ラン・ランのゴルトベルク変奏曲
■ちょっと高かったのですが、頑張って手に入れました。ラン・ランのゴルトベルク変奏曲(バッハ)です。私がこのラン・ランのCDを購入したと知って、少し年上のクラシックファンの方から「CDをやめてストリーミングにすれば良いのに」とのご意見を頂きましたが、まだそういう風にして音楽を聞いていません。時代に流れに乗り切れていません。まあ、それは今後の課題としておきましょう。
■これまで、ゴルトベルク変奏曲といえば、よく聞いていたのはグレン・グールドの演奏になります。しかし、ラン・ランの演奏は、グレン・グールドの演奏とはまったく異なる演奏でした。どっちがよいかとか、素敵だとかではなくて。驚きました。どう驚いたのか、音楽評論家ではないのでそれを言葉で説明できません。正式の題名は、「2段鍵盤付きクラヴィチェンバロのためのアリアと種々の変奏」というらしいです。題名の通り2段鍵盤付きクラヴィチェンバロで演奏するために作曲されているのです。だからピアノで演奏するのは大変難しいということのようです。ピアニストにとってのエベレスト⁈…に喩えられることも知りました。ラン・ランの演奏、「静寂と躍動」とCDの帯には書いてあります。なるほど。冒頭のアリアには静寂という言葉がぴったりです。驚きました。
■少し調べてみました。このゴルトベルク変奏曲は全部で32曲から構成されていますが、どうも数学的な美しさに裏打ちされて作曲されていることがわかりました。バッハは神様に捧げる曲として作曲しているから、あるいは、世界を創造した神様との対話の中で作曲しているからでしょうか。きちんと調べて勉強してみたいと思います。
■YouTubeでは、ラン・ラン自身による解説もあります。ラン・ランは20年間に渡ってこの曲を研究してきたようです。
犬笛
BBCニュース - 政治家が使う秘密の「犬笛」隠れた人種差別メッセージとは https://t.co/hBYd77abJD pic.twitter.com/ppH2nJpXgb
— BBC News Japan (@bbcnewsjapan) August 6, 2019
■BBCがネットで配信したニュース(解説)です。
政治家が特定の有権者を意識して暗号のような表現を使い、「人心を操る」政治手法のことを、「犬笛」戦術と呼ぶ。
犬にしか聞こえない周波数で鳴る笛と同じように、その意味が分かる人にだけ分かるように工夫された、多くの場合は人種差別的なメッセージのことだ。
家族の意味
■先月、NHKで放映された「3人の親 子育てをめぐる喜びや葛藤の日々 カラフルファミリー」という番組です。以下は、番組の概要です。この概要では「家族の意味」と表現していますが、自分も含めてですが、「あたりまえ」と思い込んでいる家族観のようなものが相対化されることになります。
かつて女子高生だったトランスジェンダーの男性と、彼を愛し子どもを産んだパートナー、そして、2人に精子を提供したゲイの親友が、一緒に子育てを始めた。3人の子育てをめぐる喜びや葛藤の日々を通して、家族の意味を見つめる。
2018年秋、ひとりの赤ちゃんが元気な産声をあげた。この子には3人の親がいる。1人目は、女性のカラダで生まれ、今は男性として生きているトランスジェンダーの“パパ”。2人目は、彼のパートナーで、子どもを産んだ“ママ”。そして3人目は、ふたりに精子を提供したゲイの親友。
3人は一緒に子育てすることを決めた。初めて味わう子育ての喜び。
LGBTというだけで、どれほどかけがえのない体験をあきらめていたか。一方で、法的な親子関係を認められないなど、いくつものハードルも。さらに、どのように子育てに関わればよいのか? そもそも自分はこの子にとってどんな存在なのか? 自分たちらしい家族のカタチをめぐって3人は揺れる。3人の子育ての日々を通して、“家族”の意味を見つめる。
サシバを通して人がつながる。サシバを通して地域環境を捉え直す。
■サシバという渡り鳥がいます。タカ目タカ科サシバ属に分類される猛禽類です。人の手の加わった里山環境を繁殖地として、南西諸島から東南アジアにかけて越冬する渡り鳥です。サシバからすれば、農薬や化学肥料等を使わず、人の手が適度に加わることで、様々な餌になる動物がたくさん生息していることが望ましいということになります。サシバがやってくるということは、それだけ餌が豊富にあるということになるのでしょうか。サシバは、多様な生物が織りなす里山の生態系の頂点にいるのです。そのような意味で、里山の指標となる生物でもあるのです。NPO法人オオタカ保護基金では、サシバの生息環境や食性を以下のように説明されています。
サシバの生息地の多くは、丘陵地に細長い水田(谷津田)が入り込んだ里山環境である。また,樹林の点在する農耕地や草地、低山帯の伐採地を伴う森林地帯にも生息する。
主な食物は、田畑や草地、周辺の森林に生息するカエル類、ヘビ類、トカゲ類、モグラ類、昆虫類である。サシバは、見晴らしのよい場所に止まって獲物をさがし、地上や樹上に飛び降りて、それらを捕まえる。2009年に栃木県市貝・茂木地域で行った、巣に運び込まれたエサ動物に関する調査結果を左に示す。サシバは、里山に生息する様々な小動物を餌にしていることから、里山生態系の指標種と言われている。
■以下は、このサシバについての日本自然保護協会の説明です。記事のタイトルからもわかるように、絶滅危惧種でもあります。
絶滅危惧種・サシバはどんな鳥?(前編)
絶滅危惧種・サシバはどんな鳥?(後編)
■この投稿にアップした動画は、沖縄県宮古島市伊良部島で琉球泡盛泡に関するものです。普通、泡盛の原料はタイ米が用いられるのですが、この動画のメーカー「宮の花」さんは国産米を使って蒸留されました。栃木県市貝町の米です。伊良部島はサシバが越冬地に向かう際の中継地であり、そして里山と谷津田が広がる栃木県市貝町はサシバの繁殖地です。絶滅危惧種であるサシバを守っていくためには、生息地の環境を保全しなければなりません。サシバを通して、繁殖地と越冬地の人々が連携されたわけですね。「サシバが舞う自然を守りたい人々の思いが」つながったわけです。加えて、市貝町の農家も、サシバの餌となる生き物が豊富に生息できるように、里山の管理や谷津田の営農に取り組むことになります。農家の皆さんは、サシバを通して地域環境を捉え直しておられるのではないかと思います。そうすることで、谷津田で生産された米の付加価値を高めることができます。加えて、そのような付加価値が、農家の収入にも結びつくものである必要があります。最後のところ、農家を支援する制度が市貝町ではどうなっているのでしょうね。よくわかっていません。時間を見て、確認をしてみたいと思います。
■ところで、宮古島伊良部町の「宮の花」さんが蒸留された泡盛「寒露の渡利」、ネットで予約をしました。宮古島はサシバが越冬地に向かう際の中継地です。たくさんのサシバが空を舞うのだそうです。そのことを都島の皆さんは、「寒露の渡り」と呼んでいます。泡盛のネーミングはそこからきています。予約した泡盛がいつ届くのかはわかりませんが、非常に楽しみにしています。皆さんも、ぜひご予約ください。
大石龍門での聞き取り
■今日は大津市の大石龍門へ。龍門自治会の皆さん、叶匠壽庵の職員の皆さんと、「ふるさと屏風絵」の聞き取り調査を行いました。ゼミからの参加は、このコロナ禍のためにわずか1名。第2波がやってきている最中ですからね。まあ、これは仕方がありませんね。コロナのおかげで学外のいろんな取り組みも足踏み状態です。もちろん、この学外で活動を行うにあたっては、大学に申請を行なって承認を得ています。そうしないと、学外での活動はできないのです。ゼミ生が個人で行う卒論の調査に関しても、同様の手続きが必要です。
■「ふるさと屏風絵」。おそらく時代的には、高度経済成長期の前から初期のあたりの時代の、この龍門の生活や生業に関する聞き取りを行い、それを屏風絵にしていくのです。「なんだかよくわからん」と思いますが、私からすると、集落の将来を関係者の皆さん、特に集落内の異なる世代の皆さんがコミュニケーションを行うための手段=ツールなのです。今日も、かつての生活の聞き取り調査をしていたのですが、最後は、農家の高齢化、後継者不足のなかで、どのような仕組みを作って集落を守っていくのかという話題になりました。このような悩み(課題)は、龍門固有のものではなく、滋賀県内の農村はもちろん、全国の農村の問題でもあるわけです。というわけで、「ふるさと屏風絵」の製作のお手伝いだけに終わらず、ゼミ生たちの活動が、この農村の活性化につながっていけばと思っています。
コロナ禍での吹奏楽部の練習
こんにちは!
当部は、消毒液やパーテーションを設置するなど、万全な感染対策をとりながら練習に励んでいます😊
本日は1回生と共にパートで基礎練習を行いました🎶 pic.twitter.com/LGVXZlJo17
— 龍谷大学吹奏楽部 (@ryu_windmusic) August 27, 2020
■龍谷大学吹奏楽部、コロナ禍のなか、このような感じで練習に取り組んでいます。もちろん、大学の学生部の方には、毎日練習を行うための申請を書類で行っています。そして指導者(監督、コーチ)が立ち会っています。万全の体制なんですが、世の中に完璧ということはありませんので、これだけやっても慎重さを忘れないようにいたします。
「龍谷大学生物多様性科学研究センター」のプロジェクト
■我が家の小さな庭には道路に面して法面があります。その法面に秋明菊が一輪咲きました。昼間は暑すぎて秋がやってくる感じはしないけれど、朝夕は少しずつごくわずかに秋の気配を感じられるようになりました。秋明菊の花が咲いたので、秋の到来がもうすぐであることを、さらに実感することができました。一輪だけなので、この子⁈だけちょっとフライング気味ではありますが…。この秋明菊の上には萩が覆っている感じに茂っています。萩の花が咲き、彼岸花が咲くと、この法面は秋の雰囲気満載になります。もう秋に近づいているわけです。にもかかわらず、今年はコロナ禍で仕事の方もなかなか進捗していません。そのような中、参加しているひとつの研究プロジェクトが動き始めました。
■龍谷大学では、理工学部の教員を中心に「龍谷大学生物多様性科学研究センター」が2017年に設立されました。私は社会学部の教員ですが、このセンターのメンバーになっています。コロナ禍のため、なかなか動き始めることができませんでしたが、昨日、この「龍谷大学生物多様性科学研究センター」の山中裕樹さんとZoomで相談をして、今後の活動の見通しが立ってきました。
■このセンターの目玉は「環境DNA」を分析する技術です。もちろん、社会学を専門としている私自身は、そのような技術を使って調査を行うわけではありません。この「環境DNA」を社会とどうつなげていくのか、その辺りが私の仕事になるのかなと思っています。多くの皆さんが参加することにより、「環境DNA」を使って琵琶湖や琵琶湖流域の生物多様性の状況を科学的に明らかにし、それを社会的に「見える化」してシェアすること、そして政策的にも使えるようなものにしていくこと、そのようなことを目指していきます。また、生物多様性に関する自然科学的データに、かつての水辺環境に関する質的なデータ(利活用に関する様々な記憶等)、そのような人文社会的なデータも重ね合わせて、様々な発見ができればと思っています。
■「見える化」するためには、情報処理の専門家のお力も借りなければなりません。いろんな分野の専門家の皆さん、琵琶湖の生き物に関心を持つ皆さん、行政の職員の皆さん、そして民間企業の皆さん…多様な皆さんと連携することにより、この研究、事業を進めていくことになろうかと思います。個人的な研究を除けば、大学教員の残りの期間で、一番大きな仕事になるのではないかと思っています。
関連記事 : 「環境DNA」が可視化する生態系のビッグデータとは?
1ヶ月
■2人目の孫、ななちゃん、すくすくと育っているようです。仕事やコロナの心配もあり、まだ1度しか対面していませんが、ななちゃん(なな望)のおとうさんが、生後1ヶ月の時に撮ったものを送ってくれました(掲載可とのこと)。私はよくわからないのですが、この1ヶ月で大きくなったようです。声をかけると笑うし(正確には笑うように見えるかな…)、声の方に顔を向けるようになりました。
■おねえちゃんの3歳のひなちゃん(ひな子)も元気にしています。今は、テレビアニメのプリキュアに夢中です。このアニメのキャラクターのように上手にダンスしています。成長していますね。来年は、ひなちゃん&ななちゃんと一緒に琵琶湖で泳げるかな。2人の孫が生まれてくれて、おじいさんとしてとても幸せな気持ちです。でもその一方で、心配もあります。孫たちが成長し、私が死んでしまった後、2人が本格的に高齢者になったときのことが心配なのです。マジで。22世紀のことになりますね。世界は、地球は、いったいどうなっているのでしょう。おじいさんとしては、自分が死んでしまった後のことですが、孫たちのことがとても気になります。「こいつはアホか…」と呆れる方もおられるでしょうが、私はこういう発想、実は大切なことだと思っています。
最近のこと
■暑いですね。体調もイマイチ。それなりに元気にしていますが、体力も気力も以前よりも低下しています。特に、気力は。といことで、うまく仕事がすすみません。持病のメニエール病のめまいが再発してはいませんが、肩こり、首こり、緊張製の頭痛は相変わらずです。何か工夫をしなくてはね。新型コロナによる自粛が続いていることも、どこかで影響しているかもしれません。困りました。といっても仕方がないのですが。ということで、少し気力も復活してきたようなので、半月ばかりのことを少し。ブログを更新します。
■今週の火曜日ですが、大津市役所に行ってきました。家にこもって仕事をしているので、電車に乗ると何か新鮮な感覚がありました。大津市役所に行ったのは、市民、事業者、行政の三者の協働を進める「大津市協働を進める三者委員会」が開催されたからです。コロナ禍で長らく開催されていなかったのですが、やっと開催されることになりました。この委員会の委員長をしていますが、皆さんから活発にご意見をいただき、委員会も大変盛り上がることができました。また、現場の実践に基づく興味深いご意見を拝聴できました。地域社会論という講義を担当している者としても、有意義な時間になりました。
■写真は委員会が終わった後、市役所から撮ったものです。気温は高く、マスクをしていると辛い状況ではありましたが、夏らしい雰囲気が撮れました。自分自身でもよく理由がわからないのですが、京阪石坂線の「大津市役所前」駅のあたりの雰囲気がなんとなく好きなんです。駅の名前、以前は「別所」でした。三井寺の別所のひとつがあったからかな、たしか。個人的には歴史と結びついた駅名が消えることは寂しいのですが、インバウンドや観光客向けの対応ですかね。
■話は変わります。現在は、夏期休暇中なのですが、Zoomを使ってオンラインでゼミ生と面談をしています。面談は卒論のためのものなのですが、あわせて就職活動の状況についても差し障りのない範囲で聞かせてもらっています。春の段階ですでに内定がでたゼミ生もいますし、最近では公務員試験に合格したとの報告も出始めました。その一方で、苦戦しているゼミ生もいます。就活がうまくいかないと、卒業論文のこともなかなか手につきません。気持ちは大変よくわかります。ゼミでは、「就活と卒論は車の両輪」と常々言っているので頑張って欲しいと思います。もうひとつ、私のゼミでは調査に基づいて卒論を執筆することになっています。でも今年は、コロナのせいで全てのゼミ生が調査をできるわけではありません。調査に行くのにも、制約条件があります。大変なのですが、私としてもできる限りサポートをするしかありません。
■新型コロナウイルスがパンデミック(世界的大流行)となっているわけですが、大学としては対策を講じながら慎重に大学運営を行っていくという感じかなと思います。コロナ禍も第一波の時は、しばらく頑張れば、コロナ禍もおさまってくれるのではないかという希望がありましたが、それは「無い」ということがはっきりしました。しかも、世界保健機関(WHO)のテドロス事務局長は、21日の記者会見で、新型コロナウイルスのパンデミック(世界的大流行)について「2年以内」で収束が可能との見通しを示しました。2年以内で収束が可能…とはいっても、1ヶ月後でも2年以内ですし、2022年の8月でも2年以内です。しかも、収束するのではなくてあくまで可能ということですから、さらにコロナ禍が長期化する可能性も否定できないということです。困りましたね。個人的には、とりあえずコロナ禍をやり過ごすためにどうしていくのか…ではなく、コロナ禍と共に大学をどのように運営していくのかという発想が必要なのかもしれません。
戦争孤児についての記事
■昨日は終戦記念日でした。戦後、75年。毎年のように、8月が近づいてくると戦争関係の記事をたくさん目にすることになりますが、今年は、そのような記事の中でも、戦争孤児、民間への戦後補償の記事が大変気になりました。いずれも重い内容です。まずご紹介したいのは、戦災孤児の方たちのお話です。「『私の戦争は、あの日で終わらなかった』戦災孤児が語る、終戦後の”地獄”」というBuzzFeed Newsの記事です。記者は、籏智広太さんです。
■記事にの中で登場されるのは鈴木賀子さん(82)です。鈴木さんは、東京大空襲の中で、家族を失いました。「空襲のあとも、生き残った姉と弟と一緒に暮らすことすらできなかったんですよ。どこにも、行くところはなかった。地獄そのものでしたよ」という大変辛い体験をされます。辛い…という言葉では不十分ですね。どうか、記事をお読みください。記事の最後では、鈴木さんは次のように語っておられます。
戦後、自らが戦災孤児であることは、あまり多く語ってこなかった、という。そんな、鈴木さんにとってあの戦争とは、何だったのか。いま、何を思っているのか。
「戦争で、すべてが変わってしまった。あたしばかりじゃないでしょう。紙一重で助かった人も、それからの人生なんて生優しいものではなかったんだと思います。あたしだって助かりましたけど……」
「あたしには、政治のこととか、小難しいことはわかりません。でも、陸軍海軍のエライ人、東條英機、そして官僚が戦争を起こしたわけですよね。それなのに、私たちに、国が何かをしてくれるわけでもなかった。何もしてくれなかったですよね」
「あとね、なんでもかんでも天皇陛下万歳と教えられてきたせいかもしれないけど、なんで天皇陛下が止めてくれなかったんだろうって気持ちが、ありますね……。止めてくれていれば、家族も死なず、バラバラにならなかったのに。こんなこと言っていいのかわからないけれど、あたし、気持ちをもってきどころがないんです」
鈴木さんは「でもね、これもあたしの人生だから。結婚してからは幸せでしたし、終わりよければ、全てよしですよ」と気丈に笑う。しかしその一方で、こんな言葉も、つぶやいた。
「あたし、どこかでずっと突っ張って生きてきたんですよね。誰かの人の顔色を見て、背伸びしてきた。この年まで、ね」
■もうひとつ、記事を読みました。数年前のNHKの番組の記事です。「わたしはどこの誰なのか 戦争孤児をはばむ壁」。記事に登場されるのは、谷平仄子(ほのこ)さん(74)です。今年、75歳ということになりますね。谷平さんの記憶は、「戦争孤児を保護する埼玉県の施設からけ始まるわけですが、その後5歳で里親に引き取られて北海道で育ちました。「知らされていたのは、戦争で孤児になったということだけ。戦後の食料難の時代に引き取り、育ててくれた養父母の苦労を考えると、実の親について聞くことは」できなかっと言います。
■しかし、里親が亡くなり、仄子さんご自身も70代を迎えた頃に、自分のルーツを確かめたいという強い気持ちを持つようになります。報道される沖縄戦や空襲の被害者、原爆被爆者に残留孤児の皆さんのその体験談を食い入るように見つめる中で、ある思いが浮かんできました。「わたしはどこの誰なのか。わからないままでは死ねない」。谷平は、里親に引き取られ前の児童養護施設をたずね、母親の名前を知ることになります。さらに実母のとを知りたいと北海道庁に自分に関する情報開示を請求します。しかし、個人情報保護の壁の中で、それは完全にはできませんでした。こちらも、ぜひ記事の方をお読みください。この記事の最後では、谷平さんは次のように語っておられます。
戦争をしたのは国です。その戦争によって親と引き裂かれた子どもがいる。私はまだ現在進行形なんです。終わってないんです。そこを忘れてもらっては困るんです。それなのに出自に関する事実を真っ黒に塗りつぶされて、なんと無慈悲でしょうか。行政の人はすべて読むことができるのに、なぜ当事者である私は見ることができないのでしょうか。
■昨晩、放送されたNHKスペシャルは「忘れられた戦後補償」でした。以下は、その番組の内容です。再放送があれば、ご覧いただければと思います。国がどのような議論をして、民間への補償を行わないでも済むように論理を構成してきたのかを分析しています。
番組内容
国家総動員体制で遂行された日本の戦争。しかし、80万人が犠牲となった民間人は補償の対象から外され続けてきた。国家の戦争責任とは何なのか、膨大な資料から検証する。詳細
詳細国家総動員体制で遂行された日本の戦争。310万の日本人が命を落としたが、そのうち80万は様々な形で戦争への協力を求められた民間人だった。しかし、これまで国は民間被害者への補償を避け続けてきた。一方、戦前、軍事同盟を結んでいたドイツやイタリアは、軍人と民間人を区別することなく補償の対象とする政策を選択してきた。国家が遂行した戦争の責任とは何なのか。膨大な資料と当事者の証言から検証する。