『琵琶湖の魚類図鑑』
▪️最近、こういう図鑑を入手しました。私は、琵琶湖の魚類を研究しているわけではないのですが、一般県民の1人として琵琶湖の魚類のことを気にしています。この図鑑の優れているところは、図鑑の帯にも書いてありますが、「琵琶湖の成り立ちから漁法・食文化までこの一冊で琵琶湖の魚の全てがわかる」ことです。編者の3人の皆さんは、いずれも滋賀県立琵琶湖博物館に勤務されていたか、現在も勤務されてい皆さんです。編者筆頭の藤岡さんは、今から四半世紀ほど前に、琵琶湖博物館に私が勤務している時の同僚の方になります。一緒に、中国長江の漁労に関するロケに出かけました(あの時撮影した動画は、どうやったら拝見できるのでしょうね…。懐かしいです)。
『最近、地球が暑くてクマってます。 シロクマが教えてくれた温暖化時代を幸せに生き抜く方法 』( 水野敬也・長沼直樹 著, 江守正多 監修)
▪️地球温暖化に不安を感じていても、では何をしたら良いのかよくわからない…。そういう方にまずは読んでもらいたい、そういう狙いの本なのかもしれません。北極の氷が解けて生息地消滅の危機にあるシロクマの親子がわかりやすく、問題の本質を伝えてくれます。写真と大きな文字の構成は、なんだか絵本のようでもあるのです
が、あっという間に読めます。ユーモアたっぷりですね。工夫されている本だと思います。
▪️本の帯には、「あの〜、レジ袋有料化じゃ温室効果ガスぜんぜん減らないんですよ(笑)」と書かれています。シロクマのお母さんの言い分です。それでは、何をしたら良いのか。シロクマのお母さんは「国を動かすこと」だというのです。詳しくは、本書を手に取ってお読みください。大学の図書館に入っているのかなと思ったら、入っていませんね。ちょっと残念。
【追記】▪️本書の中ては、先進国が排出する温暖ガスにより、国の大半が低地にあるバングラデッシュのような国が、地球温暖化で増幅した水害によって1900万人の子どもたちの命が危険にされさらていることが説明されています。国土がどんどん削られている太平洋の島嶼国もそうだと思いますが、途上国の人びとが原因を作っているのではないにもかかわらず、被害を受けなければならないわけです。ここには倫理的な問題が存在しています。それから、まだ生まれていない、これから生まれてくる将来世代の皆さんのことをどう考えるのかということも大きな問題です。「【異分野クロス座談会】将来世代への責任をどう考える?」という記事を見つけました。国立環境研究所・社会システム領域のサイトの中にある記事です。
▪️龍谷大学の運営は、以下のような考え方に基づいています。もちろん、「すべての生きとし生けるものを決して見捨てない」ということの中に、気候変動に伴い苦しんでいる途上国も、当然のことながら、これからこの地球に生まれてくるすべての人々に対しても含まれているに違いありません。
阿弥陀仏が「すべての生きとし生けるものを決して見捨てない」と誓われた心、すなわち「摂取不捨」の心と、SDGsが掲げる「誰一人取り残さない」という理念とに共通点を見出し、この仏教的な視点を通して大学構成員自らの自省と気づきを促す、それが、本学が掲げる「仏教SDGs」です。
川中大輔さん
▪️今日は、川中 大輔先生の研究室にお邪魔して、写真のご著書をいただきました。ありがとうございました。川中さん頑張っておられますね。川中さんは、母校が同じ関西学院大学社会学部で親子ほど年齢が違う同窓生ということになりますが、いろいろお話をさせていただき刺激をいただいています。今回いただいたご著書は、両方とも、「デザイン」がキーワードです。川中さんは両方の編者のようです。
▪️左は同志社大学大学院総合政策科学研究科の「コミュニティ・デザイン論研究」の授業の関係者が新川 達郎先生監修のもとで執筆されています。『コミュニティデザイン新論』というタイトルです。コミュニティデザインという概念が登場してからそれなりの時間が経過しましたが、あえて「新論」とタイトルに入れておられるのには訳があるのです。今日は、その辺りについて少しお話を聞かせていただきました。この本の編集者・発行者は「さいはて社」の大隅直人さんです。川中さんからは、大隅さんの厳しい編集上の注文についてもお話をお聞かせくださいました。大隅さんの良い書籍をきちんと出版していきたいというお気持ちが伝わってきます。その大隅さんには、親しくさせていただいています。私もお世話になっています。いつも、ありがとうございます。
▪️右側は立教大学大学院21世紀研究科の関係者が中村陽一先生監修のもとで執筆されています。勉強させていただきます。川中さん、ありがとうございました。
『親ブロックをなくせ! ~親子の絆が就活を成功に導く~』(原俊和・著)
▪️私は龍谷大学社会学部に勤務しています。12年前、その社会学部の教務課長として勤務されていた原 俊和さんが、2冊目のご著書『親ブロックをなくせ! ~親子の絆が就活を成功に導く~』を出版されました。執筆背景には、長年、龍谷大学でキャリアセンターに勤務されたご経験があるわけですが、それ以前に、ご自身の子育てのご経験が一番根本におありになるのではないかと思います。出版、おめでとうございます。昨日、手元に届きました。
▪️「親ブロック」、私が若い頃にはなかった言葉です。調べてみると、次のように解説されていました。
「親ブロック」とは、就職活動中の学生や求職者が親や保護者の意向で企業からの内定を辞退すること。リーマンショックによる就職氷河期が終わり、有効求人倍率が回復しはじめた2014年ごろに登場したキーワードです。これと同じようなケースから生まれた言葉で、既婚男性が妻からの反対で転職を踏みとどまることを「嫁ブロック」といいます。
▪️この「親ブロック」と関連する言葉に「オヤカク(親確)」があります。これは、「企業が学生に内定を出す際に、保護者の確認を事前に取っておくこと」と言われています。なんだか、大変な時代になりました。私の子どもたちは30代の中頃なのですが、子どもたちの就職活動のことを見守りながらも、もちろん口出しはしていません。そんなこと、自分にできる能力も気持ちもありません。頑張ってねと応援するしかありません。もちろん我が家だけでなく、他所のお宅も大体そんな感じだったのではないかと思います。上の説明では、この「親ブロック」という言葉が登場したのは2014年頃とのことですが、このことは有効求人倍率の回復とともに、親世代が、だいたいですが氷河期世代と重なっていることとも関係しているのでしょうか。どうでしょう。「親ブロック」の背景には、親の安定思考があるようです。私の知人は、「私は現役の学生さんから就活相談を受けた際、親のアドバイスは聞くな、といつも言っていますが、なかなかそう簡単にはいかないのが悩みどころのようです。親は自分の見栄と古い価値観で子どもに圧をかけますからね。本当に厄介です」と言っておられました。
▪️原さんの『親ブロックをなくせ! ~親子の絆が就活を成功に導く~』、拝読させていただきます。ところで、この本は原さんが執筆されたのですが、表紙のイラストは長男さんが描かれたのだとか。素敵ですね。
悶え神
▪️先日の「水俣曼荼羅」の上映会で、原監督の製作ノートを手に入れました。監督に、サインもしていただきました。そこには「悶え神」と書いてありました。ハートも書かれています。この「悶え神」、「水曼荼羅」の第三部のタイトルです。その第三部に作家の石牟礼道子さんが短時間ながら登場されます。そのインタビューの中で、この悶え神について短く説明されていました。悶え神とは、一緒に心配してくれる人。立ち上がることもできないほど打ちのめされたているときに、背中を撫でてくれる人。魂を撫でてくれる人。石牟礼さんのインタビューには作家の渡辺京三さんも同席され、こう説明されていました。何も力になれないけれど、助けられる力はないけれど、せめて嘆き苦しみをともにし、悶える人がいる。そういう人のことを悶え神というのです。
『百実帖』(雨宮ゆか・雨宮秀也)
▪️書店をぶらぶらして目について衝動買いしました。『百実帖』(ひゃくみちょう)です。文章は雨宮ゆかさん。花の教室「日々花」主宰され、季節の草花を生活にとりこむ花の楽しみ方のレッスンを定期的に行っておられます。写真は、おそらくお連れ合いかな。写真家の雨宮秀也さんです。で、こんな内容の本です。
なじみの草花、野菜や果物、木の実。
ページを開いたとたん、
日々の暮らしが実りの景色で満たされていく。
春夏秋冬、季節を味わう
身近な100の“実もの”の
活け方、愉しみ方100
草苺、西洋蒲公英、麦、ブルーベリー、鬼灯、梔子、柘榴、南天…
私たちの身近にある、親しみやすい100点の実を紹介。
それぞれの実と人の暮らしとの繋がりや二十四節気、
実ごとの性格について美しい写真とエッセイで綴りました。
また花器に限らず、普段使いのうつわやお皿、小物を上手に取り入れた
「雨宮流」生け方のヒントも満載。
季節ごとの“実もの”を生活にとりこむ愉しみ方を紹介します。
▪️うちの庭にもあったり、散歩する里山にもありそうな、普通の実を、「生活にとりこむ愉しみ」。よくわかります。センスが必要ですね。こういうことが、さりげなくできると素敵だなと思います。庭の世話をしたり、自宅から歩いていける農地で農作業をして(その計画も動き始めました)、その付近の里山を散策し、自然の花、葉、実を持ち帰り自宅の中でも季節を感じる。退職後は、そのようなおじいさんになりたいなと思っています。
▪️雨宮さんは、この他にも気になる本を出版されています。
『花ごよみ 365日: 季節を呼び込む身近な草花の生け方、愉しみ方 』
『百花帖 ―もっと知りたい 近づきたい 100の花』
『百葉帖 ―あらためて知りたい 見つめたい 100の葉たち』
宮島未奈さんと『成瀬』のこと
▪️昨年の2月の末のことです。大津市の中央学区にある中央小学校の体育館をお借りして、地「地域エンパワねっと」(域連携型教育プログラム社会共生実習)を履修している学生たちが、牛乳パックを利用したランタンを使ったイベントを開催しました。たくさんの小学生が参加してくれました。
▪️そのイベントが終わった時、参加していた知り合いの小学生のお母様が私のところへやってこられました。そして、「わたし、今度、小説家としてデビューすることになりました」と言われたのでした。その方が、宮島未奈さんでした。その時は、これから出版される小説の見本のようなものをいただきました。読んでみて、最初は少しとっつきにくい部分がありましたが、そのうちにどんどん惹きつけられて最後まで一気に読んでしまいました。『成瀬は天下を取りにいく』です。
▪️その後、無事にこの本は出版され、知らない間に大変な話題になりました。そして、とうとう昨年度の本屋大賞を受賞されました。そして続いて、第2作『成瀬は信じた道をいく』も出版されています。他の地域ではどうなのかよくわかりませんが、滋賀県、特に大津市ではめちゃくちゃ盛り上がっているように思います。大津市は、NHKの「光る君へ」と「成瀬」で話題になっているのです。左の写真は、JR膳所駅です。もう完全に話題に便乗して観光宣伝をされています。我が家もAmazonで取り寄せました。カバーのイラストと小説の中身とが、うまくマッチしているようにも思います。
▪️お母様が小説家になったわけですが、そのお子さんである、私の知り合いの小学生は今どうしているのかな。また話をしてみたいです。
芥川龍之介賞受賞作家 綿矢りさ氏特別講演会
▪️昨日は、大宮キャンパス東黌の大教室で、芥川龍之介賞受賞作家である綿矢りささんの特別講演会が開催されました。これは良い機会だとネットで申し込んで参加させていただきました。綿矢さんは、2001年、京都市立紫野高等学校在学中に『インストール』で第38回文藝賞を受賞されました。「高校生が!!」ということで大変話題になりました。その後、早稲田大学に進学され、2004年に『蹴りたい背中」』で芥川賞を受賞されました。綿矢さんの存在が、文学ファンの間だけでなく、そうでない人たちの間でも話題になっていましたので、私もお名前は存じ上げていました。
▪️芥川賞を受賞された2004年は、私がちょうど龍谷大学社会学部に勤務するようになった年でした。その時、担当した「社会調査実習」を履修していた学生さんの中に、綿矢さんと高校時代に同級生だったという方がおられました。どういうわけか、そのことを今でも記憶しています。綿矢さんは、昨日の講演会で40歳だと言っておられたので、その時学生だった方も、今は社会の中堅として働いておられるのでしょうね。
▪️そのような話はともかく、何が言いたいかというと、初期の作品以外は読んだことがなく、私は綿矢さんの良い読者では全然なかったということです。でも、『蹴りたい背中』、『勝手にふるえてろ』、『かわいそうだね?』、『憤死』、『私をくいとめて』、『嫌いなら呼ぶなよ』といった作品のタイトルからは、個人と周囲との乖離、ズレ、不調和のようなものを感じていました。綿矢さんってどのような方なんだろうという思いがあり、講演会に申し込んだのです。13時半から講演会は始まったのですが、会場に到着したのが講演開始10分前で、大教室の隅の方で聞かせて頂こうと思っていたのですが、後ろの方はすでに満員でした。木曜日の3限の授業の学生さんたちが授業の一環として講演会に参加されているようでした。残っている席は前の方にしかありません。ちょっと恥ずかしかったのですが、前から2列目に座らせていただきました。
▪️講演会で、綿矢さんは、京都弁(関西弁)でご自身の思いや経験を話してくださいました。こういう講演会では時々ありますし、学会発表等ではしばしば見かけるのですが、肩に力が入って、自意識のようなものが滲み出て、聴衆の反応を気にしながら話をする…そういうことが全くない方でした。素晴らしい。おそらくは、「素」のままなんだろうなと思います。楽しかったですね。行って良かったなと思います。
▪️講演会は、2部形式でした。第1部は副学長の安藤徹先生(文学部)が綿矢さんにインタビュアーする形で進みました。綿矢さんは、自ら饒舌に語るタイプの方ではないようで、安藤先生が一生懸命聞き出そうと頑張っておられました。第2部では近現代文学を学ぶ大学院生がお2人登壇されて、丁寧に質問をされていました。あらかじめ参加した学生さんたちから集めておいた質問も含めて、それらの質問に対して綿矢さんがお答えになっていました。そのような質疑応答から、作家としての綿矢さんが浮かび上がってくるように思えました。スマホに残したメモを元に思い出すと、以下のようなことをお話しになりました。
・作品の主人公が自分(綿矢さん)に語りかけてくる、その言葉を正確に文字にしていく。時々、主人公がつまらないことを言っているなと思っても、とりあえず残しておく。
・昔は、行き当たりばったりで書いていたが、今はプロットを大体決めてから書いている。しかし、理性で描こうとしても、主人公が大暴走をしてしまうことがある。
・小説を書いていると、パソコンの前ではない時の方がアイデアが湧いてくる。特に、お風呂に入っている時。お風呂の中にメモを持って入れないので、慌てて外に出てメモにアイデアを残したりする。
・書き出しは大切だと思う。主人公の性格、その人らしさが出てくるようにしている。冒頭で読者の心を掴むようにしている。
▪️環境社会学の論文を書いても、文芸作品の創作を自分でした経験はなく、文学に関しても知識や経験が乏しいわけですが、それでも興味深くお話を伺うことができました。主人公やテーマの設定については、もちろん作者である綿矢自身がされているわけです。しかし、その主人公が綿矢さんに語りかけてくる、自分はそれを書き留めているという説明に大変惹かれるものがありました。「主人公の気持ちが乗り移ってきて、擬似体験している時が一番楽しい」とも語っておられました。表現が難しいのですが、「まるで、神から送られてくるメッセージに集中して、そのメッセージを人びとに正しく伝えようとするシャーマンや巫女のようだな」と思いました。シャーマンや巫女には神様が憑依しますから。神からのメッセージに耳を傾けること。それは自分自身の無意識の層にあえて意識を集中させていく作業のように思います。そうそう、村上春樹さんの小説の中によく「井戸」が登場します。執筆するときに自己と向き合い無意識の層に沈潜していく作業を井戸を掘ると表現されているようにも思います。それと似ているなと思いました。特に、「主人公が大暴走してしまう」というあたりについて、村上春樹さんが臨床心理学者の河合隼雄さんとの対談(『村上春樹、河合隼雄に会いにいく』新潮文庫)で同様のことを述べておられます。ちょうど、『ねじまき鳥クロニクル』を出版された後のことのようです。
村上 というのは、ぼく自身、小説が自分自身より先に行っている感じがするからんですよね。いまぼくは自身がそのイメージを追いかけている、という感じがある。(91~92頁)
村上 今回ばかりは、自分でも何がなんだかよくわからないのです。たとえば、どうしてこういう行動が出てくるのか、それがどういう意味を持っているのかということが、書いている本人にもわからない。それはぼくにとっては大きいことだったし、それだけに、エネルギーを使わざるをえなかったというとだと思うのです。
河井 芸術作品というのは、絶対にそういうところがあるだろうとぼくは思います。そうでなかったらおもしろくないのではないでしょうか。作者が全部わかってつくっているのは、それは芸術じゃないですね。
▪️どうでしょうか。共通する部分があることをご理解いただけたでしょうか。それから、あと、質問をされた安藤先生や大学院生の皆さんが上手に引き出されたのだと思いますが、綿矢さんの小説の中にはものすごく面白い「比喩表現」がたくさん出てくるということです。ご自身でもそのようなひ比喩表現がすごくお好きなようで、日常生活でも使うことがあるし、それが自分自身の強みともおっしゃっておられました。また、文章に勢いがあるときは、そういう面白い「比喩表現」が自然に出てくるのだそうです。安藤先生によれば、作家の高橋源一郎さんが綿矢さんの比喩表現を高く評価されているそうですね。綿矢さんの良い読者ではないので、改めてきちんと読んで、その比喩表現を楽しんでみたいと思います。
▪️景色の描写についても興味深いことを話されました。安藤先生によれば、『勝手にふるえてろ』の49ページにそのような主人公が見ている風景の説明があるのだそうです。綿矢さんは、「景色とかに自分の心が映ることがある。忘れられない風景。嬉しい悲しいを書くよりも、景色を書いた方が情緒が豊かになる」、そのように説明されていました。
▪️もうひとつだけメモを元にここに書いておきたいことがあります。綿矢さんが影響受けた作家についてです。最近は宇野千代さんだというのです。宇野千代さんは、1996年に98歳で亡くなられた作家です。綿矢さんによれば、宇野さんは、90歳を過ぎた頃から自分は死なない気がすると言っておられようです。客観的に言えば、確実に死に近づいておられのですが、それでも宇野さんの生命のエネルギーが溢れていることに驚かれていました。綿矢さんは、宇野さんの作品を、出版された当時の版で、つまり昔の書籍、古書でお読みになっています。「昔の表現にはこうだったんだ」との発見があるとのこと。そのことが、語彙力を増やしていくことにも通じているようです。
▪️綿矢さんは高校生の時に作家としてデビューしますが、その時に影響を受けたのは太宰治でした。退廃的、死の匂いがするのが好きだったし、普段隠している自分自身の内面で悩んでいることを作品として表現していることに強く共感されたようです。しかし、「今ではそのような共感が薄くなってきた」とも語っておられました。その太宰治は38歳で入水自殺をしています。今の綿矢さんは40歳。年齢では追い越しています。「自然な流れで卒業したなって感じ」、「それが悔しい」とも。悔しいというのは、とても正直ですね。作家として成熟されていかれた証拠かな。デビュー時高校生だった頃の、ヒリヒリするような繊細な感覚とは違うステージに作家として立たれているのではないでしょう。生命力が溢れる宇野千代と、退廃的で死の匂いがする太宰治。両者から影響を受けた年齢が異なっていることを頭の片隅に置きながら、綿矢さんが年齢を重ねるうちに作品群にどのような変化が生まれてくるのか、気になるところです。そのことと関係していると思いますが、初期のご自身の作品を読むと「高校、学校に馴染めなかったんやなと、他人が書いたもののように思える」とも語っておられました。
▪️講演会の最後に、司会の安藤先生が、「学生の皆さん、帰りは書店に寄ってぜひ綿矢さんの本を購入してください」と呼びかけておられました。私は学生ではありませんが、早速、書店に立ち寄りました。『インストール』と『蹴りたい背中』は大昔に読んだように思いますが、加えて、『オーラの発表会』、それから最新作の『パッキパキ北京』等4冊ほど購入しました。時間を見つけて読んでみたいと思います。
▪️特別講演会の後は、大宮キャンパスのお隣にある西本願寺にお参りしました。ちょうど、念仏奉仕団の皆さんが、ご門主と会っておられるところでした。本願寺では、「全国各地から参拝した門信徒などの団体が、本願寺ご門主とのご面接、本山の清掃奉仕、法話等を通じて、仏縁を深め」る活動をされています。ちょうど、そのタイミングでお参りしたということになります。ご門主のお声を初めて直にお聞きしました。
『お坊さんたちのライフストーリーズ』(大学生のためのLGBTQ+ライフブック Vol.4)
▪️昨日、『お坊さんたちのライフストーリーズ』(大学生のためのLGBTQ+ライフブック Vol.4)を深草キャンパスでいただきました。 PDFでもお読みいただけます。読み進めていくと、「仏教SDGs」を推進する龍谷大学としてはもちろんのこと、浄土真宗本願寺派、さらには日本の仏教教団にとっても、真摯に取り組まねばならない課題であることがよくわかります。以下は、「はじめに」の文章です。最後のところ、宗教部としてのアンコンシャスネスを、きちんと自ら確認して、反省的に捉えて、改善されています。このような反省と改善の積み重ねが大切なのかなと思います。もちろん、自戒の念も込めつつ、そう思っているのです。なお、下線は私がつけたものです。
「父親には絶対にカミングアウトできません」
ある学生のその一言がずっと気になっていました。その学生の実家はお寺で、お父様は住職だったのです。すべての人をすくいとってくださるという仏さまの身近にいる人に、自分のセクシュアリティやジェンダーアイデンティティを素直に伝えられない。きっと同じような苦しみを抱えている人がおられるのではないでしょうか。
いま、「LGBT」や「LGBTQ+」という言葉は多くの人が知っています。しかし、その一方で性的マイノリティへのヘイトは後を絶ちません。同性愛や同性婚が伝統的な家族を崩壊させるとか、トランスジェンダーを犯罪者扱いするような言説が吹き荒れています。このことは決して他人事ではないはずで、私たち自身も、知らず知らずのうちに差別に加担してしまっているかもしれません。
本冊子は、Vol.1 「先輩たちのライフストーリーズ」、Vol.2「それぞれの結 婚のカタチ」、Vol.3「みんなのキモチ」に続く第 4 弾です。宗教者もそうでな い人も是非読んでいただきたいです。なお、前号まではシリーズ名を「大学生 のための LGBTQ サバイバルブック」としていましたが、「マイノリティがサバイバルしないといけないのは変じゃない?」 ということで今号から「LGBTQ+ ライフブック」としています。また、タイトルが「お坊さん」となっていますが、お坊さんだけでなく、お坊さんとご縁のある人や神道の方からも寄稿いただきまし た。執筆者のみなさまに心から感謝を申し上げます。
2024年3月 龍谷大学 宗教部
▪️「LOBTQ+」の諸課題に取り組んでおられる職員さんとお話をしましたが、「関西学院大学の取り組みは、大変すぐれています。うちは、もっと頑張らねば」とおっしゃっていました。関西学院大学は、南メソジスト派のキリスト教を基盤にする大学であり、私の母校です。関学の「インクルーシブ・コミュニティ宣言」も含めて「「LGBTQ+」「SOGI」尊重への取り組み」をご覧いただければと思います。
池田邦彦『国境のエミーリャ』11
▪️漫画も楽しみます。今は、池田邦彦さんの『国境のエミーリャ』を心待ちにしています。今回は、11巻が発行されました。こんなあらすじです。
第二次世界大戦終結後、ソ連と米英連合国によって分割統治されることになった戦後日本。やがてそれぞれが日本国と東日本国として独立し、東京23区も東側の約半分が東日本の領土となっていた。東西陣営の冷戦が激化したことによって、境界には高い壁と緩衝地帯が設けられ、厳重な監視体制がしかれていた。そんな1962年の東日本国、人民食堂で働く19歳の少女杉浦エミーリャの裏の顔は、国境の警備をかいくぐり、人々を西側へ亡命させる脱出請負人。人民警察の捜査を逃れつつ仕事をこなすエミーリャのもとに、さまざまな事情を抱えて脱出を依頼する人たちが訪れる。
▪️なかなか私好みのストーリー展開です。おそらく、東西の冷戦等をリアルに経験されていない若い学生さんたちには、よく理解できないかもしれません。仕方ありませんね。私は、「架空の設定」なのですが、アメリカとソ連の分割統治については、いろいろ議論があったことを知っています。もっとも、自分自身で詳しく調べた訳ではありせんが。というわけで、東西冷戦の中で日本が分割統治されることが、全くの虚構というわけでもないのです。
▪️私は、池田邦彦さんの画風が好きです。池田さんの作品の中では、『カレチ』(1~5)も大好きです。「カレチ」とは、JRがまだ国鉄だった時代、長距離列車に乗務されていた客扱専務車掌さんのことです。この『カレチ』で描かれている時代は、たぶん昭和40年代後半のあたりではないかと思います。「乗客ファースト」の若い国鉄職員(カレチ)である荻野さんの活躍に、グッと感動してしまうのです。しかし、時代は、国鉄にとっては厳しい時代に突入していきます。最後の方は、国鉄分割民営化の中で辛い思いをされる荻野さんたち職員の皆さんの様子が描かれています。これは、鉄道ファンではなくても、ぜひともお読みいただきたいと思います。
▪️『国境のエミーリャ』も『カレチ』も、私が成長してきた時代と重なり合っています。作者の池田さんは、1965年生まれで、私よりも7歳もお若い方ですが、何か時代意識を共有しているように思います。高度経済成長期が始まって少し経過した頃、まだ日本の貧しさが社会のあちこちに見えていた時代の雰囲気、そういう時代を経験した人たちには、この漫画を面白く感じるのではないかと思います。そもそも、冷戦という対立がリアルなものとしてあった時代を知っているかどうかという点もあるのかもしれません。若い方達、たとえば、学生の皆さんにこの漫画の感想を聞かせてもらいたいなと思います。