「弁当男子」その後

20150523bentou.jpg ■弁当に関する話題です。先月のことになりますが、「『弁当男子』・『アニメ』・『リーマンショック』」「最近の『弁当男子』活動」といったエントリーで、弁当作りを楽しんでいることをお伝えしました。その後、1ヶ月と少しが経過しましたが、安心してください、「弁当男子」、続いています!今日は、残り物と冷蔵庫にあるもので弁当を作りました。けっこう慣れてきました。この程度の手間だと、忙しい時、疲れている時以外は、やっていけそうです。

■実は、モチベーションを上げるために、新しい弁当箱を購入したりしました。これまでは、成人して独立した娘や息子が残していった弁当箱を使っていたのですが、おかずの汁が漏れてしまうのです。どうもいけません。ということで、最近の弁当箱を物色してみました。驚きました。いろいろ進歩していますね〜。この弁当箱は、夏の暑い時期には保冷剤で中身が腐らないようにできます。もちろん、おかずの汁は漏れません。なかなかの優れものです。

■今日は研究部の会議室で、研究部の職員の皆さんと一緒に昼食をとりました。驚きました。私の「弁当男子」に影響を受けて、初めて弁当を自分で作ってきた方がおられたのです。Nくん、頑張っています。これからは、研究部の中に「弁当男子部」が生まれそうな雰囲気になってきました。

黒田一樹さんの講演会

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■21日(土)の夕方、大阪の中之島に向かいました。大阪市の中之島にある「大阪中央公会堂」の会議室で、黒田一樹さんの講演「すごいぞ! 私鉄王国<外伝>その1:京都編」を聞かせていただくためです。黒田さんの講演については、すでに4月22日のエントリー「すごいぞ! 私鉄王国・関西」でお知らせしていましたが、その際に、書いていないことがありました。それは、1月の段階で、黒田さんは「末期大腸ガンで余命1ヶ月」と医師から宣告されていたということです。この春に出版された『すごいぞ! 私鉄王国・関西』の出版に向けて最後の編集段階に入っていたおられた時でした。黒田さんは、そこから懸命に治療に励まれました。多くの癌患者の方たちは、自分の病気のことについて積極的に語りはしませんが、黒田さんは、ご自身の病状と治療の経過について、詳細に、しかも挑戦的な文体で「facebook」に、誰もが読めるような形で書き続けてこられました。これは、すごいことだと思います。黒田さんらしい!! これは彼の美意識です。実際、『すごいぞ! 私鉄王国・関西』の後書である「おわりに」に、次のように書かれています。

本書が佳境に入った今年の1月、わたしは末期の大腸ガンと診断されました。ガンは各所に転移していましたが、中でも肝臓へのダメージは深刻で、余命1ヶ月を宣告されました。満足な校正ができず、日の目を見ぬままに本書の原稿が葬り去られるのではないかとの危機感を抱いた140 Bの皆様は、全力で出版にこぎつけてくださいました。

その後の緊急入院でわたしはなんとか一命を取り留めましたが、未だ手術ができるほどの恢復はしておらず、現在は抗がん剤治療を続けています。肝臓がヤられているので感染症が怖くて、あれほど好きだった電車にも乗れず、もっぱらタクシーで移動する日々です。否、身体だけでなはく、精神的にも電車に乗る自信を失った自分に気づき、愕然としています

しかし、わたしには夢があります。再び立ち上がり、残り約60都市に迫った地下鉄世界征服を完了させること。まさに「乗らずに死ねるか!」です。

もう一つ。本書の舞台である私鉄王国・関西のどこかで再び講壇に立ち、あなたを含む満場のお客様をお迎えして、ご一緒に電車の愉しみを味わうこと。その時、わたしは「皆様、還ってまいりました!」とご挨拶を申し上げます。

そう、わたしはまた還ってまいります。愛してやまない私鉄王国へと。必ず。     2016年2月23日 東京の自宅にて 黒田一樹

■黒田さんは、この「おわりに」に書かれた通りに、21日(土)の夕方、大阪の中之島にある「大阪中央公会堂」に還ってこられました。会場は、黒田さんのファン、鉄道ファンの皆さんで満席の状態でした。全員で黒田さんの帰還をお祝いする拍手で迎えました。「おわりに」に書かれたとおり、「皆様、還ってまいりました!」と満面の笑顔とともに大きな声で挨拶されました。素晴らしい。感動しました。感無量です。

■末期癌の苦しみと闘い、絶望の境地から「生還」された黒田一樹さんの講演を拝聴しました。聴衆を惹きつけるサービス精神にあふれた黒田さんのトークを堪能しました。私自身は「鉄道マニア」と自称するだけの知識も経験はありません。ですから、会場に詰めかけた黒田さんのファン、本物の鉄道マニアの皆さんのように細かな鉄道の話題に反応することはできませんでした。しかし、黒田さんという「人」を心の底から楽しむことができました。講演会の後は、別会場で開催された懇親会で、黒田さんと少しお話しすることもできました。昨日は、2冊の本を持参していました。ご著書『すごいぞ! 私鉄王国・関西』と、監修された漫画『銀彩の川』の2冊です。ミーハーですが黒田さんにサインをしていただきました。

■『すごいぞ! 私鉄王国・関西』の方には、私が阪急電車ファンということで、以下のようにサインをしていただきました。「創業者の顔が見える 究極の阪急電車 7000系で神戸線を」。鉄道に関心がない方には、何のことやらわからないと思います。ぜひ、『すごいぞ! 私鉄王国・関西』の「P.48〜52」をお読みください。52ページの最後には、こう書いておられます。「『最善の接客設備を提供する』哲学こそが、本質を同じくする者から生まれる無数の『差異と反復』(ジル・ドゥルーズ)を生むのだろう」。「阪急電車の持つ阪急電車らしさ」は、他社の模倣ではなく、阪急電車という自己の内部から生み出されているのです。

【追記1】■大変悲しいお知らせです。2017年1月3日0時34分、黒田一樹さんがご逝去されました。その悲しいお知らせが、facebookを通してご家族からありました。少し詳し目に黒田さんとの出会いやお付き合いのことについてエントリーしました。
黒田一樹さんのこと
(2017年1月4日)。
【追記2】■黒田さんにサインをいただきました。いま写真を見直して見ると、私の苗字の「わき」の方ですが、「月」に「刀」が3つの旧字体で書いてくださっていました。私の名字の「わき」の漢字は、当用漢字な「月」に「力」3つではなくて、旧字体の「刀」3 つなんです。きちんと配慮してくださっていたんですね。黒田さん、ありがとうございます。
(2017年1月4日)

「ちはやふる」ラッピング電車

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■20日(金)、午前中は大津市役所の都市計画部都市計画課に行きました。次回の都市計画審議会の開催にあたり、職員の方から委員への事前レクがあったからです。いつもだと、市役所の職員の方に大学の方にお越しいただくのですが、この日は市役所で印鑑証明を受け取るという個人的な用事があったものですから、自分の方からお願いをして、都市計画課を訪問させていただきました。事前レクだから30分程かなと思っていましたが、いろいろ質問やコメントをさせていただいたこともあり、1時間ほど時間がかかってしまいました。

■市役所の最寄の駅は、京阪・石山坂本線の別所駅です。この別所駅から、京阪膳所駅まで移動し、隣接するJR膳所駅から瀬田駅に移動できます。大津市は、山と琵琶湖に挟まれた細長い土地なのですが、そこにJR琵琶湖線・湖西線、そして京阪の京津線・石山坂本線が走っています。これらに加えてバス。これらの公共交通機関をうまく連携していることが重要になってくように思います。個人的な意見ですが、鉄道と90度に交差する方向、言い換えれば琵琶湖と山との間をつなぐ公共交通機関が不便なのです。この辺りのこと、高齢化率が高まる状況の中では、とても重要だと思うのですが…。今後の都市づくりの中でもっと考えていく必要があるように思います。

■すみません。話しがわき道に逸れました。別所駅で待っているとやってきたのは、漫画そして映画で人気のある「ちはやふる」のラッピング電車でした。「ちはやふる」という漫画を見たことがありませんが、とても人気のあるそうですね。漫画家・末次由紀さんの、「競技かるた」に没頭する少女の青春を描いた作品のようです。『BE・LOVE』(講談社)という漫画雑誌で2008年2号から連載中といいますから、かなり長期にわたって連載されていることになりますね。

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■私の場合、「競技かるた」といえば、大津市内にある「近江神宮」を連想します。この「近江神宮」で、「競技かるた」の「名人位」、「クイーン位決定戦」、「高松宮記念杯歌かるた大会」、「高校選手権大会」、「大学選手権大会」等々、様々な大会が開催されているからです。「近江神宮」は「かるたの聖地」なのです。その「かるたの聖地」が、漫画や映画の「ちはやふる」に登場しているようです(実際に漫画を読んで確認したいものです)。というわけで、大津市のまちづくりの様々なシーンにも、この「ちはやふる」らが登場しています。例えば、今年の2月26日には、映画「ちはやふる」2部作の公開を記念して、「ちはやふるラッピング電車」の出発式が京阪電車・石山坂本線の坂本駅で開催されました。「ちはやふる ロケ地めぐりマップin大津」というサイトもありますね。以下は、映画「ちはやふる」の予告編です。私の周りでは、多くの人たちが漫画も映画もご覧になっています。私も後ればせながら、まずは漫画の大人買いからやってみましょうかね。

湖魚をいただく

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■15日(日)の晩に撮った写真です。2つ前のエントリーに書いたように、総合地球環境学研究所の私たちのプロジェクト『生物多様性が駆動する栄養循環と流域圏社会─生態システムの健全性』に、最近になって参加された新たな社会科学系のメンバーの皆さんと、プロジェクトの調査地を視察しましたが、最後は、1日をかけた視察を慰労するために、野洲市菖蒲にある「あやめ荘」を訪れ、琵琶湖の湖魚料理をいただきました。

■トップは琵琶湖の固有種であるニゴロブナのなれ寿司、「鮒寿司」です。今回、視察をされたメンバーの中には初めて召し上がる方もおられましたが、皆さん、美味しそうに召し上がっていました。よく「鮒寿司」は臭いと言われますが、きちんと作ると嫌な臭いはしません。乳酸発酵の酸味を感じる匂いがするだけです。「鮒寿司」はご飯に漬ける前に塩に数ヶ月つけておきますが、塩漬けする前に、鰓や内臓等を綺麗に取り除き下処理をきちんとやっておくと嫌な匂いはしないと思います。あえて言えば、「魚のブルーチーズ」ですね。

■もちろん、「鮒寿司」以外にも、たくさんの湖魚をいただきました。前菜の中には、珍しいものが混じっていました。「ワタカの酢の物」です。ワタカは、水草が茂る流れの緩やかな場所に棲んでいます。まだ、琵琶湖と水田が繋がっていた頃は、田植えを済ませた水田に入って稲の苗を食べたりしました。「魚害」です。また、小骨も多く、料理する場合は骨切りをしなくてはいけません。好んで食べられる魚でもありませんでした。というわけで、なかなか食べるチャンスはないのですが、この日はラッキーでした。下の写真のガラスの小鉢に入っているのが、「ワタカの酢の物」です。

■「鮒寿司」以外に、ハスというコイ科の仲間の魚の寿司も出ました。「ハス寿司」。これもなれ寿司です。ただし、ニゴロブナの場合は半年以上漬け込むわけですが、ハスの場合は数ヶ月です。「ハス寿司」は、私自身しばしばいただくチャンスがあります。好物です。上の写真の右側は、「鮒の子まぶし」です。鮒の刺身の表面に塩水で茹でたフナの卵をまぶしたものです。これも、専用のタレでいただきます。とても美味しいです。鮒と聞くと泥臭いんじゃ…と思われるかもしれませんが、そんなことは一切ありません。この他にも、鯉、鰻、ワカサギ等、琵琶湖の湖魚を美味しくいただきました。そして、お酒は、野洲市須原の「魚のゆりかご水田米」で作った日本酒「月夜のゆりかご」を楽しみました。この日の視察にふさわしいお酒でした。

美しい琵琶湖の夕焼け

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20160517biwako1.jpg■今日は研究部関連の会議や用務がなく、早目に帰宅することができました。これは、私からすると、とても珍しいことです。時間ができたので、普段は週末に時間があるときにしかできない、夕食の買い物に出かけることにしました。スーパーマーケットに出かけて、売っているものを見ながら献立を考えることはなかなか楽しいことです。今日は、美味しそうなナメタガレイが安くを売っていたので、煮付けにしていただくことにしました。

■買い物を終えると、ちょうど太陽が沈む時間になっていました。琵琶湖の方を眺めると、とても美しいピンク色に染まっていました。今日は風もなく、湖面は凪いでいました。美しいピンクに染まった空が湖面に映っていました。空には、月が輝き始めていました。なんとも美しい風景です。このような風景のそばに暮らしていることの幸せを感じました。

■今から13年前のことになりますが、岩手県の盛岡市に暮らしていました(当時、勤務していた大学は岩手県立大学です)。天気が良いと、盛岡の街からは雄大な岩手山が見えました。いつも岩手山に見守られているかのような気持ちになりました。とても、幸せな気持ちで暮らすことができました。琵琶湖を眺めていると、その時と似たような気持ちになります。人が具体的な土地に根付いて暮らす上で、その土地固有の風景はとても大切なものだと思います。

20160517biwako4.jpg■昼間、太陽光の赤色光は地上から空を眺める人の眼に届くのですが、青色光は大気中で散乱するため空は青く見えるのだそうです。しかし、夕方になり、日が沈むこと頃になると、地上から見れば、太陽光は斜めの角度から大気を通過することなります。大気を通過する距離が長くなり、青色光はさらに地上に届かなくなり、黄色や赤色などの光も大気中に散乱し空が赤く見えるのだそうです。この日は、そのような夕日が空に浮かぶ雲をピンクに染め上げ、湖面にも反射したのです。西側を見ると、すっかり日は沈み、山々のシルエットがくっきり見えました。そのシルエットが田植えを終えた水田の田面に映し出されて、これもなかなかのものでした。

須原の「魚のゆりかご水田」訪問(総合地球環境学研究所)

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■ひとつ前のエントリーの続きです。総合地球環境学研究所の私たちのプロジェクト「生物多様性が駆動する栄養循環と流域圏社会─生態システムの健全性」に、最近になって参加された新たな社会科学系のメンバーの皆さんと、小佐治の次は草津市志那で平・柳平湖の再生事業を、そして最後に野洲市須原の「魚のゆりかご水田」プロジェクトの現場を視察しました。トップの写真は、その「魚のゆりかご水田」プロジェクトの水路を撮ったものです。

■須原では、転作のために多くの水田で麦が栽培されていました。昨年の「魚のゆりかご水田」の現場も、麦に転作されていました。「あれっ…、今年の現場はいったいどこだろうか?」と、しばらくウロウロしながら探さねばなりませんでした。たまたま農作業をしていた隣の集落の農家の方に教えていただき、やっとたどりつくことができました。現場に近づくと、水車のようなものが見えてきました。これは「踏車」(ふみぐるま・とうしゃ)です。かつて須原のあたりは、クリークが発達した水郷地帯でした。農家は、クリークにこの「踏車」を設置して、炎天下のなか「踏車」の水車を足で踏んで、クリークのかなの水を水田に汲みいれたのでした。現在の、圃場整備事業を終えたこの風景からは、ここがかつて水郷地帯であったことなど想像することができませんね。かつてのこの地域の様子について、須原の「魚のゆりかご水田」プロジェクトの実施団体である「せせらぎの郷」の公式サイトでは、次のように説明されています。

昭和40年代頃の須原は、まだまだ低湿地で、内湖がたくさん残る水郷地帯でした。 やはりクリークは生活に欠かせないものであり、水田用排水や人の移動、農具・牛・田畑の収穫物を田舟で運搬するなど、重要な交通路として活用されていました。
  
また、びわ湖の魚たちにとって、田んぼは水温が高く外敵の少ない絶好の産卵場所でした。現代と違いクリークと田んぼは水位がほとんど同じだったので、魚が田んぼに入ることは容易だったのです。子どもたちにとって、その魚たちを捕って家に持って帰ることは、最高に楽しい遊びであり、おかずを持ち帰る重要な役割でもありました。
  
しかし、大雨の度に水害に遭うほか、車での移動と比べると田舟での移動は大変で重労働でした。そこで、昭和47年から琵琶湖総合開発事業の琵琶湖治水とほ場整備による乾田化が始まり、その効果で大型機械の導入が可となり、効率的で合理的な近代農業を営めるようになりました。
  
ただその一方で、京阪神への交通のアクセスも非常に良くなったことから、若者たちは働く場を都会に求めるなど、農業を離れ、後継者不足という課題が見え始めてきたのです。また、農薬の使用が推奨され生物環境も激変し、かつてみられた子どもたちの魚つかみの風景は見られなくなってしまいました。
  
そうした危機感のなかで、先祖代々守られてきた水田を、集落全体で次世代に引き継いでいくため、平成19年からはじまったのが「須原 魚のゆりかご水田」です。

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20160516suhara4.jpg■上の2枚の写真をご覧ください。圃場整備事業後は用水路と排水路が分離し、排水路が深くなってしまったため、かつてのようにニゴロブナなどの魚が水田に遡上できなくなりました。そこで、この「魚のゆりかご水田」プロジェクトでは、毎年春になると排水路に堰板を入れて水位を高くし、魚道を設置し、魚が水田に遡上し産卵できるようにします。魚は水田で産卵し、孵化した稚魚は水田で一定の大きさまで成長します。ということで、「魚のゆりかご…」なのです。上の左側の写真をご覧ください。止水板で水路の水位を高く維持していることがわかります。水路の水面が高くなているので、と水田の排水パイプを通して、魚たちは水田に入り産卵することができるのです。上の右側は魚道です。少しずつ水位が高くなるように魚道が設計されています。こうすることで、魚たちはジャンプしながら魚道を遡上していくのです。

■滋賀県では、水田で産卵・繁殖している状況を確認し、魚への影響の少ない農薬(除草剤)を使用するなどして、魚にやさしい水田と作業で生産した米を「魚のゆりかご水田米」として認証しています。下の4つが認証の条件です。「魚のゆりかご米」に認証されると、通常の農法で栽培された慣行栽培米よりも、高い値段で販売されることになります。

(1)魚毒性の最も低い除草剤が用いられ、散布後数日間は水田系外への流出と魚の進入を防ぐため水尻の止水を確実に行うこと。
(2)魚の生息環境に影響を与えないよう、適切な肥培管理を実施すること。
(3)中干しの落水時に水田から排水路への稚魚流下促進に取り組んでいること。
(4)農業排水路等に設置された魚道を利用して産卵のために遡上してきた在来魚が水田で繁殖していること。

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■須原の水田をめぐりつつ、いろんな発見がありました。ひとつは、鳥です。鳥の足跡を、水田のなかのあちこちに見つけました。足跡があるということは、エサになる生き物が生息しているということですね。上の写真では、よくわかりませんが、かなり大きな足跡です。これがどの鳥の足跡なのか、残念ながら私にはわかませんが、おそらくはサギの仲間の足跡ではないかと思います。左側は、鳥の巣です。ケリだと思います。ケリは、水田の畔に藁等を敷いて巣をつくります。私たちが細い畦道をバランスをとりながらゆっくり歩いていると、ケリが激しく鳴きながら私たちの周りを飛びまわりました。人間が巣に近づいてきたので警戒したのでしょう。私は、一番年寄で最後尾をゆっくり歩いていたせいもあり、この巣の存在に気が付きました。1つ、卵が潰れていました。必死になって歩いているうちに、視察のメンバーの誰かが踏んでしまったのですね。圃場整備された水田が広がっている単純な風景なのですが、こうやって近づいてみると、様々な生き物の存在を感じ取ることができます。

小佐治訪問(総合地球環境学研究所)

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■15日(日)は、前日に引き続き、総合地球環境学研究所の仕事でした。総合地球環境学研究所のプロジェクト「生物多様性が駆動する栄養循環と流域圏社会─生態システムの健全性」に最近になって参加された、新たな社会科学系のメンバーの皆さんに、プロジェクトのメインフィールドである野洲川流域を視察していただきました。視察の目的は、「文理融合」型かつ「超学際」的である私たちの研究プロジェクトを深くご理解いただくことにあります。総合地球環境学研究所・PD研究員の淺野悟史さんがアレンジしてくれました。今回の視察に参加された新メンバーは、西前出さん(京都大学)、松下京平さん(滋賀大学)、竹村幸祐さん(滋賀大学)、高橋卓也さん(滋賀県立大学)の皆さんです。

■視察は、野洲川流域の中でも本流であり野洲川の支流、杣川流域にある小佐治からスタートしました。まずは、小佐治にあるコミュニティビジネスの拠点である「甲賀もちふるさと館」で、小佐治の「環境保全部会」に所属する農家の皆さんからいろいろご説明をいただきました。写真の新聞は、地元のニューズレターである「農地・水・環境保全 向上活動 小佐治だより」の最新号です。

■私たち「総合地球環境学研究所」の研究プロジェクトとの協働事業のことが、大きく取り上げられています。私たちのプロジェクトでは、今年2月にから「幸せの環境ものさしづくり」活動の一環として、隣接する里山から水田にやってきたニホンアカガエルが、産卵した卵の位置を、農家の皆さんと確認する調査を行ってきました。私がやったのは「幸せの環境ものさしづくり」の「基本設計」あたりまでで、後の「実施設計」や「施工図面」に当たる詳細な作業は全てPD研究員の淺野さんが担当してくれました。優秀な若手研究者がいてくれて、本当に助かっています。トップの写真は、淺野さんと農家の皆さんが行った調査結果を、地図に落としたものです。こうやって「生き物の賑わい」や「環境豊かさ」を「見える化」(可視化)し、農家やこの地域の皆さんと共有していくのです。

■下の写真は、写真は、「田越し灌漑」の実験をしている水田を視察しているところです。小佐治の水田は、農作業がしやすいように、用水路と排水路を分離する土木工事を済ませています。このような土木工事を行うと、1筆ごとに水の管理が可能になり農作業が便利になりますが、水田からは、代掻き等の農作業で発生した濁水が流れやすくなります。また、水田やその周囲に棲む生物たちにも大きな影響を与えます。そこで、この実験では、かつてのように1つの水田からの排水が隣の水田の用水となるように、すなわち水田の畦を超えて水が流れるように水の流れを変えました。このように「田越し灌漑」にすると、物質循環や生き物の賑わいにどのような変化が生まれるのか、これから詳しく調べていきます。視察のあとは、再び「甲賀もちふるさと館」に戻り、水田に採取したプランクトンを農家の皆さんと確認してみました。簡単な装置をiPadに装着することで、水田のプランクトンをiPadで動画を撮りながら観察できるのです。これも淺野さんが調達してくれました。早速、地域の子どもたちと行う水田の観察会で活用する相談が始まりました。

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■甲賀市甲賀町小佐治での視察を済ませた後、地域の皆さんに昼食をご馳走になりました。退職後、ご自分が暮らしてきた小佐治の環境を再評価し、農村のライフスタイルを楽しんでおられるYさんが、村の里山の薪と御釜でご飯を炊いてくださったのです。地元の皆さんが漬けられた3年ものの沢庵や、手作りのお惣菜とともに、炊きたての美味しいご飯をいただきました。屋外での昼食。最高ですね‼︎
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総合地球環境学研究所での研究会

■昨日は、朝から、京都市北区上賀茂にある総合地球環境学研究所に行きました。琵琶湖、中海・宍道湖、八郎湖、さらに印旛沼といった湖沼の環境政策や流域ガバナンスに関して比較を行う研究会が開催されたからです。参加している大きな研究プロジェクト自体は「文理融合」の研究ということになりますが、今回の研究会は、そのプロジェクトの中でも社会科学系の研究者が集まってのこじんまりした研究会になります。

■前回までの議論を、もう一度根本的に問い直すことで、研究会全体の視点の深さをより確保できるようになったのではないかと思います。比較を進めることで確認できる「差異」から、いろんな発見が生まれてくるようにも思います。まだ、あまり自信はないけれど、研究会に参加したメンバーからは賛同してもらえました。一安心。研究会では、全国レベル、各比較湖沼ごとに分担して作業を進めていきます。

■いつも総合地球環境学研究所には、JR・京都市営地下鉄・バスを使って行きますが、昨日は、初めて車で行ってみました。大津の自宅からは、まず堅田に行き、真野、途中、大原、静原、そして研究所のある上加茂に至ります。初めての道でしたが、このルートだと40分程で行くことができます。これからも、普段はやはり公共交通機関での移動が中心でしょうが、たまには良いかなと思っています。今回は、自宅から京都大原が思った以上に近いことを実感しました。

■昨日に引き続き、今日も総合地球環境学研究所の仕事です。比較的最近になって研究プロジェクトに参加したメンバーと一緒に、メインのフィールドである野洲川の調査フィールドを巡ります。甲賀市甲賀町の小佐治で、農家の皆さんと共同で取り組んでいる「田越し灌漑」の水田視察、また集落の「環境保全部会」の農家の皆さんとの「生物観察」をした後、最近、集落内で静なブームになっている「薪ストーブ」ブームやそのブームと連動している森づくりの活動ついてお話しを伺います。その後は、下流に移動し、「魚のゆりかご水田ぷロジェクト」に取り組んでおられる集落の魚道を視察させていただき、最後は内湖での「生き物の賑わい」の復活を目指す現場を確認します。

■というわけで、今週末は、老母の世話(見舞いと洗濯物の交換)に行けません。週末が仕事で埋まると、老母の世話はウイークデーに回すことになり、そうなると今度は大学の授業や仕事との調整で苦労することになります。1週間を8日にしてくれると、大学、研究プロジェクト、地域連携、そしてばーちゃんの世話、この4つがなんとか回るんですけどね〜。まあ、そんなわけにもいきませんし、頑張ります。

原田先生が東海道五十三次に出発!!

20160514harada.jpg■今年の春、定年までに3年を残してに早期に退職された原田達先生が、明日からいよいよ東海道五十三次の踏破に挑まれます。明日、東京の日本橋をスタートされます。京都三条大橋への到着は、来月の8日か9日になるとのことです。というわけで、スタートにあたって、12日(木)の晩、いつもの大津駅前の居酒屋「利やん」でささやかな「壮行会」を持ちました。

■松尾芭蕉の時代とは異なり、「いざとなれば新幹線に乗ることもできるし、宿泊施設や食事等についても何の心配ない」と先生はおっしゃるわけですが、毎日25km近くも歩くことは、なかなか大変なことだと思います。雨の日もあるでしょうし…。無理をせず、なおかつ道中を楽しんでいただきたいと思います。
京都の三条大橋に到着される前日は、大津に宿泊されます。そして、再び「利やん」でお祝いをすることになっています。9日だと、龍大関連の別の会が「利やん」で開かれる予定になっています。その場合は、別の会の皆さんにも、もう無理やりですが⁈、一緒にお祝いをしてもらおうと思っています。原田先生の「新・東海道中膝栗毛」については、facebookで毎日配信される予定です。楽しみです!

■定年まで大学に残らずに(しがみつかずに…)、自分の残りの人生を、自分が心の底から本当にしたいことにチャレンジする。人それぞれといえばそれまでですが、私は、原田先生の美学のようなものを感じています。素敵ですね。

クサガメの養子

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20160513kame3.jpg ■マラソンや駅伝でお世話になっているOさんのお宅から、このたび養子を迎えました。といってもクサガメの赤ちゃんです。Oさんは50歳を超えられましたが、現在でも、マラソン、トレイルラン、トライアスロンを楽しむ「超人」です。しかも、「超人」とは別に、どういうわけかご自宅で亀の飼育に勤しんでおられます。といいますか、飼育のレベルを超えて養殖をされているかのようです。Oさんのお宅には大きな亀の池があり、クサガメたちはお庭で産卵をすることから、今年の春、たくさんの赤ちゃん亀が誕生しました(クサガメは、夏に産卵し、秋に土の中で孵化し、そのまま土の中で越冬します。そして春になるとゾロゾロと土の中から出てくるのです)。毎年、たくさんの亀が誕生するのです。そのうちの3匹を養子に迎えたというわけです。

■クサガメは在来種です。平地の池沼や河川の開けた止水域など、水の流れのゆるやかな場所に棲んでいます。ちなみに、長生きすると寿命は30年程になるそうです(滅多にはないそうですが…)。自然界では50歳というものも確認されているようです。「亀は万年、鶴は千年」と言いますが、そこまでは生きないにしても長寿であることに間違いはありません。小さいうちは、命を失うことも多いようですが、いったん体が大きく成長すると長生きするようです。しかし、私はあと30年とても生きることができません。このクサガメ達が長生きした場合は、我儘を言いますが子どもたちに託すことにします。昨年の秋に結婚した私の長女は、小学生の頃、亀の自由研究をするほど亀好きでしたし。現在、3匹とも、ホームセンターで買ってきた白い半透明のコンテナの中で暮らしています。クサガメは人になれるらしく、良い関係を作れるように世話をします。早く、慣れてくれるといいなと思っています。

20160513kame4.jpg■クサガメの養子を迎えるにあたり、『亀のひみつ』という本を入手しました。著者は、岡山で晶文庫という古書店を経営されている田中美穂さんです。お店とご自宅で、8匹の亀と2匹の猫と暮らしておられます。本の中身は、いわゆるガイドブック的なものを超えています。ご自宅の居室を自由に往来するクサガメのサヨちゃん(雄)の、愛嬌溢れる生態?!についてのエッセイ…という感じです。例えば、サヨちゃんが猫のことが気になって、猫がやってくるのを待ち伏せしているとか…。面白いんです。しかも、亀飼育初心者にも役立つ、飼い方等の様々な情報も紹介されています。非常に勉強になりました。

■本を読み進めると、イシガメとクサガメの産卵場所についての説明がありました。イシガメは普段の生活圏から比較的近い場所に産卵し、クサガメは、かなり離れた場所に産卵します。なぜか。イシガメは河川の上流域に棲んでいるわけですが、クサガメは中流から下流域のあたりに住んでいるので、河川の増水によって卵が流されてしまう危険性があり、そのたに普段の生活圏から離れたとこに産卵するのではないか…といわているようです。増水によって卵が流されないように、離れたところに産卵するわけですね。こういった亀の進化にも関わる話題も、所々に書かれています。勉強になりました。

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