なテーマ、できれば調査地も決めていきましょう」と伝えました。それは、指導教員として、長期的に卒論に取り組んでもらいたいと純粋に思っているからです。少しずつ自分の卒論の研究を成長させていくことが、結果として、一番の「卒論の近道」だと思うからです。しかし、それだけではありません。卒論は、就職活動とも微妙にかかわってきます。就職活動の面接では、しばしば、「卒業論文ではどのようなテーマに取り組んでいますか?」と質問されます。そのさい、卒論の構想だけでも、きちんと説明できることが大切かなと思います。さらに、具体的な自分の課題設定にむかって、計画的に調査・研究を進捗させていることを、きちんと説明できるようにしてください。
■ひょっとしたら、卒業論文を「お手軽」に済ませたいと思っている人がいるかもしれません。できるだけ卒論にかける時間やエネルギーを節約して、要領よく、単位や評価を獲得したいと思っている人がいるかもしれません。コストをかけずに、ベネフィットは得たい、そういう考えの人がいても不思議ではありません。しかし、それは間違っていると思います。あるいは、最初から「卒論の単位さえあれば、内容や質はどうでもよい。ギリギリ低空飛行でもOK」と思っている人(…さすがに、そんな人は私のゼミにはいないと思いますが)、それも間違っていると思います。卒業論文とは、大学で勉学に取り組んできたことの、いわば総決算のようなものではないかと思います。繰り返しになりますが、ちゃんとした水準のある論文を執筆しようと思うと、時間がかかります。しかし、そのような水準のある卒論を時間をかけて書き上げることができたとき、それまでの経験は、あなたに自信を与えることになるはずです。自分自身のためにも、時間をかけて卒論に取り組んでください。
■ぜひ、早めに卒業論文に取り組むようにしてください。一生懸命取り組む人には、私の方も、時間を惜しまず一生懸命に指導します。
若草山-芝・鹿・宗教-
■12年も乗り続けた自宅の車が新車に替わりました。昨日、その新車が我家にやってきました。ということで、新車の走り具合を確かめてみたく、近場を少しドライブをしてみることにしました。目指したのは、若草山です。若草山からは、奈良の街を眺めることができるからです。
■若草山には、若草山の麓から、春日山、そして高円山へと向かう有料ドライブウェイ「奈良奥山ドライブウェイ」を通っていくことになります。くねくねと曲がった道を登っていくと、山頂近くの駐車場にたどり着きます。駐車場から山頂までは歩いてもすぐです。時間は、ちょうど夕日が沈んだ頃でした。ここに来たのは、何年ぶりでしょうか。おそらく、20年以上前、おそらくは25年程前のことではないかと思います。奈良に住んでいても、なかかな若草山に登ることはないのです。
■若草山は芝に覆われています。この芝は、この若草山にしか自生しない固有種だといわれています。昨年、共同通信で配信されたニュースですが、次のように報道されています。
奈良・若草山の芝は固有種 シカ共生でガラパゴス化?
奈良市の若草山で、芝の種子を採取する京都府立桂高校の生徒たち=2011年6月(同校提供)
国の天然記念物「奈良のシカ」が暮らす奈良市の若草山に自生する芝が、DNA鑑定の結果、他の場所では確認例がない固有種であることが京都府立桂高校の調査で分かった。小ぶりだがシカに食べられても次々と葉を出し成長するのが特徴で、シカと共生する独自の進化を遂げた可能性が高い。
指導した片山一平教諭によると、この芝は日本芝の一つである「ノシバ」の一種。若草山の山頂付近に古墳が築かれた4世紀ごろから自生しているとみられる。片山教諭は「千年以上かけた特異な進化の過程はまるでガラパゴスだ。砂漠化したモンゴルの草原のような場所の緑化につなげたい」と話している。
■この芝が固有種で、この若草にしか自生しないこと。そして、鹿の存在を前提にしていること。私には自然科学的なことはわかりませんが、事実だとすれば、これはとっても面白いことだと思います。記事には出てきませんが、奈良の鹿は特殊な存在です。古来より春日大社の神使とされています。春日大社が創建されるさい、茨城県にある鹿島神宮の祭神・武甕槌命が神鹿に乗ってやってきたと伝えられています。宗教的な存在でもあり、人びとは、この鹿を大切に扱ってきました。であれば、鹿と芝の共生には、このような古来より続く宗教や信仰の存在も同時に関連づけて考えられるべきだと思うのです。もし、宗教的なバリアがかかっておらず、他の地域のように鹿が狩猟の対象になっていたのであれば、おそらくは、若草山はまったく異なる植生の山になっていたことでしょう。若草山は、比較的シンプルながら、長い歴史のなかで生態系と文化が複合化してできあがったシステム(生態学者の川那部浩哉がいう「生命文化複合体」)として捉えることができるのです。
■さて、それはともかく…です。山頂からの風景を写真でご覧ください。すばらしい風景です。ここは、「新日本三大夜景」のひとつにも選ばれています。もう少し暗くなるまでまてば、その美しい景色を眺めることができたのかもしれませんが、山頂はけっこう強い風が吹いており、10分程はいましたが、寒さにまけて退散することになりました。
奈良県人会で蟹
■龍谷大学には、教職員の「奈良県人会」があります。私のように出身は兵庫県神戸市でも、現在奈良に住んでいる人もOKというとっても優しい県人会です。ちなみに、「奈良県人会」以外にも、「滋賀県人会」という大きな県人会があります。琵琶湖のある滋賀県ですから、「淡水会」という名前もついています。和歌山県出身者が、この「淡水水」に対して「海水会」という県人会をつくった…という話しも聞きました。ということで、奈良県人会に所属してはいますが、出身地が兵庫県(神戸市)であることから、何人かの仲間と職場の皆さんに呼び掛けて兵庫県人会もつくりました。昨年つくった、できたてホヤホヤの県人会です。こういう県人会、最近の若い人にはあまり流行らないのかもしれませんが、私は、職場の人間関係がとっても豊かになるように思っています。特に仕事の話しをするわけでもないのですが、アフター5にふだん部署の違う人たちが集まって飲食をしながらおしゃべりをしていると、なんだかとってもリラックスできます。
■奈良県人会は、年に4回ほど開催されます。先週の土曜日は、忘年会のシーズンにあわせた奈良県人会でした。今回は、京都にある「TAIZAR」(タイザー)というダイニングバーで開催されました。この「TAIZAR」は、丹後にある「間人」という地名からきています。「間人」とかいて「タイザ」と読みます。じつは、こちらのお店のシェフの故郷なのだそうです。お店ホームページには、以下のような説明がありました。
「TAIZAR」とは・・・
オーナーの愛する故郷の地名
京丹後市の間人(たいざ)が由来です間人(たいざ)とは、聖徳太子の生母、穴穂部間人(はしうど)皇后の名前から由来しています。間人(はしうど)皇后はその昔、「大浜の里」といわれていた当地に蘇我・物部氏の戦いの最中、この内乱を避けるため由良川を下り丹後(大浜の里)にその身を移して来ました。
丹後町に今も残る間人(たいざ)の地名は、間人(はしうど)皇后がこの地を去る(退座(たいざ)する)際に、間人(はしうど)の名前を使うことを許したことに由来しているとされ、『大浜の里にむかしをとどめてし間人(はしうど)村と世々につたへん』という歌を賜ったと伝えられています。
尚、間人(はしうど)皇后がこの地に滞在された間の館は、「御所の坪」と言われ、東山公園(間人(たいざ)・岡成地区の山中)の辺りではなかったかと言われています。
■「間人」は、蟹で大変有名なところです。ということで、「奈良県人会」のお料理のなかにも、「間人蟹」がありました。焼き蟹です。とっても甘くて美味しい蟹でした。陶板に塩をしきつめ、その上に蟹をならべて蒸し焼きにするのです。いや~素晴らしいお味でした。また行きたいお店です。ところが、来年の1月28日で閉店されるのだそうです。なんだか、残念です。といいますか、閉店前にお店にくることができて幸せでした。
卒論中間発表会
■昨日は、脇田ゼミの「卒論中間発表会」でした。ノロウイルスにやられたという2人をのぞいた4年生全員と、時間の都合をつけることができた3年生が集まりました。3年生は、来年の今頃、自分たちも先輩と同じように卒業論文に取り組むことになるわけです。「心の準備」と「頭の準備」をしてもらい、長期的に自らの研究テーマに取り組み、きちんとした水準のある卒業論文を執筆してほしいと思います。
■「卒論中間発表会」の場所は、ゼミの活動「北船路米づくり研究会」でお世話になっている指導農家の琵琶湖畔にあるお宅です。昨日は、とっても良い天気でした。北船路は、湖西の比良山系と琵琶湖に挟まれた地域です。素晴らしい山と湖の景色が私たちの目を楽しませてくれました。が、しかし。そのような素晴らしい景色はとりあえず横に置いておいて、まずは卒業論文の中間発表会です。
■昨日の「卒論中間発表会」では、4年生にレジュメを用意してもらい、自分が執筆している卒業論文の「課題設定」、「調査地の概況」、「分析」、「結論」について報告をしてもらいました。安定感があり安心して聞くことのできる発表から、途中で何をしゃべっているのか自分自身でもわからなくなってしまったような発表まで、じつに様々でしたが、とりあえず発表会を終えることができました。問題は、努力がたらず、発表ができなかった人たちです。奮起して取り組まなければ、後日、この「お返し」は利子付きで、自分自身にドーンとやってくることになります。時間は残り少ないのです。まずは、自分自身が努力しなければ指導のしようもありません。もう逃避したり、先送りしたりできる余裕はないはずです。
■私のゼミでは、社会学部の教育理念「現場主義」にもとづき、ゼミ生各自がフィールドワークをおこない、実証的な事例研究に取り組んでもらうことになっています。そして、きちんとした水準の実証的な卒業論文を書き上げ、自信をもって卒業していくことを大切にしています。ですから、卒論の個人指導は、とても丁寧におこないます。私が以前勤務していた大学でお世話になった細谷昂先生(農村社会学者)は、学生たちに「たかが卒論、されど卒論」とよくいっておられました。長い人生のなかで、卒業論文に取り組む期間などほんの短いものでしかありません。しかし、ここでの経験、特にどれだけきちんと卒論と真摯に取り組んだのか、自分で納得のいく卒論を仕上げることができたのか、そのあたりの経験は、卒業後、社会人になってからも「自分自身にとって大切な経験」として、いつまでも記憶されることになります。
■「卒論中間発表会」のあとは、ゼミ活動「北船路米づくり研究会」の「地酒プロジェクト」。「北船路米づくり研究会」では、学生自らが、生産者である農家(農村)と、消費者(都市)のあいだで架け橋になって、地域社会のなかに、食の安心・安全を大切にする「顔の見える関係」づくりに取り組んでいます。その一環として、今年の9月には、農村と都市の交流イベントである「かかし祭」を開催しました。今年で、第2回になります。第1回の「かかし祭」では、中心市街地の造り酒屋・平井商店(「浅茅生」という銘柄のお酒を生産されています)の奥様と生産組合の農家が出会い、結果として、北船路の棚田で酒米を生産し、その米で新しい地酒を生み出すことになったのです。ゼミの「北船路米づくり研究会」でも、この新しい地酒のプロデュースをお手伝いしようと、研究会内に「地酒プロジェクト」班をつくって学生たちが頑張っています。
■昨日は、4合瓶のラベルに使う「字」を検討するということで、字の下手な学生(そして字の下手な教員も)は下手なりに、上手な学生はその実力を活かして、「清酒 北船路」と1人ずつ筆で書くことになりました。私はグラフィックデザイン的なことはわかりませんが、素敵な「字」が採取できたようです。愉快な書体は「あらばしり」* 用、美しい文字は「純米酒」用。デジカメで撮影し、それをパソコンで加工して使用するのだそうです(ゼミ生に1人、パソコンの技術に優れた者がいます)。ところで下にある写真は、空いた時間で学生たちが書いた落書き。今年1年をふりかえり反省した…落書きのようです。逃亡→復活…これは、卒論のことか…。
■「字」の採取が終わったあとは、お待ちかねの慰労会です。いつもお世話になっている北船路の農家の水菜や白菜を使ったお鍋です。美味しかったな~。やはり、北船路の野菜は品質が違います。柔らかくてなおかつ味が濃い。とっても美味しくいただきました。
*「あらばしり」(日本酒造組合中央会)
荒走り(あらばしり)
醪を圧搾濾過して、清酒と清酒粕に分離する操作をいい。あげふねともいう。最近は自動醪圧搾機が普及しているが、昔は酒袋(さかぶくろ)に醪をつめて、槽(ふね)の中にならべて搾った。その操作は次のようである。
まず、醪を酒袋(5~9リットル入り)につめ、槽(ふね)の中に並べて積む。この間に、最初に出てくる白く濁った清酒を荒走り(あらばしり)という。槽が袋でいっぱいになると、槽の上にカサ枠を乗せて、さらに酒袋を積む。積み終わってから3時間くらいは、自らの重さできれいな酒が自然に出てくる。この間を水槽(みずぶね)という。
積み上げた酒袋の高さが低くなってくると、カサ枠を取り除き、押蓋(おしぶた)と枕木をのせて圧搾を始める。これを押槽(おしぶね)という。
翌日、酒袋を積み替えて(袋直し、槽直し)再び圧搾する(責槽(せめぶね))。責槽から出る酒を責め(せめ)といい、また荒走り後責め(せめ)より前に出る酒を中垂れ(なかだれ)という。
団地とヤギの除草
■facebookのお「友達」がシェアされていた読売新聞の記事です。「団地ヤギ、雑草完食し任務終了…惜しむ声しきり」。かつて建設された団地(住宅公団→都市再生機構(UR)) には、大変豊かなコモンスペースがありますが、記事のなかにある東京都町田市の町田山崎団地のばあいは、道路用に確保された窪地約300㎡がススキやクズが生い茂ってこまっていたようです。そこでその窪地を柵で囲い、ヤギ4頭(オス1頭メス3頭)を放牧して除草させたのです。通常、除草は機械力で一気にやってしまうのでしょうが、そこれをヤギの放牧場にして雑草を食べさせてしまおうという試みです。いわゆる「環境に優しい」除草の取り組みとして実証実験が行われたのです。これまで、河川の法面や、耕作が放棄された圃場などで、ヤギに雑草を食べされることは行われてきましたが、今回は、団地です。人がたくさん暮らす団地だからでしょうか、住民の皆さんからは、予想外の反応があったというのです。
■ヤギが雑草をすべて食べ尽くした段階で、除草作業は終了。ヤギも、いなくなるのが通常ですが、この山崎団地では、団地の住民の皆さんから、ヤギがいなくなることを惜しむ声があがっているというのです。「ヤギを間近に見るのは60年ぶりぐらいです。姿もやさしいし、鳴き声も楽しく、心がなごみます。飼育の永続を願っています」。「毎日この道を通るのがたのしみです。でも29日でサヨナラ?もっといて、さみしいです」。このような住民の皆さんの声に、都市再生機構の担当者も、「ヤギが雑草を一掃したのは予想通りだったが、これほど、住民に心理的な影響を及ぼすとは思わなかった」と述べておられます。おもしろいですね〜。「除草作業」という特定の目的のために導入されたのですが、住民の皆さんが、ヤギに対して除草作業以外のもっと別の意味付けを始めておられるのです。この「意図せざる結果」、地域環境の保全や地域再生、そして流域再生を考える上で、大変重要なポイントだと思いました。
2年生のためのゼミ選択に関する情報
■龍谷大学社会学部社会学科2年生の皆さん。「ゼミ選択」のヒントが欲しい方は、以下の2つのブログ記事をご覧いただければと思います。【 2年生のゼミ選択について…】、【ゼミナール】。担当の脇田が、どのような人間なのか…ということについては、以下の2つの記事をご覧ください。【ABOUT-A】、【ABOUT-B】。
■ブログがメインのホームページですが、ブログ記事の上に何やら並んでいます。ここはメニューバーです。あまり更新されない固定的な記事が配置してあります。右側をご覧ください。こちらは、ブログのカテゴリーです。個々のブログの記事は、すべてカテゴリー分けしてあります。カテゴリーを選択して記事を読むこともできます。なお、脇田本人と話しをしたいとお考えの方は、研究室(2号館3階の326)までお越しください。ただし、会議等で不在にしていることも多いため、あらかじめ以下のメールアドレスにご連絡をいただけると嬉しいです。「#」を「@」に替えてメールをください。 wakita#soc.ryukoku.ac.jp
「大津エンパワねっと」全体授業
■今日の投稿は、龍谷大学社会学部の地域連携型教育プログラム「大津エンパワねっと」について。「大津エンパワねっと」コースのなかにある実習も取り込んだ授業「地域エンパワねっとⅠ」・「地域エンパワねっとⅡ」では、大学に隣接した瀬田東学区と、大津市の中心市街地にあたる中央地区の2カ所で、学生たちが活動しています。「エンパワ」の授業は金曜日の1・2限に開催されますが、地区ごとに集まって集団指導を行う日と、全員が集まって授業を行う日の両方があります。今日は、後者の方。6期生の全員か集まり、全体授業が行われました。トップの写真は、瀬田東学区で地域の防犯をテーマに取り組んでいるチームです。臨床福祉学科の高松智画先生の指導を受けているところです。
■「地域エンパワねっとⅠ・Ⅱ」は、社会学部の4学科すべての学生が履修できる教育プログラムです。そして、4学科から教員が1人ずつ出てこの授業を担当しています。担当者の代表は、コミュニティマネジメント学科の笠井賢紀先生です。今日も笠井先生の進行で授業は始まりました。現在、学生たちは、地域社会で地域づくりに取組む皆さん、そして地域づくり団体からヒアリングを行うとともに、地域の活動に参加しながら、自分たちのチームのテーマを絞り込んでいこうとしています。学生ならではの「目線」から、この地域の課題や魅力をどのように発見していくのか。どのチームの学生たちも、悩みながら頑張っています。でも、雰囲気はとても楽しそうです。素敵なことですね。
■今日の授業の前半では、「ワールドカフェ」という方法を用いて授業が実施されました。「ワールドカフェ」とは、どのような方法なのでしょうか。ネット上では、以下のように解説されています。
ワールド・カフェとは、“カフェ”にいるようなリラックスした雰囲気のなか、参加者が少人数に分かれたテーブルで自由に対話を行い、ときどき他のテーブルとメンバーをシャッフルしながら話し合いを発展させていくこと。相互理解を深め、集合知を創出していく組織開発の手法です。その考え方や方法論は世界中に普及し、ビジネスや市民活動、まちづくり、教育などさまざまな分野で活用が進められています。
■チームに分かれて、「地域と、地域で、私たちには何かができるのか」ということをテーマに話し合いをします。テーブルの真ん中には、模造紙を広げてあるのですが、そこに話し合いのなかから生まれた意見やアイデアを書き込んでいきます。そのあと、チームでの話し合いを説明する人を1人を残して、他のメンバーは別のチームのテーブルに移動します。そこで、また、「地域と、地域で、私たちには何かができるのか」というテーマについて自由に話しをします。そして、模造紙にも書込みをしていきます。この段階が終ったら、各自、もといた自分のチームのテーブルに戻ります。他のチームの人の意見やアイデアが書き込まれています。こうやって、相互理解を深めていくのです。他のチームの書込みが、思わぬヒントになったり、励ましになったりするのではないかと思います。
■今日は「ワールドカフェ」だけでなく、「クリッカー」という装置も使用されました。一方的に教員が講義をするのではなく、この装置を使って学生も意見を簡単に述べられるのです。双方型の授業を支援するために開発された装置なのです。学生たちの意見をリアルタイムに集めることのできます。いろいろ便利なものが生まれていますね〜。
iPhone5でオダサク
■ふだん、スマートフォンとしてiPhone5を使用しています。アプリケーションのなかに、「豊平文庫」(ほうへいぶんこ)というものがあります。これは、「青空文庫」に入った作品を読ためのアプリです。で、「青空文庫」ですが、これは著作権が切れた文学作品をインターネット上で収集・公開している電子図書館です。まわりくどくなりました。通勤時に、このアプリを使って、「青空文庫」に入った織田作之助の作品を楽しむことが、私の最近のマイブームになっています。
■織田作之助(1913年- 1947年)の作品には、古き良き時代の大阪の庶民の暮らしや、大阪の街が描かれています(都市を社会学的に考える上でも、役に立つ作品だと思います)。主観的な印象論にしかすぎませんが、織田独特のユーモアのなかに、ちょっとした悲しさと寂しさが入り交じっているところに、なにやら味わい深いものを感じて、病み付きになるのです。どうして、織田作之助なのかということなのですが…。今年が織田作之助生誕100年にあたるらしく、新聞等でもさかんに取り上げられており、そのような記事をたまたま読んで、記憶のなかに引っかかっていたのだと思います。ひさしぶりに、「豊平文庫」を触って「どの作家の作品にしようか…」と考えたときに、「織田作之助」の名前が一番先に浮かんできたという、たまたまの偶然だったのですが、読み進めるうちに病み付きになってしまったのですね。
■学生の皆さん。私のばあいは、たまたま織田作之助なのですが、ぜひ「青空文庫」に収められている作品を、お手元のスマホで読んでみてください。これは、考えてみればすごいことなのです。文学作品をたくさん収めた図書館が、片手で持つことができるのですから。たしかに、著作権の切れた古い作品ばかりですが、どこかに自分のハートと共振する作品をみつけることができるはずです。
岸由ニさんの本
■amazonから、岸由ニさんの本が2冊届きました。『「流域地図の」作り方』(2013年)と『奇跡の自然』(2012年)です。前者の「まえがき」には、こう書いてあります。「地球という生命圏のリアルな姿をすっかり忘れた産業文明の私たちが、大地の凸凹と循環する水とのにぎわう生きものたちでできている生命圏を再発見し、その聞きに足元から付き合いなおし、温暖化や生物多様性危機で大変貌していく地域に再適応していくために必要な足元の大地の凸凹性を再獲得するための入門書」。再適応し再獲得するためのとっかかりの方法が「流域地図」なのです。もし、流域環境学について考える実習のような授業があるのならば、学生と一緒に取り組んでみたいと思いますし、現在、流域環境学の大きなプロジェクトにも取組み始めたところなので(大学共同利用機関法人人間文化機構「総合地球環境学研究所」のプロジェクト「生物多様性が駆動する栄養循環と流域圏社会-生態システムの健全性」)、流域にお住まいの皆さんと一緒にやってみたいなとも思いました。
■もう1冊、『奇跡の自然』は、サブタイトルが「三浦半島小網代の谷を『流域思考』で守る」…になっています。小網代の谷とは、神奈川県の三浦半島の、浦の川理由行きと河口干潟からなるコンパクトな流域です。1980年代ゴルフ場開発計画がこの地域に浮上しましたが、市民運動によって守られました。岸さんは、「まえがき」にはこう書いておられます。「森と干潟と海をつなぐ小網代流域生態系の、ダイヤモンドの原石のような奇跡的な価値を感じていただき、また、四半世紀をすでに大きく超えた小網代保全の歴史と工夫と、なお未来につづく多様な課題を知っていただけたら」。第三部は、養老孟司さんとの対談にもなっています。
■まだ、届いたばかりで2冊とも「まえがき」しか読んでいませんが、ちょっとワクワクしています。岸さんとは面識がある…というわけではありません。40歳になった頃、私は、日本学術振興会「未来開拓学術研究推進事業」「アジア地域の環境保全」のなかの、流域管理をテーマにしたプロジェクトに参加しました。京都大学生態学研究センターの和田英太郎先生を代表とするプロジェクトです。このプロジェクトに参加して以来、私は、住民参加・参画をベースにした文理融合的な「流域管理論」、そして最近ではトランス ・ディシプリナリーと呼ぶような「流域環境学」の構築を目指して研究に取り組んでいます。私が「流域管理論」や「流域環境学」に取り組み始めた当時、岸由ニさんには、プロジェクトに対して直接的にいろいろご意見やアドバイスをいただきました(ご本人はお忘れでしょうが)。「めっちゃ、面白い人や!」とも思いました。プロジェクトを進めることは非常に大変でしたが、お話しをさせていただき、元気が出てきたことを記憶しています。
■今回も、岸さんの本から元気とともに、これから取り組む「流域環境学」のプロジェクトにつながるヒントをいただこうと思います。