つながり
■地域の皆さんとのご縁が生まれると、「数珠繋ぎ」のように、さまざまな「チャンス」をいただくことになります。今日は、滋賀県内で小・中学生を対象に、キャリア教育に取り組まれているボランティア団体(法人化はされていませんが、NPOですね)の皆さんとお話しをする「チャンス」をいただきました。私自身は、キャリア教育について専門的な知識をまったく持ち合わせていないのですが、大学と地域をつなぐような活動をしていることから、どういうわけか私にご相談があったのです。ですので、今日はキャリア教育の専門家である龍谷大学の教員の方にもお願いをして、休日ではありますが、滋賀県まで来ていただきました。もちろん、その先生とは以前からいろいろお世話になっているので、今回も、ちょっと無理を聞いてくださったのかなと思っています。
■その先生からは、いろんな情報を教えていただきました。「さすが専門家だなあ」と思いました。お声掛けさせていただいて、よかったなあと思いました。ありがたかったです。私の役割は、ボランティア団体とキャリア教育の専門家をつないだだけなのですが、ちょっと役に立つことができて安心しました。このボランティア団体の皆さんは、子どもたちの仕事観を育む取り組みをされています。とても大切な取り組みだと思っています。時間はかかりそうですが、近い将来、大学としても、何か一緒に事業に取り組むことができればなあと思っています。ちょっとした「つながり」から、思いを共有し、そこから夢が生まれ、その夢を花開かせていく…。素敵なことだなあと思っています。
■午後からは、某地方自治体の職員の方にfacebookのメッセージを通していろいろ相談をさせていただきました。総合地球環境学研究所で取り組む超学際研究プロジェクトの延長線上で、「こんなのができたら素敵だな〜、地域でみんなハッピーになれるよな〜」というイベントを企画しようとしているのです。そのことについて相談をさせていただきました。その職員さんとは、時々、意見交換をしているので、ベースにある問題意識をそれなりに共有できているせいでしょうか、最後にはとても前向きな意思表明をいただくことができました。来週は、実際にご説明に上がる予定にしていますが、午後からもこうやって「つながり」の有り難さを実感することができました。同時に、自分という確かな実体があるのではなく、たくさんの「つながり」のネットワーク中で、そして他者との関係の中で活かされている存在にすぎない…そんなリアリティを強く感じることにもなります。歳をとると、若い時と比較して精神も知力も体力も劣ってくるわけですが、逆に、歳をとったおかけでこのようなリアリティを持てるようにもなったのかなと思います。
「街が背負う悲しみ」とそこで暮らす私たちの心~「脱線事故があった街・尼崎」にいるということ~
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■2月5日のエントリーは「ちょっとお寺で新年会」 でした。尼崎の塚口にある西正寺で開催されたイベントを報告しました。西正寺の副住職である中平了悟さんにfacebookで、このブログのエントリーのことをご紹介いただき、私のブログとしては画期的なことなのですが、100名を超える皆さんにお読みいただけました。ありがとうございました。さて、今日のエントリーも、西正寺関連のものです。中平さんが企画されている「テラからはじまるこれからのハナシ。」vol.04です。今回のテーマは、「街が背負う悲しみ」とそこで暮らす私たちの心~・・・」です。以下、中平さんのfacebookからの引用です。
次回のテラハについて、すこしお話をしたいと思います。
テラハでは、「JRの脱線事故」という出来事そのものよりも、
「あの現場という場所」そして、そこに関わる私たち自身の心や、「尼崎」という街について、考えたいと思っています。
それは、すこし、複雑な話かもしれません。それは、主催者の私自身の思いを語るとすこしご理解いただけるかも知れません。私自身は、あの事故で被害を受けた知人がいるわけではありません。あの現場に、足繁く追悼に足を運んでいるわけでもありません。しかし、平日の通勤や、檀家さんのおうちへのお参りの際など、日常的にあの踏切をとおり、あのマンション(だった場所)の前を通過しています。そのたびに、あの事故のことを思い出し、あそこへ足を運ばれている方、人生が変わった方がいたことを思わずにはいられません。24時間、絶え間なく交代して警備を続けている人の姿にも、考えさせられるものがあります。
4月25日には、尼崎駅で、たくさんの黒い服を着た方、花を持たれた方と出会います。あるいは、その頃には、一列になってその事故の現場へ足を運ばれる方たちを見かけることがあります。
「あの事故の関係者ですか?」と問われれば、私は「いえ、そうではありません」と答えます。ただ、「近所に住んでいる者」に過ぎません。しかし、近所に住んでいるという点において、事故の現場、人が追悼に訪れる場所と共に暮らしているという点において、さまざまな思いをかかえて生活し、あの場所を目にしてきました。その意味で、「当事者ではないけれども、影響を受けているという意味においては、当事者ならざるをえない」という曖昧な立場にあるのではないかと思います。すこし、話が変わりますが、22年前の「阪神淡路大震災」における、私の立場にもかさなる点があります。京都などの神戸からすこし離れた地に行き、「尼崎出身です」というと、「地震大丈夫だった?」と聞かれますが、「たいしたことありませんよ」と答えていました。長田をはじめとした神戸、あるいは尼崎でも武庫川にちかい西側に比べて、比較的被害は軽いものでした。しかしそれでも、家はかなり傷み、本堂はすこし傾き、鐘楼と敷地の壁は倒壊して、結構な被害がありました。しかし、「地震でかなり大きな被害があった」ということは、なにか心にひっかかるものがあって「神戸ほどではないんです」等といっていたように思います。「阪神大震災」というと、神戸の街のイメージがどうしてもあり、私の住む地域は、震災被害の「周辺」に位置していたといえるのかもしれません。それ故に、典型的な「震災」という言葉でくくってしまうことについての違和感、あるいは、より甚大な被害のある方に対する「申し訳なさ」みたいなものがあったのかもしれません。
つまりJRの脱線事故にしても、阪神大震災にしても、テレビや、メディアで提示されるような、その中心にいるような「当事者性」(あるいはそのイメージ)と隔たりがあるがゆえに、かえってそのものとの距離を私たちは正しく捉えていなかったのではないか、「わたしたちなりの関わり」ということについて、言葉をもたずにここまで来てしまったのではないか、という思いがしてならないのです。その意味で、地域にあるあの事故現場は、わたしたちにとっては、いったいなんで、どのような関わり方ができるのだろうか。(あるいは震災を初めとして「当事者」として関わることをすこしさけていたような、曖昧な関わりをしてきた事柄もふくめて)、そのような曖昧な関わりについて目を向けてみたいと思うのです。
「尼崎」という街が抱える「悲しみ」の場所を通じて、私たちなりの関わりのあり方を、私たち自身の言葉で語り、考える、そんな時間が持てたらとおもっています。
■黒字で太くしたところがポイントかなと思います。たまたま、私が昨年度から指導していた社会人大学院生の方の修士論文は、阪神淡路大震災による家族との死別を経験した遺族へのインタビューをもとにしていました。その修士論文のなかに記述された「当事者」の方達の苦悩や悲しみの問題が、西正寺でのこのイベントとも関連してくるかなと思っています。誤解を受けるかもしれませんが、「当事者」の方達の苦悩や悲しみを理解することは困難です。「理解しました」といった途端に「当事者」の方から「そうではない。わかっていない」と否定されることになるからです。「理解しました」という発言自体が「当事者」を苦しめてしまうことにもなります。
◼︎指導した社会人院生の方の修士論文に記述された「当事者」の語りを読みながら、いろいろ考えました。被災者とそうでない人たちとの間にある絶望的なまでの溝や断絶、そしてそのような溝や断絶に取り囲まれながらも、震災後の20年という時間のなかで、どのように苦悩や悲しみを受容し、家族の死と共生していったのか、そのあたりの記述は読み応えがありました。その上で、今回の西正寺のイベントは、「当事者」の存在を気にかけながらも、「当事者」とは自分ではいえない人たちは、その苦悩や悲しみにどう向き合えばよいのか…ということになります。現代社会は、家族を失う苦悩や悲しみを、個人で背負わざるを得ないような社会になってしまいました(死の「私化」)。「他者」にたいして、その苦悩や悲しみを「開いて」いくことは可能なのでしょうか。可能とすれば、それはどういうことなのでしょうか。あるいは、「他者」と「当事者」は、どのような形で共に生きることができるのでしょうか。そのあたりが、私には気になるわけです。
■今回はグリーフケアの専門家である山本佳世子さん(人と防災未来嘱託研究員)がゲスト=「Teller」です。中平さんは聞き役=「Tera」の人。最後の「Tera」の人は洒落ですね!!
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【追記】■このイベントは夕方から始まりますが、その前に「龍谷大学アジア仏教文化研究センター」(BARC)が主催する「玄奘三蔵の説話と美術」という学術講演会に参加しようと思っています。こちらも、また別途紹介したいと思います。たぶん、「BARC」の学術講演会を途中で抜けさせていただき、尼崎に移動することになろうかと思います。先日、尼崎のまちづくりに関わっておられる皆さんと知り合いになりましたが、また再会できるといいなあと思っています。
映画「ぼくと駄菓子のいえ」
■この映画、なんだかよそげな感じです。以下が、公式サイトです。
■以下は、この公式サイトからの引用です。困難を抱えた子どもたちの「居場所」の問題ですね。どうやって社会的に包摂し受容していくのか。「子どもの居場所」を意図していたわけではないけれど、結果として、そこにいる人たちの相互作用の中で、「こどもの居場所」が街の中に編み出されて行くことが私には興味深く感じられます。
「人間が生きている意味は人間関係の中にある」精神科医のハリー・スタック・サリヴァンはそう言いました。不登校、ひきこもり、イジメなど、昨今の子供たちを取り巻く環境は厳しさを増している。それらの問題の背景には地域社会、学校、そして家族の崩壊がある。そんな社会の歪みを一身に背負う子供達。そんな彼らと向き合うのは、親でも、先生でもない。駄菓子屋のおばちゃん。この映画は一種の駆け込み寺となった「風和里(ふわり)」で明美さんたちが通ってくる子供たちを、まるで自分の息子のように接し、懸命に向きあう姿と、決して順調とは言えなくても、必死に前を向いて歩もうと、もがく子供たちの姿があります。
今の社会は何か大事なものを捨て去ろうとしているのではないか?風和里での日常はやさしく観るものに問いかける。
大阪府富田林市。学校終わりの子供たちの元気な声が溢れる、小さな駄菓子屋「風和里(ふわり)」。そこは松本明美さんとその娘よしえさんが営んでいる。
そんな「風和里」に通う子供たちの中には親の離婚やネグレクトなどの家族の問題や学校でのイジメなどに悩み、居場所を求めてやってくる子供たちが少なくない。
そんな子供たちを時に厳しく叱り、また時にはまるでお母さんのように優しく接する明美さんとよしえさん。
そんな明美さんたちと子供たちとの涙あり、笑いありの交流と成長を描いたドキュメンタリー。
農村・農業振興に関する相談
■昨日は、尼崎市の塚口でしたが、今日は滋賀県の大津です。旧志賀町の農村・農業振興に関する相談会みたいな出会いを作りました。私は、2つの農事組合法人の関係者と6次産業化のプロとの出会いの場を作っただけですが、横でやりとりを聞きながらいろいろ勉強させていただきました。縛りとなる制約条件、そして限られた地域資源の中で、農村の暮らしをどう維持していのくかという課題と、農業に付加価値をつけてどのように産業化させていくという課題との間で、いろいろ考えなくてはいけない。けっこう、複雑な「連立方程式」です。この2つの課題は、簡単には両立しません。
■ここに住み続けること。農地を守っていくこと。この2つがまずは基本になると思いますが、その目的のために、どこまで自分たちの農業に付加価値をつけていく取り組みをしていく必要があるのか。前者は「守り」の方策ということになりますし、後者は「攻め」の方策ということになります。この「守り」と「攻め」のバランスや判断が重要になってきます。私の個人的な意見ですが、現金収入の魅力は大きいけれど、それだけで地域の将来像を描いてしまうとうまくいかないように思います。現金収入は意欲を喚起するためには役立ちますが、そこが最終ゴールではありませんから。この辺りが、難しいところです。
「ちょっとお寺で新年会」
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■昨晩は、尼崎市の塚口まで出かけました。尼崎にある浄土真宗本願寺派の西正寺で開催された「【どなたでも参加歓迎!】ちょっとお寺で新年会〜尼崎を楽しみたい人たちの年初めの寄り合い〜」というイベントに参加するためです。私は、若い頃は阪神間で暮らし、学び、遊び、アルバイトをしていました。ですから、尼崎についても、それなりの土地勘があるはずと思っていたわけですが、実際にJR塚口駅に降り立った途端、記憶している街のイメージとは随分違っていることに気がつきました。駅前が再開発されていたからです。再開発された土地は、以前、森永製菓の工場があったところだそうです。まあ、そのように街の変化に驚きながら、Googleマップを頼りに西正寺に向かいました。地図を見ると、道路に微妙な「揺れ」があります。まっすぐではありません。尼崎は工業都市というイメージですが、それ以前の、元々農村だった時代の土地利用のあり方(集落、農道、農地…)が、道路の様子から垣間見えるのです。再開発された新しい街、工業都市、農村…街の中に尼崎の歴史の地層(レイアー)が積み重なっていることがわかります。
■さて、なぜ西正寺のイベントに参加したのかというと、このお寺の副住職をされている中平了悟さんと知り合いになったからです。中平さんは、現在、龍谷大学の実践真宗学研究科の実習助手として勤務されていることもあり、ちょっとした「ご縁」で一緒に呑む機会がありました。普段であれば、私のような社会学部の教員だとなかなか出会えない方かと思いますが、「呑み」はそのような組織の中の見えない壁を突破させてくれます。その時は、中平さんがお住いの尼崎で取り組まれている活動について、いろいろお話しをお聞かせいただきました。とても興味深い活お話しでた。そして、実際にちょっと活動をのぞいてみたくなったのです。どなたでも参加歓迎ですしね。
■昨晩は、まず中平さんを導師に礼拝が行われました。皆さんと一緒にお経を唱えました。きちんとお念珠を用意していました。半分以上の方が、お経を唱えるのは初めとのことでした。お経をたくさんの人と一緒に唱えると、皆の気持ちが一体化するような感じもあります(ある方は、「グルーヴ感」が生まれると表現していました)。中平さんは、「お寺を町に返していく」ことを念頭に活動されています。お寺を町に開いていくといいますか、お寺と町との間にある「線」を相対化して、両義的な空間を創出していくことを考えておられるのだと思います。私としては、お寺の本堂をそのような両義的な空間として地域づくりに使わせていただくことの感謝の気持ちとともに、お経を唱えました。礼拝の後は、3〜4人のグループに分かれて自己紹介をしました。私のグループは、まだ20歳代の若い男性と女性と一緒になりました。男性は岐阜県、女性は富山県のご出身でした。この辺りから、場の空気も随分ほぐれてきました。ほぐれたところで、今度は鼎談です。「尼崎ENGAWA化計画」でコミュニティエディターをされている藤本遼さん、中平さん、そして重症心身しょうがい者の地域生活(入浴・外出)を支える活動をされているNPO法人「月と風と」の清田仁之さんの3人で鼎談が行われました。
■お3人が自らの経験をもとにいろんな話しをされましたが、ポイントをまとめると以下のようになります。制度化され固定化された社会の仕組み、線引きによって白黒をはっきりさせようとするものの見方や考え方、さらにこれが正解と決めつけた(権威主義的な/パターナリスティックな)言説、それらは人と人の間を分断してしまう。そのような弊害を、日々の実践の中でどのように相対化、無化していくのか。人と人の関係。今生きている人と死者との関係。しょうがい者と健常者との関係。それらの関係が生み出す潜在的な可能性を大切にする。そのような関係が創発的に生まれる仕掛けをみんなで楽しみながら作っていく…そのようなお話しだったように思います。こんなに単純にまとめてしまっていいのか…という不安もありますが、私にはこのように理解できました。
■尼崎という地域を、暮らしている方達自身、「あま」と呼びます。「あま」の持っている地域の特性、「人と人の間のハードルが低い」地域であるということも、重要な地域要因としてお3人の活動の背景に存在しているように思いました。これは藤本さんからお聞きしたことですが、土地の有力者や地付層の方達のネットワークとは別のレイヤーで動いているというのです。よくある上の年齢層が結果として若い年齢層の動きにブレーキをかけるようなことも少なそうです。
■清田さんが紹介してくださった、「重度しょうがいしゃの方とヘルパーさんが、他所の家のお風呂を借りる」という話し…、私は非常に興味深く拝聴しました。中平さんと藤本さんは西正寺でカレーを食べるイベント?!「カリー寺」を開催されました。お風呂にしてもカレーにしても、しょうがいしゃと健常者や地域社会との関係、お寺と地域社会との関係の間にある見えない壁を相対化していこうとする試みだと思います。以下は、私のメモです。
・清田さん: 自閉症のNくんが、周りを変化させていく話し。しょうがいしゃを軸にすると社会が変わる。
・中平さん:こたえがない、その方が良い。与えられると、生き辛くなる。
・藤本さん:自分の中に他人を持つ。自分の中の他者性。
・清田さん:良い場所とは、圧倒的なプロがいない場所のことだ。プロがいない方が良い。
・中平さん:「曖昧さ」の中に、身を置けるような感覚が大事。答えがあることの違和感。
・藤本さん:お金にならないことをやらない人は、面白くない。それ以外のこと想定していない。それ以外のことが関係性を作る。
・藤本さん:成果がなくても、プロセスを面白がる。プロセスを味わえる。
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■鼎談の後は、みんなで持ち寄った食べ物と飲み物を楽しみながら、フリーに懇談ということになりました。非常に盛り上がりました。尼崎、元気があります〜。もともと、地域づくり・まちづくり、地域福祉に関心がある方達だとは思いますが、後で中平さん教えてもらったところでは、僧侶、NPO職員、保険屋さん、居酒屋さん、不動産屋さん、ライターさん、歌手、パフォーマー、看護師、医師、隣保館の職員、介護と保育の施設の運営者、市役所の職員、県の職員、銀行員、住みびらきしている人、学生(間もなく終わる人)、そして私のような大学教員と、実に様々な方達が参加されていました。ということで、最後は記念の集合写真を撮りました。
■藤本さんが代表をされている「尼崎ENGAWA化計画」につきましては、『ソトコト』3月号にその活動内容が紹介されています。こんなタイトルの記事です。「まちづくりではなく、『遊び』だ! 『尼崎ENGAWA化計画』がつくる、まちの縁側。」(「まち縁側」といえば、建築家の延藤安弘さんのことを思い出します)。縁側という人と人が交流する内でない外でもない曖昧な空間、そのような曖昧さを街のあちこちに作り出していこうということでしょう。そして、何かの理念のために「ねばならない」「耐え難きを耐え忍び難きを忍び」ではなく、「遊び」で活動するというのです。楽しいことは主体的にやる…その通りだと思います。私も常々、同様の指摘をしてきました。私が流域ガバナンスの問題の中で、「楽しみ」や「しあわせ」という言葉をあえて使うのも、ステークホルダーの主体性の問題と関連しています。また、尼崎を訪ねることができればと思います。面白いです、尼崎。
【追記】■本文に書いた「清田さん:良い場所とは、圧倒的なプロがいない場所のことだ。プロがいない方が良い。」というメモに関して、また「遊び」という楽しみを重視する活動に関して、思い出したことがあります。
■今から10年前の話しになりますが、私が環境社会学会の学会誌『環境社会学研究』の編集委員長をしている時に、学会誌の特集として「市民調査の可能性と課題」を組みました。その特集の中では、林学の蔵治光一郎さんに「参加者の楽しみを優先する市民調査-矢作川森の健康診断の実践から見えてきたもの-」をご執筆いただきました。私は、この特集の解説をした短い文章の中で、蔵治さんの論文を次のように紹介しました。
一般に、市民調査の成果をもとに政策提言していくためには、科学的厳密性やデータの信頼性が求められる。そのような市民調査は、目的志向的ないし手段的(instrumental)と言える性格を強く持つことになるが、そのことは、市民調査という活動自体のなかに何らかの楽しみや充足感を見出そうとする多くの市民の思考とはしばしば矛盾することになる。しかし、この「矢作川森の健康診断」では、そのような問題を、現場での工夫のなかから乗り越えようとしてきた。蔵治は、「矢作川森の健康診断」の特徴を、「効率を追わない」「市民と専門家が対等な立場でかかわる」「科学的精度よりも参加者の楽しみを重視」「参加費を取って運営する」という4つの特徴にまとめている。最初の3つの特徴は、楽しみを媒介に参加する市民の主体性を鼓舞するための工夫であるし、4つめの特徴は、行政に依存するのではなく参加する市民の自立性を育む工夫であろう。また、このような活動に参加する専門家の条件が、「専門分野のずれ」「分野外への踏み出し」「社会提言」の意思があることだという発見も興味深い。
「浅茅生」の酒粕を使った”ディアマン”
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■左党(酒好き)の私の場合、「浅茅生(あさじお)」と言えば日本酒が頭に浮んできます。大津市の中心市街地、丸屋町商店街の中にある平井商店の銘柄です。しかし、こちらの「浅茅生」は、フランス菓子「ディアマン」です。ゼミ生たちがプロデュースした「純米吟醸無ろ過生原酒 北船路」、今年も新酒が発売されているということで、先日、平井商店さんに伺いました。美味しい「純米吟醸無ろ過生原酒 北船路」を購入した時、ふとレジの横を見るとこのワンカップ酒の器に入ったお菓子が並んでいたのでした。
■「ディアマン」とは、フランス語でダイヤモンドのことです。お菓子の側面についているキラキラ光る砂糖から、そう呼ばれるのだそうです。ただし、この「ディアマン」には「浅茅生」の酒粕が入っています。食べてみると、ほのかな酒粕の風味に加えて、素敵な酸味を少し感じました。美味しい‼︎ 実はこのディアマン、芦屋の洋菓子ブランド「アンリ・シャルパンティエ」とのコラボ商品です。「アンリ・シャルパンティエ」は、丸屋町商店街に隣接する菱屋町商店街に出店しています。この「ディアマン」を扱っているのは、「アンリ・シャルパンティエ」の中でも大津の店舗(浜大津店)だけとのことです。大津にある老舗の酒蔵と有名洋菓子メーカーとのコラボは、どのようなプロセスで誕生したのでしょうか。興味のあるところです。
龍谷大学の建学の精神
■龍谷大学に勤務して13年。にもかかわらず、大学のホームページの細かな中身を丁寧に見ることをしていません。おそらく、それは私だけではないと思いますが…。たまたま龍谷大学の宗教部のページを開いたところ、「龍大はじめの一歩 龍谷大学『建学の精神』」があるのを「発見」しました。今まで、気がついていませんでした。2015年に「龍大はじめの一歩 龍谷大学『建学の精神』」という冊子が発行されたようなのですが、知りませんでした。いけません…。宗教部のホームページでも読むことができます。
■おそらく、入学したばかりの新入生に読んでもらおうと執筆されたものかと思います。大変わかりやすく書かれています。でも、私のような教員こそが、今後のカリキュラムを考えていく上でも、しっかりとこの冊子を読むべきかなと思いました。建学の精神に基づき、様々な計画が立てられているのですから。龍谷大学は第5期長期計画を定めて大学の改革に取り組んでいますが、この長期計画が完了する時に到達すべき将来像として「2020年の龍谷大学」を定めています。その「使命」のところには、次のように書いてあります。
龍谷大学は、建学の精神(浄土真宗の精神)に基づく、すべての「いのち」が平等に生かされる「共生(ともいき)」の理念のもと、「人間・科学・宗教」の3つの領域が融合する新たな知の創造に努めるとともに、人類社会が求める「次代を担う人間」の育成を図り、学術文化の振興や豊かな社会づくり、世界の平和と発展に貢献することを使命とする。
■各教員が、事実として、どこまでこの「建学の精神」に注意を払っているのか私にはわかりませんが、私自身は、この建学の精神、そして「使命」を、自分が研究している地域社会での環境問題(琵琶湖や琵琶湖に流入する河川の流域管理・流域ガバナンス等)や地域社会での実践という具体的な文脈に位置付けて咀嚼しようとしてきました。現代社会の課題に取り組む上で、重要な視点が提示されているようにも思います。単なる”御題目”のような存在ではないはずです。
第54回「龍谷大学・北船路野菜市」最終回
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■第54回北船路野菜市、終了しました。本日で最終回となりました。2010年から7年に渡り活動してきました。来年度は、私自身が学内の国内長期研究員になり研究に専念するため(授業や教授会等の会議や学内行政が全て免除されます)、ゼミ生がい無くなります。そのことを念頭に、今年度から研究会をサークル化しましたがこれも先行きが見えず、1年間活動を停止して2018年度から新たに出直すことになりました。お世話になった皆様、ありがとうございました。
■拙い学生の活動ではありましたが、2011年から始めたこの「北船路野菜市」の開催以外にも、日本酒のプロデュース、農村都市交流イベント「かかし祭」の開催等、村づくりの活動にも一定貢献できたかなと思っています。この6年間の間に、北船路の集落では、さらに外部の農業関係のNPO「スモールファーマーズ」さんとも協働組しながら村づくりに取り組まれるようになりました。2018年度からは、北船路の集落、NPOの皆さんと連携しながら、新ためて活動をスタートさせたいと思います。どうか、よろしくおねがいいたします。
■「北船路米づくり研究会」の活動は、ゼミ活動の一環として取り組んできました。トップの写真に写っている学生たちに加えて3〜4名の学生たちが、先輩から引き継いできたこの活動を責任を持って最後までやり遂げてくれました(写真の真ん中は、私たちを指導してくださった農家の吹野藤代次さんです)。あくまで学生の「やる気」(主体性)に基づいて活動しているので、強制ではありません。もちろん、この活動に取り組んだからといって、単位が出るわけでも評価されるわけでもありません。活動に不参加だからといって、学生の評価が変わるわけではありません。
■学生たちは、なぜこの活動を継続してきたのか。「就職活動の時に有利になるから」と言った皮相的な動機付けでは長続きしません。「損得」の物差しでは、「交換」では無理です。この活動からどのような「意味」(単なる個人的な満足ではなく)を獲得することができたのか。それも頭の中の理屈としてだけではなく、心身ともに深く獲得することができたのか。そのあたりが、重要だと思っています。様々な地域社会の大人の方達と「良い関係」を保ちながら、その関係の中で汗をかいて、何かに気づき、同時にいろいろ悩むことになります。「意味」は、そのようなプロセスで獲得されると思います。「意味」は、上の先輩から、地域の年上の大人の方達から贈与されるものなのです。その「意味」を今度は、自分が下の世代に伝えていきたい/いかなければならない…と思えるようになることが理想です。それは「贈与」と呼ぶとができるのかもしれません。「交換」ではなく、「贈与」の縦のつながりが生まれていけば…。
■地域づくりに取り組まれている市民の皆さんから学生たちは、「研究会の学生たちはよく頑張っている、自分たちが若い学生ぐらいの年齢の頃は、遊ぶことばかり考えていた」と褒めていただきます。確かに、若い年代の多くの学生にとって(一部の問題意識を持った学生は別にして)、このような地域づくりの活動に参加することの「意味」を主体的に獲得することは、なかなか難しいことだと思います(パッとみの雰囲気と見せかけを作って、ハリボテの活動とともに教員が自己満足することは簡単ですが…)。だからこそ、この活動が社会一般にとって、地域社会にとって、さらには自分にとってはどのような「意味」をもっているのかを、常に考え続けなければなりません。私ができるのは、学生たちが活動する「環境」を整え、考え続ける「ヒント」のようなことを時々しゃべるだけです。教師としての私は、できるだけ何もしないことが仕事だと思っていますが、この辺りの、教員の関わり方はとても難しいところでもあります。本当は、3年ほどの期間で、先輩から後輩へと指導と学びの連鎖が生まれるような形になれば良いのですが、現状ではなかなか困難でした。ゼミは2年間。実質的に活動ができるのは1年ほどの間ですから(3回生の後期から4回生の前期頃まで)。来年1年間は、その辺りのことを考え直して、2018年度から新たにスタートを切ることができればと思っています。
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■左上は、リーダーの水戸くんです。右上は、黒木くん。左下は、サブリーダーの左川さんと北野くん。右下は、藤井くんです。もう一人、清水くんもいますが、個人の写真がありません…。
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■「北船路野菜市」は、当初は、「旧大津公会堂」での開催でしたが、その後、天孫神社の境内に移動し、その後はずっと、中心市街地の丸屋町商店街の中にある「大津百町館」の前で開催させていただきました。「大津百町館」に詰めておられる「大津の町家を考える会」の野口さんには、学生たちが大変お世話になってきました。この日も、北船路の野菜で美味しいお味噌汁を作ってくださいました。柚子を浮かべた大変香りの良いお味噌汁でした。学生たちは、最後の「野菜市」ということで、商店街の商店主さんたちにご挨拶に伺いましたが、その際に、このお味噌汁を商店主さんたちに召し上がっていただきました。多くの地域の皆さんに見守っていただきながらの活動でした。ありがとうございました。
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■来年度、2017年度は、「北船路米づくり研究会」の活動を1年間休止します。大学や学生が地域に関わって地域連携の活動をするときに、いつも問題になるのが継続性です。個人の教員の力だけに頼って実施していると、そうなってしまいます。私たちの「北船路米づくり研究会」は、2010年度から7年間活動を継続してきました。自分で言うのもなんですが、学生たちはよく頑張ってきたと思います(私は、普段は、あまりそのような褒めかたはしませんが…)。
■もっとも、今回はあくまで休止だけで終了するわけではありません。来年度は、研究会の活動をリニューアルしていくために、学内外の皆さんの協力を得ながら、いろいろ活動の在り方自体も工夫を重ねて行こうと思います。すでに、相談を初めています。大学と地域社会の地域連携活動の中で、学生自身が活動の中で「意味」を獲得し、ささやかだけれど実質的な「成果」を生みだしていけるのような仕組みを、北船路の集落の関係者の皆さん、NPOの皆さん、そして行政の皆さんとも相談をしながら作っていければと思っています。ご期待ください。
【追記】■これまで、このブログで「北船路」関連の投稿はどれだけあるかなと調べみました。サイト内検索に「北船路」と入れてみたのです。すると、「283」のエントリーがありました。こちらのエントリーも、よく頑張ってきたなと、ちょっと自分を褒めてやりたいと思います(マラソンの有森裕子さんの真似ですけど…)。
「ハリハリ鍋を食べながら 鯨について語り、遊ぶ会」
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■昨日は、夕方まで自宅で仕事をしていました。来年度からの国内長期研究員にそなえて、少しずつ研究中心のモードに暮らしや意識をシフトチェンジさせています。もちろん、研究部の仕事は3月末まで頑張りますが、春からに備えて少しずつ準備を進めているのです。そういうわけで夕方まで自宅の書斎で仕事をしていましたが、夕方からは雪のなか、大阪に出かけることにしました(雪が降っているのは滋賀だけですが・・・)。
■出かけた先は、大阪市天王寺区にある應典院という浄土宗の寺院です。寺院とはいってもお葬式はしません。應典院のwebサイトでは、次のように説明されています。「かつてお寺が持っていた地域の教育文化の振興に関する活動に特化した寺院として計画され、〈気づき、学び、遊び〉をコンセプトとした地域ネットワーク型寺院として1997年に再建されました」。このwebサイトをご覧になればよくわかると思いますが、様々な方たちがこの寺院に出入りして魅力的な活動をされています。以前から、應典院のことはよく聞いていたので、一度訪問したいと思っていましたが、今回やっ行くことができました。應典院を訪問したのは、あの「まわしよみ新聞」の発案者であり、「大阪あそ歩」のプロデューサーとしても知られる陸奥賢さんが、應典院で企画された催しに参加しようと思ったからです。「ハリハリ鍋を食べながら 鯨について語り、遊ぶ会」という催しです。生のリアルな陸奥賢さんにお会いできて、しかも鯨の「ハリハリ鍋」を味わえる。なかなか豪華な企画です。以下は、陸奥さんのプロフィールです。
【プロフィール 400文字バージョン]】
観光家/コモンズ・デザイナー/社会実験者。1978年大阪生まれ。2007年に堺を舞台にしたコミュニティ・ツーリズム企画で地域活性化ビジネスプラン「SAKAI賞」を受賞。2008年10月に大阪コミュニティ・ツーリズム推進連絡協議会「大阪あそ歩」のプロデューサーに就任。大阪市内だけで300以上のまち歩きコースを有する「日本最大のまち歩きプロジェクト」となり、『大阪あそ歩まち歩きマップ集』は約2万部を売るロングセラーに。2012年9月にはコミュニティ・ツーリズム事業としては日本初の「観光庁長官表彰」を受賞。2013年1月に大阪あそ歩プロデューサーを辞任し、現在は観光、メディア、まちづくりに関するプロデューサーとして活動中。「大阪七墓巡り復活プロジェクト」「まわしよみ新聞」「直観讀みブックマーカー」「当事者研究スゴロク」などを手掛ける。應典院寺町倶楽部専門委員。著書に『まわしよみ新聞のすゝめ』。
■陸奥さんは、チーム「いきものがかり」の皆さん(よくわかりません…私には謎…)と一緒に、蚕、鯰、狸、亀など「異類」に関するプロジェクトを手掛けてこられました。今回の「異類」は鯨です。鯨を食べること=命をいただくことを通して、鯨の歴史・文化・物語を見つめ直す。鯨肉を使った「ハリハリ鍋」を味わうことで、鯨の命を自分の命につなげていく・・・そのような企画のように思いました。もっとも、陸奥さんの発想からすれば、きっちりとした企画や計画を組み上げるのではなく、むしろ良い意味でスカスカの状態をつくり、そのスカスカの空間で参加した方達が面白い相互作用を展開し、当初は予想していなかった面白い出来事が創発的に生成してくる…そんなことを期待されているに違いないと思っているのですが、実際のところはどうなんでしょうね~。
■当日は、冒頭のイントロダクションの後、應典院のなかにある十一面観音を祀った祭壇の前で、参加者の皆さんと浄土宗に則った法要を営みました。法要(鯨の供養)にあたっては、秋田光軌さん(浄土宗應典院主幹・應典院寺町倶楽部事務局長)が導師をお務めになりました。龍谷大学では浄土真宗の法要が営まれますが、「浄土宗と浄土真宗とでは同じ浄土教系だけどやはり差異があるなあ」と、仏教に関して素人ではありますが、そのようなことを感じました。まあ、それはともかく、こうやって「ハリハリ鍋」をいただくにあたって法要を営むと、「命」をいただいているという感覚が身体のなかで増幅されていきます。美味しい食事ができるという意味よりも、鯨の命を自分の命の一部に組み込んでいくということの有難さを感じるわけです。私の単なる主観的に思いなのかもしれませんが…。
■トップの写真は、その鯨です。奥の白い肉、これはセミクジラの皮です。手間の2皿は、ナガスクジラの肉です。左は、サシが入っていますね。これはナガスクジラの顎の肉です。鹿の子と呼ぶそうです。法要にあたっては、鯨に戒名が与えられました。セミクジラとナガスクジラだから最低でも2頭の鯨ということになるのですが、戒名は1つです。陸奥さんと秋田さんが一緒に考えられました。「鯨誉大光」。この戒名のもとで、法要を営みました。十一面観音の祭壇の下の方をご覧ください。ここには、鯨のハリハリ鍋がお供えしてあります。
■法要の後は、陸奥さんから鯨に関するお話しを伺いながら、鯨の「ハリハリ鍋」を美味しくいただきました。「ハリハリ鍋」とは、鯨肉と水菜を使った鍋料理です。ハリハリとは、水菜の食感を表現していると言われています。関西では、昔、この「ハリハリ鍋」を家庭料理としてよく食べました。今回の「ハリハリ鍋」は、陸奥さんのお友達で、浄土真宗の僧侶で調理師の免許をお持ちの方が、北海道日高産の上等の昆布で出汁をとり、その昆布出汁をベースに鯨と水菜を炊いてあります。非常に上品な味に仕上がっていて、驚きました。鯨の個性的な出汁が強いと思ってしまいますが、昆布と鯨の出汁が見事にマッチしていました。私が幼い頃に自宅で食べたものはとはかなり違います。おそらく昔は、冷凍の技術や鮮度の問題もあり、肉の劣化が早いため、もう少し濃い甘辛い出汁でごまかして食べていたような気がします。記憶が曖昧ですが…。今回のものは、それはと全然違います。
■「ハリハリ鍋」のことを調べてみると、冷凍技術と輸送技術が発達した明治期以降に、庶民の味として親しまれるようになったようです。もう少し、日本の近代、捕鯨技術、流通、食文化、その辺りの関係についてきちんと勉強をしたいと思いました。この「ハリハリ鍋」とは別に、炊き込みご飯もご用意していただいていました。これも美味しかった!! 私のテーブルは比較的年齢の高い方たちが座っていたことから(私が年齢が一番上だったような)、こどもの頃に食べた鯨の話しで盛り上がりました。
■食事の後は、陸奥さんが考案された「直観讀みブックマーカー」を楽しみました。あらかじめ、タイトルに鯨が入った本がたくさん用意されており、その本を使って遊ぶゲームです。今回の「直観讀みブックマーカー」のやり方がやっとわかりました。このゲームを通して、コミュニケーションが生まれることがポイントなのですね。また、本を通して、知らない人と、まだ見ぬ方との「ご縁」も生まれるところも重要かな。この「直観讀みブックマーカー」については、また別途ご紹介したいと思います。
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またまた雪
■昨日は、私が担当している「地域社会論II」の試験でした。試験は2限でしたが、出版社に校正した原稿をPDFにして返送するため早めに出勤しました。無事に校正を送り、試験の監督をしていると、またまた雪が降り始めました。朝から、facebookの「友達」の皆さんの投稿を見ていると、滋賀県内、湖東は野洲川以北、湖西は和邇以北は大雪が降って大変だったようです。琵琶湖でいえば、北湖に面している地域に降雪があったようです。
■2限の試験監督を終えて、今度は滋賀県庁に移動。14時から16時15分頃まで農政水産部の職員の皆さんと一緒に「世界農業遺産推進会議」。アドバイザーとして出席しました。今回で7回目になります。滋賀県の主張をよりストレートにかつクリアに伝えていくためには、まだ工夫と努力が必要ですが、議論は少しずつではありますが着実に前進しているように思いました。農政水産部の皆さんとの会議を終えた後は、滋賀県庁の琵琶湖環境部琵琶湖政策課に移動、総合地球環境学研究所のプロジェクトの仲間も集まり、琵琶湖政策課の職員の方と、草津市の志那町にある内湖、平湖柳平湖の再生と地域づくりの活動について協議を行いました。
■この志那町にある平湖柳平湖には、琵琶湖政策課の「つながり再生モデル事業」を通して職員の皆さんと何度か通わせていただきました。その「ご縁」で、総合地球環境学研究所のプロジェクトのメンバーたちも、ここに通って調査を開始することになりました(私のばあいだけではないと思いますが、「ご縁」ってとても大切ですね)。もっとも、私自身は大学の研究部長の職務で忙しく、ここしばらくプロジェクトのメンバーの支援ができていませんが、来年度1年間は龍谷大学の国内長期研究員に就任し、授業はもちろんのこと学内行政の仕事も全て免除され研究に専念することができるようになることから、来年は平湖柳平湖に通って志那町の関係者の皆さんと一緒に、この内湖の再生に関わる研究調査に力を注いで行きたいと思っています。
■会議を終え大津駅前のいつもの居酒屋「利やん」に顔を出し、仲良しの常連の皆さんとしばし交流してから帰宅しました。大津駅前のあたりは大した降雪ではありませんがしたが、JR湖西線に乗り最寄り駅に近づいてくると、かなり降雪しているではありませんか。朝とは大違いです。自分が住む住宅地もすっかり雪で白くなっていました。またまた雪…雪かきをしなくてはいけません。私の住んでいる所は、まだましです。湖西でも高島市などは、知り合いの方のお話しだと70cm近い積雪があったようです。滋賀県も北半分は雪国に近い気候だと思います。雪国で暮らしていくのは大変です。
■しかし、雪がしっかり降ることは琵琶湖の環境にとってはとても大切だと言われています。春になると、山の雪解け水が琵琶湖に流れ込みます。その雪解け水にはたくさんの酸素が含まれています。また、琵琶湖の湖水よりも温度が低く密度も濃い「重い」水であることから、琵琶湖に流入した雪止め水はそのまま琵琶湖の湖底に滑り込んで行きます。こうやって琵琶湖の底に酸素が供給されるのです。琵琶湖の湖底から酸素がなくなってしまうと、底生動物が死んでしまうだけでなく、湖底の泥の中に酸化して溶け込んでいる物質が還元されて水中に溶出し、琵琶湖の水質や生態系が元に戻れないようになってしまう可能性があります。大きな暮らしからすれば、雪は面倒な存在でしかないかもしれませんが、琵琶湖の水質や生態系の保全という観点からすれば、雪の評価も変わってくるように思います。