2014年度の時間割
■今更なんですが、今年度の時間割です。会議が入る、あるいは入りそうな可能性の高い時間も示してあります。前期については、すでにほとんどの担当授業が修了しました。夏期休暇の予定についてはこちらをご覧ください。
【追記】
■「オフィスアワー」を設けていますが、それ以外でも面談をいたします。メールで面談の日時等を調整させていただきます。
■月曜日の3限を「オフィスアワー」とします。授業に関する質問、研究についての相談、そのた学生生活に関する相談等も含めて研究室にお越しください。ただし緊急の用事等が発生する場合がありますので、あらかじめメールでご連絡をいただけるとありがたいです。
■火曜日の午後は、深草キャンパスで大学院委員会、大学院運営委員会、全学研究運営会議等が入ることがあります。毎週ではありませんが、瀬田キャンパスにいないことが多いと思います。火曜日の午後面談を希望されるばあいは、あらかじめメールで確認をお願いいたします。
■水曜日の午後は、学科会議、教授会、研究科委員会等が入ることがあります。それらの会議がなくても、大津エンパワねっと運営委員会、その他の打ち合せ等がはいる可能性があります。水曜日の午後面談を希望されるばあいは、あらかじめメールで確認をお願いいたします。
■木曜日、2014年度は終日研究にあてたいと思います。土日も、地域連携に関する活動からなかなか研究のための時間がとれません。ということで、ここは無理をしてでも研究日を設けなくてはということで、一切、研究以外のことはやる予定がありません。大学に来ているかもしれませんが、この日は面談はいたしません。
洞庭湖の家船
■30代の頃(32歳〜39歳)、滋賀県教育委員会の琵琶湖博物館開設準備室、そして滋賀県立琵琶湖博物館に勤務していました。開設準備室の頃は技術職員として、博物館開館後は主任学芸員として勤務していました。準備室の時代、同僚の室員たちとは、世界の湖沼に取材に行きました。ヨーロッパのレマン湖、アフリカのタンガニーカ湖、北米の五大湖、南米のチチカカ湖…、そして私が担当したのは、中国の洞庭湖でした。洞庭湖には、準備室時代も含めて、何度か取材や調査に行きました。
■トップの写真は、その時代に写したものです。日付は、1995年10月2日になっています。今から19年前になりますね。37歳の時です。これは、洞庭湖に浮かぶ「家船」です。朝日を背景にして撮ったので、黒いシルエットになっています。漁民の皆さんは、この「家船」で漁を行い、生活もし、移動もしていました。私たちが洞庭湖を調査している頃、多くの皆さんは、すでに政府の定住政策により陸地にも住宅をもっておられたと思いますが、漁のシーズンはこうやって家船で生活や漁労をされていました。
■写真では、2艘連結してあります。前の家船には洗濯物が干してありますね。調理のための煮炊きも船の上で行います(実際に確認はしていませんが、通常は、皆さんそのようにされていました)。屋根の上には竹竿が見えます。おそらくは、漁具の一部です。見ての通り、水深はかなり浅く、そういうところに竹をつかった漁具を建てていくのではないかと思われます(あくまで推測ですけど…)。私は、自分の研究室にこの写真を飾っています。私にとって、若い頃におこなった中国の洞庭湖での漁業の調査・取材は、大変思い出深いものなのです。このときに行った取材の記録は、琵琶湖博物館に保存されています(…と思います)。
■洞庭湖周辺では、様々な漁法により漁労が行われていました。大変変わったところでは、水牛の糞を使った漁法がありました。基本的には、延縄(はえなわ)漁業なのですが、川の堤防で草を食む水牛が排泄した糞を集めて利用します。延縄は、基本的には、1本の長い幹縄に多数の枝縄をつけます。この水牛の糞の漁のばあいは、その枝縄の先の法に丸い石がついており、先端が釣り針になっていました。集めてきた水牛の糞を粘土のように使い、丸い石と別に用意した餌の籾殻と先端の釣り針を丸めて団子状にします。もちろん、手で丸めます。それを桶のなかに順番に丸く並べていくのです。実際の漁では、その糞が少しずつ溶けて、餌になる籾殻に引き寄せられるように魚たちがよってきて釣り針ごと飲み込みます。そして、魚の喉に延縄の釣り針が引っかかるのです。吸い込む感じでしょうか。ですから、鯉などの大きめの魚が対象の漁法だったように思います。
■また、日本でも良く知られる漁業が洞庭湖にもありました。鵜飼漁です。以下は、開設準備室時代のニューズレターです。そこに、当時の同僚である藤岡康弘さんと一緒に記事を書きました。洞庭湖で調査・取材をしているときに、訪問した川鵜漁の漁師さんの記事です。「洞庭湖のカワウ漁師」。ご覧いただければと思います。日本の鵜飼とはちょっと違うまです。なんだか、懐かしいですね〜。
■ところで、冒頭の写真のような家船の実物大復元模型が、滋賀県立琵琶湖博物館の企画展で展示されているそうです。いってみようと思っています。第22回企画展示「魚米之郷(ぎょまいのさと)-太湖・洞庭湖と琵琶湖の水辺の暮らし-」です。東アジアにおける湖沼のつながりを探り、農・漁・水を通じて湖との暮らしのあり方を見つめなおしながら湖の環境保全へのヒントを見つけるための企画展です。滋賀県・湖南省友好提携30周年記念関連事業/琵琶湖博物館・湖南省博物館協力協定調印記念事業でもあるようです。
■また、この企画展と関連して、B展示室でも博物館の資料が展示されるようです。8月5日から9月7日までは、近江八景と近江米や養殖事業に関する展示てす。
近江八景は、中国湖南省の景勝地である瀟湘八景(しょうしょうはっけい)になぞらえて選ばれ、江戸時代には人々に親しまれていました。今回は、近江八景にまつわる史料二点とともに、滋賀県の名産品として品種改良を重ねてきた近江米、漁獲高を増加させていった琵琶湖養殖事業にまつわる史料を展示しています。琵琶湖こそまさに、日本の魚米之郷(ぎょまいのさと)だといえるでしょう。
■9月9日から10月5日までは、以下の展示になっています。
今回の展示では、近江の人たちが、どのようにして琵琶湖の水辺のくらしを営んできたかということがうかがえる史料を集めました。江戸時代には同業者仲間をつくって肥料の売買を独占したり、踏車(ふみぐるま)や田地養船(でんちやしないぶね)を使って水面で作業をしていました。また、魚の通路に迷路のように簀(す)を立て、とじこめて捕まえる魞漁(えりりょう)は、今もなお、日本の魚米之郷(ぎょまいのさと) 琵琶湖ならではの風物詩となっています。
【追記】■「水牛の糞を使った延縄漁」と「鵜飼漁」の家族の家船は、洞庭湖に注ぐ河川の河口部で、並んで停泊していました。私たちは、「鵜飼漁」の家族の皆さんの家船で食事を御馳走になりました。飲み水は、その河口の川の水です。泥が沈殿するのを待って、その上水を飲料水として使っておられました。もちろん、煮沸しておられました。お隣りは、「水牛の糞を使った延縄漁」の家族です。粘土のように手にこびりついた水牛の糞を船から手を伸ばして洗っておられる横で、飲み水をくんでおられました。そのとき一瞬「ああ…」と思ってしまった自分のひ弱さ(肉体的にも精神的にも)、そのときのこと、今でもよく記憶しています。
ヴァンダナ・シヴァの「いのちの種を抱きしめて」
「いのちの種を抱きしめて」
映画出演:ヴァンダナ・シヴァ、辻 信一、サティシュ・クマール
お話し:辻 信一(スローシネマ監督・文化人類学者)日 時:2014年8月9日(土)
15時〜17時30分(開場:14時30分)
場 所:龍谷大学大宮キャンパス清和館 3階ホールヴァンダナ・シヴァ(Vandana Shiva) www.navdanya.org/
環境活動家、科学哲学博士。森林や水、遺伝子組み換え技術などに関する環境問題、社会問題の研究と運動を展開する国際的指導者。有機農業や種子の保存を提唱し、その研究と実践、普及のための拠点として、NPO「ナヴダーニャ(9つの種)」を設立。デラドゥンにあるナヴダーニャ農場では、630品種に及ぶ米、麦、雑穀、野菜、ハーブを栽培、採種、保存するなど、小さな農の豊かさを世界に示している。農場にある「ビジャ・ビディヤピース(種の学校)」では、生物多様性、持続可能性など、多岐にわたる講義やワークショップが開かれ、世界中から新しい生き方や社会のあり方を模索する若者たちが集う。これまでに300を超える論文を発表し、多数の著書を出版。「ライト・ライブリーフッド賞」など受賞多数。
■以前、「女性の環境運動」に強い関心をもっていた時期があり、ヴァンダナ・シヴァの著作を読んで勉強しました。一般に、シヴァらの思想的立場は「エコフェミニズム」と呼ばれています。詳しくはここでは書きませんが、日本において「エコフェミニズム」は、様々な事情で思想的な展開をみせることはありませんでした。しかし、海外では、マリア・ミースやこのヴァンダナ・シヴァを初めとする様々な研究者がエコフェミニズムの議論を展開しリードしてきました。そしてミースやヴァンダナら2人による『Ecofeminism』(1993年)が出版されたあと、「女性・環境・持続可能な開発」が国際的に大きなテーマとなりました。
■今回の映画は、環境文化NGO「ナマケモノ倶楽部」が、企画・製作したもので、ヴァンダナ・シヴァの活動をドキュメンタリーとして紹介するものです。「ナマケモノ倶楽部」では以下のように解説されています。
種の自由こそが人類の希望!
それを守る希望は、まだある。(辻信一)文化人類学者の辻信一さんと現代エコロジーの巨匠・サティシュ・クマールさんが2009年より手がけるDVD「アジアの英知シリーズ」。待望の第四弾は、シリーズ初の女性、科学者であり環境活動家のヴァンダナ・シヴァさんに焦点をあてたドキュメンタリー。
インド・ニューデリー、そして、ヴァンダナの故郷デラドゥンのナヴダーニャ農場にて、ヴァンダナさんが語る「TPP」、「遺伝子組み換え(GMO)」、「たねの未来」。インドの伝統的な宇宙観が示す「自由経済」、そして「生きる歓び」とは?
農民とともにあり続けるヴァンダナさんの「闘うエコロジー」には愛と希望があふれていた!
■トップの写真。瀬田キャンパス1号館入り口のガラスに貼付けてあったポスターを撮ったものです。
「寄生獣」
■今から四半世紀(25年)ほどまえのことです。当時は、漫画を読む習慣がありませんでした。しかし、そのような私でも勧められて夢中になって読んだ漫画があります。それが『寄生獣』(作・岩明均)です。漫画の評価をきちんとできるだけの力量は私にはありませんが、これは名作だと思いました。研究室に置いてあります。大切な蔵書の一部です。
■今から四半世紀前、環境問題のなかで「共生」という言葉が流行っていました。それも、かなり軽い意味合いで使われていました。この『寄生獣』は、そのようなブームとしての「共生」を拒否し、超えようとする内容を含んでいると思いました。当時、ある大学で非常勤講師をしていましたが、授業の教材でも使用しました。懐かしいですね。当時、私の講義を受けた方達、今では、40歳代半ばになっているわけですね…。さて、この『寄生獣』のストーリーは書きません。なぜ、名作なのかも、実際にお読みいただき実感していただければと思います。ところで、この『寄生獣』、映画になるようですね…。個人的には観てみたいものの、微妙な気持ちでもあります。がっかりしたくないのです。
ビワコオオナマズ
■「大津エンパワねっと」コース、3年生が現在「地域エンパワねっとⅡ」に取組んでいます。エンバワの総決算です。中央地区で頑張っているチーム「BOSS」は、中央学区の子どもの健全な育成を地域で見守るための様々な活動をしている「子ども会育成連絡協議会」の皆さんのこ指導のもと、夏の一大イベントのなかで、子どもたちに楽しみながら環境教育を行うべく、楽しい企画を練っています。今日は、1ページが模造紙1枚ほども大きさにもなる、デッカイ図鑑の製作に励みました。子どもたちに参加してもらいながら、様々な生き物を貼付けていくのだそうです。
■写真です。私が持っているのは、ビワコオオナマズです。図鑑に掲載されたものを、実際の大きさにあうように拡大コピーして、ダンボールに貼付けて切り取ったものです。このビワコオオナマズだけでなく、琵琶湖やその周囲に生息する様々な生き物を、デッカイ図鑑に貼付けていくのです。
■ところで、ビワコオオナマズは1m以上にもなります。私自身は、琵琶湖にしか生息しないと勉強してきたのですが、最近の調査では、琵琶湖から流出する淀川水系にも生息しているようです。普通のナマズや、琵琶湖の北湖の岩礁帯にいるイワトコナマズは、刺身でも食べられる美味しい魚なのですが、ビワコオオナマズはどうも味はよくないようです。
■チーム「BOSS」の話しに戻ります。「BOSS」の活動は、エンパワ1期生から、ずっと続いているものです。「BOSS」は6期生なので、6代にわたって継続してきたわけです。「学生の地域連携事業は継続性がない、学生が卒業したら、それで終わり…」と、しばしばお叱りを受けます。しかし、「大津エンパワねっと」では、取組みの継続性を維持するために、先輩から後輩へと活動を引き継いでいくことを大切にしてきました。「BOSS」の皆さんは、その伝統の重みを感じつつ、なおかつ自分たちの活動のオリジナリティ求めて、日々思案しているのです。頑張れ、「BOSS」!! ところで、なぜチーム名が「BOSS」なのかというと、チーム名を決定する相談をしているとき、1人の学生が缶コーヒーを呑んでたからです。いや、ほんまのことです。
■ちなみに、写真の私は、いちびっています。いちびるとは、「ふざける」「調子にのる」という意味の関西弁です。
涙のメモ用紙
■研究室に戻ると、ドアにこんなメモが貼付けてありました。瀬田キャンパスをまわっている保険会社の社員さんのメモでした。まだ若い社員さんです。うちの下の子ども、長男と同い年です。こういうことも、家族構成を聞かれているうちに、いろいろ雑談をしてしまうんですよね〜。うちの息子も頑張って働いているのかな…と思いつつお話しを伺いました。営業を担当されているだけあって、とても一生懸命で感じのよい方です。素敵な笑顔。だからたぶん、ストレスが溜まっているのではないのかな…とも思いました(がんばって…)。
■で、なんでこんなことを投稿したかというと、メモの漫画の女性が涙を流していたからです。研究室でお会いする約束をしていたのですが、その時間に研究室に戻れなかったのです(そういうことも、ありますよ…とはお伝えしてはありましたが)。というわけで、「あっ!(ごめんね…)」と思ってしまったのだ。そう、「しまった」のです。営業社員用に、こういうメモ用紙が用意されているのですね。社員さんの笑顔を想像しつつ、「ごめんさい、申し訳ないです…」と思わせる力が、このメモ用紙にはありますね。
■いろいろお話しを伺いました。社会学をしているので、ついついこちらから聞いてしまいます。インタビュー癖がついているもので…。まだ入社されて3年目なんだそうですが、「根性ありそうだね〜」なんて話しをすると、「ぜんぜん、もう根性なんてありません。内定が出た時も、まわりから大反対されました」ですって。そうは見えませんけどね〜。やはり、企業に入ると鍛えられるのですね。同僚には龍大卒の人たちもいるとのことでした。就職活動のアドバイスもしてもらいたいな…なんてことも、ちょっと思ったりしました。
体脂肪
■瀬田キャンバスにある保険管理センターに行きました。5年ほど前のことになりますが、突然のように舞い降りてきた仕事上の理不尽な出来事を契機に、血圧が上がったまま下がらなくなってしまいました。仕方なく、血圧降下剤を飲んでいます。以前は、自宅の近くの病院に通っていました。しかし、仕事が忙しくなり、帰宅する頃には閉院しており診察してもらえないことが多くなりました。ということで、大学の保険管理センターに相談すると、センターの医師が血圧降下剤を出してくださるということになりました。先月から、月に1回ほど診察していただくことになりました。睡眠の前に薬を飲み、朝、起きたときにすぐに自宅にある血圧計で血圧を測定し、その結果を「私の血圧日記」というノートに記録していくようにとの指導を受けました。ところが、なかなかこれが難しいのです…。
■今日は、前回とは違い、女性の先生でした。いろいろお話しをさせていただきました。なぜ晩、寝る前に飲むのか。血圧降下剤と飲酒との関係。睡眠と飲酒の関係。それから、ランニングと血圧の関係…。眠る前がだめだったら、翌朝でも良いとか。いろいろ勉強になりました。そして、ランニングをすることも勧められました。そうです、以前、走っていたのに…です。
■3月の篠山ABCマラソンを完走して以来、まったく走らなくなってしまいました。世の中には、走るために生まれてきたような方がおられます。しかし、私のばあい、走ること自体が目的というよりも、走ることによって別の目標を達成することが目的だったため(健康になるとか、マラソンを完走するとか…)、大会が終ってしまったら急に走らなくなってしまったのです。大会やそれまでの練習で膝下の脛の筋を痛めたため、大会終了後1ヶ月は、痛みがとれるまで意識的にお休みしました。そのお休みの途中に、肋骨を痛めてしまったため(肋骨の軟骨にヒビが入ったようです)、整形外科にいって治療しました。ということで、2ヶ月近く走らないでいました。体も少しずつ重くなって走るのが億劫になってきました。そうしているうちに、体重は3kgも増えてしまいました。
■今日、先生から診断を受けているときに、「脇田さん、明日からもう一度、走りましょう!」と励ましていただきました。そして、朝、起きて血圧計で血圧を測定して記録し、十分に水分を摂ったあと、ジョギングをして、再び血圧計で血圧を測定し、ジョギングの前後で2回記録を取ることになったのです。う〜ん、これできますかね。でも、頑張ります。そう、私を思わせたのには、もうひとつ理由があります。
■トップの写真をご覧ください。これは、保険管理センターの入り口に置いてある、体脂肪の模型です。これで1kgあります。ペンの大きさと比較してもらえればわかりますが、かなりの見た目の量もあります。こういうのが、体内に増えてしまっているんです。「あっ…いやだ」と思いました。保険管理センターの「思惑」通りに反応してしまっています(^^;;。明日から、再び、走り始めることにします。次の診察は9月になりますが、「脇田さん、がんばりましたね〜」といってもらえるように(^^;;、薬を飲みとジョギングする、きちんとやるようにします。これも、「思惑」通りだと思います(^^;;。
Wakita
■アメリカのオクラホマ州の北部に、「Wakita」という地名の小さな小さな町があります。wikipediaやネット上にある関連情報によれば、人口が減って、町のなかあった学校が維持できなくなるくらいに小さな町です。なぜそんな町が気になっているのかといえば、町の名前が私と同じだからです。正確には、「ワキタ」てはなく「Wok-ih-taw」と発音するのだそうです。アメリカでは、変わった名前かと思います。ここに町ができる以前に、この地域を竜巻からまもってきたチェロキー族(ネイティブ・アメリカン)のリーダーの名前に由来するのだとか。写真は、町の給水塔です。町の象徴のようですね。
■ここは「twister」という竜巻の映画でも有名になりました。スピルバーグ製作総指揮、M・クライトン脚本による1996年に公開された映画です。wikipediaによれば、以下のような粗筋です。こちらのブログの記事も詳しいですね。
まれに見る不安定な気象状況に、多数の竜巻発生が予想されたアメリカ南部。
かつて「ストーム・チェイサー(竜巻を追い観測する研究者)」として名をはせた気象予報官のビルは、現役のストーム・チェイサーである妻ジョーとの離婚を成立させるため、フィアンセをともなってひさしぶりに竜巻追跡の現場へやってくる。ジョーのチームは、ビルの発案で開発された画期的観測装置「ドロシー」の運用実験に臨んでいた。そこにはアイデアを盗んでまったく同じ仕様の装置を持ち出して来たライバル研究者、ジョーナスの姿もあった。気もそぞろにジョーたちの手伝いを始めるビル。資金力にものをいわせて竜巻を追うジョーナスたちに先んじて、なんとしても「ドロシー」を竜巻の直下に仕掛けなければならない。
いくつもの竜巻との遭遇……幼少時、竜巻に奪われた父を追うかのように無謀なジョーの姿……ビルの中で、何かが動き始めたその時、夜の闇の奥から強力な大竜巻が現れ、町を破壊しつくしていった。新しい竜巻予報システムを構築して被害を防がなければ……。そのためにはデータが要る!目的と絆を取り戻したビルとジョーは、「ドロシー」に改良を加え最後の追跡に挑む。そして遂に、彼らの目の前に、最大級F5クラスの巨大竜巻が現れた
■この町には、映画「twister」に関する小さな博物館があります。以下は、この博物館に関するテレビニュースです。
■自分の名前とアメリカのチェロキー族や竜巻が、ちょっと無理矢理ではありますが、こんなふうに結びついているとは…。多くの皆さんには、どうでもよい話しだとは思いますけど(^^;;。
サグラダ・ファミリア完成予想動画
■お「友達」のfacebook記事を通してしりました。http://grapee.jp/7142
■リンク先には、こんな文章が。
スペインのバルセロナが誇る世界遺産、サグラダ・ファミリア。1882年に着工し、現在工事開始から132年が経過。12年後のガウディ没後100年となる2026年に完成する予定となっています。
あと12年も待てないよ!といった方のためにサグラダ・ファミリアの完成予想動画が公開されていたのでご紹介。動画をみると現在の姿はまだまだ完成まで遠いことがわかりますね。2026年の完成まであと14年、果たして間に合うのでしょうか!?
■12年後というと、68歳。まだ、なんとか生きている可能性がありますね。自分の眼で確認できるかな…。しかし、これまでの建設のスピードからすれば、まだまだ時間が必要なように思いますが…。どうだろう。
フィリピンのfacebookアルバム
■総合地球環境学研究所のプロジェクト「生物多様性が駆動する栄養循環と流域圏社会─生態システムの健全性」のリーダーやコアメンバーと一緒に、ラグナ湖(現地では、バエ湖といいます)に流入する流域の視察に行ってきました。移動中の風景や、その他諸々のfaebookのアルバムです。
■とりあえず、アルバムをご覧いただければと思います。後日、フィリピンのレポートをしようと思いますが…いつになりますかね…心配。