2015「びわ湖レイクサイドマラソン」/ サードプレイスとしての「利やん」
▪︎昨日は、2015年「びわ湖レイクサイドマラソン」でした。大津駅前の居酒屋「利やん」のマラソンチーム、チーム「利やん」も参戦いたしました。私はこのチームの(なんちゃって…)キャプテンなのですが、昨年は出張で、今年は練習不足と風邪のために欠場しました…。2年連続の欠場です。チームの皆さん、情けないキャンプテンで本当に申し訳ありません。
▪︎さて、チームの成績ですが、非常に健闘いたしました。昨年までは、15kmと12kmの2つのレースでしたが、今年は、ハーフマラソンと13.5kmと距離が伸びました。まずハーフマラソンです。龍大職員のSさんが3位(1:20:40)に、13.5kmでは同じく龍大職員のTさんさんが2位(0:49:32)に入賞。非常に健闘されました。昨年、15km・40歳代の部で優勝したHさんは、今回のハーフで14位(1:26:22)、12km40歳代の部8位だったOさんは、13.5kmで11位(0:55:55)。これまた健闘されました。その他のメンバーの多くも、自己の目標を達成し、全員完走されました。ということで、琵琶湖と比叡山をバックに記念写真。私も、来年は、レースに復活して自己記録を更新したいと思います。ちなみにハーフマラソンの自己記録は、1時間55分18秒です。できれば、自己記録を更新したいものです。チーム「利やん」には、ランナーだけでなく応援隊もいます。ご自身は走らないけれど、毎年応援をしてくださっているお店の常連の方達と店員さんです。今年は、私も応援隊にまわりました。今年は、ユニフォームが一新されました。明るいブルーに赤いライン、そして「利やん」というお店の名前の入ったシャツです。これは、チームオーナーである「利やん」のマスターが提供しているものです。私も来年は、これを着て走りたいと思います。
▪︎このチーム「利やん」。当初は、居酒屋「利やん」のマスターと常連の皆さんからできた素人集団でしたが、一昨年から、龍大職員のアスリートランナーの皆さんに参加していただけるようになりました。龍大では、教職員のチームで大津市民駅伝に出場していますが、駅伝に参加されるなかでも実力をもった皆さんたちに参加していただけることになったのです。そのため、チーム「利やん」は、急に実力を伸ばしてきている謎のチームとして注目をあびつつあります(ほんまか…)。実際、昨日のレースでは、あるメンバーがスタート前に次のような質問を受けたといいます。「チーム『利やん』て、最近すごいですよね。どういうチームなんですか ? どこにあるんですか ?」。実際は、「年1回集まって、それぞれのレベルで走ったあとに、美味しいビールと料理を楽しむ会」なのですが…。そのようなチームですので、参加される方達の働いておられる業界は実に多様です。食品、通信、建築・建設、保険、大学教職員…。大津駅前の居酒屋「利やん」という気持ちのよい「場所」に集まる人たちというのが、唯一の共通項になります。
▪︎ レースは午前中に終わりましたが、午後からは「利やん」に移動して、慰労会 / 宴会になりました。皆さん、この午後からの宴会があるからこそ、午前中のレースに参加しているのです。そこが居酒屋「利やん」のマラソンチームらしいところです。普段の仕事のことは忘れて、レースと酒・食事を、「利やん」の仲間と一緒に楽しい時間を共有できる…。とても幸せなことかなと思います。
▪︎左上の写真は、なかちゃんです。アルミサッシ工事会社の社長さんです。なかちゃんは、私よりも3つほど年上ですが、2010年の第1回を除いてすべて出場されています。年齢からいくと、なかちゃんの実力はなかなかのものです。もっとも、年齢とともにタイムが遅くなってきたので、少しだけ弱気になるとともに、私に対しても牽制をかけてきます(^^;;。「おい、ワッキー。おまえ、高島のハーフ(2012年のびわ湖高島栗マラソン)で出した記録、あれはな。おまえのベスト記録やからな(1:55:18)。もうあれ以上のタイムはでえへんから。あきらめ。無理せんと」なんてことをいうのです。しかし、ここで手を抜いては なかちゃん に対して失礼です。来年こそは、精一杯練習をして、なかちゃんとの勝負にケリをつけなくてはいけません。まあ、半分冗談なのですが、それはともかく、こうやって、異業種の仲良しの皆さんたちと、酒を飲みながらワイワイやることができる。これは、すべて「利やん」というお店のおかげです。昨日は、宴会の最中にLINEで娘から素敵な報告があり、そのことをチーム「利やん」の皆さんも一緒に喜んでくださいました。ありがとうございました。
▪︎『サードプレイス コミュニティの核になる「とびきり居心地よい場所」』(みすず書房/レイ・オルデンバーグ)という都市社会学の本があります。私にとっての大津駅前の居酒屋「利やん」は、オルデンバーグのいう「サードプレイス」なのだろうと思います。「利やん」は、地域づくり、マラソン、いろんな人のつながりの生まれる素敵な場所なのです。少しだけ、内容をご紹介しておきましょう。出版社のサイトから書籍情報を引用させていただきます。
居酒屋、カフェ、本屋、図書館…情報・意見交換の場、地域活動の拠点として機能する〈サードプレイス〉の概念を社会学の知見から多角的に論じた書、待望の邦訳。
第一の家、第二の職場とともに、個人の生活を支える場所として都市社会学が着目する〈サードプレイス〉。そこでは人は家庭や職場での役割から解放され、一個人としてくつろげる。
著者オルデンバーグが、産業化‐効率化‐合理化を進めてきたアメリカ社会と、そのもとに展開されてきた都市計画が生んだ人々の孤独の問題を批判しつつ、地域社会を再び活気づけるための〈サードプレイス〉として注目するのが、地域に根ざし、長く人々に愛されつづけている地元の飲食店だ。「見知らぬ者どうしの気楽で面白い混交」を創り出し、情報交換・意見交換の場所、地域の活動拠点としても機能する、地元の飲食店や個人商店ならではの特質が社会学の知見をもとに照らし出される。
第I部では、〈サードプレイス〉の機能、特徴、物理的な条件が詳細に解説され、第II部では、イギリスのパブやフランスのカフェなどの具体例から、文化や国民性が生み出す〈サードプレイス〉のヴァリエーションが紹介される。さらに第III部では、社会・政治面での〈サードプレイス〉の課題とその解決策が論じられる。
全編を通じ、オルデンバーグが〈サードプレイス〉に向ける期待は揺るぎない。そこには長年「とびきり居心地よい場所」に親しみ観察してきた者の実感と、「コミュニティの問題は住民の力で解決できる」という市民魂がみなぎっている。
店舗設計、都市計画、マーケティング、地域社会づくりの分野に刺激を与えつづけてきた書の待望の邦訳。
目次
はしがき
第二版へのはしがき
序論
謝辞第 I 部
第1章 アメリカにおける場所の問題
第2章 サードプレイスの特徴
第3章 個人が受ける恩恵
第4章 もっと良いこと
第 II 部
第5章 ドイツ系アメリカ人のラガービール園
第6章 メインストリート
第7章 イギリスのパブ
第8章 フランスのカフェ
第9章 アメリカの居酒屋
第10章 古典的なコーヒーハウス
第 III 部
第11章 厳しい環境
第12章 男女とサードプレイス
第13章 若者を締め出すということ
第14章 めざすは、よりよい時代……と場所解説(マイク・モラスキー)
註
参考文献
索引
須磨駅
▪︎ひとつ前のエントリーの続きです。高校から大学まで暮らした、神戸市須磨区にあるニュータウン「高倉台」。私は、その「高倉台」にある自宅から、須磨海岸沿いにある「須磨駅」まで徒歩で移動していました。もちろん、「高倉台」から「須磨駅」までは市バスが運行されているのですが、大学に入学してからはそのバスを利用することはほとんどありませんでした。大学に入学したら学費意外の様々な費用はすべてアルバイトでなんとかするというのが我が家のルールでした。私は交通費を節約するために、駅まで歩くことにしたのでした。片道2.3km。それほどの距離ではないのですが、高台にある「高倉台」から駅までは急な坂道になります。ですから、帰りはこの坂道を登らねばなりませんでした。雨の日も、寒い日も、この坂道を歩いて通学しました。急いで歩くと、だいたい25分程で歩けました。一昨日は、「高倉台」から駅まで、学生時代のように歩いてみることにしました。裏道のようなコースなので、そのとっかかりをみつけるのに少し苦労しました。
▪︎「高倉台」のある山から降ってくると、そこはもう須磨海岸です。トップの写真は、山陽電車の「須磨駅」です。小さな駅です。しかし、この駅の雰囲気は山と海がせまった須磨のこじんまりした風景に似合います。人によっては、「神戸の中心市街地を関東の横浜に例えるのならば、須磨は逗子や湘南だ」ということを言われます。なるほど、その意味、よくわかりますよね。三宮や元町の海岸に近い街並みは、震災後、すっかり変化してしまいました。それに対して、須磨は、まだ昔の面影が濃く残っています。私自身は、学生時代、山陽電車よりも当時の国鉄をよく利用していました。ということで、JR「須磨駅」もチラリと拝んできました。
▪︎青年時代に暮らした須磨を堪能しました。本当は、まだ明るいうちに「須磨駅」に到着し、海に山が迫る独特の景観を写真に撮りたかったのですが、すでに日没していました。ということで、奈良の自宅に帰ることにしました。以前であれば、奈良までだと、JRで「大阪駅」までいき、こんどは大阪市営地下鉄に乗り換え「梅田駅」から「難波駅」まで行き、難波からは「大阪難波駅」から近鉄に乗る…というコースになるのですが、この日、私鉄1本で帰宅しました。阪神電鉄と近鉄が相互乗り入れしているからです。「須磨駅」は山陽電車の駅ですが、ひとつ明石寄り(西寄り)の「須磨浦公園駅」まで、1968年の神戸高速鉄道会社の開業により阪神電車が乗り入れています(1998年までは阪急電車も乗り入れていました)。山陽電車「須磨駅」から阪神電車で「阪神尼崎駅」まで移動し、そこからは近鉄に乗り換えて奈良まで移動できるのです。便利な世の中になりました。
神戸・須磨ニュータウン
▪︎23日(金)は、「我が故郷神戸」に行ってきました。鵯越という場所にある「神戸シルバーカレッジ」という生涯学習施設に伺いました。60歳以上の方たちが学ぶ成人大学です。ここでグループワークと講義を行いました。今年で3年連続…ということになります。
▪︎「我が故郷神戸」に帰るのは良いのですが、やはり自宅のある奈良からだと結構遠いな…という気持ちになります。実質的な移動時間は、普段の通勤とあまり変わらないのですが、たまにしかいく用事がないものですから、「我が故郷神戸」であっても、気持ち的には「遠い街」になってしまっています。昨年までは、どうせ時間がかかるんだったらと、電車で新開地まで行き、神戸電鉄に乗り換え、西鈴蘭台まで移動し山岳列車気分を味わっていました。今年は、これまでとは移動方法を変えて、三宮からバスで行くことにしました。すると、意外なことに早く到着しました。三宮からは、かつて私が暮らしていた30年前にはなかったバイパス道路によって、「神戸シルバーカレッジ」の近くまで一気に移動できるからです。
▪︎15時頃、「神戸シルバーカレッジ」での授業を終えました。そのまま帰宅してもよかったのですが、高校から大学まで過ごした須磨区にあるニュータウンに行ってみようと思い立ったのでした。須磨に転居したのは、約40年前、1975年(昭和50年)のことになります。新しく開発されたニュータウンに、両親が頑張って一戸建住宅を建てたのです。「高倉台」というニュータウンです。この「高倉台」までの移動が、けっこう大変でした。「神戸シルバーカレッジ」のある地域には「ひよどり台」というニュータウンがありますが、そのニュータウンを経由して、須磨ニュータウンの「白川台」を通り、まずは神戸市営地下鉄の「名谷駅」まで移動しました。この「名谷駅」から一駅、次の「妙法寺駅」まで地下鉄で移動し、「妙法寺駅」からは再びバスに乗って「高倉台」まで移動しました。何度も乗り換えてけっこう大変だったわけですが、かつてかこのような移動はできませんでした。不可能でした。ニュータウンの開発が終わっておらず、この日に利用したような公共交通機関も存在していなかったからです。隔世の感がありますね。
▪︎私が暮らした「高倉台」は、基本的には記憶通りの街でしたが、周辺部分は若干拡大しているようにも思えました。記憶のある街並みは、確実に40年を経過している…ことを実感させるものでした。まあ、当然ですね。「高倉台」の南側にある山にも登ってみました。ここは、公園としても整備させており、六甲山縦走のコースの一部にもなっています。山の頂上に登ると、私が暮らしていたときには存在しない「茶屋」が立っていました。おそらく、登山シーズンのときに開店するのでしょう。頂上からの景色は、とても懐かしいものでした。「高倉台」全体を見渡すことができるだけでなく、遠くに明石海峡や淡路島を望むことができたからです。唯一、記憶と違うことは、そこに明石海峡大橋が存在していることです。また、明石海峡大橋の右側には、さらに遠くに、ぼんやりと島の影が確認できました。たぶん…小豆島だと思います。この山頂から小豆島が見える…これは記憶にありませんでした(そうだったんだ…)。
▪︎私が暮らしていた時は、この「高倉台」からさらに奥にある地域が開発中でした。もちろん、現在では、今日、講義をした「神戸シルバーカレッジ」のあたりまで、いくつものニュータウンが広がっています。須磨ニュータウンは、主要には6つの住宅団地から構成されています。「北須磨」団地が1967年、「白川台」団地が1970年、「高倉台」団地が1973年、「名谷」団地が1975年、「落合」団地が1978年、「横尾」団地が1979年。主に1970年代に開発された住宅団地です。私が暮らした「高倉台」のばあいは1973年で、私の両親が家を建てて転居したのが1975年ですが、私の家のまわりには造成地がひろがっているだけでした。造成地のなかに、私の家も含めて、ポツポツと住宅が建ってるいだけでしたが、すぐに続々と戸建住宅が建設されました。
▪︎ここで、神戸市須磨区が出した「須磨区計画」(平成23年)には、以下のような記述があります。ニュータウンのある北部の地域は、高齢化していることがわかります。全国的に、都市郊外のニュータウンは高齢化していますが、須磨区も同様であり、10年・20年後のことを考えると、なかなか厳しい状況がみえかくれするのです。
須磨区の人口は、須磨ニュータウンの開発に伴い、昭和 50 年代から急増していましたが、60 年 代からは、横ばいとなり、平成 6 年の約 18 万 9 千人をピークに微減の傾向が続き、現在、約 16 万 8 千人となっています。将来的にも、須磨区全体の人口は減少の傾向であると予測されます。
須磨区の年齢別の人口構成に関しては、全市の平均と比べて、20 歳代から 40 歳代の人口が少なく、60 歳代以上の人口が多くなっています。特に北須磨支所管内では、60 歳代前半のいわゆる 「団塊の世代」の割合が高いことが特徴です。また、本区では、35 歳前後の「子育て世代」の割合が高いと言えます。
須磨区でも少子高齢化が進んでおり、本区、北須磨支所管内ともに、高齢化率は全市の平均を 上回っています。中でも友が丘地域などでは、高齢化率が 40%を超える推移を示しています。 特に、北部のニュータウン地域では、子どもの減少などが見られるとともに、急速に高齢化が 進んでいます。
▪︎ちなみに私の両親と妹は、1980年代の後半頃までこの「高倉台」に暮らしていましたが、その後、大阪に近い川西市の方面に転居しました。そちらのニュータウンに新しい家を建てて、転居したのです。結局、その新しいニュータウンも、高齢化率が高まっています。困ったものです。
Johannes Brahms - String Sextet op.18 - 2. Andante, ma moderato
▪︎昨晩、突然、ブラームスの弦楽6重奏曲第1番第2楽章を聞きたくなりました。仕事の片手間で聞きたいので、YouTubeを探したところ、こんな動画がアップされていました。6重奏曲は、バイオリン、ビオラ、チェロ、それぞれ2人づつの編成で演奏します。バイオリンのお1人は、マッシモ・クァルタという方です。私は、お名前を存じあげませんでしたが、イタリアの有名なバイオリニストなのだそうです。1991年度パガニーニ国際コンクールの優勝者でもあります。印象ですが、このイタリアの皆さんのブラームス、なんだか、これまで聞いてきたものとは違って、すごく「うねる」というか「ゆれる」という感じがします。でも、これも新鮮で良いのかな…と思いました。
▪︎ちなみに、この第2楽章は、フランス映画の「恋人たち」 (ルイ・マル監督)で使われているのだそうです。調べてみました。すると、この映画で使われた曲のばあい、チェロはあのカザルスが演奏しているというではありませんか。カザルスは、チェロの現代的奏法を確立した巨匠です。以下は、「恋人たち」の動画です。こちらの第2楽章は、私がこれまで聞いてきた「がっしり」した「力強い」演奏でした。動画は貼り付けませんが、リンクだけでも。
http://youtu.be/BgSJDuyrvWI
▪︎さらに調べてみると、この映画のストーリーは、以下の通り。「夫に不満をもつ若き人妻が、ふと知り合った若者と情熱の一夜をすごし、夫も家もすてて若者とともに去る」というものなのだそうです。映画を観ていないので、ストーリーだけだと「なんだかな〜…」という展開です。個人的には、第2楽章のイメージと、映画のストーリーのあいだにはギャップがありすぎます(笑)。数珠繋ぎ的に調べてみました。ルイ・マル監督は、あの「死刑台のエレベーター」の監督なのだそうです。これは、この監督のデビュー作です。こちらは、ジャズ・トランペッターのマイルス・デイビスの即興演奏で、大変有名です。マイルス・デイビスのことと、映画の題名ぐらいは私でもわかるぐらい有名です。ちなみに、こちらの映画もヒロイン(社長夫人)の夫(社長)は、彼女の不倫相手(社員)から殺されてしまうのです。これはひどく単純化したストーリーで、実際には、もっと複雑です。
「死刑台のエレベーター」動画http://youtu.be/upO75002b9k
ルイ・マルの解説http://www.ppmz.com/essays/katsusha/katsusha_008.htm
▪︎これらの映画は、みんな、私が生まれた頃の映画です。断片的な知識としては知っていますが、この時代の映画を丹念にみたことはありません。こうやってみると、学生の皆さんに偉そうにいえる立場でもないわけです。しかし、私は自分がいろいろ知らないことについて、どこか自分のなかにちょっと困ったことだな…という恥じらいの気持ちがあります。もっと知りたい、あるいは勉強したいという気持ちも強くあります。なんのためか。それは、単に知りたいから。知ることで、世界が拡がるから。わくわくするから。「それが何の得になるのか? 」。「それは、わかりません。それぞれの人ごとに…」というしかありません。でも、よくわからない事柄を「もっと知りたい…」という気持ちが、自分の中から湧き出てくることは、人が生きていくうえでとても大切なことなのではないかと思うのです。最後の部分、知り合いの学生の皆さんに向けて書いています。
【追記】▪︎以下は、IsraeliChambrProject によるブラームスの弦楽6重奏曲第1番の演奏です。全曲です。第2楽章は16分45秒あたりから始まります。こちらの重厚でがっしりした演奏の方が、私としてはしっくりきますね。じつに素晴らしい。
Israeli Chamber Project
複雑系のあやとり
▪︎自宅近くの風景の一部を切り取りました。本来の複雑系の意味とは違うけど…。まあ、そこのことろは、よろしく。関西電力とNTTのコラボ…でしょうかね。こういう写真を撮った後で、亡くなった赤瀬川原平さんのことを思い出します。街中の面白い風景を写真に切り取り、文章を添えた著書があったように記憶しています。たしか、『路上の神々』(佼成出版社、2002)だったかな…。
▪︎その赤瀬川さんのご自宅に、一度だけですが、取材にいかせてもらったことがあります。赤瀬川さんのご自宅は、建築史を専門とする藤森照信さんが設計した住宅です。屋根にニラを植えたポットが埋め込まれているので、「ニラハウス」です。「えっ?」と思う方は、ちょっと調べてみてください。「嬉しがり」になってしまい、話が脱線してしまいました。
▪︎赤瀬川さんの『路上の神々』のなかには、この電線のような写真がたしかあったように思うのですが…。私も「老人力」がついてしまって。
【追記】▪︎まあ、日本だとこの程度ですが、海外にいくともっとすごい状態に…。以下の写真は、ハノイです。左側は、3年前のベトナム旅行の際に撮ったもの。右側は、ゼミの卒業生のIくんが「もっとすごいのがある」と教えてくれたものです。こちらもハノイです。ハノイの方たち、これで大丈夫なんでしょうか…不思議です。
大風邪をひいてしまいました。
▪︎1つ前は、「鳥越皓之先生の最終講義」についてのエントリーでした。有名な方ですし、現在は日本社会学会会長ですから、どんな講義をされたのか知りたいという方もおられるでしょうね。かつての真面目な教え子として、きちんと録音をしましたし、ノートもとりました。それをもとに、エントリーしようと思っていたのですが、どういうわけか日曜日から体調を崩し始め、月曜日には発熱、39℃まで熱が出てしまいました。無理をしたせい…ではありませんよ。水曜日には、やっと熱もひいたのですが、こんどは咳と鼻水がとまりません。困りました…。ということで、一つ前のエントリーを完成させるために、もうすこし時間をください。
▪︎お知らせだけじゃつまらないので、面白い動画をアップしておきます。奇妙な形の彫刻を回転させて、高速シャッタースピードカメラで撮影することによって、このような動画ができるのだそうです。不思議ですね〜。ここで、こういう動画をみていると、⚪︎⚪︎…⚪︎⚪︎を連想します…てなことを言いたくなりますが、やめておきます。こちらは、もっとすごいです。
鳥越皓之先生の最終講義
▪︎恩師である鳥越皓之先生の最終講義が、昨日、早稲田大学の所沢キャンパスでは行われました。早稲田の所沢キャンパスには、初めて行かせていただきました。西武に乗って、池袋から小手指という駅まで。小手指からはバスで所沢キャンパスまで移動しまた。関西とは異なる武蔵野台地の風景を楽しみながらの移動でした。私は関西からですが、兄弟弟子の面々のなかには、九州から聴講に来た人もいました。Fさんです。Fさんは、翌日がセンター入試の監督ということで日帰りでの参加です。
▪︎私たち、鳥越先生の弟子たちは、それぞれ先生から学んだことを振り返りながら、最終講義を聴講することになりました。最終講義の教室には、早稲田で鳥越先生から学んでいる学生や院生の皆さんはもちろんですが、鳥越先生の兄弟弟子にあたる学会の重鎮の面々も、お越しになっておられました。最終講義のタイトルは、「それぞれの『現代』とどう格闘するのか-社会学的塑造力と社会問題-」でした。私個人は、聴講にやってきた学生・院生・弟子たちに対して、鳥越先生が「君たちにとっての『現代』とは何なのか?」と問うておられるように感じました。聴講しながら、昨年末に龍谷大学で開催された「環境社会学会のシンポジウム」の時のディスカッションのことも頭に浮かんできました。(本文続きます…が、発熱等で体調を崩してしまっているため復帰に時間がかかります)。
ishigama と kikito と 地域づくり
▪︎昨晩は、今年の1月4日にオープンした「ishigama」さんを訪問しました。ピザやアヒージョ等、石窯を使った料理を売りにしているお店です。しかも、お店で使う材料、たとえばピザの上にのる具材は、県内の農産物や加工品であったりします。農産物も、できるだけ直接生産者から購入されいるようです。指市場にのらない農産物を有効利用しつつ、「食」や「農」を支える地域づくりのネットワークが生まれていったらいいなあと思います。写真の石窯のなかでは薪が燃えていますが、この薪は、東近江市の「kikito」の関係者から仕入れたものです。「kikito」とは、森林とともに豊かに暮らしていける未来をめざし、人の営みと森林が結びつくカタチをていねいに育てるプロジェクトを展開されている一般社団法人です。「kikito」には、森林の所有者、植林や育林をされる方達、伐採された樹を製材加工する方達、製材された木材を利用する建築家、その他木材を様々な商品に加工される企業…等々、様々な方達が参加されています。たまたま、私が東近江の「kikito」の方達と知り合いになり、その一方で燃料の薪の確保に苦労されていた大津の「ishigama」さんとも知り合いになり…ということで、両者を結ばせていただいたのです。
▪︎写真をご覧ください。石窯のなかでは、滋賀で生産された野菜をのせたピザが焼かれています。入り口の方には、器にもられた料理が見えますね。これから、石窯のなかに入ります。中身は、スナズリとキノコのアヒージョ。アヒージョとは、オリーブオイルとニンニクで煮込む料理のことです。これは一例ですが、「ishigama」さんでは、石窯の能力をふるに活用した料理が提供されます。現在、さらにメニューを増やすべく、いろいろ開発努力もされています。たとえば、リンゴ。石窯のなかに入れると、焼きリンゴになります。私は、丸のまま1個のリンゴを入れていただきました。当然、リンゴは真っ黒になりますが、なかはホカホカ、焼かれるとリンゴの甘さがさらに引き立ちます。私はいただいていませんが、玉ねぎひとつ、石窯のなかに入れる。真っ黒に焼きます。真っ黒のこげた外側は食べずになかの蒸し焼きにされた部分をいただきます。玉ねぎって、こんなに甘かったのかと思うほどの美味しさになります。
▪︎昨日は、私の方からのお願いもあり「ishigama」さんに伺いました。滋賀県内のある農村のイベントを手伝ってほしいというお願いをしに伺ったのです。そのイベントの企画会議の場で、かつて当たり前のように食べていた湖魚を、若い世代の人たちにも食べてもらうことが提案されました。そのためには伝統的な湖魚料理だけでなく、様々な現代風の料理のやり方も取り込んで、敬遠されがちな湖魚を、若い世代にも食べてもらうことが必要になるという意見も出ました。そのようなこともあり、「ishigama」さんにもご協力いただき、イベントを盛り上げていただこうということになったのです(もちろん、「ishigama」さんだけでなく、他の調理人の方のご協力もいただきます)。
▪︎自分だけではできないことも、こうやっていろんな方達が横につながって支え合うことで(相補的な関係を構築していくことで)、相乗効果も生まれます。そうやって相互に協力しあうことで、地域社会のなかに信頼と協働、そして「お互いに助け合わねばという意識」(自分だけ得をしようとしない…)の醸成により、持続する社会関係、あえて言い換えれば社会関係資本を蓄積していくことにもつながるのです。「お互いにお願いをしたり、お願いをされたりする関係」が、網の目のように地域社会に広がったらいいなと思います。昨日は、地元の商店街の皆さんも多数お店に来られていました。商店街活性化のために立ち上がった皆さんの集まりのようでした。その商店街の皆さんにも「ishigama」さんのオープンは大変歓迎されています。「ishigama」さんのように、新規参入の若い方たちが、さらに街中で商売できるようになったらいいなとも思いました。