須原の「魚のゆりかご水田」訪問(総合地球環境学研究所)

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■ひとつ前のエントリーの続きです。総合地球環境学研究所の私たちのプロジェクト「生物多様性が駆動する栄養循環と流域圏社会─生態システムの健全性」に、最近になって参加された新たな社会科学系のメンバーの皆さんと、小佐治の次は草津市志那で平・柳平湖の再生事業を、そして最後に野洲市須原の「魚のゆりかご水田」プロジェクトの現場を視察しました。トップの写真は、その「魚のゆりかご水田」プロジェクトの水路を撮ったものです。

■須原では、転作のために多くの水田で麦が栽培されていました。昨年の「魚のゆりかご水田」の現場も、麦に転作されていました。「あれっ…、今年の現場はいったいどこだろうか?」と、しばらくウロウロしながら探さねばなりませんでした。たまたま農作業をしていた隣の集落の農家の方に教えていただき、やっとたどりつくことができました。現場に近づくと、水車のようなものが見えてきました。これは「踏車」(ふみぐるま・とうしゃ)です。かつて須原のあたりは、クリークが発達した水郷地帯でした。農家は、クリークにこの「踏車」を設置して、炎天下のなか「踏車」の水車を足で踏んで、クリークのかなの水を水田に汲みいれたのでした。現在の、圃場整備事業を終えたこの風景からは、ここがかつて水郷地帯であったことなど想像することができませんね。かつてのこの地域の様子について、須原の「魚のゆりかご水田」プロジェクトの実施団体である「せせらぎの郷」の公式サイトでは、次のように説明されています。

昭和40年代頃の須原は、まだまだ低湿地で、内湖がたくさん残る水郷地帯でした。 やはりクリークは生活に欠かせないものであり、水田用排水や人の移動、農具・牛・田畑の収穫物を田舟で運搬するなど、重要な交通路として活用されていました。
  
また、びわ湖の魚たちにとって、田んぼは水温が高く外敵の少ない絶好の産卵場所でした。現代と違いクリークと田んぼは水位がほとんど同じだったので、魚が田んぼに入ることは容易だったのです。子どもたちにとって、その魚たちを捕って家に持って帰ることは、最高に楽しい遊びであり、おかずを持ち帰る重要な役割でもありました。
  
しかし、大雨の度に水害に遭うほか、車での移動と比べると田舟での移動は大変で重労働でした。そこで、昭和47年から琵琶湖総合開発事業の琵琶湖治水とほ場整備による乾田化が始まり、その効果で大型機械の導入が可となり、効率的で合理的な近代農業を営めるようになりました。
  
ただその一方で、京阪神への交通のアクセスも非常に良くなったことから、若者たちは働く場を都会に求めるなど、農業を離れ、後継者不足という課題が見え始めてきたのです。また、農薬の使用が推奨され生物環境も激変し、かつてみられた子どもたちの魚つかみの風景は見られなくなってしまいました。
  
そうした危機感のなかで、先祖代々守られてきた水田を、集落全体で次世代に引き継いでいくため、平成19年からはじまったのが「須原 魚のゆりかご水田」です。

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20160516suhara4.jpg■上の2枚の写真をご覧ください。圃場整備事業後は用水路と排水路が分離し、排水路が深くなってしまったため、かつてのようにニゴロブナなどの魚が水田に遡上できなくなりました。そこで、この「魚のゆりかご水田」プロジェクトでは、毎年春になると排水路に堰板を入れて水位を高くし、魚道を設置し、魚が水田に遡上し産卵できるようにします。魚は水田で産卵し、孵化した稚魚は水田で一定の大きさまで成長します。ということで、「魚のゆりかご…」なのです。上の左側の写真をご覧ください。止水板で水路の水位を高く維持していることがわかります。水路の水面が高くなているので、と水田の排水パイプを通して、魚たちは水田に入り産卵することができるのです。上の右側は魚道です。少しずつ水位が高くなるように魚道が設計されています。こうすることで、魚たちはジャンプしながら魚道を遡上していくのです。

■滋賀県では、水田で産卵・繁殖している状況を確認し、魚への影響の少ない農薬(除草剤)を使用するなどして、魚にやさしい水田と作業で生産した米を「魚のゆりかご水田米」として認証しています。下の4つが認証の条件です。「魚のゆりかご米」に認証されると、通常の農法で栽培された慣行栽培米よりも、高い値段で販売されることになります。

(1)魚毒性の最も低い除草剤が用いられ、散布後数日間は水田系外への流出と魚の進入を防ぐため水尻の止水を確実に行うこと。
(2)魚の生息環境に影響を与えないよう、適切な肥培管理を実施すること。
(3)中干しの落水時に水田から排水路への稚魚流下促進に取り組んでいること。
(4)農業排水路等に設置された魚道を利用して産卵のために遡上してきた在来魚が水田で繁殖していること。

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■須原の水田をめぐりつつ、いろんな発見がありました。ひとつは、鳥です。鳥の足跡を、水田のなかのあちこちに見つけました。足跡があるということは、エサになる生き物が生息しているということですね。上の写真では、よくわかりませんが、かなり大きな足跡です。これがどの鳥の足跡なのか、残念ながら私にはわかませんが、おそらくはサギの仲間の足跡ではないかと思います。左側は、鳥の巣です。ケリだと思います。ケリは、水田の畔に藁等を敷いて巣をつくります。私たちが細い畦道をバランスをとりながらゆっくり歩いていると、ケリが激しく鳴きながら私たちの周りを飛びまわりました。人間が巣に近づいてきたので警戒したのでしょう。私は、一番年寄で最後尾をゆっくり歩いていたせいもあり、この巣の存在に気が付きました。1つ、卵が潰れていました。必死になって歩いているうちに、視察のメンバーの誰かが踏んでしまったのですね。圃場整備された水田が広がっている単純な風景なのですが、こうやって近づいてみると、様々な生き物の存在を感じ取ることができます。

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