他人はどうあれ力

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▪︎ヒビノケイコさんという方がおられます。「日々の稽古」というふうに聞こえます。ペンネームでしょうか。それとも、本名で、漢字は日比野恵子さん…だったりして。どうなんでしょう。それはともかく、ヒビノさんが出版された本をamazonで調べたところ、以下のようなプロフィールの方でした。

1982年大阪生まれ。京都精華大学芸術学部卒。山カフェ・自然派菓子工房ぽっちり堂オーナー。 四コマエッセイストとして執筆。
移住支援活動をする夫と全国での講座や田舎ツアーを行う。21歳の時、地に足がついた暮らしとそこから湧き出す表現を求め、京都郊外のお寺を借りて自給的な暮らしをスタート。
2006年出産を機に、さらに腰を据えて生きようと高知県の山奥へ移住し「自然派菓子工房ぽっちり堂ネット店」をopen。 「家庭×仕事×地域」のバランスを大切にアートを生かした経営を目指す。
山奥ながらも「わざわざ行きたいカフェ」として人気店に。50件以上のメディアや書籍で紹介される。コミュニティデザイナー山崎亮氏との出会いを機に講演活動をスタート。
2014年~作家活動を中心にすえ、新しい時代に必要な視点を地域から発信している。

▪︎とてもユニークのプロフィールの方ですね。すごく行動力もある方のように思います。ヒビノさんの『山カフェ日記~30代、移住8年。人生は自分でデザインする』を、一度読んでみようと思います。

▪︎今日は、そのヒビノさんのブログの記事を紹介しようと思います。学生の皆さんにとって、とても大切な指摘をされているからです。「ヒビノケイコの日々。人生は自分でデザインする。」というブログの「大学生は「他人はどうあれ力」を身に付けよう。ポーズをとらず、素直にガンガン物事に向かう子を育てたい」というエントリーです。冒頭には、こう書かれています。「最近、色々な大学での講座や、大学生に関わることが多くて、その中で感じることがあります。とにかく学生さんの差が激しいってこと。やる気があり一生懸命物事にむきあって突き進んでいく子と、なんとなく周りに流されて、ポーズをとってるうちに卒業しそうな子」。多くの大学教員の皆さんが感じていることかもしれません。

▪︎ポーズをとる…とは、どういうことなのてしょうか。このような例でヒビノさんは説明しています。

例えば、発表のプレゼンを見ていても、意識一つで全くありようが違う。自分にしか意識がいっていない子は、リサーチも考察も行動も深くやっていない時点で発表の舞台にたっちゃう。そして、ダルそう、テキトウ、まとまってない話をきかせる、かっこつけてる、なめてる・・・というような態度をとってしまう。聴いている方にとっても結構大変だし、先生も「ちゃんと話なさい」と小学生に言うようなことしかアドバイスできなくなります。

反対に、ちゃんとリサーチ、考察、行動、思索をし、発表も工夫して話す子もいます。ちょっと何かが抜けてても、下手でも、やっぱり熱量をかけてきている子は一目でわかるもの。背筋を正して話をききたくなるし、先生も掘り下げたアドバイスをどんどんしたくなる。だからどんどん伸びていく。

両者の違いは、
・主観だけで自分のことにしか意識が向いていない
・客観性も持ち合わせていて相手のことも考えてる、の差。
そして、「相手は、時間とエネルギーをかけて聴いてくれている」という意識があるかないか。

「他人の目を気にしない力」ってすごく大事なんじゃないかな。これも多くの学生さんをみていて思うこと。
「他人がどうしてるか?どんな姿勢で態度でやってるか?」を気にして合わせてると、実は学外に出たとき、自分までレベルの低い状態に染まっていたことに気がつきます。

▪︎プレゼンがうまくいかなかったときのことを恐れる。自分だけが頑張っていると周りから見られるのは嫌だ。だから「ポーズ」をとって、あるいは周りの「ポーズ」と同調することで、なんとか自分を守ろうとする…ということなのでしょうね。「ポーズ」を取り続けることで、その場その場の自分はなんとか守れるけれど、結局、自分を成長させていくチャンスを失ってしまのではないか、それでよいのか…というわけですね。以下は、ヒビノさんがまとめたポイントです。

■大学生。これがぎりぎりのチャンスと思って姿勢を変えよう
1、自分のちっちゃいプライドにこもらず、相手のこともみえる客観性を持つ
2、ちょっと下手でもいいから、とにかく熱量をかけてやりきる
3、かけた熱量に対応して、アドバイスの質はかわる
4、姿勢のいい子と悪い子の差が大きい。だから逆に、いい子は今めっちゃ得で引き上げられます。

▪︎このヒビノさんのエントリーでは書かれていませんが、私が気になっていいることがあります。それは、関心があるわけでもないのに、「なくとなく」「とりあえず…」と、様々な資格取得の講座やインターンシップに参加して、疲れて果てている学生の皆さんのことです。いろいろ経験することは大切ですが、ただ将来に対する不安を少しでも減らすためだけに参加しているのであれば、時間がもったいないような気がします。エネルギーが分散して、けっきょく、どれも中途半端になっていないか、とても気がかりです。「周りが参加しているので…自分も参加しないと…」といった不安に襲われる。そういう気持ちを聞かせてもらったこともあります。このような場合にも、「他人の目を気にしない力」が必要になるのかもしれません。

京都のラーメン(5) 中華そば 萬福 京都駅前店

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▪︎水曜日のことになります。深草キャンパスでの会議を終え、瀬田キャンパスの会議に移動する途中、京都駅前(少しだけ歩きますが…)の「中華そば 萬福」にいってみました。写真の「特製ラーメン」の薄切りチャーシューの方を頼んでみました(厚切りチャーシューもあるみたい…)。メニューの写真をみたとき、はたしてこの「量」を食べられるのか…と心配しましたが、店主さんがや「大丈夫、大丈夫」とおっしゃるので注文することにしました。この九条ネギの下にモヤシも入っています。さらにその下にある麺とモヤシと九条ネギを一緒にいただくわけですね。満足いたしました。あまり「肉食系」ではないのですが、この薄切りチャーシューは問題なくいただくことができました。店主さんが最後に、笑顔とともに「ほらね、大丈夫やったでしょ。ありがとうございました」と見送ってくださいました。そういえば、こちらの「中華そば 萬福」さん、以前は、深草キャンパスの近くにありました。

京都駅の売店(駅弁)

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▪︎写真だけにしようかと思いましたが、文書も付け足しておきます。これは、JR京都駅30番線、関西空港に向かう特急「はるか」の乗り場の近くにあります。なぜ、こういう駅弁屋さんを撮ったのか…と質問されても、困ります。撮りたかったから撮った…としか、言いようがありません。写真って、そういうものですから。

▪︎この写真をfacebookにも投稿しました。すると、知り合いのNさんが、「撮り方にmasa-izmを感じます。わかる人だけ限定なコメントですが、、、」とコメントをしてくださいました。masaさんは、親しくさせていただいている東京在住の写真家です。「Kai-Wai散策」というブログを運営されています。masaさんから、見よう見まねでいろいろ教えていただきました。少し写真の撮り方に気を使うようになりました。このような写真の撮り方は、masaさんの影響が確かに大きいと思います。

初夏の深草

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20150624fukakusa4.jpg ▪︎今日は、朝一番で深草キャンパスに向かいました。大学の執行部の会議で、研究部関連の報告をすることになっていたからです。私の報告時間は10分程度なのですが、大学の大切な会議ですので行かないわけにはいきません。ああ、社会学部のある瀬田キャンパスがもっと近くになあったらな〜…と思うのですが、これも仕方がありません。会議のあとは電車に乗って瀬田キャンパスに移動です。昼からは、「大津エンパワねっと」の運営会議、そしてその後は博士論文の草稿報告会があります。ごくわずかの時間ですが、息抜きもかねて、ちょっとした「まち歩き」をしてみました。テーマは、「初夏の深草」。初夏らしい風景をいろいろ探してみました。

▪︎写真を少し説明。トップは、琵琶湖疏水にかかる橋です。橋の名前は…、こんど調べておきます。なかなか、素敵な風景ですよね。しばらく眺めていると、ジョギングをしている人が通っていきました。「ちょっと、エエ感じかな」と思い、iPhone6で撮ってみました。縦横の歪みの問題があるのですが、けっこうiPhone6のカメラは優れていると思います。2段目の左、琵琶湖疏水沿いの樹木。右は、クリーニング店前の鉢植えの紫陽花です。鉢植えでも、ここまで立派になるなんですね。前を通る方たちの目を楽しませてくれます。ありがたいことです。そして、右の写真は、マツバギク。南アフリカ原産らしいですが、高温や乾燥に強く、大きい群落になるので、路地の花壇や石垣などにしばしば栽培されるそうです。この花に関しては、特に初夏は関係ないのかも…です。

シュテファン・ツヴァイクの『書痴メンデル』

▪︎以下は、facbookに投稿したものに、少しだけ加筆したものです。

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▪︎通勤の電車のなかで、学生時代の英語のN先生のことが、どういうわけか記憶の奥底から浮かび上がってきた。N先生は、厳しいことで有名だった。私のいた関学の社会学部には、英語のN先生、ドイツ語のH先生、フランス語のK先生が厳しいことで有名だった。3人あわせて「社会学部のNHK」と学生からは呼ばれていた(K先生は、噂ほど厳しいとも思わなかったが…)。

▪︎思い出したのは、N先生の授業で使われていた小説である。シュテファン・ツヴァイクの『書痴メンデル』。ツヴァイクはオーストリアのユダヤ人だから、原文はドイツ語だ。それを英訳したものがテキストに使われていたのだ。今時の大学だと、教養教育で使うテキストではないような気がするが、どうだろうか…。

▪︎大学2回生だった私たちが、英文の『書痴メンデル』をスラスラ読んでいたかというと、全然違う。ある意味、耐え難きを耐え、忍び難きを忍び、仕方なしに辞書を引きながら苦労して読んでいた。テキストは、書き込みでいっぱいだったように思う。

▪︎『書痴メンデル』のあらすじ。書痴。現在ではあまり使わない言葉だ。「読書ばかりしていて世事にうとい人。書物収集狂。ビブリオマニア」という意味だ。記憶のなかにある「あらすじ」。ヤーコブ・メンデルは、本に関することはすべてを知っている。どんな情報でも、彼に聞けばスラスラと出てくる。そういう人物だ。しかし、彼は、第一次世界大戦が起きていることを知らない。世の中大騒ぎなのに、自分の頭のなかの本の世界に埋没している。世の中からズレているのだ。ズレているので、本の問い合わせで敵国に手紙を送ってしまう。そのことからスパイと疑われて逮捕される。知識人に尊敬されていたメンデルだっだか、そこから彼はどんどん転落していく…。おそらくは、授業ではテキストを全部読み通していないと思う。後半のあらすじは、後付けの知識のようにも思う。

▪︎多くの読者は、メンデルのことを滑稽だと思いつつも、彼が転落していく人生を通して、生きることの深い哀しみを感じるだろう。小説を読み進めていくうちに、哀しみが自分の体に染み込んでくるような…、そんな感覚に陥るだろう。もちろん、大学2回生の私たちに、そのような話しなど理解できるはずもなかった。『書痴メンデル』、私たちはN先生から英語のテキストを読まされたが、優れた翻訳も出ているので、手にとってお読みいただければと思う。

▪︎こんな細かなことも思い出した。小説のなかに、レジスターが出てきた。スーパーのレジにある、あの機械だ。ある学生が「レジスター」と訳したら、N先生は許さなかった。正しくは「金銭登録機」というのだと訂正をさせた。困惑したその学生。気の毒に思った私…。段落ごとに、順番に学生が翻訳をしていく。そういう授業だった。

▪︎N先生は、関学のあの「スパニッシュ・ミッション・スタイル」の明るいキャンパスが大嫌いだった。ご本人は、関学のご出身だったのだが。そのあたり、どうしてなのかわからない。能天気にテニスだスキーだと遊び惚けている学生たちに厳しかった。N先生のなかでは、「あるべき大学像」があったのかもしれない。

▪︎ところで、どうして通勤電車のなかで、N先生のことや、ツヴァイクの『書痴メンデル』のことを思い出したのか、自分でもよくわからない。N先生のことや、彼の授業が好きだったわけではないのだが、自分の記憶というよりも身体のなかに残っているのだ。不思議だ。大学改革が声高に叫ばれている。議論はいろいろだが、このような経験も、年をとってからも反芻することのできる経験が、今の大学には必要なのではないのか…と、ふと思ったのだ。

瀬田キャンパスに「カフェ」(2)

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▪︎この4月から、大学本部のある深草キャンパスには、全国チェーン展開しているカフェ、「スターバックス」が入って営業をしています。瀬田キャンパスの方はどうかといえば、現在、工事中です。図書館の斜め前あたりに建設されています。どこの業者さんが入るのでしょうか…。気になるところです。

月曜日の授業

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▪︎この4月から、研究部長の仕事をすることになり、授業は「月曜日の午前中」と「金曜日」に固めざるをえなくなっています。月曜日の午前中は、1限が「社会調査実習」、2限が「社会学演習ⅠA」(3年生ゼミ)になります。1限の「社会調査実習」は通年授業です。今年の実習のテーマは、「魚のゆりかご水田」です。夏休みには、「魚のゆりかご水田」に取り組んでいる農村集落を訪問し、聞き取り調査を行います。先週から、具体的なインタビューのさいの質問項目を、全員でいろいろ考えています。いわゆる社会調査でいうところの「半構造化インタビュー」です。事前に大まかな質問事項を決めておき、お話ししてくださる方のお話しの内容に応じて、さらに詳細に尋ねる簡易な質的調査法です。本当は、時間をかけて「非構造化されたインタビュー」も経験してもらいたいところですが、イタビュー調査を実際に経験する初心者の学生さんたちには、なかなか難しいところがあります。

▪︎授業では、4月から、基礎的なことを学んできました。滋賀県の農業のこと、琵琶湖と農業の関係、農業の近代化、陸と水との分断、琵琶湖総合開発…と、基本的な事柄に関して、講義を中心に行ってきました。その講義を前提に、こんどは時期区分を行い、それぞれの時期に関して質問項目をみんなで考えてみました。そして、インタビューの質問をひとつひとつ切り離し、同じ内容のものをグループ化していきました。これを、全員でブラッシュフップし、不足している点については追加してもらう予定です。私からも足らないところをサポートをしていきます。また、文献での調査でも補強します。

▪︎昨日は、先日、総合地球環境学研究所のPD研究員である浅野悟史さんから教わった「地理院地図」も使ってみました。調査地の航空写真を比較してみました。圃場整備、河川改修により、地域の様子が変化していることがわかります。はっきりわかるのは、特に、川岸や湖岸の様子が大きく変化しています。琵琶湖総合開発によって、陸と水がはっきり分離していることがわかりました。まあ、こんな感じで少しずつ準備を進めています。

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▪︎2限が「社会学演習ⅠA」(3年生ゼミ)は、少しずつ大学のゼミに慣れてもらうことに時間をかけてきました。先週は、卒業論文に向けてのスケジュール、特に就職活動と並行しながらどうやって卒論の調査や研究を進めていくのか…ということについて説明しました。そのうえで、昨日から、毎回ゼミ生が4人ずつ、自分の問題意識や取り組む研究テーマに関して説明をしたうえで、各自が今読んでいる本を複数冊、レジュメをもとに紹介してもらうことを始めました。今日は1人病欠でしたので、仕方なく3人だけになりましたが、初回にしては、ずいぶんうまく紹介をしてくれました。紹介の仕方からは、しっかり読み込んできていることがよくわかりました(1名の学生だは準備不足でしたが…)。こうやって、お互いの研究テーマや問題意識を知ることで、卒論に向けて気合を入れていってほしいと思います。紹介してもらった本で、夏休みに書評文を書いてもらう予定です。

ドローン


▪︎いろいろ話題になっている「ドローン」です。私が参加している総合地球環境学研究所のプロジェクト(「生物多様性が駆動する栄養循環と流域圏社会─生態システムの健全性」)に、1台のドローンが届いたという連絡がありました。空撮マルチコプター=ドローンを開発するDJIというベンチャー企業が発売している、シリーズの新製品「Phantom 3 P」のようです。ネットの情報によれば、下の方には、ソニー製12メガピクセルカメラが装着されており、カメラで捉えた映像などをもとに機体の動きを正確に把握することで、さらに高い機体の安定性を実現するという技術が売りのようです。

総合地球環境学研究所で打合わせ

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20150618chikyu1.jpg▪︎今日も、深草キャンバスに直行。午前中は例によって研究部の仕事で…いろいろ…ありました。協議、打合せ、会議。事務職員の皆さんには申し訳ありませんでしたが、午後からは、溜まりに溜まっている、研究プロジェクトの仕事をするために、総合地球環境学研究所に移動しました。深草キャンバスの最寄りの駅は、市営地下鉄の「くいな橋」駅。そこから終点の「国際会館」駅まで移動し、そこからはバスになります。京都の南から北に移動するわけですが、地下鉄のおかげでスムースに移動できます。

▪︎地球研では、PD研究員の浅野さんと、溜まりに溜まっていた案件の打合せをしました。浅野さんは、6月から奥田プロジェクト「生物多様性が駆動する栄養循環と流域圏社会─生態システムの健全性」に雇用されることになった若手研究者です。とても優秀な人で、「打てば響く」ような感じで打合せが進みました。プロジェクトの重点サイトである甲賀市甲賀町小佐治での調査の進め方、社会科学系担当者の研究会の日程調整、さらには8月に滋賀県が主催して開催される「マザーレイクフォーラム」への参加…いろいろ仕事を進めることができました。午前中は大学の「研究部」の仕事でしたが、午後からは自分の「研究プロジェクト」の仕事に集中できました。なんだか、本来の自分を取り戻したような気分です。

▪︎写真は打合せ中の様子です。リーダーの奥田さんは、この日開催されていた国際シンポジウムに出席されていましたが、休憩時間にやってきてくれました。テーブルの中央に広げてあるのは、小佐治の地図です。すでに、この地図は、地理情報システムに取り込まれています。これから調査で得られる様々なデータを、地理情報システムの上で整理していくことになります。地域の住民や農家の皆さんとの協働作業でもあります。そのような協働作業から、予想もしない「発見」が生まれてくることを期待しています。楽しみです。

▪︎浅野さんは、この地理情報システムに詳しい方です。昨日はいろいろ教えてもらいました。ずいぶん昔、当時参加していたプロジェクトで地理情報システムを使っていたことがあるのですが、技術はどんどん進歩しています。専門家だけの技術ではなく、多くの人びとがスマートフォン等を使って気軽に利用することができるようになってきています。たとえば、多くの皆さんが参加して自らの記憶や体験を、地理情報システムに保存していくと、それはアーカイブとして機能するようになります。そのようなアーカイブに多くの人びとが参加することで、様々な多様な記憶や体験が蓄積されていきます。そして、相互に連関していくことのなかで、新しい「社会的価値」がその内側から生み出されていくように思います。浅野さんからは、まず「Hiroshima Archive」のことを教えてもらいました。
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▪︎まずは、イメージを掴むために、以下の動画をご覧ください。

▪︎「Hiroshima Archive」の公式サイトには、以下のように説明されています。

はじめに
被爆から66年が経ち、あと数十年のうちに、被爆者のいない未来がやってきます。それは、最も強く平和を願い、核兵器のない世界を切望した人々がいなくなることを意味しています。「ヒロシマ・アーカイブ」は、2010年に公開された「ナガサキ・アーカイブ」のミッションを受け継ぎ、被爆者の体験と想いを未来の地球に遺していくために、66年間にわたって蓄積されてきた大量の資料と、最先端のインターネット技術を融合して制作されました。

多元的デジタルアーカイブズ
「ヒロシマ・アーカイブ」は、広島平和記念資料館、広島女学院同窓会、八王子被爆者の会をはじめとする提供元から得られたすべての資料を、デジタル地球儀「Google Earth」上に重層表示した「多元的デジタル・アーカイブズ」です。1945年当時の体験談、写真、地図、その他の資料を、2010年の航空写真、立体地形、そして建物モデルと重ねあわせ、時空を越えて俯瞰的に閲覧することができます。このことにより、被爆の実相に対する多面的・総合的な理解を促すことを企図しています。

記憶のコミュニティ
私たちは、地元の高校生や全国のボランティアと連携して証言の収集活動をすすめ、集合的記憶の醸成をとおした「記録のコミュニティ」を生成しました。さらに、Twitterなどのソーシャルメディアを用いてオンラインコミュニティを形成し、平和と核廃絶に向けたメッセージを世界中から募り、デジタルアーカイブズに包含していきます。このようにして、過去の記憶と現在のメッセージを実空間/Web空間で共有し、未来の物語を紡いでいくためのプラットフォームとなることを目指しています。

311を越えて
2011年3月11日、東日本大震災が発生し、「ヒロシマ・アーカイブ」制作メンバーのうちひとりは仙台で被災しました。人々が住みなれたまちを地震と津波が破壊しつくし、原子力発電所事故が放射性物質禍を引きおこし、これまで過ごしてきた日常は終わりを告げました。311以降、66年前のヒロシマを語り継ぐこのプロジェクトのミッションも変容しています。過去の悲劇を当事者として学び、自らのことばで未来に伝える。私たちが制作したアーカイブズが、多くの人々に利用していただけることを願っています。

▪︎今から15年ほど前のことになりますが、以下の論文を書きました。「『体験と記憶』のなかにある『場所』-『弱い語り』を支える調査」『社会学年報』No.30(東北社会学会)。この論文に書いたことを、進歩した地理情報システムの技術を念頭に、再考する時期にきているように思いました。基本の発想は変わっていないと思いますが、現段階においてさらに深めて考えてみたいと思っています。

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▪︎打合せが終了した後、地球研の別のプロジェクト(「地域環境知形成による新たなコモンズの創生と持続可能な管理」)の共同リーダーである菊池直樹さん、PD研究員の浅野さんと私の3人で、夕食を一緒にとることにしました。府立植物園に隣接しているイタリアンレストランです。とても素敵なレストランでした。研究のこと、環境社会学会のこと、様々な(?!)議論をすることができました。有意義な時間を過ごすことができました。若い浅野さんも、いろいろ勉強になったのではないかと思います。写真は、デザートのケーキを写す菊池さんです。なんだか、かわいらしい〜。私の方は、バーボンウイスキーを楽しみました。

認知症の母を3年間撮り続けた写真集『DIARY 母と庭の肖像』山崎弘義さんインタビュー

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▪︎このブログで、写真家・山崎弘義さんの写真集『DIARY 母と庭の肖像』を紹介しました。「『母と庭の肖像』(山崎弘義・著、大隅書店)」というエントリーです。今日は、ご紹介するのは、その山崎さんと山崎さんの写真集をとりあけだ「認知症ONLINE」というネットの記事です。以下は、その記事からの引用です。

葛藤の連続
写真の横には、山崎さんが当時記していた日記の一文が並びます。ある日の日記にはこう記されています。

ヘルパーTさんの連絡ノートに書かれていた言葉。“トイレも自分で行かれ、家の中動き回っています。足腰丈夫になるため、よい事と思います。”今の私はそれについていけない。」

当時、家中をあちこち歩きまわる母を骨折させてはいけないと追いかけ、ティッシュペーパーを食べようとするのを止め、精神的にも、肉体的にも休めない日々が続いていた山崎さん。「ある日、喘息が出たのをきっかけに、母の足腰が一気に弱まったんです。正直、ホッとした部分もありました」本来、求めるべき親の健康を心から願えない自分自信に罪悪感があったといいます。また、別の日の日記にはこうあります。

母の行動にもついていけなくなる。3度ほど無理やり母を抱えてトイレに連れて行ったら、母は「邪険にするなよ」と泣きそうに言う。

淡々と語られる日記の一文から、当時の山崎さんの追い詰められた精神状態、それに呼応するように具合を悪くする母・いくさんの様子が伝わってきます。「在宅介護を続けようか迷う瞬間はあった」という山崎さん。それでも在宅介護を続けたのは、母・いくさんにとって山崎さんが一人息子であり、父の介護で苦労を共にした同志であり、唯一無二の存在だったことを実感していたからだといいます。

▪︎「親の健康を心から願えない自分自信に罪悪感があった」という部分、現在、介護をされている多くの皆さんは、この山崎さんのお気持ちが痛いほどよくわかるのではないかと思います。お母様から「邪険にするなよ」と泣きそうに言われたときの、とても辛い気持ちも…。インタビューで山崎さんは、「日々のやりきれない想いを、作品として消化させた」とおっしゃっています。ああ、なるほどと思いました。お母様の写真を撮ることで、意識のうえでは、息子-母親関係とは異なる関係にスライドしていくのかもしれません。いったんはスライドさせることで、介護の現場で渦巻くマイナスのスパイラルに巻き込まれず、なんかと「本来」の息子-母親関係を維持することができたのかもしれません。また、山崎さんは、「父の介護で苦労を共にした同志であり、唯一無二の存在だったことを実感していた」とも語っておられます。介護の現場で渦巻くマイナスのスパイラルに沈んでいきそうなご自身を、在宅介護にお母様と一緒に協力して取り組んだという経験を思い出すことで、なんとか「軌道修正」できたのではないか…と想像するのです。皆さんも、ぜひ、『DIARY 母と庭の肖像』をご覧ください。

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