公益財団法人 平和堂財団 第5回「夏原グラント」助成金目録贈呈式
■土曜日、公益財団法人 平和堂財団 第5回「夏原グラント」助成金目録贈呈式が、草津市のエストピアホテルで開催されました。3月に公開審査会が開催されましたが、その審査会で助成対象に決まった団体に、平和堂の現代表取締役社長であり財団の理事長である夏原平和さんから、助成金の目録が直接手渡されました。この日は、審査に当たった私たち審査員も参加させていただき、助成を受けられたことをお祝いいたしました。
■目録の贈呈の後は、以下の団体の活動事例発表が行われました。
白鳥川の景観を良くする会 白鳥川流域の生物多様性と好循環社会へのモデル取組
八幡市里山再生協議会 三川合流地点(木津川・宇治川・桂川)八幡市男山展望台周辺の環境整備事業
甲賀木の駅プロジェクト運営委員会(甲賀愛林クラブ) 甲賀木の駅プロジェクト チェーンソーと軽トラで山を元気に! 町を元気に!
誕生日を迎えました。
▪︎本日、58歳になりました。Facebookでは、たくさんの皆さんから誕生日を祝うメッセージをいただきました。ありがとうございました。
▪︎さて、昨晩から熊本が地震で大変なことになっています。今朝も弁当を作りながら、関西から何ができるか、また何をすべきか、情報を取得しながらいろいろ気にしています。災害を何らかの形で専門とされる皆さんは、すでに熊本に現地入りして状況を確認されています。そのような皆さんからの情報をまずは確認しようと思います。
▪︎今朝も、弁当を作りました。自身の健康のために…です。卵焼きをつくり、冷蔵庫に残っていた豚肉のコマ切れを使って生姜焼きをつくり、オクラを茹でて、ほうれん草はお浸しにし、かまぼこの「紀文」が売っている「枝豆天」というものをフライパンで焼いて、彩りにプチトマト。プチトマトは、少女のリボンのような感じでしょうか。ご飯には、いつもの山椒昆布、南蛮の味噌漬け、びわ湖のエビの佃煮をのせました。朝、1合だけご飯を炊きましたが、その6割は弁当に、残り4割は朝食で全部食べてしまいました。朝食は、ご飯に納豆、味噌汁、バナナ・イチゴ・ヨーグルト・オリゴ糖、それからコーヒー。節酒をして(禁酒ではない…)、納豆とヨーグルトで腸内フローラ⁈を良い状態に維持できるように努力しています。もっとも、腸の状態に直結するストレスは無くなりはしませんが…。
▪︎なんとか、無事に、健康に58歳の1年を過ごせるようしたいと思います。その上で、皆様にご縁をいただき、支えていただきながら、狭い範囲でしかありませんが地域社会のお役に立てるようにさらに努力したいと思います。健康第一です。名前は、健一ですし。
「弁当男子」・「アニメ」・「リーマンショック」
■大津に転居したことから、通勤時間が1時間近く短縮されました。短縮されたことにより、出勤前に時間的余裕が生まれました。ということで、4月になってから、できる範囲でですが、自分のために弁当を作るようにしています。弁当は健康に良いことはもちろんですが、それ以上に精神衛生的にも良いのではないかと思っています。
■写真は、左が昨日の、右が今日の弁当です。特別に何かしているわけではなく、夕食の残り物や冷蔵に残っているもので作っているので簡単です。昨日は、卵焼き、オクラ、春巻き、肉じゃが、豚肉の生姜焼き、ご飯の上は、山椒昆布、琵琶湖のエビ。春巻きは冷凍ものですし、肉じゃがは夕飯の残り物です。今日は、人参のサラダ、筍の木の芽和え、豚肉と大根の煮物の豚肉だけ。これらは夕飯の残り物。あと、卵焼き、ウインナーだけ朝に作りました。ご飯には、南蛮(青トウガラシ)の味噌漬けと山椒昆布、それからすりゴマ。今日のお昼は、弁当を持参されている研究部の職員の方たちと雑談をしながら弁当を頂きました。
■弁当に関連していろいろ調べていて、幾つかのことを知りました。ひとつは「弁当男子」という言葉。自分で弁当を作って職場に持参する人のことを「弁当男子」というのだそうです。 「エコ」「節約」「健康」がキーワードとのこと。言葉が生まれたのは2008年ということも知りました。Googleを使って「弁当男子」を検索してみると、たくさんヒットしました。さらにいろいろ調べてみると、「弁当男子」に対して懐疑的なのが50歳代以上の男性ということを書いてた記事を読みました。「弁当男子なる言葉も生まれているようだが、自分で弁当を作るなんてちょっと変。社員みんなで外に昼食を食べに行ったり、飲みにいくことで親近感が増し、仕事にもつながるものだ」…という意見があるというのです。私自身は50歳代ですが、職場の方たちとも飲みに行きます。ここは断然「弁当男子」の皆さんを応援しますね〜。私自身も、健康のためにも精神衛生上にも良い弁当作りがちゃんと日常生活に定着して、人からも「弁当男子」と認めてもらえるほどになれば…と思っています。でも難しいだろうな〜…。
■もう一つ、弁当のことで。海外でも日本の弁当文化が注目されていることを知りました。このような海外での弁当ブームについては、ネット上に、いろいろ動画がアップされています。日本にいると弁当は、ある意味で当たり前のことなのですが、外国から見ると新鮮に映るようですね。こちらの記事によると、海外での弁当ブームの始まりはフランスのようです。そのようなブームが起きた契機のひとつは、世界的に人気のある日本の様々なアニメとのことでした。これは、びっくりです。アニメの中で、登場人物たちが食べている弁当に注目が集まったことがきっかけなのだとか。もうひとつは、2008年の「リーマンショック」に端を発した金融危機です。この金融危機のために不景気になり、優雅にランチ…ではなく、職場で手軽に食べられるものが求められたのだそうです。その時に、色鮮やかで、健康そうで、美味しそうで、小さな料理がたくさん詰まっていて、さらに楽しそうでなおかつ可愛らしい…そんな日本の弁当文化が注目されたというのです。なるほど、そういうことだったんだ…。2008年の「リーマンショック」。その年に生まれた「弁当男子」という言葉。みんな繋がってくるような気がしますね。
月と大阪駅
■昨日は、午前中2講時が「社会学入門演習」でしたが、その授業を終えた後、研究部で職員の方と翌日の会議の簡単な打ち合わせをして、「介護老人保健施設」に入所している母親のところに向かいました。いつもは週末に車で行っているのですが、このまえの週末はいろいろ用事があり、行くことができませんでした。ということで、昨日は、午後から時間が取れたので電車で行くことにしたのです。昨日は、洗濯をした母親の衣服を大きなリュックに詰めて電車に乗りました。帰りは、そのかわりに洗濯物を詰めて帰宅することになります。母親の入所している「介護老人保健施設」は大阪から電車とバスや車で約1時間半ほどのところにあります。滋賀県の瀬田キャンパスからだと、片道2時間半かかってしまいます。やはり、滋賀と兵庫の往復はなかなか大変です。「遠距離介護」ではないけれど、「中距離介護」でしょうかね。
■写真は、帰宅の途中、阪急梅田駅からJR大阪駅に向かう横断歩道で撮ったものです。ちょっと幻想的な雰囲気に見えました。大阪駅のプラットホームの上の大きなな屋根のさらに上の方には、三日月が出ていました。小さくて見えにくいですけれど。
2016年度「社会学入門演習」
■11日(月)から実質的に授業が始まりました。キャンパスに行く最寄り駅のバス停は長蛇の列です。履修が確定するまで、しばらくこのような状況が続くのではないかと思います。さて、今年度、前期の私の時間割ですが、月曜日の2講時が「地域社会論Ⅰ」、火曜日の2講時が「社会学入門演習」、残りの授業はすべて金曜日に集中しています。残りは、昨年と同様に研究部関連の会議に対応できるように空けてあります。
■昨日は、第1回目の「社会学入門演習」でした。これは、新入生のための授業で、私のクラスは全員で16名です。この演習では何をするのかというと、6月に1泊2日の調査旅行をしてレポートにまとめて報告書を作成します。その過程で、大学での授業を履修するための基本的なことも同時に学ぶことになります。今日は、まだ情報処理の授業を受けていないため、パソコンのメールが使えないことから、取り急ぎ、全員とLINEで連絡が取れるようにしました。ラーニングアシスタントのF君や、テキパキと動く学生がいてくれるおかげで「社会学入門演習脇田班」のグループへの参加も1日で終わりました。パソコンからメールを送ることはできないけれど、LINEはできるというのは、なんだかいまどきの現象ですよね。
■今日は、それぞれ自己紹介をしてもらいました。その際、「大学4年間でチャレンジしたいことはなに?」と全員に聞いてみました。国内旅行であちこちに行きたい、韓国語を習得したい、英語のレベルを上げたい、高校の教員になりたい、自分が作曲した楽曲のCDを出したい、プロ野球選手になりたい…。いろいろ語ってくれました。しかし同時に、何をしたら良いのかよくわからない学生達も半分強いたように思います。この辺りも、いまどきなのかもしれません。教員として望むことは、授業とサークルとアルバイトの三角形を真面目にぐるぐる回ること以上の何かを、ぜひ大学の4年間で経験して欲しいということです。みなさん、期待していますよ。
『アイヌ民族の軌跡』(浪川健治・山川出版社)
■先週の木曜日に、吹田にある国立民族学博物館の特別展「夷酋列像 ―蝦夷地イメージをめぐる 人・物・世界―」を駆け足で観覧しました。復習も兼ねて、『アイヌ民族の軌跡』(浪川健治・山川出版社)を読んでいます。非常にわかりやすい。自分のような初心者にはぴったりのように思いました。
■日本の学校という「制度」の中で学んできた知識(歴史や地理)をもとにすれば、北海道は国土の最北端に位置する地域のようにイメージしてしまいます。しかし、そのようなイメージは、近代国民国家という枠組みにもとづいた現在の「日本」を自明とするイメージでしかありません。この『アイヌ民族の軌跡』を読むと、そのようなイメージが吹っ飛ぶことになります。
■アイヌ民族は、北海道だけでなく、さらに北にあるサハリン、千島列島、そして現在の北東北(青森等)にまで広がる東北アジアの広大な地域に生きてきた民族なのです。この本を読み進めると、元とサハリンで交戦したという話しが出てきます。元とは、「元寇」の元のことです。そして次のように書かれています。
この時期にアイヌ社会では、土器文化から近世的なアイヌ文化へと急速な変化をとげるが、その背景には、本州の和人社会との活発な交易活動による金属器・漆器・衣類・米・酒などの多量の流入にがあり、和人社会への依存度を強めつつもニウブなど北方の周辺諸民族への経済的な優位性を高めたことが、サハリン進出可能とした要因と考えられる。
■ニウブとは、ギリヤークとも呼ばれるアイヌ民族とはまた別の北方民族のことです。和人社会との交易から得られる豊富な物質が、より北方に展開していくための経済的基盤になったようです。また、次のような記述もあります。明の時代になると、明は東北アジアの民族に、服従を強要し朝貢を義務付けました。そして、アイヌ民族を含む少数民族の首長層を衛所の官として毛皮などの「歳貢」(朝貢品)をおさめさせ、反対に、絹、錦、金糸を使った豪華な衣服(襲衣:ひとそろいの衣)を下賜したというのです。「これらの下賜品は、北東アジア諸民族との文化接触による交易品とも合わせて、環日本海地域北方の交易圏との接触の中で蝦夷島から本州へともたらされた」と書かれています。この本の表紙に描かれているのは、少し前にエントリーした民博の特別展「夷酋列像 ―蝦夷地イメージをめぐる 人・物・世界―」に展示されていた「夷酋列像」に登場した人物です。アイヌ民族の有力者のひとりです。「蝦夷錦」と呼ばれる中国からの絹織物による着物、そしておそらくはロシアから入手したと思われるコートを身につけています。東北アジアに広がる交易の中で、大量の物資が動いていたことが、この有力者の服装からわかります。
■以下は、この本の目次です。目次をご覧いただければ分かりますが、アイヌ民族が「和人」に支配され、そして明治維新以後は、日本をはじめとする近代国民国家の枠組みの中に組み込まれ、抑圧されていく…そのような歴史が垣間見えます。
アイヌ民族の今-民族と先住性
1.アイヌ文化
アイヌ文化の成立/アイヌ文化の構造2.東北アジアのなかのアイヌ民族
十二~十五世紀の東北アジアとアイヌ民族/
十五~十六世紀のアイヌ民族と和人社会/蝦夷をみる目3.アイヌ民族と近世日本
アムール川下流域の諸民族と二つの帝国/
近世日本国家の成立と松前・蝦夷地/松前藩と商場知行制/
商場知行制とアイヌ民族/本州のアイヌ民族4.シャクシャインの蜂起
アイヌ集団と「無事」/「寛文蝦夷蜂起」のもたらしたもの5.クナシリ・メナシの蜂起
場所請負制の成立/蜂起とアイヌ社会/「蝦酋列像」とアイヌ首長層6.民族文化の否定から「臣民」化へ
「外圧」と蝦夷地の内国編入/
維新政権と「臣民」化-民族の否定と強制移住
アイヌ民族の軌跡
■しかし、筆者は、従来の「和人の横暴とアイヌ社会の破壊を全面的に明らかにしてきた」研究の問題点を指摘します。そして、「場所請負制」と呼ばれる経済支配の仕組みの中でも、それを出し抜くような「自分稼」という実践を行っていことについても説明しています。また、この本の最後のところで以下のようにも述べています。アイヌ民族を抑圧する歴史を明らかにしようとする問題意識が、ステレオタイプのアイヌ民族のイメージを作り出してしまっていること、支配や抑圧の歴史のなかで活発に交易を行っていたアイヌ民族が、狭い範囲での狩猟・漁労を生業の中心にせざるを得なかったこと等を指摘しています。以下が、その部分です。
中世から近世、そして近代にいたる歴史の中でのアイヌの人びとは、交易の担い手としてきわめて行動的なダイナミズムの中に生きた民族であったことが理解されていくる。
そうしたアイヌの人びとを国家の枠組みの中に捉え込もうとしたのが日本を含む周辺の国家群の動きであったといえよう。アイヌの人びとは、前近代においては、そうした動きに対して公然たる蜂起となし崩しの交易活動によって、みずからの主体的な活動を営み続けていたのである。しかしながら、アイヌの人びとは、その後、アムール川下流域・サハリンの先住民族と同様に、近代の足音が高まるとともに国家間の間のせめぎ合いの中でその活動を規制され、狩猟・漁撈を生業の中心とするようになった。
民族誌に記録され、現在もなお生きる「自然と共生する人びと」というイメージは、そうした段階以降に作られたものである。
■「自然と共生する人びと」というイメージは、「和人の横暴とアイヌ社会の破壊を批判しながらも、同時に、アイヌ民族を支配する側」からの歴史、「倭人の側」からの歴史を前提に生きている「私たち」の眼差しでしかないのです。筆者は、次のよう述べています。「日本史は国家の枠組みを前提とする『日本』史ではなく、列島弧における文化と社会のあり方を、時という視点から問い直すものとして再構成されなければならないのである」。
由紀さおり「VOICEⅡ」
■子どもの頃、まだ我が家のテレビが「白黒」だった頃のことですが、親が「懐メロ」の番組を楽しんでいると、がっかりしたものです。「もっと楽しい番組をやっているのに…」と思ったわけです。中学生ぐらいになると、親に「懐メロ」番組のためにチャンネル権を奪われた場合は、ラジオを聞くようなっていました。深夜放送が全盛期でした。
■ところが、最近は、かつての親のように自分自身が「懐メロ」を楽しむようになっています。「昭和の歌謡曲」を楽しむようになっています。昨晩も、テレビをつけると「甦る歌謡曲」という番組をやっていました。現代風にアレンジされていますが、懐かしくて懐かしくて、ついつい視てしまいました。子どもの時、「懐メロ」を楽しむ大人が理解できなかったわけですが、やっと自分自身も楽しめるようになってきた…という感じでしょうか。やはり、「昭和の歌謡曲」を楽しむためには、一定の長さを生きている必要があるように思います。「歌謡曲」そのものだけでなく、「歌謡曲」が流行っていた時代のことを思い出しながら、その時代を懐かしみつつ、楽しむのですから。しかし、「歌謡曲」という言葉、死語・・・ですね。
■ということで、由紀さおりの「VOICEⅡ」を手に入れました。1960〜1970年代の名曲を、由紀さおりさんが唄っています。「→」の後の名前は、元々、歌っていた歌手の方のお名前です。
1 さよならはダンスの後に →倍賞千恵子
2 ウナ・セラ・ディ東京 →ザ・ピーナッツ
3 夜霧よ今夜も有難う →石原裕次郎
4 黄昏のビギン →水原弘・ちあきなおみ
5 ラストダンスは私に (duet with 坂本冬美) →越路吹雪
6 雨の夜あなたは帰る →島和彦
7 赤坂の夜は更けて →西田佐知子
8 暗い港のブルース →ザ・キングトーンズ
9 雨に濡れた慕情 →ちあきなおみ
10 知りたくないの (duet with 平原綾香) →菅原洋一
11 逢いたくて逢いたくて →園まり
シニアの会
■大津市へ転居して、5週間が過ぎました。引越しの混乱も、なんとか収まって普通に暮らせるようになりました。今までは、自宅と職場の往復、介護、そして自宅の内側のことばかり気にかけていましたが、昨日は、やっと地域の活動に参加することができました。自治会の高齢者の方達が自主的に企画運営している活動です。「シニアの会」といいます。私はまだ還暦にも達していませんが、どういうわけかお誘いを受けて参加させていただくことになりました。今回は、近所の公園でお花見ハイキングでした。「人生の先輩方」と一緒に歩きながら地域のことをいろいろ教えていただきました。「先輩方」からすれば、私などはまだ「ヒヨッコ」の類です。ということもあり、多少、年齢的な「アウェイ感」がないわけではありません。とはいえ、せっかくお誘いいただいたのですから、気にしていても仕方がありません。
■私の暮らしている地域は、いわゆる郊外の新興住宅地なのですが、隠れた「桜の名所」があります。不思議なことに、地元の皆さんしかやってきません。人で混み合うようなことは全くありません。この日も、家族、友人同士、自治会…様々な方達が桜を楽しんでおられました。私たち「シニアの会」も、桜の樹の下でお手製のお弁当をいただきながら、そしてお菓子をお互いに譲り合いながら、気持ちよく花見をしました。
■私のところの自治会には、若い年代の家族が住んでおられます。しかし、近くの自治会でも、四半世紀ほど前に開発された地域の自治会の場合は、高齢化率が高くなっているとお聞きしました。高齢化率が高くなるような状況の中では、いろんな意味でお互いを気遣い、支え合えるような「良い関係」をたくさん持っておくことが大切なことだと言われています。昨日は、そのことを強く実感しました。
地球研で研究会議
■8日(金)の午後は、桜の花が咲く総合地球環境学研究所で、コアメンバーとして参加しているプロジェクト「生物多様性が駆動する栄養循環と流域圏社会―生態システムの健全性」の拡大会議が開かれました。あいにく地球研以外のメンバーの中には、本務先の用務のため参加できない人もいましたが、とにかく今年度の基本方針を決めるこの会議を、きちんと開催することができました。人事、年間スケジュール、予算等について、4時間ほど議論を行いました。基本的に事務的な内容の会議なのですが、時々、研究の中身にまで突っ込むような議論にもなりました。それが、良かったなあと思います。
■文理融合型の学際的研究、そして行政・地域住民・市民との共同の中で進める超学際的(TD : Transdisciplinary)研究プロジェクトのスリリングで興味深いところは、それぞれのディシプリンの相補的関係が見えてきた瞬間に、重要な指摘やアイデアが創発的に生まれてくることです。重要な指摘やアイデアは、ディシプリンの間に隙間に発生するのです。もっとも、そのような重要な指摘やアイデアが生まれても、会議の中だけで消えてしまっては意味がありません。それらが、プロジェクトの活動の中で活かされていかなければいけません。そこがなかなか難しいところでもあります。
■会議の後は、懇親会でした。3枚目の写真でふざけているのはPD研究員の皆さんです。テーブルの上には、美味しい料理が並びました。どうですか、立派な鯛でしょう。もったいないので、刺身をいただいた後は、あら炊きにしていただきました。春は鯛の季節です。美味しい鯛をいただきながら、春を感じました。
春の宴会
■ひとつ前のエントリーにも書きましたが、民博の特別展を観覧した後、母が入所している介護老人保健施設まで車を走らせました。この日は、母の見舞いだけでなく、介護福祉士、看護師、栄養士、ケアマネージャーといった施設の専門職の皆さんと、母の状況共有のためのカンファレンスが持たれました。その後、急いで滋賀に向かって車を走らせました。この日、夕方から「教員部長会」が開催されることになっていたからです。母の施設には妻も同行してくれたことから、私は山科で車を降り(後は妻に任せて…)、電車で深草キャンパスに向かいました。
■「教員部長会」は、大学の縦割り組織の弊害を少しでも緩和し、組織の壁を超えて横に連携していくことを目的に開催しています。学長にも参加していただいています。もっとも、今回で開催は2回目です。私も含めた教員部長3名で始めました。今回も、食事と酒を楽しみながら、いろいろ情報・意見交換をすることができました。場所は、深草キャンパス近くの割烹料理店です。写真は、この時に出てきた一品です。春らしい椀です。桜の香りが漂う美味しい椀でした。桜の蕾、桜の葉、桜色の染まったおこわの中身は白身の魚…、それらを葛餡とともに美味しくいただきました。「春の宴会」ですね〜。ところで、次回の開催もすでに決まっています。次回は6月に開催することになっています。場所は、大津駅前のいつもの居酒屋「利やん」です!!