最澄がプロデュースした世界
■土曜日の晩に、突然、発熱してしまいました。普段、比較的健康に暮らしているし、熱が出ることもないので、37℃を超えると辛くなり、38度を超えると相当に辛くなります。もう、ふらふらになります。38℃越えの熱はまったく下がらず、翌日はずっと布団の中で過ごさねばなりませんでした。「これはもうあかん…」と、家族に頼んで市販の解熱剤を薬局で買ってきて飲んだところ、少しずつ熱は下がってきました。しかし、「こんなに急に熱が出るって、ひょっとしてインフルエンザ」との思いが消えず、職場の皆さんにも迷惑をかけると困るし…との思いもあり、医師の診断を受けることにしました(大学も含めて学校という場所では、あっという間に病気は広がってしまいます)。幸いにも、インフルエンザではないという診断をいただきました。喉が腫れているので、喉かららウイルスが侵入し発熱をしたのではないか…とのことでした。熱は下がってきましたが、今度は喉が痛みが相当にひどくなってきました。鼻水も止まらなくなりました。せっかくの連休なのですが…。初日の土曜日は、良いスタートを切ったのですが…。
■さて、土曜日は、私にとって連休の初日でした。「天気が良いので、どこかに出かけたい」という家族の強いリクエストがあり、いろいろ考えた末に、比良山系にある「びわ湖バレイ」に出かけてみることにしました。ちょうど天気も良く、五月晴れで空も澄み渡っていたので、「びわ湖バレイ」に登ると大きな琵琶湖が良く見えるに違いないない思ったのです。奈良から大津に転居したこともあり、以前とは違い、「びわ湖バレイ」も随分近くになりました。
■ところで、私は長年にわたって琵琶湖や琵琶湖流域に関して研究をしてきましたが、これまでこの「びわ湖バレイ」に登ったことがありませんでした。これは、なかなか信じてもらえないのですが…。「関西人であれば、普通、家族の行楽でびわ湖バレイに行くもんちゃうの」というご意見もあろうかと思いますが、本当に行ったことがなかったのです。というわけで、今回、人生初の「びわ湖バレイ」。家族のリクエストという側面もありますが、私自身も素敵な経験ができました。
■「びわ湖バレイ」は、スキー場として開発されました。琵琶湖の西側、湖西地域にある比良山系にはたくさんの山々が連なっています。その中の、打見山から蓬莱山にかけての幅広い稜線上に、スキー場のゲレンデが広がっています。そこが「びわ湖バレイ」です。もちろん、スキーは冬だけです。それ以外のシーズンには、高原公園として多くのひとびとが行楽に訪れます。もともとは、産業経済新聞社が1965年に開設したスキー場です。50歳以上の年代の皆さんは、この「サンケイバレイ」という言葉に馴染みがあるのではないでしょうか。
■それとはともかく、トッブの写真をご覧ください。これは蓬莱山から撮った風景です。空のように見えるのは琵琶湖です。琵琶湖の向こう側には、湖東の地域が広がっています。近江八幡市にある沖島も確認できますね。彦根市の荒神山もわかります。スケール感を出すため…ではないのですが、赤い服を着ているのは私です。家族が撮ってくれました。しかし、これでも実際に見た時に感じるスケール感とはかなりの落差があります。下は、iPhone6 plusのパノラマ機能で撮ったものです。この蓬莱さんの山頂に立つと、右側は大津の街が見えます。「プリンスホテル」やオペラハウスである「びわ湖ホール」が確認できます。また左側を見ると、湖北の奥琵琶湖も薄ぼんやりではありますが見えてきます。土曜日は、竹生島もわかりました。きっと、空気が澄み渡った冬期であれば、大津の街から、伊吹山や湖北の山々まではっきりと見えるのでしょうね。
■下の4枚の写真は、そのパノラマの風景を、4回に分けて撮ったものです。上段左は、打見山から湖北方面を撮ったものです。上段右は、湖東方面。下段左は、野洲や守山、そして堅田方面。下段右は、比叡山や京都方面になります(京都の街は見えませんが…)。「びわ湖バレイ」の一番南端、蓬莱山が南に緩やかに斜面になっていく直前のところに、このようにお地蔵様が並んでいました。
■ところで、この様な風景を見ながら、家族が質問をしてきました。「琵琶湖は、なぜ琵琶湖という名前なのか」という質問です。楽器の琵琶に似ているから琵琶湖…というのは、よく知られています。南湖が左で弦を押さえる部分、一般に弦楽器では指板ないしはフレットと呼ばれる部分です。それに対して大きな北湖は、琵琶の本体、胴の部分にあたるのわけです。ちなみに、この様な名前の由来については、歴史学者の木村至宏先生のご著書『琵琶湖-その呼称の由来』が有名です。ごく簡単な説明であれば、同じく木村先生が『琵琶湖ハンドブック』の中でも「『琵琶湖』の名前」というタイトルで解説されています。以下は、引用です。
琵琶湖の名前は、湖の歴史に比べて新しく、16世紀初頭が最初で、広く知られるようになったのは今から320年前である。それまでは近淡海、淡 海、水海、湖などと呼ばれていた。名前は湖上に浮かぶ竹生島にまつられている弁才天に典拠。弁才天がもつ楽器の琵琶が湖の形状に似ていることに由来する。それと琵琶が奏でる音色と湖水のさざ波と相似していたことも密接な関係がある。
弁才天の持つ琵琶が、どうして湖の形状に似ているといわれるようになったのであろうか 。前出の『渓嵐拾葉集』の編述者は 、比叡山延暦寺の学僧光宗であるが、おそらく眼下に広がる湖を日々眺望して、楽器琵琶から湖の形状を観想をしたに違いない。上空から見ることのできない時代に、驚くべき洞察力といえるだろう。また『同書』には弁才天は湖とともに比叡山を守る神として位置付けられている。
■琵琶湖の名前の由来が、直接的に琵琶湖の形に似ていることからきているにしても、その背景には、天台宗・比叡山延暦寺、竹生島の弁財天などの宗教の存在があることがわかります。実際、2015年には、琵琶湖は、「琵琶湖とその水辺景観-祈りと暮らしの水遺産」として文化庁の「日本遺産」に選定されています。以下が、その選定理由になったストーリーの概要です。
「穢れを除き、病を癒すものとして祀られてきた水。仏教の普及とともに東方にあっては、瑠璃色に輝く「水の浄土」の教主・薬師如来が広く信仰されてきた。琵琶湖では、「水の浄土」を臨んで多くの寺社が建立され、今日も多くの人々を惹きつけている。また、くらしには、 山から水を引いた古式水道や湧き水を使いながら汚さないルールが伝わっている。湖辺の集落や湖中の島では、米と魚を活用した鮒ずしなどの独自の食文化やエリなどの漁法が育まれた。多くの生き物を育む水郷や水辺の景観は、芸術や庭園に取り上げられてきたが、近年では、水と人の営みが 調和した文化的景観として、多くの現代人をひきつけている。ここには、日本人の高度な「水の文化」の歴史が集積されている。」
■この琵琶湖、水、そして天台宗・薬師如来の関係については、長年にわたり滋賀県の文化財保護に関して活躍されてきた大沼芳幸さんが、興味深い文章を書いておられます。これは、産経新聞に掲載された「びわこの考湖学 第2部」の第25回「多数の薬師如来古仏 清らかな水の世界の盟主」です。私が興味深く思った部分を引用します。
平安時代後期の歌謡集「梁塵秘抄」には、琵琶湖を次のように表現しています。「近江湖は海ならず、天台薬師の池ぞかし」すなわち、平安時代の人々は、琵琶湖を天台宗の根本如来である、薬師如来の浄土と意識していたことがわかります。
民が栄え、国が栄えるために最も必要なことは何でしょうか?それは、豊かな実りであり、その実りをもたらすものは「水」です。そして水は、すべての命を育む神聖なものです。最澄にとって、水を祈りの対象とすることが、彼の理想を成就させるために、不可欠な要件だったのではなかったのでしょうか。
薬師如来の本当の名前は「薬師瑠璃光如来」。瑠璃の光とは「水の光」です。すなわち薬師如来は清らかな水の世界の盟主なのです。なおかつ、薬師如来が住まう浄土は「東方浄土」とされています。比叡山の東に広がるのは「琵琶湖」です。最澄にとつて、水に祈り、水の力を得るための聖地として、東方に生命あふれる琵琶湖が広がる、比叡山の地を選んだことは、いわば必然だったのかもしれません。ただ、最澄が初めて琵琶湖を「浄土」として位置付けたわけではないと思います。それ以前から近江には、琵琶湖を神の住まうところとして神聖視するアニミズム的な心象が根付いており、これを最澄が仏教の世界に再編したのでしょう。そして、琵琶湖に注ぐ水の源である山々に、次々と山寺が建立され、ここに、「水のカミ」である薬師如来が安置されたのです。このことが、近江に特異的に多く残る薬師如来古物の秘密なのです。この水のコスモスともいうべき世界をプロデュースした最澄の名に「澄」の字が含まれていることにも、深い意味があるのではないでしょうか。
■大沼さんの考えは、近江盆地と琵琶湖が生み出す水に対する土着の信仰を、仏教が取り込み(習合し)、最澄が一つの宗教的世界としてプロデュースした…というものです。近江盆地の山々から琵琶湖へと注ぐ水。水のネットワークを通して生み出される世界。これは、現在、「将来の琵琶湖のあるべき姿」として環境政策的に目指されていることの根底の考え方と重なり合っているようにも思います。非常に興味深く思いました。残念ながら、私自身は、文化史や宗教史に関する教養が乏しく、大沼さんのお考えを導きに、最低限のことをもう少し勉強しないと…と思いながら、ふとこんなことを妄想しました。もし、最澄が現在に蘇り、戦後の琵琶湖や琵琶湖の周囲で行われてきた様々な開発事業を目にした時、どのように考えるだろうな…、そのような妄想です。民が栄え、国が栄えるために行われたはずの様々な開発事業が、結果として何をもたらしたのか、おそらく最澄は鋭く批判することでしょうね。
■話しを戻しましょう。「びわ湖バレイ」では、雄大な琵琶湖の風景を楽しむだけではなく、満開の水仙の花も楽しみました。「びわ湖バレイ」の蓬莱山の左斜面には、30万株もの水仙が植えられている「水仙の丘」があります。関西で水仙というと淡路島が有名ですが、この「びわ湖バレイ」の「水仙の丘」も本当に素晴らしいものでした。遠くから見ると、斜面に、黄色いに点々が散らばってるいようにしか見えないのですが、そばに行って「水仙の丘」を登ると、この写真のような素晴らしい風景を楽しむことができます。もちろん、人工的に植栽されたものだと思いますが、とても感動しました。水仙は、ヨーロッパの地中海沿岸が現在地との事ですが、日本には中国を経由して伝わってきたそうです。その名前も、いろいろ調べてみると、中国では、その名の通り「水の仙人」、言い換えれば「水の神の化身」や「水の精の成り代わり」に例えられていたようです。なるほど、「梁塵秘抄」で「近江湖は海ならず、天台薬師の池ぞかし」と歌われた琵琶湖にふさわしい花なのかしれません。
■体調はあまりよくないのですが、それでもこの長文をエントリーするまでには、体力は回復してきました。ひょっとすると、スケールの大きい琵琶湖の風景に圧倒されて?!、発熱したのかも…しれませんね。
「昭和の日」は授業実施日
■今日は「昭和の日」ですが、大学は授業実施日でした。1989年(昭和64年)1月7日に昭和天皇が崩御された後、「天皇誕生日」は1989年(平成元年)から「みどりの日」となったわけですが、それがいつから「昭和の日」になったのかな…と思い出そうとしても思い出せません。調べてみると、2007年(平成19年)からでした。では、前期・後期、それぞれ15回ずつ授業をきちんとするために祝日でも授業を実施するようになったのはいつ頃なのか…。これも思い出せません。調べてみると、これは2009年でした。今年度でまだ8年目のなんですね。
■思い出してみると、私が学生の頃は、今とは全然違っていました。某国立大学の場合だと、連休明けからやっと本格的に授業が始まり、7月に入るともう休講。10月から始まる後期は、12月までは講義をするけれど、1月に入ると休講…。それが当たり前だと聞いていました。私の母校の場合は、そこまでひどくはありませんが、結構な割合で休講はあったように記憶しています。しかし、そのような中で、アメリカの大学に留学した先生の講義では、最初に「シラバス」が配布されました。私はもちろんのこと、当時の多くの学生たちは、「シラバス」という言葉を知りませんでした。その先生は、アメリカでこの「シラバス」について学んで、日本の大学にも必要だとお考えになったのでしょう。もちろん、計画通りに授業は実施されました。当時は、講義計画など何も立てずに、その場で頭に浮かんだことを元に講義される先生がおられました。そういう時代です。もっともそういう講義をされる先生の方が、私などは強い印象が残っていたりしています。今は、もう、そのようなスタイルの講義はできなくなりましたが。
■さて、「昭和の日」、瀬田キャンパスは新緑に溢れていました。こんなに天気が良いのに、学生の皆さんは、大学よりもどこかに出かけたいところでしょうね〜。本音を言えば、私だってそうですから。そんなことを思いながら、ふと1号館のガラスの扉を見ると、硬式野球のポスターが貼ってありました。「関西六大学野球 龍産戦 5/4(水)・5(木) 17:30試合開始 わかさスタジアム」と書いてあります。龍谷大学と京都産業大学の硬式野球部の試合のポスターです。そして、よくよく見ると、こうも書いてあります。「龍谷?もともと眼中にあらへん」「強いのはラグビーだけやろ? 京産さん」。火花を散らしていますね。
深草の疎水
▪︎昨日は、午前中の授業を終えて、午後からは深草キャンパスに移動しました。深草キャンパスでは、エントロピーやコモンズの研究で知られる室田武先生とお会いしました。室田先生との出会いは、私が40歳前後の頃に遡ります。当時、私は、あるプロジェクトに頑張って取り組んでいました。日本学術振興会・未来開拓学術研究推進事業・「アジア地域の環境保全」のひとつとして企画された「地球環境情報収集の方法の確立-総合調査マニュアルの作成に向けて-」です。このプロジェクトの中で、室田先生と一緒に研究をさせていただいたのです。昨日はひさしぶりの再会でした。私が深草キャンパスで研究部の会議が開催される日でした。私の日程に合わせて、わざわざ会いに来てくださったのです。
▪︎室田先生は、総合地球環境学研究所のあるプロジェクトで、北半球レベルでのサケ科魚類が担っている物質循環に関して研究されていました。このような物質循環と生物との関係については、現在、総合地球環境学研究所で私が参加しているプロジェクト「生物多様性が駆動する栄養循環と流域圏社会─生態システムの健全性」においても大きなテーマとなっています。私たちの場合は、流域における物質循環と生物多様性、そしてローカルなコミュニティのhuman-wellbeing、この3者の関係を明らかにするために調査研究を進めています。室田先生は、そのような私たちのプロジェクトの意図についても関心をもってお聞きくださいました。先生とは、小一時間程しかお話しができませんでした。しかし、大学を退職され、70歳を超えられても、研究に対して大変意欲を持っておられることが伝わってきました。先生とは、またお会いするお約束をして、研究部の仕事に戻りました。
▪︎昨日は、夕方から全学研究運営会議でした。研究部では、毎週月曜日に、研究部執行部会議を開催しています。研究部の部長・課長、その他の事務職員の皆さんとしっかり議論をしています。翌日の火曜日には、さらに資料をしっかりと読み込み、頭の中を整理した上で全学研究運営会議に出席し、全学部の研究主任の教員の皆さんの前で提案をさせていただています。昨日も、これまでいろいろ議論のあった継続の審議事項がありましたが、研究主任の皆さんのご理解をいただき、なんとか小さな山を越えることができました。ちょっと、安心しました。写真は、会議が終わった後、深草キャンパスからJR稲荷駅に向かう途中にある琵琶湖疏水です。夜の帳がおりた後の琵琶湖疏水は、昼間とはまた異なった表情を見せてくれました。
昨日の「社会学入門演習」
▪︎火曜日の2講ときは、「社会学入門演習」です。1年生の入門ゼミナールのようなものでしょうか。大学に慣れていくための入り口のようなゼミです。昨日は、急遽、瀬田キャンパスのミニツアーを実施しました。瀬田キャンパス、広いようでそんなに広くありません。しかし、学生は、自分が授業を受ける教室、食堂、そのような場所にしか行っていないようです。いろいろ好奇心を持ってキャンパス内をウロウロしているものだと思っていましたが、そうではないのです。せめて図書館ぐらいは行っておいて欲しいのですが、どうでしょうか…。というわけで、ミニツアーです。
▪︎まずは、食堂の横にある「ボランティア・NPO活動センター」に行きました。学生のみなさんには、授業とアルバイトとサークルの間をぐるぐる回るだけ…の大学生活ではなく、大学の外にも、「社会的な課題・問題」にも目を向けて欲しいなと思っています。様々な人びととの出会いの中で、自分自身で勝手に⁉︎思い込んでいる「殻」を破って、自分の持っている可能性に気がついて欲しい、伸ばして欲しいと思います。さらに、社会と関わって生きて行くことの意味を感じて欲しいと思います。
▪︎この「ボランティア・NPO活動センター」の裏側に、立派な野球場があるのですが、多くの学生たちは実際にきちんと見たことがないようでした。硬式野球部と準硬式野球部の学生たちだけですね。ということで野球場を見学、そのあとは引き続き、隣接する雨天練習場「瀬田ドーム」を見学しました。この「瀬田ドーム」の横には、農学部の建物である9号館があります。エントランスあたりだけでもと思い、少しだけ見学させていただきました。実験や実習のための部屋があったり、壁面には、稲の様々な品種が展示されていたりすることを見て、学生たちは「農学部やな〜!!」とちょっと感動していました。私にとっては、そういう学生の反応の方が興味深かったのですが。
▪︎9号館の後は、引き続き、お許しを得て9号館の南側にある温室を見学させていただきました。すると、たまたまでしょうが、麦の遺伝について研究されている中村千春先生がやってこられました。そして、ご自身が実験中の温室で、先生の麦の遺伝に関する研究についてご説明くださいました。手のひらに乗っているのは、中村先生がピンセットで取り出した麦の花です。「かわいいでしょ」と言って、一人の女子学生の手のひらの上に乗せてくださいました。なかには、麦と稲の区別が曖昧な学生もいたのですが、そのような学生に対しても、中村先生は丁寧、かつユーモアを交えてわかりやすくお話しくださいました。
▪︎おそらくは、このようなミニツアーを実施していないと、学生たちは、農学部に近寄ることもなかったのではないかと思いますし、中村先生との出会いもなかったのではないかと思います。ちょっと好奇心を持ってみる、ちょっと勇気を持って行動してみると、自分の生きている世界が変化していきます。中村先生には、そのあとお礼のメールを差し上げましたが、頂いたお返信には、「学生諸君には、どんなことにも興味を持って、明るく前向きに人生を切り開いていって欲しい」と書いておられました。本当に、そう思います。学生のみなさん、中村先生と知り合いになったのですから、今度、キャンパスで先生をお見かけしたら、ぜひ挨拶をしてお話しをさせてもらってください。きっと、面白い展開になると思いますよ。
蕎麦と草刈り
■昨日は、週1回の介護の日。兵庫県の施設に入所している老母の見舞いと洗濯物の交換に行く日でした。奈良から滋賀・大津に転居してから、さらに遠くなってしまいました。車だと名神高速道路・阪神高速を使って1時間40分ほどもかかります。公共交通機関だと2時間半。なかなかハードです。もっと遠距離の介護をされている方たちも多数おられる中、こんなことを言うと叱られるかもしれせんが、やはり「遠いな〜、大変だな〜…」と思ってしまうのです。気持ちが後ろ向きになってしまうので、母の施設に向かう途中、気持ち的にパワーの出る美味しいものをいただくようにしています。
■以前、奈良に暮らしていた頃は電車で通っていました。その頃は、大阪の梅田の「インデアンカレー」が私にとってのパワーフーズでした。「インデアンカレー」については、このブログで多数エントリーしてきました。あの甘さの後に辛さが襲ってくる味は、パワーが出ます。しかし、滋賀・大津に転居してからは車で行くことが多く、梅田を通らなくなりました。そんな中、昨日は、美味しい蕎麦屋に入ることができました。セルフ式のチェーン店のようなのお店です。以前は、讃岐うどんのセルフの店でしたが、いつの間にか蕎麦に変わっていました。その蕎麦の味なのですが、なかなかの美味しさなのです。昨日は、ツユにオクラと山芋とナメコが入った「ねばとろそば」にしてみました。ついでに、サラダ巻きもつけてみました。満足しました。
(本文続く)
琵琶湖の保全及び再生に関する基本方針
■環境省のホームページで、「琵琶湖の保全及び再生に関する法律」(琵琶湖再生法)に関する「基本方針」が発表されました。
総務省、文部科学省、農林水産省、国土交通省及び環境省では、平成27年9月に公布・施行された琵琶湖の保全及び再生に関する法律(平成27年法律第75号)に基づき、平成28年4月21日に「琵琶湖の保全及び再生に関する基本方針」を定めました。
なお、本基本方針に係る意見募集の結果についても併せてお知らせいたします。
■以下をご覧ください。
(お知らせ)琵琶湖の保全及び再生に関する基本方針について
琵琶湖の保全及び再生に関する基本方針
「琵琶湖の保全及び再生に関する基本方針」(案)に関する意見の募集(パブリックコメント)の結果について
鯛のあら炊き
■週末、私の場合は、研究プロジェクト・地域連携・老母の介護…といろいろやらねばならない事があるので、心身を休めることがなかなかできません。昨日は、ひさしぶりに、自分のための日、完全休養日でした。ゆっくりさせてもらっていました。庭の世話をして、夕方からは料理もしました。たまたま自宅近所の店で、「鯛のアラ」を安く売っていたからです。春らしく「鯛のあらだき」にしてみました。
■「鯛のあら炊き」については、いろんな調理法ややり方があると思います。私も、いろいろ調べてみました。今回は、こんな簡単な調理法でやってみました。とても美味しく出来上がりました。
■このレシピでちょっと驚いたのは、次の点。あら炊きをする時は、軽く塩を振った後、熱湯をかけてさっと洗うのですが、塩を振るとよくないというのです
。ふっくらと煮上がらないようです。今まで、塩を振っていたので、ちょっと驚いたわけです。しかし、実際に作ってみると、何も問題はありませんでしたて。炊く際には、生姜も水も入れません。お酒と砂糖、そして醤油だけ。簡単であるにもかかわらず、大変おいしく仕上がりました。
小さな花たち
■春真っ盛りですね。注意してみると、身の回りに、たくさんの可憐な草花を楽しむことができますね。私自身は、植物の名前などほとんどわからないのですが、最近、いろいろ気にかけています。友人や知人にご教示いだだき、家族にも教えてもらい、なんとか写した花たちの名前を確認できました。でも、これだけでも記憶するのはなかなか大変です。
■これらのものは、おそらく全部が園芸種なんだと思います(思います…というのは、草花に無知でよく知らないから)。これら園芸種に加えて、道端や田んぼのあぜ道に生えている小さな野草の類がわかるようになると、多分散策が楽しくなるんでしょうね〜。それには、相当の訓練がいると思いますが。
ワスレナグサ/ムラサキケマン
ジャノメエリカ/ヒメウツギ
ムスカリ/シャガ
ドウダンツヅジ/シバザクラ
ハナニラ/イカリソウ
シラン/ヒメウツギ
タイム
Beethoven: “Egmont” Overture / Ozawa · Berliner Philharmoniker
■facebookで、ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団のページを時々見ています。4月18日は、小澤征爾指揮によるベートーヴェンの「エグモント序曲」でした。facebookの動画はYouTubeの動画を貼り付けたものです。この序曲の一部のみとなっていますが、弦楽器が弓をたっぷり使い、ダイナミックかつ重厚に演奏していることがとても印象に残りました。時事通信の記事では、「エグモント序曲では時に鬼気迫る表情を見せながら、導入部の重厚で悲壮感に満ちた響きやクライマックスの輝かしさを巨匠ならではの統率力で印象的に紡ぎ出した」と書かれていました。
■小澤征爾さんがベルリン・フィルハーモニーを指揮するのは7年ぶりなのだそうです。食道癌で一時は活動を中止されていましたが、今回の指揮で、楽団員の皆さんはもちろんのこと、ドイツの聴衆の皆さんも心から安心されたことでしょう。朝日新聞デジタルによると「親交が深い作家の村上春樹さんも駆けつけ、演奏後に舞台裏で労をねぎらった」そうです。村上さんは日本からこの日に合わせてやってこられたのでしょうか。そういえば、2011年にお2人は『小澤征爾さんと、音楽について話をする』という本を出版されていました。
■様々な新聞記事を読んでみますと、小澤さんは、ベルリンフィルから「名誉団員」の称号が贈られたようです。ベルリンフィルの終身指揮者・芸術監督を務めたヘルベルト・フォン・カラヤンのアシスタントを務めた小澤さんが、初めてのベルリンフィルを振ったのは1966年とのこと。ちょうどベルリンフィルとの関係も50年になるわけですね。
■ところで、今回、小澤さんが指揮したベートーベンの「エグモント序曲」を、私自身も学生時代に弾いたことがあります。1981年6月14日、神戸文化ホール大ホールでの関西学院交響楽団の第57回定期演奏会です。なんと、今から35年前のことになります。その時は、その他に、メインの曲としてべートーベンの「交響曲7番」を、サブの曲としてシベリウスの「カレリア組曲」を演奏しました。「カレリア組曲」では、イングリッシュホルンの音が出ない…という大変なアクシデントがあり、そのことが強く記憶に残っているためでしょうか、「エグモント序曲」がどのような演奏だったのか、さっぱり思い出せません。まあ、そのような私の思い出はともかく、小澤さんが今回ベルリンフィルを指揮されたことを、世界中の多くの皆さんと喜びたいと思います。
すごいぞ! 私鉄王国・関西
▪︎何年前のことか忘れてしまいましたが、ずいぶん前、おそらく私が龍谷大学に赴任して数年ほどたった頃だと思います。おそらく、2007年か2008年のあたりかな。大津の街中にあるジャズバー「パーンの笛」で、京阪電鉄の社員さんと経営コンサルタントをされている方と、カウンターでたまたま隣の席になりお話しをさせていただきました。鉄道を通して、地域の活性化に挑戦されていました。経営コンサルタントの方のお名前は、黒田一樹さんとおっしゃいました。鉄道についてとても熱く、しかも「愛」をもって語られることがとても印象に残りました。私などは、唯の「ちょっとした鉄道好き」(プチ鉄)のおじさんにしか過ぎなのいですが、黒田さんは深い鉄道に関する知識をもとに、しかも独特の視点・センスから「愛」をもって鉄道について語られていたからです。
▪︎黒田さんとは、そのあとすぐにSNSである「mixi」であもお友達になりました。そして、数年が経過しました。同じくSNSである「facebook」を始めました。鉄道好きの方達のグループに参加させていただくことになりました。「テツオとテツコの部屋」(以下、「テツテツ」)というグループです。このグループに入って、本格的な鉄道ファンの皆さんからいろいろ学ぼうと思ったのです。このグループに入ったとき、私の頭に浮かんできたのは、何年も前にお会いした黒田一樹さんのことでした。黒田さんのような人が、このグループにふさわしいのではないかと思ったのです。さっそく、この「テツテツ」にお誘いしました。すると予想したとおり、このグループのご常連からリスペクトされる重鎮のポジションを、あっという間に獲得されました。すごいです、黒田さん。
▪︎ところで黒田さんは、本職の経営コンサルタントのお立場からの書籍以外に、溢れるような愛とともに執筆された鉄道の本があります。1冊目は、『乗らずに死ねるか!: 列車を味わいつくす裏マニュアル』です。以下は、その出版元の創元社のCM動画です。黒田さんらしさが溢れています。そして、こちらをクリックしていただくと、ラジオに出演されたときの音声を聞くことができます。黒田さんの鉄道に対する「愛」や「美意識」を知ることができます。黒田さんご自身、この番組のなかで発言されていますが「自分は鉄道マニア」ではないというのです。よく漫画チックに「鉄ちゃん」というイメージのもとに一緒に語られたくたくはない、鉄道は大人の趣味・道楽なのだというのです。ここには、「誇り」も感じられます。
▪︎そしてとうとう2冊目が出版されました。『すごいぞ! 私鉄王国・関西』です。この本は、黒田さんの講演をもとに出版されています。大阪大学や大阪21世紀協会が企画運営している「21世紀の懐徳堂プロジェクト」という社会連携事業があります。この事業の一環として展開されているのが「月刊島民ナカノシマ大学」。講演会などの座学、街歩きツアー、ワークショップを含め様々な「街なか講義」を行っています。黒田さんは、この「ナカノシマ大学で」、関西の私鉄について熱い講演をされたのです。残念ながら私自身は、仕事の関係でこれまでのシリーズどの講演にも参加できませんでした。ところが、来月の21日(土)の夕方から、新しいシリーズ「すごいぞ!私鉄王国〈外伝〉」が始まるというのです。昼間は大学の行事があるようですが、夕方からは予定が空いていたので、参加させていただくことにしました。何年ぶりでしょうね〜黒田さんとお会いするのは。