自己分析グループワーク
◾️昨日の3回生のゼミは、キャリアセンターの職員の方にお願いをして、自己分析のグループワークをしました。キャリアセンターが、各教員に「やりませんか」と打診されてきたので、すぐに実施していただくことにしたのです。結構、学生の皆さんは楽しんでグループワークに取り組んでいました。自己分析のやり方も、ちょっとわかったかもしれません。器用にグループワークをこなしているような気がしました。ただし、同時に、いろいろ思うところもありました。
◾️聞こえは悪いかもしれませんが、就職活動においては「自分を売り込むための話しをしたり書いたりする技法」が必要であることはよく理解しています。しかし、私がもし雇用する側だとすれば、もう少し別のことを聞きたくなります。異なる立場、異なる考え方、異なる価値観の人たちと、小さくても良いので、なんらかの共通の課題を解決するために、それぞれの人の持ち味を活かすような協働関係や場をどのように築こうとしてきたのか。ちょっとまわりくどい言い方ですが、その辺りの学生時代のリアルな経験のことについて、もっとストレートに話しを聞かせてもらいたいと思うからです。これは、私個人の考えというよりも、採用する側の皆さん(企業、地方自治体)が、そのような学生の皆さんの潜在的な能力を気にしておられるように思うからです。
◾️「自己」を中心に置いて考えるよりも、「他者」との関係の中でどういう経験をして、どんな壁を乗り越えてきたのか…ということなのかな。ちょっと極論を言えば、浄土真宗の教えに基づくキャリア教育とは、どういうことなんだろう…ということでもあります。龍谷大学の場合は、「建学の精神」=「浄土真宗の精神」に基づいたユニークなキャリア教育ができるはずだと思うからです。建学の精神については、こちらをご覧ください。わかりやすく説明してあります。
「ブランド米の創出は、一方通行ではダメだ」
▪️担当している社会調査実習では、6名の学生たちが、滋賀県の「魚のゆりかご水田プロジェクト」や「内湖の環境史」のテーマに取り組んでいます。夏休みには、長浜市の早崎町を訪問し、聞き取り調査をさせていただきました。12月にはさらに補足調査も実施させていただく予定です。加えて12月には、東京にある全国のブランド米を販売する米穀店でも、聞き取り調査をさせていただけることになりました。店主さんは、地域ブランド米による地域活性化に尽力し、メディァでも盛んに情報発信をされている有名な方です。
▪️今日は、授業の中で、「滋賀の人は、琵琶湖が大切、環境が大切というけれど、県外の消費者の人たち、もっと別の視点で捉えているのではないか」というような話しをしていました。といのも、早崎の農家さんから、東京では赤ちゃんの内祝いに「魚のゆりかご水田米」を贈る方がおられるという話しをお聞きしてい宝です。生まれた赤ちゃんの体重のお米を内祝いに贈るのだそうです。今日、店主さんと少しfbのメッセンジャーでやり取りをさせていただきましたが、そこで強調されいたことは、「ブランド米の創出は、一方通行ではダメだ」ということでした。つまり、生産する側、売る側の一方的な思いだけでは、ブランド米はできないよ、ということです。
▪️県内のいろんな関係者と話しをしていても、作る方には熱心でも、売る方の話しがおろそかになってきたことを自覚されているように感じます。せっかく生産した「魚のゆりかご水田米」も、販路が十分でなく売れ残れば普通の米の価格で売られていくことになります。なんだか、もったいないですね。また、消費者に届くまでの販路が十分に確保できておらず、ブランド米として販売するのならば、消費者の側が、そのブランド米をどのように受け止めているのか、そのあたりのことについても、ぜひ知らなくてはいけません。また、そのことを視野に入れた、農家の側のま自助や共助の仕組み作りも大切なことではないかと思っています。
▪️店主さんからは、あらかじめ用意した質問も良いけれど、それは60%程度にしておいて、学生さんたちにはその場で考えて質問してほしいと言われています。学生たちにとっては、プレッシャーですね。面白い展開になってきました。楽しみです。
社会共生実習を盛り上げたい!!
▪️現在、「社会共生実習支援室」のスタッフの皆さんと一緒に、社会学部の看板プログラムでもある「社会共生実習」をより一層盛り上げるために、様々な企画を考えています。そのうちのひとつは、2回生を中心とした履修者と3回生以上の修了者との交流会を開催することです。先輩から後輩へ、様々な思いが伝わればと思っています。私は、「社会共生実習」のひとつのプログラムである「大津エンバワねっと」の担当者ですが、この交流会の企画運営に参加します。
▪️以下は、昨年度の報告書です。
卒論提出までのスケジュールと卒論の評価基準
2018・2019年度版
▪️以下の記事は、2018年春から私のゼミに配属になり、2020年3月に卒業するゼミ生の皆さんに対応したものです。
テーマと調査地について : 2018年10月上旬
▪️集中的に面談を行います。自分が取り組もうと思うテーマと、それに関連する基本文献を持参して面談に臨んでください。面談の日時については、ゼミの際に調整します。面談では、どのような事例をもとに調査を行うのか、その点についても聞かせてもらいます。皆さん、就職活動、課外活動、そしてアルバイト等で忙しくされていると思います。卒論提出まではまだ1年以上ありますが、あっという間に時間が経過します。時間を調整して文献の読み込みと調査に取り組んでください。
文献の読み込みと調査の実施 : 2018年11月〜2019年11月
▪️詳しくは面談の中で指示しますが、文献を読み込むことと現場での調査は「車の両輪」と考えてください。ゼミでは、研究の進捗状況を報告してもらいます。下記の「卒業論文の中間発表」の頃までに基本的な調査を終えられるように努力してください。10月と11月は卒論の執筆に取り組まねばなりません。もし、調査を行うとしてもそれは補足調査になります。
▪️調査に行った後は、必ず面談に来てください。その際、必ず、「卒論カード」に調査から得られた情報やデータ等を記載した上で、面談で指導を受けてください。面談を重ねる中で、次第に、自分の研究の輪郭がはっきりしてくるはずです。
「履修要項」をきちんと読もう!2019年4月
▪️新年度になったら、履修要項を開いてください。卒業論文に関するページを熟読してください。必ず、熟読するようにしてください。ここにある、「書式」、「口述試験」、「表記法」、「補足」に書いてあることに関しては、ゼミで改めて細かな指導しますので、その指示に従ってください。執筆要項等については、基本的に、日本社会学会が発行している「社会学評論スタイルガイド」に準拠することにしますので、注意してください。また、以下のスケジュールを再度確認しておいてください。
卒業論文の中間発表:2019年9月下旬〜10月上旬
▪️卒業論文の中間発表を、4回生の後期のゼミの最初に行います。この中間発表をひとつの目標にして取り組んでください。フィールドワークにもとづく実証的な研究論文を読んだ人はわかると思いますし、私も皆さんにすでにゼミのときに解説していますが、オーソドックスな実証系の論文では、およそ以下のような構成が一般的かなと思います。もちろん、論文の課題設定やテーマによっては、必ずしも、このような構成である必要はありません。原稿の量についても、あくまで目安です。また、第3節については、節中はさらに複数の「項」にわけて、論文の論理の筋道が見えてくる構成にする必要があります。
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第1節:課題設定(先行研究の整理や課題の位置づけ等、原稿全体の2割程度)
第2節:調査地概況(原稿全体の1割程度)
第3節:分析(原稿全体の6割程度)
第4章:結論(原稿全体の1割程度)
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▪️どうして、このような目安を示したかといえば、一番大切な第3節が貧弱でほとんど課題を明らかにできていないようなことがあるからです。ひどい場合は、原稿の枚数を稼ごうとするため、たとえば第2節等で異様にページを費やしてしまったり(課題設定に関係のないことをズラズラ書いてしまう…)。それでは、論文としては大変パランスの悪い内容のないものになってしまいます。しかし、これはあくまでも目安ですので、構成のバランス等については、私とよく相談をしてください。
▪️中間発表の報告ではレジュメを用意してもらいますが、基本的には、卒業論文と同じ構成にしてください。まだ不明な点、調査継続中のことについては、現在どこまでわかって、今後どのような調査が必要なのか、どのような資料を集めるのか、これからの予定も含めてレジュメのなかで説明してください。
卒業論文題目届提出期間:2019年10月下旬
▪️提出先は、指導教員である私です。卒業論文のタイトルについては、まず私とよく相談をしてください。いったん題目届を提出してしまうと、変更がききません。あとで「やっぱり、違うテーマで書きたいんですけど…」といっても、題目届を提出してしまった後の段階では、すでに遅いのです。それまでの調査の進捗状況を私に報告してるいはずですが、その調査内容に相応しいタイトルにする必要があります。調査をしていないと、卒業論文のタイトルを決めることさえできなくなってしまいます。このことをよく理解しておいてください。
▪️題目届のタイトルは、題目届に鉛筆書きで書いてきてください。学生本人と私がお互いに確認したうえで、ペンで上書きをして、最後に鉛筆部分は消しゴムで消してください。注意してもらいたいことは、必ず、本人の署名と捺印が必要だということです。確認してください。
▪️題目届は、卒業論文題目提出期間中のゼミのときに回収します。よろしくお願いいたします。
卒業論文の第一次草稿提出:2019年11月末
▪️11月末頃に、「とりあえず書き上げた」原稿(草稿)を提出してください。それから、丁寧に「赤ペン」を入れていきます。修正や加筆を行ってください。良い調査をしていても(フィールドから良い発見をしていても)、それがきちんと原稿になっていなければ意味がありません。初めての経験でななか難しいところがあろうかと思います。したがって、12月の1ヶ月を使って、原稿のやり取りをしながら仕上げていきます。「赤ペン」作業終了後、具体的な指摘を加えてその原稿を返却します。冬休みに、提出する原稿を完成させてください。
▪️論文の表記については、「履修要項」に示してありますが、各ゼミの指導教員から具体的な指示を出すことになっています。配布してある「優秀卒業論文集」の脇田ゼミの先輩の論文を参照してください。
▪️たとえば10月末に原稿を提出し、早めに卒論執筆を終えてしまってもかまいません。大いに歓す迎します!!もちろん、内容がともなっていなければなりません。
卒論の最期の指導
▪️2019年12月の第3週までの間に、卒業論文の原稿、フィールドノート、収集した資料等を持参し、最低2回は面談を受けるようにしてください。そのさい、私の予定を事前に確認するようにしてください。
原稿の確認
■正月明けになりますが、事前に指導した点が改善されているかどうか卒論の原稿を確認します。研究室に集まってください。必要な場合は、さらに修正・加筆する箇所を指示します。
卒業論文の提出
▪️卒業論文提出期間中に指定した時間帯に集合して、全員で提出します。必ず、提出できる完成した形にして持参してください。集合する日時については、皆さんと調整の上決定します。
▪️もし、提出期間中に間に合わなかったばあい、提出の締め切り時間を過ぎてしまった場合、必ず、連絡をしてください。卒論提出期間は3日ありますが、かならず1日目か2日目に全員で提出します。そのことを目標に仕上げてください。どんなアクシデントがあるかわかりませんので注意してください。卒業論文の遅れは、大目に見てくれません。卒業できなくなる可能性もあります。十分に注意しましょう。ちなみに、通常、[b最終日は15時で卒論の提出を締め切ります[/b]。
卒論原稿の印刷・製本
▪️全員で力をあわせて、卒業論文の原稿を印刷し製本します。作業は後期のゼミの時間の前後を利用して行います。集合する日時や場所については、別途指示します。
卒業論文の評価基準
▪️以下のような評価基準にもとづき評価を行います。点数に幅があるのは、日本語表現からも判断するからです。理路整然と、分かりやすく,明瞭な文章で執筆してください。
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0点:脇田ゼミでは、各自が調査をしてその調査に基づき論文を執筆することになっていますので、こんなことはまずないと思いますが…。オリジナルな原稿でなければなりません。いわゆる「剽窃」(他の人の原稿を盗み自分のものとする…)は、即刻アウトです。引用等にも十分に気をつけてください。
59点以下:規程の文字数に達してない。どうみても、卒業論文としての形になっていない、内容がない場合は単位が出ません。
60点〜69点:規程の字数には達しているが、課題設定も明確でなく、分析結果も明確でない。
70点〜79点:規程の字数に達しており、一応、課題設定はできている。ただし、先行研究の検討がなされていないか不十分、あるいは分析が不十分(多くのばあい調査不足…)、結論が曖昧。
80点〜89点:規程の字数に達しており、課題設定も明確だが、先行研究の検討が不十分。課題設定に照応した分析も一応できている。自分なりの結論に達している。
90点〜 :規程の字数に達しており、課題設定、先行研究の検討、分析、結論ともに優れている。
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公開卒論発表会
▪️卒論発表会を行います。1人15分程度(12分発表・3分質疑応答)。発表は、「学籍番号」順です。日時やスケジュールについては、事前に指示します。発表会を終えたあとは、下記の「追い出しコンパ」とは別に、軽く慰労会をしたいですね。また、後日、卒業式までのあいだに、「追い出しコンパ」を行います。企画・予約等は、3年生に行ってもらいます。日程については、別途調整をします。
脇田ゼミ卒業論文一覧
▪️龍谷大学社会学部社会学科の学生の皆さん。私のこのブログのタイトルの下には、青字のメニューが並んでいます。その中の「卒業論文」をクリックしていただくと、これまで指導してきた先輩たちの卒業論文のタイトルをご覧になることができます。今日、まだ未記載であった卒業生の氏名と卒論のタイトルを追加しました。2004年から龍谷大学に勤務していますが、現在までで163名の先輩たちが卒論を提出することができました。
▪️私のゼミでは、自分で質的調査を行い、その調査データに基づいて卒業論文を執筆することを義務付けています。私のゼミの運営方針につしては、ブログタイトル下にある青字の「ゼミナール」をクリックしてください。
2018年度「大津エンパワねっと報告会」
▪️先月のことになりますが、9月27日、瀬田東学区市民センターで、「大津エンパワねっと」瀬田東学区で活動しているチーム「セたから」と「えんらく」の報告会が開催されました。夕方17時からの開催でしたが、たくさんの地域の皆さんにご参加いただきました。学生たちが前期の活動で「発見」した課題や今後の展望等について、忌憚の無いご意見をいただきました。ありがとうございました。
▪️「大津エンバワねっと」では、瀬田東学区とともに、中央学区を中心とする中心市街地でも学生たちが活動しています。その中央地区でも、12日(水)、中央学区市民センターで報告会が開催されました。予定では、7月末に瀬田東学区と中央地区が一緒に報告会を開催する予定でしたが、台風のために延期になりました。そのため、会場を2カ所に分けて開催することになりました。中央地区の報告会に関しては、facebookのアルバムをリンクしました。青地に白い「f」と書かれているマークをクリックしてください。facebookのアルバムをご覧いただけます。
3回ゼミ生の面談と自己分析セミナー
▪️3回ゼミ生の皆さんへの連絡です。連絡は2つあります。
(1)面談について
▪️ゼミでも伝えましたが、10月の第1週、10/1から10/4までの間で、3回ゼミ生の面談を集中的に行うことにしました。「ゼミ面談強化週間」です。これまでゼミの面談は、ゼミ生の自主性に任せていました。ゼミ生が必要を感じたら随時行っていました。しかしそのようにしていると、卒論への取り組みが先送りになる傾向が強く、ゼミ生自身が自分で自分の首をしめることにもなりかねません。さらには、その矛盾が、卒論提出前の期間に私に向かって「噴出」してきます。ということで、今年度は、定期的に面談を行うことにしました。本当は、こういうのって、よくないんですけどね。
▪️もちろん、空いている時間には、随時面談をしますので、メールで申し込んでください。LINEは使わないでください。メールできちんと丁寧に、面談を申し込んでください。予約を受け付けた段階で、このブログの「2018年度ゼミ面談の記録」に予約状況を追記していきます。確認をしてください。
(2)自己分析セミナーについて
▪️キャリアセンター主催の「自己分析セミナー〜自分を知ることから始めよう〜」を、脇田ゼミでは、10月23日の15:20から開催します。場所は、3号館の315教室になります。セミナーの主旨は以下の通りです。お知らせからの抜き書きです。
キャリアセンタースタッフがファシリテータとなり、個人ワークを通じて、これまでの経験の振り返りを行い、就職活動を行う上で必要となる自身の強みや価値観の再発見・再認識することを目的としています。
自身の強みや価値観などの明確化は応募先選択や働く上での価値観に繋がり、今後の新決定に向けた活動の根幹となります。
後期の「大津エンパワねっと」の授業が始まりました!!
▪️昨日から、後期の授業が始まりました。私が担当する授業は今日から。1限に打ち合わせをして、2限は地域連携型教育プログラム「大津エンパワねっと」の授業を行いました。この「大津エンバワねっと」では、前期に地域で学生たちがお世話になっている方達をお招きして報告会を実施することになっています。ところが、台風で延期になりました。「大津エンパワねっと」の活動は、大学に隣接する瀬田東学区と、中心市街地の中央地区の2箇所になりますが、中央地区については12日に報告会を中央学区市民センターで開催しました。瀬田東学区は来週になります。
▪️今日は、すでに報告会を済ませた中央地区で活動するチーム「しんごうブラザーズ」とチーム「サクらんぼ」から、前期の活動で見えてきた地域の特性や地域課題の特徴と、同時に浮かびあがってきた課題等について報告が行われ、全員で討論を行いました。すでに地域の皆さんから様々なコメントをいただいた上での報告になります。地域の皆さんの鋭いご指摘や、自分たちが活動の中で気がついたこと、専門家の指摘…様々な事柄が学生の皆さんの中で良い具合に発酵してきているように思います。個人的な見解ですが、例年の学生チームのテーマよりもハードルの高いテーマで頑張っています。まだゴールは先のことになりますが、そこに向かう手かがりは得られたのではないでしょうか。瀬田東学区の報告会は来週開催され、そこでの地域の皆さんからのご指摘を踏まえた前期のまとめの報告が行われる予定です。
「地域再生の社会学」
▪️金曜日の3限目には、担当している講義があります。前期は「地域社会論」、後期は「地域再生の社会学」です。前期の「地域社会論」は、例年履修者が100人程度のところに360人を超える登録がありました。履修できるのは、社会学部の全ての学科の2年生以上の学生さんです。もちろん、私の講義に人気があるわけではありません。学生さんたちの話しによれば、、金曜日は授業が少なく履修できる授業があまりないのだそうです。加えて、できるだけ効率的に単位を取得しようと思うと、できるだけコマを詰めた時間割にしたいのだそうです。ということで、積極的な理由からではなく、そのようなある意味「少ない選択肢の中で、この授業でもとっておこうか」という人が多かったのですね。360人いても、例年通り、記述式の試験にしました。もちろん、採点は大変な作業でした。苦労しました。
▪️では、後期の「地域再生の社会学」の履修者はどうなるのだろう…と心配していましたが、大丈夫でした。履修できるのは、前期と同様に社会学部のすべての学科の3年生以上の学生さんです。履修者は、例年と同様に50人程度でした。旧カリキュラムでは「地域社会論I」と「地域社会論II」を担当していましたが、前期が100人程度、後期が50人程度の履修者でしたから、通常に戻ったという感じでしょうか。
▪️ということで、学生の皆さんに、(1)履修動機と(2)扱ってほしい内容について、小さな用紙に書いて提出してもらいました。履修動機については、前期「地域社会論」を履修したので、それにに引き続いて履修したという人が結構な人数になりました。これは、ありがたいことですね。また、授業の中で扱ってほしいことについても、具体的に書いてくれている学生さんがおられました。できるだけ、授業の内容に反映できるように努力しようと思います。
滋賀県長浜市早崎町での「社会調査実習」
(国土地理院提供 写真)
◾️8月25日(土)・26(日) 長浜市早崎町で龍谷大学社会学部社会学科の「社会調査実習」(脇田班)を受け入れていただきました。お話しを伺わせてくださった早崎の皆様、コーディネートして頂いた松井 賢一さんには、心より御礼申し上げます。
◾️上の2枚の写真。同じ早崎町のあたりを撮影したものですが、随分地形が異なっていますね。左は、1961年に撮影されたものです。右は、現在のGoogle Mapです。じつは、早崎内湖は、1964年から1971年にかけて、県営の干拓事業によって農地になりました。では、早崎内湖はいつ頃から存在しているのでしょうか。こんな質問をすると、「それは、歴史以前のずっと前からそうなんじゃないの」と思う方もおられるかもしれません。現在の琵琶湖が出来上がったのが40万年前ですから。しかし、そのような地学的な歴史と比較すると、早崎内湖が「誕生」したのは、じつは比較的「最近」のことなのです。「最近」というと誤解を生みますね。正確にいえば、明治時代です。明治時代に、治水事業の一環として南郷に洗堰が建設されました。
◾️1900年(明治33年)から瀬田川改修工事が着工されました。瀬田川の川底を掘りさげ、川幅を広げ、川に突き出た小さな山を爆破し、琵琶湖からの水が流れやすくしたのです。加えて、1905年(明治38年)に洗堰を完成させ、この洗堰の開閉によって水の流れを調整できるようにしたのです。このような改修工事により、琵琶湖の水位は低下し、「水込み」と呼ばれる琵琶湖の水位上昇による浸水水害が軽減され、下流の治水利水にも大きな影響があったといわれています。早崎内湖は、この改修工事の結果として、早崎内湖は誕生しました。沖にあった砂州が推移低下により浮上し、そこにさらに砂が堆積することの中で、上左のような内湖が出来上がったのです(これは、国土地理院が提供している空中写真です)。内湖とはいっても、琵琶湖の周囲にあった他の内湖と比較すると、北側が琵琶湖に向かって大きく開いていることがわかります。内湖とはいっても、湾のような感じなのです。少し、脱線しますが、それぞれの内湖には、それが生まれてきた自然の歴史があり、そこに人が関わることで、人と内湖との相互作用による環境史が存在しています。そのことを無視して、多様な内湖を「十把一絡げ」的に取り上げることには、少し違和感を持ってしまいます。まあ、そのような問題については、別の機会に。
◾️話しを「社会調査実習」に戻しましょう。今回は、早崎で5名の方達にお話しを伺いました。1日目は、午前中に現在の農業政策と農家に対する補助事業に関して説明を受けました。午後は、今説明した、早崎内湖が明治時代の治水事業(南郷の洗堰建設)による水位低下と土砂の堆積によって生まれたというお話しから始まり、早崎の暮らしが魚と米と蚕の3つの「生業複合」により成り立ったいたこと、内湖の湖辺に誕生したヨシ群落の入札のこと、そのような「生業複合」が高度経済成長期の就業構造の変化や干拓事業の開始とともに消えていったことを伺いました。加えて、干拓地では、干拓地特有の営農の困難さがあり、米価の低下と減反政策に加えて干拓地の管理費用にも苦しんできたこと。その後のリゾート計画の撤回、突然の内湖再生事業、そしてビオトープの活動等についても伺いました。翌日は、「世代をつなぐ農村まるごと保全向上対策(多面的機能支払い)」と「魚のゆりかご水田プロジェクト」のことについて説明を受けました。早崎では、「魚のゆりかご水田プロジェクト」に取り組むにあたり、早崎の事情に適した独自の「一筆魚道」を開発されていますが、それをどのように設置するのか、実際の「ゆりかこ水田」に出かけて実物の魚道を使って説明していただきました。
◾️学生の皆さんは、早崎町の公民館でお話しを伺いました。左は、1日目の午前中、コーディネートをしてくださった松井賢一さんから、農業政策と農家に対する補助事業に関してお話しを伺っているところです。右は、1日目の午後、早崎町で内湖があったことろ漁業をされていた倉橋義廣さんからお話しを伺っているところです。倉橋さんは、「早崎ビオトープネットワーキング」の会長もされています。
◾️私が担当する「社会調査実習」を履修している学生さんは、今年は6名。農村や農業と少しでも関係している人がいれば良いのですが、皆んな農業の事に関して、まったく知識がありませんでした。前期の授業では、農業のこと、特に滋賀県の農業のことや、「魚のゆりかご水田プロジェクト」に関して事前学習をしてきましたが、やはり現場に来てみると情報の多さと深さに「溺れそう」になりました。学生の皆さんは、自分たちにあまりに知識がないことを深く反省されていました。それでよかったかなと思います。あとで、補足の指導もさせてもらいます。写真は、現代の機械化された農業がどのようなものなのかの一端を知るために、農家の倉庫で様々な農業機械を見学させてもらっているところです。
◾️左の写真、遠くに伊吹山が見えます。ここは、元々、早崎内湖だったところです。干拓地ですので、周囲よりも(琵琶湖の湖面よりも)低いということになります。干拓地の地面は元々内湖の湖底ですから、そこに出来上がった水田はとても泥深くなります。農作業をする際には、大変なご苦労があったようです。また、干拓地の中に溜まった水は、ポンプで汲み出さなければなりません。その費用も必要になります。米価がどんどん高くなっていく時代であれば別ですが、現在のように米価が低迷して、「作るだけで赤字になるかも…」という状況では、そのような費用も大変な負担になります。実際、この干拓地の中には、営農を中止し、草木が生えるママになっているような水田もありました。食糧難、米不足ということで始まった干拓事業ですが、干拓事業が終わると、米が余ることから減反政策が始まりました。農地の維持が大変な負担であることから、リゾート開発が全国各地で始まった時には、ここにゴルフ場を建設するという計画も浮上しました。その計画は頓挫しました。そのあとは、干拓地に内湖をもう一度再生する滋賀県の事業が始まりました。営農に苦労している農地を全て滋賀県が買い取ったのかといえば、予算等の関係から、全てではありませんでした。この辺りのことは、これとはまた別の投稿で説明することにしようと思います。
◾️右の写真は、「魚のゆりかご水田プロジェクト」が取り組まれている圃場です。もちろん、魚道が設置されるのは、ニゴロブナやナマズといった魚が産卵に来る春ですから、夏である現在は取り外してあります。「それでは、学生の皆さんはよくわからないだろう」ということで、わざわざ魚道をこの圃場にまで運んで取り付け方を説明してくださいました。
◾️軽トラックの荷台に乗っているのが、早崎で開発された「一筆魚道」です。この魚道を作成されたのは、「早崎農地水守ろう会」の事務局長である中村彣彦さんです。早崎町が「魚のゆりかご水田プロジェクト」に取り組むのは、今年で3年目になります。1年目は、今とは違う、階段型の魚道を、圃場の排水溝のあたりを掘って埋め込む方式でした。その埋め込み作業には、大変な手間と時間がかかりました。そこで2年目からは、中村さんはこのような塩ビのパイプを使い、簡単に設置できるように新しい魚道を開発されました。しかも、一つ一つの圃場の排水口の形状や高さが違うことから、どのような場合にでも対応できるように改良が加えられました。
◾️早崎の「一筆魚道」は、2つのパーツから構成されています。ひとつは、排水路側に設置する部分です。排水路に出ている排水パイプにジョイントを使って接続します。もうひとつは、圃場の内側に設置します。圃場の排水溝に上から埋め込む簡単な作業が必要ですが、大掛かりな作業ではありません。このような改良を加えた「一筆魚道」を開発することで、「魚のゆりかご水田プロジェクト」に取り組む際のハードルも、随分低くなったのではないかと思います。
◾️おそらく学生たちにとっては、受け止めるのが困難なほど大量の情報だったと思います。また、伺った内容も、専門的なことが多く、事前学習をしてきたとはいえ、消化不良のところもあろうかと思います。学生たちは残りの夏休みで、伺ったお話しの文字起こしと格闘します。後期の授業では、まず今回の実習の振り返りと補講を行いたいと思います。そのような補講を済ませた後、今回の聞き取り内容に関して分析を進めていきます。また、補足調査も実施します。特に、干拓後の農地での営農の大変さを、農作業や経費の観点から伺おうと思います。
◾️今回は、早崎のリーダーの皆さんにお話しを伺いましたが、若い農家にも簡単にお話しを伺うことができました。お父様の農地を使って、トマトのハウス栽培に取り組む方です。滋賀県では珍しいと思いますが、専業農家です。ビニールハウスでトマトを生産し、販売等に関して経営的な工夫もしながら農業に取り組んでおられます。専業農家として家族も養っておられることからもわかるように、高い収益を上げておられるのだと思います。このような若い農家からお話しを伺うと、先輩の農家とは別の価値感に基づいて農業に取り組んでおられることがわかります。自営で仕事がしたかったので、家に農地もあることから農業に取り組むことにされた…とのことでした。家を守るとか、家産である農地を守るとか、そういう発想で農業に取り組まれているわけではありません。家業というよりも、ビジネスとして取り組まれているのです。私ぐらいの年代の農家は、長男でだから、昔の分類でいうと第二種兼業農家として村に残り、家を継ぎ、家産を義務として守るという傾向が強かったわけですが、今はそうではないのです。
◾️もう一つ、書いておかなければならないことがあります。それは、晩の「交流会」のことです。1日目の晩に、お話しを伺った皆さんとの交流会を持つことができましたて。その交流会の中で、学生の皆さんたちは早崎の皆さんと「盃の交換」をさせていただくことができました。民俗学に関心がある方はご存知かと思いますが、地域によって「烏帽子親」と呼ばれる行事がありました。これは、擬制的親子関係と説明されています。昔、成人(元服)した時に、初冠と称して烏帽子を着ける儀式を行いましたが、その際地域の有力者に烏帽子をかぶせてもらい、その方の庇護を期待したことから、そのような呼ばれているのです。この儀式では、「盃の交換」が行われます。もちろん、昔は男性が成人する際に行われる儀式ですが、現在では男女に関係なく(笑)、村のリーダーの皆さんと「盃の交換」をさせていただくことができました。もちろん、「これで早崎の社会調査実習は間違いなく成功」…というわけにはいきません。学生の皆さんには、さらに頑張って実習に取り組んでいただくことになります。
◾️帰宅後、この「社会調査実習」のことをfacebookで報告したところ、経済学部の農業経済の教員の方から、2年生のゼミで学生の皆さんに調査実習の成果を報告してほしいとの依頼がありました。さて、どうなることでしょう。学生の皆さんには、頑張ってほしいと思いますけど…。どうなるやろ。
【追記】◾️農家は、経済活動としてこの「魚のゆりかごプロジェクト」に取り組んでいます。農家がこのプロジェクトに取り組むのは、プロジェクトに取り組むことで収入が向上するからです。この「収入の向上」は、プロジェクトを進めていく上で、いわば「必要条件」ということになります。もちろん、湖岸の農家は、農業を主生業にしながらも、簡易な漁具(モンドリやタツベ等)を使って、「オカズとり」と呼ばれる自給を主たる目的とする漁業にも携わっていました。ですから、魚の水田への俎上を楽しみにしていること、プロジェクトに取り組む動機の一つとしてあげても良いかと思います。また、プロジェクトの中で世代間や村人同士の交流が生まれるわけですが、それを楽しみにされているところもあります。これも重要なポイントです。これは、「十分条件」ということになります。個々の集落でプロジェクトに取り組むか否かの意思決定の中では、この「必要条件」と「十分条件」を視野に入れながら、その他にも、頑張ってプロジェクトの推進に取り組む世話役を務める人(リーダー)がいるかどうか、そしてトータルなコスト(手間暇)とトータルなベネフィット(現金収入などの経済的な利益だけでなく、広い意味でのもの、何らかの効用も含む)とが天秤にかけられ、取り組むか否かが決まっていくように思います。
◾️必要条件と十分条件のうち、前者の必要条件に関していろいろお話しを伺っていると、生産した「魚のゆりかご水田米」を、付加価値のついたプレミアム米として売り尽くせるかどうかが課題であることもわかってきました。もちろん、取り組むことで農政から補助金は出ます。そのような補助金も、農家にとっては重要であることに間違いはありません。しかし、せっかく手間暇かけて「魚のゆりかご水田米」を生産しても、最後の売る段階で、通常の米と同じ価格で買われてしまうのであれば、生産意欲のさらなる向上につながりません。
◾️個々の集落で、プレミア米として評価してくれる販売ルートをきちんと確保していれば問題ありませんが、生産したプレミアム米をそのようなルートで全て売り尽くせるかといえば、必ずしもそうではありません。プレミアム米として販売できない場合は、通常の米として販売するしかありません。1つの集落で生産される「魚のゆりかご水田米」の生産量は、通常の米の生産量と比較しても少ないわけです。量が少ないことから、農協では通常の米とは別枠で、プレミアム米としては扱うことができないようです。農協で扱ってもらうためにはロットが必要なのです。複数の集落の米をあわせれば量も確保できそうではありますが、現状では、それも難しいようです。
◾️東京の全国の米を扱う専門店での出来事として、こんなお話しをお聞きした。「魚のゆりかご水田米」を、出産の内祝いとして購入するご夫婦がおられるという話しです。出産の際の内祝いとは、現在では、お祝いに対するお返しのような感じになっていますが、生まれたお子さんの体重と同じ重さの「魚のゆりかご水田米」をお返しに贈るのだそうです。このプレミアム米の名前に「ゆりかご」が入っていることから、内祝いに用いられるとのことでした。このお話しを聞いた時、とても面白いなと思いました。「魚のゆりかご水田米」は、そのようなネーミングがつけられた時点で、「物語」を付与されたプレミアム米になっているわけですが、さらに、この「内祝い」という、これまでとは別種の「物語」の文脈が与えられ、さらなる付加価値が生み出されているのです。しかも、その「物語」は、生産者である農家の側ではなく、消費者の側が与えているのです。
◾️「魚のゆりかご水田米」は、環境に良い、琵琶湖に良い取り組みなのだという情報発信の仕方は、環境に優しい農産品を求める、農産品に安心・安全を求めるグリーンコンシューマーにとっては意味があると思いますが、今回の場合は、必ずしも環境や琵琶湖とは直接的には関係ありません。「ゆりかご」という言葉が名前に入っていることから、そのような発想が生まれているのです。「魚のゆりかご水田米」というプレミアム米、一般の消費者の目線ではどう捉えられているのか、その点についてもっと深めていくべきかなと思っています。