洞庭湖の家船
■30代の頃(32歳〜39歳)、滋賀県教育委員会の琵琶湖博物館開設準備室、そして滋賀県立琵琶湖博物館に勤務していました。開設準備室の頃は技術職員として、博物館開館後は主任学芸員として勤務していました。準備室の時代、同僚の室員たちとは、世界の湖沼に取材に行きました。ヨーロッパのレマン湖、アフリカのタンガニーカ湖、北米の五大湖、南米のチチカカ湖…、そして私が担当したのは、中国の洞庭湖でした。洞庭湖には、準備室時代も含めて、何度か取材や調査に行きました。
■トップの写真は、その時代に写したものです。日付は、1995年10月2日になっています。今から19年前になりますね。37歳の時です。これは、洞庭湖に浮かぶ「家船」です。朝日を背景にして撮ったので、黒いシルエットになっています。漁民の皆さんは、この「家船」で漁を行い、生活もし、移動もしていました。私たちが洞庭湖を調査している頃、多くの皆さんは、すでに政府の定住政策により陸地にも住宅をもっておられたと思いますが、漁のシーズンはこうやって家船で生活や漁労をされていました。
■写真では、2艘連結してあります。前の家船には洗濯物が干してありますね。調理のための煮炊きも船の上で行います(実際に確認はしていませんが、通常は、皆さんそのようにされていました)。屋根の上には竹竿が見えます。おそらくは、漁具の一部です。見ての通り、水深はかなり浅く、そういうところに竹をつかった漁具を建てていくのではないかと思われます(あくまで推測ですけど…)。私は、自分の研究室にこの写真を飾っています。私にとって、若い頃におこなった中国の洞庭湖での漁業の調査・取材は、大変思い出深いものなのです。このときに行った取材の記録は、琵琶湖博物館に保存されています(…と思います)。
■洞庭湖周辺では、様々な漁法により漁労が行われていました。大変変わったところでは、水牛の糞を使った漁法がありました。基本的には、延縄(はえなわ)漁業なのですが、川の堤防で草を食む水牛が排泄した糞を集めて利用します。延縄は、基本的には、1本の長い幹縄に多数の枝縄をつけます。この水牛の糞の漁のばあいは、その枝縄の先の法に丸い石がついており、先端が釣り針になっていました。集めてきた水牛の糞を粘土のように使い、丸い石と別に用意した餌の籾殻と先端の釣り針を丸めて団子状にします。もちろん、手で丸めます。それを桶のなかに順番に丸く並べていくのです。実際の漁では、その糞が少しずつ溶けて、餌になる籾殻に引き寄せられるように魚たちがよってきて釣り針ごと飲み込みます。そして、魚の喉に延縄の釣り針が引っかかるのです。吸い込む感じでしょうか。ですから、鯉などの大きめの魚が対象の漁法だったように思います。
■また、日本でも良く知られる漁業が洞庭湖にもありました。鵜飼漁です。以下は、開設準備室時代のニューズレターです。そこに、当時の同僚である藤岡康弘さんと一緒に記事を書きました。洞庭湖で調査・取材をしているときに、訪問した川鵜漁の漁師さんの記事です。「洞庭湖のカワウ漁師」。ご覧いただければと思います。日本の鵜飼とはちょっと違うまです。なんだか、懐かしいですね〜。
■ところで、冒頭の写真のような家船の実物大復元模型が、滋賀県立琵琶湖博物館の企画展で展示されているそうです。いってみようと思っています。第22回企画展示「魚米之郷(ぎょまいのさと)-太湖・洞庭湖と琵琶湖の水辺の暮らし-」です。東アジアにおける湖沼のつながりを探り、農・漁・水を通じて湖との暮らしのあり方を見つめなおしながら湖の環境保全へのヒントを見つけるための企画展です。滋賀県・湖南省友好提携30周年記念関連事業/琵琶湖博物館・湖南省博物館協力協定調印記念事業でもあるようです。
■また、この企画展と関連して、B展示室でも博物館の資料が展示されるようです。8月5日から9月7日までは、近江八景と近江米や養殖事業に関する展示てす。
近江八景は、中国湖南省の景勝地である瀟湘八景(しょうしょうはっけい)になぞらえて選ばれ、江戸時代には人々に親しまれていました。今回は、近江八景にまつわる史料二点とともに、滋賀県の名産品として品種改良を重ねてきた近江米、漁獲高を増加させていった琵琶湖養殖事業にまつわる史料を展示しています。琵琶湖こそまさに、日本の魚米之郷(ぎょまいのさと)だといえるでしょう。
■9月9日から10月5日までは、以下の展示になっています。
今回の展示では、近江の人たちが、どのようにして琵琶湖の水辺のくらしを営んできたかということがうかがえる史料を集めました。江戸時代には同業者仲間をつくって肥料の売買を独占したり、踏車(ふみぐるま)や田地養船(でんちやしないぶね)を使って水面で作業をしていました。また、魚の通路に迷路のように簀(す)を立て、とじこめて捕まえる魞漁(えりりょう)は、今もなお、日本の魚米之郷(ぎょまいのさと) 琵琶湖ならではの風物詩となっています。
【追記】■「水牛の糞を使った延縄漁」と「鵜飼漁」の家族の家船は、洞庭湖に注ぐ河川の河口部で、並んで停泊していました。私たちは、「鵜飼漁」の家族の皆さんの家船で食事を御馳走になりました。飲み水は、その河口の川の水です。泥が沈殿するのを待って、その上水を飲料水として使っておられました。もちろん、煮沸しておられました。お隣りは、「水牛の糞を使った延縄漁」の家族です。粘土のように手にこびりついた水牛の糞を船から手を伸ばして洗っておられる横で、飲み水をくんでおられました。そのとき一瞬「ああ…」と思ってしまった自分のひ弱さ(肉体的にも精神的にも)、そのときのこと、今でもよく記憶しています。